獣神の宮 17
お待たせしております。
俺達の間を静寂が支配した。
セラ先生の魔導具店”八耀亭”の、先生や姉弟子たちが暮らす最奥で俺は先生の見識を問うている。
だが俺の問いは糾弾に近いものを含んでいた。口調からもそれを察した姉弟子は途端に狼狽して視線が俺と先生を行ったり来たりしている。
だが、誰も口を開かない。緊張感さえ孕んだ無言の空間を形成しているのでリーナやレイアが幾度か空気を変えるべく言葉を発しようとして雰囲気に飲まれて失敗した。
姉弟子がもうこの話はいいじゃないの、と強い視線を送ってくるが、俺は取り合わなかった。さっきも告げたが、あの時俺が制御しなければ姉弟子は間違いなく死んでいた。それも敵に殺されたのではなく、自分の魔法が暴発して自滅するという魔法職のありがちにして最悪な死に方だ。
魔法適性に優れた種族であるエルフならば、侮蔑と共に語られてもおかしくない末路である。むろん、それを恩に着せてどうこうする気はない。咄嗟の判断で姉弟子が無意識に行った事であるし、そもそもとして姉弟子は魔法使い、そして冒険者としても駆け出しの部類だ。ずっとこの店で引き篭もっていたのだから、姉弟子を責めるつもりもない。今回のダンジョン攻略もそういった様々な経験を積む為のものだったからだ。
だが問題は先生にある。先生ほどの人が姉弟子のこの特異な才能を知らなかったとは考えにくい。何処で野垂れ死んでも気にならない相手ならともかく、あれほど溺愛している姉弟子なのだから冒険に出す前に自分の体質(で良いのかは解らないが)についての知識、対策などを与えておいて当然だろう。
しかし当の姉弟子は何も知らなかった。エレーナの危機を救うべく無意識で繰り出した一撃は自分の体さえ吹き飛びかねない超威力で、俺がいなかったら先生は姉弟子と再会することさえ叶わなかった。
何考えているんですか、と俺が一歩も引かず無言の問いかけを続けると、大きなため息をついたセラ先生が思い口を開いた。
「我等ハイエルフの中でも数千年に一人の割合で”器”の資格を持ったものが現れるのじゃ。古代よりその資格を持つ者は数奇な定めに翻弄されてきた」
「先生……」
「聞け。アリアのみならず我等の秘中の秘じゃが、お主には聞く権利がある」
「いえ、その話、長くなりそうですか?」
「……なんじゃと?」
俺は先生の話をぶった切った。語りを途中で止められた先生は中々表現が難しい顔になっている。若い姿になった事で変わった数少ない美点だな。かつての老婆の姿は謎めいていて表情の変化を読み取るのは難しかったのだ。あれはあれて魔女らしくて俺が頭を垂れるに相応しかったのだが。
「俺が聞きたいのは姉弟子に自分の才能の詳細とその対処を何故教えなかったのかであって、姉弟子の身の上話に興味はありません。少し聞いただけでも面倒事の空気がしますしね」
「ち、勘のいい奴め」
先生は俺の顔を見て露骨に舌打ちをした。どうせ自分達の厄介事に俺を巻き込もうとしたのだろう。いやに長い沈黙は話してよい情報の取捨選択といかに俺を引き込んで逃げられないようにしてやろうかと考えていたに違いない。
「姉弟子が助けてくれと泣いて頼むなら手を貸すのもやぶさかじゃありませんが……」
「だ、誰があんたに泣いて頼むですって!? 私が弟弟子にそんな真似するはずないじゃない!」
「というわけなんで、自分から好き好んで首突っ込む気はないですね。それにエルフの時間感覚じゃその厄介事とやらも俺が生きてる最中とは限らないでしょうし」
長命種である彼女たちにとっては”いつかそのうち”の仕事の依頼が50年後とかが当たり前らしいからな。先生たちの危惧する出来事が起きたとき、俺が墓の下である可能性の方が高いだろう。
「その原因を作った存在に言われたくないがの」
ふん、と鼻を鳴らした先生は何故かリーナを一瞥した。原因だと? 確かに俺がリーナをこちら側に無理矢理連れて来たが……仕方ない、何時かの為に覚悟だけはしておくか。
「それで、アリアの体質についてじゃったな。確かに把握しておる。この子は昔から周囲の魔力を吸収する事があった。最近はその回数もめっきり減って忘れかけておったがの」
改めて先生の書斎兼私室に通された俺達は事情を聞いていた。レイアが手慣れた所作でそれぞれの前に茶を置いている。
「先生ほどの人が対策はしなかったということは、その規模は?」
「その時は魔導具に内蔵されていた魔石から魔力を吸っていたが、ほんの小さなものじゃ。ゆえに儂とてそこまで重要視せんかったが、おぬしの話を聞けばそうではないようだな」
先生は己の失策を嘆いているが、俺は俺で驚いていた。今の話だと姉弟子は魔石から魔力を得ていたという事になる。生命体から魔力を吸うのと無機物から得るのとでは全く次元の違う話になる。
だが俺の思案は一旦棚上げされた。先生が深く頭を下げてきたからだ。
「ユウキがおらねばアリアは腕はおろか、その命を失っていたであろう。まずはその事に深い感謝を」
「姉弟子の面倒を見る事があの時の俺の仕事でもありましたので、そこはお気になさらず。しかし、早急に解決すべき点がいくつかあります」
「なによ、そんなに改まって」
自分の問題だってのに、全く緊張感のない姉弟子に半眼になりつつ俺は言葉を紡いだ。
「姉弟子は自分の特異体質について現時点でどれだけ把握しているんだ? 魔力を吸うみたいだが、それは手からか? それとも素肌が触れていれば可能なのか? 周囲から無制限に吸っちまうのか?」
