奈落の底から 19
お待たせしております。
「へえ、町の方も活気が出てきたじゃない。私が来たときとは大違いだわ」
「ああ、昨日あたりで軌道に乗った感じだな。手探りで始めたが、ギルド職員が上手く回してくれたようだ」
俺とセリカは騒がしく人が行き交うキルディスの目抜き通りを歩いていた。周囲には老若男女構わず多くの人々が忙しなく行き交っている。確かにセリカ達が到着した時の町は誰もが息を潜めていたからまるで別の町のようになっているな。
「あっちの仮倉庫に食材を運び入れてくれ。これは明後日分だから、間違えるなよ、書き付けでも書いて目印にしておくといい。それは西の倉庫だ!」
「解体場は第二まで人で一杯だ。東の第三会場はまだ余裕があるから一稼ぎしたい奴はそっちへ向かえ」
「金になる仕事はまだまだあるぞ、各家庭の掃除洗濯まで今は金になるんだから、家に引き篭もってるやつも引っ張り出してこい! 子守の仕事だってあるくらいなんだからな、今を逃すのは絶対に損だぞ。でっかく稼いで商店で酒や肉、菓子を山ほど買おうぜぇ!」
「急ぎの仕事でいえば刃物の研ぎだな。使いすぎて解体に使うナイフの切れ味が落ちてきてるからそれを研ぐんだ。今日までなら未経験者も教えるぞ。年齢性別は問わんから興味のある奴は集まってくれ!」
「仕込みが上手くいきましたね。町の民を動員したことにより、雑事を彼等に任せられるわけですな」
普段ならもっと気安いが、主筋であるセリカの前なので護衛のアインの声も畏まったものになっている。となりを歩く双子の妹のアイスと共に普段着を纏い、武器も隠し持っているので傍目には護衛には見えなくなっている。美形の双子という意味で人目を引いていてセリカを上手く隠せているようだ。
「なんと言いますか、実家の祭りに似た雰囲気ですね」
アイスがどこか懐かしそうな声で呟いているが、それも当然なのだ。
「そりゃエドガーさんの手管だからな。基本は”クロガネ”で催事をやるときと同じ方法だから、似て当然だろうさ」
彼が最初は手本を見せたがギルドの選抜された面子も優秀ですぐに彼の真似を拡大して実行した。あそこで声を張り上げているのは職員ではなくこの町の人間だ。店をやっていたものにはギルドの出張所で店員を、近所の奥さん達は戦士たちの洗濯や炊事の代わりなど経験者、場を仕切れる奴に権限を与えて任せている。
「だと思った。あれなんていかにも”クロガネ”らしいもの」
認識阻害の魔導具を見に付けたセリカが指差す先にはでかい看板があり、そこには”本日の各部門優秀者5組に与えられる賞品一覧”と書いてある。
「競わせた方が効率もやる気も違うからな。班長にはあれとは個別で出すから奴等の熱意が物凄い事になっているぞ」
書いてあるとおり、魔物解体、炊き出し、物資整理など各部門で目立った働きをしたものには褒美を出している。品は金銭ではなくここでは手に入らない果実やちょっとした甘味など、貰えると嬉しい日々の彩りになるものにした。競争も行き過ぎると足の引っ張り合いなどの弊害の方が大きくなるので、やる気を出してここはひとつ狙ってみようかと思わせる程度の品に抑えている。それに班長達にはなるべく全員がいきわたるように調整しろと命じてある。
それらの施策で今のところは上手く回っている。俺が一番恐れたのが戦士たちと住民との軋轢だったので双方に役割を持たせてこの危機に共に立ち向かっている意識を持たせる事にエドガーさんは成功した。流石の仕事である。
「私も帳簿付けに参加しようかしら。誰にも負けない自信はあるわよ」
「この町の奴等の為なんだから、お前がやったら意味ないだろ」
お前が仕事を取るなと注意したらセリカは口を尖らせた。
「だって暇なんだもの! あんたは館から出るなって口煩いしさぁ! わたし、ああいう仕事をするためにここに来たはずなのに、やる事といったら王女様達とお茶会しかしてないんだけど!」
「それが王女の本業だからな。王子と王女はランヌからの恩義をけして忘れぬと口を揃えたぞ。十分な功績だろう」
一国の王女が単身死地へやってくるというのはセリカが思う以上に重みがある。最後まで彼等を信じる、または決して彼等を見捨てないという国としての表明であり、セリカは思ってないだろうが圧倒的に優勢なギルベルツよりフェルディナント王子側にランヌ王国が立ったという政治的立ち位置を明らかにしたようなものだからだ。
