魔法の園 30
お待たせしております。
「おかえり、母さん。遅かったね」
「本当だよ。いつもの事とはいえ、心配したよ?」
クランの大きな玄関は、帰還したリエッタ師を出迎えようと人が集まり始めていた。
「あらあら、みんな、ただいま。私のあなたたち、元気でいてくれて嬉しいわ」
そう言って一人一人を優しく抱きしめてゆくが、エルフだから見た目は二十代に見える彼女がどう見てもおっさんの”息子”を抱きしめている不思議な光景になっている。
「いや、オフクロさん、勘弁してくれよ。俺りゃもう孫だっているんだぜ」
「ふふ、何を言ってるの。どれだけ見た目が変わっても、私にとっては可愛いこどもよ。ノッド」
「やれやれ、オフクロさんにゃ敵わねえな」
一人一人とそんなやり取りを行っているのだが、俺にしてみれば最後の別れを名残惜しんでいるようにしか見えない。
ここにいるクランの皆はようやく帰ってきたリエッタ師を顔が見れて嬉しそうだ。この現実に途方に暮れているのは俺だけではなかろうか。
いや、ポルカはあの<至高調合>のお陰か、母親の異変に気づいているようだな。薬師関係の最上級スキルだけあって医術に関する見立てもできるようだ。
だがそれは強い違和感を感じる程度で、自分の母親の身に何が起きているのかまではわからないようだ。言い知れぬ悪寒を感じているようで、傍から見ても可哀想なくらいに狼狽えている。
「お、お母さん……な、なにがあったの?」
「どうしたのポルカ。そんなに震えて、風邪でも引いたのかしら? だから無理をしては駄目とあれほど言ったでしょう。でも、ポルカの凄い所をお母様にも早く教えてあげなきゃね。きっととても喜ぶわ」
「待ってよ、お姉ちゃん!」
母親に会えたうれしさからポルカの様子に気づいていないマールは、早速リエッタ師にその事を伝えに行こうとしている。
これ、どうしたもんかな。
状況で言えば、完全に詰んでいる。
もう何もかもが終わった状態で、残すは後始末だけとなっている。だからこんな時間に帰ってきたのだろう。
全てがリエッタ師の思惑、いやそんな言葉ではないな。自分の家族への配慮と願いのもとで行われており、余所者が容易く横から口を出せる話ではない。
しかし……
「ポルカ、お前の懸念は正しい。彼女の刻は間もなく終わろうとしている。笑顔で見送るのも家族の仕事だろうよ」
あまりに狼狽しているポルカを見てられなくなった俺はつい彼にそう声をかけた。こういうものは遺された方も逝く方も辛い事だが、最期の時間を笑顔で、渾身の力を振り絞ってでも笑顔で過ごす事で、僅かな時間でも最良の想い出にすることはできる。
「ユ、ユウキさん……ユウキさんも分かるんだね! お願いします! お母さんを助けてください! ボクにできることなら何でもします。ボクの命をあげてもいいいから、お母さんを……」
俺の服を掴んで泣きながら懇願するポルカを見て、俺は困惑に近い感情を抱いた。
今のリエッタ師は気力のみで病魔に冒された体を動かしている。俺は人の意思の強さ、精神力の発露を垣間見ていて、軽い感動さえ覚えていた。
変な話だが、ポルカのその言葉を受けるまで彼女を静かに見送るのが礼儀だと考え、グリモワールの件さえ意識の外に追いやっていたほどだ。
ポルカには悪いが、あの状態から回復ってするのか? 病気を治すライフポーションは最上級だって手元にあるが、回復魔法もライフポーションもある程度は患者の体力、抵抗力を必要とする。死体にポーションをかけても肉体は回復しないのだ。つまり、生きているのが不思議なほどの彼女にはいかなる治療も意味を為さない。魔力持ちが多いこのクランでリエッタ師に<鑑定>をするわけにはいかないから見れていないが、きっと今の彼女の生命力は1か0を行ったり来たりしている状況に違いない。