「え、いや、それは全然。だってあんたから聞かされて初めて知ったくらいなんだし……」
「自分の力なんだからちゃんと把握しないとな。特に無意識で発動するのが一番危ない。自分の意思で制御できない能力なんて百害あって一理無しだぞ。特に俺から吸った魔力量を考えるとその容量に際限はないはずだ。似たような事がまた起きた時、俺が側にいる保証はないだろ」
俺はあえて脅かすように言葉を強めにしたのだが、先生の視線が痛いんですけど。元はといえば貴女が見逃さずにいればその時点で対策が取れた話だったんですが。
あ、はい。姉弟子を虐めるなと。わかりました。
親馬鹿に理屈を説いても始まらないのはわかっている。諦めて話を続けよう。
「だからちゃんと訓練をしたほうがいい。ちゃんと制御できれば誰もが羨む強力な力になるからな」
「そ、そうよね。魔力が吸えるんだもの。見方によってはマナポーション要らずで魔法が撃ち放題になるってことでしょう? これならみんなの力になれるし」
「おお、アリア! それは凄いぞ!」
リーナが立ち上がってアリアを褒め称えた。魔法職にとって魔力の回復は文字通りの死活問題だ。最近はとんと縁がないが、世の魔法職はあの地獄のような味がするマナポーションを我慢して飲みつづけている。
「誰かから吸っても良いが、さっきセラ先生が魔石からも魔力を吸ったと言ってたし、可能性が広がるな。それに、姉弟子ちょっと耳貸せ」
何よ、変な事するつもりじゃないでしょうねと言いつつも素直にこちらへ耳を寄せるアリアへ俺はこの才能が可能にするかもしれない最大の可能性について耳打ちした。
「うそ……そんなことが、可能なの?」
「出来たら空前絶後だな。姉弟子の名前が歴史に刻まれるのは間違いない。だが酷く難しいだろうし、一人で抱え込まず他人の協力を仰いだほうが良いだろう。ほら、たとえばあの人なんて得意そうじゃないか」
「あ、リエッタ様! そうね、そうしてみるわ! お師匠様、ご指導よろしくお願いいたします」
「うむ、よう申した! 厳しい鍛錬になるが、根を上げるでないぞ」
途端に顔を輝かせる姉弟子を見たリーナは何処となく不満そうだ。どうした、と視線を向けると俺に気付いたのか快活な彼女には珍しく言葉を濁した。
「いや、なんだ。その、アリアは才能に恵まれ、歴史に名を残すほどの実力者になるのだろう。ユウキが言うのなら間違いのないことだ。だがそれに比べて私のなんと非才なことか」
は? なにいってやがんだこいつ?
俺はリーナの発する言葉が理解できなかった。この異質な才能の塊が非才だと? お前が無能ならこの世界に天才は絶滅するぞ。
いきなり何を言いだしてんだと思った所で、なんとなくリーナの不満が察せられた。ご機嫌取りではないが、事実を口にしてやる。
「何を気に病んでいるのか知らんが、お前が歴史に名を刻む存在なのは既に確定している。お前は俺が敵味方に別れていても死なせるのは惜しいと思わせた唯一の存在だ。自分で自分の評価を貶めてくれるな、俺の目利きが正しかったと証明してほしいもんだ」
その言葉だけで暗い顔をしていたリーナの顔が明るくなるのだが、口の軽い男に簡単に騙されそうで少し不安になる。本人はしっかりしているから大丈夫というのだが、あまり信用できないなこれは。
「う、うむ、わかった。それはそれとして、先ほどはアリアに何を耳打ちしたのだ?」
どうやらそれを知りたくて不満そうな顔をしていたようだ。別に大した話ではないが、現段階では荒唐無稽な夢物語なので皆に聞こえる声で言いたくなかっただけだ。
「リーナに関係する事じゃないぞ」
「それでも知りたいものは知りたいのだ。隠すような話なのか?」
なぜか駄々をこねるような声を出すリーナに苦笑した俺は、さっと掻い摘んで話してやった。
他から魔力を吸い取る事が出来るなら、訓練次第では魔力を相手に渡す事だって不可能ではないはずなのだ。
「先生、姉弟子の件とは別にもう一つ相談したい事があるのですが」
セラ先生は姉弟子に色々と道具を渡している所だった。今見えたのは薄手の手袋で恐らく魔力を遮断する効果でもあるのだろう。
「なんじゃ、こんな夜更けだというのにまだ話があるのか?」
「ええ、まあ。ユウナとレイアを連れて来た本題はこちらでして」
姉弟子との会話を邪魔された先生は億劫そうにこちらを見た。その顔を見ただけで不興を買いそうなのでやめておくかと思いかけるが、援軍が現れた。
「ああ、例の件ね。お師匠様、私も見ていただきたいと思います」
「そうか、わかった。では参ろうかの」
即答かよ……解っちゃいたが姉弟子が絡むと別人のようになるな。
賢明な俺は余計な言葉を口にせず、店舗に置いてある転移環でアルザスの屋敷に帰還した。
「あ、お帰りなさい。セラさまも御一緒ということは、あの場所に行くのね」
「エレーナか。待っていなくても良かったんだが」
転移環部屋で俺達の帰りを待っていたのはエレーナだった。偶然ここにいた訳ではない事は壁を背に休んでいた事でも明らかだ。
「まあいいじゃない、それに私もアリアの事が気になっていたんだもの。アリア、あなたの体に異常はなかったの?」
「あ、はい。エレーナさん、お師匠様が仰るには私は他から魔力を吸収することが出来る体質なんだそうです。これを訓練して使いこなれるようになれば、私はもっとみんなの役に立ってみせます」
