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秘密 3

お待たせしております。




 俺とセリカの関係は……自分でも良く解らないあやふやなものだ。


 借金持ちと借金取りが一番正しい関係なんだろうが、俺はあいつから返済の催促を受けた事は一度もない。

 むしろ金を貸せ、創造品を店で売るから創ってくれといわれる始末だ。あいつが俺の元で何故か商売を始めたのでその関係性は変な方向へ捩れてしまっている。


 その理由は俺が変な誤解をしてセリカを自分の手元に置いてしまった事にある。実際はそんな事はなかったのだが、セリカが捨て駒にされたと勘違いした俺がお前には命の危険があるから俺のところに来いと命令してしまったのだ。


 それからというもの俺達は歯に何かが挟まったかのように妙に遠慮した関係になってしまった。いや、それは俺だけか。セリカのほうは実に遠慮なく俺をあんた呼ばわりして色々要求してくる。念願だったらしい商人としての活動はエドガーさんの活躍のお陰で陰は薄いものの、本人が表舞台に出たがらない事も相まって関係性は良好だし、商売は向かう所敵無しの無敵街道を驀進中だ。


 一度だけ俺なんかの所に来させて悪いなと謝罪した事もあるが、セリカ自身が俺を気味悪そうに見やってなんか悪いものでも食べたの? と真顔で聞いてきた。誠意を無碍にされた俺はこの眼鏡女の額を弾いてやり、涙目のセリカが俺を糾弾するという遠慮のない間柄になっている。



 だからこの傍若無人な眼鏡女が声を殺して涙を流している光景が一瞬理解できなかった。


 いや、頭が理解を拒否したのだが、嫌でも現実だと認識すると無性に腹が立ってきた。


 誰だ、こいつを泣かせたのは。俺の身内を泣かせた存在は絶対に叩き潰してやる。


 腹の底から燃え上がる怒りを認識しつつ、俺の内心は至って平静だった。最近感じた己への憎悪に比べればまだ制御可能な感情だし、なにしろ今回は怒り(それ)をぶつける存在がいる。己の感情に任せて行動に移すのは後でいい。


 とりあえず今は静かに涙を零すこいつを何とかしなくてはならない。



 窓から侵入した俺だが、執務室には厚い絨毯が敷かれていて降り立つ俺の足音を完全に消していた。そうでなければセリカの性格からしてその姿を隠すだろう。俺達はまだ半年にも満たない間柄だが、それくらいは互いを理解している。


 俺は敢えてドカドカ足音を立てるように歩いたが、執務室の机で肩を震わせ、身を屈めて泣くセリカは俺に気付かない。

 良く笑い、そしてよく怒るこいつだが、よもや泣く事があろうとは。涙を見せたら負けだと常に考えていそうな女だから、想定外の事態に戸惑ったのは確かだが……さしあたって俺は何をしたものか。


 涙を拭ってやるべきか、元気付けてやるべきか、慰めてやるべきか。そういえば事情も何も知らなかったな、と今更ながら思い至った所でようやくセリカが俺の気配に気付いた。他人の気配に敏感なこいつが目の前に立っている俺にしばらく気付かなかったのだ。それだけでも相当重症なのはわかった。


「っユ、ユウキ! な、何であんたがここにいるのよ!」


 自分が涙声であると理解して必死でいつもの声を出そうと努力しているが、どうにも無理がある。

 それに今のこいつの顔を見た瞬間に俺の取るべき行動は決まっていた。


「セリカ、お前、泣き顔ぶっさいくだな」


「は? な、なにを!?」


「笑っとけよ。折角顔だけは美人なんだからさ」


 怒らせる事にした。その理由はいくつかあるが、その最たるものが彼女の顔にこびりついた生への諦観だった。どうにも俺の周囲には生きる事を諦めた女が集まる傾向にあるな。ソフィア、イリシャと始まってこれで何人目だよ。


