奈落の底から 23
お待たせしております。
アリシア・レンフィールド。
祖国ランヌ王国が擁するSランク冒険者。彼等、彼女等はギルドの決戦存在、4枚の鬼札なんて呼ばれていたりする。今は一人増えて5人になったようだが、情報に疎い俺でもこの少女の噂くらいは聞いていた。
家名持ちである事もからもわかるように貴族の出だが、正確にはライルの実家と同じように没落貴族だという。貴族の命に等しい家名や紋章さえも売り払った現農民と同列にされたら激怒されそうではあるが。
ライカールに長期派遣されていた事もあり、ウィスカのダンジョンに共に挑んでいるのにまったく出会うことがなかったせいで俺も縁遠い存在になっていた。
特に意識しなかったし多少ライルの記憶にあったものもあるが、多くはユウナからの情報だ。
魔剣使いという触れ込みの通り腰に佩いた剣を主に使用するようだが、中々面白いスキルを持っている。先ほどまで使っていた魔剣を手放したかと思えばマジックバックから新しい剣を取り出し戦うのだが、その前に放り出した剣が地に落ちることなく宙に浮いてアリシアの剣戟に合わせる様に舞い始めたのだ。
これが”剣姫の剣舞”か。剣の舞と呼び習わされる事もあると聞くが、まさにその通りだ。今の彼女は4本の魔剣を同時に操って迫り来る敵を屠り続けている。
だが彼女の二つ名である<二の太刀不要>はどこから来ているのかは疑問だ。素早い動きではあるが、見る限り一撃で敵を切り殺しているようには見えないが……この程度の危機じゃ己の本領は見せないか。
「余所見とは余裕ですね」
こちらの視線に気付いたのが、敵を切り倒しながらアリシアが声をかけてきた。全力疾走しながらの会話でも支障を来すほど柔な鍛え方はしていない。
「正直言って君が一番の不安要素だからな。後ろの3人ははじめから荷物だと解っているが、君は攻撃に参加している」
絶対者の象徴であるSランク冒険者としてこれまでそういった言葉にさらされたことがなかったのか、動きは淀みないものの彼女は目を見開いてこちらを見てきた。
「ずいぶんな自信ですね、ライカを易々と降した腕の持ち主なのは解りますが、見くびられたものです」
「実力を疑うというより、動きの連携の話だ。あの二人とは慣れてるが、君とは初めてだからな」
アリシアの方も断れない空気があったが、こちらも突然の参加表明に迷惑している。バーニィは無心で道を拓く事に専心しているが俺とクロイス卿は敵を排除しつつアリシアと背後の三人に気を配っているのだ。
「足手まといにはなりません」
「その言葉が聞きたかった。配置を変えるぞ、あいつ一人じゃ切り開くのが大変そうなんでな」
現在俺達は三角形の形で敵陣を突っ切っている。バーニィが先端で道を作って俺がそれをこじあけ、クロイス卿とアリシアで後ろの三人が通れる隙間を広げているが、敵の密度が増したせいで速度が徐々に落ちてきていた。それを打開する為に俺が前に出てバーニィと二人で道を切り開くつもりだった。
クロイス卿には視線で意思を伝え合っているが、アリシアの反応は読めなかったのだ。
「わかりました。こちら側は受け持ちます」
その言葉に頷いた俺は走る速度を上げ、バーニィの横に付いた。彼と目が合うとそのまま僅かに下がり、俺が前に出る形になった。あれ? 俺がやる流れか? まあいいけど、目と鼻の先には夥しい数の魔物が敵意に濁った目で俺を見ているし、考える前に反応しないとやられそうだ。
「こりゃどこ打っても当たるな、楽でいいわ」
貫通力を高めた炎の矢は敵を次々と貫き、一瞬で絶命させる。屍となって崩れ落ちてゆく大柄の魔物を引っつかみ、そのまま前方に力任せに投げつけ、魔物達が絡まった所で俺の火魔法が炸裂して固まっていた集団ごと派手に吹き飛ばした。
その空隙に俺達は身を躍らせる。そして俺達以上の勢いで魔物達は距離を詰めてくるが、連中は自らの爪や牙を振るうことなく俺の魔法によって次々と打ち倒されていく。
