奈落の底から 29
お待たせしております。
将来においてサラスペシャルと名付けられる事になる新形態のポーションの作成は成功した。ポーションは外気に触れると効能が落ち続ける性質があり、それを防ぐ為に硝子の器で保管していたのだがサラが何ともなしに呟いた一言により俺達の常識がひっくり返ったわけだ。
だが言われてみれば実に理にかなっている。出来上がった品の表面に僅かな劣化は見られたが、誤差の範疇に収まる範囲だし、それを言うならポーションを入れていた器の内面にだって液体は付着しているのだ。
試作品を手に戦場ゆえに常に発生している怪我人を見つけて実験台にしたところ、その場にいた王子の激賞を経てサラスペシャルの大量生産が開始された。誰も好き好んでポーションを文字通り湯水のように使い捨てる現状を良しとしていなかったから、これは当然の流れだろう。
冒険者ギルドの職員も歓声を上げていたし、グラン・マスターも酔いが一発で醒めたような顔でサラスペシャルを見ていた。初回生産以降の結果次第で総本部の承認が降りるとか。それを聞いたサラは今すぐ名前変えてよと顔を青くしていたが、偉大な発明者の名を残す事は当然である。
原材料のゼラチンはこちらで提供したが、この世界にも寒天らしきものはあるから次回からは代用できるはずだ。容器の問題は何処にでもあると聞くから意外とこのサラスペシャルは流行するかもしれない。
魔物と戦っている最中にすっ転んで腰に下げていたポーション瓶が全滅して大損こいたなんて話も冒険者あるあるの一つだからな。サラスペシャルの場合は潰れても口に入れれば効果はあるのだ、やはり凄い発明だぞこれは。
その日の内に一つの家屋が生産工場に早変わりして稼動を始めた。もちろん正規の仕事として依頼が掛かり、今も町のオバちゃん連中が固まったグミ状のポーションをせっせと一口大の大きさに切り分けていた。
「ユウキ様、只今戻りました」
「ああ、ありがとう。苦労をかけたな」
俺の背後に音も無く忍び寄った気配は慣れ親しんだユウナものだ。彼女には色々と動いてもらっていて俺の側を離れていたのだが、それがやっと完了したようだ。
「とんでもございません。我が主の往く道に翳りなどあってはなりません。全て恙無く処理を終えております」
ユウナにはクランで揉めた野郎の後処理を頼んであった。殺し合いまで発展したあの事件が何事もなくこのまま終わるはずがない。後々揉める事が解っていたので、先手を打ったのだ。それが終わったら今度はあのフランツの決闘騒ぎだ。ランヌにおける始末も頼む羽目になってしまい、ユウナの合流が遅れたのだ。
「なにか問題はあったか?」
「なにひとつとして。むしろ加えた配下たちの良い実戦経験の場になりました。現在、かのクラン支部にユウキ様の敵は誰一人として存在しておりません」
「配下というと、ラインハンザの時の?」
「はい。やはりネリネたちは優秀でした。あの者達は将来我々に大きな貢献をもたらす事でしょう」
「俺は君の判断に全て任せている。思うようにやれ」
ユウナには俺の背中を完全に預けている。はっきり言って彼女が裏切ると俺は破滅するだろう。だが世界の全てを疑ってかかる俺だが、従者や仲間は疑う対象ではない。裏切られたら俺が愚かだっただけと割り切って信頼している。
その態度が彼女に理解されたのか、深く腰を折ったのが気配でわかる。そしてなんというか、非常に嬉しそうな空気が伝わってきた。
「全てはユウキ様の思し召しのままに。そしてあれが、例の新型ポーションですか?」
彼女の視線も俺と同じくポーション工場に注がれている。現役の冒険者ギルド職員の顔も持つユウナにとっても興味をそそられる品だろう。
「ああ、在野にも才能はあるな。自分の発想の貧困さに呆れたよ、なんでこれまで幾度も見ていて一度も思いつかなかったのかってな」
俺と同じくらい悔しがっていたのがセラ先生だ。自分が先に気付いてしかるべきだったと後悔しきりで姉弟子とリエッタ師に慰められていた。
「あの者ですか。才気はそれほど感じませんでしたが……」
「誰もが君やレイアのように才気溢れる傑物ではないからな。だが、俺たち凡人のひらめきも捨てたもんじゃないだろ?」
