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秘密 2

お待たせしております。




 ウィスカのダンジョン、その31層からはこれまでとは隔絶した難易度になっている。


 まずはその広大さだ。第一層と比較すると30倍以上の広さになっており、宝箱を回収しようとすると駆け足で走り回っても二刻(時間)は優に見なくてはならない。

 そして出現する2種類のモンスターは非常を通り越して異常に厄介な連中である。


 レッドオーガ・ウォーロードはただそれだけでも強力な敵だが、こちらを怯ませる咆哮、更に面倒臭い”食いしばり”スキルが発動して頭蓋の中心部分を一撃で破壊しないと何度でも蘇ってくる最悪設定だ。

 出現数は最大でも7体であり、ウィスカのダンジョンの特徴である数の暴力は鳴りを潜めた。しかしそれはこの巨体がそれ以上いても互いの邪魔になるだけだからであろう。再出現の速さは全く変化ないのでまともに探索するならば三桁後半のオーガと戦闘するのを覚悟せねばならない。



 そして31層からの一番の最悪さを象徴するのがなんと言ってもシャドウストーカーだ。


 こいつは自分の持つ全てのスキルを封印してくる。この層に至るまで幾度となく多用し、己の最大の武器であるはずのスキルが使用不可能にされてしまう。

 肉弾戦の極致とも言うべきレッドオーガとこいつが同時に出現する、それだけも地獄なのにスキル封印攻撃は回避しようのない範囲攻撃で、いつ食らったかも自覚できない静かな特殊攻撃だ。

 それもほぼ全ての状況でオーガと戦端を開くか、戦いの最中にこっそり放ってくる陰湿さである。


 戦闘中にスキルを封印されるとどうなるかなど、言葉にする必要はないだろう。俺も帰還石で逃げ帰ったあの苦い敗北は忘れる事はない。

 だが、振り返ってみればダンジョンの悪意など初見殺しばかりなのだ。どんな形であれ生きて帰って情報を持ち帰れれば俺の勝ちである。


 さて、ダンジョン攻略する為にはモンスターを打倒しなくては始まらない。他のダンジョンでは敵をやり過ごす事も選択肢に入るというが、再出現が無茶苦茶速いここでは無理な戦法である。出会う敵を全て倒さねば頻繁に挟撃をうけることになるからだ。


 魔法攻撃主体の俺としてはレッドオーガは厄介ではあるがそこまでの強敵ではない。近づく前に殲滅できるからだ。しかしスキル封印攻撃をしてくるシャドウストーカーだけはどうにもならない。

 あの陰険野郎は普段は普段は<隠密>を使い気配を消しつつ透明化して行動するという絶対に見つからない(<マップ>にも反応しないのだ)方法で移動し、俺がオーガと戦っている最中を見計らって封印攻撃を仕掛けてくるのだ。

 出現頻度は非常に低くて滅多に見かけない(そもそも透明化しているが)。見つけ次第仕留められれば封印攻撃を受けなくてすむ理屈なんだが、あの野郎は臆病なほど慎重なのでオーガより先に狙うのは今のところ不可能だ。

 

 そんな状況で対応を迫られた俺だが、スキル封印される事を前提として解決策を探り、如月が思いついてくれたのが大型拳銃による射撃である。レベルアップによる身体能力の向上は封印には影響がなかったのでこの方法は大成功であった。流石は如月である。



 2種の敵が最大の障害ではあるが、ここからの層ではもう一つ難題があった。それが罠の存在である。


 普段の攻略では新たな層に下りた段階で罠をすべて解除し安全を確保して敵の殲滅を図っているのだが、なんと一刻(時間)で解除したはずの罠が復活するのだ。


 ここから上の層では解除すれば新しく罠が生成される翌日まではそのままだったのだが、ここでは短時間で新たな罠か生まれてしまう。その上復活した時にはほぼ間違いなくこちらはスキルを封印されている有様だ。スキルが封印され、素人以下の状態で罠の解除など望めないだろう。

 なのでこれまでは一刻(時間)で往復できる距離を探索し、その都度帰還するやり方をするほかないと思っていた。

 逆に言えば決まった時間に帰れる事でもあるから、共に食事を囲む事が可能になって家族からはかなり歓迎されていた。


 それが昨日までのダンジョン攻略方法であった。



 ここでもう一つ詳細な説明を行っておきたい。


 手に入れた魔導書(グリモワール)についてである。


 ”時の神の庭(クロノス・ガーデン)”と銘打たれたこの書物の効果は膨大な魔力消費と引き換えに実行者の周囲の時間を操る事ができる。

 より精密に言えば発動中は周囲の時間を早められるのだ。一度計算してみたところ、1微(秒)で数刻(時間)以上早まった(降下範囲外の時間を止めているとも言える)。正確な時間が判明してないのは、魔力さえ続けば幾らでも起動が可能だったので()()がなくて止めた。


 効果範囲は実行者から半径2メトルほど。大活躍したライカール王城での吟零草採取の際にはユウナが起動して移動不可能だと言ったらしいが、その理由は動くとその時を止める範囲がかなりブレるためだ。範囲を出ると途中で効果が切れるため、そのように口にしたという。

