魔法の園 34
お待たせしております。
「ああ、やはり王城の植物園を頼ることになったのですね」
その日の夜、アルザスの屋敷に戻った俺はソフィアたちから昼間の件について質問攻めに遭っていた。
「本当は頼りたくなかったんだが、仕方なくな。期間内に例の草が手に入る保証が全く無かったからな」
昼間も新大陸で吟零草らしき植物を見たという情報はあったのだが、確実な話ではない上にどれだけ急いでも3日は掛かる遠方だという。俺達ならもっと早く駆けつける事はできるだろうが、これが空振りだった場合は貴重な時間を浪費することになる。
だから今回は確実に期限内に手に入る事を条件に入れて破格の金額で依頼をかけている。苔と神樹の皮それぞれ金貨200枚だから皆が目の色を変えたと聞いているが、こちらとしても相応に面倒で厄介な依頼だと思っている。
特に吟零草は半ば諦めていた。かつて触れたとおり、あの黄色い花を咲かせる霊草は摘み取った瞬間から効能が落ち始める。魔法で即座に乾燥させて長期保存するのが一般的な使い方(それでも貴重なので滅多に使われないが)だが、エリクシール作成には絶対に乾燥させるなと全ての文献に注意書きが残されていたほどだ。
つまり、もし幸運に恵まれ吟零草を見つけたとしてもその場で採取せず、俺の仲間の誰かがその場に向かわなくてはならないという面倒臭さがあった。もしこれがよく似た別の花だったら目も当てられない所だ。
しかし今回に限っては最後の手段があった。魔法薬精製において他国の追随を許さないライカール王国の王城には製薬に使われる非常に貴重な素材を集めた植物園が存在する。国家機関である魔導院が何代にも渡って綿々と受け継いできた遺産であり、その素材は高い魔法技術と共に諸外国への有力な外交手段の一つでもある。
そしてその植物園を昔から良く出入りしていたのが俺の隣に座っているソフィアであり、解読した文献を前にどうやって集めたものかと唸っていた自分達に、”あ、このお花は見たことありますよ”とお告げをくださったからだ。
「お役に立てたようで何よりです」
「ああ、実際本当に助かった。セイブル侍従長はこっちの状況を完全に把握していたから、このまま時間だけが過ぎれば王家から打診が来たかもしれない。そうなれば向こうの思うがままになっちまう」
「今回はどうにも隠しようがなかったからね。時間も無かったし、あれだけ大っぴらに動けば仕方ないよ」
シャオを膝の上にのせている如月が俺の考えを読んで慰めるように言ってくれた。俺の膝の上はもう一人の妹が寝息を立てているが、夜しか帰れないから余計にひっつかれている気がする。
「マールとポルカにも情報を全く話してないから散々言われる羽目になったけどな」
「ここから先は政治だからね。小さい子には言っても難しいと思うよ、大組織が王家に借りを作る危険性なんて」
クラン総本部代理であるルーシアには話してあるので危機感を共有してあるが、あの二人、特にポルカに余計な情報を入れて惑わせたくなかった。今のポルカの集中力はこっちが圧倒されるほどで、それは母親であるリエッタ師を絶対に助けるという一念が原動力だ。エリクシールは高レベルの<至高調合>持ちにとっても簡単な薬ではない。
今はルーシアが王城に上がっているので俺がこうやって戻ってきているが、彼女の役目はポルカを余計な雑音から守ることである。調合室を借りた際に、王城に勤務しているお抱え薬師とも顔合わせをすることになり、まだあどけない少年であるポルカの姿を見て彼等の顔には侮蔑と脅威の色がはっきりと見えたからだ。
今の俺達は王の勅命のような立場だから露骨な嫌がらせなどしようものなら向こうの首が飛ぶ。王宮勤めがそれくらい理解できないはずがないが、ルーシアを呼んで備えさせている。
彼女はこの一大事にクランを離れることに難色を示したが、どちらがより重要なのかを判断して俺の要請を請けてくれた。
もっとも、彼女はラルフしか幹部がいないことに心配していたようである……ギースは俺が始末をつけて以降、一度もクランに顔を出していない。俺が王城に詰めっぱなしなら一番良いのだが、こっちも帰って家族と仲間の顔を見たいし、クラン側としても何もかも俺にやらせたままじゃ格好がつかない事はわかってくれている。