こう表現するのもどうかと思うが……今のリエッタ師は動く死体みたいな状態だ。既に言う事を聞かない体を魔力で無理矢理動かしている。ルーシアやラルフたちが注意深く観察すれば気付けるはずだが、ポルカ以外の誰もが待ち望んだ彼女の帰還を喜んでおり、その気配はない。
「いや、しかしだな……」
あまりの難題に思わず言葉を濁す俺だが、ポルカの目からは涙が零れ始めた。
「お願いします! お願いします! 僕は拾ってくれたお母さんに何一つ恩返しができていないんです! いやだ、いやだよ、おかあさん……」
俺に縋りついて大声で泣き始めてしまったポルカに周囲の視線が集まってくる。嬉し泣きとは全く様相の異なる異常さに喜んでいた他の皆も不審げだ。
しかしまいったな。全く解決策が浮かばないぞ。何しろリエッタ師には時間がない、今すぐ天に召されても不思議じゃない有様だ。
俺もこの状況に多少混乱している。正直言って悩む時間さえもったいないほどに緊迫して……そうか、今一番必要なのは時間だな。
俺は俺の腕に縋りついて泣いているポルカに視線を合わせた。その瞳には濃い絶望が映し出されており、俺の心を酷くざわつかせた。
それは子供の瞳に映させて良いものではけしてなかった。俺には縁もゆかりもないリエッタ師の病状だが、ポルカの心に巣食う絶望を叩き潰せるのなら、この件に首を突っ込む価値はある。
「ポルカ。エレーナ達が滞在するホテルの場所は解るな?」
「ふぇっ? あ、はい、何度か連れて行ってもらったので……あの、ユウキさん?」
「おふくろさんを助けたいなら今すぐ向かえ。事情は後で話す」
俺を信じるか? と問う必要さえなかった。涙を拭ったポルカは一目散に玄関から闇夜に駆け出して行った。
<ユウナ、レイア。状況は解るな?>
俺は<念話>で従者二人に尋ねた。俺を通して仲間達がこの光景を見ていたことはわかっていた。
<ああ、確認した。難事のようだな、我が君><はい。まずはあのポルカ少年の安全確保を行います>
<ユウナはポルカを、レイアはあのホテルの最上階を階層ごと借り切れ。また面倒事だが、ここまで関わっちまったものは仕方ない>
溜息交じりの俺の<念話>に仲間達が苦笑しているのが解った。
<ユウキは行く先々でトラブルに首突っ込むなぁ。巻き込まれているわけじゃなく自分から関わってゆくのがなんともらしいというか。俺もそっちに行くよ、何も出来ないだろうけど、人手はあったほうがいいだろ?>
<私も行きます。相手が女性なら私にも出番はありそうですし>
<僕も行こう……いや、シャオとイリシャを寝かしつけてから向かうよ>
玲二と雪音は来てくれるらしいが、妹を娘に絡まれている如月は後から来てくれるそうだ。如月、俺の身内が本当に色々すまんな。
<いいよ。僕も好きでやっているしね。でも、一体どうしたものかね? 医者の端くれとしての意見を言わせてもらえば、その人は時間を稼いで何とかなるレベルじゃないと思うけど>
<それをこれから考えるんだよ。皆にも心の底から期待してるからよろしく>
仲間との<念話>を終えた俺には周囲の困惑した視線が突き刺さっている。そりゃそうだろう、自分達の母親がようやく帰ってきて喜んでいたらポルカが泣きながら走り去っていったのだ。
「ポルカ! 一体どうしたの!?」
当惑したマールが彼の背中に声を掛けるが、当然答えはない。むしろ俺がマールに強い調子で言葉を投げた。
「マール! ポルカを追ってくれ。俺もすぐに向かう」
「え!? う、うん。解ったわ!」
慌ててポルカを追う彼女を見て俺は内心で胸を撫で下ろした。面倒な立場になるだろう二人に先に向かってもらった事で少し楽になったからだ。
「お、おい、二人とも。こんな夜に何処へ行こうってんだよ!」
事情を知るはずもないラルフの混乱した声が皆の本心だろう。彼等には後で謝るから、ここは俺の計画を進めさせてもらおう。経過はどうあれ最終的には彼等も納得するはずだ。
「あら、あなたはどなた? 新しい家族かしら?」