「え、わたし、そこまで考えてなかったんだけど……陛下にも無断で来たし」
「お前はソフィアの百分の一でいいから王族の自覚を持て。事情もあるからいきなりは難しいと思うが、お前の行動がランヌの評判を決めるわけだからな」
これまで存在しない姫として一切の公式行事に出れなかったセリカに自覚を問うのも無茶な気なするが、少なくともフェルディナントは最悪敗死する覚悟で王子としてこの戦いに臨んでいる。
「う……悪かったわよ、暇だから散歩させてなんて言って」
俺が認識阻害の魔導具を付けさせて町を歩いているのはそういった理由がある。館の部屋に転移環を置いていつでも彼女の仕事場に戻れはするのだが、店の中心である自分がいなくてもちゃんと回るのか確認するという理由で離れているので戻って仕事する選択肢もないそうだ。
アイーシャ姫やマルグリット王女との茶会もやり飽きて暇疲れしたと文句を言ってきたので町の見回りを兼ねて散歩しているのだ。
「それは別にいいけどな。お前が部屋でじっとしてる性分じゃないのは解っていたし」
アイーシャ姫は本があれば何日でも部屋に篭もれますと自慢にならない事を笑顔で宣言していたので連れてきてはいないが、元来セリカは活動的だから、館に閉じとめておける女ではないのだ。
町の中心部、今は指揮所が置かれている広場のすぐ近くには大食堂が出来ていた。ここでは誰でも格安で食事を取る事ができるとあって常に人だかりで溢れていた。
「これもよく王子が許可したわね。指揮の邪魔だって話も出たんじゃない?」
「そりゃ出たが、それ以上に町の民と王子、さらには戦士たちとの交流の場を作るべきだったからな。揉め事もそれなりに起きてるが、大所帯ってのはそういうもんだし、想定内だ」
これまでは町の人口の数倍の数でやって来た戦士団に町の方が恐れて隠れていたが、このような態度では戦士たちの士気も上がらない。彼等としても住民に頼りにされているから、自分達は命をかけて戦うのだという気概を持てずにいた。問題も起きてはいるが、それ以上の効果が出ているのでその決断をした王子を称賛する所だな。
「おや、若い兄さん。今日は特別に美味しいよ。この肉の入った具沢山スープなんか、家じゃ絶対に出せないからね。食べていかないと後悔するよ!」
食堂を素通りしようとした俺達を見咎めた配膳係のおばちゃんがこちらに声をかけてきた。せっかくだしとその料理を受け取ると、今日の献立はなんだっけこれ、玲二が作ってくれた記憶があるんだが。
「戦地でホワイトシチューとか、手が込んでるわね。これは士気が上がるはずだわ」
しかも美味しいし、と毒見も無しに料理を口に運んだセリカが唸っているが、お前は身の安全をだな……双子も天を仰いでいる。
「だ、大丈夫よ、あんたがくれた解毒の魔導具もあるし、それにこういった大多数向けに作られた食事って毒入りの可能性は低いのよ。それくらい解っているわ」
セリカはそう取り繕ったが、どこにギルベルツの手の者が暗躍しているか判明していない現状では、警戒は必要なのだ。特に戦力を低下させる意味で料理に毒を混入させる手は効果的だ。腹痛くらいの弱毒でも数百人を簡単に戦闘不能に追い込める。だからこういった大鍋料理は無味の毒消しを最後に投入する念の入れようなんだが、それをセリカに説明する気はなかった。
「どうだい、美味いもんだろう。あたしらもこれを考えた王子様には大感謝だよ、給金も沢山もらえて料理も家に持ち帰っていいときた。あの方が王様になってくれればこの国も安泰ってもんだね」
「俺は他所者だが、確かに”お姉さん”達は運がいいね。俺もあやかりたいもんだ」
あらやだ、口が上手い兄ちゃんだね、と俺の碗に大盛りのシチューをぶち込んでくれた”お姉さん”に礼を言ってその場を離れた。最近よく食べる俺じゃなかったら残したかもしれない大盛りだった。
「あんたさ、自分の手柄は誇りなさいよ。ちゃんと働いた人には報いるって方針出したあんたが自分を例外にする意味解らないんだけど?」
思わぬ食事となったが、セリカ以外は一食の余分くらい簡単に腹に納められる者達だったので散歩を続ける中、セリカが俺を咎めてきたのだが……俺は困惑するしかない。