「ユウキ様がもし凡人であれば世界の全ては無能に堕ちますが……」
俺の力は全て借り物だからな。そしてそれをユウナも知っているはずだが、言葉にはしなかった。何故なら弟子二人がこちらに向かってくるのを視界に捉えたからだ。
そしてキキョウとライカは彼女達を伴っていた。
「あ、師匠! 見つけた! ここにいたんですね」
「聞こえてるから大声出すな……そっちの体調はだいぶ良くなったようだな」
「……貴方の力添えがあったと聞いています。感謝を」
「まあ、アリシア。ユウキ様に対してそんな態度では駄目よ。貴女の治療にも尽力して下さったのに」
「姉さん……」
弟子二人の後にはミレーヌ、そして俺と戦ったアリシアが続いていた。アリシアも兄のフランツから一服盛られていたようで薬の後遺症が出て数日は寝たきりの状態だったが、俺が回復魔法を使って歩けるまで回復したのだ。治療は隠れて行ったはずだがミレーヌは当然のように見抜いて指摘してきたが、しかし彼女は俺と視線を合わせようとはせず、気まずそうに顔を伏せた。
「一悶着あった後だしな、それに俺は君の兄と色々あった。奴が死んだ事に責任を感じるつもりはないが、仇であると君が思う事を否定はしない」
フランツの最期については目撃者が多数いた。最後は城壁の上だったが、決着を見届けようと王子を始め多くの者が城壁の上に上がって来ていたからだ。教団云々は距離があったので聞こえてないはずだが、フランツを殺したのがあの強力な魔力弾であると多くの者が証言してくれた。
「それは……解ってはいるのです。私の知る優しかった兄さんはもうどこにもいないことは。でも、まだ感情が納得しなくて……」
まだ貴族だった幼少期はフランツは優しい兄であったようだ。落ちぶれてからは妹を出世の道具としか見てなかったようだが、それでもアリシアはかつての兄の優しさが忘れられないらしい。
「すぐに納得の行く答えを出す必要はない。その傷を癒せるのは時間だけだろう。それで、お前達は二人揃ってどうしたんだ?」
アリシアを散歩に連れ出すなら二人である必要はない、何か用事があるはずだ。
「師匠、お時間あるなら修業をつけてください! 前に組手を教えてくれるって約束しましたよね!」
おい、仮にもこの町は非常事態下なんだが。俺も好き勝手にやってるし人の事を言えた話ではないか。
まあいい、二人もこの件では色々貢献してくれているし、ひとつ付き合うとしよう。
「お前達には基本的に不要な技術だ、まずそれを認識しておけよ。二人は後衛職で前衛が敵を倒す、あるいは体を張って敵を止めている間に魔法で仕留める役目だ。これが必要になった時点でお前達の敗北だと思え」
かといって不要と切って捨てるわけにも行かないが近接戦闘の技術である。戦術的に負けていても命さえ保っていればやり直せるが殺されてしまっては何の意味もない。
そういう訳で俺は弟子二人に乞われて基本的な立ち回りを伝授する事になったのだが……
「二人とも、武芸の心得があるよな。立ち方や歩き方でも解る」
今まで二人には魔法の伝授しか行ってこなかったので、体術のことは気になってはいたが聞いた事はなかった。いい機会なので訊ねてみると案の定な答えが帰ってきた。
「オウカの子女は強制的に家から習わされるんです。カオルは無理でしたけど」
流石は尚武の国と名高いオウカ帝国だ。特に華族(貴族階級を指す)は男女関係なく武術を修める事が推奨されているらしい。そういえば俺が帝宮で張り倒した連中も貴族にしては武張った奴等が多かったな。
「はい、お師様。しかし実家で嗜み程度に教わった程度なので、あの決闘のときに見せてくださったようなお見事な動きを身につけたいのです」
俺は基本的に弟子に魔法しか教えていない。二人が前に出る機会など絶対にないだろうし、前衛の技術はどうしても体に教え込む必要がある。師匠失格なのかもしれないが弟子達に無理に痛い思いをさせたくなかった。
しかし二人は俺から何かを得る事に貪欲で、あれもこれも教えてほしいと強請ってくる。どれか一つでも師を越える事が弟子としての義務とオウカでは教えられてるようで、何でも知りたがる所があった。