そしてとうとうリエッタ師が俺を捉えた。俺も始めて彼女を真正面から直視するが……大したもんだ。家族を余計な心配をさせないために、人はここまで強くなれるのか。
俺は彼女の”覚悟”に紛れもない純粋な敬意を抱いた。
「ママ。紹介するわ、ママを訪ねて凄い有名人が来てくれたのよ。彼はね……」
「ルーシア。自己紹介は自分でさせてくれよ」
「ああ、そうね。ごめんなさい、余計だったわ」
そう答えるルーシアの顔はポルカの件を差し引いても明るい。彼女はリエッタ師不在の総本部を任されるという重責を担い、俺の襲来とギルドとの折衝という胃の痛くなる仕事を大過なく終わらせられた安堵感で一杯だ。
これからのことを思うと申し訳ない気持ちになるが、これも君のためだ。諦めてくれ。
「ああ、話は変わるが君はダクストンホテルを知ってるよな?」
「え? この国一番のホテルでしょ。知っていて当然だけど、どうしたのいきなり?」
ママの前で何を言い出しているのと顔に書いてあるが、これも必要なんだって。だが、これでこの場で行う仕込みは全て終了した。
俺は小首を傾げてルーシアとの会話を見守っていたリエッタ師に向き直る。
「自分はユウキと言う冒険者です。高名な”森の大賢者”にお会いできて光栄です」
「ユウキさん。まあ、そのお名前、まさか貴方があの?」
俺の名前を反芻していた彼女はふと閃いたように手を叩いた。この動作一つでも辛いだろうに、本当にたいしたものだ。
「過分な二つ名を頂戴しています」
「あらあら、ルーちゃん。凄いお客様ね、おかあさん驚いちゃったわ。あの<嵐>さんがやってくるなんて」
ふわふわした笑顔を浮かべるルーシア師は単純にこの出会いを喜んでいるように見えた。俺に何の警戒もしていない。あるいは警戒する余力も残っていないのかもしれない。
「しかし、このクランを襲うのは嵐などという生易しいものではないようだ」
瞬間、俺は微弱な魔力を彼女に送る。<鑑定>を受けたと理解したリエッタ師の表情が強張る。
「ユウキ、何を――」
周囲が謎の行動に戸惑う一瞬の隙を突いて、俺は懐から取り出したあるものを彼女の胸に突き立てた。
「激震、というやつさ。それが貴方を失ったクランに襲い掛かるものの名だ」
短剣を胸に受けたリエッタ師はゆっくりと膝をつく。俺は力を失った彼女の体を抱え上げるが……軽い。初めて出会った時のイリシャを思い起こさせる羽毛のような軽さに空恐ろしさを覚える。
皆の脳が事態の把握を拒否し、一瞬の静寂が玄関を満たす間に俺は既に行動を開始していた。
「ママ!」「ユウキ! お袋に何を!」
我に返ったクランの皆が俺に追及の声を上げるなか、視線をルーシアに向けた。その瞳には動揺と隠しきれない怒りが読み取れたが、俺と目が会うと何かに気付いたかのように視線を揺らした。
これでいい。何も考えが浮かばない現状ではとりあえず今は時間を稼ぐほかない。
まずは仲間たち、そしてポルカやマールと合流だ。
力なく俺に身を任せるリエッタ師を抱えた俺は仮の拠点に決めたダクストンホテルへと急ぐのだった。
こうして後にリエッタ・バルデラ殺人事件と呼ばれる大騒動は幕を開けた。
「お母さん!」「お母様!」
手配を整えてくれていたレイアとユウナの誘導により、誰にも見られる事なくホテルの最上階に辿りついた。こういった格式の高いホテルは最上階を区画まるごと一室としている事が多い。ソフィア達と泊まったランヌ王都のホテル・サウザンプトンも同じだったし、高位貴族や王族など側付きが大量にやってくる連中が借り上げることが多いからだ。
しかし相応に値も張るので基本いつも空いている。個人で泊まるには広すぎるし高すぎるから数人の宿泊なら階下の豪華な部屋で事足りる。
俺がここを選んだ理由は余計な雑音を遮断する為だ。転移環を置いているホテルだったので色々と勝手がわかっている点も見越しているが。
「お母さん! お母さんしっかりして!」
