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奈落の底から 12

お待たせしております。



「まっしろ!!」「かぜがつめたいの!」「おお、確かに白い世界じゃ。これが雪国か、面白いの」


 俺が止める間もなく年少3人は銀世界に突撃していった。どうも最近、夜半に吹雪いて翌朝にはすっかり止んでいる日々が続いているようで俺が番犬をしているポーション屋の裏庭は陽光にきらめく白銀の世界が広がっていた。

 これを見て駆け出さない子供は少ないだろう。獣の血が叫ぶのか、キャロが真っ先に雪原に走り出して雪に足を取られてぽてっ、と転んだ。しかし雪が衝撃を受け止めてくれたようで本人はけたけたと笑っている。こちらの雪はさほど重くない粉雪である事が多く、その分地吹雪になると視界が完全に無くなるのは初日に訪れた時で思い知っている。

 頭から雪に突っ込んだキャロが顔を上げると黒兎の獣人であるあの子が真っ白になっている。あーあ、とため息をつく間もなくシャオと彩華も雪に挑みかかった。


「しろいの、すごいの!」「おもしろーい」「突撃じゃ!」


 この3人は始めて見る銀世界に大興奮だった。獣王国は雪など降らない温暖な気候だし、それはオウカ帝国も同じだ。広い国土を持つ帝国では雪の降る地域もあるそうだが、彩華の住む帝都では雪など滅多に降らないという。

 シャオが住んでいたレン国東部も多少雪が降っても積もる事などないと聞いていたので今俺が滞在する北部は雪で一面真っ白になると話すと目を輝かせたのだ。


 みんなそうなってしまえは俺にこの暴走3人衆を止める術はない。行きたい、見たいと口を揃えられたら頷かざるを得なかった。幸い俺が間借りするこのポーション屋は裏庭に広大な庭を持っていたので案内するのに丁度よかった。


 ちびっ子3人は雪に大はしゃぎだ。駆け回ったりお互いに粉雪を掛け合ってりして遊んでいる。俺は寝床にしている納屋の近くにある長椅子に腰掛けて歓声を上げる3人を見つめていた。隣にはその光景を見つめるイリシャが座っているが、俺は妹に声を掛けた。


「なあ、イリシャ。その格好寒くないのか? 何か着ろよ」


 俺の妹は神殿で過ごす格好のままこのこちらにやって来たのだ。傍から見ても暖かい姿には見えず、こっちか不安になってくるくらいだ。その膝の上には丸くなっている飼い猫のクロがいる。こいつはさっきから寒いニャ、動きたくないニャとしか言っていない。


「だいじょうぶ、こうするから」


 やはり寒かったのか、そう返事をする妹はなんとそのまま俺の上着の中に体を入れてきたのだ。


「これであったかい」


 そりゃそうだろうけど……何してるんだ、我が妹よ。しかしイリシャの体は冷え切っていた。きっと寒さを我慢していたのだと思い、とりあえず暖めてやらねばならない。


 もしかして俺の服の中に入るためにわざと薄着だったのかと目で問いかけると妹は思いきり視線を逸らした。


「こんなになるまで我慢しやがって。こら、イリシャ」


 軽く頭をぐりぐりしてやると身を縮こませる妹だが、その体は俺に強く抱きついて離すつもりはなさそうだ。


「あーっ、おねえちゃんずるい、シャオもやる!」「キャロも!」「妾もじゃ!」


 イリシャが俺の服にくるまって暖を取っているのを新しい遊びだと思ったちびっ子達がこちらに駆け出してくる。


「まて、落ち着けお前達、うわ、冷てっ! キャロ、服の中に入ってくるな!」


 先ほどまで雪の中を転がったりしていた子供たちがその粉雪もはたかずに俺に殺到してきたのだ。特にキャロは俺の下着をまくって素肌に頭を突っ込んできた。そのままもぞもぞと内部に侵入してくるが、毛皮に覆われた黒兎獣人であるキャロは自身に大量の粉雪を纏わせている。<適温調整>は俺の周囲の気温を最適に保ってくれるが、素肌に氷を押し付けられて冷たさに驚かない訳ではないのだ。