 ただ俺一人だけなら効果範囲を出ないので全く問題なく動き回る事が出来る。


 しかし、この非常識な効果のためか魔力消費は相応に重い。実際は割合消費で持って行く為、俺や仲間たちのように膨大な魔力を持っていようがそこらの魔法使いの卵であろうが効果時間は基本同じだ。

 前に貸してみせたマギサ魔導結社の幹部、ルーシアとラルフも5寸(分)と少しの起動時間だった。俺達は<MP急速回復>があるのでもう少し長く、四半刻(15分)少々といった感じだ。



 そしてある日、俺はふと思いついた。この時間を止める力をダンジョン攻略に利用できないものかと。


 現状35層で攻略は止まっている。行き詰っているというか、35層に謎の大扉があってそのすぐ近くの台座に謎の穴が5つ開いているのだ。

 状況から察するにここに何かを嵌めこむのだろうが、重要アイテムを落としそうな階層主もここには出ないことから、俺達は多数確認されている宝箱の中にそれがあるのではないかと予想した。


 予想したのだが……そこで一刻(時間)で復活する罠が俺の行く手を阻んだ。

 ただでさえ踏破に長時間必要なほど広大なこの層で、罠が解除されている間に到達可能な宝箱だけを回収する方法は酷く効率が悪い。それにどうやっても時間内にたどり着けない宝箱も数多かったのでそれらは諦めるしかなかった。

 鑑定眼鏡や空飛ぶ絨毯など、宝箱の中身が階層に比例して豪華になってゆく事だけが救いだった。



 そんな中、俺は魔導書(グリモワール)の能力に目をつけた。懸念事項である罠の復活までの時間の問題をこの魔導書の力なら解決できるのではないか?

 魔力消費が膨大な事が問題だが、俺は失った魔力を回復する手段なら数多く持っている。もし上手くゆけば全ての問題が解決するはず、と思い実行したら、これが図に当たった。


 まずはいつもどおり階層を把握し、宝箱の鍵と道中の罠を解除する。そして魔導書を起動させ、時を止めたまま全てのお宝を回収するのである。


 もちろん言うは易しというやつで、実行にはかなり難儀した。31層からは本当に広く、普通に階層を走り回ってお宝を回収するだけでも一刻(時間)近い時を必要としたからだ。 

 それでも普段よりは圧倒的に速い。不意に接敵することがないのでその分、全速力を出して走る事ができたからだ。この状態でも敵と戦う事は出来るが、倒してもまだ塵に還らずドロップアイテムが出てこないので全く意味がない。余計な事をせず探索に徹した方がマシである。



 本格的な探索は今日が始めてであり、色々と問題点、改善点も見つかった。


 まず一つ目が、時を止める探索は朝食後に行うべきではないということだ。より詳しくは魔力回復のために無味のマナポーションを飲んでいたのだが、摂取量が多すぎて腹の中が水だらけになってしまった。

 これが起き抜けであればまだしも、朝飯の後に大量の水を飲むのは厳しかった。

 次回は日課をこなすのと同時に行うとしよう。


 そして二つ目が異常な疲労感と空腹を覚えたことだ。

 この魔導書を使用することの副作用なのかもしれないが、信じられないくらい体力を消耗したし、普段では考えられないくらいの飢餓感を覚えた。最近ご無沙汰だったとはいえ、これでも毎日ダンジョンを走り回っていたのだ。これしきの事で疲労困憊になり、屋敷にたどり着くなり睡魔に屈するような事は今までなかったことだ。

 それに腹持ちの良い俺にしては珍しく非常に腹が減っていた。周囲の仲間たちから驚きの視線を受けるほど先ほどの俺は良く食べていた。

 

 これは気になるが、回数を重ねる事によって解って来るだろう。それに体が休息を欲しがるとはいえ本来なら1日仕事になる探索が睡眠時間込みで昼前には終わっているのだ。午後からは完全に空き時間なのだから、素晴らしい効率化だと言えるだろう。




 そして俺は今、ランヌの王都を歩いている。目的はシロマサの親分さんにライカールの一件での御礼を申し上げるためだ。本当はシャオやイリシャ達と過ごそうかと思っていたのだが、俺に釣られて寝ていた三人は昼食を食べ終わると元気に遊びに行ってしまった。


 当てが外れた俺は、それならと最優先事項である親分さんへのご挨拶をまず先に行う事にしたのだ。この他にも冒険者ギルドから呼び出しが掛かっているとユウナから聞いていたが、親分さんに御目通りを願う事に比べれば些事以下の用件なので後回しだ。


 回収したお宝の中身はまだ確認していない。最初の頃は見ていたのだが、途中からはそんな気も失せてしまって、とりあえず全回収して後で確かめればいいかと思うようになった。手に入れたお宝は逃げないのだからと俺は思っていたが玲二たちは気になるようで、午後の講義をサボって回収物を確認してくれるそうだ。面白いものがあれば連絡してくれる手筈になっている。



 手土産を持参した俺は親分さんの邸宅へ向けて足を進める。かつては閑静な住宅街が広がっていたが、今では”クロガネ”関係が大幅に進出し、様相が様変わりしつつある。

 具体的には周囲の空き家を取り壊して巨大な事務所を建設したり、多くの人員が集えるような集会所を作ってしまったお陰で……ここらを歩く人間はその殆どが”クロガネ”関係者だ。空前の好景気だというランヌ王都の勢いを象徴するような場所の一つになっている。


