魔法の園 31
お待たせしております。
エリクシール。
完全回復薬、神の雫、神秘の霊薬など、様々な名称を持つ伝説のアイテムだ。
専ら神話上の存在として市井では語られるが、現実の存在であることをごく僅かな人々は知っている。
俺もとある事情からその事実を知ったのだが、その名を聞いた者の反応はたいてい決まっている。
「エリクシールなんて御伽噺の産物じゃない! そんなものがあるわけないでしょう!」
捨て鉢になったような声でルーシアが吐き捨てた。眉唾な代物である事は皆の共通認識だが、力無く倒れかかった彼女をラルフが支えた。
「ユウキ、今のはマジな話なのか?」
ルーシアと違い、ラルフの目には強い光があった。母親が助かるならどんな僅かな可能性にでも賭けるつもりのようだ。
「エリクシールは実在するアイテムだ。何しろ作ったという記録とその処方箋が残ってるからな。少なくとも、居るかどうかさえ分からん蘇生魔法の使い手を今から探すよりはマシだろうさ」
「ほ、本当に作れるというの? 神話に出てくるような品物なのよ?」
「普通に考えたら無理な話だ。今から材料を揃えるだけでも数年単位の時間がかかるだろうしな。だが、お前たちは運がいい。何しろ素材のいくつかを持ってる俺がここにいるし、ポルカの薬師の腕は知ってるだろ? エリクシールはこいつが何としても作り上げてくれるさ。そしてここは魔法薬の最先端を突っ走るライカールの地だ。ここで手に入らない素材なら、他の何処の国だって無理だ。エリクシールの素材を集めるならこの国が最適だ。今の自分たちの幸運がどれほどのものか、理解できてきたか?」
俺が滔々と言葉を並べるとルーシアの瞳に力が戻ってくるのが解った。
未だか細い希望だが、絶望が埋め尽くしていた視界に一筋の光明が差し込んだはずだ。
「ママは……本当に助かるの? ママ自身があきらめていたほどなのに……」
「間違えるなよ。彼女は助かるんじゃない、あんた達が助けるんだ。それにしょぼくれてる暇は無いぞ。これからあんた達には素材集めやなんやらで、クラン総出で走り回ってもらうことになるんだ。さっきも言っただろ、リエッタ師の魔法抵抗力が強すぎてそう長く時間を止めていられない。エリクシールが死者を蘇らせる薬と言ったって万が一の可能性がある。だったら確実に効く生きている間に飲ませたほうが絶対に良い」
俺の言葉を受けてラルフに肩を借りていたルーシアは力強く立ち上がった。
「そうね、何から何まで君の言うとおりだわ! ママはその子供達である私達が必ず助ける。諦めてなどやるものですか!」
「おう! その意気だぜ姉貴! 後悔や絶望は全てが終った後ですりゃいいんだ。今は僅かな可能性でも賭けるべきだぜ!」
「ええ、貴方にも色々と動いてもらうわよ、ママを死なせてなるものですか。ポルカが私達のクランにいてくれたことを初めて神とか言う存在に感謝したくなったわ。お願いね、ポルカ。ママを救うために力を貸して頂戴、そのために必要な物は世界の果てからでも掻き集めてみせるから」
「やるよ。絶対にお母さんを助ける。僕のこの力はこの時のためにあったんだ」
「頼むぜ、ポルカ。後方支援はこっちに全部任せろ」
「ポルカ、こんなに立派になっちゃって……私も負けていられないわね」
やる気に燃えている4人に背後から俺は声をかけた。
「だが今日はもう夜更けだ。ラルフとルーシアはクランに戻れ。マールとポルカはここに泊まるといい。二人は俺に近かったから今戻ったら色々言われかねないしな」
「そうね、ママの遺書を見てみんな諦めている筈、希望はまだ残っていることを伝えないと!」
「それに二人は幹部としての仕事があるだろ。俺がリエッタ師を刺して連れ去った事はかなりの人数に見られていたから、色々問題が噴出するはずだ。特にクランの外で」