「放っておいてよ……」


 怒りは人間の原初の感情の一つであり、生きる糧ともなりえる強い力だ。とりあえず怒らせて反応を見ようと思ったのだが、セリカは相当重症だ。その膿んだ瞳からは強い絶望が漂っていた。

 参ったな、こりゃ大変だ。一体何が起きているやら。


<ユウナ、状況は解っているか?>


<はい、ただいまそちらへ向かっております>


 俺は<念話>で従者へ問いかけた。取るべき指針を決める為だ。


<俺が知っておくべき情報はあるか? 必要最小限でいい>


 情報収集はユウナに任せている。幾つもの組織を支配下においている今の彼女に知らない事なら、俺には決して手に入らない情報だ。


<端的に申し上げると、彼女の母親が今日の昼、自殺未遂を起こしたようです>


 ああ、成程。()()絡みの件か。よくわかった。



 生半可な言葉では何も解決しないであろう事が。



<ありがとう。俺が解決するから、こっちに出向かなくてもいいぞ>


<承知いたしました。セリカ嬢も己の幸運を噛み締める事でしょう>


 何か余計な一言を残してユウナは<念話>を切った。

 さて、俺に泣き顔を見られないために机に突っ伏しているこの眼鏡女を何とかしなくてはいけない……んだが、取るべき手は一つしかないんだよな。


「おい」


「ほっといてってば」


 俺の言葉ににべもないセリカには実力行使しかない。


「俺を見ろ」


「嫌よ。出て行って」


「俺を見ろ」


 顔を上げようとしないセリカだが、俺は彼女の方を掴んで体を上げさせ、それでも逃げようとする彼女の顎を捉えてこちらへ向けさせた。


「俺が誰だか知っているな?」


 泣き腫らしたその瞳が揺れる。視線を逸らそうとするセリカを逃さず、俺達は至近距離で見つめあう。


「そ、それは」


「言え、俺は何者だ?」


「あんた……あなたはユウキ。神に等しい力を持つ超越者。あなたなら私の……」


「俺にしてほしい事があるはずだ」


「言えない。それだけは言えないの……」


 何度も視線を逸らそうとするが、その都度追いかける。ここを逃がすとこの馬鹿は決して自分の願いを口にしないだろう。


「色々と癪だが認めてやる。お前は俺の身内だ。俺は身内を決して見捨てない。お前が黙ったままなら王都中をひっくり返してでもその原因を探し出して何が何でも解決するぞ。それでいいな?」


「ま、待ちなさいよ。なんであんたがそこまでするのよ……」


 俺の目から本気である事を悟ったのだろう、うろたえつつセリカは力なく呟いた。


「お前が泣いていると何故か無性に腹が立つからだ。その理由を取り除けはお前は泣き止む。簡単な話だろうが」


「……!!」


 絶句しているセリカの瞳から新たな涙が溢れ出す。くそ、なんだってこんなに苛立つんだ。こいつを泣かせるものは全て叩き潰してやる。


「お前が黙ったままなら俺は動くぞ。お前の涙が止まるなら王都がどうなろうと知った事じゃないからな」


 踵を返そうとした俺の服の袖を弱々しい手が掴む。細い指はかすかに震えており、セリカは俯いていて俺のほうを見ようともしない。


 だが、彼女は口を開いた。


 心からの願いを口にしたのだ。


「お願い、母さまをたすけて」




「ユウキ! お嬢様は!?」


 執務室から出た俺は背を向けていたアインからの質問を受けたが、その答えは俺に肩を抱かれる女の存在で明らかだった。


「アイン、アイス。馬車を回してくれ。全てを解決しに行くぞ」


「ああ、ああ! すぐに回す、回すとも!」「お嬢様……よくぞご決断を……」


 喜色を溢れさせる二人とは対照的にセリカの顔色は優れない。俺に肩を支えられないと立っていられないほどに弱々しい。だが彼女は決断した。俺に母を救って欲しいと頼んできたのだ。