 そんな場所を俺は認識阻害の指輪を嵌めて歩いていた。その理由も簡単で、この近くを素顔を曝して歩くと面倒な事に……誰かが俺を見つけると途端に大騒ぎになるからだ。

 なにがそんなに楽しいのか各地に伝令が飛び、下町中がひっくり返ったような騒ぎになる。そんな事を望んでいない俺が顔を隠して親分さんの元へ向かうのは当然である。


 そして認識を阻害させた方がいい理由がもう一つある。


「今日は先客3名か」


 親分さんは平日の午後に来客の相手をなさる。事前の約束をしていない俺はその規則に則り時間に間に合うように伺ったが、俺より前に3名が王都で最も偉大な男に面会すべく待合室の椅子に座って待っていた。

 当然俺もそれに倣い、順番を待つべく席についた。


「お客人、親父への面会でございますか?」


「ええ、御目通り願います」


「かしこまりやした。相応のお時間を頂戴しやすが、構いませんですかね」


「もちろん。待たせていただきます」


 礼儀の行き届いた見習いが用件を聞いてくるので正直に答える。3名もいるならしばらく時間がかかるかもしれない。


 俺が認識阻害の指輪を嵌める最大の理由がこの瞬間である。もしここで俺が素顔を曝していたら、見習いは最優先で俺を親分さんに通していただろう。だがそれは先客にしてみれば理不尽に思うに違いない。


 自分がやられて嫌な事は、他人にすべきではないのだ。



 親分さんには俺のように面会を求める者が多い。俺よりよほど相談役をやっておられるくらいだ。

 だから面会を行う時間になるとこうやって待ちの列ができる。もちろん織り込み済みなので俺は懐から小さな本を取り出して時間を潰すことにする。

 紙の本は貴重だが、これは創造品なので適当に乱読する。目では文字を追いながら、実際は分身体を動かしてダンジョン低層で触媒やらなんやらを稼いでいるのだ。

 目的は需要はあるが滅多に行かない低層のアイテム稼ぎと分身体の訓練を兼ねている。航海中やクランには監禁されていたときもよくやっていたが、暇を見つけてちょくちょくやるようにしている。

 俺の習熟度はまだまだである。まあまあ動かせるようになってきたが、自分と分身体を同時に動かすのはまだ不可能だ。


 アイテム回収役のロキの分身体と一緒にせっせと敵を倒して蜂蜜を集めている。必要なのは蜂蜜ではなく容れ物である小瓶のほうである。ポーションを死ぬほど作ったのはいいが、それを入れる容器が枯渇している有様なので、大きさ的に蜂蜜の小瓶が最適なのだ。


 ガラス瓶を幾つか創造したのだが、どうもしっくり来なかったので結局こうなっている。まあ、訓練と稼ぎを兼ねていると思えば悪くない。



 しばらく時間が過ぎ、面会希望が最後の俺だけになる。無心になって時間を潰していたが、不意に用を足したくなった。あれだけ腹に収めれば当然かと思い、厠に向かったのだが……そこで俺の機嫌は最悪になった。


「おい、そこの若いの。厠が汚すぎるぞ。何をしてやがる!」


 俺は怒りのままに見習いを怒鳴りつけた。


「お、お客人。何をそんなにお怒りに?」


 根本的な事を理解していない顔の若い衆の首根っこをひっ掴み、厠まで連れて行く。


「よく見ろ! これでも綺麗だと言い張るつもりか。お前らが努力してるのはわかる。掃き清められた門前に塵一つない屋敷や廊下を見れば、親分さんに面会に来た客も流石は音に聞こえた大侠客のお屋敷だと感心するだろうさ。だがそれもこの厠を見れば幻滅だ。外面ばかり見栄え良くして肝心の中身がまるで伴ってないと世間様に曝した気分はどうだ?」