「別に無理しなくてもいいだろ。お前達はむしろそこまで追い込まれないようにどう立ち回るかを考えるべきで……」
俺のとりなしは不発に終わった。二人はどうしても教わりたいものがあるという。
「師匠、あれ教えてください! あの救出作戦のときわたしにやった凄い動きのやつです! あれ、縮地ってやつですよね!?」
「達人の歩法とされる縮地、お師様は当然のように使いこなされているのですね。やはり伝説の世界に身を置いている御方、それに引き換え我が身の非才を恥じるばかりです」
いかん、キキョウの悪い癖が出始めた。我が一番弟子は素晴らしく優秀なのだが二番弟子が規格外の天才なので、その才能の差に押し潰されそうになる時がある。キキョウ自身は間もなく二つ名を授かろうかという超が付く実力者なのだが、比較対象がライカなのが不幸だ。生来の真面目さと一番弟子という重圧も手伝っているんだろうが、彼女は一度ドツボに嵌まると中々上がってこないからその後が大変なのだ。
何とも厄介だがライカが引きこす面倒に比べれば可愛いものである。
「俺の一番弟子は非才などではない、何度も言わせるな」
「は、はい! 失礼いたしました、お師様」
ちなみにこうするとキキョウは笑顔を取り戻すがもう一人が臍を曲げるのでやりすぎは要注意である。
しかし”縮地”か。あれは非常に特殊な技術で簡単にモノに出来る類ではないが、さわり程度なら二人の才覚があればなんとかなるかもしれない。
「と、こう動くのが縮地と呼ばれる技術だ。”歩法”ではなく”技術”なのは肝だな」
乞われたので実際にやって見せたのだが、二人の顔には理解不能と書いてある。
「師匠、動きが凄すぎて意味が解りません!」「術理は解るのですが、実行に移すとなると……」
「まあな。相対した敵に目の前でやられると意表を突かれるだろう。それが第一義だしな。むしろそっちの方がより詳しく理解できたんじゃないか?」
そう言って俺はすぐ近くに立っているアリシアとミレーヌに視線を向けた。ライカによって散歩に連れ出されたのだが、修業に興味を持ってここまでついてきたのだ。
「あの決闘のときの動きに似たものがありました。あのときは全く捉えられませんでしたが、あれが”縮地”なのですね」
同系統の技術を用いた事は事実だが、あれは間合いを殺す類いのものだ。アリシアが剣技を振るおうとしていたのに対して俺は拳闘で応じた。拳の間合いにまで踏み込まれた時点で彼女の最適解は剣を捨てる事だったと思うが、そこまで思い切れるほど彼女は剣士を捨て切れていなかったというわけだ。
「決闘の時の記憶があるのか?」
「夢の中にいるようなあやふやなものですが、何があったのかは理解しています。全ては兄の暴走であった事も」
今私達がこうしていられるのも貴方のお陰である事も、とアリシアは続けた。ミレーヌを通じてランヌ王国での処罰も伝えられている。向こうではフランツによる横暴の被害者として認識されているが、連座が当たり前の貴族社会でこれは珍しい。もちろん俺が累が及ばないように話を通した。国王と通話石で連絡が取れる立場は楽でいい。
「師匠、もう一回見せてください。あと少し手何か掴めそうなんです」
そうかいとアリシアに応える前にライカが注文をつけてきた。無理だろと思いつつも彼女の眼前に突如現れる。驚くライカとは裏腹にキキョウの目には別種の驚きがあった。
「今のは、まさか!」
「気付いたようだな、少なくとも俺が使う縮地はキキョウが思った通りの仕掛けだ。お前達なら構わないが、言いふらしてくれるなよ?」
俺が縮地と呼ぶ技術は錯覚を利用したものだ。それまではゆっくり動いて目を慣れさせ、いきなり速度を上げる事でまるで消えたように見せる。相手の虚を意図的に突いているわけだ。
キキョウには手管を見抜かれたが、そこまで大した技術でもない。オウカ帝国の装束にも明らかに足捌きを相手から隠すのに有効な袴と呼ばれるものがあった。間違いなく近似の技術が存在するはずだ。
「ええっ、キキョウさん何か掴んだんですか? 私にも教えてくだ……っ! 師匠!」
ライカの言葉は最後まで続ける事ができなかった。彼女の鋭敏な感覚は異変を感じ取ったようだ。その視線の先は正門を向いている。
