奈落の底から 2
お待たせしております。
空を飛ぶ行為は鳥の専売特許だ。
飛行に適した体型、風を捕まえて逃さない両翼など、まさに飛ぶ事に特化して進化を重ねてきた種族だ。
だが、その鳥も人を乗せて飛ぶという行為を為す事は出来ない。そもそも何かを乗せられるほど巨体になると重量もそれなりに嵩むし、動力源なしで風を掴んで飛ぶには自重の関係で大きさの限界が存在する。
だがこの異世界にはその常識は通用しない。西方諸島にいるというムルクの巨鳥や神の名を冠するロック鳥が現実の存在として人々に脅威を与えているし、勇気ある冒険者に討伐されて話題になったりしている。
だがそんなこの世界で最も有名な飛行生命体が飛竜だろう。ワイバーンなどと同じ亜竜に属しているがそちらが戦闘までこなせるのと違い、こちらは完全な飛行特化版だ。だがその分、信じられないような速度で飛行する事が可能なのだ。
飛竜騎士と呼ばれる特殊な技能を会得した操縦者によって操られた飛竜は各種魔法を併用する事によって凄まじい速さを繰り出せる。その速度たるや、俺が全力で吹き飛ばされている状態と匹敵する。
俺が必死で制御してなんとか出せる速さを、彼等は人を乗せて安全に飛ぶことが出来る。大陸の縦断を6刻(時間)で行えると告げた操縦士の言葉を俺は当初疑ったものだが、これほど早いならそれが事実であると納得した。
何も問題がなければ、という前提での話ではあるが。
「なあレオン。状況は悪化していると思うが?」
上空で乗客と二人きりになる事が多いこの職業、優れた飛竜騎士には必須技能であるという卓越した会話能力を発揮してこの飛竜の操縦士レオンとは僅かな時間で親しく会話する関係になっていた。
「いや、大丈夫です。方角は解っていますので、そちらに進むだけですから」
俺の懸念にレオンは答えたが、その声は不自然なほどに明るく、俺は内心の不安を増す結果になった。
「吹雪いてきたんだから無理して飛びつづける必要はないと俺は思うけどな」
「グラン・マスターからの任務は貴方を可能な限り速やかに現地に送り込む事です。その達成こそが最優先されるべき事項ですので」
このレオンと名乗った飛竜騎士だが、かなり話しやすい癖に異常なほど生真面目、いや糞真面目だ。視界が利かなくなるほどの吹雪に見舞われても俺を目的地に連れて行こうと飛行を止めないのだ。
結界の魔導具のおかげで寒気や風雪から守られているが、その分結界の表面に雪が張り付いてしまって前が全く見えない。飛行中止を提案してみたが、レオンは頑なに受け入れようとしなかった。確かに彼の言うとおり方角さえ掴んでいれば目的地にはたどり着けるだろう。現在地はまだ半分にも至っておらず、知らずに通過したなんてことはならない。
だが問題はそれだけではないのだ。
レオンの飛竜が苦しげに哭いた。もう何度目かわからないので既に数えるのは止めている。結界の魔導具が俺達乗員の空気抵抗を和らげて快適な空の旅を提供してくれているが、飛竜は対象外のようだ。
仲間外れはかわいそうだなと適当に呟いたが、レオンが答えた所では物理法則に喧嘩を売っているこういった大型の飛行生物は風ではなく魔力で飛んでいるのだという。
飛竜まで結界で覆ってしまうとその飛行能力に多大な悪影響がでるとか。それを聞いて俺はむしろこんな至近距離にいる飛竜だけ対象外にするなんて離れ業をやってのける魔導具が気になったが、こいつの製作にはあのマギサ魔導結社が関わったという驚きの事実が齎された。流石は世界に名だたる7大クランである。
話が逸れたが、飛竜は魔力を用いて空を飛ぶ。その方法はまさしく俺と同じで自重を風魔法で消しつつ自らを押し出すというもののようだ。実際は竜語魔法らしいので俺のように四苦八苦するようなことにはならない。俺の飛行は理屈の上で同じことができる仲間の皆も誰もやりたがらない危険な代物だ。玲二曰くあれはただの自殺志願者だそうだ。俺も否定はしない。
だがそんな夢の存在である飛竜にも弱点がある。自重を軽くしているおかげで強風に弱いのだ。ある程度の風なら難なく飛べるが、このような視界を覆いつくす猛吹雪だと簡単に煽られてしまう。影が強い中で大きな紙でも広げてみれば俺の指す現象はわかってもらえると思う。
それをレオンが押さえ込んでいるのだが、現状ではとても安心して見ていられる状況ではない。
「ルック、しっかりするんだ」