「か、厠は……くっ!」


 この若い衆はまだ見所がある。今、自分の仕事じゃないと言いかけたが、その無様さを悟って口を噤んだ。もし舐めた台詞を舌に乗せていたら地獄を見せてやる所だった。



「おい、ネイサン。揉め事か? 今日明日で相談役が見えるかもって話だろうが。お前がちゃんと見張ってなくてどうすんだ」


「あ、兄貴……こちらの客人が」


 母屋の方から野太い声がしたと思うと、30がらみの中年男がこちらへ向かってきた。その面を見て俺の機嫌は更に悪くなる。


 なんだこの半人前は。ベイツめ、何してやがる。親分さんのいらっしゃる屋敷にこんな半端者を入れやがって。


「おう、お客人。何があったか知らねえが、親分に会いたきゃ礼儀ってもんを弁えてもらわねえといけねえな」


「知るかボケ。三下は引っ込んでろ、カスに用はない」


 乱入者に一瞥もくれずに見所のある若いのに言葉を続けようとしたのだが、また邪魔が入った。


「この俺が三下だと!? 舐めたこと言うじゃねえか。客人、俺を知らねえのか? 未来の大幹部、剛腕のオーガンとは俺様のこと……」


 ギャーギャー喧しい糞馬鹿を視線で黙らせる。話はまだ途中なのだ。


「今すぐ掃除しろ。お前が今日の接客の責任者だろ? お前の仕事じゃないとは言わせねえぞ」


 もしそんな事をほざく薄ら莫迦ならこいつはそれまでの人間だ。この組織では決して上にゆくことはない。

 弾かれたように駆け出す若いのを見送ったが、隣の半端者は今にも爆発しそうだ。


「おう、ガキ。俺達にここまで上等切ってタダで済むと思ってんのか? ゛クロガネ゛全てがお前を潰しにかかるぞ。覚悟はできてるんだろうな」


 馬鹿が一丁前に凄んでいるが、既にこいつは眼中にない。それにこいつの始末は俺の役目ではない。


 横からすっ飛んできたゾンダがこの馬鹿を全力で殴り飛ばしたからだ。


「このクソ馬鹿野郎が! 手前、客人になんて口をきいてやがる! 死ね、死んで詫びろや、このクソボケがぁ!」


「おごっ、あっ。ゾンダのお、叔父貴!」


 何か言おうとした馬鹿にゾンダが二の句を告がせずに足蹴にする。こちらをちらりと一瞥したので……俺が誰かわかっているのだろう。

 認識阻害はあくまで視覚のみであり、声は誤魔化せない。付き合いも長くなってきた彼等なら声や雰囲気でも見破られるに違いない。


「頭の足らねえ馬鹿だと思ってたが、ここまで救いようがないとはな! 親父の顔に泥を塗ったって解ってんのか? ええ?」


「叔父貴、俺は別に何も……」


 自分は悪くないと口にしようとした馬鹿に向けてゾンダの放った言葉はひどく酷薄なものだった。


「失せろ。お前にゃ”クロガネ”は無理だ。そんな性根じゃ生涯縁がねぇだろう。他の組織に入れてもらえや」


「そ、そんな! 俺はもともとあの人のヒキで……」


「消えろ! 捻り潰すぞ、このクズが!」


 殺気を迸らせて脅しを入れるゾンダに半端者の馬鹿が抵抗できるはずもない。泣き言を吐きながら消えていった。



「只今掃除します! 少々お待ち下さい!」


 馬鹿が消えた一瞬の静寂を縫うように先程の見習いが掃除道具を手に駆け寄ってきた。隣には掃除担当だったらしい少年のような見かけの男を連れている。


「一つ聞くが、掃除の仕方を誰かに習ったか?」


 俺の問いに当番の少年は首を横に振った。


 まあそうだろうな、と納得した俺は深いため息をついた。隣にいるゾンダは死にそうな顔色になっているが、お前たちの不手際だぞ。

 下の者へちゃんと教育しないからこんなザマになるんだ。


「代わる。よく見とけ、厠の掃除ってのは水ぶっかけりゃいいってもんじゃない。一番汚い場所だからそいつの、組織の心構えがはっきりと出るんだよ」


「お、お客人にそこまでしていただくわけには……」


「これも仕事だ。ゾンダ、付き合ってくれ。二人なら5寸(分)とかからんだろ」


「へい、喜んで。頭と共に掃除なんて他の奴らに自慢できまさぁ」


 自慢する前にちゃんと教育しろと言いたくなるが、ここはシュウカの担当だからな。彼を責めても仕方のない面がある。

 そう思い口には出さなかったが、それより問題はゾンダの一言で周囲の空気が変わってしまったことだ。


 文字通りざわり、とざわめいて数人が屋敷の方へ駆け出してゆく。こうなるのが嫌だから顔変えて来たのだが、こんな無様を放って置くことはできない。

 屋敷の方では”お母さーん、お頭さんお見えになったよ”と聞き覚えのある声がした。



 ”クロガネ”で厠の掃除は新入りと幹部の仕事だ。俺がそう決めた。

 男女の区別なく命じている。俺だって例外ではなく、アルザスの屋敷の厠掃除は俺の役目だ。


 気心の知れた連中以外からは反発もあったが、嫌なら組織を抜けろと脅して無理矢理やらせている。

 誰もが嫌がる仕事を幹部自らが率先してやるのだと範を示すためだ。

 そうすることで”クロガネ”では上に行きたきゃ誰もが厭うような真似を誰よりも多くこなす必要があるのだと解らせるためだ。

 上に立つ者が嫌がる仕事をしなかったら下の者が進んでやる道理はない、そう言い聞かせて幹部第一の仕事として命令している。


 だからゾンダも反駁一つすることなく共に掃除している。若いやつはこの姿を見て様々なものを学ぶことだろう。


 二人で協力して掃除すればあっという間に終わる。なんの変哲もない汲み取り型の厠だが、今では磨きあげられている。