「兄様、この大事な時にお力になれず、申し訳ありません」
「なに言ってるんだ。ソフィアが教えてくれなかったら素材集めで頓挫してたんだ。感謝してるよ」
今のソフィアのライカールでの立場は微妙だ。俺の妹になった事で色々と環境も変わったから、逃げるように追われた当時とは全く違っているものの、王宮内で猛然と権勢を振るえるほどではない。
「お、みんな集まってるな。ミートパイ焼けたぜ、きょうはいくつかスパイス入ったライカール風な」
その時、俺達が集う談話室の扉を開けた玲二が入ってきた。彼の後ろには双子とレナがおり、彼女達の手には幾つもの大皿があった。
「おいしそうなけはい……」「しゃおもたべる……」
夢の世界の住人だった妹二人が食欲を刺激する香りに意識を覚醒させた。二人が寝室で休まずに俺や仲間の膝の上で寝るのはこの夜食目当てなのもあるのだろうと俺は見ている。
その頃には風呂から上がった他の女性陣も合流して、皆がこの部屋に勢揃いとなった。
場の話題は自然と、今日の俺の行動が中心となる。
「でも結局これからどうするつもりなの? 要らないってはっきり言っちゃったんでしょ?」
「そりゃお前、馬鹿正直に欲しいからくれ、と言って済む話じゃないしな」
セリカの発言に俺は腕を組んで鼻を鳴らした。花壇に吟零草がちゃんとある事を<鑑定>でも確認したのだが、俺の計画はお城に入り込む事で一旦終わっている。
無計画……といわれても反論できないが、王城に入ってみないと解らないことが多くて計画を立てられなかったのだ。
この時間まで城の中を動き回って色々調べていたのだが、つくづくこの植物園が”研究所”であることを認識させられる結果となった。
「草は一杯生えてたんだろ? 一本あれば必要量十分だってんだから、こそっと抜いてきちゃえば簡単に解決……するんならユウキはこんなに悩んでないか」
玲二の言葉に俺は珈琲をすすりながら答えた。
「ああ、俺も最初はそう思ってたんだが、魔導院の連中が異常に几帳面だった。あの花壇の全てを一本一本番号で管理してたんだよ。それも毎日記録残してやがる」
この時点で誰にも知られずにこっそりちょろまかすのは不可能だった。もとより俺達の目的が調合器具ではなく吟零草であることはあちらも認識しているのは侍従長の問いかけからも明らかだ。
「ソフィア姫さんの件でユウキはあっちにデカい貸しあるんだろ? 最悪それを盾に貰い受ける事は出来るんじゃないの?」
「事情を話して譲り受ける事は出来ると思う。過去にも他の植物を他国に渡した事はあるらしい。だが今回は事情が事情だからな……」
「そっかー。確かにユウキが貰った事にしても最終的に話は絶対クランに行くよなぁ」
この世の理不尽の仕組みに関しては玲二も相応に頭が回るので、あちらが勝手に納得してくれた。
俺が何を面倒に思っているかといえば、王国に対して非常に大きな借りを作ってしまうことだ。
もちろん俺の話ではない。余所者の俺はさっさとこの国から離れれば良いだけの話だが、この国に根を下ろしているクランはそうはいかない。
俺が動き回っているので忘れがちだが、この件はあくまでマギサ魔導結社の案件なのだ。当事者のリエッタ師は最高幹部だし、俺以外はクランの人間しか関わっていない。
まあ、それはいい。好きで首を突っ込んでいる訳だし、俺がどうこう言う話ではない。
だがライカール王国は違うだろう。
俺が吟零草を欲しいと願い出れば恐らく叶うだろう。それを用いてエリクシールを作り、リエッタ師は息を吹き返してめでたしめでたし、と表面上はなるだろう。
王国も国の重要人物の復活を祝い、自分達の威光を高めるくらいはするだろう。あくまで表面上は。
そして裏ではクランに対して絶対的な急所を握ったと思うはずだ。これは俺が願い出たから無関係とかそういう問題ではない。
王族、貴族など高貴なる者が絶対の社会では、連中に弱みを曝した時点で既に終わっている。
国家という暴力生命体はそういう思考回路をしている。権力の宮に棲まう怪物どもは相手の弱味を食らって生存競争を生き延びているからだ。
面従腹背が日常茶飯事な連中にリエッタ師の命を救う最大の貢献なぞされようものなら……その先は言葉にしなくてもいいだろう。