「アリア、無理に役に立とうと思わなくていいのよ。貴女には貴女にしかない長所がいっぱいあるのだから、焦ることなくゆっくり行きましょう。でもありがとう、貴方は私の命の恩人よ」
「エレーナさん!」
二人がしっかりと抱き合う姿を見て隣の先生が大きく頷いている。その顔にはアリアを外の世界に出したのは間違いではなかったと書いてあるが……俺にしてみれば姉弟子が冒険者を始めた事で先生が一番変わった気がしている。
「二人とも、積もる話は後にしよう。とりあえず先に現場に向かうぞ」
俺の声に慌てる二人を尻目に今日新しく設置した転移環を起動し、俺達はこのダンジョン攻略最大の恩恵というか謎に直面する。
「ここが話にあった最下層か」
「はい、見ていただきたいのはこちらになります」
ここはボスの間を越えて帰還用の転送門が設置してある場所だ。そのすぐ近くに転移環を置いて俺達は帰還したのだ。
ちなみにボスの間の扉はまだ開いたままであり、異常に復活の早かった上層のボスの間の再現とはならなかった。早くドラゴンと再戦したいものである。
そして俺達が先生を案内しようとした時、続いて転移環から跳んできたのは玲二と雪音、そして如月だった。俺がセラ先生の店から帰還したのを知って追ってきたようだ。
「おいユウキ、行くなら一声掛けてくれても良いじゃんかよ」
「ああ、悪い。遅い時間に先生にご足労願ったから急いでたんだ」
「おお、皆の衆、揃ってみるのは久方振りじゃの。個人個人では良く会うのじゃが」
「確かにそうですね。皆でお会いするのは珍しいですね」
皆は先生と個人的な関係を築いている。むしろ事務的なのはお主の方だと先生から嫌味を言われるくらいだ。先生を敵に回して得られる利益など一欠片もないので仲良くしておいたほうが良いぞと初期にいった事があるが、それを継続しているのだ。
「じゃあ皆揃った事だし、行きましょうか? 先生には所見を伺いたいんです。俺達も頭を捻ってみましたが納得できる理由が見つからなくて」
「ふむ、あれは、別の転送、いやこれは転移門じゃの」
俺が進む先にあるこのダンジョン最大の謎がこの転移門だ。転送門は一方通行で入口付近に飛ばされる。転移門は好きな階層に行き来可能というのが俺の認識だったが、ここで一つ問題がある。
好きな階層に行き来する転移門は当然同じ転移門がその層にも存在していなくてはならない。そうでなくては戻ってこれないからだ。だがこれまでしっかりと階層を調べ上げてきた俺達なので、そのような怪しい小部屋など存在しなかった。
ウィスカでは謎のよく解らん棒が認識票の役割を果たして俺のダンジョン攻略に劇的な効率改善を生んだので、もしかすると転移先に何らかの助言でもあるのかと期待して俺が代表して転移してみたところ、更なる謎が襲い掛かってきたのだ。
「一見しただけではただの転移門じゃが?」
「体験していただいたほうが早いです。俺も同行しますのでお願いします」
「ふん、儂を驚かせようとしておるな。面白い、乗ってやろう」
どちらかというと驚きより困惑なのだが、本当に見てもらったほうが早いので俺は黙って転移門を起動した。
「なんじゃ、ここは? ダ、ダンジョンの中ではないじゃと!?」
視界には言ってくるのは石造りの神殿跡地とでも呼ぶべきか。相当年季の入った風化具合であり、周辺には人っ子一人いない事は調査してわかっている。
数刻(時間)前の俺達が抱いた困惑を先生にも共有してもらえたようだ。恐らく彼女も俺の持つ<マップ>と似たような能力があるはずで、現在位置の把握も容易いだろう。
なによりここには外気が入って来る。ようやく冬を駆逐しつつある現在なのに、この場所はいまだ冷気が猛威を振るっているのだ。
「ええ、何でこんなことになっているのかさっぱりでして、先生の意見を伺いたく」
「な、なに!? ここは、旧大陸の北端ではないか! 馬鹿な、先ほどまで新大陸の迷宮の地下最奥にいたはずじゃぞ!」
先生も混乱しているようだ。この場所は先生も言ったとおり旧大陸の北端。俺達が住むランヌ王国が南端なので、真逆の位置にいることになる。
魔族の支配境域である北大陸のほうがまだ近い位置にある。俺が知る国の中で一番近いのはオウカ帝国だが、巨大帝国である事を差し引いてもかの国は大陸中央に位置している。かなり遠い場所といえるだろう。
「何が起きている? 何故こんなことになるのじゃ?」
しきりに疑問符を浮かべる先生を連れて俺達は帰還する。今の言葉で先生も明確な答えを持っていないのは判明したが、このような謎を解明するのが好きな人なので後は差し入れを欠かさず持っていけば黙っていても調査してくれる。ちなみに黙って報告しなくても怒られるのでさっさと相談したほうが良い。
「ふむ、さっぱり理屈がわからんが、面白いの。長く生きておったが、久方振りに解明したい謎に出会ったぞ」
先生の目が知性の光を宿している。俺らとしてはあの場所に転移したところで特に何がある訳でもないので、ひたすらどうでもいい話なのは確かだ。先生に任せられるなら万々歳である。
しかし旧大陸の北端という場所に転移すると言う事実以前に気になっている事もある。俺としてはそちらのほうがよほど不可解だ。
「しかし何故こんな場所に遠方へと結ぶ転移門があるのでしょうか? これがダンジョンの中層あたりになるならまだ納得できなくもないですが、最下層のそれもドラゴン打倒した先にある場所に転移門があったとして誰が使うんですかね?」