俺の指摘にラルフが渋い顔をした。このクランは、マギサ魔道結社の総本部はリエッタ師の威光で総本部の地位が保たれていたようなもので、クラン全体の勢いとしては圧倒的に新大陸に軍配が上がる。
そんなことが続くと歴史だけしか取り柄のないライカールよりも日の出の勢いで活気のある新大陸のどこかの国に総本部を移そうという話が毎年のように起こり、その都度リエッタ師の功績に誰も反論できずに沈黙してきたという。
そんな連中からしてみれば絶好の好機がやって来たと感じるだろう。総本部は彼女の子供達が大半を占めているが、無関係な者だってかなりの数がいる。そんな奴等がこの件について口を閉ざす理由はない。
俺もかなり雑にリエッタ師を誘拐してきたから、既にこの件はクランどころが冒険者、スカウト両ギルドには広まっていると見ていいだろう。人の口に戸は立てられないし、これほどの有名人なら明日には王都中に広まっているかもしれない。
「ああ、その通りだ。だがお袋が目を覚ました時に総本部が新大陸に移動してたなんて事がないようにしっかりクランをまとめていかねぇと。こっちはこっちで難題だが、お袋の命に比べれば大した問題じゃねえ。俺に任せろ、緘口令を敷いてこれ以上の情報漏れは防ぐつもりだ」
「どうせよからぬことを企む奴が現われるのは確定なんだから、むしろ俺の行為を積極的に広めて死亡説を流したほうが良くないか? 敵の意表を突くってのは喧嘩の定石だろ?」
初対面の時のラルフは直情的な奴だったが、7大クランの幹部の椅子に座れるだけあって頭の廻りも悪くない。すぐに俺の思惑に気付いたようだ。
「なるほど、あえて情報を流して相手の反応を見るのか。その動きに乗ったふりをして最後にはピンピンしてるお袋が姿を現すって寸法だな。こりゃ使えるぜ。だがよ、良いのか? そうなるとお前の悪名が広まるぜ?」
「別に構いやしないさ。リエッタ師が無事に回復したらそんな噂は消え失せるだろうしな、やり方は任せる。だがとにかく動き出すのは明日からだ。時間の限りがあると言っても数日で時間切れということにならんだろ。今日は休んどけって」
そう言ってルーシアとラルフをクランに帰した。二人はリエッタ師から離れたくなさそうだったが、別に俺は彼女を隠したい訳ではない。クランの皆を連れて明日また来ればいいと告げると納得して帰っていった。どうやら暫く会えなくなると勘違いしたようだ。
俺がここに場所を移したのは余計な連中を入れないためだ。クランにいたらリエッタ師の一大事と関係のない連中がどっと押し寄せただろうが、この最高級ホテルの最上階に押しかけられる度胸のある奴は限られている。
もちろんクランの家族は別だ。全員で、となるとホテルが困るだろうが、そこはルーシアが上手くやってくれるだろう。
「ポルカ、マール。心配なのはわかるが、今は休めって。特にポルカ、お前はこれからひたすらポーションを作って製薬の腕を上げてもらう。今のままじゃエリクシールなんて夢のまた夢だ。自分でも解ってると思うが高品質のポーションを作るにはおまえ自身の集中力が1番大事だ。寝不足で頭が働かないと、それだけお前の母親を助けられなくなるんだからな」
仮死状態で時を止めているから冷たい母親の手を握っていた二人は俺の言葉で顔を上げた。母親を救うために必要な行動を取るべきだと理解したらしい。
「寝る前に風呂でも入って来いよ。その寝台は大きいからお前たち二人が寝ても問題ないだろうしな」
「そうするわ。行こう、ポルカ」
母親と同じ寝台で眠れると聞いて元気が出たらしいマールがポルカの手を引いて風呂場に向かった。このホテルがどんな風呂か知らんが、姉弟子が満足していたのでそれなりに上等なものだろう。使い方は……多分大丈夫だろ。