「ここまでやれば親分さんを訪ねた客も細部にまで行き届いた仕事に感じ入るだろう。いいか、中途半端な仕事はやってないのと同じだ。よく覚えとけ!」


「「「へい。ご指導有難う御座いました、頭!」」」


 周囲の野郎共が全員畏まって頭を下げてくる。これが面倒だから嫌なんだよな。


 ゾンダと二人で手洗い場で念入りに石鹸で手を洗う。この屋敷にもいろいろ融通して居るのでこういった細々したものも揃っている。


「まったく、なっちゃいねえ。ガワだけ取り繕っても中身がなきゃみっともないだけだぜ」


「へい、肝に銘じやす。ですが頭、そろそろ親父さんがお呼びですぜ」


「やれやれ。とんだことになっちまった。折角親分さんにお会いするってのに、ケチがついちまった」


 ため息をつきつつ、俺は座敷に上がるのだった。



「大変なお耳汚しをいたしまして……」


「いいってことよ。もとより不手際は俺達の方よ、こっちが礼を言わせてくれ。お前さんが言ってくれなきゃ誰も指摘しなかっただろうよ」


 ”クロガネ”でシロマサの親分さんの威光は天よりも高い。来客も敢えて忠言はしないだろうが、腹の中では世の噂ほどではないと嗤われていただろう。

 俺の行動は被害がこれ以上広がるのを防いだともいえる。親分さんはそれを口にしていた。


「そう言っていただけると助かります」


 安堵の表情を浮かべた俺は手土産を献上する。いつも同じものばかりで恐縮なのだが、生酒を贈ると一番喜んでくれるのだから、他の選択肢がないのだ。実際、今も相好を崩してくれているし。


「毎度毎度、芸がなくて申し訳ありません」


「いやいや、これは大枚はたいても手に入るもんじゃねぇからな。本当に有難く思ってるぜ。まあいいや、一服つけるか?」


 そう告げて彼は手にした煙管をこちらに向けてくる。精緻な彫金が施された芸術のような逸品だ。これも俺が贈った品である。親分さんに最高に似合うと思ったのだが……当人は大層喜んでくれたが、彼以外の評判は芳しくない。


 元々は愛煙家で煙管をぷかりとやる姿をゾンダやエドガーさんなど、古参連中は良く見かけていたらしい。だが病を得てからはすっぱりと止めて健康を考えるようになったという。


 それなのに俺が煙管と煙草の葉を贈ったものだから煙草愛が再燃してしまい、押入れの奥にしまいこまれていた煙草盆を引っ張り出してくる始末。家族からはなんて事をしてくれたんだと非難がましい目で見られてしまった。

 だが最高に似合うんだから仕方ないだろう。親分さんに煙管は最高の組み合わせである。


 お前も吸えやと勧められた俺だが、素直に頷くわけにはいかなかった。


「ありがたいお誘いではありますが、ご勘弁を。煙草を呑むと娘が臭いを嫌がるもので。お孫さんもそうなのでは?」


「そうなんだよ。俺も可愛い孫から爺ちゃん臭いから寄るなと言われちまってよ。こちとら寂しく一人煙草さ」


 じゃあ止めればいいじゃないですか、と贈った側が言える筈もない。お互いに笑いあったあと、親分さんが煙管の灰を盆の皿に落とす甲高い音が響いた。



「さて、報告は受けてるぜ。隣国じゃ大暴れだったそうじゃねえか」


「親分さんにはこの度、大変なご迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫びいたします」


 話が変わった事を察した俺は、そのまま深く頭を下げた。


 ここで言う迷惑とはライカールに腕利きを百人以上も呼びつけたことだ。いくら依頼した数とは違うとはいえ、俺が頼んだ事である事に変わりはない。”クロガネ”としてもかなり無理をしたはずなのだ。特に残された親分さんたちにかなりの負担があったはずである。


 俺が深く頭を下げて詫びと感謝を告げるのは当然のことだった。


「なにつまんねえ事言ってやがんだ。”森の大賢者”リエッタ様といえば仁の志を持つ音に聞こえた徳の高い御方と評判だぜ。その名声は俺のような爺の耳にも入ってる。そんな御方の窮地を救う為に命を張れるなんざ、男稼業の晴れ舞台ってモンよ。むしろ良く声を掛けてくれた、こちらこそ礼を言うぜ」


「有難くあります。リエッタ師もいずれ親分さんにお礼申し上げたいと仰っておりました。近い内にご案内する事になると思います」


「そいつは恐れ多いこった。だがよ、今はそんな先の事は後にしようや。今は旅の話を聞かせてくんな。皆、首を長くしてお前さんの帰りを待ってたんだぜ」


 親分さんの声と同時に庭へ続く扉が開く。その先の庭には見知った顔が揃っていた。


「頭、ようやくお戻りになりましたね!」「ご苦労様でございます、頭」「お帰りなさいませ、頭」


「ザインにジーク、ゼギアスも。皆戻っていたか。今回はよくやってくれた、お前達のおかげで企みは成功したぞ」


 俺がやって来たと聞いて皆が集まってくれたらしい。立ち上がった俺は彼等に駆け寄った。そこには遠路はるばるライカールまで出張ってくれた奴等も顔をそろえていた。


「お役に立てたんなら幸いでさぁ。ラインハンザの件も含めて色々とご報告したいことがありやす」


「わかった。だがまずはお前たちを労わせてくれ。ノーツたちとかまだ来てないが、始めちまうか」


 そう言って酒瓶を取り出した俺に、野郎共からは歓声が沸き上がるのだった。




「外は大時化の嵐だわ海の中は海獣の群れがわんさかいるわで、あのときはさすがの俺もどうなることかと思ったぜ。知ってるかい? 海獣ってのはどいつもこいつもデカいんだ。小さな奴でも小船くらいはある。そんなデカブツが魔物よけの魔法陣が壊れた船に殺到してくるんだよ」


