奈落の底から 16
お待たせしております。
「私は反対だ。このような戦いは承服しかねる!」
俺は明日の朝一にでも早速マギサ魔導結社に出向くため自分が一時抜けることを王子に報告すべく彼が陣取る指揮所へ向かっていたのだが、その中からなにやら揉め事らしい騒ぎ声が聞こえてきた。
「そのような事を言われても困る。我等は既に計画通りに動き出しているのだ」
「だが殿下は何のために我等がここへ派遣されたとお考えか。我等に相応しい戦場を整えていただきたい」
この声の主には覚えがある。いつだったか初めて彼等と出会った時も似たような揉め事を起こしていて、騒いでいたのがこの男だったのだ。”悠久の風”のリーダーであるフランツだろう。初対面のときも”美の館”で権力を笠に押し入ろうとしていた。
俺は湧き出てきた頭痛を感じつつため息とともに指揮所で足を踏み入れる。天幕の中は張り詰めた緊張感が漂っていたが全てを無視して王子の元へ足を進めると俺を見つけた王子は露骨に救われた顔をした。
「おお、来たかユウキ。フランツ殿はお前の立てた作戦がお気に召さぬらしい」
「まったく、後から来て今更何を騒いでいるかと思えば。第一、あんたらが望む戦場ってのが想像できないんだが?」
俺はいかにも面倒だといわんばかりの大袈裟な態度でそこらにあった椅子に腰掛けた。指揮所には王子やその側近たち、そして視界の隅にアリシアとミレーヌの姿が見えた。パーティーの頭はこの喚いている長兄であると聞いているが、実行者であるアリシアが会話に参加する素振りはまるでなさそうだった。
俺が鬱陶しさを隠さずに尋ねたので答えるフランツの顔も剣呑なものになっている。
「決まっている。アリシアの能力が最大に発揮される環境だ。多少名が知れるようになって調子に乗っているようだが、その程度の事もわからんのか?」
「その環境とやらが望みなら勝手に動けばいいだろうが。こちらはあんたらを最初から戦力の勘定に入れていないから好きにしろ。ただし、こちらの行動にも口を出すなよ?」
「なっ!」
俺が最初に釘を指した事でフランツの顔色が変わった。追撃の必要があるかは微妙だが、口にしておく事にした。
「どうもあんたは正門を開けてあの魔物どもを真正面から叩きたいと考えているようだが、自殺したいなら自分達だけでやれ。こっちを巻き込むな」
「ほ、北国の戦士たちは勇猛な豪傑揃いだと聞いていたが、噂に過ぎんようだな。このような男の指示に唯々諾々と従うようでは話にならん! ここにいる戦士団の長達よ、我こそはと思う勇者はいないのか? 今なら”悠久の風”と共に栄光と名誉を望めるのだぞ!」
俺では埒が開かないと見たフランツは指揮所に詰めていた戦士団の者達に支持を訴えたが、残念ながら彼の激に応じる者は誰一人としていなかった。
「な、何故だ。皆、何故こんな得体の知れない若造の言葉に従うのだ」
「連中の名誉の為に言っておくが、集まった戦士たちは本当に血の気の多い連中が多くてな、さっきのあんたと同じ事を言い出したよ。この戦力差を考えずに討って出たいとか寝言を抜かすから俺が城門の外に放り投げて実際に体験してもらった。死ななきゃ直らんほどの馬鹿がいなかった事は救いだが、その甲斐あって誰もが俺の方針に納得してくれたぜ?」
「あの城壁の高さを素手で投げ飛ばせるお前の力に恐れをなしたのだ。戦士たちは力を重んじるが故に強者には従うからな」
あれは傑作だったと笑う王子も中々に豪胆だ。ゴネていた戦士たちもお仲間が宙を舞って放り出される姿を見ている内に借りてきた猫のように大人しくなってしまったのだが。
「だが、我等はこの戦いで結果を残さねば……」
「おたくらにも事情はあるんだろうが、ここは従ってもらうぞ。それに今出てきている魔物は下級の雑魚だぞ? 日が経つに連れ魔物は魔物の質も上がるらしいから、あんたら腕利きの出番は後半だ。その時には生き残る為に嫌でも功名を稼ぐ事になるだろうさ」
今日討伐されていた黒狼が持つ魔石は最下級の所謂クズ魔石で等級外の扱いになる。それでも銀貨2枚ほどの買取になるので戦士たちは率先して剥ぎ取っていたが、あと10日もすれば誰も見向きをしなくなるだろう。
「そういうことなら従おう。だが、大物は優先的に回してもらいたい」
「状況次第だな。だが、最後は選ぶ必要もないくらいの化物が押し寄せてくると見ているぜ」
不敵に鼻を鳴らして俺に背を向けたフランツを横目に王子に声をかけた。
「王子、そういえば彼等の宿の手配は?」