「無駄だポルカ。今の彼女には何も聞こえない。とりあえず寝台に寝かせるから手伝ってくれ」
「ねえ、一体どうなっているの? こんなことをしでかして、ちゃんと説明してしてくれるんでしょうね!?」
「ああ。もちろん、といいたい所だが、お前も冷静になってちゃんと監察すれば今の彼女の状態は解るはずだったんだけどな」
今は魔導具の影響で見ただけでは解らなくなっている。これは説明に骨が折れそうだ。
そうして俺は寝室にある巨大な寝台に彼女を寝かせる。その際にリエッタ師の胸に短剣が刺さっているのを見た二人は息を飲んだ。
「ナイフが!」「ど、どうなってるのよこれは!」
説明は後でまとめてやりたかったのだが、二人の目があまりに真剣なのでこの件だけでも説明しておくか。
「落ち着いてよく見ろって。刺さっているのに血が出てないだろ? この短剣は魔導具だ、彼女の命に別状はない」
最早命に別状が、とかいう次元じゃないリエッタ師の容態だが、俺の言葉で二人は胸を撫で下ろした。
「二人には予めここに来てもらっていたが、マールはポルカから何か聞いているか?」
「お母さんが大変だとしか。一体何が起きているの?」
ポルカも狼狽していたし、彼自身上手くリエッタ師の状況を説明できないでいたから、マールへの言葉が漠然としてものになっていても不思議はない。むしろ6歳の子供があの状態で自分が何をすればいいかを理解して行動に移しただけでも褒めてやるべきだろう。
「順を追って説明してやりたいが、その前にこっちへ向かってるルーシア達を出迎えてやってくれ。あいつらの目の前でリエッタ師に短剣を突き立てたんでな、色々混乱しているはずだ。説明は皆が揃ってからにする」
「わ、わかったわよ。行こう、ポルカ」
<マップ>で確認するとルーシアとラルフが大急ぎでこちらに向かっている。ルーシアは俺の言葉をの意味をちゃんと理解してくれていたようだ。
さて、これからどうしたものか、色々ありすぎて未だに混乱している頭の中を纏めるべく近くにあった安楽椅子に腰掛けたとき、奥の扉が開いた。
「あー、いいお湯だったわ。あいつもたまには気の利く事をするじゃない、最初から最上階に泊まってればこのお風呂を使えたのにね」
「うむ、自家製の風呂も良いものだが、こういった豪奢な風呂もまた良いものだな! エレーナも一緒に入ればよかったのだが、どこに行っているのやら」
「なんだ、二人とも湯上りかよ」
浴室らしき部屋から現われたのはアリア姉弟子とリーナだった。何でそこから現れるんだと考えて、俺がホテルの最上階を確保したと知って様子を確認しに来たらしい。
当然のことながら、彼女の中で”私の物は私の物、弟弟子の物も私の物”という”じゃいあにずむ”精神とやらが働いているので実に遠慮がない。別に姉弟子のために部屋を確保した訳ではないのだが。
「ええ、折角一番良い部屋を取ったんだから、隅々まで確認しようと思ったら贅沢なお風呂があったし」
楽しまなきゃ損でしょ、と当然だがこちらの事情など一切知る由もない二人は明るい声を出した。
その底抜けの明るさにどこか救われた気分の俺だったが、すぐ側には意識のないリエッタ師が寝かされている。二人が気付かない筈がなかった。
「はあ? あんた何してるのよ。女性をホテルに連れ込むなんて、たとえレイアが許しても私が絶対に……えっ、ま、まさかリエッタ様!?」
「ふむ、この方もエルフ族なのか。それもこの気配、相当に格の高い御方だな、故郷のお母様を思い出す」
驚くアリア姉弟子とは対照的にリーナは感心している。リーナの母親とは俺が暴れまくったエルフ国の女王の事だが、先ごろ彼女に女王がお前を思って宮廷から離したこと、仲間から謀殺されかかった事を知らせると涙ながらに後悔していたと教えてやると彼女もまた泣き出してしまった。
しかしその後は憑き物が落ちたかのように明るくなったし、故郷の話題も口にするようになったので、前向きになったと思いたい。
