秘密 6
お待たせしております。
この国の王女であると自らの立場を公に口にしたセリカは、随分と晴れ晴れとした顔をしている。これまでも俺達の会話にあまり積極的に参加する事も無かったし、後ろめたさを感じていたのかもしれない。
「あー、まあ知ってたけど」
セリカの告白に俺は戸惑いつつ返答した。皆はどうなんだろうと仲間達を見ればやはり微妙そうな顔をしている。
「ああそうだな、それは俺もそんな気がしてたから……」
「そもそもセリカはあまり隠してはいなかった気もするけれど」
玲二と雪音もそんな感じだが、この言葉は俺達に向けたものというより己自身へのケジメなのだろうと思う。
「何か事情があるんだろうとは思っていたからね。あれだけ商売する事にこだわっていたのに表舞台はエドガーさんに預けていたし」
セリカとしては一世一代の告白のつもりだったのだろうか。玲二達があまりにぞんざいなのでへこんでいた。それを見た如月が慰めるように言っているが……俺達はセリカが何か口にするまでは待っていてやろうぜと話し合っていたくらいだ。あ、そうなの? というより今更なにを言ってやがるという感想を抱いていた。
元から知り合いだったソフィアは当然として、俺の隣のイリシャもふーん、それで? という顔をしている。
例外は一人だけだ。
「セリカおねーちゃん、きれい! きらきらしてる!」
着飾ったセリカを見た我が娘は大興奮だ。そのそばには国王や王妃達も居るというのにしきりにセリカの周囲を走り回っている。
確かにこれまでは動きやすい格好ばかり見ていた。本人はこっちの方が楽だからとレイアと同じ男装までしていたほどだから今の姫のような格好は俺も初めて見た。
いや、名乗りを上げたという事は王家に復帰した本物の姫なのだろうが、娘が興奮してしまうのもわからんでもない。
セリカの奴、着飾ると受ける印象が別人だな。彼女自身も色々とその人生に鬱屈した重い荷物を抱えていたからそれが除かれて顔つきが変わっている。ぶっさいくな泣き顔を延々と見せられるよりかは好印象だ。
だが今は真っ先にやるべき事がある。いまだ顔を輝かせる娘を落ち着かせないと話も満足に出来ないからな。
「こらシャオ、落ち着きなさい」
「とーちゃん、せりかおねーちゃんきれいなの! すごいの」
「ああ、そうだな。皆さん、娘が失礼しました。まあお掛けください」
大はしゃぎの娘を抱き上げ、俺は未だ立ったままの王家一行を席に導いた。椅子に明らかな差をつけているので誰がどの椅子に座るという問題は一目で解決している。国王は当然として3つの同じ装飾の椅子は王妃たちのものだ。数としてはメイドの分も準備しているが、彼女は席に着かず俯いたまま王妃達の背後にたった。これは俺の従者達とソフィアのメイド3人も同じである。
しかしあのメイド、首元を隠している。傷跡は完全に消したはずだが一体何をして……この魔力は覚えがあるな。
如月が部屋の外へ合図するとそれを見計らったかのように従業員がそれぞれの前に茶と菓子を流れるような所作で置いてゆく。その手際を褒めてやりたいが、それを口にする気分ではなくなった。
「こちらまでご足労願って大変恐縮です。国王陛下と王妃の皆方をお迎えできて光栄、と話を始めたいところだが、まずは先に片付けなければならない事があるな。セリカ、それはどういうことだ?」
俺の視線は俯いたままのメイドの首、布に隠された奥にある。しかし俺の詰問を受けたセリカの顔には何故か安堵の色がある。あ、こいつ。さては俺に始めから丸投げする気だったな?