愛竜に声を掛けつつレオンは懐から青い物体を取り出した。何度か見ている魔法薬だ。飛竜の力を回復させる力を持つというが、多用すべき品ではない事は彼の逡巡から見てもわかる。どうみてもろくな成分は入っていないだろう。
「止めとけって。相棒なんだろ? 使い潰していい相手じゃない」
飛竜とその騎士は余人が入れないほど強固な信頼関係で結ばれている。つい先ほど聞いた話だが愛竜の世話は騎士が行うのも当然として、レオンとルックは互いが子供の頃からの家族のような付き合いだという。
今もなお家族が苦しんでいるのに、更に追い打ちを掛ける真似をしようとしているのだ。
主に俺の任務のせいで。
正直たまったもんじゃないので、俺は何度も一旦降りて天候の回復を待とうと言っているのだが頑固なレオンが受け入れないのだ。
「飛竜騎士は必ず任務を遂行します……たとえなにがあっても」
俺は彼の背中側に居るのでその顔は見えなかったが、覚悟を感じさせる声だった。何が彼をそこまで駆り立てるのか知らないが、この状況で強行されると最悪墜落しかねない。そうなれば俺も困るので”対応”する事にした。
「なあ、話は変わるんだが、実は腹を壊してな。猛烈な勢いで襲ってきてる」
「は? い、いったいなにを……」
突然変な事を言いだした俺に振り向いたレオンに言葉を続ける。彼は自らの事情で任務を降りるわけには行かないのだとしたら、別のやり方なら問題ないだろう。
「ついでに気分も悪い、今にも胃から逆流しそうだ。ここでやらかしていいか?」
「わ、わかりましたから、ここでするのは勘弁してください! 降下します」
先ほどまでの頑なさはどこへやら、レオンは俺の申し出にあっさりと従った。これまでは飛竜のルックに強風による遅れを取り返さんと無理をさせていたのだが、一転して労わるような操縦になっている。
自分から任務失敗に繋がる事は出来なくても他人、それも乗客からの申し出であれは事情は異なる。客が言いだしたのであればたとえ時間に遅れても彼に責任は及ばない。ここまで状況が悪化すれば素直に従うのも当然だった。
「やれやれ、早速足止めか。先行き不安だぜ」
猛吹雪かつ暗闇という悪条件でも着地に適した平原を見つけるとレオンは危なげなくルックを着陸させた。俺に声を掛ける前に愛竜の首元へ駆け寄った彼は不調の原因を探り始めたようだ。
「寒っ。吹きさらしの平原じゃ凍死しかねんぞこれは」
既に結界の魔導具による効果は切れている。実は<適温調節>を持つ俺は別になんでもないのだが、普通の人間であるレオンはいくら防寒に優れた飛行服を着ていても限度はある。今から人里を見つける気もない俺はこの場で作業を開始した。
「ルック。一体どこの具合が悪いんだ? ああもう、この暗さと吹雪じゃ満足に手当てもできやしな……えっと、何をなさっているんですか?」
レオンは俺を見て呆れた声を出している。何って、見ての通りだが。
「今日はここで夜営だからな、吹雪を凌げる建物を作ってるんだよ。雪や氷で作った建物だと思って馬鹿にするなよ? 火を焚けば想像以上に暖かいんだぜ?」
「いえ、それはわかります。自分も北の生まれなので。聞きたかったのはその事じゃないんです」
俺は魔法で氷を生み出し、中を整形して空洞を作っていた。雪でもいいんだが、魔法でやるには氷魔法で生み出した方が早くて確実なのだ。だがレオンが指摘したのはその大きさだろう。俺が作る氷の小屋は見上げるほど巨大だった。
「ルックも入れる大きさじゃないと意味ないだろ。無理して動かすなよ、そいつを囲むように作り出すから移動させなくていい」
あっと言う間に一軒家の大きさの氷の小屋を作り出すと、唖然としているレオンを尻目に内部の行程に移行した。精緻な細工などこさえるのではなく、床や壁部分に敷物を敷いて冷気を遮断するだけだが、これでも火を焚いて暖を取れば驚くほど暖かい。
「これが”嵐”……成程、グラン・マスターがあそこまで推す理由が理解できました」
「別にそんな事はどうでもいいよ。俺はそっちの相方の方が気になるね。随分と調子が悪そうだぞ?」
変わらず苦しげな息を吐いているルックを見るに具合が良いとは思えない。俺を見て呆けていたレオンもはっとして愛竜の世話に戻っている。俺は俺で一夜を明かす準備を始めていた。
「原因はわかったのか?」
焚き火を使って二人分の珈琲を淹れ、簡単な食事を暖めていた俺はルックの看護を続けるレオンに問い掛けたが、その顔は暗いものだった。
「解りません、しかし自分が無理をさせすぎたのが理由でしょう。ブースタードラッグの過剰摂取、それしか考えられません」