「ああ、どうやら前線で何かあった。この戦いも最終盤に差し掛かってきたってことだな」
今現在、押し寄せている魔物はこれまでとは一線を画している。既に異境からの来訪者が姿を見せており、並外れた力を持つ彼等を前に戦士団は全て後方へ引っ込んだ。その代わりに俺が呼んだ助っ人達が大暴れしているが、そんな彼等でも異境の存在を前にすると鎧袖一触とはいかない。
今大量に湧いているのはアイスプラントと呼ばれる樹氷の姿を模した魔物だ。人間の生息域には存在し得ないまさに異境の住人であり、魔法攻撃しか通らないのに魔法防御が非常に高いという厄介な敵だ。
他にもアイスウルフ、氷の結晶そのものの形をしたアイスエレメンタルなどかこれまた何処からやってきたのかと呆れるほどの数が埋め尽くしている。処理しても処理しても後から補充される有様で、既に俺の<アイテムボックス>の中には50万近い数の敵の死骸が仕舞われている。解体に出したくても解体場は予約待ちで溢れかえっていて、俺が安い個体の解体を手伝わなくてはならないほどなのだ。
幸いと言えるのかわからないが、異境の魔物は倒すとダンジョンモンスターのように消滅するので解体する必要はない。何も落とさないので町の住民からは大不評だ。結構大きな恩恵もあったりするんだが、解体担当の彼等には関係のない話か。
「し、師匠、これって……」
「ああ、なかなか面白い事になってるな」
城壁の上に立った俺たちが見たものは、眼下にて明らかに進化個体と思われる巨大な獣に異境の魔物達が貪り食われている光景だった。
「なるほど、進化の際に知性が生まれたんだな。ダンジョンの呪縛から開放されてやがる」
魔物は軒並み操られているかのようにこちらへ殺到しているが、あの敵は自由に行動しているように見えた。
魔物は基本的に本能で動くが、その体躯や膂力は十分に人類を脅かす。更に進化によってその力は一回り以上大きくなり、一匹でもギルド総出で仕留めにかからなくてはならない大仕事、まさに災厄と呼ぶべき存在になる。
だが、更に悪い進化を遂げる個体もいる。今のように知恵を授かる場合だ。
こうなると本当に手に負えない。本能に加え狡猾さまで併せ持つようになる。罠に嵌めたり地形を活用するなど脅威度が跳ね上がり、国が本腰を入れて討伐するような二つ名持ちの怪物になってしまう。
脇目も振らず周囲の魔物を襲っている大猿は間違いなく知恵を持つ進化個体だ。魔物達の抵抗も気にすることなく狙った獲物を食い散らかしている。
あ、また存在感が上がった。良く当たりを引く運のいい奴だな。
「あの敵は強力な上位個体ばかり狙っています。まさか!」
キキョウが敵の動きを見て顔色を変えたが、俺も同じことを考えていた。
「ああ、自分が進化をした切っ掛けを理解したんだろう。精霊石の純度は魔石の比じゃないからな、連中を喰らって更に進化するつもりだ」
異境の魔物は倒すと消えてしまう。その理由は諸説あるが、その中でも彼等が精霊に近い存在だからという説が有力だ。力のあるうちは形を保っていられるが、弱ると霞のように消えてしまうのだという。
そんな彼らの核と言えるのが精霊石と呼ばれる存在だ。魔法の武具を用いて核を壊さずに倒すと手に入るのだが、凄まじく貴重な品だ。
何故なら彼等の弱点が精霊石そのものでほとんどの攻撃がそれを狙ってするものだからだ。精霊の打倒と精霊石の破壊は同意義であり、その効果は魔石と変わらないもののその美しさもあって価値は桁違いだ。
実は結界に閉じ込めて俺の魔力を充満させると異境の魔物達は形を保てず精霊石だけを残して消滅することが解ったので、必要分は手に入れてある。
当然ながら狂喜乱舞したのは冒険者ギルドである。次の競売は前回に負けず劣らず大盛況になるだろう。ほとんど俺が出してる品のような気がするが。
そんな入手困難な精霊石だが、あの大猿の魔物は敵に齧り付いて核ごと食らうという魔物にしかできない方法で手に入れている。
たしかにそれなら確実だ。精霊石そのものを食らう発想がない人間には無理な話である。
そして魔石よりも遥かに高純度な精霊石は進化するにもってこいの素材なのだろう。