「あんたも協力してよ。私達じゃ説得しきれなくてさ、こうする他無かったのよ」
背後に控えていたメイドはセリカの手によって前に出され、そして首元の布が外された。
「あれは、奴隷の首輪!」
雪音の息を飲む声が聞こえた。まだ年若いメイドには不似合いな無骨な黒革の首輪がその首に嵌められていた。セリカに好き好んでメイドを奴隷化する趣味がない事はこれまでの付き合いでわかっている。
それに俺が治療した時にそんなものは無かったから、あの首輪は治療を終えてから着けざるを得なかったと考えるべきだろう。うん、面倒臭いやつだなこれ。
「あれか? 意識を取り戻した後、自責の念に駆られてとかそういう感じか?」
俺の言葉にセリカは頷き、隣に座っている母親のアリッサ妃も顔を伏せた。
「なんてこと。動きを縛るのに奴隷の首輪が必要ということは?」
ソフィアの言葉に国王が重々しく口を開くが、その顔は苦渋に満ちていた。
「既に幾度か自決未遂をしていると聞いた。あの快活な娘からお願いだから死なせて欲しいと哀願されたのは生涯でも最悪の経験だな」
<ユウキ様……>
<解っている。大丈夫だ>
イリシャとの出会いを思い出させられて俺の腹の底にドス黒い何かが生み出されたが、ユウナの<念話>と隣に座るイリシャのほっそりとした手が俺の腕に触れている。己の感情くらい自分で制御できなくてどうする。身内に心配をかけるほど不様な事はない。ただ俺がはなはだ胸糞悪くなるだけだ。
「ティアナは何一つ悪くないと何度言い聞かせても聞く耳を持たないから、首輪を嵌めて大人しくさせるしかなかったのよ」
どれだけ言っても無駄だったと嘆くセリカだが、そりゃ無理だろう。このティアナというメイドの顔を一目見れば解る。このメイドは許されたがっているわけではないからだ。
よく見りゃ解りそうなもんだが、きっとここにいる皆は優しすぎる人たちだったのだろう。それは素晴らしき美徳ではあるが、この問題を解決する事は出来ない。
余計なお世話だろうが、無関係ではない。憎まれ役の一つも買って出てやるか。
「セリカ。話は変わるが、名乗りを上げたって事は正式に王家に復帰か?」
「え? ええ、そうね。もうじき陛下からお触れがでるみたい。母様と共に王家の名簿に名前が戻るけど、それがどうしたっていうのよ」
突然話題を変えた俺に戸惑う彼女だが、これでもソフィアとレイアに次いで付き合いの長い女である。俺がここで無意味な話をする男ではないと解っているから言葉の続きを待った。
「という事はお前にも専属メイドが必要だな。ちょうどそこに派手にやらかして前の屋敷には戻れなさそうな奴がいるじゃないか。罰として数年間無給で朝から晩までこき使ってやればいい。王妃暗殺未遂の凶悪犯だ、遠慮はいらんだろ」
「そんな! ティアナは心栄えのよい優しい子なのです。私への事だって家族を人質に取られてやむなく」
アリッサ妃が俺の沙汰に不満を述べるが、その言葉は途中で途切れた。当のメイド本人の瞳から大粒の涙が零れ始めたからだ。
「どうか、どうかクローディア様のお側で勤めさせて下さい。この罪に穢れた身をどうかお好きなように使い潰していただく事がただ一つの望みにございます」
そう言って泣きながらセリカに跪いたメイドに王家の者達は驚愕していた。これは後で聞いたが、これまでは死なせてくれとしか言わなかったらしいから、こんな言葉でも生きる意思を見せた事に驚いていたという。
「わ、わかったわ。ただし、しっかりと勤めること。簡単に命を投げ出したら承知しないから」
「はい、誓ってお約束いたします」
しっかりとセリカに誓いを立てたのであの不愉快な奴隷の首輪を<解呪>した。ごとりと音を立てて首輪が外れると国王たちは驚いていたが、元からセリカは俺に解呪させるつもりでここに連れて来たのは解っていた。まあ、これも後始末の一つと言えるだろう。
さめざめと泣くティアナはアンナとサリナに連れられて部屋を出た。何でも使っていいからとりあえず落ち着かせて欲しいと頼んである。これから色々と話をするのに隅で泣かれていたら気まずくて仕方ないからな。
「ごめん、でもありがとう。本当に助かったわ、私達じゃどうしようもなくてさ」
何とか最悪の案件を片付けて一息入れた俺達にセリカが礼を言ってきた。
「いきなり死にそうな顔のメイドを連れて来やがって。どうなることかと思ったぜ」
俺はそうぼやくがセリカの顔は終始笑顔だった。こいつめ、面倒事は俺に投げれば片付くと思ってないか?