弱りきっているルックの首に手を当てるレオンは身を切られるような顔をしている。なんだ、よく見りゃ痙攣してるし口から泡吹いてるぞ。しかも<鑑定>したら死にかけてる。何をしたらこうなるんだ、さっきまで普通に飛んでたじゃないか。
「そういえば今日一日で総本部からウィスカまで飛んで、それから大陸縦断か。俺は飛竜の能力に詳しくないが、そんなに飛べるものなのか?」
俺の問いにレオンは無言で返した。まあ普通に考えりゃ無理だわな。グラン・マスター直轄ということはとびきり優秀なんだろうが、種族の壁をぶっ壊すほど異常ではないということか。
「全て私の責任です。冒険者ギルド専属になる為にルックに無理をさせすぎました……」
「とりあえず、なんとかなりそうなのか? 治る見込みは?」
「……」
俺の声には答えず、レオンは弱々しい声で鳴くルックを撫でていた。しかしその肩は震え、嗚咽を堪える吐息だけが小屋を木霊した。子供の頃から共に過ごした家族の容態は医学の知識がなくてもその最後を予感させるものらしい。
ったく面倒臭いな。ついさっき出会ったばかりとはいえ、ここで見捨てたらあまりにも目覚めが悪そうだ。
「なあ、レオン。あんた秘密は墓の下まで持っていける男か?」
「え、ええ。この仕事は様々な方を乗せますから守秘義務がありますし、必要であれば魔術誓訳で縛る事もありますね」
意図して普通の声を出そうとしているレオンに敢えて触れず、俺はルックに手を翳した。彼からは死角になっているので見えないはずだ。
「ほら、都合のいい奇跡が起きたぞ。良かったな」
「この光は、まさか! ルック!!」
先ほどまで弱々しく哭くだけだったルックが急に鎌首を持ち上げてレオンにじゃれつき始めた。俺の回復魔法は回復というか元気だった頃に時間を巻き戻しているだけなので、生まれ持った病気などには意味がない。だが今回は特殊な薬を使いすぎたためらしいし問題ないだろう。
「あ、ありがとうございます。なんと礼を言っていいか……」
地に頭をこすりつけて感謝するレオンに俺は湯気を立てる珈琲を差し出した。
「都合の良い奇跡だっていったろ。気にするなって、むしろ他言すると俺が困る。解ってくれるな?」
回復魔法の使い手はすべて治癒師ギルドに所属する決まりだ。治癒師ギルドは随分と窮屈な所らしく、所属している”緋色の風”のスイレンもあまり良い印象を持っていないようだ。俺としてもこれ以上の面倒は御免被る。
「それはもう。家族の命を助けていただいたのですから、恩を仇で返すような事は決して」
彼の顔には何故ここまでしてくれたんだと書いてあるが、俺にとってはここで飛竜に死なれると非常に気まずいから生きていて欲しかった程度の理由に過ぎない。要はきまぐれに近かったりする。
「まあとりあえずそれ飲んで飯にしようぜ。その顔はまだ任務達成に未練があるようだが、この吹雪じゃどうにもならんぞ」
大人しく湯気を立てる珈琲(そういえばいつもの癖でこの世界はまだ存在していない珈琲を出していた、素直にレオンが飲んだので話題にならなかったが)を飲みながらも、愛竜の無事がわかった途端に任務の達成が頭によぎるのはどうなんだと話を振ってみたら……色んな話が出るわ出るわ。
レオンもその若さでグラン・マスター直属になるだけあって、色々苦労をしてきたようだ。
特に直属の3騎の座をめぐって激しい争いが繰り広げられており、ほんの僅かな失敗で他の誰かに自分の座を追われることを極度に恐れていた。
そしてなにより、飛竜便はどんなときでも時間厳守が絶対であり、それは創設以来一度も破られたことのない伝統だという。
今みたいな天候の悪化だってあるだろうに、それらの障害を先程使ったような魔法薬の濫用によって乗り越えてきた。それにより喪われた飛竜は少なくないという。
そこまでして護ってきた伝統を自分が終わらせるわけにはとレオンは責任感と不名誉を恐れているが、ルックは先程まで死にかけていたんだぞと告げると黙ってしまった。
いきなり飛竜騎士の暗部を突然聞かされてしまった。稚気めいた憧れだけの存在にしておきたかった気分である。
だが今にも自殺しそうなほど落ち込んでいる俺より少し年上の飛竜騎士を見ていると、なんだか本当に色々面倒臭くなってきた。
「ったく、しょうがないな。今その憂いを断ってやるから少し待ってろ」
そう言って懐から通話石を取り出した俺は相手に話しかけた。
「ああ、俺だ。そこにいるドーソン翁に代わってくれないか?」