「なんだ、姉弟子は知り合いなのか?」
「お師匠様の古いご友人よ! 私も昔から可愛がっていただいたわ。何よこの短剣……ちょ、ちょっとどういうことよ、これ!」
「見ての通りだよ。俺も何とかしてくれといわれて困ってるんだ」
「お、お師匠様に話してくるわ!」
セラ先生の知り合いかよ、と思う間もなくアリアは飛び出していった。世間が狭い、というよりやはりこの人も只者じゃなかったかという謎の安心感があったほどだ。
後で知ったが、この人セラ先生の戦友だった。7大クランの最高幹部程度に収まっているべき人でないのは確実である。
「ママ!」「お袋はどこだ!」
「ふ、二人とも落ちついてよ」
寝室の扉を蹴破ろうかという勢いでルーシアとラルフが駆け込んできた。その顔には真冬だと言うのに玉の汗が浮かんでいる。きっと動揺するクランを鎮めてから一目散に駆けてきたのだろう。
寝台の上にリエッタ師が寝かされているのを見てラルフの目が血走る。突き立った短剣は彼の位置からでも良く見えたからだろう。
「ユウキッ!! 手前ぇ、始めからこれが狙いだったのか! よくもお袋を!」
ラルフは完全に頭に血が上っており、俺の言葉を聞くつもりが欠片もない事はその顔を見れは一目瞭然だ。俺を見つけるなり殺意全開で殴りかかってくるが……
「我が君に対する暴挙を見逃す事はできんな」
「なにッ! いつの間に! ぐおっ!」
「今はユウキ様の言葉に耳を傾けなさい。大人しくしていれば命は取りません」
ラルフの真横に現われたレイアが攻撃態勢にあった彼を推し留め、ユウナがその首筋に刃を押し当てた。示し合わせた訳ではないが、奴の性格からして想像通りの結果になってしまった。
「ラルフ。今は落ち着いてユウキの話を聞くべき時よ。彼も意味があってこのようなことをしたはず、でなければ私にこの場所を伝える意味がないはずだから」
「くそっ、わかったよ。暴れねえからこいつを引っ込めてくれ!」
ラルフの言葉に嘘はないと判断したユウナは彼の背後から俺の背後、彼女曰く従者の指定位置に立った。
「その姿、あんたが”氷牙”か。何でそんなとんでもない実力していながら、ユウキの下についてんだよ……」
「ユウキ様が私の全身全霊を以って仕えるに足る主だからです。当然の事を聞かないでください」
「……そうかい」
二人が心底どうでもいい事を話しているが、他の者たちはさっさと事情を聞かせろと目で訴えている。
「俺の話をしている場合か? さっさと本題に入ろうぜ。面倒な話だから、纏めて一度で終わらせたいんだ」
俺は一度口を閉じて周りの皆の反応を伺う。言いたい事は山ほどありそうな顔だが、とりあえず俺の話を聞こうという考えのようだ。
「まず結論から言うぞ。リエッタ師は病気で死ぬ、いやもう死にかけている。今生きているのが不思議なくらいだ」
「何を馬鹿なことを言っているの? ママが死ぬ? 第一、貴方が短剣を差しておいて、そんな荒唐無稽な話を信じろというの?」
ポルカを除く他の二人も同意の目をしている。解っていたことだが厄介だな、仕方なく順を追って話をすることにした。
「まずあの短剣をよく見てくれ。あの剣身は魔力で出来ている。クロノブレイドとかいう魔導具で対象の時間を止める事が出来るんだ。ちなみに抜けばすぐにでもリエッタ師の時間は動き出すから心配するな」
「本当だな!? じゃあ今すぐに抜け! お袋が重い病気だってんなら本人に聞けば話は早いだろうが!」
ラルフの意見はもっともらしく聞こえる。俺も頷きたい所だが、もしそれが可能ならこんな面倒な手段を取っていない。
「時間がないんだって言ったろ? お前らは会えた嬉しさでポルカ以外誰も気付いていなかったようだが、この人、病巣が全身を覆いつくして殆ど死体だぞ? 気力だけで生きている状態だ」
「嘘よ、ママが病気なんて! 側にいた家族の私たちが気付かないのに、何故初対面の貴方が解るのよ!」