 ならば俺の為すべき事は決まっている。


「ユウキ様。必ずやセリカ様のお力になってくださると信じておりましたぞ」


「エドガーさん。すみませんが店舗を頼みます」


 こちらに駆けつけていたエドガーさんの顔にも決意が見て取れた。


「お任せください、我が主よ。どうか御二人の哀しき定めをお救いくださりますよう」


「救えるかどうかはお約束しかねます。ですが俺の身内を泣かせる総てはこの世界から排除します」


 背後からエドガーさんが従業員達に指示を出す声を聞きながら、足元がおぼつかないセリカを支えながら正面玄関に向かう。


 アインが御者をする馬車がこちらに向かってくるのを視界に捉えながら、俺は近づいてくるもう一人の身内に声を掛けた。


「ソフィア、どうしたんだ?」


「私も同行いたします。そのほうが良いと思いますし、セリカ様には返せないほどの恩義がありますから」


「ソフィア……あなた」


 セリカは力のない目で俺の妹を見るが、ソフィアはとても不満顔をしている。


「セリカ様、なんて顔をされておいでなのですか。兄様がお力を貸してくださっているのですよ、貴方は世界一の幸運を甘受している自覚をお持ちください」


 なんかユウナと似た事を言っているが……セリカの顔色が持ち直したので良しとするか。


「ありがとう。助かるよ、ソフィア」


「兄様をお援けするのが出来た妹というものですから」


 ふふん、と胸を張るソフィア。到着した馬車に載せてやりながら、”弱ったセリカ様と二人っきりなんてさせませんから”と呟いていたのは聞かなかったことにしよう。



 馬車は既に日の落ちた王都を出て西へと向かっている。外灯など望めない野外では明かりなどないので俺が<光源>を数個周囲に浮かべて視界を確保しており、馬車はかなりの速度を出している。


「悪いな玲二、帰るのは遅くなりそうだ」


「状況は聞いてる。セリカさんは大丈夫そうか? ユウキがいればなんとでもなるとは思うけどさ」


 俺と玲二は<念話>ではなく通話石で会話をしている。側にはソフィアとセリカ、そしてアイスがいるので聞かせるためだ。疚しい秘密の会話ではないと示す為には必要な行為で、多くのものが暮らす俺達の屋敷ではこういった気遣いは欠かせない。これを怠るときは既に俺達の関係は崩壊しているだろう。


「俺の隣でまだ死にそうな顔をしてるが……まあ何とかするさ。みんなは?」


「シャオがユウキは何処だって騒いでたけど今はユキと風呂中。そっちは時間かかりそうか?」


「まさか。夜更けには戻るぞ。一夜を明かすような場所でもないだろうしな」


 こっちには齢若い美少女ふたりと美女(アイス)がいるからな。さっさと解決してさっさと帰るに限る。


「わかった。話は変わるけど、今日のお宝にお目当ての奴はなかったぞ。面白い魔導具は幾つもあったけどな」


「げっ。本当かよ……勘弁してくれ……」


 俺は本気で心の底から落胆した。その落ち込みぶりは馬車内で俺の隣に座るソフィアを心配させるほどだったようで、慌てて声を掛けてきた。


「兄様、お気を確かに。そんなにお心を落とされる事なのですか?」


 暗にセリカの事より大事なんですかと目で問われているが……俺にとってはこちらの方がよほど大事だ。玲二たち仲間は俺と<共有>しているから何が厄介なのか事情を理解しているが、ソフィアにはいまいち解らないだろう。


「前に説明したと思うが、ダンジョン35層に行く手を阻む扉があるって話をしたよな?」


「えっと、はい。覚えていますが……」


 それって今すべき話なんですか? と目で訴えているが、俺は気にしなかった。


「扉を開けるために嵌め込む何かが5個必要だと思っていて、俺はそれが31層からの宝箱に入っていると思っていたんだ。だが玲二が言うにはそれが無いってさ。どれかひとつくらい確定であるだろと思ったが……探索は長引きそうでなぁ」