通話先は如月だ。グラン・マスターが来訪した最大の目的は俺やSランクのアリシアに会うことではなく、如月と会って酒を飲むことなのは見れば解った。
今は彼や仲間たち、そしてうちの姫たちと一杯やっているのを<マップ>で確認していたので彼に連絡をとったのだ。
余談ではあるが、グラン・マスターはセリカのことを知っていた。彼が千里眼の持ち主というわけでもなく、生まれがあのギルサード”王国”だったからだ。
彼は平民の生まれだが当時から歴代最強のSランク冒険者と呼び声高く、国の顔であるからして王侯貴族との付き合いもあった。その縁でドーソン翁とセリカは知り合いだったようだ。思い返してみれば総本部でそんなことを言っていた気がする。
「おお、ユウキか。早速連絡とは何かあったかの?」
レオンのは雇用主であるドーソン翁が俺と話し始めたことを知って顔を上げた。
「そちらの依頼は一刻も早く現着させろとのことでしたが、外は大吹雪です。騎士のレオンは強行しようとしましたが、俺が止めました。構いませんね?」
通話石の向こうの彼は唸った。
「お主にはできる限り早急に現地について確認をして欲しかったのだがの……」
「どの道どれだけ急いでも着くのは深夜ですよ。動き出しは朝になるんだから大して変わらんでしょう」
優雅な空の旅を楽しめたのは日が暮れる数刻(時間)のみであとは暗闇の中を飛んでいたから楽しかったかと問われれば疑問でもある。
だが今回は北部に向かうことに意味がある。俺が飛竜便に乗ることについて家族からはとても羨ましがられたが、あちらで拠点を見つければ転移し放題なのでそうすればいつでも飛竜に乗れるぞと宥めてきたくらいなのだ。
今回の目的はほぼ全てそれなので依頼自体はかなりどうでもいい。グラン・マスターにもどこまでやれるかは疑問だと告げて了承を得ている。
「それはそうだがの。天候だけはお主にもどうにもならんか」
「まるで俺なら天気さえ操れるみたいに言わないでくださいよ」
「おや、ある任務で日照りの続いた土地に雨を降らせたと聞いているが?」
ああ、あれか。報告したのはユウナか? よくあんな細かい話も覚えていたもんだ。
「雨雲を呼ぶくらいならともかく、大吹雪は無理です。それとこれは確認を求めるものであって、許可を得る連絡ではありません。」
突き放すように言うとドーソン翁も諦めたようだ。まだゴネるようなら如月に言って酒を取り上げてもらうつもりだったので、勘が働いたのかもしれない。
俺がゴネたせいで今回の依頼も相当変則的なものになっているが、これはドーソン翁が俺の要求を飲んでくれたわけで、その一つに俺の意思一つでいつでも撤収して構わないと約束させて文章化している。
だからこのような物言いが可能なのだった。
「わかったわかった。とにかく現地について情報をくれ。それとこの通話石を売ってくれんかの? 言い値で買うぞ」
暗に俺との直通回線を欲しがっているが……都合良く使い潰されそうな予感がする。
<ユウキ、そこまで心配することもないかもしれないよ。彼は純粋に君との友誼を深めたがっている。さっきから彼は君のことを褒めちぎっているからね>
<いつでも酒が手に入る環境が欲しいだけじゃないのか?>
<まあ、それもあるだろうけどね。僕は構わないよ、自分が造ったものが評価されるのは嬉しいものだし>
「分かりました。それの石は持っていてください。予備は如月からどうぞ」
如月と<念話>を交わしたあとで許可を出した。今回の依頼で彼に直裁を求めることもあるだろうから、直通回線があるのは助かるのは事実だ。
「それとそこのレオンを君に貸し出す。あの若いのの性格だと大いに責任を感じ取るじゃろうからの。代わりの任務だと伝えてくれ」
魔力を多大に食うが通話石は音声の拡大も可能だから、内容はレオンにも聞かせてある。彼は顔を輝かせた。これで俺がなにかしなくても任務失敗とはならないわけだ。
だが、俺は渋い顔をした。俺は他人に見せたくないものが多い。具体的にはこちらに仲間や家族を簡単に呼べなくなるからだ。そっちについたらユウナのレイアを即座に呼ぶ約束だったが、難しいかもしれない。
「飛竜騎士が居れば遠方との伝令に便利しゃぞ。それにレオンは土地勘もある。伝手のないお主には頼り甲斐のある相手じゃろうて」
そうなのかと視線を向けると彼は頷いた。
「私はキルディスの街の近くの出身です。そのこともあってこの任務に選ばれたと思っていました」