「あんたならあっさり解決してくれると思ってたもの。実績があるじゃない、実績が」
「こっちに無茶振りをするなと言ってるんだ。毎度毎度綺麗に片付くわけじゃないんだぞ」
「でもあんたならいつだって上手くやるじゃない。今回ばかりは途方にくれたわよ、何言っても聞かないんだもの。今でも不思議なんだけど、よくあの子を納得させたわね」
なにか変な事したんじゃないでしょうね、と失礼な事を言ってくる眼鏡女に俺はひと睨みをくれてやった。
「あんなの見りゃ解るだろうが。どうせそっちはお前は悪くないとかそういう慰めしかしなかったんだろ? あのメイドは許されたかったんじゃない、罰を欲していたんだ」
どんな事情があろうがセリカの母親に危害を加えたのは確かなのだ。だから自責の念に駆られて自殺未遂を繰り返したのだろう。
あのメイドに必要なのは優しい言葉ではなく、償いの場だったというだけだ。
「ですが、いくら罰を与える口実とはいえ無給で働かせると言うのはいかがなものでしょうか。ティアナの家族はあの子の俸給が支えなのです」
それまで黙っていたアリッサ妃がこちらに非難めいた視線を送ってくる。甲斐甲斐しく働くメイドは存在を秘された王妃の大きな心の支えになっていたと聞く。事実として己に劇物をかけられてもメイドを全く恨まなかったほど強い絆で結ばれているから、メイドの悲惨な扱いに文句を付けるのも当然といえる。
「ああ、母様。そこはご心配なく。この店に詰めていればお金を使う機会なんて殆どありませんから。生活に必要な物は全て揃っていますし、ここの品はほかのどの店よりも高品質です。私自身、ここ半年ほどお金を使った記憶がないほどなのです。家族への手当ては現物支給で十分でしょう。ここの品を渡せば今よりずっと良い生活が出来ますから」
セリカの言葉は事実だ。ここの従業員たちは衣食住を全て保証されているし、提供される品はダンジョン産や創造品ばかりで外の店より圧倒的にに品質で勝っている。俺が食材を卸しているリノアの店の系列店などでは店の者が余った食材を他の店に売って現金収入や物々交換をしている場面にも出くわした。あの時は白パン一つで黒パン五個と交換していたが家族が多い者にとってはそっちの方が有り難いだろう。
俺も自分の手から離れた品をどうしようがうるさく言う気はないし、ダンジョン産に厳しい冒険者ギルドもこれくらいならお目こぼしだ。というか庶民の小さな取引まで一々気にしていられないと言うのが正直な話に違いない。
そういう訳でこの罰はかなり形式的なものだ。ようはあのメイドが自分は今罪を償っているという満足を覚えればいい話だから、その体裁さえ整えば後はなんだっていいわけだ。
アリッサ妃は納得していない顔だが、それはこの店に訪れたのは初めてで良く理解していないからだ。側に座る王妃二人は満足顔なのが対照的だ。
「アリッサ妃も王籍に復活するのですからこれからは自由に動けるのでしょう? 気になるのでしたら様子を見に来れば良いだけの話……そういえばセリカってまだこの店舗の店長続けるのか?」
「当たり前でしょう。ここは私の城なんだから、誰にも渡すものですか」
王女に戻るのだからもうこの店に留まる必要はないと思うのだが、俺の問いにセリカは当然という顔で答えた。もし王宮に戻るなら前提そのものが崩れるので俺としても一安心だ。
そうか。じゃあセリカ達ともこれまで通りか。
なんだろう、ふと心が軽くなったような気がする。俺は今回の件でセリカ達と別れる事を心のどこかで恐れていたようだ。
「ん!」
俺がそんな事を考えていたら、隣に座るイリシャが俺の肩にもたれかかってきた。対面には国王夫妻がいるのにどうしたんだと思う間もなくふいっと離れてゆく。
どうした? と目で問うても、べつに、と素っ気無い返事をする妹も珍しい。
「王妃の件に続き、ティアナのことまで世話になったな。改めて感謝する」
話が一段落したのを見計らって、国王が礼を言ってきた。言葉の後には深々と頭を下げ、王妃やセリカもそれに倣った。
「どうか頭を上げて下さい。あの場でも申し上げましたが、セリカに泣きながら頼まれれば嫌とは言えませんよ」
「だ、誰が泣いて頼んだですって!? あ、あんたが私から無理矢理聞きだしたんじゃない!」