「そ、それでどうなったんですか!?」


「そりゃあ向かってくるやつは返り討ちさ。その魔法陣ってのは、魔物が嫌がる音か何かを出すらしくてな、どいつもこいつも怒ってるんだ。とてもじゃないが大人しく帰ってもらうなんてことは無理だった。外は嵐だし海獣は向かってくるしで、夜通し大騒ぎだよ」


 俺の話に親分さんの孫娘であるリーナ嬢は俺が出した”苺たると”とやらを頬張りながら大興奮だ。


 この集会所には酒や食い物が所狭しと並べられ、多くの者が語らっている。

 今は酒や肴を手に皆が俺の話に皆が耳をそばだてている最中だ。



 旅の話をせがまれたら船旅の話をすればハズレはない。この王都は港町でもあるが、精々が近場へ漁に出るか近隣の港へ交易に向かうくらいだ。外国へ、それも外洋を渡って遠くの国へ船旅をするなんて滅多にいない。

 外洋は海獣の楽園であるし、人知を超えた出来事が山ほど起きる。

 ライカールの魔法陣と優れた造船技術のおかげで新大陸航路も夢物語ではなくなったが、それでも危険は一杯だ。その分夢や野望も一杯であり、山師や冒険者を駆り立てている。

 

 そして俺も彼女達に船の話を語って聞かせていた。結果は言うまでもなく、皆が俺の話に聞き入っている。だがその中にはフカシが入っているんだろ、と半信半疑の顔の奴も当然ながらいる。

 これでも船長が不慮の事故で死んでしまい俺が船長職を奪ったとか最後のよく解らん敵の件とか、かなり事実を省いて穏当にしているのだが、我ながらかなりの無茶をしたものだ。

 しかし酒の席で法螺を吹いたと思われるのも癪なので土産を渡すことにする。


「これが海獣の鱗だ。お土産さ」


 渡した鱗は深い群青色をした光沢のある小さなものだった。きれいだし数はあるしで土産に最適だと思っていて確保していたのだ。


「おじいちゃん! 見て見て、お土産綺麗なの」


 リーナ嬢は手にした鱗を親分さんに見せに行っている。あんなに綺麗な鱗なのに、その本体が海の狩人の異名をもつ獰猛な肉食海獣であることは皮肉だろう。

 ちなみにこいつの一番の武器である長い角は高値で売れたと聞いている。こいつが他にあと178匹いるんだが、全部売り捌けるのはいつになるやらだ。



リーナ嬢が席を立った隙に俺の隣に座ったものがいる。顔を向けなくても気配でわかる、これはジーニの姉御だ。この集団の実質的な頭であるベイツの妻だが、彼女の方が器は上だと俺は思っている女傑である。


 いつもは豪快な印象を受ける彼女だが、今の顔は暗い。それだけで用件はわかってしまった。


「相談役、すまないねえ。さっきの馬鹿は私の甥なのさ。入れてくれって頼まれて断りきれなかったのだけど、ここまで馬鹿だとは……」


「ここでデカい顔出来る時点で貴女かベイツの縁者だとは思ってましたよ。だが、縁故は認めないほうがいい。ただでさえ図体ばかり大きくなって中身が追い付いてないんだ。この無意味な拡大路線はそろそろ終いにすべきでしょう」


 俺は元々親分さんが立ち上げた組織のように心身共に鍛え上げられた男だけの少数精鋭でいいと思っていた。だが俺はあくまで外部の相談役であり、運営に口を出せる立場ではない(そんな権限をはじめから持っていない。権限がないから組織への責任も免れている)から、決めるのは幹部連中の仕事だ。

 そして運営している幹部たちはこの拡大を良しとしている。俺に近いザインやゼギアスたちは俺の意見に従うが、既に”クロガネ”は大組織であり、幹部も30人を超えている。俺の同じ考えの者は少数派に過ぎず、多数決で意見は通らない。


 しかし俺たちはそこまで気にしていない。いざとなれば腐った”クロガネ”を叩き潰し、親分さんを担いで新しく組織を作ればいいからだ。組織という器が必要な者と不要な者では価値観が異なる。