さては不真面目な俺の首輪としてはじめから彼をつける気だったな、これは。だが現地に不慣れな俺にとって心強い存在なのは確かだ。
彼を伝令に出したとき家族を呼べばいい話だし、そこまで深刻に考えなくてもいいだろう。
「分かりました。有り難くお借りしますよ」
「話がそれだけなら切らせてもらうからの。この至福の時間を邪魔させられたくないのでな」
この爺さんはさっさと話を終わらせて酒を楽しみたいらしい。人を吹雪の中に寄越しておきながら自分は酒盛りとは……いくらそれが目的の大半とはいえ酷い話だ。
「はいはいわかりましたよ。精々二日酔いには気をつけてください」
「ほっ、儂には生まれてこのかたとんと縁のない言葉じゃな。とにかく現地に到着したら情報をくれい」
「聞いてのとおりだ。レオンの不安は取り除かれたぞ」
成り行きを聞いていた彼は俺に頭を下げてきた。自分のせいでこれまで守られてきた伝統が途切れる事にならず安堵しているようで、その顔は明るかった。
「ありがとうございます。ルックの事に続き、なんと礼を申し上げたらいいか……正直戸惑っているくらいです。どうしてここまでしていただけるのかと」
自分に突然振ったわいた幸運を怪しんでいる節のあるレオンだが、どう答えたものか。
「こっちも打算があってのことだ。気にする必要ないぞ」
実際はこの場で飛竜が死なれたら場の空気が最悪になるし、旅の道行きはまだ4割ほどで先は長い。依頼はまだ始まってもいないので引き返す事もできないから、その後は移動手段無しでこの先を進む羽目になる。俺は飛行魔法やら魔法の絨毯があるが、レオンを一人置いて行くのはあまりにもバツが悪い。
多少手を貸してもルックを治した方がいいのは明らかだったが、そういった事情を他人に明かしても仕方ないので俺にも利益があるとだけ言っておいた。飛竜騎士に大きな貸しが作れる機会はまたとないのでレオンも納得してくれたようだ。
「総本部では”嵐”の良くない噂が多かったのですが、所詮は噂に過ぎませんね。本人は素晴らしい人だと後で皆に訂正しておきます」
どんな噂なのか気になったので尋ねてみたら金に汚い、性格は傲慢で人を人とも思っていない、人間不信で常に誰かを疑っているなど、聞けば聞くほど頷けるものばかりだったので特に否定はしないでおいた。
「ですが、我等の名誉とルックの命を救っていただいた事は紛れもない事実です。若輩ゆえ満足なお礼もできないでしょうが、必ずや……」
「もし恩義に感じてくれるなら、これからの依頼で返してくれればいいさ。さっき話したと思うが、俺は北方は初めてで何も知らないんだ。ドーソン翁から今すぐ引き受ければ飛竜便に乗れると聞いて即座に引き受けたくらいなんでね」
じゃれ付いてくるルックをあやしているレオンに話しかけると彼は我が意を得たりと頷いた。
「ではこれから向かうラヴェンナ国の基本的な情報をお伝えしましょう。この吹雪が収まるまで動けそうにありませんしね」
「いいね、是非頼みたい。だがその前に腹ごしらえといこうぜ。ルックは何を食うんだ? 肉でいいのか?」
俺は一昼夜飛び続けていたルックとレオンの休息の時間だと思っていたが、思わぬところで情報源を確保した。彼が話す北方諸国の情報は俺の判断を後押しする事になる。
ちなみに意外な事にルックは草食だった。てっきり肉食だと思っていたが、俺の出した肉塊には目もくれずに俺達用の皿にあったアプルに食いついたのだ。当然ながらその巨体を賄うために食べる量も相当なもので、小山のように積みあがったアプルを次々と平らげるルックは実に幸せそうであった。
「見えてきました。あれがキルディスの町です!」
猛吹雪は夜半にはその力を弱めたので、休憩を終わらせた俺達は再び飛び立った。回復させたとはいえルックの体調が気になったが、レオン曰くここ最近なかったほど絶好調とのことだった。
それを聞いた俺はあの魔法薬が怪しく思ったが、部外者が口を挟む事でもないと思い黙っていた。
快調に飛ばすルックのお陰で朝日が闇を追い払う時刻には、俺達は件の街が視界に入る距離まで到達していた。眼下に見える真っ白な雪原の向こうに小さく見えるのが事件の中心だというキルディスが見えてきたが……ダンジョンを擁する町としてはなんかこう、あれだな。
「解りますよ、ダンジョンの町なのに寂れているでしょう。私はこの近くに住んでいたのでこれが当たり前だと思っていましたが、他所のダンジョン都市へ行ったときは驚きましたよ」