「今回の俺の仕事は後方支援態勢を整える事で、やったことといえばお前やエドガーさんに準備を頼んだだけだ。やって当然のことをしただけで褒められるようなことじゃない。自慢していいのは世界中で物資を掻き集めてくれたお前のほうだぞ」
俺は総責任者なのであくせく働く立場ではない。事実として昨日はダンジョンの環境層の調査をした後はここに分身体を置いて玲二の手伝いに出向いていたほどだ。あいつは本当に物語の主人公みたいな奴であらゆる面倒を一身に引き受ける運命でも背負っているのか、同時に3つの勢力を敵に回すという離れ業をやってのけていた。お前凄いぞと本心から褒めたのに物凄く嫌な顔をされてしまった。
もちろん一日で片付いたので玲二の面倒事も少しは落ち着いただろう。彼は日本にいるよりも早く学院に戻りたがっていたが。
途中で抜け出すくらい手を抜いていたのだが、セリカは俺の反論を一笑に付した。
「この戦いの絵を描いて、実行して軌道に乗せる奴が一番凄いに決まってるでしょ。それにあんたが自分が一番凄いだろって偉そうにしてないと下にいる者達も自慢し辛いのよ。だから覚えときなさい、この戦いの一番の大手柄はあんたよ。これはもう絶対に動かせない事実だから」
稀人って手柄を譲りたがるって言うけど、本当なのねとセリカは一人で感心している。俺は大した事してないと言いたくなるが、俺の態度のせいで実際に頑張ってくれた者達が口にしにくいというなら、そこは直さなくてはいけないか。
「うわ、また増えてない!? どれだけの数で囲んでるのよ……」
指揮所の上にある見張り台に辿り着いた俺達だが、双眼鏡を使うまでもなく外壁を取り囲んでいる異常な数の魔物を見てセリカの腰が引けている。
「約20万ってとこだな。今日で8日目だし、まだまだ本番前だぞ。昨日で雑魚中の雑魚は狩り尽くしてようやく骨のある敵が現れだしたと聞くしな」
おかげで序盤にうんざりするほどいた黒狼は解体の練習台にされたくらいには実入りが良くなっている。
過去の事例では10日以降が修羅場の開始だというし助っ人達もそれくらいから行動予定だ。この双子も体を動かしたがっているし、参加するならセリカは俺が側で見ていればいいか。
「なるほど、戦士たちは様々な魔物と戦っているようですね」
アイスが壁の内側で魔物を引き込んで戦闘中の彼等を見ていた。今はクマのような大型で毛深い敵集団と刃を交えているようだ。戦士団も稼いだ金で肉や嗜好品を手に入れるべく戦い続けている。その戦意は俺の想定を超えており、戦う順序や時間の間隔を巡って争いが絶えないほどだ。
「今のところは上手く間引けているようだけど、その分消耗も激しそうね」
「ああ、ポーションの消費も上がってる。少しの怪我でもすぐ使うから死人は少ないんだが、一日500個近く使うとは思わなかった。瓶の回収率も悪いままだしな」
俺にとってはポーションよりもそれを入れる瓶を大事にしやがれと言いたいくらいだが、緊急時には相手に投げ割って中身をぶちまけて使う事もあるらしいので本来のポーション瓶はかなり脆かったりする。
使った分の半分も瓶が返却されない現状では遠くない未来にポーションは枯渇というか瓶で渡せなくなる。
何とかしなくてはならないが、この問題は実に深刻だ。最終的にはポーションを桶にでも貯めておいて怪我人をそこまで引っ張ってくる方法しかないが、その場ですぐ使えるから意味のある携帯水薬なので、安全な場所に退避して飲むのでは僧侶を後方に待機させておくのと正直大差ないのだ。まあ、回復魔法を使える者は5人しかいないので意味のない仮定だが。
「でも、とりあえずポーションはあるだけあった方がいいでしょ? そのためにあんたが出向くんだし」
「まあそうだな、とりあえず日暮れまでには戻る予定だ。何もないとは思うが、ユウナとレイアは残しておくから話は二人にしてくれ」
俺を見つけてこちらへ走り寄って来る飛竜騎士のレオンが見えた。彼のルックに乗って俺はマギサ魔法結社に向かうのだ。
「各国への伝令は上手くいったようだな」
「ええ、こちらへの救援要請と、最後には自分達にも魔物が襲い掛かる恐れがあるとはっきり伝えてきました。対岸の火事だと思っていた彼等の慌てる顔は見ものでしたよ」