「という訳で、エリクシールを作ることになった」
そして俺は寝室を出ると、近くにあった一室に入る。談話室と思しきそこには俺の仲間達が勢揃いしていた。ただセリカと如月はシャオを見てくれているのでこちらには来れなかった。
皆はこのホテルの最上階を借り切った時からいたのだが、ルーシア達が来たのを知ってこちらに移動してもらっていたのだ。あの状況で俺の仲間の紹介が出来るとは思えなかったしな。
「話は聞こえてたけどよ、いきなり凄ぇことになったなぁ。ユウキは途中までその人をいかに安らかに死なせてやるかとしか考えてなかったじゃんか」
椅子に座った玲二がこちらを見て驚いている。彼の肩には半分寝ているイリシャが舟を漕いでおり、彼はそれを支えるのに大変そうにしていた。
「まあ、余所者としてはそれくらいが関の山だろ。初対面の人相手にどんな手を使っても助けてみせるというほど情に篤い人間でもないしな」
「あら、兄様は初めて会った時の私にそのように仰って下さいましたけど」
「それはソフィアが俺にとって特別なだけだ。それと同じようにあいつらにとって彼女が特別だということさ」
嬉しそうなソフィアの頭を撫でているともうひとりの妹が顔を上げた。
「ん……兄ちゃん見つけた」
俺の声を聞いたイリシャが寝ぼけ眼のままこちらにトテトテと歩いてきて、そのまま俺の腕に収まったかと思うと即座に寝息を立てた。
あと一刻(時間)もすれば日付も変わる時間なので起きている方が珍しいのだが、この妹は寝付くときに誰か居ないと安心して寝られないのだ。そんな時間に屋敷を空けている俺が悪いのだが、今日ばかりは許してもらいたい。
「でもどうするつもりなの? あんたのことだから勝算なくそんな事は言い出さないでしょうけど、エリクシールよ? 本当に出来ると思ってるの?」
姉弟子の詰問するような口調は友達になったマールを慮っているのだろう。絶望から一度救い出しておいて、やはり無理でしたとなれば彼女達は更に傷つくから、それを恐れているのだ。
「だからこそセラ先生の知見をお借りしたいと思いまして。ここは一つ先生のご友人のためにもご教授願えませんかね?」
俺の視線は奥の安楽椅子にどかりと座って非常に機嫌の悪いセラ先生に向けられている。この人、リエッタ師の状況を一目見てからこの有様で、溺愛しているアリア姉弟子の声にも生返事だ。
「ワシの知見じゃと? 一体何を言っておる」
不機嫌な声を出す先生だが、そんなもの一切に気にしない俺は言葉を続けた。
「先生がかつてエリクシールを作った時の知識と経験をポルカにくれてやって欲しいんですよ。ああ、誤魔化しとか時間の無駄なんで必要ありません。”向こう側”に行ったときあの薬草を持ち込んだじゃないですか。気付いたのはその時です、先生いくらなんでも詳しすぎですよ。覚えてないかもしれませんが、薬草片手に他に必要な材料やどの部位を使うべきなのかまで詳細に語ってくれましたからね」
「そうじゃったか? ワシでさえ覚えていないことをよくぞまあ」
惚けるのをやめた先生はむしろ感心しているようだ。きっと本当に覚えていなかったのだろう。俺だってエリクシールを作ろうと思い立った時に、そういえば先生前に作ったようなことを言ってたなと思い出したくらいだ。
「弟子として師の言葉は胸に刻んでいるだけです」
「はっ、白々しい事を。お主ほど弟子にする甲斐のない奴がおるかい。示唆を与えるだけで一から千まで覚えて実践するくせにの」
「その示唆のお陰で全てが上手く行っているんですから、敬意を払うのは当然かと」
事実として先生に教わった<魔力操作>は俺のダンジョン攻略に必要不可欠な能力だ。あれがなかったら未だに浅い層で這いずり回っていただろうし、金銭的、時間的、精神的余裕も出来ずにいただろう。