不便なんてもんじゃないだろう。超長距離を移動できるがそのための代償にドラゴン討伐は必要とか意味が解らん。復活周期次第でまだ現実的なのかもしれないが、そもそもここは獣神殿が長い間管理していた秘蹟かつダンジョンの存在を把握していなかった場所なのだ。ますます意味が解らないが、考えても頭がこんがらがるだけだ。
そういうのが得意な人が楽しげに目を輝かせているので、謎解きはそちらに任せてしまおう。
「ドラゴンのお宝とこいつの存在がぶっ飛びすぎてまだ話してない事が多いんだよな」
ダンジョンから離れる最中に何の気なしに呟いた一言を拾ったのはエレーナだった。
「え、なんのことよ? まだ何かあるっていうの?」
「ああ、このダンジョンの踏破報酬だよ。高難度のこっちにはなかったが、簡単な方の最後の間には宝箱が置いてあってな。全部終わったら説明するつもりが竜の肉やらなんやらで後回しになってさ」
「ああ、確かそんなのあったって言ってたわね。凄いお宝だったの?」
姉弟子が興味ありますといった顔で聞いてくるが、俺は渋い顔をした。
「凄いといえば間違いなく凄いが、使いたくない品だな。効果は間違いなく神器だから、神殿へ献上すれば誰も文句は言わないはずだ。もちろん皆に確認は取るけどな」
「じゃあ、3日後の報告に向けて楽しみにしておくわ。あんたの勇姿が見れることだしね、”待ち人”さん」
エレーナのからかい声に俺は最高にしかめっ面をしたが、それがつぼに入ったのか姉弟子を含めた皆が大笑いする始末だ。
やれやれ、憂鬱だ。何でこんな大事になってしまったのか。獣神殿内の政治遊戯は完全に俺の理解を超えて事態は拡大していたのだ。
「みなさま。無事の御帰還をお喜びいたします。さらに聞くところによれば、吉報も用意してくださっているとか」
数日後、俺達はダンジョン攻略の結果を報告すべく獣神殿に訪れていた。神殿前で俺達を出迎えてくれたのは巫女であるラナなのだが、出迎えの人員がまずおかしい。
ラナの後ろにはソウカとフランが控えているのはまだいい。いや、本当はこの巨大神殿の大黒柱が三人揃って同時に出迎えるのは獣王国の国王でも有り得ない対応らしいが、まだ納得しよう。
だが、周囲に控えている神官たちはどういうことだ? 5人や10人ではない、ざっと数えただけでも500人以上の大勢の神官たちが俺達の姿を認めると揃って頭を下げた。
この光景には隣のエレーナやスイレンたちも驚いている。何だよこの大仰な儀式はと思うが、まあ儀式だな。神殿内ではなく多くの衆目を集める神殿前、それも規制線を張って場所を確保するという手間の掛けかただ。もちろん何事だと多くの野次馬の注目を集めている。
当然ラナたちはこれを狙ったのだろうし、俺もその舞台装置の一つの駒として動く事を求められている。
全く何の因果で俺がそんな役目を押し付けられなくてはならないのか、とかつては文句の一つもあったのだが、今では大分事情が異なり、俺としては納得して受け入れている。
獣神殿における”待ち人”伝説は獣人達にとって重きを成す存在だ。困り果てていたら何処からともなく現れた救世主が苦難を全て打ち払ってくれるという、どんだけ都合の良い存在だよと鼻で笑いたくなる話である。
俺が”待ち人”だと言いだしたラナにそんなわけないだろと問い質したのだが、頑として受け入れない。俺の何処が”待ち人”なんだよと効けば逆に全部ですと断言されてしまった。
思い返してみるとラナがぬいぐるみの姿になって誘拐され、それを追ってきたアードラーさんたちもラナを人質に自らの手で奴隷の首輪を嵌めさせられたわけだ。
その時点で絶望の縁にいたラナだが、まあいろいろあって俺達が彼等を救出した。俺としてはあの場でイリシャと如月に出会えた事のほうがよほど大きい出来事だが、それはさておくとする。
そのあとも危険を冒して密航して来たラコンとキャロを見つけて保護したり、部下の不名誉を己の命で雪ごうとするアードラーさんの決意を別の形で解決させたりと、これだけでも結構あったな。
そして壁を隔てたレン国側から急いで戻った獣王国でエレーナとセレナさんと出会い、皆を出迎える為に一芝居打ち、ラナが本来の体に戻る手助けをして、さらにこの件で糸引いていた下衆野郎に地獄を見せた。
ラナの口からそう順序だてて聞くと、うん、実に都合の良すぎる存在だ。俺としては気の向くままに手を貸していただけだし、何より俺が良い気分になりたかったので気にもしていなかった。
だが、貴方以外に”待ち人”がいるとは思えませんといわれてしまった。更にラナの体を取り戻した際に謎の存在から良く解らん啓示を受けた事も大きいらしい。聞いたのが俺とラナだけなら誤魔化せたが、あそこにいた巫女見習い達も含めて全員が耳にしていたから、隠す事も不可能だった。
それに俺自身がエリクシールを作る際に使えるものはなんでも使えとばかりにあらゆる伝手を使いまくった。獣神殿からも貴重かつ状態が最高級の素材を迅速に探してもらった恩がある。
その捜索の実行者であるフランが”待ち人”の意思に背くおつもりですか! と周囲に宣伝しまくりやがっていただいたそうで、外堀は早急に埋められていた。
しかし、助力を仰いだ上に、そんなの知らんしと言えるほど鬼ではない。俺はどうしようもない下衆で屑だが、シロマサの親分さんの元に顔を出せないほど人の道を外れた行いはした覚えはない。