レオンの故郷を本人の前で悪く言うのも憚られたので黙っていたのだが、俺の内心は読まれていたようだ。
「そこらへんは昨日聞いた事情だな。運が悪いというかなんというか」
「その意味ではウィスカと同じなので勝手に親近感を抱いていたのですが、今では圧倒的に差をつけられてしまいましたね。あっ、ユウキさん!」
「ああ、見えている。早朝だってのに元気な事だな、見捨てるわけにも行かんだろ」
俺達の視界の端に雪原を疾走するモンスターの姿があった。そしてその先にはモンスターから逃げていると思われる人の姿があるが、雪に足を取られて思うように動けていない。
「そういえば飛竜騎士って武装はあるのか? ルックが火を吐くとか」
「いえ、こいつは飛行に特化した種族なので攻撃手段はありませんし、もちろん私もありません。ですが高速で飛竜が直上を飛来すれば十分に驚かせますよ」
そう言うや否や高度を急激に下げてゆくので俺は慌てて鞍の取っ手を掴んだ。どう見ても客を乗せている動きではないが、構わないと告げた俺が油断したのが悪い。
「このままモンスターの上を掠めます。捕まっていて下さい」
「俺も狙ってみていいか? 今回の依頼にも関する事かもしれないからな」
「解りました。神業と称されるその技量を拝見させていただきます」
そんな期待をこめてくれなくても、と感じる間もなく高速移動する俺達とその魔物は一瞬で交叉し、俺はその大型魔物の眉間を確実に打ちぬいた事を<マップ>の生命反応で確認した。
「なんと! あの交叉した一瞬で仕留めるとは! 凄まじい腕前です! あの”蒼穹の神子”が弟子入りを懇願したという噂も頷けますね」
久々に聞いた二つ名なので一瞬ライカの事だと理解できなかった。そういえばそんな名前だったな。
「二人の操縦が上手かったからだよ、殆ど揺れなかったしな」
「その言葉を励みとさせてもらいます」
その後、逃げていた人物の無事を確認する為に再度現場に近づいてくると、その人物がこちらに手を振っていた。
「やはりサイオンさんでしたか。ご無事で何よりです」
「お、お前さんはレオン! レオンじゃないか! 帰ってきてたんだな!」
飛竜騎士は地元でも有名な存在であることは助け出した中年のおっさんの顔を見れば明らかだ。彼等にしてみれば地元の英雄というところだろうか。
サイオンというおっさんは薪拾いの途中で襲われたらしい。背負った篭には半分ほど木の枝が入っている。
「ええ、任務で里帰りになりました。それよりお怪我はありませんか?」
「ああ、お前さんが助けてくれたからな。実家にはもう顔出したのか? オヤジさんも喜ぶだろうよ」
「いえ、今ついたばかりですから。それに私は任務で来ていますから帰省などはとても」
「その性格は変わらんなぁ。だがありがとうよ、お前さんは命の恩人だ。それはそれとしてこの獲物なんだが……」
おっさんの視線の先には俺が倒したモンスターの骸がある。こいつを売れば今の時期なら大銀貨数枚は固いだろう。落ちている金目のものをどうするんだと顔に書いてあるが、レオンは俺を見るだけだ。怪訝な顔をするおっさんだが、倒したのが俺だとは思っていないのだろう。
「そっちの物にしてくれて構わないぞ。ただし冒険者ギルドに持ち込んでほしい、それが条件だ」
「おいおい坊主、何でお前さんが話に割り込むんだよ」
「彼が魔物を倒したからですよ。ほら、見てのとおり私は武器を持っていませんし」
飛竜騎士は武芸は嗜むがその本業はあくまで運び屋だ。重い武装で飛竜の速度を落としては元も子もないとレオンの装備も飛行服と呼ばれる独特な装束だけで見た限りでは武器の一つも持っていない。
「なんだって! 飛んでる飛竜の背中から狙ったってのか。そりゃ凄ぇや、飛竜便の客になれるだけの事はあるって事か! 悪かったな兄ちゃん、俺はサイオンってモンだ。町で宿屋をやってる」
身近であるからこそ飛竜便を使える者がどういう人種がわかっているらしいサイオンはすぐに態度を改めて俺に握手を求めてきた。
「ユウキだ、よろしく。仕事でやってきたんだ」
「へえ、仕事でキルディスって事はダンジョン攻略かい? そりゃ物好きな、いやなんでもない」
「よく言われるよ。それよりアレはどう運ぶんだ? 荷車でもなければ大変そうだが」
「今すぐ町の衆を呼んで来らぁ。一声掛けりゃあ10人はすぐ集まるぜ」
俺がそう問い掛けるとサイオンのおっさんは答えて駆け出そうとしたが、レオンが待ったを掛けた。