この3つの余裕は俺にとって本当に大事で、これがあるから今もこうやって他所の面倒事に首を突っ込んでいられる。それは玲二や雪音、如月とも出会う切っ掛けになったし、腕の中で眠るイリシャとも、シャオとも巡り会うことが出来た。
日々の借金、いや利子の返済に追われていたらとてもそんな余裕は生まれず、焦りの中でいつかきっと俺は致命的な失策を犯してダンジョンで死んでいただろう。
そのような訳で、どうにも他人には理解してもらえないが、俺はセラ先生にとても感謝しているのだ。
「ふん、まあいいさね。どの道ワシが教えてやれることなどない。何しろワシが過去に作ったエリクシールは失敗作じゃったからの」
「そんな! お師匠様に限ってそんな事があるはずが……」
俺以上に先生を神格化しているアリアが口を抑えて驚いている。
「先生が失敗? さては死体に使って生き返らなかったとかそんな感じでしょう?」
「……そんな昔の事は忘れたの」
俺の推論は事実からそう遠くないようだ。だがこれで俺の思い描くエリクシールという薬の全体像が固まった。
「幸い今もリエッタ師は生きています。息がある内に薬を飲ませて完全回復してもらいますよ。俺はエリクシールを”死者さえ生き返る薬”ではなく”死ぬような怪我や重病の患者さえ回復させる薬”だと思ってますんで」
「蘇生魔法に関する意見は相変わらずのようじゃの」
「それはもう。エリクシールも蘇生魔法も消費する品の割に得られる効果にあまりに差がありすぎますから」
失われた命を蘇らせるなど、生命を新しく創造しているに等しい。雪音のユニークスキルじゃあるまいし、そんな都合の良い話があるはずがない。どうにも信じるに値しない印象を与えるのだった。
エリクシールにしてもそうだ。世界を駆けずり回れば他に入る程度の苦労で死者蘇生が叶うなんて、あまりにも都合が良すぎるだろう。
「まあ、ええじゃろ。ワシも<至高調合>の高レベル保持者には興味がある。どれほどのものか、見てみるのもよかろうて。リエッタの、あのどうしようもない愚か者がどうなろうと知った事ではないがの」
「またまた、そんな心にもないことを。古いお知りあいだと聞いてますよ」
「愚か者を愚か者と言ってないが悪いのじゃ。お主とて<鑑定>してあの馬鹿の容態はわかっておろうに。本来成人したエルフとはその高い魔法抵抗から病にかかりにくい種族なのじゃ。それをあんなに手遅れになるまで……その理由とて明らかじゃろうに!」
先ほどからセラ先生の機嫌が悪いのもそのリエッタ師の病状のせいである。つまり先生はリエッタ師の現状に激怒、言い換えれば古い友人が何故病を患ったのか理解し、それに怒りを覚えているのだ。
「俺は彼女の母親としての覚悟だと見ましたが。俺もシャオやイリシャが同じような事になれば躊躇いませんし、それは姉弟子に何かあれば先生もご同様でしょう」
「……」
俺の言葉に先生は口を噤んだ。リエッタ師の体は幾つもの病が同時に彼女を襲っており、その原因も見当がついている。しかし原因が解っても普通のポーションや魔法では治らないと解っているので今更そこを責めても仕方ないことだ。
それにきっと当事者達、彼女の子供達には知られたくないことだろう。少なくとも俺なら絶対に墓の下まで持ってゆく内容だ。先生も黙ってしまったという事は同意見だろう。
「ユウキさん、その話は後でもよろしいのでは? もう時間も遅いですし、他にこの場でお話しておくことはありませんか?」
先生の沈黙によって膠着しかけたこの場を雪音が動かしてくれた。確かにもう寝むべき時間だ。明日からは色々と動き回る事になるから、話すべき事だけ話して今はお開きにすべきだろう。