俺の問いに王子は側近に視線を向けたが、その答えは俺の想像通りだった。
「正直申しまして、立場のある妙齢の女性二人に相応しい宿はこの町には……」
側近は最後に俺を見た。まあそうなるんじゃないかと思って声をかけたので不満はない。
兄が去ってもこの場に留まっているアリシアとミレーヌもこちらを見ているのがわかった。改めて見ると二人とも誰もが認める美女と美少女だ。男女比が酷い事になっているこの地では安心して眠る事も難しいだろう。
実の所、戦士団の到着と共に各種行商人、とりわけ野郎相手に特殊な商売を行う女達も追随して来てはいる。だが数は100人程度と少ないし、彼女達を買う金も戦士たちがここで稼ぐ予定なので本格稼動はこれからだ。戦場における欲望の発散は士気と規律の維持に非常に大事なので彼女達の商売繁盛のためにも今日から稼ぐ事を許可した側面もある。
勿論それら行商人達も手持ちの食料は乏しく、ここで食いつなぐ予定だったそうだ。おかげで食料の枯渇は酷い事になっている。
「ユウキ、すまんが頼めるか?」
「まだ部屋には余裕があるし構わないが、姫たちへの説明は王子から頼みたい」
俺もサラとロロナの姉妹のところに顔を出すくらいしかあの館には近寄っていないので、面倒な説明をする適任者にお願いする事にした。
「それが筋であろうな。それにしても、面倒なものだな」
Sランク冒険者の扱い辛さに微妙な言い回しで苦言を述べた王子に俺も苦笑で返した。問題はあの野郎は別にSランクでもなんでもないということだが、当の本人が一言も言葉を発していないことだ。ライカやユウナから彼女の事は聞いていたが、こりゃ相当だな。
「ギルドの体面のために派遣されたようなものだし、適度に配慮してやらんといけないのは確かに面倒だ」
「この立場ゆえに慣れていることではあるがな。して、こんな夜に理由も無く訪れるお前ではあるまい。なにかあったのか?」
「ああ、そのことなんだが……」
俺はここに訪れた本来の目的、ライカールの王都に向かうので明日不在にする許可を得たいと申し出たが、王子は渋い顔をした。
「ポーションの事は姉妹からも報告を受けていた。その解決の為に動いてくれるのは有難いのだが、明日はお前が約束していた物資が届く日であろう? 明日になって本人の姿が見えぬとあってはな」
しまった。そうえば明日到着するって話になっていたんだった。実際のところはいつでも食料を送り込める態勢にはなっていたので日時まで詳しく覚えていなかった。到着に時間が掛かると言ったのも手間を考えれば必要な事だし、腹が満ちた時に届くより多少飢えた方が有難味が増す程度の認識しかなかった。
「確かに俺が逃げたように見えるな。王子の言うとおりだ、出発は到着後にした方がいいだろう」
「それで、予定としてはいつごろ到着の見込みなのだ? 私も既に幾度となく質問責めでな。教えてくれると有難い」
「まず間違いなく昼前には着くはずだ」
近場までレイアが転移環を置いて移動するだけなのでやろうともえば今すぐ可能なのは黙っておこう。
それに考えてみれば魔物が取り囲むこの町への到着時には正門を開けて招き入れる必要があるから結構手間が掛かるはずだ。これは俺が諸々掃除して指示を出さなくては話にならないな。
「そうか。食料の不安が除かれ、ポーション問題が解決すれば戦いの準備が整ったといえるだろうな。全てお前の貢献で成し遂げた事だ、この礼は必ず、しかしまずこの場は余が譲った方が良かろうな」
王子は俺の背後に視線をやると僅かにうなずき、側近達を連れて指揮所を離れた。振り向いた先には二人の女性がいる。
「あの、姉が本当にお世話になったと聞いて……」
おずおずと俺に話しかけてくるアリシアの様子はとても最強の証であるSランク、いや冒険者にさえ見えない。平和な都市にいるお嬢さんが無理して装備を身につけているかのようだ。
王子の前で向口上を述べている時は人形のような無機質さを感じたが、今は相応に感情が見て取れた。
だが俺のアリシアの観察はここで中断した。
隣に立っていた僧侶のミレーヌが突然俺に跪いたのである。まさかレイアの想定通りの展開になるとは。
「ご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません。わたくしはミレーヌと申します。この度は……」
「貴女とは初対面になりますね。大怪我をされたと聞いていたが、元気になられたようでなによりだ」