 やれやれと肩を竦める俺だが、ソフィアとアイスは俺を咎める視線を送ってくる。セリカの事をちゃんと見てやれと言葉にせずとも言いたい事は解るが……


 俺は首を横に向けると、こちらを見ていたセリカと視線を合わせる。途端に顔を赤くして顔を逸らすセリカだった。


 さっきからずっとこうなのだ。俺が彼女を見ると慌てて逸らすくせに、また飽きもせず俺を見てくる。それを見ていたソフィアは頬を膨らませ、俺と向かい合う席から隣に移動してきて腕を組んできた。

 そして時折セリカの頭は俺の肩に乗り、それに対抗するようにソフィアは俺をがっしりと抱え込む。


 そしてそれを見るアイスの視線はひどく冷たい。俺がせっせと新たな話題を提供していたのはそのためだ。はやく目的地に着かないかな……



 なんとも言いがたい時間は四半刻(15分)少々で終わりを告げた。馬車が街道の分かれ道で止まったからだ。その理由も理解している。<マップ>にはこの分かれ道の片方がとある館に繋がっており、その周囲に数多くの人間が集合しているからだ。


「ユウキ、すまん。俺達ではここまでしか案内できん」


 申し訳なさそうな声でアインが御者台から告げてくる。


「ああ、解ってる。後は任せろ、二人は……任せる。戻っても、後で来てもいい」


 逡巡する双子だが、アイスが毅然とした顔で断言した。


「私達はここでお嬢様の帰りを待っています。どうか、どうかよろしくお願いします。あの方は私達二人のとっても大切な方なのです」


「アイス……ありがとう、本当にありがとう」


 涙声のセリカがアイスの手を取る。この主従は言葉に出来ない何かを交わしあった。



「さて、兄様、これからどうなさるのですか?」


「私がこのまま行くと迷惑になるわ。だからアインもここで馬車を止めたのよ」


 馬車から降りた俺達はアイン達が街道脇に馬車を止めるのを見ながらセリカがソフィアの問いかけに答えた。


「それは、どういう……」


「要はこっちの道を真っ直ぐ行くと森の中に館があるんだが、今はその周囲を大勢の兵士や騎士が護っているのさ。そんな中で馬車で向かえないって事だ、嫌でも目立つからな」


「あんた、やっぱり……いいえ、なんでもないわ」


 相変わらず弱々しいセリカに俺は溜息をつきたくなる。はやく普段の人を人とも思わないこいつに戻って欲しいものだ。


「では隠れながら近づくということですね?」


 行きましょうかと意気込むソフィアだが……妹よ、俺が一国の姫であるお前を歩かせるような兄貴に見えるのか。


「まさか。折角の月夜なんだから、空中散歩と洒落こむさ」



「わあ、すごい、すごいです兄様! 空を飛んでいるなんて!」


「実際は飛んでいるというか跳ねてるんだけどな」


 俺は両手にセリカとソフィアを抱えて空を跳ねていた。風魔法で自重を限りなく消し、一度の跳躍で数十メトルを一気に進む。森に到達してからは木々の上部分を跳ねていたからソフィアには飛んでいるように感じたのだろう。


「あんたって本当に滅茶苦茶ね。映像で何度か見た事はあるけど、まさか実際に体験する機会があるなんて」


 大分元気の出てきたセリカがそう憎まれ口を叩く。辛気臭い顔をされるより百倍マシなので大いに結構だ。


「後でみんなに自慢しな。二人以外には体験者はサリナだけだからな」


「まあ、サリナが兄様にこんなことをしていただいたなんて! 戻ったら是非とも話を聴かなくては」


 あ、すまんサリナ。あの時はレナの命がかかっていた件だからソフィアに報告してなかったんだっけ。忘れてたわ。俺は心の中で彼女に謝罪したが、もちろん後で猛烈に怒られた。



 しばらく跳んでいると、視界に篝火に照らされた館が見えてくる。そしてその周囲には三桁を越える兵士達が待機していた。


「こんなに大勢の兵士がいるなんて……」


「だからアインはあそこで馬車を止めざるを得なかった。このまま進めば誰何されるのは明らかだからな」


 驚きの声を漏らすソフィアにそう答えた俺は跳んだまま兵士達や館の兵を飛び越えた。俺達だって訳を話して中に入れてもらうことなど出来ない。黙って侵入する必要があるのだ。