「そうだな、とりあえず俺は明日からエリクシールに必要な材料を集めようと思ってる。俺の知る限り材料は6種類、非常に特殊な薬草、銀竜の爪、古亥の苔、ヒュリーの神樹の皮、吟零草の花、そして晴嵐山の麓の霊水だ。このうち幻と呼ばれる最初の二つは既に持っているから、残りは4つだ。これは俺の持つ伝手を全て使って探すさ」
「ふむ、一つだけいいかな、我が君」
俺の説明が終わるとレイアが手を上げた。
「そのうちの素材の一つに心当たりがある。これから採取に向かってもいいかな?」
「どれを指しているのか知らんが、素材の鮮度に関わるからすぐには頷けないな。神樹の皮なんざ、乾燥させて数年寝かせた方が上等な品になったりするそうだぞ」
「なるほど、霊水を汲んで来ようかと思ったが、余計な世話だったかな」
「それなら構わない。鮮度が命だろうし是非とも君に頼みたい。それと、近場で薬草も採取してくれ。ポルカにはこれからひたすらポーションを作ってもらう事になる。特に質の良い薬草を頼みたい、先生と姉弟子も融通してもよい奴は回してくれ。礼はポルカがポーションにして返すから、売るなりなんなりすればむしろ高値になるだろうさ」
「解ったわ。リエッタ様のためだもの。そしてポルカの経験のため大盤振る舞いさせてもらうわ」
「なあなあ、その子供がエリクシール作るのが規定路線になってるけど、そもそもユウキが作ってもいいんじゃね? <至高調合>ってどんな品も必ず成功させるんだろ?」
話も纏まりかけたころ、玲二がそんな言葉を口にした。確かにそうですね、とソフィアが頷いているが、これは単純にポルカの方が良い品を作れるから任せているのだ。
玲二は解っていると思ったがな。
「同じスキルを持っていても、技量や熟練の差で効果は大きく違うのは玲二も<料理>で経験済みだろ? それと同じだよ。俺よりポルカの方が品質の高い品を作れるし、俺とポルカじゃ同じスキルでもレベルが3も違うからな、今回はリエッタ師を確実に助けるために、普通にエリクシールを作るんじゃなくて、厳選された素材を使って最高のエリクシールでなくてはならないから、俺より適任なのさ」
それに<至高調合>はどんな品を作ろうとも必ず成功させる能力を持っているが、これも一筋縄ではいかない。そこそこの回復力を持つポーションも最高の出来のポーションもおなじ”成功”判定だからだ。
合格判定の幅が広すぎて、成功品でも助からない可能性があると告げると皆も納得してくれた。
それに失敗しないと言うのは凄いことだが、逆にそれは当人の成長の機会を奪っているのと同義である。
どうやれば成功し、何を間違ったから失敗したという基本的な検証を行えないのはそれはそれで面倒だ。
その分、高品質の薬草で最高級の薬を作り出してもらう。数をこなす事でしか得られない細かな機微を感じ取ってもらい、ポルカの成長につなげるしかない。恐らく今のあいつだと経験が浅すぎて高品質と最高品質はちゃんと見分けられないと思っているからだ。そもそもポーション作り始めてまだ数日しか経ってないんだけどな。
「明日からは今言ったとおりに動く予定でいるから、そのつもりでいてくれ。他に聞きたい事がないなら、もう遅いしこの場はお開きにしようぜ」
「最後に一つだけ。ワシの知見を授けよと言いおったが、新たな弟子と面倒は御免被るぞ」
嫌そうな顔をする先生だが、なんだかんだ言って面倒見のよい人なのは知っているから、あまり問題はないと思っている。
きっと明日にはノリノリでポルカに師匠面しているに違いない。
「別に先生の叡智の全てを教えろとは言いませんよ。たまにあいつを見てやってくれれば十分です。先生のその姿が目立つってんなら、他の姿に擬態すれば良いだけでしょう。外見なんてどうとでも変えられるはずです、先生もエルフなんだから」
「……いつから気付いていた?」