飛行中にレオンから彼の仕事の報告を受けた。どいつもこいつも救援は不可能であること、キルディスが見舞われた不幸を嘆いたが、この魔物達が自分達に向かう可能性をまったく考えていなかったようだ。お気楽な奴等である。
「どの国も私達が全滅すると確信しており、私に留まるように言ってきました。自分に故郷を見捨てろと仰るのかと叫ぶと一様に黙りましたが」
「お前も中々の演技派だな。だがこれで救援をどいつも出さなかった事は事実として残る。勝った後がやりやすくなった」
「現状で勝った後のことを考えているのは貴方だけでしょうね。ユウキさんが居てくれて本当に良かった。我が家も既に魔物に蹂躙されていましたし、家族も貴方に改めて礼を言いたいと」
「いいよそんなもん。むしろお前の実家への補償がいるな。そうだ、仕事一覧に牧場の再建を入れておこうぜ、そうすりゃ勝手に工事が始まるからよ」
どうせ20日すぎたら即おしまいになるはずがない。余波は数日あるだろうし、その間も仕事は続くのだ。
「す、すみません。本当に何から何までありがとうございます」
「ついでだよ、ついで。全部終わったら聞いて欲しい頼みがあるけどな」
キルディスの町に転移環を置きたくなった俺は彼に都合のいい場所を選んでもらうつもりだ。こいつとは秘密を厳守してくれるくらいには仲良くなったと思いたい。
「ここがライカール王都、セイレンですか! まさに大国の王都といった威容ですね。それに川の上に敢えて都市を作ってるのも凄い、流石は魔法王国だ」
「ああ、そうだな……って、早いと思ったらまだ3刻(時間)しか経ってないぞ。ルックはどんだけ早くなってるんだよ!」
ウィスカからキルディスまで約6刻(時間)以上かかっていたのだが、それが半分になっている。回復魔法で元気になっているのは解っていたが、想像以上の速度上昇だ。
「いや、これはユウキさんがくれた果物のおかげですよ? 活力剤よりもよほど効果があるようで、他のお二方もその力に驚いていました。なにより飛竜たちの好物のようであげると喜びますし、本当に最高ですよ」
「そりゃ凄えや。ルックには頑張ってもらったから、後で褒美を貰うといい」
きゅいきゅいと元気良く鳴く飛竜のルックの声も心なしか明るい。ウィスカの環境層の果物は豊富な魔力を含むのでそれを彼等は喜ぶのだろうか? どの果物も7桁後半あるのでいくらでもくれてやれるぞ。
「ありがとうございます。あとそれと殿下からこちらの国王に連絡を入れたそうなので、着陸は王城になります」
「は? いや、初耳なんだが。クランに顔出してすぐ戻るつもりだったから、俺は城に顔出す気なんて一欠片もないぞ」
「あ、すみません、どうにも風が強くて」
この野郎、俺の反論をレオンは聞き流した。簡易結界で覆われた俺達に風の強さなど関係ない。俺は降りるぞ、別に悪いことしてないんだからいいじゃないですか、きゅいきゅい、と問答を繰り広げる内に王城の一角からこちらを誘導する為と思われる光が放たれ、俺は逃げる機会を逸してしまった。
「思わぬ早い再会となったな」
「陛下直々に出迎えていただくほどの事ではないと思うのですが」
この場には何故かソフィアの兄であるライカール国王バイデン3世とその奥方二人(正妻は前に談笑した事があるのでもう一人が例の何年も待たせたという麗しの君だろう、じつに美人だった)が俺達を出迎えてくれた。
驚く事に彼の奥にはセイブル侍従長まで来ていた。彼には迷惑しかかけてないので、なんか申し訳なくなってきた。
「何を言うか。我が友好国であるラヴェンナの危機を救うべく尽力する君に手を貸さぬほど薄情ではないぞ。本来であれば使者として盛大に晩餐会でも開きたい所だが、そこまで時間はあるまい」
「ええ、不義理だとは思いましたが用事だけ済ませて戻るつもりでした。まさかこいつが王城に着陸するとは露思わず」
既に私は一介の運び屋に過ぎませんとバイデン3世に平伏しているレオンに恨みがましい視線を向けるが、彼は彼で仕事があるようだ。畏まったまま、王子からの親書を国王に献上している。
俺の目的はクランなので国王に色々報告する事があるというレオンとは別れ(ロロナ用の土産を頼まれたが断った。自分の女に送る土産を他人に選ばせるなよ)、城から退出しようと一人歩いていると、見知った顔が隅に見えた。