長い口上になりそうだったので話に強引に割り込んだ。そのまま挨拶もそこそこに立ち去ろうとした俺だが、そうは問屋が卸さなかった。
「全て貴方のおかげです。ああ、私はこの大恩にどう報いればよいのか、答えはひとつしか思い浮かびません!」
熱狂というより恍惚の表情で訴えてくるミレーヌに隣のアリシアは唖然とした顔をしている。俺がこれまで耳にしたミレーヌの評判は理知的で落ち着いた才女というものだったし、彼女が抱く認識もそういうものだったに違いない。
「そこまでです。先ほどお話したはずですが、お忘れのようですね」
ミレーヌに圧倒されていた俺に救いの手が現れた。指揮所に忽然と現れたユウナがミレーヌの背後から底冷えのする声で彼女を威圧したのだ。
「あら、そのような事もありましたね。ですけど、この溢れる思いをお伝えせずに立ち去る事など出来なかったものですから」
俺の前に立ち塞がったユウナと完全対決姿勢になったミレーヌが静かな火花を散らしている。かつてはウィスカの冒険者ギルドで親しく言葉を交わす仲だったとはとても思えない光景だ。
レイアも指揮所に入ってきたのを確認すると俺はこの件の対応を従者二人に投げ、先に済ませておく話を片付ける事にする。
「正式な挨拶をするのは初めてになるかな? 俺は同業者のユウキだ」
始めて見えたのは”美の館”でフランツが押し問答していた時に顔を合わせてはいたが、あの時は急いでいた事もあって挨拶はしていない。
「そうですね。アリシアと申します。貴方のご高名はかねがね」
そう言ってアリシアは服の袖を持ち膝を少し曲げる貴族の礼を行った。家名もちが示すとおりレンフィールド家は元貴族だ。俺(というかライルの実家)とは比較にもならない由緒正しき家系らしいが、今は没落して冒険者なんぞをやっているわけだ。あのフランツの態度も元貴族である事が関係しているとかユウナは侮蔑と共に報告してくれた。
「君には色々と話したい事もあるが、それはいずれ時間もあるだろう。今はミレーヌ嬢と宿泊する今日の宿を案内する。見たと思うがこの町はご覧の有様でな、うら若き女性を満足に泊める宿がない」
「それは飛竜の背からも見えました。3重の堅牢な城壁に比べて都市の規模が小さすぎるのが不思議で」
どうしてこんなことになっているのだろうと、心底不思議そうな顔をするアリシアは歳相応の少女だ。とてもあらゆる魔物を一刀両断で断ち切ってきた剛の者には見えない。
「仕方ないだろう。俺がこの町に到着した時には貧弱な木の塀しかなかったし、それも雪で半分近く埋まってたんだ。こんなんじゃ護りきれないから逃げろって言っても死んでも故郷を離れたくないってゴネだすしよ、壁で周囲を覆うしか方法が無かったんだ」
俺は言い訳のように言ったが、壁で囲む事により俺のとある仕掛けは完成した。予想では最終日辺り必要になってくるはずだが、壁のおかげでごく自然に仕上げる事ができたのは嬉しい誤算だった。
「あ、あの壁は貴方が!? そんな、あれを一人で?」
「まあそれはどうでもいい話だ。おい、二人を天幕に案内するから睨みあうのを止めろ」
ユウナとレイアの眼力に一歩も引かないミレーヌ嬢の気魄に内心驚きながらも俺は彼女達をあの宿に連れ歩く。勿論フランツの野郎は除外である。あの館は女性専用であり王子も近くの天幕で部下達と就寝している。俺はあの天幕の前で番犬代わりに寝たりアルザスに帰ったりと様々だ。
「私はただこの感謝を直接お返ししたいだけなのですけれど……」
「我が主がそれをお望みでないのは解っているはずです」
「それでは私の気がすみません。ユウナさんだって私の立場になればそう思われるはずですわ」
背後ではミレーヌとユウナが言い争っている。二人とも落ち着いた口調ながら圧が凄い。とても振り向きく事などできない雰囲気だ。
「ミレーヌの事は私からもお礼を言いたいです。本当にもう駄目かと思っていましたので、姉があんな元気になって貴方には感謝しかありません」
「あ、ああー、そうだな。元気になられたようでなによりだ」
とても薬を渡しただけで後の事は結果さえ聞くのを忘れていたとは言えない空気である。
「でもどうしてここまでしてくださったのですか? 私達は初対面も同然だったはずです。あの状態の姉を助ける為に手を差し伸べるとはとても思えません。私も貴方からの品だと聞いてとても驚きました」
「そう、そうなのよアリシア。あの行いこそまさに”聖者の施し”、聖典にある三大秘蹟にほかならないわ」