「ゆーきおにーちゃん、あったかいの」


「お前達、せめて粉雪を落としてから突っ込んで来いよ。冷たいだろうが」


 あまりの仕打ちに文句を言った俺だが、彩華に鼻で笑われてしまった。


「ふん、何を言う。オウカ帝国皇帝の抱擁じゃぞ、もっと嬉しそうにせんか」


「6歳児に抱きつかれて喜ぶ趣味はない。15年くらい後になったら有難がってやる」


「むう、なんと不敬な奴じゃ、これでも食らうがよい」


「うわ、おまえそれはやめろ!」


 この暴君は恐ろしい事に冷え切った手で俺の腹を触ってきたのだ。思わずイリシャを抱えたまま飛び上がってしまうが、俺に捕まった4人は大はしゃぎだ。


「おお。見かけによらず鍛えておるな。ふむ、腹が割れておるではないか」



「あんたら、他人の家の裏庭で何やってんのよ!」


 俺達の騒ぎ声は五月蝿さに怒ったサラが乱入してくるまで続いたのだった。





 俺が何者か理解しているサラは突然子供達をつれてきて遊ばせろと言い出しても呆れただけで許してくれたが、キャロの姿を見るなり愛らしさに負けて抱きしめていた。

 ラビラ族を見るのも始めての彼女はこんな可愛い生き物がいていいのかしらとしばらくあの子を離す事が無かったほどだ。


 庭で遊ぶ事は事前に許可を取っていたのでサラもはしゃぐ声は気にしてなかったようだが、俺が3人の仁義なき攻撃に悲鳴を上げたので何事かと思い駆けつけたという。

 そしてそこで見たものといえば自分の服の中に子供達を入れた俺という何とも言いがたい光景に額を押さえてこっちに小言を言ってきた。


「ちょっとあんたね、今の状況解ってんの? この町の、私達の生きるか死ぬかの瀬戸際なのよ?」


 先ほどのキャロに対するお前さんの行動も相当あれだったぞ。


「は? そんな大事じゃないだろ」


「国中から騎士や戦士がやってきて戦いの準備してるのよ。これが大事じゃなくてなんだって言うのよ!」


「何のために俺がここにいると思ってる。後はどれだけ来ようが敵を迎え撃つだけなんだ、単純な話さ」


 俺の事も無げな言葉に何度か口を開いたり閉じたりしていたサラだが、非常に大きなため息をついて机に片肘をついた。


「はあ。そのものすごい自信、あんたじゃなきゃ頭を張り飛ばしているところよ。やっぱり歴史に名を残す人物ともなると感性が一般人と違うのね。これが英雄って人種なのかな?」


 最後は小声すぎて聞き取れなかったが、何を言いたかったのかは解った。

 しかしそこは明確に否定したい。


 俺は英雄や勇者などではない。つまらん謙遜ではなく、そんな馬鹿馬鹿しい存在に成り下がる気はないのだ。




「で、なにこれ、豆を煮ているの? その割に甘いにおいがするけど……」


「小豆を炊いて砂糖をいれた甘味でオウカ方面じゃ冬の定番なんだとさ」


 俺は今レイアに頼んで風呂に入れている3人のために汁粉を作っている。正確には”ぜんざい”らしいが細かい話は美味けりゃどうでもいい。

 雪の中で走り回っていた子供たちは皆汗をかいていた。本人たちは気付いてなかったが、汗が冷えると急激に体温を奪って風邪の原因になる。特にキャロと彩華は風邪でも引かせようものなら一大事だ。風呂入ってこないとおやつ無いぞと脅して無理矢理入れているのだ。