恩義には恩義を、敵意には敵意で返す主義だ。最もこの件はエリクシールを渡す事で納得してもらうつもりで、俺が考えを変えた最大の理由は別にある。
しばらく前、俺はとある人たちの訪問を受けた。二人揃っての訪問はとても珍しかったのでその目的を訝しみながらも、俺は屋敷でお二人をもてなした。
訪問者はアードラーさん夫妻だった。個人では幾度も行き来しているが、夫婦でお見えになる意味があるのだろうと考えていたが、その予感は的中した。
夫妻は揃って俺に頭を下げ、ラナの力になってやってはくれないかと頼み込んできたのだ。
ぬいぐるみ事件の事を語るまでもなく、獣神殿は王宮との力関係に苦しんでいる。娘の力になってやりたい父親のアードラーさんも再度の総戦士長の就任を打診されている。非常に名誉な事だが、それは神殿への助力が不可能に成る事を意味する。あの職は国家全体の剣となる事を求められ、なにかひとつに肩入れする事はできないからだ。
その苦しい神殿の中で最大の武器が”待ち人”の存在だった。ありとあらゆる劣勢を一撃で跳ね返す威力を秘めた切り札であり、俺の存在は王宮でさえも警戒を抱いているという。
名前だけ貸していただければ、けして御迷惑になる事はしないと、御二人の名前に誓いまで立てて頭を下げてきたのだ。どうか娘の力になってやって欲しいと。
今の俺には頭の上がらない存在が二人いる。尊敬に値する男の中の男であるシロマサの親分さんと今この瞬間も俺の目の前で頭を下げるセレナさんだ。
特にセレナさんには俺は一生頭が上がらないだろう。この人にはシャオはもちろんイリシャも散々お世話になっている。俺がどれだけ二人の兄貴、親父になってやると息巻いた所で子供に本当に必要なのは母親であると痛感させられた。あのちびっ子暴君である彩華もセレナさんの前では幼子のように懐いているのだ。
母は偉大なりという言葉は紛れもない真実である。
その彼女が俺にどうかお願いですと頭を下げてきているのだ。”待ち人”途やらを引き受けて多少の不利益を被ろうが、娘と妹に与えてくださった素晴らしいものの恩恵の前では些事に等しい。
俺は全てを納得して夫妻の願いを受け入れた。
「ここまでするとは聞いてないんだが?」
俺は内心の呆れが言葉に載っている事を自覚しながら先へ進む三人に問い掛けた。
「ええ、お伝えしていませんでしたから。だって、お教えしたら嫌がったのでは?」
フランがこちらに振り向いて楽しげに笑った。邪気のない顔だが、この手の類いは笑顔で他人を陥れる人種だ。絶対に油断してはならない。
「当たり前だ。見世物になるのは受け入れたが、限度がある。隠し事をするなら次は協力しない」
言葉に明確な拒絶を滲ませると形勢の不利を悟ったフランはすぐに謝罪した。
「大変申し訳ありません。ですが今回に限りお許しください、あの場で行う事に意味があったのです」
言い繕うかのように様々な狙いを口にするフランだが、俺は話を聞いていなかった。伝えるべき事は既に伝えてある。
「隠し事をするなら、次はない。君は自分の想像の範疇に納まる相手しか謀をしてこなかったようだが、世の中には君の価値観の外にいる人種もいる。そういった手合いは得てして思いもかけぬ暴走するから気をつけるといい」
「そのお言葉、胸に刻みますわ」
フラン本人は俺の忠告に本気の顔をしているが、多分解っていないな。だがこれ以上は俺の領分ではない、必要ならユウナが動くだろうから俺はその報告を待てば良いだろう。
「ねえ、フランを止めなかったのは私の落ち度でもあるんだから私だって悪いのよ」
「ん? さっきの話はあれで終わりだよ、蒸し返すつもりはない。それより、ここから先の予定に変更はないよな?」
これ以上面倒は御免だぞと顔に出すとソウカも苦笑している。
「もう大丈夫よ、後は神殿内の行事だから。あ、注意して」
ソウカが鋭く警戒の声を上げた理由が目の前に来ていた。
神殿戦士団の一群が静かに俺達の前後に配置された。包囲ではなく警護についている事は周囲への警戒をしていることからも明らかだ。
「あの戦士たち、あのときの」
背後からのモミジの声に反応するまでもなく気付いていた。彼等はダンジョンに入る前に俺に喧嘩を売ってきて返り討ちにした戦士たちだった。だがその雰囲気は以前と全く異なっている。それまでは粗野な空気さえ出していた彼等が今では精練された気配を醸しだしている。全くの別人であると言われても納得してしまうだろう。
「苦労を掛けますね、ラムザ隊長」
「巫女様からのそのお言葉、部下達と共に誉れとさせていただきます」
それ以外の無駄口を叩かず整然と歩く俺達だが、彼等の豹変振りに以前の闘いを間近で見ていた女性陣が驚いている。
「なにがあったのよあれ、完全に別人じゃない」
「あとで説明してやるから」
姉弟子が小声で聞いてくるが、ここで話す内容でもないと取り合わなかった。しかし目的地である会合の間に辿りつき、護衛たちが部屋の四隅に散ってゆく中俺に問い掛けてくるものがいた。
「一つ聞きたい。何故我等を指名した。総戦士長に推薦した事もそうだ」
この男は俺がラナの護衛に相応しいと名指しした事を知っているらしい。アードラーさんから漏れたのだろうか? あの人に隠し事は無理だ。そこが美徳でもあるのだが。
