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奈落の底から 25

お待たせしております。



「兄様、次はここがいいです」


「わたしも……」


「そうだな、次の休日に行くとしようか」


 ソフィアが持つ彩色豊かな雑誌には日本の首都における喫茶店が紹介されている。その中には珈琲の入った器の表面になにやら可愛らしい絵が描かれている。それを一目見て気に入った我が上の妹は直にそれを体験してみたいようだ。


「兄様も一緒ですよ? 前回のように分身体が同行するだけなのは嫌です」


「解ってるよ。その頃にはこっちも落ち着いているから時間はあるだろうしな」


 妹達は既に次回の日本旅行の行き先を決め始めている。前は半ば人体実験に近かったのだが下の妹に泣かれてしまっては俺もお手上げで同行させるほかなかった。そのせいで色々と突貫作業になってしまい玲二と特に如月には迷惑をかけてしまった。

 二人は今も日本に滞在しており、こちらへやってくるのは寝る前の僅かな時間だけだ。玲二は関わった事件の後始末が、如月は妹達が現地に長期滞在する為の準備に関わってくれている。

 元は日本人らしいが記憶が一切ない俺など何の役にも立たないので如月の献身には頭が下がる思いだ。当人も結構大変そうにしているが、妹達のわがままに付き合わせて本当に申し訳ない気持ちである。


 しかし、そのおかげで最近の妹二人は実にご機嫌だ。姉妹二人の極上の笑顔が見れただけで俺は満足である。


「シャオのいきたいところも聞かないと」


「それはどうかしら。あの子、まだよくわかってないと思うわ」


「多分な。あのときは何聞いてもすごいすごいとしか言わなかったし」


 今は彩華のところへ遊びに行っている娘の事は勘案しなくてもいいと思う。まず間違いなく日本を現実と認識していない。次の朝にはすごい夢見たの、と俺や雪音にまくし立てていたからだ。シャオが騒いだ場所も日本の宿だったんだが、それはまあ言わないでおいてやろう。


「次いったらしばらくいけなくなるから、ちゃんとえらばないとこうかいする」


「そうね、私達が好きに選べる機会は少ないのだもの」


 姉妹二人は揃って真面目な顔で雑誌を覗き込んでいる。そこまで食い入るようにしなくてもな。


「別に次が最後って訳でもないんだから気楽に選べよ」


 俺は軽くそう告げたのだが、二人から猛然と反撃を受けてしまった。


「兄様、この後はアーナ達を案内し、その次はオウカの皆様をお連れするのでしょう? 仰らないけれど、兄様のことだからラコン君たちやシルヴィア様のことだってお忘れではないはず。そうなれば私達のみの機会は何時になることでしょうか!」


「だいじ。えらびぬく」


 まだ如月が頑張ってくれている受け入れ態勢が磐石ではないのでもう少し先になるというのに、妹達の熱意が凄い。前回が2泊3日でほとんど夢の国だったから行きたい所が満載らしい。