「豆を甘く煮るの!? どんな味か想像できないけど、そんな料理があるのね」


「これに具材を入れて食べる甘味なんだが、食べてみるか?」


「いいの? あの子達のために作ってたんじゃないの?」


 どこか遠慮がちな顔のサラだが、隠し切れない喜色が見える。異国の甘味に興味津々のようだ。


「二人だけ除け者って訳にはいかんだろ。きりがいい所でロロナも呼んで来いよ」


「あ、お姉ちゃんは無理かも。まだ寝てると思うし……あ、別にあんたがくれたエリクシールのレシピに夢中だったわけじゃないわよ。別の理由だから」


 最後はどこか不安げだったサラの言葉の意味を考える。一番可能性が高そうな心当たりを口にしてみた。


「あまりにも男が増えまくったからな、姉妹二人だけだと心配にもなるだろう」


「だ、大丈夫よ。あんたがいてくれるんだもの、そこはぜんぜん心配してないわ。ポーションの追加注文を貰った薬草でこなしていただけだし」


 その言い訳に俺は眉を顰めた。事実ではあるが、それも全てではないのだろう。薬師は基本的に夜製薬をしない。睡魔が与える影響が余りにも多すぎるからで、あれだけの腕を誇るロロナがそんな当たり前のことを知らないはずがない。

 恐らく姉は違う理由で警戒を怠らなかったのだろう。


「昨日の提案、俺は考えてみてくれと言ったが、こっちで命令にした方が良さそうだな」


 俺は昨日の内に姉妹を王子たちが滞在する宿に移動しないかと持ちかけていた。本人達が固辞したので流れたが、この町でポーションを作れる唯一の薬師を手元においておく意義は大きい。調合器具や何やらは俺が移動できるし、彼女達もこれから山ほど来るだろうガラの悪い荒くれどもと接客する事もないから利点が大きいはずだ。


「ごめん、助かるかも。私よりお姉ちゃんが心配だもん」


「解った。これ食ったら本営に顔出してくる。どの道出向く用事があったしな」


 汁粉を食べるべく駆け足でこちらに向かってくるほかほかの3人を視界に入れながら、俺は今日の予定を一つ繰り上げた。



 俺はレイアとユウナを連れて町の中心に設営された本営に足を向けて町を歩いている。これまでは閑散とした町だったが、人口の2倍近い4千人近い戦士団(戦士以外にも雑用やら見習いやらがいるので総数が多いのだ)が入ってきているので人通りは多い。と言ってもその多くは血の気の多い男どもだ。街中でうろうろされたら町の者達が不安に駆られるので宿舎を郊外に設置した目論見もある。単純に敵に近い位置に宿舎を置いた方が早く対応できるという当たり前の理屈が先にあっただけだが。



「おい、あれが?」「ああ、間違いねえ。あいつだ」「ただ歩いているだけでとんでもねえ武威だ。本当に同じ人間かよ」「あの城壁もあいつ一人で作ったって本当か?」「事実だ、俺ゃあじかにこの目で見たんだ。草みたいに生えてく石壁をよ、恐ろしい魔法使いだぜ。あれが味方だってんだから、心強いなんてもんじゃねえ」


 俺は周囲の視線を集めていた。鬱陶しいが、自分でまいた種でもあるので受け入れるしかない。それに士気向上にも役立っている面もありそうなので悪いことばかりではないが、全てが都合よく話が進む訳でもない。


「ちっ、あの野郎、調子に乗りやがって」「おい止めろ、これ以上口を開くな」「だってよう、あの野郎が仕切りやがったから俺等の団の割り当てがよ」「止めろと言っている。お前、ガンツのようになりたいのか?」「いや、それは……」


 視線で声の先の方角を見ると、関わりたくないのか男達が揃って顔を背けた。


「ユウキ様に逆らう愚かさを理解出来ていない輩がまだいるようですね」


「馬鹿は死なねば直らぬというからな。必要ならば我等が処理するまで」


 昨日の食糧配給で揉めたときに数人を見せしめにしたのだが、友人か関係者なのだろう。デカい声で脅せば思い通りになると考える愚者に現実を教えたのだが、馬鹿じゃ理解できなかったか。


「処しますか?」


 ユウナが物騒な事を言い出すので、言葉にして抑えておく。


「どうせ近い内に綱紀粛正を図る時が来るからその時の生贄にすればいいだろう。その前に魔物に食われて死んでいる可能性もあるが」


 短時間で組織を纏め上げるには強引な手に頼らなくてはならない時もある。これが王子やレギン老のような要職にあるものがやると後始末が大変だが、余所者ならそいつを後で排除するだけで済む。この件に本気で関わると決めたならそれくらいの厄介事は背負ってやってもいいだろう。