「良ければルックが運びましょうか? 風魔法の範囲に入るので重くはないはずですし」
当のルックもきゅいと返事をしたので甘える事になった。だが町まではそう遠くないので俺達は歩いてゆく事にした。
「へえ、北は始めてかい?」
「ああ、俺は南の人間でね、早速昨夜は洗礼を受けた。あれが普通にやってくるんだから大変だ、北国の人間は強いと聞くが自然に鍛えられていると思えば納得だ」
「へへっ、だが南な南でうだるような暑さだって話じゃねえか。寒いのは着こんで火でも起こせば凌げるが、暑さはどうするんだ?」
「それは……水浴びをしたり一時的に涼む事は出来るが、まあ我慢だな」
魔法で氷や冷風を起こす事もできるが庶民には縁のない話だ。そういえば暑い日は他国の姫たちも冷房のある俺の屋敷によく避難してきていたな。護衛や使用人まで連れて来たから満員御礼だった。
「うへぇ。俺にはそっちの方が耐えられねぇや、北生まれでよかったぜ。お、レオンが町に着いたようだな、騒ぎになってやがる」
「彼はちょっとした名士ってわけか」
「そりゃな。地元で飛竜騎士が出たなんて一生自慢できるぜ。それも腕を買われて冒険者ギルドに入ったって聞いたぜ。こりゃ相当な出世よ、あいつのオヤジさんも喜んでいるはずさ」
それもグラン・マスター直轄の最精鋭だよ付け加えたくなったが、何で俺を連れているんだと聞かれそうになるのでやめておいた。
「彼の家族もここに?」
これから巻き起こるかもれしない修羅場に巻き込みたくないなと思いつつ尋ねるとおっさんは首を横に振った。
「街中で飛竜は育てらんねぇさ。レオンは町外れの牧場の次男坊さ」
「牧場! そりゃ珍しい」
魔物が存在するこの世界で牧畜は至難の業だ。どんな優秀な牧羊犬がいても魔物の餌を飼育しているようなものだからだ。したがって庶民が肉を口にする機会は魔物肉くらいのもので、冒険者稼業をしていなければそれすらも少ない。俺が肉を贈ると異常なほど喜ばれるのはそのためだ。
「ああ、あいつの家は代々貴族様に卸す牛や羊を育ててたんだが、そこで飛竜と遊ぶレオンが目に止まったって訳だな」
早朝ながら門の前で大騒ぎの光景を傍目に見つつ、俺は事情を門番に説明しているサイオンのおっさんと別れてようやく人混みから抜け出したレオンに話しかけた。
「これで君の任務は果たされたわけだ。ご苦労でした」
「今の私の任務は貴方を手助けすることですよ」
「とはいえ、君は暫く多忙だろう。英雄の帰還だからな」
朝の人が少ない時間帯でもこれほどの騒ぎになったのだ。昼間はもっと凄い事になるだろう。
「それは……皆には任務中だと話しますので」
「無理をすることはない。ルックも回復したとはいえちゃんと休息させた方がいい。実家ならあいつもゆっくり休めるんじゃないか?」
「それは……確かにそうなのですが。もとより帰省するつもりがなかったもので……」
何を渋っているのかと話を聞いたらどうやら土産の一つも用意してないそうだ。確かにギルド総本部からウィスカ、そしてキルディスと一日で移動したのだし、そんな暇もなかっただろう。
だが一家の出世頭の帰宅が手ぶらが格好がつかないのも確かだ。そこで俺が一計を案じて南方の果実や甘味、酒などを包んで手渡してやった。食い物でも両手に抱えられないほどあれば面目が立つだろう。
レオンはそこまでしていただくわけにはと非常に恐縮していたが、俺のいいからとっておけと言い含めると素直に従った。ここまで知られてしまえば身内に帰郷が知れるのも時間の問題だ。顔を出さないわけにはいかないだろう。
「とりあえず俺はこの街を色々見回りたいから、君とは後で冒険者ギルドで合流しよう」
「わ、わかりました。ギルドの場所は町の中央なので迷う事はないでしょう」
ダンジョンの町はギルドが経済の中心になるので中央の目立つ場所に作られる事が多い。既に<マップ>で確認したので問題はない。
既に周囲の町の人に次々と声を掛けられているレオンを尻目に、俺は始めて訪れたキルディスの町を散策した。
新雪の敷き詰められた街路を歩くと朝市が見えてきた。既にいくつかの店は始まっており、品物が並んでいるなかを覗いてみるが……
「おや、いらっしゃい。ここらじゃ見ない顔だね」
「ああ、つい最近来たばかりだよ」
「その格好じゃ冒険者には見えないねぇ。商人の見習いかい?」
俺はそんなに冒険者に見えないのか。何度このやり取りをしたがわからんが剣の一本でも腰に下げとけば違うのだろうか。
「駆け出しだけどこれでも冒険者さ。買い物をと思って来たけど、ちょっとね」