「セリカ、ひとを指差してはなりません」
「う、は、はい。母様」
俺の指摘に顔を真っ赤にして言い返したセリカだが、母親に窘められて大人しくなった。中々珍しい光景である。
「そういう訳でお気になさらずとも結構です。申し遅れましたが、アリッサ妃におかれましてはご快復お慶び申し上げます」
俺の言葉に先ほどまで難しい表情をしていた彼女ははっとした顔になった。自分達が何をしにここに来たのか思い出したようだ。
「貴方にはどのようにお礼をすればよいか……私のみならず、ティアナの傷や心まで救っていただいて。セリカの事も含めて、本当に感謝します」
「先ほども申し上げましたが、自分が勝手にやった事ですので。それより、色々とお話を聞かせていただけると思っていますが……失礼、まずは我々の紹介からすべきでしたね」
王家と深い関係を持っているソフィアは別として仲間たちは初対面が多い。向こうはセリカから様々な情報は得ていると思うが、折角の場であるし一度きちんと挨拶をしたほうがいいだろう。
そして俺達は一通りこの国の支配者達に挨拶をした。向こうは当然ながら稀人である三人に注目したが、具体的な発言は控えた。もし異世界人である彼等になんらかの要求があれば俺が止めるであろう事を事前に言い含められているのだろう。
国王はもちろん第一王妃ミランダも頭の切れる女性だと評判だ。不用意な事はしない。
「それでさ、その、私のことは何時ごろから気付いていたの?」
和やかな空気で会談は進み、卓の上に新たな菓子を山ほど置いて茶の追加を頼もうかと思っていた頃、セリカがおずおずと問いかけてきた。
「いつからって。そんなもん出会った当初から当たりはつけてたぞ。確信したのは……いつだっけか。あああれだ、王都を大掃除した時だな」
「えっ、そんな前からなの? 結構上手く隠せていたと思ってたけど」
なに言ってんだこいつ?
「隠すも隠さないもないだろ。覚えているか? 俺と出会った時、お前はソフィアとシルヴィアを呼んだだろ。この二人を動員できる段階で候補は非常に限られるだろうが。隣国の王女と公爵が目に入れても痛くないほど可愛がっている孫娘だぞ。特にシルヴィアを呼べるって事は公爵の了承済みって事だ。この時点でよほどの大商家か王家しか選択肢はない。だが一国の王女が出張る案件かってのも微妙で嘘くさかったがな」
「ああ、やっぱりあんたなら気付くわよね。私もそう思ってたけど不確定要素が多くてね、二人がいてくれないと不安で仕方なかったのよ」
「ソフィアとは昔からの付き合いだっけ?」
俺はそうソフィアに問いかけた。
「はい、この国に招いて下さったのがクローディア姫、セリカ様なんです。ああ、やっと兄様にお話できました。セリカ様から口止めされていたのですが、兄様に隠し事なんてずっと心苦しかったのです」
「ソフィアには迷惑をかけて悪かったと思っているわ。でも、あの時の私にはできることは全てやらなきといけないと思っていたのよ。あの暗黒教団の大問題をほぼ独りで解決したとんでもない奴と交渉する羽目になったんだから」
「そういえばそんなこともあったな、今となっては随分昔に思えるが」
「本当に色々あったものね。一年も経ってないとは思えないくらい」
思い返せば……確かに色々あったな。王都だけでもゴミ掃除に親分さんにイリシャ、それにサラトガ事変もか。
ちょっと出来事詰め込みすぎな気もする。玲二達が揉め事多すぎないか? とよく言っていたのを思い出すが、まあこんなもんしゃないだろうか。
「だがセリカの存在は王家側の窓口担当として存分に役に立ったわけだろ? 出会い方はアレだったが結果としては良かったじゃないか」
「……ええ、そうね。ソフィアを始めとして学院に各国の王族があんたの周りに集まってきたけど、私がこの国の担当だったってわけ。当然あんたには見抜かれてたみたいだけどね」
そりゃあほぼすべての周辺各国の姫や王子が来てるのに当該国の人間がいないってのも格好がつかない話だ。
王家には同じ年頃の王子がいたと思うが、それを送り込むこともなかった。何が楽しいんだか知らないが、王族たちは俺を見物するためにわざわざ国を出てきているらしいから、ランヌ王国も手をこまねいていたわけではないとしたかったのだろう。