少なくともこちらから言質を取られるような行為は絶対に厳禁だと俺とルーシアは認識している。
「俺はしらばっくれれば良いだけなんだが、あっちは無理だろうしな。少なくとも俺が言い出した件でクランに面倒が降りかかるのは避けたい」
正直、国と関わった段階で完全に無関係となるのは無理筋なのだが、それでも予想される迷惑を最小限に抑える事は出来る。
何しろ最近の俺は城の内情をスカウトギルドに命じて探らせまくっていたから、色々興味深い事実が明らかになってきた。
「でしょうね。王家ってのは貸しを作るものであって、絶対に借りては駄目な相手よ。普通の者は一度でも借りればその時点でどれだけ貸しがあっても終わりよ。少なくとも破滅させられるまで使い潰されるから」
あんたみたいな異常者は別としてね、とセリカが絶対に褒めていない口調で賞賛してきた。失礼な奴だな、俺は相手にもちゃんと利益を与えるから潰すには惜しいと思わせているだけだ。
「ご理解いただけで何よりだ。国とだけは関わりたくなかったが、それしか方法が無かったから仕方ない」
「ユウキさんがこれだけはやりたくなかったと言っていた意味がわかりますね。きっとふだんは親切な顔をして困った時は悪魔のように全てを奪ってゆくのでしょう」
底冷えのする声で雪音が呟いた。彼女はその美しさで人間の醜い部分を他人より随分と多く見物するは目になったというから、嫌に実感がこもっている。
「まあ、さし当たっての最大の問題はこれだな。他にも色々と面倒な事態があるんだが」
俺が視線で促すと、背後に立っていたユウナが口を開いた。
「薬師ギルドが本格的に動き始めました。クランにはまだ様子見ですが、王宮には魔導院を通じて影響力を行使し始めています」
「あの死肉漁りどもめ、今回は随分と遅いな」
「彼等にしてもエリクシールは伝説の存在です。出来るはずがないとたかを括っていたのでしょう。そして今更慌て始めた、そういうことだと思われます」
「連中には思う存分慌ててもらうさ。外部がどんな邪魔しようがポルカには何の影響もない、材料は全部押さえて後は吟零草だけだ、精々外野で喚いてもらおう」
今ポルカの元にはルーシアの他にセラ先生と姉弟子、そしてレイアが行っている。レイアがいればポルカに向かうどんな悪意も跳ね返せるから、何の心配もしていない。
「そういえばさ、今回あのポルカって子にあそこまで肩入れしたのって、やっぱ薬師ギルド関係?」
俺の肩の上に座る相棒が自分より大きなミートパイに挑みかかりながら聞いてきた。人の肩の上で飯を食うと色々落ちてくるのだが、リリィは何度言っても改めてくれないのだ。
「半分はそれ打算で、半分はポルカの決意に負けたからだよ。あの場にいれば皆もそう思うって、なかなか良い物見せてもらったからな。それに俺もエリクシールを作ってみたかったってのもある」
まあ、一番はポルカに泣いて頼まれたからだが、あれほどの覚悟を見せてもらったからというのも事実だ。
それに春先にはあの腐った薬師ギルドと一戦交えるつもりである。その際にエリクシールを作った稀代の薬師が俺の側にいればこの上ないダメ押しになるだろう。
だが先の話は後で考えればいい。今はどうやってあの花壇から吟零草を後腐れなく盗み出すかが問題だ。
「じゃあまず、ユウキが目指している着地点はどんな感じにしたいんだい?」
俺の考えを読み取ってくれた如月が場の流れを作ってくれた。実に有り難い、この場にいる中で最も大人なだけはある。
「一番いいのはこちらがあの草をちょろまかしても王宮が何も言ってこないことだな。より具体的には相応の混乱を起こす必要がある。それも内部で揉めに揉めてこちらに批判が向けられないような感じが最良だな」
「それは……夢みたいな都合の良さね。いったいどれだけやらかせばそうなるのよ」
呆れたような口調のセリカだが、その顔は真剣そのものだ。彼女も俺が一度動き始めると滅茶苦茶やりだすと理解しているからだろう……セリカとは少し話し合う必要がありそうだな。
「俺も自分で言ってて馬鹿じゃねえかと思ってはいるんだが……今の王宮も色々と細かい問題を抱えていてな、それが今回の件で一層混沌として来ているんだ。これは、使えるぞ」