「わかったわかった。ただ二人とも、ラコンはともかくキャロには異世界の話はまだしないでくれ」


 俺は二人の目をしっかりと合わせてお願いした。この件はかなり慎重に取り扱いたいので、俺の声も自然と低くなった。だが、俺の妹達は顔を見合わせて不満そうだ。


「なんでいっちゃダメなの?」


「何故ですか? あの子に隠し事なんて兄様らしくありません」


 先ほどまでと打って変わって真剣な顔で詰問を受けた俺はたまらず白旗を上げた。俺一人で抱え込むより二人にも共有しておくべきだろう。


「そうだな、順を追って説明しようか。まず異世界に獣人はいないのは理解しているな?」


「ええ、そうですね」「え、いたよ? しゃしんもいっしょにとった」


 二人の答えが割れたが……イリシャよ、あれはきぐるみだ。中に人が入っているのだよ。


「そんな……」


 純真な下の妹は衝撃を受けた顔をしている。すまぬ、だがあれはあれで中々見事な職人根性だと思うぞ。


「話を戻そう。そんな訳で獣人が町を歩いていたら大騒ぎになるのは間違いない」


「それなら認識阻害の魔道具で対応可能なのではないですか? 聡明な兄様ならそれくらいことはお気づきのはずです」


 どこをどうしたら俺が聡明なんて奇天烈な台詞が出るのかは解らんが、これ以上話を横道に逸らすのは本位ではないので無視して言葉を続ける。


「ああ、そこまでは俺も考えた。ラコンやラナなら何も問題はない。だがソフィア、君もあの魔導具の弱点を知っているはずだ。その弱点が最大の難関でな……」


「弱点……あっ、そういうことですか。確かにそれは問題です」


「ん? どういうこと?」


 首を僅かに傾げ不思議そうな顔をする下の妹の頭に手をおいて実践して見せる事にした。


「イリシャはソフィアと違ってほとんど使ったことがないからそんな顔も無理はないな。この指輪型の魔導具は相手の姿形を誤認させる力があるんだが、欠点もある。こうして使用者に触れているとその効果が切れちまうのさ」


 理屈としては理解できる。魔力で膜を張ってその内部を誤認識させる機能なんだが、他者が触れているとその境界線が曖昧になるからな。他者と繋いだ手だけ変換されるような都合のいい話はなく、普通に効果が消されてしまうのだ。


「あ、ゆーきおにーちゃん、みつけたの!」


 噂をすればなんとやらで、俺達がいる部屋の扉を開けて入ってきた小さな影は俺を見つけて遠慮なく飛びついてきた。そのままいつもの流れで俺の腹に顔を埋めてふんすふんす、とやっている。魔力の臭いを嗅ぐらしいのだが、どういう理屈なのやら。


「こら、キャロ。お行儀よくしなきゃダメだろ。ユウキさんに失礼だぞ」


 続いて入ってきたのはキャロより一回り大きい兄のラコンだった。父がここで活躍しているので毎日こちらに顔を出しているのだ。


「な、難しいだろ」


「うん、これはたいへんそう」


「ん? どーしたのおねーちゃんたち?」


 納得顔の妹二人に当のキャロは首をかしげている。この子は基本的に誰かにくっつく事を好むのであの魔導具の効果が全く期待できないのだ。とりあえず兄のラコンには少し時間をくれとお願いしてあるし、先生にも相談済みなのだが、進展はない。ラコンは少しだけ妹に厳しいので、連れて行かなくてもいいですとか言っているが、そうもいかん。


「よう、キャロ。今日も元気一杯だな」


「うん。おなかすいたの!」


「キャロ! 失礼だろって何度言えばわかるんだよ」


 後ろで兄のラコンが妹の非礼に怒っているが、俺達はキャロの天真爛漫な笑顔に全員やられている、時間も良い具合だし、茶にでもするか。


「そうか。じゃあなんか腹に入れるとしよう。ラコンも食べるよな?」


 ソフィアは解りましたとうなずき、通話石でジュリアとメイドたちに連絡を取っている。雪音と共にすぐにアルザスの屋敷からやってくることだろう。


「あ、あの、いただけるなら嬉しいです」


 育ちの良さゆえ、こんな時も礼儀正しいラコンを呼び寄せた。不安そうな顔からするに俺達が自分達のことを話していたのではと考えているのだろう。俺が視線で雑誌を見ると彼も納得がいったようだ。


「必要なら奴隷の首輪でもつけて大人しくさせるべきです。言っても聞かないんですから」


「それはあまりにもかわいそうだろ。何とかするから、もう少し待っていてくれ」


 この数日で光明も見えたのでこの問題も前進が見られるといいのだが。



「あーーっ。やっぱりお茶しようとしてる! 嫌な予感がしてたんですよね、戻ってきてよかったぁ。あ、ラコン君達じゃない、来てたんだ」


 そこから一直線に向かってきたのだろう、イリシャと同じ銀髪のライカの髪には粉雪が張り付いていた。その後ろにはキキョウとリーナの姿もある。


「なんだ、三人とも早いな。今日の担当は終わったのか?」


「はい。今は私達より現地の戦士団が奮闘していますので。やはり本格的な出番はお師様の見込み通り15日以降になると思われます」


「私達が働きすぎてもいけないとセラさまから言われているしな。あの数の敵を見たときはどうなる事かと思ったが、ユウキにかかればなんてことないな」


「でもあの方の魔法は本当に凄いですね。師匠が自分の出番は当分ないと仰るのも納得です」


 三人がそれぞれ所感を述べ合う内にライカと同じく野生の勘が働いたのか先生やエレーナたちもこの部屋に集まってきた。この人数でも行き渡る量となると、今日は何があったっけか?