「私のために、いろいろとごめんなさい……」


「今更な奴だな、謝罪も礼も要らん。俺が勝手にやっている事だぞ」


「兄様、素敵です」


 ソフィアが陶然とした声で俺の首筋に縋りついてきた。跳んでる最中は重心が崩れるから止めてほしいんだが。


「兄様の素晴らしさを世界中の皆様に知ってほしいです。でもそうしたら兄様が遠い場所に行ってしまいそう……」


「俺はお前の兄貴だよ。たとえどれほど立場が変わっても、これだけは誰にも譲るつもりはない。おっと、到着だ。二人とも、しっかり捕まっていろよ」


 この館に屋上があればよかったんだが、そんな都合のいいものはなかった。仕方ないので俺は最上階の窓の一つに取り付き、中から鍵を開けて侵入に成功する。


「何度見ても防犯も何もないわね。私の部屋の時もそうだけど、あんたがその気になれば何でも盗み出せそうね」


「やってもいいが、他人様の品で欲しい物が特にないんだが。必要なら創造で作っちまうしな。で、セリカ。案内してくれ。俺は何処へ向かえばいい?」


 実を言えば<マップ>で何もかも解ってはいる。しかしセリカに先導してもらう必要があった。なにしろ館に侵入した際、何らかの魔導具が作動したを理解した。この館の内部にいる数十人は俺達と言う侵入者に気付いただろう。


「こ、こっちよ」


 緊張の面持ちで俺達を階下へ案内するセリカについてゆき、彼女の足は一階のとある部屋の前で止まった。<マップ>でもこの中に二つの生命反応があり、一つは間もなく消えそうなほど弱々しくなっている。

 しかし問題はこれだけではなかった。一つはセリカが尋常ではなく震えており、しゃがみこんでしまったのだ。


「この先に母さまがいるわ。で、でも、私はこの先へは……」


「セリカ様」


 自らの肩を抱き(おこり)のように震え始めたセリカをソフィアが支える。なにがここまで彼女を怯えさせるのか、気になるもののその答えはこの扉のすぐ向こう側にある、あれこれ考える必要はないだろう。

 そして大急ぎで走り寄る複数人の足音が聞こえてくる。俺達の存在を察知したこの館の者達が駆けつけたのだろう。一から説明してもいいが、面倒だな。


「兄様、ここは私にお任せください。このために同行を申し出たのですから」


 本当なら妹にこの場を任せるわけには行かないのだが、確かにソフィアなら安心でもある。


「わかった、セリカを頼むな」


 迫る足音に向かって歩きだす二人を見送りながら、俺は鍵のかかっていない扉を開けて中に入るのだった。



「あなたは?」


 部屋の中に居た二人の内、一人は壮年のメイドだった。寝台のすぐ側にある椅子に腰掛けた彼女のその顔には絶望と諦観が張り付いており、それは侵入者である俺を見ても感情を動かさないほどであった。


「まあ怪しい者だが、あなた方に害意はない」


 我ながらどうかと思える台詞だが、それさえメイドは眉一つ動かさなかった。あまりに強すぎる絶望が侵入者でさえどうでもいいと感情を飽和させているのだろう。

 俺をそう思わせるのは寝台で寝かされている存在が視界に入ったからだ。


「今更刺客がやって来たところでなにが変わるものですか。全ては終わった事です」


 涙さえ枯れ果てたと言わんばかりの絶望の極致にあるそのメイドの声は固い。その理由は推して知るべしだ。


 セリカの母親と思われる存在が寝台に寝かされている。だがその人を女性を形容できる自信はない。


 何故ならば、その人の顔全体は包帯で覆いつくされているからだ。


 一体何があったんだ? ユウナからはこの人が自殺未遂をしたと聞いていた。色々と事情がある人だし、世を儚んだのかと思っていたが、どうやら事情は違うようだ。だが、それはそうか。あんなに大きい娘がいるのだ。突然生きる気力を失って自殺したという話にはならんだろう。