ルーシアの言葉には強い拒絶があった。信じたくないという思いが強いのだろうが、どこか頑なな印象も受ける。もしかすると心当たりがあるのかもしれない。
「俺は<鑑定>持ちだが……多分そういう問題じゃないな。ルーシアは今家族の自分達が気付かないはずがないと言ったが、逆だろ。心配をかけたくなくて隠していたんだろうさ、家族だからこそ」
「嘘よ、ママが私達を置いて死ぬはずがないじゃない。ママはエルフなのよ、悠久を生きる長命種が私たちより先に……」
ルーシアの最後の言葉はうわごとのようだ。認めたくない現実に押し潰されそうになっているのだ。
「お前たちには辛いだろうが、そう考えれば色々腑に落ちるのさ。なあラルフ、思い返してみれば今回はそんな予兆ばっかりだったんだろ? 用事は終わったのに妙に途中で休みたがるとか言ってたしな」
「そ、それは確かに……くそ、言われて見れば道中、お袋は妙に俺達を避けてた。畜生、一人で苦しんでたってのかよ。俺達は何も知らずに……」
「待ちなさいよラルフ。ママが病気のはずがないじゃない、きっとユウキには何か目的があって私達を騙そうとしているのよ。だって、ママが死んじゃうなんて、そんなこと……」
「姉さんっ!」
ルーシアの瞳から透明な雫が流れるのを見て、それまで黙っていたマールが彼女を強く抱きしめた。まるで抱きとめる事で彼女の魂をここに留まらせるように。
「ラルフ、何故お前達はリエッタ師を置いて先に帰還することになったんだ? 放浪癖があったのも事実だろうが、今となってはクランに戻る時、お前たちに不安を感じさせないために体調を整えていたんじゃないのか? そして何故こんな遅い時間に到着した?」
ラルフが膝から崩れ落ちた。普段なら覇気に満ち溢れているその顔は蒼白になっている。
「……きっと何とか出歩けるまでに回復したのが夜だったんだ。そういえばお袋は俺達と食事を一緒に一度も食わなかった。もう食べたとか、俺達に全部回してた。元々あんまり食べない人だったが、もう食い物を体が受け付けなかったんだ」
「止めて! 全て悪いほうに考えるのは止めなさいラルフ! 大丈夫よ、これは最悪の想像に過ぎない。ママから直接話を聞くまで私は信じないわ。そのナイフを抜けばいいんでしょう?」
まるで幽鬼の様な足取りでリエッタ師が横たわる寝台に近づくルーシアの前にポルカが立ちはだかった。
「退きなさい、ポルカ。私はママを目覚めさせる。そしてママから話を聞くわ」
「落ち着いてよ、ルーシアおねえちゃん」
「私は落ち着いているわ。落ち着いているからこそ、ママの口から真実を聞きたいの」
「その短剣を抜きたいなら止めはしない。俺も自分の考えを口にしているだけで証拠のない話だしな。俺としては皆に考える時間を与えたつもりなんだ。今のように嘘か真実かを迷うことだって時間があるから出来ることだ。俺の見立てじゃきっと彼女はお前らと最期の別れを済ませて静かに旅立つつもりだったんだろ。その時になってああしてればよかったと悔やむよりはマシだからな」
「そうね、そこは感謝しないといけないわ」
そう言いつつ短剣の柄に手を掛けたルーシアにこれは堅い声で告げた。
「ただ、機会は今この一度だけと思ったほうがいい。もし俺の予想が全て正解だった場合、二度目はない。この魔導具は凄い効果だと思うが、抵抗するのも簡単なんだ。俺が成功したのはお前たちも見ての通り完全な不意打ちだったからだ。リエッタ師が全ての覚悟を決めてお前たちの前に姿を現したのだとしたら、二度目はまず確実に魔法抵抗されると思え」
この言葉は脅しではなく事実だ。<鑑定>では魔力が満タンなら30日は時間を止められるはずなのだが、内包する魔力の減りが異常に早い。流石というか当然というか、この状況でもリエッタ師は魔法抵抗しているのだ。このままだと恐らく10日、いや5日も保てば上等なのではないか。