「お、フレデリックの爺さんじゃないか。丁度良かった」
「ぬ? 誰かと思えば若造ではないか。先ほど騒々しかったのはお主のせいだな。噂では北の果てにいると聞いたが?」
普段は研究室に引き篭もっている爺さんを見つけた俺は彼を呼び止めた。だがなんだろう、周囲の視線を異常なまでに感じる。その理由は俺の後ろからついてきたセイブル侍従長が教えてくれた。
「魔法研究において世界随一を誇る魔導院の首領を気軽に呼び止めるのですから、そうなるのも当然では? それにフレデリック卿は王国一気難しい御仁と評判ですからな」
「ふん、その評判はおおむね事実じゃが、相手によるわ。この若造は我輩に有益なのでな、それに出会い頭からこいつはこうじゃったわい」
この爺さんと会ったのは俺が地下牢で酒盛りを終えて尖塔に移された後だ。彼ご自慢の魔法錠や魔法封じの結界を無視して出歩いていたらどうなっとんじゃ、と叫んで突入してきたのだ。
その時は随分としつこい爺さんだったが、俺も暇だったので彼の相手をしてやったのだ。エリクシールの件では魔導院の頭として俺に恥をかかされた格好だから当初は険悪だったが、それ以上にこの爺さんは学級の徒だった。自分が構築した魔法封じの結界内で平然と魔法を使う俺に興味を示し、暇だった俺もそれに付き合い、最終的には彼も結界内で魔法を使えるまでになるころにはこのように気安い関係になっている。
セラ先生とは別方面の魔法の泰斗であるこの爺さんとはそれ以来、書簡を行き来させる間柄になっている。
「本当なら酒でも誘いたいがそう時間がある訳でもないからな、用件はこれだ。氷雪鉱というらしい、大昔に遺失して伝説的鉱石らしいが、聞いた事は?」
俺が取り出した青く光る鉱石を見た爺さんの目はそれに釘付けだ。
「これが、あの氷雪鉱じゃと!? <鑑定>もちのお主を疑うつもりはないが、本物……確か氷のように冷え切っておる、それにこの濃密な魔力! おい、若造!」
「あんたに会うつもりがなかったから量は大して持ってきてないんだよ。残りはクラン魔法鍛冶のベル親方の土産だしな。どう考えてもあっちが本領だろ?」
追加の氷雪鉱を数個渡した爺さんは近くにいた誰かに無理やり持たせている。じつに傍若無人だが、これはフレデリック爺さんの日常であり、国王以外は誰も文句を言えない権力を持っている。
「ふん、否定はしないでおいてやる。だが、お主がこれを持ってきたという事は?」
「ああ、あの国のダンジョンの環境層から出た。この事件が落ち着けば特産になるかもな」
俺の言葉を彼は誤解しなかった。優秀な学究であると同時に魔導院という権力機構の首領でもあるフレデリック侯爵は政治家としての顔を覗かせた。
「フェルディナント王子は我輩の弟子でもある。陛下の贔屓が我が国にこう繋がってくるとはな。すぐに陛下に謁見してくるとしよう、我が国も彼の国への支援をどの国よりも手厚くすべきとな」
「これは独り言だが、既にオウカ帝国は特使を派遣した。グラ王国も北に手を伸ばしつつあるからな、先鞭をつけた格好だ」
俺の独り言に爺さんは笑みを深め、そしてなんでもないような口振りで爆弾を放り投げてきた。
「我輩も独り言をつぶやきたくなった。どうも長年の宿敵同士だったギルザードとグラが水面下で接触したらしい。近しい者がいるなら気をつけるといい。お主の耳も優秀じゃろうが、悪辣さにかけては我輩やお主には及ばん。見逃す事もあろうよ」
「んな馬鹿な。あいつら相性最低だろ、水と油は混ざらないぜ」
俺はこれからの予定を一瞬全て忘れかけた、それほどの情報だった。この両者はかつての戦争で共に多大な犠牲を出しており、同盟など絶対に結ぶはずがないと世界の誰もが考えているほどの険悪さなのだ。
「わからん。この情報が齎されたのもつい最近じゃしな。どう受け止めるかはお主次第じゃ」
言いたいことだけ告げて俺からせしめた鉱石を手に爺さんは歩き去っていった。くそ、とんでもない情報を置いていきやがって。これはエリクシールの件での明らかな俺への意趣返しだ。俺の性格からしてこれを放置できないことを知って調べさせようとしてやがる。そしてこの国も見捨てられない俺は得た情報をこちらへ流す事に躊躇いはない。つまり、ライカールは苦労せず大きな利益を手に入れられるわけだ。