 大勢の人間が出入りし、指示を出せる場所がこのキルディスには当然ながら存在しなかった。仕方ないので昨日の内に俺が大天幕を提供し、その大きさに満足した王子がここを指揮所とすると宣言した。


 その指揮所がある中央広場の様相は昨日とは一変している。巨大な高層建築物が中央に鎮座しているのだ。巨大な物見台を設置したので、その真下に指揮所の大天幕が設置されている格好だ。

 俺が堅固な城砦を築いたはいいが、高さのある壁のせいで中から外の様子が窺えないという間抜けな事になっていたので王子達が状況把握するためにも必要な建物だった。

 そしてこの物見台、密かに自信作である。昇り降りするための階段も作ってはあるが、跳躍の魔導具を用いる事で一足飛びに最上階に到達する事が可能になっているのだ。当人の魔力を使用するので使い倒せるのは限られた人間だけだが、指揮官級は皆貴族で豊富な魔力持ちだから問題になることはない。


「昨日はあれからも忙しかったし、ユウナは上に上がった事は無かったよな?」


「お時間をいただけるなら昇ってみたいです」


 俺達は周囲の状況は<マップ>で解るが、せっかくだし見てみようという事で寄り道する事にした。跳躍の魔導具はその名の通りその場で高く跳ね上がることができるが、その気になれば前にも横にも飛べるので透明な管を通して方向を限定している。頂上に着いたら勝手に放り出される設計なのでちょいと癖があり慣れるまで大変なのだが、一度コツを掴んでしまえば圧倒的に早いので王子たちは昨日の内に使い方を習熟している。もちろん全員が俺に賛辞を送ってくれたし、王子はこの魔導具を売って欲しいと言ってきたくらいだ。ダンジョンではこういった用途不明な魔導具も産出するので俺は結構色物な魔導具も所有していたりする。


「一日でここまで増えたか。昨日の内に町を囲っておいて正解だったな」


 俺が眺める先には魔物が既に大挙してこの町に押し寄せていた。その全ては壁に阻まれているが、昨日の今日で数は倍以上に増えている。何より面倒な事に、今日はまだ4日目で事態はまだ折り返し地点にさえ到達していない。前回は15日目あたりで敵は最大数だったようだが、今回はどうなるか。


「うむ。我が君の判断が遅れていたら今の時点で絶望的な全方位防衛戦を始めていただろう。その場合はロクな防御拠点を持たぬ現状では一日と保つまい。だが既に守りを固めてるこちらは戦力を温存できている。あの城壁があればこちらで規定するAランクモンスターの攻撃でさえ傷一つつくことはない。我等はただ一つの正門を開ける事で自分達のペースで敵の殲滅を図れる。戦の主導権を握れた事は大きいが、これを理解出来ているものが何人いるか疑問だ」


「二人が解ってくれればそれでいい。彼等に感謝されたくて手を貸した訳でもないしな」


 サラとロロナの覚悟でやる気を出した俺だが、これはドーソン翁からの要請が発端だ。ならばギルド専属冒険者としての仕事は最低限しなくてはならない。


「誰もが目を剝くような大城壁を数刻(時間)で築くことが最低限だと言い張るのは世界でも我が君くらいのものだろうさ。おや、戦士たちの中には待ちきれずに戦いを始めた者達もいるようだ」


 レイアの視線の先には正門が閉じているので城壁を縄梯子か何かで外に下りてゆく者達が見えた。確かに彼等は魔物と戦い、稼ぎに来たので待ちきれなくても不思議はないが、気の早い奴等だ。


「恐らく手持ちの食料に不安がある者達なのでしょう。昨日も多くの者達がこの町に到着しました。ユウキ様が供出した物資では二日と持ちません。補給の当てがいつ来るか解らない現状では少しでも稼いでおきたいのではないのでしょうか」