「それはいくらなんでも大袈裟ではないか?」
レイアが呆れ交じりの声を出すがミレーヌの声音は至って真面目だった。
「尊い行いを誰にも知られることなくごく当たり前のように施すことは言葉では容易くとも実行される方はまずいらっしゃいません。死の淵で絶望した私に齎された貴方の救いの手はまさに大いなる福音だったのです。あれこそはまさに大奇跡、これぞ聖者と申さずなんと形容すべきなのでしょう」
「あれ以来、姉はずっとこんな感じです。そろそろ何とかしていただけませんか?」
詰問口調でアリシアがそう訴えてくるが、彼女の顔は明るい。王子の前に跪いた時の人形めいた顔は全ての感情を殺していたのかもしれない。
「君も事情を知っているはずだろうに。俺は特になにかしたわけでも」
「ランカさんが持ってきてくれた薬がエクスポーションだと知った私達の驚きが貴方に想像できますか? 私も数年間Sランク冒険者をやっています。あれがいったい幾らするか知っているつもりです。私達の全財産をかき集めても到底まかなえない額なのに、当の貴方は気にするなの一点張りで。おかげで姉はあの有様です」
幼い頃から自分を庇ってくれた優しい従姉妹が完全に回復したので表情は明るいが、その中には姉を取られた嫉妬めいた感情も見て取れた。
だがこの件に関しては本当に俺はあまり関知していないのだ。
全ての発端は彼等”悠久の風”がウィスカ20層のボスであるキリング・ドールに壊滅の憂き目にあった事にある。11人もの大所帯パーティーだと聞いていたが、初見殺しの極みにあるあのボス相手に後衛主体の彼等は格好の餌だった。
あのボスは動き出したかと思うといきなり背後に転移して当時の俺の<結界>を容易く打ち抜く熱線を数条も放ってくるのだ。俺は相棒込みでも一人だったのでその標的は俺だけだが、大所帯で無作為に狙われたら地獄絵図が広がる事になる。
結果としてキリングドールの討伐には成功したが、あの戦いで死者5名、瀕死の重傷者が4名と悲惨な結果に終わった。
その重傷者の一人がミレーヌ嬢で彼女は熱線に手足を吹き飛ばされたようだ。心の臓の逆側だったおかげで失血死は免れたが、最初の犠牲者が彼女だったせいで回復が追いつかず被害は拡大する一方だった。
壊滅してゆく仲間に慄きながらも流石はSランク冒険者の貫禄か、アリシアがキリングドールを一撃で仕留めたが振り返った彼女の視界に入ったのは死屍類類の仲間達だった。
特に”悠久の風”は彼等の一族で構成されたパーティーで仲間意識が他よりも強く、多くの家族が一瞬で失われた事にアリシアの精神を大いに痛めつけた。4人の重傷者もミレーヌをのぞいて次々と息を引き取り、彼女も失われた自らの手足を見て絶望にくれていたという。
話が逸れるが、俺は専属冒険者の貢献の一環としてボスの基本情報をギルドに売っているので奴の情報もあるはずだ。そしてギルドは信じられないような高額でその情報を各パーティーに売りつけているそうだが、あまり売れ行きは良くないと聞いていた。俺の後塵を拝するのは彼等の矜持が許さなかったようだ。
それが原因で全滅したとしても彼等の自業自得なのでその事について俺は何も思うことはない。金を惜しんで命を失うのもダンジョンではよくあることだからだ。ただギルドはもう少し相場を考えてもいいとは思っているが。
俺に彼等の窮状を告げたのは元ギルドの受付嬢で今はウィスカの”えすて”店の店長をしているランカさんだった。彼女はギルドで”悠久の風”の担当だったこともありパーティーの女性陣と仲が良く、悲報を聞いて見舞いに訪れた彼女が見たものは悲嘆に暮れるミレーヌとその隣で呆然と佇むアリシアの姿だった。
俺は丁度獣王国に滞在している最中だったがユウナからの連絡でランカさんからの相談を受けた。彼女は俺が特殊な薬を持っている事を知っていたからだ。
そもそも俺が薬師ギルドを憎悪する切っ掛けとなったのが彼女がらみの事件であり、エリクシールの原料にもなった銀竜の爪を手に入れる事になったのもその件だった。あの気高い真竜である銀竜と知り合い、彼女の頼みを引き受けた事も今となっては不思議な縁を感じる。
とても彼女達を見ていられないので何とかなりませんかと涙ながらに語る彼女にユウナがとても同情的(受付嬢時代から仲が良かった)であり、絆された俺もそりゃ大変だと考え込んだが、ふと思いつくことがあった。
そういえばエクスポーションは失った手足が生えてくると聞いたがあれは本当なのだろうか?