 こちとら”クロガネ”の看板がなくてもやっていけるから、後腐れなく捨てるつもりである。


「ウチの人にも言っとくさ。相談役に見限られないようにしなってね」


 ベイツは心配ないと思うが、新参どもはどう見ても看板目当ての有象無象ばかりだ。そんな奴らに容赦してやる必要は感じない。

 ジーニの姉御は俺の内心を読み取ったのか、表情が強張ってゆく。

 彼女に俺の愚痴を当たっても仕方ない話だ。こんな話題よりもっと楽しい事を話すべきだろう。



「あっ、頭が帰ってきたってのは本当だったんだな!」「ちくしょう、出遅れたぜ。酒と飯は残ってんのかな?」


 その時俺たちがいる集会所に二人の男が駆け込んできた。見覚えのある顔であの喧嘩に参加した二人だ。


「ホリン、オズ。遅いじゃねえか。ほら、お前らの分だ。まずは飲め、そして食え」


「うおお、さすが頭だ。わかってるぜぇ! 駆けつけ三杯頂戴しやす!」「右に同じっす。う、うまっ」


 当たり前だが彼らは皆本業を持っている。仕事を放り出して来る馬鹿もいるにはいたが、大抵は仕事に区切りをつけて集まるので同時に集まることは難しい。

 もちろんそれを分かっているので遅れた連中用に別枠で酒と飯は用意してある。


「あの国ではよくやってくれたな。クランの連中はお前たちから見てどうだった?」


「あいつらですか? 気合いは入ってましたが、なんかちぐはくっていうか、やる気が空回りしてる感じでしたね」


 腕のたつホリンがクランの皆に対して正直な感想を口にするが、実に的を得た意見だった。


「お前の言うとおりだ。だからどうにも不安でよ、お前らの手を借りたかったのさ。そしてオズ、お前はラインハンザをどう見た?」


 そこそこ大きい商会の三男坊として生まれ、腕っぷしよりも商才のほうがよほどあるとエドガーさんから勧誘を受けるほどの男である彼に俺は尋ねた。


「そりゃ凄いですよ、とんでもないっす。あの大きさの空き地がありゃあなんだって出来ますって。しかも港まで作ろうって話だし、あの森林地帯も将来は切り開くんでしょう? 上手く行けば世界最大の商業都市になるんじゃないっすか? だからあそこに人足流し込むってのは正解っすね。働き口はいくらでもあるっしょ。国同士の揉め事は知らんすけど」


「そこは(おいら)たちが上手くやるさ。面倒は爺に任して、お前ら若いもんはデカい夢を掴みに行きな。この件はコイツの仕込みだ、きっと最高に面白えぞ」


 近くに寄ってきた親分さんが俺たちの会話に参加してきた。


「大親分! はい、ありがとうございます!」


 居住まいを正したオズとホリンは揃って頭を下げる。

 いまこいつが言った問題とは……要は他国へ民を移動させてしまう事である。基本的に領民とはその領主の財産である。この国ではそこまで厳密ではないが、民の所有権を領主が持っているという認識だ。自分の所の民が他所に行けばその地の領主に返還要求が出来るほどだ。(成功するかどうかは別とはして)


 簡単な旅行さえ命がけのこの世界では、人は生まれた町や村で生涯を終えるものだから、飢饉や戦争などよほどのことがない限り、故郷を捨てるという選択肢は取らない。


 取らないはずなんだが、最近の王都では故郷を捨てた移民や流民が後をたたない。先のない故郷より景気の良い王都で好機を掴もうとしているのか、明らかに人口が増えているのだ。


 今はまだ許容範囲だが、いずれ破綻するのは目に見えていた。王都の城壁の外にある貧民窟は広がりを見せる一方だという。

 

 だから何とかならないかという話を前に聞いていてこれ幸いとラインハンザ改造とくっつけたのだ。

 これから大きく広がるあそこならやる気のある奴を受け入れもいいだろう、とお偉方も黙認している。前に公爵に確認してみたが、彼等にはいくつかの思惑があった。政治はそう単純ではないようだ。つくづく関わりたくないものである。


 そして移民や流民はその多くが北部出身者だった。国が好景気の恩恵をあちらに渡しておらず、格差は広がるばかりである。

 それを含めてクロイス卿が直面する問題もあるのだが……そこはまた後でいいだろう。


「エドガーさんはお前に色々期待してるみたいだが?」


「勘弁してくださいっす。 俺は(こっち)で上に行くって決めてるっす」


 渋るオズだが、この野郎め、あのエドガーさんが期待をかけるってのはとんでもない才能のはずだ。折角なんだからそれを活かせばいいものを。意固地になりやがって。




「あれ、アイスお姉ちゃん。その格好どうしたの?」


 俺が才能の無駄遣いをしようとしているこいつに何か言おうとしたとき、ざわめきが広がった。


 リーナ嬢の声がする方を見ると、俺の身内でもあるセリカの護衛のアイスが肩で息をしてこちらへ走り寄ってくる所だった。


 冷静な印象を受ける彼女には珍しく、息を乱している。なによりアイスは仕事着、つまり騎士服を身に纏っていて非常に目立つ。ここで会うときはいつも私服だったので親分さんも驚いている。


「アイス、お前さん、一体どうした……」


 アイスは敬愛する父親に一瞥もくれずに俺の元へ走り寄ると、こちらの肩を両手で掴んだ。


「お願いです。何も言わずに私についてきてください」


「解った。行こう」


 俺は微塵の逡巡せずに決断した。驚きに静まり返っている皆を見回すと小さく詫びた。


「悪いが、中座する」


「娘が迷惑をかけるな。一つ頼まれてやってくれや」


 親分さんはこの場を引き受けてくださった。お前ら、頭抜きでも大いに楽しめ、と声を張り上げるとこの場の者たちは手にした盃を突き上げて応えてくれた。


 ザイン達にも視線で詫びる。彼等も思うところはありそうだが、アイスの明らかに尋常でない様子に口を挟むのを控えた格好だ。

 詫び代わりに追加の酒や食い物、菓子類を長い卓に置ききれないほど追加しまくって満載にすると、俺は急かす彼女と共に走り出すのだった。



 アイスは馬を飛ばしてここまでやってきたようだ。目立つ事この上ないが、そんなこと気にしていられないとばかりに俺を乗せたまま軽快に飛ばしている。俺の重さを風魔法で消してあるから二人乗りでも問題はなかった。