 俺が王子に乞われて渡した食料はきっかり一日分だ。はっきり言ってここに集う面子を500年だって養える量が<アイテムボックス>にはあるが渡す量はある目的の為に絞っている。


「昨日もこれ以上の手持ちがないと寝言をほざいてる連中ばかりだったからな。無いなら無いで飢えさせろ。その方が後々こっちの計画がうまく運ぶ」


 必死な顔で頼み込んでくる奴等を思い出して俺は吐き捨てた。よくぞまあそんな嘘をつけるなと罵倒してやりたかったがあそこで暴れても空気を悪くするだけなので黙っていた。

 連中の食い物がないという言葉は嘘である。手持ちが少ないのは本当だろうが、全くないはずがない。


 彼等はいわば個人事業主だ。全ての面で自己責任が求められる立場の奴等がいざというときの食料を隠し持っていないはずがない。最後に頼れるのは己自身のみという境遇で冬場に食料を使い果たすという愚かな真似をするとは思えない。間違いなく最後の最後用の食い物を隠し持っている。要はそれを使いたくないだけなのだ。

 そんなの知るか、勝手に押しかけてきたお前らが悪い。あと数日で飯は到着するのだから食いつないで待ってろと言うのが俺の意見である。



 物見台から降りた俺達は大天幕に王子がいないことを知り、宿にいる彼の元に向かう事にした。昨日も訪れたので迷うことなく進み、門衛をしている騎士に話をして中に入った。そして聞こえてきたのは悲痛な叫びだった。


「坊ちゃま。ここはおひい様が過ごされるような場所ではございません! なんとかしてくださいませ!」


「アルマナ、そうは言うがな。これ以上の宿はこの町には存在せぬのだ」


「ではせめてもっと護衛の数を増やして下さいませ。おひいさまの側仕えとしてこの劣悪な環境は認められません。これはマルグリット様の側仕えも同意見でございます」


 話から察するにアイーシャ姫の側近がこの宿の酷さに改善を要求しているのだろう。

 正直言って俺も全く同意見だ。彼等が宿泊する宿はこの町一番という触れ込みではあるが、所詮は寂れた町の宿にすぎない。調度品がどうとか、王族の品位がという以前に安全面で非常に疑問が残る。俺が見た限りでも外からの侵入経路が窓を含めて4つあり、改善がなされているようには見えない。王子としても優先順位があるのだろうが、少なくとも俺はここにソフィアを一微(秒)たりとも滞在させたくない。男女比がえらい事になっている現状では側近達の不安もわかろうというものだ。


「揉め事のようだな」


「ああ、ユウキ。つまらぬものを見せた、場所を変えよう。アルマナ、その話は後でまたしよう」


「なりません、坊ちゃま! おひい様のご安全をどのようにお考えなのですか!」


 しかしなんだ、凄い剣幕の人だな。姫の側付きは髪に白いものが多く混じる年齢だが背筋は伸びており、姿勢の良い御婦人だ。王子を坊ちゃま呼ばわりするということはきっと幼少時から姫や王子の面倒を見てきたのだろう。王子も彼女にはひたすら低姿勢だ。


「物事には順序があるのだ。マルグリットやアーシャの懸念も解るが、今はそれどころではない事はお前も解っていよう」


「ですが!」


「会話の最中に割り込んでなんだが、俺からも頼みたいことがある。そして今の事について有意義な提案が出来ると思う」


 なおも食い下がろうとするアルマナさんを叱りつけようとした王子の気配を感じて俺は割り込む事にした。彼女は本心から姫の身を案じているのは初対面の俺でも解る。王子自身も妹の身を案じて王都から連れて来たのだ、双方が仲たがいをする必要はないはずだ。