眉唾にすぎる与太話だと思っていたが、幸いにも身内にそんな悲劇的状況に陥った者がいるはずもなく確かめる術はなかった。
丁度ダンジョンで手に入れた品が数本手元にあったので、たとえは悪いが彼女には実験台になってもらおうと失った手足分の2本をランカさんに渡したのだ。失敗したら後が面倒なので製品名は告げず効果があるかもしれない薬とだけ言い残し俺は獣王国に戻った。
俺の中で話はそこで終わっていた。そのすぐ後にラコンたちが新大陸に到着してあれこれ忙しく、ユウナから結果を聞いたと思うがすぐに忘れてしまい、ここで再会してあの薬ってちゃんと手足生えてくるんだと思い出した程度だったのだ。
俺にとってはお互いに得るものがあって良かったなという認識なのだが、ミレーヌ嬢は俺を拝みだしかねない勢いだ。とても本心を告げられる感じではない。
「俺は恩に着せるつもりはないから、そっちも奇特な奴もいたもんだと納得してくれ」
俺の物言いにアリシアは珍妙な生き物をみる目でこちらを見てきたが、これ以上言葉を続けるつもりはなかった。それに宿が見えてきて天幕の中に案内すると先ほどの会話は何処かへ行ってしまった。
だがレイアとユウナは非常に頑張った。その事は俺の心に記しておきたいと思う。
翌朝、俺は従者二人を連れて外周の城壁の上に立っていた。その横にはサラとロロナ、それに王子とマルグリット王女までいるし、それぞれの側近は背後に控えている。レイアとユウナ以外は出掛ける俺を見て勝手についてきたのだが、皆眼下に蠢く異様な数の敵に息を呑んでいる。
「なんて数なの。本当に魔物だらけ……」
無意識に俺の服の裾を掴んでいるサラの呟く声には恐れが多分に混じっている。
「今日で6日目だが、数はもっと増えるようだぞ。過去の事例だと15日目が最大らしいな」
「嘘でしょ……今でも数え切れないくらい多いのに」
<我が君、現状で8万ほどの数になるかな?>
<ああ。本当にどこから沸いてくるのか不思議だな。これでもまだ魔境からの魔物は姿を見せてないってんだから困るな>
<ですがユウキ様にとってはこの程度の魔物は100万匹であろうが物の数ではありません。恐れる必要は微塵もないかと>
事実としてユウナの言う通りなので俺にとってはこいつらを換金すれば金貨何万枚になるのだろうとしか思っていない。
だが俺達が朝っぱらからここで敵を眺めているのには理由があった。そしてそれを知る王子たちも野次馬にやってきたというわけだ。
「ユウキよ、まだ朝早い時間だが、もう到着するのか?」
「ああ、こっちの状況を知って夜を徹して移動してくれたようだ。もうじきだと連絡があった」
実際は夜明けに野営地を作ってそこから転移環で移動してくるだけの話だが、王子たちには彼等が苦労して運んできたと印象を植え付けたい。恩を売るなら出来る限り高く売りつけるのが鉄則だ。
「なんと! 今の時期は慣れた我等でさえ夜間の行動を恐れるほどなのだというのに。我等の窮状を知っての行動、深く感謝するぞ。皆も彼の者達は丁重に扱うように、いいな!」
食料不足は士気に致命的な影響を及ぼすし、この場合は王子の支持に直結する。彼が到着を誰よりも渇望しているのは明らかだ。
背後の側近達も同様だ。王子は名声が地に落ちるだけだが彼等は首が物理的に離れる危機にあるのでその瞳は真剣そのものだ。
「だが、間もなく到着するとしてどのように迎え入れるのだ? 周囲はこの有様であるが?」
豪奢な純白の襟巻きを見につけた豪華な女、マルグリット王女が魔物で埋め尽くされた外周を手で示した。
「そういえば私が驚く方法でやってくるんだっけ? 空でも飛んでくるのかな?」
「いい線いってるぜ、サラ。結果は見てのお楽しみだ。王子、そろそろ準備するから下の戦士団の野次馬共に散るように命じてくれ。当たり前だが彼等を迎え入れる為には正門を開けなくてはいけないからな」
俺が当然のことを告げたのだが、王子達は完全に固まってしまった。
「なに!? お前が自信満々に任せろと言うから詳しく聞いてこなかったが、正門を開けるのか!? そうなれば魔物が押し寄せてくるではないか!」
「何万匹来ようが全部倒せば問題ないだろ。さ、準備だ準備。動かない奴に食わせる飯はないぞ」