「差し支えなければ、事情を伺ってもいいだろうか? こちらの方が命を絶とうとしたと聞いたが、単純な事情ではなさそうだ」


 俺は駄目元でこのメイドに聞いてみたのだが、なんと彼女は教えてくれた。誰かにこの悲劇を伝えたかったのかもしれない。



 この館の主である女性は、決して外に出てはならないとされていた。


 その事に不満がなかった訳ではないが、彼女はその事実を理解し、納得していた。


 代わり映えの無い日々であったが、つけられた数人の使用人は甲斐甲斐しく彼女を支え、その献身に彼女も肉体的、そして精神的にも大きく助けられた。他家では見られないような親密さになり、彼女にとっては家族の一員に等しい存在になった。


 彼女が外に出られない理由、それは命を狙われているからだった。既にこの生活になって5年以上経過するが、相手は蛇のように執念深く、彼女を害する機を窺っていた。


 だがその好機は訪れない。彼女達は辛抱強く生活し、決して隙を見せようとはしなかったからだ。


 そこで敵は方針を変えた。彼女自身を狙うのが無理なら、その周囲から崩してゆくのだと。


 白羽の矢が立てられたのは彼女の身の回りを世話するメイドの一人だった。それほどの信頼を受けるメイドならば忠義心も高いが、敵は手段を選ばなかった。

 メイドの家族を拉致し、無事に帰して欲しければ彼女を殺せと指示する手紙と劇物が送りつけられた。


 メイドは悩み苦しんだ後、実行した。渡された劇物を言葉に出来ないほど大恩ある彼女に噴霧し、その直後、自らの喉に刃を突きたてた。


 最大の問題はここからだった。メイドは遺書を残しており、その事情を知った彼女は嘆き苦しんだ。自分の存在がメイドの家族を地獄に落とした事を悔やみ、そしてまた、彼女も喉の持っていた刃で搔き切った。



「神はどれほどの苦難を奥様に与えれば気が済むのでしょうか。何一つ咎無く慎ましく己を律して生きてこられた奥様に、何故このような仕打ちをされるのでしょうか。あの子もそうです。泣きながら己が首に刃をつきたてたあの時、奥様のお気持ちはいかばかりでしたでしょうか。何故、あんな健気な子があのような悪魔に幸を奪われなくてはならないでしょうか」


 さめざめと泣く壮年のメイドの言葉に耳を貸しつつも俺は寝台に横たわるセリカの母親に近づき、その姿に舌打ちした。


 顔全体に包帯が巻かれていたが、息をするために鼻の部分だけは除かれていた。そこからちらりと見えたが、皮膚が爛れていた。


「下衆な事をとしやがる……」


 そして首元が赤く染まっているから、これが自傷した場所だろう。<マップ>で気になっていたのだが、この館にはもう一人死にかけた者がいる。なにがあったのかと思ったが、まず間違いなく自決したメイドだろう。この世界は高位ポーションがあれば致命傷でも持ち直す事はある。もちろん放置すれば死ぬが、この館の者達はそれを良しとしなかったのだろう。


 さて、この不愉快な現実を叩き潰すとするか。


「あなた、なにを!?」


 包帯を解き始めた俺を見て壮年のメイドが声を上げるが、俺は彼女を<睡眠>で眠らせた。騒がれたくなかったし、これを見せたくも無かった。


<みんな、一旦<共有>切るぞ>


 仲間達がこれを見ているのは解っていた。横たわる彼女の名誉の為にも目撃者は少ない方がいい。


<解りました。ユウキさん、お願いです。助けてあげてください、こんなのあんまりです>


 雪音の声は涙声一歩手前だ。皆この仕打ちに憤っている。



 溜め息しか出ない。本当に溜め息しか出ない。俺の心境を言葉にするにはそれしかない。


 彼女の名誉のために詳細は省くが、まるで濃硫酸でも顔にかけられたようだった。世の中やっていいことと悪い事がある。それさえも理解できない大馬鹿野郎がいる。


 敵だ。少なくともこれを命令した奴は俺の敵だ。そう決めた。この報いは必ず受けさせる。


 だが今は治療が先だ。顔よりも首筋が致命傷なので、そちらを優先して回復魔法をかけてゆく。

 俺の魔法は普通のものとは違う、それはわかっている。

 