しかしまずはクランへ向かおう。この件は急ぎではないし、優先順位を違えるわけにはいかない。
だが、俺は確信していた。忍び寄る戦争の足音を今はっきりと耳にしたのだと。
「ん? あ、あれ? なんで??」
露店で野菜を売っているおっちゃんが俺を見て顔を疑問符だらけにしている。共にブタ箱で酒盛りした間柄の俺は彼に向けて立てた指を口元に寄せる。
俺の仕草に大きく頷いて胸を拳で叩いた彼だが、即座に店仕舞いを始めている。いや、普通にしてろって。
同じような光景を幾度か繰り返しながら辿り着いたマギサ魔導結社の総本部は重苦しい緊張感に包まれていた。普段なら大勢のクランメンバーが行き交うこの大きな館も今は息を潜めているように静かだ。
だが俺はそんな中を無視して歩く。目当ての相手は恐らく調合室だろう。きっと彼女もそこに一緒に居るに違いない。
「ポルカ、貴方はここから動いちゃ駄目よ。ルー姉さんが言っていたでしょう? 貴方の存在がクランで一番秘密にしなくてはいけないことなのだから」
「マールお姉ちゃん、でも僕のせいでラルフ兄ちゃんやルーシアおねえちゃんが責められるのはいやだよ」
お。やってるやってる。まだ半月(45日)程度しか経ってないのに、随分と懐かしく感じる声が俺の耳に届いた。きっとここにポルカを隠しているだろうと思ったが案の定だ。<マップ>を使うまでもなかったな。
「心配するな。どうせ俺の客だからな、俺が相手をするさ」
調合室の扉を開けて中に入る俺を見た二人は幽霊を見た顔をしていた。失礼な、一応、元幽霊だぞ。
「ユウキ!? え、なんでいるのよ!」「ユウキさん! ユウキさんだ!! 本物だよね!?」
俺の視線の先には相変わらずフードを目深に被ったマールとポルカがいたが、彼は俺の方に走り寄って来た。
「二人とも、久しぶりだな。元気でやってたか?」
「元気だよ! お母さんもみんなもユウキさんのおかげであれから一人も風邪ひかなかったもん!」
「まあなんとかね。色々あったけど、本当に色々あったけどさあ」
大はしゃぎのポルカの頭を撫でてやり落ち着かせるが、マールはどこか疲れた顔をしている。
「だろうな。俺も二人を迎えに行く予定がずれ込みまくったからな。こないだなんかエレーナ達とダンジョンに行ったんだが、みんなマールが居なくてつまんないって口々に俺に言ってきたくらいさ」
「うん、それ聞いた。アリアが通話石もたせてくれたの。あ、そういえば魔力の充填できるって本当?」
寂しがりや姉弟子はマールと話すために通話石を複数用意していたみたいだ。魔力切れになったそれらを満たしてやっているとポルカが勢い込んできた。
「ねえ、ユウキさん。今日はどうしたの? 僕も先生のところに今すぐ行きたいけどお母さんと一緒に行くって決まってるんだ」
「さっき言いかけてた件と無関係じゃないんでしょ?」
二人は期待に満ちた目で俺を見てくる。もちろんそれも目的だが、まずはポルカに用があるのだ。
「それもあるが、先にポルカに許しを得たくてな。お前が作って俺が保管してあるポーションの大樽を数個売ってくれないか? 今関わってる事件で大量に必要でな」
俺の問いかけにポルカは変な顔をした。
「え、えっと。僕のものじゃないと思うけど……ユウキさんがお金出して薬草集めたんだし、むしろユウキさんのものじゃないの?」
「私もそう思うわ。あれからポルカの練習でまた増えてるし、お母様やルー姉さんと話す必要があるとは思うけど、むしろ樽ばかり増えてくから少し持ってってくれれば嬉しいくらいだと思うわよ。まさか、その許可を貰うためにやって来たの? 話は聞いてるわよ、今本当は北の国にいるはずなんでしょ?」
だからそこを狙われたんだと思うし、とマールはある場所を睨みつけた。
「ああ、飛竜に乗ってこの国までやって来たのさ」
「飛竜!?」「わあ、もしかして飛竜便なの? すごいなあ!」
素直な二人は俺の自慢に大層驚いてくれた。温暖な南部は飛竜の生息地域ではないのでその存在は非常に珍しい。それこそ武勇伝にしか出てこないような存在なのだ。だから俺もグラン・マスターの誘いにホイホイ乗ったわけだが。