準備と言っても俺が門を空けるために必要な人員の配置を依頼するだけだ。戦士たちは戦いの準備を行う者もいたが、これは彼等の予定にない行動なので俺が対応するつもりだ。
「ねえ、いつ来るの? 方角はこっちでいいんでしょ?」
<マップ>で状況を随時把握できる俺達と違ってサラとロロナは不安げに遠くを見ていた。距離的にはそろそろ見えてくるはずなので双眼鏡を渡してやる事にした。
「あの方角だ。よく見てな、面白いものがやってくるぜ」
王子達も俺が贈呈した双眼鏡を構える中、俺の指示した先を見据えるサラが不意に叫んだ。
「え、あれのこと!? なにあれ、なんか浮かんでるみたい!」
俺からは未だ豆粒以下の点にしか見えない存在が三組、高速で滑るような速さでこちらに向かってきている。
「あれは! まさか噂に聞く空飛ぶ絨毯か! なるほど、宙に浮くのであれば、路面がいかに荒れていようが問題ないわけか! 馬車や橇では出せぬ速度だ」
「だがこのままでは魔物の群れに突っ込むぞ。ユウキ、どうするつもりだ?」
王女がはしゃいだような声を上げるが、王子の声は深刻さを保ったままだ。
「どうするって、そりゃ道を作るだけだろ。ほら、みんな危ないから離れろって」
サラ達を手で周囲から追い払うと間もなく先頭の絨毯が接敵しそうだ。
じゃあ今日の掃除を始めるとしよう。
「はは、ははは。これが<嵐>! 強いはずだ。あれほどの戦果を残せるはずだ。見ろ! 敵が、敵が割れてゆくぞ」
生み出した百を越える光の矢が彼等の進行上の敵を打ち倒して道を作ってゆく。感情が飽和したような王女の言葉を聞き流しながら4桁を超える敵を次々と打ち倒してゆく。
レイアとユウナには撃ち洩らしの掃除を依頼していたが、絨毯に乗る護衛たちもそれぞれ魔法攻撃を放って近場の敵を倒しているので俺はむしろ<範囲指定移動>で倒した敵を回収する余裕さえあった。資金稼ぎにもなるし、魔物が魔石を食らって進化を防ぐ意味もある。どうせ後半には進化した敵ばかりになるのだから、今から面倒を増やすことはない。
輸送集団には俺が何とかするから絶対に速度を落とさず突っ込んで来いと命じてあったし、いざとなれば護衛の彼女達が絨毯を操作できるのでそこは信頼していた。
しかし俺は思い切り渋面を作っていた。俺の想定より魔法攻撃している人数が多いのだ。<マップ>で確認したところ、想定外の人間が5人も乗っている。特にあの2人は後で説教だな。
「門を開けろ! それとお前ら邪魔だ! 轢かれたくなければ端に寄れ!」
散れといったのに魔物に備えて正門前で武器を構えていた連中に向けて怒鳴ると戦士たちは蜘蛛の子散らすように場所を空けた。俺が持つ魔法の絨毯は簡易な結界を構築する改造を施しているのでぶつかると戦士たちが跳ね飛ばされることになっただろう。
俺の魔法が正門前の魔物の集団を全て吹き飛ばすのと同時に重い音を立てて落とし格子が上がってゆく。
しかし知ってはいたが豪胆な人だな、速度を全く落とさずにこちらに突っ込んでくる。そしてようやく半分ほど上がった正門の隙間から物凄い速度で滑り込んできた。残りの二枚も同じような速さで続き、むしろあまりの出来事に扉の開閉が間に合わず、しばらく正門が空いたままになってしまったくらいだ。
もちろん、その隙に大量の魔物が入り込んできたが、それらは残らずレイアとユウナによって倒され、その処理は周囲の戦士たちに任され彼等は臨時収入を喜んだ。
「まさか貴方が直々においでくださるとは思いませんでしたよ、エドガーさん」
「ようやく私がお役に立てる機会が巡ってきましたもので。年甲斐もなく張り切ってしまいました」
俺は本心からの驚きを胸に絨毯から降り立った彼を出迎えた。各所から物資を掻き集める作業をお願いしていたが、彼ほどの立場になると総責任者のはずでこんな最前線に出張ってくるとは思っていなかった。この輸送もきっと彼の店の有望な若い者が主導していると思っていたからだ。
だが彼の本業は冒険商人。誰もが敬遠するような遠隔地、秘境に足を伸ばして高額商品を売り捌く凄腕の商人だ。それも全盛期のシロマサの親分さんの杯を受け、直参となるほどの男なので勇気に不足などあるはずがない。その彼が参加しないと言うのも無理かあったか。