「代わるよっ!」
俺の魔法を掻い潜るようにして姿勢を低くしたバーニィが更に鋭く切り込んでゆく。今ので完全に頭が切り替わったようで、薄ら寒ささえ覚えるほどキレのある動きで敵を死に誘うあいつはまさに死神だ。
そしてあいつが切り込んで生まれた僅かな隙を利用して俺は数十条の魔法の矢を生み出し、周囲に爆音と共に着弾させた。敵を倒すよりもこうやって吹き飛ばした方が死体が残らない分、走る速度が上がるのだ。
俺は背後で必死に走り続ける戦士団の3人を見やって叫んだ。
「走れ走れ! 一気に駆け抜けるぞ!」
第3門の開閉室に辿り着いたのはそれから間もなくの事だった。後から付いてきた3人を部屋の前の梯子に引き上げてやると、彼等はへたり込んでしまった。
だらしないと切って捨てるのは簡単だが、一つ間違えば死ぬ状況は普段の数十倍も負担がかかるから、彼等の態度を笑う事はしない。クロイス卿やアリシアも肩で息をしているくらいの大変な道行きだったのだ。この苦行の中、平然としているのはバーニィくらいなものだ。
「ユウキだって何の負担にも感じていないだろう? 辛さならあの階層の方がよほど大変だと思うし」
俺は苦笑いで返したが、スキル封印されるウィスカ31層を比較対象にするのはどうかと思うぞ。
「ほ、本当に辿り着いちまった。信じられねぇ……」「くそっ。これくらいいつも訓練でこなしてる距離だってのに、立ち上がれねえ」「はは、あいつらも俺達が辿りつくとは思ってなかったらしい、大歓声が上がってるぜ」
団員二人は生気の抜けた顔で活気に湧く第2門を見ているが、団長のディーンは素早く立ち上がると鉄製の扉に手を掛けようとしたので、俺はその手を止めた。
「おい、ちょっと待て」
「なんっ……!」
俺が扉を指さすと彼もその異変に気付いて動きを止めた。恐らくこの扉は開かないだろう。何があったのか扉が中からの衝撃で僅かに歪んで変形しているのだ。
「くそ、何かがあったんだろうが、厄介だな。開きゃしねえ」
「声を出すな。俺達の接近に気付かれる」
俺の言葉の意味を理解した皆は顔を緊張に強張らせる。死ぬ思いで魔物の海を切り抜けてきたら、まだそれは前哨戦にすぎなかったわけだ。
「中でまだ何か起きてる可能性の方が高いぞ。戦う心構えでいておけよ」
クロイス卿の戦意を伴った声に周囲の皆も頷いた。
「あんた達の見習いがあんな高い場所にいた理由もなんとなく解ったな。この中で何かが現在進行中なんだろうさ」
「だが、急がねえと。あんたが貸してくれた遠眼鏡じゃあの馬鹿、外套を着てなかった。きっとこの寒さで凍えてるはずだ」
既に日も落ちかけ、風の中に雪が混じり始めている。時間を無駄にする必要はないだろう。
「斬鉄なら、私が」
アリシアがそう申し出てくれたので彼女に扉の処理を任せて俺達は突入の準備を整えた。既に<マップ>で状況は把握しているが、これがどういうことなのか、目で見ないと理解し難い感じなのだ。
Sランク冒険者になるだけの事はあり、彼女の剣の冴えはなかなかのものだった。音もなく振り下ろされた魔剣は鉄扉を斜めに両断し、俺がその扉を蹴破って内部へ侵入した。
そこで見たものとは……
「……まだ事態が進行中とか聞いてねえぞ」
昇降機の前で一人の男が武器を手に陣取り、それを固唾を飲んで遠巻きに見つめる者達がいたのだった。
「な、なんだお前たちは! 一体どうやってここぐわっ!」
武器を手にした中年の男が俺達を見て驚いているが、その言葉は俺が投げた石が顔に命中して最後まで続く事はなかった。
「うるせえ、黙れ。お前に構っている暇はねえんだ。おいディーン、あの見習いはもしかしてこの窓からか?」
「多分な、中から出れなかったなら、そこしかねえだろうし」