「ああ、飛竜は噂以上に凄いぜ、早いのなんのってな。近いうち乗せてやるから楽しみにしておけ。さて、俺の目的はポーションを得ることだから大事な用事は済ませたが、もう一つ片付けておかなくてはいけない問題が起きてるようだな」
「ええ、他の支部から幹部達が押しかけてきていきなり緊急幹部会だって騒いでるのよ。よりにもよってお母様がまたお出かけしている間だっていうのに。どうせあんたが北にいると聞いてチャンスと思ったんでしょ。そうはいかないんだから」
きっと難癖つけに来ているのよ、とマールは憤るが半分正解で半分間違っている。難癖ではなく彼等は正当な権利を口にしてこちらを糾弾するだろう。
まあこれは仕方ない。聞けば必要な手順を踏まずにいきなりぶっこんだらしいからな。
それを怒るのは解るが、だったら本人と当事者の前で面と向かって言えばいいのに、逃げ隠れしながらこちらの隙を突いてネチネチ言いに来てやがる。
こういう性根の腐った人種が世界で三番目に俺は嫌いだ。一番目は借金取りで二番目は女子供を傷つける奴だ。
「まったくだな、会ったこともない奴等だが、なんで文句があるなら俺に直接言ってこないんだか」
「え、それは、まあそのね」「うん、ユウキさんに直接は無理じゃないかなあ」
「そうでもないぞ、獣人とかは普通に文句つけてくる。その後は殴り合って解決さ。単純明快だろ」
ああ、やっぱり殴りあうんだ、と二人は変なところで感心していた。だが俺の行動も既に決まっている。
「さて、わざわざ世界各地からお出で願った皆さんを俺は歓迎してやらんといかんと思う。二人はこれでも食って大人しく待ってな」
二人に甘い物を出してやりながら俺は18人の幹部達が集う会議場へと足を向けた。
「コンセンサス無視も甚だしい!」
「第2席は何をお考えなのか」
「説明が何一つない、これは総本部の命令には全て従えという意思でいいのだな?」
「他のクランは殺気立っているぞ」
「結社として何をするのか、それを打ち出すのが総本部の仕事ではないのか?」
「大体、新たな幹部を選出するには幹部会議に諮るのが通例だ。何故無視をする」
よくぞまあベラベラと喋る連中だ。ルーシアとラルフが黙っているのをいい事に思う存分言葉で殴りつけている。二人も反論したいだろうが、余計なこと言うと母親であるリエッタ師の批判に繋がる。それにうかつな事を口にすれば本丸に切り込まれる事を恐れているんだろう。
あのラルフがよく我慢しているものだ。あいつも皆を護る幹部としての自覚があると思われる。あるいはルーシアがよく言って聞かせたか。
相手が一番嫌がる時を見計らって中に突入しようと目論んだが、その時凛とした女の声が会議場に響き渡った。
「総本部としては当然の権利を行使したまでのこと。幹部の選出は会議に諮るのはあくまで最近の通例にすぎません。事実として第5席は前任者からの横滑りでその席についています。説明に関しても同様です。5年前に着任した第12席は皆様に何か説明をしたのでしょうか? 総本部としての意思は第2席の帰還を以って行います。通告もなしに突然集合してこのような大事な会議を行う事はコンセンサスを重視しておられる第14席のお言葉とも思えません」
おお、さすが留守を任されるルーシアだ。ゴチャゴチャ抜かす連中を一喝したぞ。大したことで騒ぐなと言っているが、相手はどう出るか。
彼女が一人気を吐いているので展開を見守りたくなった俺は<聞き耳>を使い続ける事にした。
「ふむ、第9席の言わんとする事は解る。だが事はそう簡単ではないのだ。総本部が新たに推した第8席はギルドの専属冒険者だ。第2席はそれを考えて就任と同時にその席を剥奪したのだろうが、ギルドがそれをどう思うか? 聡明な第9席にも想像はつくだろう?」
「そ、それは……」
言葉につまったルーシアに畳み掛けるように暗い女の声がした。
「相手が相手。あの<嵐>をギルドが手放すはずがない。噂が本当なら一年弱であの者が稼ぎ出した金は金貨400万枚近い。私も本物を見た事があるから解る、あれは明らかに異常。稀人だってあんなとんでもないのはいない。それは貴方達が一番理解しているはず。あんな大奇跡、常人では起こしえない」