俺の何の気なしに口にした言葉が痛恨の出来事だったらしい先生は、その口調さえ変えていた。別に暴く気も周囲に言いふらす気もないんだが。誰だって隠したい秘密の一つや二つはある。
「その老婆の姿が擬態だってのは会ってすぐ気付きましたが、だからどうって訳でもないので。俺にも似たような秘密はありますし」
実は元幽霊で、憑依者の体を乗っ取って使ってますなんて口にしても頭がおかしいと思われるだけだ。
「ふん、まあよかろ。蘇ったリエッタの愚か者に嫌味を言うのも一興か」
先生が納得してくれたので、俺はこれ以上何も意見が出ないことを確信して皆で屋敷に戻った。
誰か一人くらいはこのホテルに泊まるかと思ったが、全員が屋敷に戻ってしまった。
ここにポルカとマール二人だけにするわけもいかず、俺がこのホテルに残ることになってしまった。
「あれ、ユウキさん、その女の子は……」
風呂上がりのポルカが俺の腕の中で眠るイリシャを見て声を上げた。
そういえばエレーナたち以外、俺の仲間や身内は誰も紹介してなかったな。
「こいつは俺の妹だ。今はこんなだから明日にでも紹介させるさ。それより色々大変だったろ、なにか食うか? 二人とも寝られる精神状態じゃないだろう」
二人にしてみればやっと帰ってきた母親がいきなり病気で死ぬと言われ、だったらエリクシールで生き返らせてやろうぜ、と言う話になったのだ。
感情の振れ幅が大き過ぎて未だに全ては受け取られていないに違いない。そんな状況で寝ろと言われても無理だろう。
「ありがとう、いただくわ。今のままじゃとてもじゃないけど寝付けなかっただろうし」
「ポルカも何か腹に入れて寝ろよ。おい、聞いてるか? 気負うのはせめてエリクシールを作ってる最中にしとけ。今からそんなんじゃお前が保たないぞ」
気負いすぎて顔が強張っているポルカを見て俺はため息をついた。いくら母親を助けると覚悟を決めたとはいえ、まだ9歳児なのだ。周りが気を使ってやらないといけないだろう。
「わ、わかってるんですけど、何か自分が自分じゃないような、そんな変な感じなんです」
ああ、これは俺も覚えがあるから解る。強力すぎるスキルに思考が引っ張られているのだ。
言い知れぬ多幸感というか全能感というか、ヤバい薬をキメた時のような感じになるので、もしこれが大人なら周囲に大迷惑を撒き散らしたに違いない。
もしポルカの才能が魔法関係だったら荒ぶる力でえらいことになっていただろうが、幸いポルカは子供なので甘いもんでも食わせて寝かせればそこまでひどい事にはならんと思う。
「今は食って寝て、明日に備えろ。折角だし気分が落ち着く奴がいいな。何があるか……」
「ちょこみるくとクッキー。あまいやつ」
すると腕の中で寝ていた筈のイリシャが横から口を出した。
その瞳は眠気に負けかけていた先程までとは異なり、ぱっちりと開いている。
俺が甘味を出すと知って野性の勘で目覚めたようた。
「はいはい。二人もそれでいいか?」
「えっと、その、あの」
「とってもあまいから、期待していいよ。しあわせの味がするの」
自信に溢れたイリシャの声に二人も有無を言わさず納得させられた。普段無口なのに、こういう時だけは雄弁なんだよな。そこがまた可愛いが。
余談だが、アルザスの屋敷では同時刻にシャオも目覚めたらしい。俺とイリシャだけがなにか食べているとこちらも野性の勘が働いたようで、結局、仲間全員と一緒に寝る前に甘味を食べたそうだ。
太っても知らんぞ、と声に出さず思うだけにしておいた俺は賢明だった。つい口にした玲二が酷い目にあったと後で聞いたからだ。
もちろん歯磨きはさせた。寝る前に甘いもんを食べたら歯磨き必須である。
そして翌日から、クランは目の回るような忙しさになった。