俺が指差した明かり取り用の木窓はごく小さいものだ。どん臭いって割にはよくここから逃げようと思ったな。とりあえず窓を開けてそこから顔を出し、救助すべき見習いがいる上に向けて声を張り上げた。
「おい、助けに来たぞ! もう大丈夫だ、降りてこい!」
そう声をかけたのだが、上から反応はない。続けて何度か呼びかけたが声が返って来る事はなかった。
<レイア、助けるべき人影はまだ見えているか>
<ああ、見えているよ。屋根部分に蹲っている、落ちてこないという事はまだ恐らく意識はあるはずだ>
<念話>で第2門からこちらを見ているレイアからはその見習いの姿がはっきり見えている。だが声かけに反応がないとなると……面倒だがここまで来れば大して差はないか。
俺は溜め息と共に木窓から身を乗り出し、かつて見習いが上ったと思われる道順で屋根を進んでいく。子供が通れる狭さの木窓を自分が通れた事実を前に我が身の成長期の遅さを呪いながら、寒さに身を縮込ませる小さな背中をようやく捉えた。
「どんくさいって話の割にはずいぶん遠くまで進んだじゃないか、おい、大丈夫か!?」
「……!!」
がちがちと歯を鳴らすだけで俺の呼びかけに応えない、応えられないその子供の服装はあまりにも薄着だった。先ほどの部屋は暖房が効いていたからな、突然の事態に着の身着のまま逃げ出したんだろう。
「この寒さでよく頑張ったな、根性あるじゃないか。あー、お嬢さん」
一切気に止めなかったが、そういえばディーンはこの見習いをロジーナと呼んでいたな、色々と凍り付いて顔が残念な事になっているが、きっと元は可愛らしいお嬢ちゃんなのだろう。見捨てないでよかったと心底思った瞬間だった。
とりあえず<アイテムボックス>から外套を取り出して少女を包み込むとそのまま持ち上げた。ひとまず彼女を暖めないと撤退も出来ない。この寒さだ、凍傷を負っていても不思議じゃないからな。必要なら回復魔法も使ってやらんといかん。こんな小さいのに指を数本無くすなんてあまりにもかわいそうだ。
「ディーン! 渡すぞ、受け取れ!」
木窓から外套に包まれたこの子を手渡すと俺は普通に屋根を降りて入り口から部屋に入る。クロイス卿たちが事態の収拾を行ってくれたようで、一人の男が後ろ手に縛られているが……参ったな。これは完全に想定外だ。
武器持ちとはいえ男一人に戦士団数人が手も足も出ず格子を下ろせなかった理由がわかった。
「あの時間帯の担当した戦士団は後で全員呼び出し確定だ。ガキを寄越すなってあれだけ言っただろうが!」
突然怒り出した俺を怖々見ているのは、10歳にもならない子供たち4人だったのだ。
戦士団はこの北部独特の存在で、地域の互助団体みたいなものであると前に触れたと思う。子供を見習いとして団に入れて教育を施すのも良くある事で、彼等も大人に混じって様々なことを学び成長してゆく場でもあるのだ。
だから戦士団も純粋な戦力は全体の7割程度で、残りの3割は非戦闘員だ。だから無駄飯食らいが増えやがったとやる気のなかった頃の俺は思っていたし、この町の状況を絶望的だと思っていた。けして彼等のせいではないが、戦闘に寄与しないのに飯だけ食う子供が増えてしまったからだ。
そしてそう思っていたのは当の戦士団も同様だったようだ。どこの馬鹿だか知らないが、扉の開閉係にそんな子供達を宛がいやがったのだ。もちろん俺は危険だから見習いを出すなよと何度も言ってある。まず一番にここが狙われるから非戦闘員を絶対に入れるなと念を押したんだが……守られていなかった。
これは後で一度きっちりシメないと駄目だな。今の俺の言葉は王子の裁可を得てのものだ。つまり俺の命令は王子の命令でもある。それをないがしろにするという事は王子の権威、引いてはこのラヴェンナ王国そのものを軽んじているという事に繋がる。
やりようによっては反逆罪まで持っていける気もするが、そこまで大事にはしない。団長連中の顔面を陥没させるくらいはするつもりだが。