「君が余に頼みだと? こちらから頼んでばかりだったのだ、もちろん応じるつもりだが何をさせたいのだ?」


「昨日話したポーション屋の姉妹をこちらで保護して欲しい。理由は今そちらの方が仰ったとおりだ」


 野郎が多すぎて美人姉妹が不安になっていると話すとアルマナさんがそれ見た事かと王子に食って掛かった。


「坊ちゃま。市井の民でさえ不安に感じているのです、おひい様はどれだけ不安な夜を過ごされたか」


「ユウキが渡した本を夜更かしして読んでいたではないか。いや、なんでもない、悪かった」


 眦を吊り上げたアルマナさんに王子は白旗を上げた。この気安い感じからして王子は心から信頼している相手だと解る。きっと家族同然の存在なのだろう。


「その姉妹は我等が保護する。納品された品は非常に良質で騎士達も驚いていた。あの薬師はキルディスの宝である、その才を守るのは当然の行いだ。して、君の提案とは何だ? 昨日のあれを見たのだ、大抵のことでは驚かんぞ」




「大抵のことでは驚かんと言ったばかりだが、これは流石の余も驚くぞ! 何だこのテントは! 何故中に入ると邸宅があるのだ!」


「そういう魔導具なんだよ。ここなら入り口はひとつだけだからそこだけ守ればいいから安心だ。調度も一国の姫君が滞在するのに不足はないはずだ」


 俺が持つ夜営の魔導具を宿の一室に展開して王子に中を見せたらこんな感じである。確かに古ぼけたテントの中に入ったら広い空間の中に大きな館があるのだから驚く気持ちは解る。


「素晴らしい、素晴らしいぞユウキ! これなら妹もマルグも安心して夜を明かせるだろう。何から何まで世話になって申し訳ないが、もしや君は神の遣いか何かか? 困ったことがあると君が現れてなんでも解決してしまうではないか!」


 そういえばレン国でも天の遣い呼ばわりだったな。あまりにも都合が良い存在という事だろうが、俺にしてみれば<アイテムボックス>に入れてある品を有効に活用しているだけだ。このテントもセラ先生からの貸与品だしな。


「おおっ、なんだこれは! どうなっている!?」


 背後を振り向くとマルグリット王女が勝手にテントに入ってきていた。側近は止めなかった、いやきっと止まらなかったのだろうと簡単に想像できてしまった。


「時魔法と空間魔法の合成らしいが、共に失われた技術だから良く解らん。便利で普通に使えれば俺はそれでかまわない派なんでね」


「おおっ、この扉は勝手に開くのか、これも魔導具だな。面白い、面白いぞ!」


 俺の話を聞かずに屋敷に突撃した王女は見るもの全てに感激して大はしゃぎだ。


「まあ、マルグ姉様ったら」


 続いてアイーシャ姫も中に入ってきてしまった。一応王子が代表して安全を確かめるという名目で一番乗りしたのだが、姫に続いて側近達も続々と入ってきている。俺をそこまで信用していいのだろうか?


「入口を固めておけば安全は保証されます。こちらをご利用いただければ姫君もご安心かと。もちろん中に入れる人員は厳選する必要はありますが、いかがでしょう?」


 俺は王子ではなくアルマナさんに問い掛けた。この地方でも家の外は男が、中は女の管轄だから彼女が最高権力者だ。多分王子の意見さえも跳ね除けられる。


「大変結構でございます。坊ちゃまやおひい様に対する様々なお力添え、主に代わりまして篤くお礼申しあげます」


「お気になさらず。姫殿下には私としてもお健やかにお過ごしいただきたいので」


 俺の言葉の意味を誤解しなかったアルマナさんは問いを投げかけてきた。


「ライカールのソフィア姫様、でございましたね、それほどおひい様と?」


「うりふたつというわけではありませんが。笑うとそっくりですよ」


 俺も持たされている”すまほ”には妹の写真もある。魔導具ですがと偽って屈託のない笑顔を浮かべるソフィアの写真を見せるとアルマナさんが息を呑んだ。


「まあ、これはこれは。数年前のおひい様がこのような感じでございました」


 そこからしばらくアルマナさんのアイーシャ姫自慢が始まりそうだったのでこの場を切り抜ける魔法の一言を繰り出した。


「ああ、そうそう、この館の魔法の水瓶は湯が出ますので、どうぞお使いください。石鹸などは私共の店でも売りに出している最高級品を使用しておりますので、よろしければお試しを」