しかしまあこんな状況は想定になかったな。そもそも異境の連中がこちらまでやってくる事自体が稀なのだ。それを食らって進化個体がさらなる高みに登ろうとするとは。
「師匠、どうされますか? ほうっておくと厄介かもしれません」
ライカの声は心配げだが、不安の色はない。この程度の輩なら鼻歌交じりに葬れる実力を有しているからだ。今の言葉は単に確認である。
「そうだな。面白いものが見れたが、放置するほどでもないな」
さっさと潰すかと思い立ったその瞬間、あの大猿の後方で同じような現象が起きていた。それも同時に3つだ。合計4匹の魔物が周囲の魔物を食らって加速度的に成長している異常な光景が広がっている。
「なんなのですかこれは!? まさか同時多発的に魔物が似たような進化をしたとでも?」
キキョウの緊迫した声が聞こえるが、そうとしか考えられない。今まで一度も起こらなかった事が、突然頻発するなんて、何か作為的なものも感じるが……何故か俺が関わると大抵変な方向に暴走するのが定番なのだ、今更な話である。
「私は師匠のお考えに従います」
ライカは澄まし顔で俺の判断を待っている。本来ならこういった非常時にはSランク冒険者として指揮権が与えられていると聞くが今のこいつは”蒼穹の神子”のそっくりさんだから、全ての事に俺の意思を確認してくる。自分で考えてないだけなのではないかと思う今日この頃である。
だがここにはもう一人のSランクが存在する。アリシアはどのような判断をするのかを彼女を見ると、何故か俺と視線がかち合った。あん? なんでどうするつもりなのですかと俺を見ているんだ?
アリシアの隣にいるミレーヌも俺を怖いくらいにひたむきに見てくるだけで何も言ってこない。
いや、別に口出しされたい訳ではないが、ここまで無反応とは思わなかった。後で聞いたらこういうときは全てフランツが仕切っていてアリシアに発言権はなかったそうだ。
4体の進化個体が己をより強化すべく周囲の魔物を食らっているものの、今のままだとまだ雑魚に毛が生えたようなもので、まるで脅威には感じない。4匹全てがせめてもう数段階進化しないと興味を惹かれない相手だ。さっさと終わらせようと思った時、ふと俺の脳裏にある考えがよぎった。
この状況、かねてから企みを実行するに最適なのでは?
「あ、これは師匠が悪い事考えてる顔だ」
失敬な、俺の取り組みはあくまで実験の範疇だ。別に誰に迷惑をかける訳でもないしな。
俺は<アイテムボックス>から大きな卓と大きな長椅子を数個取り出すと、弟子とその友人達を据わるように勧めた。そのあとで<結界>を張り、寒気からも遮断する。結構な長丁場になるはずだからな。
「お前達、ここにいるつもりなら座るといい、二人もだ」
素直に従った弟子二人と違い、アリシアとミレーヌは俺の奇行に戸惑っていたが、続いて取り出した焼きたての大きなブルーベリーパイを見た途端、迷いなく席に着くのだった。
「ユウキ! お主、なにをしておる!」
「先生、そんなに慌てるなんて珍しい。どうしたんです?」
「それはこちらの台詞じゃ! 説明せい、一体全体お主は何をしておるのじゃ!」
俺がそろそろか? いやまだだなと4匹の進化個体の成長を観察しながら暇を持て余していると、転移によって出現したセラ先生が肩を怒らせてこちらに詰め寄ってきた。いつも後ろにいる姉弟子やリーナの姿はない。エレーナも連れてランヌに戻って遊んでいるからだ。
「何をって言われましても……見ての通り魔物が進化し続けているのを眺めてるんですが」
そうだよな、とライカやキキョウに視線を向けると弟子二人は困った顔で俺を見返してきた。
「あの、お師様。セラ大導師さまはその理由をお尋ねになっているかと」
「ああ、そのことですか、俺にも目的がありましてね。その達成の為に敢えて奴等を放置しています」
「レイアから話は聞いたが、本気なのか?」
「上手いこと状況が重なりましたんで。先生もご興味はおありなのでは? いままで誰も見たことないものでしょうし」
「興味がないといえば嘘になるが……今この場ですることか?」
セラ先生の声には俺の行動を責める節があったのだが、こんなの戦士団の出稼ぎ行為とどれほどの差があるのか。