その意味でディーンたちは例外だろう。彼はロジーナを助け出す為に命を張ったし、何よりこの子が開閉室にいることさえ知らなかったのだ。
「ロジーナ。おい、しっかりしろ。ユ、ユウキ。手を貸してくれ、ロジーナが、このままだとロジーナが!」
全身が冷え切って団長の呼びかけにも応えられない少女を見て、ディーンが恥も外聞もなく俺に泣きついてきた。
「とりあえずここで温めるぞ。この子をまともに戻さなきゃ戻るに戻れん」
<ユウキ、まず間違いなく凍傷になってる。応急処置は温めの湯を用意して>
<わかった。こういう時、本職が要ると有難いわ、助かるぜ如月>
俺を”視て”いた如月が助言をくれたが、俺以上にディーン達の対応は早かった。そういえば彼等は長年この土地で生きているんだから、その知識は俺よりも豊富なはずだ。
「あ、あつ、いた……」
「ロジーナ! 俺が解るか!?」
「あ、ディナル……きてくれた」
「なんでお前がここにいるんだ。安全な場所にいろってあれほど言っただろう!」
うわごとのように呟いた少女の声を聞いたディーンの叫びは悲痛なものだった。
「わたしも、みんなの役に、たちたくて。ごめんなさい……こんなことになるなんて」
「せ、説教は後だ。サリーにがっつり怒られろ、この馬鹿」
とてもロジーナを助けられた喜びを噛み締めて要るようには思えない空気に苦いものを感じながら、俺は他の仕事を片付けるべく縛られた男の元へ向かった。
「へっ、誰かと思えば<嵐>サマじゃねえか。わざわざこんな場所にまで来るたぁずいぶんヒマなんだな」
すっかり観念して減らず口を叩く男だが、こいつ自体はかなりやる男だな。さて、どうしたもんかな。
「暇な訳ねーだろ。戻ったらこの騒ぎであの団長が公衆の面前で何とかしてくれって泣きついてきたんだよ。おかげでこんな場所までやってくる羽目になっちまったぜ」
「はっ、ご愁傷様なこって。あんたもツイてねえな。俺並みだ」
「で、お宅さんも訳アリだろ? 金か? 義理か? 命を懸けるんだ、義理の方か? 冥府の土産に話してくれてもいいだろ」
事を起こした時点で自分が生還することなど考えていないはずだし、こいつは覚悟を決めた者特有の
澄んだ目をしている。すっかり観念して抵抗する気もないようだし、俺の雑談に付き合ってくれた。
「両方さ。恩人が借金の保証人になってくれたはいいが、金の借り先がいつの間にかギルベルツの手先になってた。こうして連中のスパイが一丁上がりって寸法さ」
「人生色々だな。で、その終わりがここでいいのかよ。あんた、そこそこ腕が立つだろ」
「仕方ねえだろ。この命で帳尻があうんなら諦めるさ。さあ、俺もガキどもを始末するのは気が咎めたところだ。すっぱりやってくんな」
「ああ、そうするぜ」
男の言うとおり、俺は縛られていた男の縄をすっぱり切って自由にしてやった。
「な、何考えてんだ、あんた? 俺を自由にしてどうするってんだ」
困惑の表情を浮かべる男を見下ろして俺は冷厳に告げた。
「俺はあんたが生きようが死のうが知った事じゃない。あんたみたいのが現れてこうなる事は予想してたし、本気でどうでもいい。だが、命を捨ててかかってるなら、人助けしてから死んでも大差ないだろう。体貸してくれ」
「俺に一体何させようってんだ? 魔物の餌になるくらいしか出来る事はねえぞ」
「言葉の通りだ、そのデカいガタイを貸せって言ってるんだよ。俺達はこれから走って戻るわけだが、子供の足じゃ遅すぎて話にならねえからな」
子供達が5人もここにいるのは完全に想定外だった。いざというときに備えて人足代わりに団員を二人連れて来たはいいが、まさか頭数が足らなくなるとは。戦闘を担当する俺以外の三人に背負わせるわけにはいかない。生存者が全部で6人いる事は<マップ>で解っていたが、一人を除いて全員子供だとは想像を超えていた。そして残念な事に大人の仲間入りできそうな子は誰もおらず、年を聞いてみたら7歳から9歳までの子供たちだった。これは大人が運んだ方がまだ早い。