クランクエストなる、総本部のクランメンバーに対して強制的に発動することが可能な依頼を課したからだ。
以前に発動されたクランクエストは50年以上前だというから、これがどれほど珍しく、そしてどれほどの覚悟で行われたかが伺い知れる。
だがその内容は簡潔にただ一つ。
高品質の薬草を可能な限り掻き集めろという単純なものだった。
この指令に実に多くの者が従った。報酬が破格だったのである。
薬草一束につきポーション3つという街の薬師がこんなことやられたら商売上がったりになると悲鳴を上げたくなるような内容だったからだ。
通常、非常に大雑把に言えば薬草一束の量でポーションが一瓶できると見てよいから、街の薬師は勘定にあわない、いずれクランは破産すると内心慄きながらも平静を保った。
しかし、報酬として渡されたポーションがとんでもなかった。ハイポーションと言っても遜色のない高い性能を誇っていたからだ。
これを知ったクランメンバー以外の冒険者も我先にとマギサ魔導結社の門を叩いた。
買い取りは誰からでも受け付けるという噂が既に王都中に広まっていたからだ。
小狡い者は質の悪い雑草の様な薬草を紛れ込ませようとしたが、そんな不届き者は手痛い罰を受ける事になる。
買い取り場には何故かクランとは犬猿の仲の筈のギルド職員が大勢待機しており、彼等が買取りと薬草の品質の確認を行っていたのだ。
魔力の薄い王都セイレンでは薬草はほぼ取れない。そんな状況では王都の庶民が小遣い稼ぎに近場の薬草を、などということは起きないので、この場にいるのはほぼ冒険者である。
そしてギルド職員はここでもいつものようにギルドカードの提出を求める。わざと質の悪い薬草を紛れ込ませた冒険者の前でも。
その不届きな冒険者の末路は語るまでもないだろう。
マギサ魔導結社が何がとんでもない事をやらかそうとしている。
そんな噂が王都中の酒場で持ちきりになる頃、当のクランでは、若い少女の甲高い叱責の声が響いた。
「何度言わせれば気が済むのじゃ! 製薬に最も大事なのは温度じゃぞ! 煮出す際は一瞬たりとも気を抜くでないわ!」
「は、はいっ!」
ポルカが、謎の美少女エルフから叱られていた。
「おっ、やってるな。ポルカ、調子はどうだ」
「声をかけるでない。こやつは今、薬草の声を聞き逃すまいと集中しておる。誰もがお主のように何時でも極度の集中が可能な訳ではないのだぞ」
謎の美少女エルフは小声で俺を叱ったが……
「そいつは失礼しました」
「なんじゃ、しきりにこっちを見よってからに」
「いや、なんでもないです。我が師匠」
「ふん、薄気味悪いの」
いやいや、薄気味悪いのはこっちの台詞だ。何度見ても違和感しか感じない。
今の俺か狸に化かされていると言われても納得してしまうだろう。
「ポルカ! 今少し待て、今の温度じゃ、この温度こそが薬効を最も効率的に抽出するのじゃ! 理屈ではない、肌で覚えよ。製薬とは幾千と繰り返す事のみが上達の唯一の道ぞ。お主の母御を自らの力で助けたいのなら、精進を重ねる他ないのじゃ!」
今はガミガミとポルカを叱り飛ばしているが、この俺より僅かに年下くらいの可愛らしいエルフのお嬢さんが……
俺の師匠、皺だらけの婆さんだったセラ先生の本来の姿だというのだから。
楽しんで頂ければ幸いです。
連載開始6年にして初めて明かされる新事実!
別に永遠に出さなくても良いネタだったんですが、出番を寄越せと暴れられました。
そのせいで昨日の内に上げる筈がこんな時間になってしまいました。
エリクシールは作るまでが一番面倒なので、ここの話がちょいと続きます。
次は水曜予定でお会いしたく(最近守れてなくて申し訳ない)思います。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