「別にこの程度、大したことじゃないでしょう。大体皆して必死になりすぎですよ。こんなん目を血走らせてあくせく取り組むもんじゃない、適当に手を抜いて遊んでも十分です。俺にだってこれくらいの楽しみを寄越してくれてもいいでしょう?」
「…………お主にとっては奈落の底が開いたとあってもその程度の感想になるのか……」
「大導師、我が君にとっては妹や娘が風邪気味であるほうがよほど大事なのです。そういう御方ですよ」
ユウナと共に俺の傍に控えているレイアがため息混じりに発した言葉に先生は肩を落とした。
だがレイアよ、君とは後で一度話し合う必要がありそうだな。
「そうじゃった。こやつのことで思い悩む方が馬鹿を見ると理解していたはずが……ええい、茶と菓子を寄越せ。儂も見物する!」
こうして暇人もとい、真理への探求者がもう一人加わった。
「おまえ、こんな大勢でなにやってんだ?」
騒ぎを聞きつけたクロイス卿やバーニィがやってくる頃にはかなりの大所帯になっていた。
セリカたちや王子に王女、更にはグラン.マスターまで顔を出しており、並べられた卓と長椅子は5つを超えている。皆してこれの企みが成就するか気になって仕方ないらしい。
「まあ、遊びですね。前から考えていたんですが、狙えそうだったんで」
俺の答えがお気に召さなかったのか、クロイス卿は顔を顰めた。
「いや、何してんだよ。どう見ても進化したヤバい奴等がこんなにいるじゃねえか! 早いとこ始末すべきなんじゃないのか?」
たしかにクロイス卿の言葉はもっともだ。王子などはしきりに頷いているが、ケツは俺が持つって言ってるんだから好きにさせろよな。
「まだまだ足りませんよ。もっと強力になってもらわないと困るんですが、ちょっと時間がかかりすぎてるな」
その理由は解っている。ある程度進化すると雑魚をいくら喰っても力は増えないので餌を厳選する必要があるのだが、いくら共食いしてるとはいえ数が数だ。
このまま待っても事態は動かなそうだ。こちらで埒をあける必要があるな。
だが俺が出張ると進化に注力する今の流れが変わってしまいかねない。だからあいつを働かせよう。
「ロキ」
「お呼びですかワン?」
俺の隣に音もなく現れたロキにこいつを知らない者達が驚いている。また本体が来やがったのだが、イリシャは今玲二と共に日本にいるから暇なのだ。
「なっ、魔物か、いやこの穏やかな気配は!?」
「俺の飼い犬だよ。そんなに騒ぐ程じゃないだろう」
「突然転移してきて、人の言葉を解する時点で普通じゃないと思いますけど……」
近くに座るアリシアの独り言は完全に無視だ。
「ロキ、あそこら辺の弱い雑魚を散らしてこい。状況は解ってるな?」
「わかりましたワン」
その言葉と共に疾風と化したロキは眼下の敵を蹴散らし始めた。セリカが不安そうに見ているが生来の強さと俺の力を受けているこいつは今敵を喰らって進化中の敵よりも圧倒敵に強いから心配はいらない。
事実としてロキは爪のひと薙ぎで数十体の敵を消滅させ、その咆哮は3桁を超える数を消し去った。
俺の目論見も理解しているので力の差を理解できない進化中の馬鹿が手を出してきても軽くあしらうだけで済ませ、倒さずに放置している。隔絶した実力差を見せつけられた敵はこれまで以上の勢いで餌となる敵を喰らい始めた。
「これで少しは早くなるかな」
「恐らくはの。進化を起こしたくば有象無象ではなく選ばれし強者を喰らってこそじゃからの」
先生の言葉通りに、また誰かが一段強さの階段を上がったのがわかった。俺の計画はいくつかの障害がありながらも順調だ。
ロキの掃除はあっという間に済んだ。最後にひときわ大きな咆哮をしたかと思うと、影響下にいたと思われる魔物が全て消え果てたのだ。これだけで数千匹は始末したはずだ。剥ぎ取りが期待できない異境の魔物ならこんな倒し方でもなんの問題もない。
自慢げに鼻を鳴らして俺の元に帰還したロキだが、こいつの口には思わぬ土産がついていた。
「ロキ、こいつはどうしたんだ?」
「わからないワン。でも変な気配があったから持ってきたワン」
ロキが口からぽとりと落としたのは、ボロボロで薄汚れた小さい灰色の何かだった。なんだこれとおもったら灰色はもぞもぞと蠢いた。
生きてる、ってことはまさか魔物なのか?