 今日は”奈落の蓋”が開いて14日目になる。状況は完全に落ち着いた。変な言い方だが、事実なのだから仕方ない。今も外周は無数の魔物が押し寄せているし、敵の強さの質は格段に上がってきているのだが、俺個人の仕事は落ち着きを見せている。

 正確に言えば俺が敢えて口を出すような事はほぼなくなってしまったのだ。序盤に必死こいてあれやこれやと準備しただけあって一度歯車が噛みあえば後は大前提さえ崩されなければ順調に事は運ぶようなったのだ。

 だからこうして日中は妹達と語らう時間も生まれている。時間が余るようになったのは昨日からなのだが、時間に追われていた初期とは雲泥の差である。


 しかし、こうまで余裕ができた最大の理由はとある人の力だ。俺にとっては完全に想定外の助っ人がとてつもない事してくれたのだ。


 それは”森の大賢者”の異名を持つリエッタ・バルデラ師その人である。


 命のお礼を是非させて欲しいと助力を申し出てもらった時は、何をしてもらおうかと悩んだくらいなのだが、流石は先生の戦友、神話の中の住人だけあってその実力は隔絶していた。


 俺の中にある彼女の印象はずっと眠っていた人、そしておっとりした子煩悩な母親というものだが、彼女の本職は世界的に見ても稀少な付与魔術師というものだ。

 この魔法はその名の通り、物体に魔法効果を与える事を目的にしており、広義には擬似的な魔導具を生み出すようなものとされている。数刻(時間)や数日限定で使える魔導具と思ってくれていいが、その道の泰斗だけあって、彼女の実力は並外れていた。


 なんと彼女はこの町全体に支援魔法を付与してくれたのである。それも複数の効力を持つものを重ね掛けである。その偉業を隣で見ていた俺は付与魔術ってぶっ壊れ魔法すぎませんか、と先生に尋ねたが、わが師からの返答はあやつがおかしいだけじゃとそっけないものだった。いつもの先生ならばこの神業に嫉妬でも見せるところだが、バルデラ師との付き合いが長すぎてそういった感情を抱く過程を通り過ぎてしまっていた。


 因みにバルデラ師がこの町全体に施してくれた支援魔法は5つ、身体能力強化、疲労、体力の時間回復、敵の能力低下、速度の鈍化である。


 魔法の維持にはその基点となる場所に魔法力を回復する素材を設置すればいい。これのせいで付与魔法の永続使用は難しいとされていたのだが、俺には毎日大量に生み出されるマナポーションがあるのでそれを樽に入れて少しずつ流れ出るようにすれば一日中効果は続くようになった。


 これ効果を一番喜んだのは戦士団である。実は第3門が突破された8日目の段階で敵の強さが顕著になり戦士団の活動は徐々に減ってきていた。無理をしなくていい現場では誰も命を惜しむようになるのも当然であり、戦果も落ち始めていた。こればかりは強制するものでもないし、俺や助っ人の皆で対応しようと考えていたのだが、バルデラ師の付与魔法で状況は変わった。

 城壁内ではこちらは強化され、相手は大幅に弱体化するのだ。出稼ぎに来ている戦士団は稼ぎ時と奮起し、絶大な効果に歓声を上げた。強力な魔物は相応に素材の価値も高い。大金めがけて彼等の士気は上がり、積みあがる解体待ちの魔物の山に町の衆も手間賃の上昇に奮って参加するようになった。

 苦慮したのは手持ち資金が尽き掛けたギルド側で、エドガーさんを通じて俺に対策を依頼してきた。その時は本気でどうしろと? と思ったものだがエドガーさんの提案で俺がまた溜め込こむことになっていた異国の硬貨類を放出する事になった。

 ダンジョンから出る異国の硬貨は基本価値が大幅に目減りするので誰もが扱いたがらない。各金属の含有量などにもよるが3割減、重さが増えていることがあったとしてもこの国の貨幣へ鋳造し直す費用などがかかるので店側は敬遠する。だが見た目は金銀銅の硬貨なのでギルドが期限を区切って価値を保証した。

 どの道買い物する方もこの異国の硬貨を使ってこの地では買えない肉や酒、各種嗜好品を買うだけなので特に文句は出なかった。この頃には魔石も7や6等級が出るようになり、現地の通貨が欲しいなら魔石で持っておいた方が嵩張らないという判断もあったようだ。