特にマスフェルトやエリザとフィーリアは王女としてのセリカを知っているはずだ。それらしい事を言ってたし、王籍を抹消されたのは7歳とからしいからな。それまでは普通に付き合いがあったんだと思う。
「さて、あのときは聞けずじまいだったが、ユウキには礼をしたい。いや、しなければならぬ。我が妻の命の対価なのだ、けして軽いものではないそ」
俺とセリカの話が一段落したのを見計らって国王が話しかけてきた。
褒美をくれるらしいが……この国から貰いたいものが特にないんだよな。
<皆、なんか欲しい物あるか? 今なら下っ端貴族くらいにはしてもらえそうだぞ。領地は要相談って感じだな>
<うーん、要らないなぁ。欲しいものは創ればいいんだし、貴族も領地も今もらってもなあ。貰うとしてももう少し後がいいわ。今はユウキみたいにこの異世界を遊び尽くすのに忙しいし>
他のみんなもそんな感じの答えだったので国王への返答に困ってしまう。
「我が国に可能なことなら何でも叶えてやれる。さあ、言ってみてくれ」
「何でもって……んな無茶な。じゃあ、借金そのものを無くして欲しいといえば叶えてくれるんですか?」
「な……に……!?」
俺が呆れ混じりに発した言葉に国王は真顔になる。途端に真剣味を増したその顔で自らの娘を見るが、当のセリカは必死で私何も言ってないと目線で訴えていた。
「うっ、やっぱり気付かれてたのね。あんたに隠し事は出来ないってつくづく思い知らされたわ」
「おい、隠し事も何も王女が借金の代理人として派遣されたんだぞ。その理屈で考えれば貸したのは王家だってすぐ思いつくだろうが。尤も俺は何も借りちゃいないがな。それに王家は王家で俺に色々と便宜を図ってくれていただろ。アルザスであれだけ好き勝手やったのに国からの横槍が来なかった。貴族相手に喧嘩もしたから、普通なら何らかの反応があるはずなのにな」
明らかに国は俺の行動を黙認していた。公爵家は王家に非常に近いとはいえ俺個人をそこまで庇う義理はない。となれば俺自体の価値を理解しているのだろう。つまり、王家に大金を貢ぐ金の成る木として敢えて俺を自由にさせているのだ。
他にも色々と王家が黒幕だなと考えられる事はある。俺はスキルの能力でダンジョンドロップ品を物納しているが、普通なら物納は誰だって嫌がるのだ。金貨より品物の納品を喜ぶ時点で対象はかなり限られた。噂だが、今年の魔法研究所の予算は金貨ではなく莫大な量の触媒で現物支給だったらしい。これを金貨で揃えたら半分以下の量になってしまうとか。
このように現物で送り付けても有効活用できる組織力を持っている相手だということだ。これも聞いた話だが、騎士団の武具も新品の物に切り替わったそうだ。なんでも大量の鋼が何処からともなく現れて鍛冶屋が大喜びで剣を打ちまくったとか。
「そ、それはそうだけど……」
セリカは父親である国王の顔色を伺うが、王も渋い顔をしていた。俺が何かゴネださないか不安なのかもしれない。既に金貨にして150万枚以上返済しているし、俺は俺の事情もあるので今更どうこう言う気はないのだが、今からやっぱ返すの止めますと言い出すとあちらさんは大変に困った事になるのだ。
国王が盛大に金を使い込んだとかそういう話ではない。むしろ国の発展を見込んでそっちに全振りしたのでその不退転の決意には感じ入ったほどなのだが、街道と運河の整備、そして港湾の拡張は湯水のように金がかかる。それを俺からの入金で賄おうとしているらしいので俺の気分一つで計画は頓挫することになる。
あぶく銭で一世一代の勝負しすぎだろとも思うが、この話をしてくれた公爵の話しぶりを考えると俺と一蓮托生だと向こうなりに覚悟を決めているような感じもあり、そこまで不快には思っていない。
「兄様、借金とは一体何のことなのですか?」
不穏な単語に反応したソフィアが俺に尋ねてきた。そういえば妹にこの件は話していなかったか。セリカとの話し合いの場にはいたはすだが、今にも暴れだしそうな俺を止めるので精一杯だと言っていた気がする。あのときは魔約定も出してなかったからこれが初見になるわけか。
最初の頃はセラ先生など色んな人に魔約定を見せていた。事情を知っているものが居ないか反応を探るためでもあったが、返済を始めた位になると誰にも、それこそ仲間くらいにしか魔約定の存在を明かすことはしなかったが、ソフィアならもういいか。俺にこんな借金を被せた奴等が目の前にいることだし。