「事情を聞いても?」


「ごめんなさい、私からは何も話せないのです」


「なるほど、だいたい分かった。アイスは忠義者だな」


 こんなに必死で馬を駆けさせるのに、事情は何も言えないという。


 彼女がここまでするだけで内容は大体推察できるが……あいつ自身に身の危険とかではないはずだ。

 色々とやらかしてくれた相手であるが、それでもあいつは俺の身内だ。事情が事情のソフィア程ではないがそれなりの魔導具は持たせているし、なによりアイス達もいる。それに何かあれば事情を隠す必要はない。


 つまりもっと面倒な何かが起きている。


 気温はまだ寒いがそろそろ春の訪れを感じさせる昨今は日の入りもだいぶ遅くなってきた。親分さんのお屋敷に随分と長居させていただいたので、夕暮れの太陽が沈みかける時間帯に俺は目的地に辿り着く。


 目的地といってもそんな大した場所ではない。王都における俺たちの拠点、転移環の置いてある”美の館”だ。

 正門から入ると店舗内は何時も通りだが、裏側に入ると異様な空気になっている。


 従業員たちがとある部屋の前で十重二十重になっているのだ。その場所は確認するまでもなくセリカのいる執務室だ。


 重い空気を隠そうともせずに従業員達は執務室の扉の前で固唾を飲んでいる。


「あ、お頭さん。店長が……」


 店舗の会計を一手に握る天才姉妹、俺と意外と縁のあるマリアとニノがこちらを不安気に見てくる。

 あいつめ、部下を心配させるもんじゃないぜ。


 俺は二人に力強く頷いてやる。これだけで二人はだいぶ安堵した顔になるが、俺は視界に見慣れた銀髪を捉えてしまい、一気に暗澹たる気分になる。


 これが結構ここに出没する同じ銀髪の馬鹿弟子ならどれほど良かったかわからないが、ここにいるのは俺の可愛い妹だった。


「兄ちゃん……」


 イリシャの顔は不安で押しつぶされそうだ。俺は近寄って頭を撫でてやる。露骨な子供扱いなので普段は嫌がるのだが、今は嬉しそうに俺の手を取った。


「セリカちゃんが……」


「大丈夫だ。何とかする」


「うん、信じてる」


 きっと何かを”視た”のだろう。神殿にも戻らずここにいる。そろそろ戻らないとアイラさんたちが心配するぞと声を掛けたら元気に頷いて帰っていった。


 まったく、妹を心配させる程の出来事か。何があったのやら。


「さて、鬼が出るか蛇が出るかってやつだな」


 無言で俺についてくるアイスを従え、俺は扉の前に向かうが、扉の前には門番のように立ちはだかる男がいた。


「お嬢様様から誰も通すなと言われている」


 実直な男であるアインは主命を護るべく俺の前に立ち塞がったが、その真意は顔に現われていた。俺の到着を見て救われたような表情を浮かべていたからだ。


 もちろん俺は彼の期待に応えてやるつもりである。


「そうか、分かった」


 俺は彼の言葉を受けて背を向ける。そのまま来た道を引き返した。


「え、ええ! お頭さん!?」


 従業員達の戸惑った声が背後から聞こえたが、その中でもアインの消え入るような声だけは聞き逃さなかった。


「頼む、お嬢様の運命(さだめ)を救ってさし上げてくれ」



 アインは一度言い出したら梃子でも動かない男だ。退いてくれと言って聞き入れる奴じゃないのはわかっているので問答は時間の無駄である。みんなは俺が帰ったように思ったようだが、俺がそんな素直な性格のはずがない。


 俺は裏口から外に出ると庭を通って執務室の場所へを向かってゆく。アインはセリカに命じられて扉の前に立っていたが、彼の体は一つしかない。執務室には窓もあるのだから、そこから侵入すればいいのだ。

 もちろん鍵もかかっているだろうが、俺にとっては何の障害にもならない。こちとら内鍵さえ外側から開けられるのだ。


 かちゃりと鍵をあけて窓から執務室に入る。まだ寒い時期だというのに暖を取る事もしていない執務室は寒々しく、明かりもつけていないので夕焼けの橙色の太陽の光だけが部屋の中を彩っていた。


 そしてこの部屋の主の姿を探したのだが……


 俺は衝撃を受けた。


 

 セリカがその身を屈めていた。いつも尊大で借金持ちの俺に対して更に金を貸せと言うような、実に遠慮のない言動をするあの顔だけは美人な眼鏡女が。


 肩を震わせ、声を殺して……


 泣いていたのだ。



楽しんで頂ければ幸いです。


水曜予定がこんな時間になってしまいました。

前半部分が状況のおさらいだったので話し進んでなくね? これで一話アップはまずいじゃろと思い追加しました。

大体二話分の分量になったから許して……


次話は日曜予定で頑張ります。


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