 そういうわけで戦士団が大活躍を始めたので必然的に助っ人達の出番が減り、彼等に任せるつもりだった俺も時間に余裕が出るようになったのだ。


 もちろん彼等も何もしないという訳ではない。何しろ敵には事欠かないから戦士団の後退の隙間などで大いに暴れている。特に暴れて発散するのが目的のアードラーさんやバーニィたちは倒した獲物を惜しげもなく戦士たちや町民に渡しているので、気前の良い彼等に皆好意的だった。

 彼等の飲食は呼んだ側の当然の責任として俺が出しているので拘ることもないのだろう。肉も酒も俺が持っている方が上等だし。


 唯一の心配事はアリシアの容態である。頭を打った後遺症のせいか、寝込んでしまっているのだ。意識はその日の内に戻ったのだが、その後また長時間意識を失う状態が続いている。ミレーヌが看護しているがフランツが見舞いを申し出た事もあり、油断するつもりのない俺は彼女を館から出して今は街中に別室を与えて休ませている。

 お陰で説教もいまだ出来ていない。あの時は感情が高ぶっていたが、この件はどう始末をつけるべきか悩む。というより、俺がどこまで関わるのかの問題だな。こればかりはなるようにしかならんか。





「ねえ、なによいきなり。ついて来いって言ったっきり黙っちゃって」


「俺達をわざわざ選んで呼んだってのには理由がありそうだがな」


「二人とも少しは声と気配を消して欲しいんだが。理由は現地で説明するから」


 俺は妹達をアルザスに返した後、クロイス卿とエレーナを伴って町外れに向かって歩いていた。こちらは住民の多くがひと稼ぎにと賑わう正門と反対側なので非常に閑散としているが、用心に越した事はない。


 その時、空が一瞬光を帯びた。その後で力なく落下する3匹の鳥系モンスターが見えた。俺が展開した<結界>にリエッタ師が手を加えて敵の接触時に誰もが解るようにしたのだ。恐らくもう既に町の誰かが魔物を回収しに走っているはずだ。鳥系の魔物は魔石の質がいいし、羽も矢羽に適していたりと色々と価値が高いので人気なのだ。そのなかで一番の人気は鳥の唐揚げで、風呂上りに冷えたラガーを飲みながらこいつをつまみにやるのが最高だと戦士団で評判だ。

 むしろ彼等に贅沢をさせすぎたと団長たちから苦言を呈された。この事件が終結したら元の生活に戻らなくてはいけないんだぞ、と本気で怒っていたがもちろん無視である。


 リエッタ師には他にもとっておきの準備をお願いしてある。彼女の力と俺の陰湿さが掛け合わされるとえげつない事になるわねと姉弟子が言ってたが、これは完全に保険なのでもし何かあるとすれば向こうが全部悪いのだ。



 既に夕刻に差し掛かり、日は落ちかけている。この時間帯になるとあの魔物の海を突破した厄介事が脳裏によぎるが、今の所再発はない。第2門の開閉部屋は第3門より広く作られており大人数が常駐することで対策は施されている。”青い斧”の幹部であるランデルの裏切りは上層部に衝撃を齎したが、同時にそこまでギルベルツが侵食していたかと気を引き締める者が多かった。それにキルディスの町の民も裏切り者の存在が明確になる事で、このどこか祭りめいた熱狂の中にも緊迫したものを潜ませるようになった。


 あの後で王子がどんな妨害や裏切りも乗り越えてみせると宣言した事でそれらを恐れる雰囲気は霧散した。やれるもんならやってみろという挑戦的な空気さえ流れている。

 敵の手を敢えて利用する事で様々な副次的効果も狙ったが、王子の役者がそれに拍車をかけた格好だ。苦難は総じて男を成長させるから、あの王子は将来偉大な男になりそうな素質がある。マルグリット王女の男の目利きも確かといった所だろう。



「えっ、ここってダンジョンなの?」


「ああ、そういえばダンジョンで奈落の底が開いたって言ってたな」


 俺が向かったのはキルディスの町が擁する試練のダンジョンだ。今日の日付が変わったあたりでダンジョンが再び稼動を開始したのだ。日数にして9日か10日、そちらが正確なのかは将来に判断するとしてこの場で確かめておく事がある。