俺としてもこれ以上ない援軍に頬が緩むのを抑えきれなかった。彼が居てくれたらこれから行う厄介な冒険者ギルドとの折衝をすべて任せてしまえるからだ。
「本当によく来てくださいました。百万の味方を得た思いですよ」
「勝手をしましたので御叱りを受ける覚悟で参りましたが、微力ながらお力添えをさせていただきます」
「お師様。御下命の通り、現着いたしました。欠品、欠員共にございません」
続いて俺の元に走り寄り報告してきたのは一番弟子のキキョウだった。彼女たち”緋色の風”はエドガーさんが護衛を依頼したらしい。普段から彼に大層世話になっている彼女たちはその依頼を一も二もなく引き受けてここにいる。
「ありがとう。流石の仕事だな。君たちに手抜かりはないようだが、報告は正確に行え。欠員ではなく増員があるようだが?」
俺が渋面を作って背後に向けて指を向けるとキキョウはとたんに恐縮した。まあ彼女に非は何一つないのであろう事はわかっているが。
「あ、あの申し訳ありません、お師様。これはその……」
「詳しい話は後にしよう。まずは王子への紹介と現物を確認させないと周囲が落ち着かないからな」
俺達を取り巻く十重二重の人垣の視線は彼等が持ち込んだ物資にあるはずだが、3枚の絨毯の上にはそれぞれ大きな木箱が3つほど乗っているだけに過ぎない。これではとてもここに集う約7千人の胃袋を賄う事はできないと考えるだろう。
「ユウキ、その者達の紹介は後で受けるとして、肝心の物資の話をしたい。見る限り、その木箱が9つだけようだが?」
「ええ、これが用意した全ての物資になります」
丁寧な口調で王子に応じると周囲から何とも言えない不穏な空気が充満した。
「なんだ、あの野郎。大口叩いておきながらあの程度かよ」「冗談じゃねえぞ。たらふく飯が食えると聞いてこっちは今日まで我慢してきたんだ」「舐めんてんのかあの野郎、俺達をペテンにかけやがったのか」
呟くような声音だが不穏な内容が幾つもこぼれ落ちるのが聞こえた。俺に言わせればこの状況で悠長に大量の荷馬車を使ってえっちらおっちら運び込めると思ってやがったのか、と声を大にして言いたい。
「ユウキ、これはどう説明するつもりだ? 事と次第によっては余も考えがあるぞ」
王子の言葉はこの場の者達全ての言葉を代弁したものだろう。だが俺は露骨に肩を竦めるだけだ。
「まさか不満を口にするとは思わなかった。俺は皆に約束したはずだ。一万人を一年間養える食料を提供すると。それを成し遂げたのに文句が出るとはな」
溜息をついた俺は木箱に近づくと釘で封をされたそれを力任せに引き千切った。多くの仕切りで区切られた箱に詰められていたのは大きな麻袋だった。その袋は棒のように丸められ1箱に大体60個の麻袋が入っている計算になる。
当然というか、魔力を纏うそれに最初に気づいたのは見慣れている王子だった。
「ま、待て。その袋、まさかと思うがマジックバッグか? その箱に入っている全ての袋も?」
俺はエドガーさんに頷くと彼は若者と共に地面の上に大きな敷物を敷いた。俺はその上に立つとマジックバッグの中身を盛大にぶちまけた。
マジックバッグにも色々な種類がある。俺が重宝している時間停止型、如月の私物と化している時間加速型は非常に珍しいが、世に最も価値があると思われている型はやはり極大拡張型だろう。
元となるバッグの数百倍は優に納まるとされるマジックバックの真骨頂とも言える品だが、相応に値が張り数を揃える事は難しい。
だがここにいるのは俺が世界最強商人と太鼓判を押すエドガーさんである。彼はその貴重な極大型を当たり前のように数百個手配し俺の依頼で転移環を駆使して世界中で大量の物資の買い付けを行った。今年は新大陸で豊作だったことが幸いし、さらに彼の話術で捨て値に近い額で穀物が手に入ったし、足りない物は創造で補った。環境層の品が使えれば楽なのだが、ギルドの権益に触れるので今回は除外してある。
懸念されていた移動手段もセリカが荷馬車ではなく空飛ぶ絨毯を提案した事で一気に解決し、今日という日を迎える事になった。
俺の目の前には大量の小麦が山となっている。誰もが息を飲む中、これ以上は敷物からはみ出るほどの量を示してみせた。次に取り出したマジックバッグの中には一抱えもあるような大きなオーク肉の塊がゴロゴロと転がり落ち、またある袋からはワインの大樽が幾つも姿を見せた。