「お前達が信用できるからだ。あの日、お前達は俺の前に立ち塞がった。上からの指示に納得できず、自分達の目と腕で真実を突き止めようとした。命令に唯々諾々と従うだけの奴等には出来ん事だ」
「いや、我等はそのような大それた者達ではない。知っているはずだ。我等は王宮より指示を受け……」
「細かい事はいいんだよ。俺達は拳で語り合い、信用できる相手かどうかを理解した。護衛ってのは強さの前に信用できるかどうかが大事なんだ。知っての通り、ラナには敵が多い。総てから護れ、任せたぞ」
「命に代えても」
既に俺達は語るべき事を拳で終えている。確認を済ませれば後は言葉は不要だった。
この広間には多くの獣人たちが詰め掛けていた。神殿関係者と思われる姿もあればどう見ても商人にしか見えないものまで様々だが、出席者には共通点がある。この獣王国で強い影響力を持つ者達であることだ。
「まずはこちらをお納めください。かのダンジョンの詳細な情報になります。階層の形状、罠と宝箱の位置、出現するモンスターの特徴と頻度、分布など必要と思われる情報は全て記載しております」
今回の指揮官はエレーナなので彼女が代表して報告書をラナに手渡した。中身の確認をすることなく背後のソウカに手渡したが、これはエレーナを信用しているという政治的な表明だ。もとより昨日の内にソウカとフランを交えてこのダンジョンの詳細は報告済みだ。
この場はそれを内外に示すもので、耳障りの良い話だけする事になっている。これから提出する戦利品だけでも悲鳴が上がるだろうが。
「ありがとうございます。皆様には我等の代わりに危険な迷宮を探索していただき感謝しております」
「いえ、こうった事は私たちが本職ですので、お任せいただき冒険者ギルドを代表しお礼申し上げます」
暗に冒険者を雇用したラナの判断が正しかったと喧伝しつつ、いくつかの美辞麗句を交えて話は進んでゆく。
「巫女様。ご歓談中申し訳ありませんが、そろそろ……冒険者達との取り決めでダンジョン内での宝物は全て神殿に奉納する約束でございます」
嫌味たらしい顔で中年の獣人が口を挟むが、これもこちらの仕込みだ。敵側に些細なほころびも突かせないよう全ての段取りをこちらで仕組んでいる。
「ああ、失礼致しました。巫女様とのお話に興が乗ってしまいまして。手に入れました全ての品は報告書に記載しておりますが、既にお預けしてあるマジックバッグに収納してございます」
「そうでしたか。では、その品をこちらへ」
神官の手によって二つのマジックバッグが皆に見える位置に置かれた。エレーナが後は任せたからと視線を送り下がると同時に俺が前に出た。
それだけで周囲の空気が一変する。やはり俺が”待ち人”であるという情報が知れ渡っているのだろうし、ここにいる連中も殆どが俺目当てに来ている。だが俺が注目を集める事でラナの力になるんなら少しばかり協力してやらんこともない。
これまでは借金の事もありあまり大っぴらに目立つ真似はしたくなかったが、俺に借金を押し付けたのはランヌ王国だし、今となっては彼等のほうが俺を護ってくれる。金を確実に運んでくる優良返済者を護るのは当然だからだ。
それにここは新大陸で獣王国だ。獣人は人間を顔で覚えず匂いで記憶するらしいから、名前も変えているし故郷にこの話が届く恐れは皆無だろう。
「ここからは”紅眼”に代わり、俺が話を引き継ごう。我等はかのダンジョンを踏破して帰還した。詳細は報告書を見てもらえばすむことだが、結論から言ってかのダンジョンは全20階層、途中から難易度変更が可能で高難度の最終ボスは黒竜だった」
「黒竜だと!?」「馬鹿な、竜種がいたというのか」「本当なのか?」「俄かには信じられん、だが我等が”待ち人”がそのような世迷言を……」
ざわつく広間内を黙らせる為、俺は言葉を続けた。
「静まれ。言葉でいくら事実であると言っても信じはしないだろう。だが俺は先ほどダンジョンと踏破したと告げた。もちろん黒竜を打倒して来ている。ならば、その証を手にしていたも不思議はないだろう」
そこで黒竜の素材が使われた武具を取り出したら、とんでもないことになった。大騒ぎなどという代物ではなく、神殿の中だというのに暴動に近い騒ぎになったからだ。ラナたちには事前に品物を見せて対応を決めてあったからすぐに周囲から神殿戦士団が飛んできて事なきを得たが、俺が全て神殿に捧げると言い出すと空気が重くなった。武を重んじる獣人の戦士たちにとっては、一度は身につけて戦ってみたいのだろう。特に竜神剣から全く目を離さない戦士たちが数人いる。隙を見せれば奪い取って逃げそうなくらいだ。
「さて、ラナ。もう一つ見せたいものがある。今のはボスの撃破報酬であって、ダンジョンの踏破報酬は別にある。それがこれだ、名を豊穣のオーブというらしい」
俺が気さくにラナに話しかけた。俺の情報が流布されると共にラナとの経緯も広まっているのでこの口調をそれを裏付けるものとなっている。
「豊穣のオーブ……どのような効果があるのですか?」
「このオーブの光が届く範囲限定だが、種を植えてから収穫まで一日かからん」
これは<鑑定>の結果を元に実際に試してみたことなので間違いない。朝に植えた芋が夕方には収穫できてしまうという冗談みたいな力を持っている。
これだけなら豊穣の名に相応しい神の恩寵だと喜んで終わりなのだが、当然そこまで話は上手くなかった。植物が成長するには水と光が必要だがもう一つ大事なものがある。土壌、植えた大地の力を吸って作物は生長するのだが、この神器は凄まじい成長速度を実現する為、土壌の養分を根こそぎ吸い上げてしまうのだ。