「なるほどな、だからダンジョンに詳しい俺達を呼んだって訳か」


「だったら始めからそういえば良いじゃない。なんで黙っている必要があるのよ」


 ……この二人、表面上は仲が良い。十年来のパーティーを組んでいただけあって打てば響く関係というのか、そんな印象を受ける。


 とても色恋沙汰で派手にこじらせた後とは思えないくらいに。


 我が家の女性陣からは総すかんを食っているクロイス卿だが、同じ男として弁護するならば彼は恐らく責任を果たそうとした。その後の飲みの席でひたすら愚痴っていたので多分間違いない。

 俺に言わせれば問題はエレーナにあるのだが……彼女の事情もなんとなく把握したので、これは時間が解決するしかないのではないだろうか。

 個人的には何時炸裂するかわからない爆弾の隣にいる気分にさせられるのだが。




「待っていたぞ。おお、”天眼”と”紅眼”も連れてきてくれたのか。これはありがたい、二人の意見も聞きたいと思っていたのでな」


 ダンジョンに降りてすぐの広間には結構な人数が集まっていた。俺に声をかけてきたのはこのキルディスの冒険者ギルドのマスターであるオイゲンだ。他に例のエルフ男と子供受付嬢のセルマもいる。他には王都のマスターブルックリンとエドガーさんに王子や王女、それに俺達が助け出したロジーナも姫様らしい格好をして所在なさげに佇んでいた。その後ろには彼女の近衛騎士だったというディーンが渋面を作って控えていた。

 


「二人は多くのダンジョンを踏破した経験を持っている。所見を聞くにはもってこいの相手だろう」


「ねえ、そろそろ事情を説明してくれても良くない? 秘密主義にも程があるわよ」


「ここまで来たら事前情報無しで見てみようぜ。こいつが黙っているときは大抵面白いからよ」


 声に怒りを滲ませているエレーナを宥めながらクロイス卿が俺に先を促している。こういう如才なさが女を惹き付けるのは解っているが、一番大事な女の手綱も是非ともその調子でお願いしますよ。




「うそ……なにここ」


「マジかよ!? この広大な階層全てが環境層だと!? それも転移門で直通とか有り得ねえだろ、そんなの!」


 絶句するエレーナと絶叫するクロイス卿を見た皆は満足気な顔をしているが、俺達がここにやって来たのは再稼動したこの環境層の調査の為だ。前回はダンジョンの核に触れて機能停止した後にこの層の存在に気付いたので、その時はここは稼動していなかったのだ。


「ちなみにこの一つ上の階層は鉱山層だ。氷雪鉱とかいう伝説級の鉱石が出ることが解ってるが、他にもなにかあるかもな」


「嘘だろ……なんで現役引退した後にそんな面白そうな事が次々起こるんだよ! ユウキ、お前10年早く生まれろよな! 損したじゃねえか!」


「人に黙って勝手に引退するからよ、せいぜい悔しがると良いわ」


 本気で悔しがるクロイス卿を見て愉悦の笑みを浮かべるエレーナに何ともいえないものを感じつつ、俺は王子に視線を寄越した。頷いた彼は周囲の者達に指示を飛ばしてゆく。


「さて、各々方。我等が長時間姿を消すのもよろしくない。あまり時間はかけていられぬぞ、素早く調査するとしよう」


 この2層の公式発表は危機を脱してからにする予定だ。環境層の発見は今の好循環を後通しするか、それとも狂わせるか予測不能だからだ。ギルドや王子たちは既にダンジョン周辺の土地を確保しており、その動きを目聡い者は察知しているだろう。だが今は全員の意識を目の前の危機に集中させたかった。



「こんなことが……これならば確かにギルベルツの専横は終わる。経済の中心地になれば姫の輿入れ先として……いや、だがしかし」


 わあすごい、と駆け出て転びかけたロジーナを手慣れた様子で支えたディーンはぶつぶつと独り言を呟いている。主筋にして妹同然に思っている彼女の将来が突如として決まってしまい、その事実に煩悶しているのだ。

 戦士団としての流浪の日々から王子の側妃としての生活は一発逆転なのだろうが、感情が納得していない様子が明らかである。


「そっちも大変そうだな」


「ユウキ様……光栄な話であるとは解っています。この光景を目にすればあの傑物で知られたマルグリット王女が即断して第一夫人になると決めたのも理解できはするのです。するのですが……」