 だが違ってよかった。今では心からそう思っている。俺の回復魔法は対象の傷も消せるのだ。この痛々しい傷も痕跡さえ残さず元通りに出来る。幾ら命を繋いでも顔がこんな状態ではまた命を断ちかねない。セリカの母親ならきっと目の醒めるような美人に決まっている。美しい人が命を立つのは世界の損失だ。

 あいつも俺の力を知っていたから、最後の望みをかけたに違いない。


 治療に要した時間は4寸(分)ほどだった。寝台には健やかな寝息を立てる金髪の美女がそこに居た。先ほどまで痛々しかった傷は何一つ残っていない。我ながら良い出来である。


 しかしまあ、セリカのお袋さんねぇ。なるほど、そういうことだったのか。関係ありそうだとは思ってたが、だからクロイス卿は……


「あ、ああ! 奥様! 奥様が! なんてこと、誰かっ、奇跡が、奇跡が起きました!!」


 

 先ほどのメイドの叫び声が響く中、静かに部屋を出た俺は次の目的地に向かう。その場所に向かいつつ、通話石を取り出して彼を呼び出す。


「頭でございますか?」


「ああ、俺だ、ジーク。一つ尋ねたい事がある」


「はい、なんなりと」


「昨日今日で余所者がはしゃいだ形跡があるはずだ。探れ。王都の民を誘拐して人質に取っている」


 既に死んでいる可能性は高いが、今ならまだ生きているかもしれない。その結果がどうあれ、俺達はすべき事を為さねばならない。


「畏まりました。今当たらせています。それで、敵はどのように?」


「殺せ。地獄を味わせろ。生まれてきた事を後悔させてやれ」


「……承知いたしました。頭の逆鱗に触れた愚者にその報いを与えます」


 先ほどメイドの遺書を見た。王都民である事は確認してあるから、”クロガネ”が全力で始末にかかる。これはこちらの落ち度でもある。余所者に自分達の庭を好き勝手に荒らされたのだから。


 地下の一室に辿りつくと、そこには荒い息で苦しむ一人の少女が居た。今も自分の罪に苦しんでいるのか、意識もないのに幾筋もの涙の後があった。


 彼女も傷一つ無残さず確実に癒す。この件を完全に解決するにはこのメイドも元気にならなくてはいけない。そうしないと全てが元通りにはならないだろう。


 こちらも安らかな寝息になった事を確認した。上では多く者の足音と歓喜の声がが響いている。


 さて、面倒な事になる前にソフィアだけでも回収して帰るとするか。


 地下から出た俺は<マップ>をで妹を探そうとしたが、その前にこちらへ大急ぎで迫ってくる存在が居た。


「ユウキ! 来てくれていたのだな!」


 俺を見つけて大声で呼びかけてくるのは見事な体躯をした白髪の40代前半の大男だ。普段は覇気の溢れる容貌なのだが、今は疲れ果て、そして安堵に緩んでいる。

 それも当然か。自分の女が卑劣な罠にかかり、自ら命を絶とうとしたのだから。


 そして俺はこの男と知り合いである。いや、もう少し関係が深いか。公爵や親分さんたちとの飲みの席でよく顔を合わせているのだ。


 ブランデン伯爵、それが彼の名前である。


「やあこんばんは、伯爵。お邪魔していますよ。ああ、それともこの場ではこうお呼びすべきですか? 国王陛下、と」




楽しんで頂ければ幸いです。


伯爵の初登場は168話ですが、その存在はもっと前から出ていました。自分でも忘れかけてましたが。


次回は水曜予定で頑張ります。


もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします! 

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