結果、一日で収穫を得られる代償として土地が死ぬ。結局はまた土地を休ませて力の回復を待たせる事になり、余り意味の無い魔導具なのではと俺は見ている。能力だけ見ればまさに神器なんだが。
もちろんここでは不用意な事は言わず、良い事だけを告げておく。話を聞いた周囲の者が目を見開いているが、ラナは慎重に調査をしてどのように使用するかを決めたいと締めくくった。
これで報告自体はあらかた終了したが、広間に詰め掛ける人数は増える一方だ。最後にして最大の見世物がこれから始まる事を既に周知しており、周囲を一瞥すれば半信半疑の顔をしている者もいれば期待に満ち溢れている者もいる。
だがとりあえず見ておいて損はない。そう考えた者達が十重二十重とこの広間を取り巻いていた。
「では最後のこの場を借りて自分からこの神殿の皆に謝意を伝えたい。先ごろ、俺はとある事情があり薬の素材を探していた。しかし他にも同時に探さねばならない素材があり俺は非常に多忙だった。しかし、事情を聞いた獣神殿の関係者の皆は忙しい身でありながら私の願いを聞いてくれ、結果として薬は完成し、ある方の命を救う事ができた。命を救われた方の家族はあなた方に非常に感謝を抱き、礼の品を俺に持たせた。あれから結構な時間が流れたが、あなた方にはこの品を受け取る権利がある」
そう言って俺は懐に手を入れるふりをして<アイテムボックス>から小さな箱を取り出した。
だが、取り出した瞬間、周囲の者が総毛立つのが解った。特製の箱に入れてあっても隠し切れない膨大な魔力を感じ取ったのだろう。
「エリクシールだ。彼等の感謝の証をどうか受け取って欲しい」
この場にいる誰もが息を呑んでいる。事前に話を通してあった……というよりこの場で大々的に発表したいという意向を受けて急遽この場で渡す事になったのだが、それでもラナもソウカもフランも額に汗を浮かべて緊張していた。
「私共は使う予定のない素材を提供しただけです。そのような神の恩寵を頂戴するわけにはまいりません」
「申し訳ないが、私は代理人に過ぎない。母親の命を救ってくれた恩を返せない恩知らずにさせてくれるなと彼等からは言われている。こう言ってはなんだが、いざという時に使える薬だ。持っておいて損はないはずだぞ」
実際は回復薬の枠を超えて政治の道具になれる。神殿が複数のエリクシールを所有しているという事実は圧倒的優位性をもたらすだろうし、それを使いこなせる才を彼女達は持っている。
「あ、有難く頂戴いたします。ユウキさんを疑うわけではありませんが、存在さえ疑われた神の恩寵なのです。多くの目がある中でその効果を確かめてみてもよろしいでしょうか?」
「既に君の手の中にあるものだ。俺が何か伺いを立てる必要はないよ」
俺の言葉に一礼したラナは控えていた者達に指示を出す。程なくして車付きの寝台に乗せられた一人の老獣人が運ばれてきた。
「巫女様。お話は伺っておりますが、あたしはもう十分に生きました。これ以上の生を望むのは罰が当たるというものです」
「あ、コーネル婆さんだ」「あの方、もう長くないと聞いたぞ」「あの人には散々世話になってきたんだ、もしあの薬がほんもんだったら、こんなに嬉しい事はないぞ」「俺もだ、ガキの時分からあの婆さんには頭があがらねえ」
「コーネルさん、そんな弱気な事を仰らないで。私達にはあなたが必要なのです」
「そのお言葉だけで天にも昇る気持ちです。既に手足は動かず、目も見えなくなってしまいました。今となっては獣神の御許に召される事だけが喜びなのです」
「残された私達が悲しみます。御孫さんはどうするのですか? 彼女は貴方の助けを必要としているのですよ」
「それは……」
寝台を押していた一人の巫女見習いがたまらずおばあちゃんと声を掛けた。あの子が孫らしいな。
「幼いあの子を残して行くのが不安なら、これを飲んでください。私達には”待ち人”がついています。どんな悲しみも苦しみもあの方と共に進めばきっと打ち払える。私はそう信じています」
ラナは先ほどの孫娘にエリクシールを手渡すと彼女はそのまま祖母の口元に薬を持っていった。
「ああ、そうそう。量は半分で十分らしいぞ」
「えっ、じゃあなんでそんなにたくさん入ってるの?」
俺が声を掛けるとソウカが不思議そうな声で尋ねてきたが、真相はひどく微妙な事実だったりする。
「贈答品に適した洒落た小瓶がそれしかなくてな。まあ少なくて足りないよりかはいいだろ?」
俺の言葉にソウカが額に手を当てて唸っている。
「なにその理屈……伝説のエリクシールなのに量が多すぎるから半分残せって。常識が、私の中の常識が崩れていくわ」
ソウカがなにやらぶつくさ言っているが投与されたコーネルさんのほうの回復は劇的だった。
「目が! 全てが白く閉ざされた盲いた目に光が! それに手足が動くなんて、ああ、偉大なる獣神よ、その大御心に感謝致します!」
「お婆ちゃん、私が見えるの? もう私を置いていったりしない?」
「おお、私の可愛いククル。お前の顔を良く見せておくれ。ああ、こんなに大きくなって」
盲目で寝たきりの老婆が立ち上がり目が見えると喜んでいる。名の知られた老婆の現状を知る者は多く、こちらの仕込みではない事をこの場にいた者達は即座に理解した。
「みこ様、おばあちゃんを助けてくれてありがとうございます!」