 ディーンはまだぶつくさ言っている、しかし一番寝耳に水だったのは王子本人である。あの後、天幕に戻った王子に突然お前の妻になってやる、どうだ嬉しいだろう。喜ぶがいい、これで我等の繁栄は約束されたも同然だぞ、と言い出したマルグリット王女は有無を言わさず王子を頷かせてしまった。


 その夜、俺が王子と一杯やった事は言うまでもない。彼曰く、王女は魅力的なのは認めるが、女性として彼女を見た事は一度もないと言っていた。うん、まあ、言いたい事は解る、豪快な人だしな。


 当然ながら、俺にも手に余る案件である。もはや自然が導くだろうとしか言葉に出来ない。



 他のダンジョンでの環境層の知識を持つクロイス卿たちの証言を鑑みても、環境、鉱山とも非常に有望な産出が見込めた。更に転送門で直接行き来できる利便性は他の追随を許さないだろうとこのことだ。


「産物が含む魔力多寡はのは圧倒的にウィスカに軍配が上がるが総量はこっちが上だ。それに鉱山層はどれだけの種類があるのか現状では見当もつかない。これからはこの町を中心に全てが回ってゆくだろうな」


 領地持ち貴族のクロイス卿が若干の嫉妬を交えて出した結論に王子たちは自信を漲らせた。


「やはり遷都を考えているのか?」


「余の心を読まないでくれ。ユウキが作り出してくれたこの城壁は、いかなる敵をも寄せ付けぬ。それにこのダンジョンの存在があれば多少の地理的不利益など吹き飛ぶ。だが、それはこの危機を乗り越えた後の話だ。今は他の事に意識を移したくない」


「うむ、それがいいだろう。未来の妻として私も夫の聡明さに安堵と頼もしさを覚えたぞ」


「あ、ああ」


 あ、いま少しだけ王子は嫌な顔をした。王女からの突然の好意に訝しささえ感じているようだが、これまで数多の政治的苦難を乗り越えてきた王子もこの闘いには不慣れと見える。他人事だが、幸運を祈っておくとしよう。




「ん? なんだか指揮所の辺りが騒がしいな」 


 気を引き締めた王子たちと共に広場に戻った俺は、これまでの活気に満ちた喧騒が幾分変化しているのに気が付いた。

 これは、なんだろう。焦燥というより、戸惑いに似た空気がこの場を支配している。


 そして、その中心にいるのは……。



「おい、これは何の冗談だ?」


 俺の足元には手袋がある。俺が落とした訳ではない、目の前にいる男、フランツが投げつけてきたのだ。


 この行動が意味する事を俺は一つしか知らない。


「決闘だ! 俺はお前に決闘を申し込む!」


 おおっ! と周囲が一気に湧き上がる。処刑が見世物になる娯楽に乏しいこの世界において、衆人環視のもとで行われる決闘は最高の娯楽の一つだ。ランヌの王都でも月(90日)に一度は大々的に行われ、名誉と誇りをかけた戦いが繰り広げられている。


 だがこの場合の問題は一つだけだ。


「俺に喧嘩を売ってくるとは、根性入ってるじゃねえか。上等だ、やってやるよ。当然お前が出てくるんだよな?」


 決闘を挑まれて逃げる事は出来ない。逃げてもいいが、男として一生の笑いものになる覚悟がいる。決闘は挑まれた方が被害者となるから色々と選択権があるはずなのだが、そんなものはどうでもいい。


「馬鹿を言うな。我等が傷つけられたのは家の誇りだ。こちらからは我が家最強の剣、アリシアがお前に鉄槌を下してくれる!」


 俺の前に歩み出てきた彼女の瞳は虚ろで、とても正気には思えない。ユウナからの報告で色々画策しているとあったが、こういう手に出てきたか。

 いいね、この根性の腐り具合、実に俺好みだ。


 地獄を見せるのに遠慮する必要が何一つない。


「まあ、日々働く皆にも娯楽は必要か。いいぜ、そっちの得意な武器、場所、時間、なに使ってもいいから全力で準備しろ」


「なんだと?」


「身の程を教えてやる。お前の好きな土俵で遊んでやるよ」



 こうして夕闇迫る中、俺とレンフィールド家との決闘(あそび)が始まった。




楽しんで頂ければ幸いです。


次回は決闘になります。真面目に決闘だと捉えているのは片方だけですが。


次回は少し早くお届けすべくかんばります。



もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!



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