そういうわけで子供を運ぶ人足として男を勧誘したのだ。訳アリながらこの男が残酷でない事は子供を手にかけていないことでも理解できたし、話して人格も問題なさそうだ。
「正気かよ、俺は裏切り者だぞ?」
「俺には関係ないな。ガキを殺さない性根が気に入った。借金ならここで山ほど稼いで返せばいいだろ。どうせ諦めた命なら、有意義に使え」
「ど、どうなっても知らねえからな!」
「ユウキ、そっちは片ついたようだが、あっちはちょいとばかりヤバそうだぜ」
帰りの人足を確保した俺はクロイス卿が苦い顔をして指差す方を見るが……薄着で4刻(時間)以上も外に居たんだから、そうもなるか。
隣のバーニィも何か言いたそうな顔で俺を見ているが、対照的にアリシアの顔には何の感情も浮かんでいなかった。能面のような無表情をしている理由が、なんとなく俺にはわかってため息をつきたくなった。
「よう、様子はどうだ?」
俺はロジーナの治療をしているディーンに声をかけたが、彼の顔は悲壮さを通り越して絶望に染まっていた。
「冬の魔女の呪いが深刻だ。くそ、呪いはポーションでもどうにもならねえ、このままだと……」
凍傷をこの地ではそう呼ぶようだが、凍傷ってポーション効かないのか、だから呪いなんだなと能天気なこと考えていないと最悪の想像をしてしまいそうだ。
「どこが酷いんだ?」
「手の指と鼻だ。畜生、どうしてロジーナがこんなことに」
個人差があるというが、数刻(時間)でも酷い時は壊死するというしな。俺もこれを捨て置くのは性にあわない。さっさと処置してさっさと帰ろう。
「おい、お前ら、目を閉じてろ」
俺は周囲でこの世の終わりのような顔をしている連中に向けて言った。
「な、なんだよいきなり」
「うるせえ黙れ、目を閉じろって言ってるのが聞こえねえのか?」
「あんたいきなり何を言いだすんだ?」
当たり前だが団員の一人が反駁するが、無理矢理黙らせた方がいいかもしれない。
「わかった。おい皆、後ろを向け。こいつが只モンじゃねえのは十分解ってるだろうが。俺はこいつを信じるぜ」
団長であるディーンの一声に他の者達も渋々頷き、目を閉じて俺に背を向けた。
「お嬢ちゃんも目を閉じてな。ちょっと熱く感じるだろうが、元気になってる証だから我慢してくれ」
「わ、わかった」
俺の周囲はバーニィとクロイス卿が固めてくれていたし、驚く事にアリシアも彼等に倣ってくれた。ライカから何か聞いているかもしれないな。
俺の回復魔法は時間を巻き戻す特殊なものだ。セラ先生は既に遺失して久しい時魔法ではないかと言っていたが、俺は効果があれば何でも構わない人種なので気にしていない。
「もう目を開けていいぞ。手の具合はどうだ?」
「あ、動く、ふつうに動くの。さっきまで感覚なかったのに」
「ロジーナ! 治ったのか、本当になんともないんだな」
「うん、団長。ちゃんと動く」
先ほどまで途方にくれていたロジーナ嬢の顔にもようやく笑顔が戻った。これでこの件は決着だ、さて帰還に向けて準備しよう。
「ユ、ユウキ。いや、ユウキ様。俺達は貴方になんと礼を言えばいいのか……」
「なんのことだ? 目を閉じていたら奇跡か何かが起こったんだろ。誰かの日頃の行いが良かったんじゃないのか? それより準備しろ、時間をかけると吹雪は強くなる一方だ。さっさと帰るぞ」
暗に回復魔法のことは黙ってろと視線で告げるとディーンと団員たちは揃って額を地に擦り付けた。いや、だからそんなことしてる場合じゃないんだって。
こいつら帰りがどれだけ難儀するか想像してないのか? 行きなんて帰りに比べれば天国みたいなもんだぞ。
「まず男連中はこれを背負え。普通に背負うよりかは早く走れる」