その頃には先ほどまでの不穏な空気は熱気にも似た声なき歓喜に変化しているのを読み取り、俺は声を張り上げた。
「見ての通り、ここにはお前達が食いきれないほどの飯を用意した。肉や酒もたらふく食わせてやる! だがな、俺はタダ飯を食わせてやる義理は無ぇ。肉を食いたきゃ金を稼げ、酒を飲みたきゃ敵を倒せ! 金なら外に敵が幾らでも湧いていやがる! お前ら、後はわかってんな!? やることはひとつだ、敵をぶち殺して美味い飯を腹一杯食うぞ!」
俺の激に男たちは周囲に蠢く魔物も慄く怒号のような歓声で応えたのだった。
「まったく、手間取らせやがって」
エドガーさんたちに物資の管理を任せて俺は説教をくれるべく魔法の絨毯を畳んでいる連中のいる場所に向かっていた。
俺が近寄ってくる事に気付いた馬鹿一号がその端整な顔を引きつらせて姉弟子であるキキョウの背に隠れようとして、俺の前に突き出された。我が一番弟子はなかなかに容赦がない。
「ライカ、何でここにいるんだよ」
「えっと、師匠。怒ってません?」
上目遣いで俺を見てくる馬鹿弟子ライカに俺は冷たい目で見下ろした。
「お前には特に怒ってないが、来るなら来るで先に連絡入れるなりなんなりしろよ。それに凛華に許可は取ったのか? お前を他国に出さない方針だったはずだろ?」
ライカがSランク冒険者をやっている理由は主に二つ、自身のお家再興と幼馴染にして主君でもある凛華への政治的援護射撃だった。その二つが無事解決したのでライカが冒険者を続ける意義はほぼ消えたが、その立場ゆえに今すぐ引退ともいかない。だが無鉄砲なライカの身を感じた凛華が無茶をしないようにその活動に大きな制限をかけていた。特に外国への移動は絶対に許可しない方針だと聞いていただけに俺は今回最も役立つライカを助っ人に呼ばなかったのだ。
「あ、それなら凛様は師匠がいるなら行っても良いそうです」
つまりライカの面倒を俺に見ろということか。保護者か俺は? いや、師匠だから保護者みたいなものか。
「それにアリシアも来てるって聞いたし、今のあの子を戦場に出すわけには行きませんから」
ライカとアリシアは仲の良い友人だと聞いているので彼女の事が心配だったのだろう。
「お前は立場があるんだから、ちゃんと手順を踏めって。後でギルドに顔出しに行くぞ、だが来たからには手伝ってもらうからな」
「もちろんです。どう見ても私向きの戦場でしょうここ。お役に立ちますよ!」
良かった、怒られずにすんだと胸を撫で下ろしているライカを尻目に俺は本命の馬鹿2号に近づいた。こいつに関しては本当に何故ここにいるのか理解できない。
本人も後ろめたいのか護衛二人の後ろに隠れるようにしているが、俺はアインとアイスに同情の視線を送ると友人の二人からは苦笑が帰って来た。何かまずいってあの眼鏡女、メイドのティアナまで連れてきてやがるのだ。きっとあの子が離れないと言い張ったのだろうが、普通はそこで諦めろよ。
怒りの気配を滲ませる俺に開き直ったのか、腕組みして俺を迎える眼鏡女だが、その顔は若干ひきつっていた。
まったく、これからクランに出向こうってのに余計な面倒増やしやがって。
「さて、何故お前がここにいるのか聞かせてもらおうか。俺が納得できる理由を期待しているぞ、セリカ」
楽しんで頂ければ幸いです。
あけましておめでとうございます。
昨日の内に上げるつもりが間に合わずこの有様です。昨年の不調を証明するような話で申し訳ない。何とか休みの内に明日も続きを上げたいものですが、その場合は文量が減るかもしれません。
私事ですが昨年は休日が変更になりパソコンに向かう環境が大きく変わってしまいました。週二が全く維持できず申し訳ないのですが、社会人には厳しいものがあります。
分量を減らしてコンスタントに出すか、纏めて出すかは永遠のテーマですね。私は分量短いとこれしかないのか!と怒るタイプの人種なので。
今年もあれやこれやとあると思いますが皆様もどうか御自愛くださいますよう、これを御挨拶とさせていただきます。
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