「これさ。ソフィアや皆に何故危険なダンジョン攻略をするのかとよく聞かれたが、これがその答えだ」
懐から取り出した魔約定をソフィアの目の前に置いてやる。
「そんな、兄様……! こんな、こんなことって!」
魔約定に書かれた内容を把握した妹が息を飲む。
そして、俺の想像通りの反応を返してきた。
「兄様、何故このような払う必要のない借金を支払っておられるのですか!?」
「ああ……まあ、そうだな、強いて言えば俺の趣味だ」
当然のように呆れられるので他人に魔約定を見せるのは嫌なのである。
「もう兄様ったら! ソフィアは真面目に伺っているのですよ。どうして兄様がこんなことを……」
「それは我等、全員が疑問に思っていることだ。一体何故、行う必要のない返済を始めたのだ?」
それは完全に俺の事情なので他人に理解してもらう事は難しい。<共有>する仲間でもなければ俺の心情を正確に読み取るのは不可能だろう。
「理由は色々ありますから一言で言い表すのは難しいですね」
俺は神妙な顔をして答えた。今はダンジョン攻略のついでくらいの認識になっているとはとても言えない。個人的な理由で返済の義務を負っていた方が俺にとって都合が良いなんてもっと言えない。
「一つ確実に言える事があります。絶対に完済しますから、それはご心配なく」
「そうね、この推移ならあと5年もかからず稼ぎ出しそうだし。今手元にどんだけお金持ってるか知らないけど、どうせうんざりするほど貯め込んでるんでしょ?」
セリカは確信に満ちた顔で俺を指差すが……どうだろう、貯め込んでいると言えるのはギルドに卸す用の触媒関係とポーション、食い物と各等級の魔石くらいなものだろう。そう考えればかなり溜め込んで……あ、金貨関連があったな。現金入れると損した気になるから全く突っ込んでなかった。
今一体どれくらいあるんだろうか?
言われて気になって計算したら、あるわあるわ。白金貨だけで1000枚を超えていた。金貨にすればこれだけで10万枚だ。よくぞまあこんなに、と言うより最近の探索で出まくってこうなった感じだな。金貨も15万枚ほど溜め込んでいた。
「確かに。今見たら金貨にして20万枚位あったな」
「は、嘘でしょ? いくらなんでもそんな額が……わかった、わかったから!」
俺が白金貨を百枚重ねた束を無造作にガチャガチャと置いてゆくとセリカも慌て始めた。やはり白金貨は見せ金としての効果が高すぎる、相手を納得させるのに便利だ。
「だが、望むものはなにもないのか? 借財の事以外なら大抵の事は叶えてやれる。この功績なら爵位や領地もある程度なら考慮してやれる。ただ領地は少し待ってもらうがな」
「その褒賞って北部貴族から奪ってこいとかいう話じゃないでしょうね?」
俺の咎めるような視線に国王は黙り込んだ。そんなことじゃないかと思ってたぜ。クロイス卿と同じ目に遭うつもりはない。彼のことを助けるつもりはあるが、それとこれとは別の話である。
「ですか、陛下に願いが全くがないというわけでもないですね。とある伯爵家と男爵家の名誉回復をお願いしたい。セリカが表舞台に復帰したなら時間の問題だとは思いますが、確実にお願いしたいのでこれを褒美とさせてください」
ギルザード帝国に人生を狂わされた人は数多い。特にギルザード”王国”時代に付き合いのあった者達はかなり被害を受けたと聞く。
その中でも俺の知り合いを最優先に救済してくれと頼んだのだ。誰の事を言っているかは既にセリカが理解しているだろう。
「なるほど。リットナーの倅の件か」
「ええ、余計なな世話だとは思いますが。あいつも身を固めないと色々大変そうなんで」
バーニィのやつ、伯爵家当主なのに婚約者の一人もいない異常事態なのだ。周囲が焦りまくっているからなんとかしてやらんといかん。
「奴より先に世話を焼いてやるべき人間がもう一人いるはすだが?」
にやりとした国王がそんなことを言ってくるが……何故クロイス卿の話題がここで出るんだ? あんなの時間の問題だろうに、と思ってセリカの顔を見たら全力で何も言うなと表現していた。
まさかこいつ、エレーナの事を報告していないのか?