俺が<アイテムボックス>から取り出したのは背負子だ。子供が5人いるので必要数だけ置いたし、心の底から遺憾に思うが、俺が一人を背負わなくてはいけないようだ。これも俺の見通しの甘さが招いた事だし、諦めるとしよう。
俺が出した背負子の意味を誰も誤解しなかった。10歳にも満たない子供では足の速さで大人に敵うはずもないし、我が身恋しさに子供を見捨てようと言い出す屑もいなかった。今日は本当に色々あったが、この地では胸糞悪い下衆と会わなかったのは救いだな。
「あの……あなたが持って来ていたあの凄い魔導具で宙に浮いて帰る事は出来ないんですか?」
そのとき、子供たちの一人、意志の弱そうな一人が声を上げた。それに気付くとは、こいつ頭回るな。あの広場の大人は誰一人発言しなかったぞ。
「お前、名前は?」
「あ、えと。フーシャ村のテッド、8歳です」
後で聞いたが、出身地と年齢を同時に申告するのが戦士団流らしい。このテッドはそうして答えた。
「お前中々冴えてるぞ。だが魔法の絨毯には欠点があってな。実際に見てもらった方が早いか」
<アイテムボックス>から取り出した魔法の絨毯を広げた時点で欠点その位置が露呈した。
「見ての通り全体が広がりきらないと起動しないんだ。ここにそんな広さはないからな。大きい絨毯な事が仇になったな」
行きに使わなかったのはこれで移動すると格子を開けて出発する必要があったからだし、もう一つ重大な欠点がこの絨毯にはあるのだ。
この魔法の絨毯は浮遊の魔法で浮き上がって生きたい方向に進むのだが、途中に障害物があるとどんな速度を出していてもそこで止まってしまうのだ。高速で動いていた場合、その速度のまま宙に放り出される事になるので使う場所を選ばないと悲惨な目に遭う。
少なくともこの魔物がうじゃうじゃいる場所で使おうものならその大きさが仇になって途中で止まってしまうだろう。数キロル程度の距離で絨毯分の面積を確保しつつ前進するのは正直言って割に合わない。走った方がまだマシという判断をくだしたのだった。
「お前、頭柔らかいな。どの戦士団だ?」
「いえ、僕はその……」
「僕たちは団に見捨てられたんです。ランデルさんだけ大人なのはそういうことです」
だから孤児の僕たちには向こうに戻っても帰る場所なんてないんです、と他の子供たちも諦めたように呟いた。なるほど、戦士団は死んでもいい奴等をここに放り込んだわけか。残酷だが、これも生存と淘汰の一種だ。この体の持ち主であるライルも口減らしで田舎から出たクチだし、こういった話はどこでも転がっている。
だが俺がムカつく事に何の変わりもない。後で覚えてやがれ。
だからあの男も子供たちに同情して殺す事もなくあそこに立っていただけだったというわけか。
「なんだ、それなら丁度いい場所がある。後で案内してやるから、今は大人しく荷物になってろ。背負子に乗ったら紐で固めろよ。走ってる最中に落っこちても拾ってやれる保証はないぞ。帰りは行きの数倍大変だからな、全員覚悟を決めろ」
俺はテッドを背中に背負いながら部屋を出て魔物で構成された大地を見下ろした。
「確かに子供達を背負いながらとなると速度は遅くなる。命懸けの疾走になるな」
「俺は最後尾を走るから、あんたらは全力で先行しろ。こちらを気にするなよ、振り向く暇があるなら一微(秒)でも早く向こう側に辿り着け」
俺の発言にディーンたちは目を見開いている。少しでも考えれば解りそうなもんだがな。
「貴方が道を切り開くとばかり思っていたが……」
「考えてみろって。魔物は町に向かって殺到している。これまで俺達はその流れに逆らってここに辿り着いたが、帰りは魔物と同じ向き、言い換えれば奴等に背を向けて走る事になる。ディーンは四足の魔物と競争して逃げ切れる自信はあるか? 人一人背負った状態で」