「第6席、そこまでにしておきたまえ。君が新大陸の人間だから過剰に持ち上げるのはわかるが、私は実在自体を疑っている。ギルドが仕込んだ与太話だと言われた方がまだ納得できるからだ。一人であのウィスカのダンジョンを攻略し、更には世界各国で暴れ回るなど召喚された稀人の勇者でも不可能だ。まさしく為政者に都合の良い”英雄”ではないか、君らのところに訪れたのもきっと偽物にちがいない。第2席の騒動も総本部の威光を取り戻す為の狂言なのだろう?」
「……」
意外と本丸に手を突っ込んでくるのが早かったな。こいつらの狙いは始めからエリクシールの秘密だろう。リエッタ師がどうだの俺が専属だのはマギサ魔導結社にとってはついでにすぎない。
総本部が一切情報を出さないエリクシールに関する全てを彼等は知りたがり、難敵であるリエッタ師の居ぬ間に幹部から情報を得ようとしているのだ。
リエッタ師に交渉を持ちかけても無駄だ。あのひとは”あらあら困ったわね”という態度で全てやり過ごす最強の交渉相手(セラ先生談)だという。俺もあれをやられたら大人しく白旗を上げるだろうな。
ルーシアが沈黙しているのもどう答えようが最終的には証拠を見せろと迫られるからだ。エリクシールの痕跡を完全に隠すのは不可能だし、作成者はクランの人間だと噂を流している。もちろん他のクランへの対処なども理由の一つではあるのだろうが、本命は支部に勢いで推されている総本部の武器になるはずのものをその効果が発揮される前に向こうから切り込んできたと言うのが実情なのだろう。
「沈黙は肯定と受け取るぞ、第9席。なに、認めればいいのだ、全ては狂言だったと。事実として我等は驚かされた。世界中から稀少な素材を惜しげもなく買い求めるなど、容易に出来るものではない。流石は総本部、その威厳は見せてもらった。強いていえば<嵐>などという虚像を用いずともよかったのだ。説得力が増すと考えたのだろうが、いささが反動が大きすぎたな。次からは気をつけるといい」
言葉は穏やかなものだが、その声音は明らかにルーシア達を見下しているものだった。一番穏当な手段を用意してやったように見せて、実際は最も総本部の皆を嘲笑している。彼等の母親であるリエッタ師を救うべく必死で奔走した彼女の子供達すべてに唾を吐く行為だった。
こいつらをどうへこますかを考え始めた俺だが、その思考は途切れた。会議場で大きな音がしたのだ。なにかが壊れる音ではなかったから、きっとあいつが椅子を倒す勢いで立ち上がったのだろう。
「俺達をどう言おうが構いはしねえ。だが、あいつを、あいつが俺達に齎してくれた全てを否定されるわけにはいかねえんだ。こればかりは認められねぇ、これを頷いちまったら、俺は二度とあいつに顔向けできなくなっちまう。解ってくれや、姉貴」
「まったく、君という弟は。普段は乱暴なくせに、本当に大事なところだけはけして間違えない。だからママは君を幹部に据えたんだろうね。解っているよ、彼は私たちクランの仲間、家族だ。第4席、他ではどうか知らないが、総本部は家族をけして見捨てないのさ」
……二人とも、そんなお人よしじゃ幹部やれねえぞ。そんな奴知るか、がどう見てもここは最適解だろうに。まあなんだ、どうやら俺はこのクランの仲間として彼等に認めてもらえたらしい。
ならば俺は彼等の仲間として取るべき行動をするまでだ。
「ほう、では認めるというのかね? 総本部は<嵐>と共に神の薬を作り出したと」
「それは……」
その時、俺は会議室の扉を勢いよく蹴り開けた。
「よくぞまあ他人の話題で随分と盛り上がれるもんだ。せっかく本人がここに来てるんだ、俺に聞けば話は早いだろうが!」
「君がどうしてここに!」「ユウキ!! 来てくれると思ってたぜ」
会議に乱入した俺に視線が集中する。歓喜、興味、驚愕、畏怖、憎悪、内容は様々だがルーシアよ、君が諦観の表情を浮かべている理由を聞いてもいいかな?
別に俺は君が危惧するような残虐な事をするつもりはないぞ。
ただちょっと性根の曲がった彼等と腰を据えて”お話”がしたいだけなのだから。
楽しんで頂ければ幸いです。
すみません、クランの話が最後まで終わりませんでした。
本筋でないのでさっさと北へ戻って終盤戦を開始するつもりです。
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