俺の思わせぶりな台詞に店主のおばちゃんは機嫌を悪くした。腰に手を当てて反論してくる。
「なんだい、失礼な子だね! ウチはいつでも適正価格さ、何なら他の店を見れくりゃいいさね」
なるほど、これが適正なのか。しかし高いな、ウィスカと同じ品があるわけではないが、一番安い品でも2割ほど高い。だがおばちゃんの態度を見るに不当な額でもないんだろう。土地柄、季節柄の問題でもありそうだ。
つまりは、最悪ということか。
「いや、そういう意味じゃない。昨日でこの国の金を使い果たしてね。他の国の銀貨しかないのを思い出したんだ。余所の銀貨でも使えるかな?」
「何だ、そんなことかい。ここはダンジョンの町だから色んな国から人が来るから大丈夫さ」
俺の咄嗟の言い訳を信じたおばちゃんはオウカ帝国の銀貨で勘定をしてくれた。だが大丈夫と言いつつ価値は1割ほど減らされていたが、まあ両替代もあるからな。
微妙な味のする果実を食べつつ、我ながら舌が肥えたもんだと自嘲した。仲間と出会う前の俺は腹が膨れれば味はなんだっていいと本気で考えていた人種だったのだが、今では一丁前に文句をつけている。
これも変化だなと感慨に耽りつつ、グラン・マスターからの依頼をどう断ろうかと考えていると目の前開店の看板を出している店があった。
「あそこも大事だな」
寄ってみるかと足を向けたのはダンジョンの町なら必ずあると言っていいポーション屋だ。ウィスカでは先生の魔導具店で事足りるから俺は行ったことがないがあちらにも正式なポーション屋は存在する。普通の冒険者はそこで大量購入するそうだ。
扉に付けられた小さな鐘が軽やかな音を立てて客の入店を知らせる。
店の中に入った俺は意外なほどの品揃えに内心舌を巻いた。
揃っている。こんな寂れた町なのにポーションは粒ぞろいじゃないか。一瞥しただけでも毒、麻痺、呪い、腐食、恐慌など、各種の対性ポーションが中級止まりだが揃っていた。
店員の奥にある棚から発せられる魔力からしてハイポーションやマナポーションまであるな。
「いらっしゃい、ロロナのポーション店にようこそ。あれ、新顔?」
店番をしているのは俺と同じくらいの若い娘だった。整った顔からして看板娘なのかもしれんが、客に対する態度じゃないな。
「ああ、新顔だ。あんたはこの店の人間か? 言っちゃ悪いがこんな小さな店にしてはすごい品揃えだな」
「小さいは余計よ! でも品揃えなら負けないわよ、この店には凄腕の薬師がいるんだから!」
俺も色々あってポーションには詳しくなったが、確かにこの店には腕の良い薬師がいるのだろう。何より品質が良い。薬師の技量のひとつに製品の均質化が挙げられることもあるが、あれは濃縮した高品質の品を希釈すれば簡単なので褒められることではない。
「で、価格は? 時価だってのは解るが、金額は書いておいてくれよ」
貴重な品は要相談ということで金額が書いてないこともあるが、普通のポーションさえ価格がなかった。
「それは今からやるの。今日は色々あって遅れたのよ。開店と同時にくる客が悪いわ」
玲二たち日本人は客は神だと言っているが、こちらでは店が売ってやる側だ。だからこそこんな態度だが、これに腹を立てては話が進まない。
肩をすくめて看板娘の作業を見守るが……やはりここも同じか。
「一番安価なはずのポーションでもこの価格か。なにか理由があっての額なのか?」
「はあ? あんた営業妨害しにきたの? ウチのポーションはこの時期はこの価格よ。冬場の今に満足な薬草が採れるはずないじゃない!」
「まあそうだよな。悪かった、ただの確認だ」
「何なのよまったく。あんたいったい何処から来たのよ?」
カタリナと名乗った看板娘がぷんすかと怒るなか、俺は暗澹たるものを内心で抱えながら確信した。
グラン・マスターの懸念は正しかった。
もう状況は依頼がどうとかの段階ではない。
終わりだ。
このままでは襲い来るモンスターに勝とうがが負けようが、確実にこの街はおろか北方の周辺各国は世界地図から消えることになるだろう。
楽しんで頂ければ幸いです。
すみません、2週間も掛かってしまいました。
先週の段階で半分はできていたのですが、中途半端で出すのが嫌で伸びました。
かといって約一万五千字は多すぎたかとも。
次ぎは待たせません。目標は水曜日(守れたためしがない)!
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