ああ、そういうことか。確かにこれまでの状況じゃ話すに話せんな。
何しろセリカの母親であるアリッサ妃とエレーナを見比べてみれば一目瞭然だからだ。
勘がいい雪音などは既に気付いているに違いない。
「彼はいい歳なんだから自分でやってもらいます。とにかく借金の方は心配いりません。きっちり完済しますから、そちらも金貨1500万枚分の”何か”を期待してますよ」
俺の挑発的な笑顔に国王は引きつった顔をした。
「これに関する詳しい話をしたほうがいいか? 当然お前は聞く権利がある」
この謎の魔約定が存在する理由……知りたい。そりゃ知りたいに決まっているが。
「止めときます。もし下らない理由だったら返済するやる気が霧散しそうなんで。完済したその時に色々聞かせてもらいます。金貨1500万枚分に相応しい理由をね」
その正体もおおよその見当はついている。
出会ったときにセリカが話していたが、俺が借りたはずの金貨は存在しないという。存在しないのに返せと言われているのだが、この理屈だと一つだけ可能性がある。
何らかの権利を買った場合だ。あの金額相当となれば色々と想像を巡らせることもできるが、これはユウナにも探らせてはいない。
先程も告げた通り、もしつまんないものなら投げ出してしまうだろうからだ。
「う、うむ。わかった。そうしよう」
国王の微妙な顔が気になるが、いずれ来るその日を待ち望んでおくとしよう。
「とーちゃん、おなかすいた」
まだ色々と話をしたい所だが、俺の服の袖をくいくいと娘が引いている。確かに結構時間が経っていて、太陽は中天に差し掛かっている。
俺自身さっきあれだけ食ったのにもう腹の虫が泣き出した。
俺を見上げる娘を抱き上げると、俺はこの場の皆に提案するのだった。
「皆さん、難しい話はあとにして、よろしければ昼食など如何ですか?」
これまでの付き合いで俺が普段何を食べているか熟知している国王は一も二もなく頷き、この感謝やら暴露やら釈明やらが渦巻いた会談の場はお開きとなった。
ちなみに国王は昼間っからぶ厚いステーキを3枚も平らげ、これからは魔約定に肉と酒も入れるよう頼みこむ始末であり、王妃たちも平然と菓子を山程欲しいと言ってくる有様だった。
真相を話せたことでようやく面と向かって注文できると終始上機嫌であり、頭にきた俺は密かに王家の人間だけこの店の値段をつり上げるようセリカに指示を下すのであった。
セリカがアルザスの屋敷に顔を出したのは、それから2日後の夜だった。
「ただいま」
「おう、おかえり。遅かったな」
「いきなり説明もせず外交方針の大転換だから、色々ゴタゴタしたのよ。あれ、みんなは?」
「それぞれの部屋じゃないのか。さっきまではレイアと如月がいたけどな」
俺は屋敷の談話室で本を読んでいた。隣では妹と娘が重なり合うようにして夢の世界だ。体の半分が俺にのしかかっているので俺の身動きが取れなくなっている。
「ふうん」
セリカは小声でちょうど良かった、と呟いて俺の隣に座った。いつもは俺と離れた椅子に座るから珍しいこともあるものだ。
「服、前のままでいいのか?」
俺はセリカの衣服を指差した。ドレスではなく、見慣れた動きやすい格好をしているからだ。もう王籍に戻るのだし、これからは姫君として生活すると思っていたのだが。
俺の指摘にセリカは虚を突かれたような顔をしている。先程から俺の顔を見て考え事をしているかのように動かなかったからだ。こいつは前からこんなことがある。まるで時が止まったかのように人の顔をずっと飽きもせず見つめているのだ。どうせ見るなら俺なんぞより玲二や如月の顔面の方がよほど見栄えがあるはずだ。
「えっ、ああ、うん。そうね、ドレスって性に合わないのよ。今まで全然着てこなかったし」
「確かにお前はソフィアみたいに深窓の令嬢って感じはしないな」
今のソフィアは相当に行動的だが、出会った頃は儚ささえ感じさせるお姫様だった。
「だから私はこれで通すわ。王女に戻ってもあの店の店長だって続けるんだもの」
「王女の仕事はいいのか? 復帰したなら色々公務がありそうなもんだが」
「今まで公式には存在してなかったんだから、今更よ。王家にとってはあの店の方がよほど価値があるしね」
”美の館”は今は王都最大の社交場と化している。俺達がいた特別室に向かう時も国王一行は周囲に見せ付けるようにゆっくり歩いてきたという。第三王妃アリッサとその娘セリカの復活の報せはその日の内に王都中を駆け巡ったという情報の早さだ。そんな場所を王家が抑えている意味は大きい。その気になれば王家の望む情報を貴族たちに流すことも可能だからだ。