ユウナが仕入れてきてくれた情報や、昼間出会ったメイド長ルイーズさんはこっちの味方だ。それは王宮に勤めるメイドの半分はこちらの手に落ちたと言っていい。彼女達からもたらされた情報は一つ一つは断片的でも、それらを組み上げてゆくと王宮に潜む様々な懸案が浮かび上がってきた。
それらを聞いているうちに、俺の中でひとつの作戦が形作られる。それはまだ骨子の部分が出来上がっただけで細部はまだまだ朧気であったが、少なくともこれから進むべき道筋が見えたのは確かだった。
「……」
俺はイリシャを膝の上にのせながら黙考していた。必要な行動、それにともない起こり得る不確定要素を想定し、対処に必要なものを思い浮かべ、果たして成功するかどうか何回も繰り返す。
ああくそ、やはり”最初の計画”が一番可能性が高いか。
ああ、あいつら呼んどいてよかった。
そしてマール、この王都で最初に出会った君が、全ての鍵を握っていたようだ。ある意味でこれも巡りあわせなんだろうな。誰が仕組んだか知らないが、俺達の大騒動をしかと目に焼き付けるがいいさ。
「お考えは纏まったみたいですね、兄様」
「ああ、まだ荒い計画だが、流れは出来たよ。まだ不確定要素は多いが、基本方針は固まった」
この場にいる皆には基本この件に関わりはないし、なるべく隠し事はしない主義だ。ソフィアの問いに頷いた俺は頭に思い描いた計画を言葉にしてゆく。
「流れはこうだ。全ては時機を逃さないこと、これに尽きる。まずは……」
翌朝、王城から出た俺はクランに向かって歩いていた。最近のクランは例の薬草収集依頼のお陰で人で溢れかえるほどに盛況だったのだが、この2、3日でそれも大分落ち着いてきた。こちらが短い期間限定を区切った事で最初期に集中したのと、既に持ち込むべき薬草があらかた持ち込まれたせいもあるだろう。
一時は5人体制だった受付も二人にまで縮小し、ギルドの応援もそろそろ終わりにしようか、という空気が見え始めた頃合だった。破格の報酬を提示しているが、それもポルカの技量向上の為に必要だったからである。必要分は十分すぎるほど確保しており、期限である明後日を待たずして終了しても良いかと俺も思い始めていた。
「おう、暇そうだな」
俺が目当ての人物を見つけ、話しかけると、その相手は突っ伏していた机から顔を上げた。
「くそっ、暇で悪かったな。畜生、他の皆は必死でおふくろの為に働いているってのによ、俺はなんの役にも立っちゃいねえ、自分が嫌になるぜ」
ラルフがこうやって不貞腐れている理由は昨日の内に聞いていた。ルーシアが王城に上がるとこのクランの幹部は彼だけになってしまう。それを不安視した彼女から幹部権限を取り上げて古参の他の者に与えたと言うのだ。
問題は奪われたラルフ自身がその措置に納得してしまっていることで、何もしない事がクランのためになると理解してからはこうやって無聊を託っているわけだ。
「なんだ? その他人よりデカい図体があるじゃねえか。それをクランのため、いや自分の母親の為に使う気はあるのかよ?」
「……どういう意味だ?」
声を顰めたラルフが問いかけてくる。戦いに身を置く人種だけあって、俺の言葉の意味に即座に気付いている。
「そのままの意味だよ。前置きなしではっきり聞くぜ? お前、リエッタ師のために死ねるか?」
俺の衝撃的な問いに対して、ラルフは鼻を鳴らして答えた。
「くだらねえ質問だな。俺達ゃお袋がいなけりゃとうの昔にどっかの路地裏でのたれ死んでた。お袋にもらったモンを返すのに何の遠慮がいるってんだ」
俺の問いかけに答えたのはラルフだけではなかった。周囲の男たちも立ち上がってこちらに向かってくる。
「おいおい、楽しそうな話してるじゃねえか、俺にも一枚噛ませろや」「なにすりゃいいんだ? お袋のためってんなら何だってやってやらぁ」
「あんたら……上等だぜ。リエッタ師を救うために皆が出来る事はただ一つだけだ」
俺はそこで一度言葉を切り、周囲の視線を集めたのを確認して口を開いた。
「お前らの命を寄越せ」
楽しんで頂ければ幸いです。
ちょい短いですが、キリがいいのでここで切ります。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