だから俺が最後尾で背後から迫る敵を食い止める必要がある。言わなくてもそれくらいは頭の回る男であることは解っている。
「……すまない。今更ながらとんでもない事に貴方を巻き込んでしまった」
「それについては気にしなくていい。子供が取り残されているとは俺も思ってなかった。ここに来なければ子供たちを見殺しにしていた、むしろ良く巻き込んでくれたと感謝している位だ」
俺の言葉は紛れもない本心だ。それが伝わったのか、ディーンは不意に真剣な顔をした。
「そう言ってくれると少しだけ救われた気分になる。あと、命あるうちにこれだけは言っておきたい。俺達は貴方がしてくれた事を決して忘れない。俺の名にかけてそれは誓う」
「おい止めとけ。仲間内じゃこの状況でそういうこと言うと縁起でもない事が起きるらしいぞ」
玲二たちに言わせるとなんでもこの戦いを生き残ったら故郷で店を開くだの約束した女と結婚するだの言いだすと高確率で死んでしまうとか。呪術の一種ではないかと本気で疑っているくらいなのだ。
俺の警告を場を和ます冗談と受け取ったのかディーンは苦笑して仲間のところに戻っていった。代わりに近寄ってきたのはアリシアだった。
「先ほどの話ですとフォーメーションの変更が必要ですね」
「ああ、だが基本は変えない。バーニィが先頭であいつが開けた穴をクロイス卿と君が抉じ開けて進む。魔物の背後から切りつけるからそっちは楽になるはずだ」
「その分、貴方の担当が過酷すぎると思うのですが」
どうやら彼女は俺の心配をしてくれたようだ。先ほどはロジーナの惨状に無関心を示すことで心を守っていたが、俺は普通に気にかけてくれている。
「面倒だが仕方ないさ。この程度ならそこまで苦でもないしな。君の含めて頼りになる戦力を呼んだ甲斐があった」
「貴方は、あれだけの強さを誇りながら、他人の力を頼るのですか?」
彼女の問いかけはこれまでとは全く異なった響きをもっていた。俺は内心に湧き上がる言いようのない不安を感じながら答えた。
「ああ、その方が楽しいし面白いからな。彼等にもしょっちゅう頼られるし、俺も困った時は今みたいに手を借りる。君は誰かに助けを求めたことはないのか?」
「わたしは、わたしは、そんなもの……そんなこと」
俯いて何事か呟いている彼女の言葉は強風に掻き消されて俺に届く事はなかった。
「おい、大丈夫か? 無理するな、君は個人で戦う事に慣れてない筈だ。不安があるなら……」
「問題ありません。私はずっと独りです。いままでも、これからも。噂を聞く限り貴方も同じなのだと思ってきたけれど、貴方は独りの強さと仲間も強さを併せ持っている。私も、わたしもそんな風になりたかった」
その時、一層強い風が吹いた。だから俺は彼女の瞳から零れ落ちたものの判断が付かなかった。踵を返し俺に背を向けた彼女にとっての最善は今すぐアリシアを追いかけ、真意を問い質すべきなのは解っていた。
だが、俺にとって今の彼女は身内でも仲間でも友人でもなかった。最優先すべきはこの場から生還する事で、命の危険を推して駆けつけてくれたバーニィとクロイス卿を無事に帰すことだった。
そして風雪は強まり、状況は刻一刻と悪化していた。ロジーナの介抱で必要以上に時間を食っており、今すぐ行動しないと危険だと状況が示している。
そして何より、彼女はSランク冒険者だ。あらゆる困難を跳ね除ける強者なのだから、生還した後で話を聞けばいいと思ってしまっていた。
その楽観のツケを俺はこれからたっぷりと払わされることになる。
楽しんで頂ければ幸いです。
すみません、前後編ではなく上中下になりました。一万字越えても全く終わる気配がなかったので分割します。
一応この章のクライマックスに片足突っ込んでる話なので御容赦を。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