「あの、さ。ひとつ聞きたい事があるんだけど……」
他愛のない話を暫く続けた後、セリカは戸惑いながらこちらを見上げてきた。
「あんたは、私にそういうことをしないと思ってた。ここに来た経緯が経緯だから私も距離をとってたし、ソフィアや雪音みたいに特別大事されてる感じもなかったから。貰った護りの魔導具も数も少ないし」
「おい、お前はアインとアイスがどれだけの献身を捧げてると思ってんだ。ソフィアみたいに山ほど魔導具を持たせればあの二人を信用してないと言っているようなもんだぞ」
「それは、わかってるけど。でも明らかに他のみんなと私には温度差があったじゃない。だから気になったのよ。どうして私に手を差し伸べてくれたの?」
どうしてって言われてもな。死にそうな顔で泣いてたこいつを前にして何もしないなんて選択肢があるはずないだろうに。
だが適当な台詞を吐いてセリカを煙に巻く事は出来そうにない。狂おしいまでの強い視線をこいつは俺に注いでいた。
誰にも語る必要のないことだと思っていたが、口にしないと納得しそうにないな。
「俺は何も持っていない男だ。祖国も、故郷も、家族さえもな」
「えっ。あんたには血を分けた家族がいるじゃない。故郷だってちゃんと……」
俺を調べ上げたセリカはライルの家族の事を知っている。だが、それは俺の事ではない。
「無いんだ。俺には何もないのさ、セリカ」
「……!!」
俺は今どんな顔をしているのだろう。それは俺を見ているセリカにしか解らないが、彼女の瞳から一筋の涙が零れた。それだけが事実だ。
「何も持っていないのなら手に入れればいい、そう思う事にした。だから自分にとって価値のあるもの、信じたい何かを俺の腕の中に囲う事に決めた。そして腕の中に入れたものは絶対に見捨てない。ただそれだけの事だ」
「私はあんたにとって価値のあるものってわけ?」
「初めて会った時はこの眼鏡女、絶対泣かすと思ったもんだが……世の中解らないもんだな」
そこまで告げて、セリカの顔に納得の色が浮かんだ。と思ったら、途端に上機嫌になり、また周囲を見回し始めた。ここには俺達以外は寝息を立てるシャオとイリシャしかいないけどな。
自分の命以上の価値を持つ二人の頬を撫でていた俺は油断していた。
だからセリカの次の言葉に完全に虚を突かれた。
「よし、決めたわ。私、あんたの女になってあげる!」
「は? 一体何を言い出すんだ、おま」
顔を上げた俺の目の前に美人な眼鏡女の顔があった。近い、あまりにも近い。これでは……
ほんの僅かではあるが、触れた。確かに俺とセリカは触れ合った。
「あんたにとって都合の良い女になってあげるって言ってるの! 感謝しなさいよ、これでも、は、初めてだったんだから!」
伏せた顔を顔を真っ赤にしたセリカは早口で言いたいことだけを告げて慌しく席を立つ。
しかし、彼女の背後に不穏な気配が二つ存在していた事を、哀しいかなセリカは気付けなかった。
「セリカ様? 少ぉしあちらでお話しましょうか?」
「セリカ、貴方は”そういう事”をしない人だと信じていたのに。信じていたのに!」
「あ、ちょっと待って二人とも。ソフィアも雪音も落ち着いて、落ち着いて話ましょう!」
「私は落ち着いていますよ、ええとても。セリカ様、私は兄様に近づく泥棒猫をどう処理すべきか、お話し合いをしたいだけです。まさか先を越されるなんて!」
「油断も隙もないとはこの事です。ユウキさんが本気を出せばこうなることくらい想像はしていましたけど、あまりにも早過ぎます。即落ちじゃないですか!」
「は、話せば解るわ。私の話を聞いて、二人とも!」
二人にずるずると引きずられたセリカは叫び声と共に屋敷の奥に消えてゆくのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
超難産でした。遅れて本当に申し訳ありません。
普通に一週間以上書いては消し書いては消しを繰り返す羽目になってました。
ここでセリカのターンが始まる……というわけでもないですが、”レース”はトップを走ってます。
次回からは気楽な話にしたいですね。説明部分が多すぎて面倒になってきた今日この頃。
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