咄嗟にバーニィとライカが臨戦態勢になるが、俺が手で抑えた。
のろのろと動き出した小さな灰色は子犬のような見かけをしており、それだけでセリカの警戒する気配が失せたのがわかる。こいつ油断しすぎだ。
そしてそれは次の瞬間に起こった。
「おい、ちゃん、おなか……すいた、よう……」
まさかのロキ、クロに続く3匹目の喋る不可思議生命体の登場だ。驚きに固まる皆を前に、俺はまず先にやっておくことができた。
「何だお前、腹減ってるのか。これでも食えよ」
俺が取り出した干し肉(タイラントオックスの肉なので超美味い)を見た灰色はすんすんと鼻をひくつかせると、すぐさま飛びついた。
「お師様、その、よろしいのですか?」
キキョウが遠慮がちに俺の行動の是非を問うてくるが、俺の趣味の前では他人の意見など知ったことではない。
「腹減ってるやつには取り敢えず食わせる。後のことはそのとき考えりゃいいんだよ」
俺が一切の迷いなく断言したのでキキョウは満足気に引き下がった。どうやら周囲の皆に聞かせるために敢えて話を振ったな。
「もっと……ほしい。おいちゃんのことば、うそじゃなかった」
「誰がおいちゃんだワン。これでもピチピチの1200歳だワン」
1200歳がピチピチなのかどうかはさておくとして、駄犬に聞いておきたい事がある。
「ロキ、一体どういう状況でこいつを拾ってきたんだ?」
「なんか他の魔物にいじめられてたワン。見捨てたらご主人サマぜったい怒るから持ってきたワン」
こいつも大分俺の性格を解ってきたな。もし見て見ぬ振りしやがったらきつい仕置きをくれてやったところだ。大暴れしてたのにいつの間にと思ったら分身体を派遣して回収したらしい。今はセリカのメイドであるティアナから食べ物をもらってかつかつと頬張っている。腹が膨れたら睡魔が襲ってきたのか、ロキの足元で丸まって寝息を立ててしまった。
「なんかお前、滅茶苦茶懐かれてるな」
「一緒に来ればゴハンが食べられると言っただけワン」
灰色の丸毛玉になっているこいつをどうしようかと思ったが、とりあえず後で考えよう。ロキが一働きしてくれたのでようやく事態が動き出したのだ。
4体の進化個体のひとつが、更なる成長と遂げたのだ。
「こ、これは、まずいぞ。なんという存在感だ」「ただそこに在るだけなのに、こうも圧倒されるとは……」
王子の側近達が新たな位階へと到達した巨熊を畏怖の眼差しで見ている。その体躯は城壁に届きそうなほど巨大であり、発する武威に触れたら常人なら卒倒してしまうだろう。
だが、これじゃ足りないな。
「先生、どう思いますか?」
「まだまだじゃな。あれではいいとこ3等級じゃろ」
大分上がってきたが、先は長そうだ。だから進化個体が同じ戦場に4体もいるという稀有な状況を活用しようと思い立ったのだ。
こいつらが更なる位階を上がるための上質な餌がすぐ近くにある。知恵の回る進化した個体がそれに気付かないはずがない。
「3等級、だと? ま、まさかユウキ。お前の企みって……冗談だろ!?」
「その”まさか”じゃ。諦めい、クロイスよ。こやつの常識が壊れているのは今に始まった話ではない。今回は本気で頭の病気を疑ったがの」
いや先生、そんな邪悪な企みみたいに言わないでくださいよ。俺は敵同士が勝手に潰しあってくれるんで都合がいいなとしか思ってないですから。
「いや、大導師、いくらなんでもこれはおかしいでしょう!」
クロイス卿は俺の目論見を察したのか普段からは考えられないくらい慌てているが、俺は手を緩めるつもりは毛頭ない。まず間違いなくこんな機会は二度とやってこないからな。
千歳一隅の好機を得て張り切る俺にセラ先生の諦めたような投げやりな声は奇妙なほどに良く響いた。
「それについては心の底から同意するがの。なにしろこやつは非常時だというのに幻と化しておる1等級の魔石を手に入れるため、蠱毒の要領で最強最悪の魔物を生み出そうとしておるのじゃからの」
楽しんで頂ければ幸いです。
またも遅れました。月曜にあげようとしたら遅れ、そしてまた遅れとなってこんな日時です。
次こそ早くあげたいものです。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になります。何卒よろしくお願いします!