「いえ、よいのです。全ては獣神の御導きの賜物です」
「おお! まさか、本当に本物なのか!」「だがコーネル婆さんの病は神殿の治癒師が軒並み匙を投げたって聞いてたぜ。その婆さんがあんな元気に。仕込みじゃねえだろ」「ってことは、マジモンのエリクシールだってのか……凄えな」「ああ、凄えよ! 待ち人がいて、エリクシールまであるんだ、獣神殿はこれからとんでもないことになるぞ!」
ラナの手にはまだ4本のエリクシールがある。多くの者がこの効果を目撃し、それを手にしている巫女の権威の強大さを認識するのだった。
「では、これにて我々は失礼させていただく」
もう見世物になるのは役割は十分果たしただろう。
いまだエリクシールがもたらした奇跡に熱狂的興奮が収まらない中、俺たちは気配を消して広間からそそくさと退出するのだった。
「あー疲れた。慣れないことはするもんじゃないな」
ようやくのこと屋敷に戻れた俺は談話室の長椅子にその身を投げだした。魔導書の長時間使用とは違った種類の重たい疲労感が体を包み込んでいる。
「シャオもつかれた~」
長椅子の上に仰向けに寝転んだ俺目掛けて娘が飛び込んできた。いつものことではあるので難なく受け止め、定位置である俺の腹の上に納まった。
「シャオは今日もいっぱい遊んだか?」
「あそんだの……ふにゅ……」
既に娘の瞼は重力に逆らえなくなっている。毎度の事ながら寝入りの早い子だ。俺が抱きとめてから1寸(分)も経たずに夢の中である。
俺の腹の上で健やかな寝息を立てる娘を眺めているとぼんやりとこの数日のことが思い出された。
詳細な報告書が出来上がるまで、俺は約束通りに皆をウィスカのダンジョンに連れて行った。半日程度だが、数の暴力で押し寄せるモンスターをひたすら叩き潰していると一人あたり金貨千枚くらいは稼げていたから、今回の探索の渋い報酬より満足してもらえたと思う。
余談だが、最下層のドラゴンの復活周期は3日に一度と判明した。今朝になって扉が閉じているのを発見し喜び勇んで再戦を果たしたのだが、肝心の肉を落とさなかった。
どうやら竜の肉はレアドロップ品のようだ。エレーナがダンジョンのドラゴンが肉を落とすなんて聞いたことがないと言っていたのはきっとそういうことなのだろう。次は<鑑定>して確かめてみよう。
だが3等級の魔石一つと金貨3000枚近い財宝を落としたので、あの黒竜はこれから俺の友達になってもらう事が確定したのだった。
「あ、帰ってきていたのね……随分とお疲れの様子じゃない。何でもこなしちゃうあんたでも救世主の代わりは骨が折れたみたいね」
「大勢の前で偉そうに振舞うのは趣味じゃないんでな。断れなくて引き受けたとはいえ、やはり荷が重いぜ」
長椅子に寝そべっている俺を見つけて声を掛けてきたのは、店舗から帰ってきたセリカだった。すぐ背後には護衛のふたりと専属メイドになったティアナの姿もある。
「ふぅん」
アイン達を下がらせたセリカは俺の目の前に立った。なんだこいつ、座りたいようだがここは談話室で椅子なら他にも沢山あるだろうにと思いつつ俺は腹筋を用いて上半身を起こした。
「場所とった!」
俺が身を起こした分だけできた空間にセリカが体を滑り込ませた。こっちは疲れてるってのにこいつは何をやっているんだか。眠るシャオを起こさないように抱きかかえつつセリカに一言文句を告げようとしたその時、俺は背後から強い力で引っ張られて体勢を崩してしまう。
セリカの仕業だと思う間もなく、俺の頭はなんというかとても温かいものに触れていた。
「ふふん。都合の良い女である私があんたの疲れを癒してあげるわ」
俺はセリカに膝枕をされていた。思い立ったら即行動したようで、自分が何をしているのか今になって理解したらしい。顔を真っ赤にして照れているが、自らの膝の上から俺の頭を退けるつもりはないようだ。
なんだろう、不思議な感覚だ。柔らかく、温かく、そしてどこか安心する。口では嬉しいでしょう? 感謝しなさいよねと騒いでいるが、極度の緊張状態にあるのか赤い顔のまま滝のような汗を流している。
「なんだよ、慣れてなさそうだな。すこし落ち着けよ」
「慣れてるわけないじゃない。私が膝を許すのはあんただけ。これまでも、これからも変わらないわ」
「そりゃ光栄至極。気合入れて堪能する事にしよう」
「や、ちょっと動かないでよ、変なところに当たるじゃない!」
俺は一日の疲れをセリカによって洗い流し、明日への活力を補充するのであった。
残りの借金額 金貨 12557414枚
ユウキ ゲンイチロウ LV6987
デミ・ヒューマン 男 年齢 75
職業 <プリンセスナイトLV3074>
HP 985214/1154944
MP 4621444/4621444
STR 135874
AGI 126514
MGI 162101
DEF 145120
DEX 112696
LUK 71025
STM(隠しパラ)9544
SKILL POINT 32315/32865 累計敵討伐数 754925
楽しんで頂ければ幸いです。
また2週間も掛けてしまい申し訳ありません。なんか上手く話が転がらず難儀しました。
次回からクラン会議編の前に日本円を稼ぎます。そして夢の国へ旅立つ準備をしなくてはなりません。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