「まあ、アルマナ! こうしてはいられませんよ!」


「はい、おひい様。湯浴みをされましょう!」


 二人は疾風のような速度で屋敷に突入して行った。



「やれやれ、いくつになってもアルマナには敵う気がせぬ」


「本気で二人を案じているからだろうな。羨ましい話だ」


「口煩いが、かけがえのない我が家族だ。して、何用であったのだ? この魔導具を披露しに訪れた訳ではあるまい」


 テントから出た俺達は外に向かって歩いていた。その間にも王子は周囲の側近に次々と指示を出しており、忙しい身である事は間違いない。


「この町のダンジョンを踏破していざというときの避難所を作る。ひいては最長で2日ほどいなくなるのでその連絡だ」


「な、なに? 何を言っている。ダンジョンだと?」


 俺の言葉が理解できなかったのか、問い返してくる王子にもう一度説明してやる。


「昨日も話しただろ。最悪の展開に備えて避難所を作ると。そういう意味でこの町には便利な地下壕があるだろう? それを使えるようにしてくる」


「無茶だ! この町のダンジョンは未踏破だと聞く、危険な賭けに出る必要は……目の前にいる男は最高の専門家でもあったな。死ぬから止めておけという言葉がこれほど空しい相手もおらんだろう」


「という訳で少しの間抜けるからよろしく頼む。あの姉妹だけが不安だったから、そちらで保護してくれると聞いて安心できた」


「準備を怠るなと言いたいが、賢者に説法であるな。吉報を待つぞ、町に魔物がなだれ込んできても地下に退避できるとあれば民も安心するであろう」


 その地下目掛けて魔物が押し寄せてくる理屈なのだが、余計な事は言わなくていいだろう。


 既にダンジョンのあらかたの情報はユウナを解してギルドから手に入れている。攻略者が少なすぎて大した情報が集まっていないとも。生還者が少なくて情報を蓄積し難い環境である事も手伝っていそうだ、



 キルディスのダンジョン、人呼んで試練のダンジョンは町外れにあった。周辺に民家はなく、本当に寂れた印象を受ける。これが他の町ならダンジョンを中心に町が形成されるものだ。ギルドに各種商店、酒場までもがダンジョン入口付近に集い、冒険者は遠くまで歩くことなく必要なものを揃える事ができるのだが、この町は当てはまらない。


 そういうものが一切ないので本当にここがダンジョン入口なのかと疑いたくなるが、出入り口の近くに看板が立てられている。


”これより先、試練のダンジョン。己に自信のないものは引き返せ”


「へえ、いかにもじゃん。腕が鳴るってもんだね」


 俺がダンジョンに挑むと聞いて相棒が指定席である肩の上に転移してきた。どうやら付き合ってくれるらしい。


「いいのか? 今回は俺の事情だし、リリィが手を貸してくれる必要はないんだが?」


「ユウがダンジョンに行く時は私が付いていくの。そう決めてるんだから」


「そうかい。まあなんだ、ありがとう」


 まっかせなさいと鼻高々なリリィを羨ましそうに見ているのは従者二人だ。


「こういうときこそ従者としてお供すべきなのだがな」「同感です。お供できずに何か従者か」


「このダンジョンじゃ仕方がないさ。すぐ戻るから二人とも留守を頼むぞ」


 承知いたしましたと揃って頭を下げる二人に手を振って俺は試練のダンジョンに足を踏み入た。


 いやに細い下り階段を下りつつ俺はこれまでに得たこのダンジョンに関する情報を思い出す。

 現時点で到達した最深層は92層。帰還石あり、転移門は各10層毎に設置。広さはさほどでもないが、それ故に非常に深いダンジョンであると知られている。


「扉も小さくて狭いな。大人数で通ることなんて何一つも考えてないっぽいな」


「だねえ、でも本当に珍しいね。ソロで挑むことが最良のダンジョンなんて」


 そう、相棒の言うとおり、ギルドが設定したこの試練のダンジョンの攻略推奨人数はまさかの一人なのである。



楽しんで頂ければ幸いです。


ダンジョン攻略まで進みませんでした。でも次は進むはず。きっと。


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