「ではどうすればいいと言うのよ! ママの命の危機に私たちは指を咥えて見ていることしか出来ないというの! 私、ママに拾われて何一つ恩返しができていないのに……」
身を切るようなルーシアの叫びが寝室に木霊した。
「俺達だって同じだぜ。幹部になってこれで少しはお袋を楽にしてやれると思ったのによ」
力なく呟くラルフの目からも涙が溢れている。この場にいる誰もが現実に打ちのめされていた。
その時、ホテルの従業員が近寄る気配を感じた。察したユウナが用件を伺いに出ると、帰ってきた彼女の手には便箋が握られていた。
「貴方達のクランからです。リエッタ氏の荷物に手紙が入っていたようです」
おいおい、この状況で手紙だと? そんなもん遺書以外の何物でもないじゃないか。
俺が思わず顔を強張らせる中、ユウナが差し出した手紙をラルフが受け取って中身を確かめ、顔を伏せた。
「見せて」
ひったくるように手紙を奪ったルーシアはマールとポルカと共に読み始めたが、三人の表情で内容の想像はついた。
「お母様……嫌よ、私達を置いていかないで……」
「どうしてこんなことに……ママが居ない世界なんて考えられない」
それぞれが非常な現実に涙を流す中、俺は皆を慰める言葉を探していた。しかし、どうにも気の効いた言葉が出てこない。
もういっそ何もかも諦めて短剣を抜き、穏やかな空気の中で最期の別れをさせてやるほうが彼等のためなのではないかと思い始めたくらいだ。
だが、一人だけは諦めていなかった。
「違うよ、みんな! 僕たちまだ何もしてないじゃないか。ユウキさんは僕たちに時間をくれたんだ。お母さんを死なせない為に出来る事はあるはずだよ。何もかも諦めるには早すぎるよ!」
ポルカが立ち上がった。涙を流しながらも、その幼い瞳には炎が灯っている。
「ポルカ、この手紙を読んだでしょう? どんな回復魔法もポーションも効果がなかったとお母様自身が認めていらっしゃるわ。とても辛いことだけど、納得して……納得、する、しか……」
「いやだ! ぜったいにいやだ! お母さんが死んじゃうのはいやだ! 助けるんだ、まだ試していないことがあるかもしれないじゃないか。僕はお母さんをあきらめたくない。たとえみんながあきらめても僕はぜったいにあきらめない! だれもお母さんを助けてくれないなら、僕がお母さんを助けるんだ!」
叫びだった。ポルカの魂からの叫びだった。その勢いに圧倒されて皆が息を飲んでいる。それは俺も同様だ。ポルカの気魄に思わず呑まれてしまった。
「よく言った! お前は男だな、ポルカ」
「ユウキさん、おねがいです、僕に力を貸してください。お母さんが助けられるなら、僕は奴隷にでも……」
「みなまで言うな。お前の覚悟を見せてもらった。俺に出来る事は何でもしてやる」
「あ、ありがとうございます! で、でも僕には何も思いつきません、命の危ないお母さんをどうやって助ければいいのか」
今のリエッタ師は身体機能のほぼ全てが停止している。本人の遺書にあったとおり、どんな回復魔法もポーションも効果はないだろう。
先ほども言ったように、死体にポーションを使っても仕方ないからな。
ああ、そうか。彼女に必要なのは蘇生魔法だ。
もちろん俺が魔法を使えばいいというものではない。
なにしろこの世界には蘇生魔法の代用品があるじゃないか。
なるほど、ここでようやく道筋が見えてきた。
リエッタ師を助けるのは俺ではない。たった今覚悟を決めたポルカだ。まだ9歳の子供かもしれないが、覚悟を決めた男に年は関係ない。
ヨチヨチ歩きの幼児だろうが、死にかけた老人だろうが、一度覚悟を決めたなら男は男なのだ。
俺は運命なんて信じないクチだが……
思えばこれも導きなのかもしれない。
縁もゆかりもないクランに流れ着き、そこで<至高調合>を持つポルカと巡り合い、そして命が尽きかけながらも子供達の幸せを思う彼等の母親が現れた。
ここまで来ればどんな無茶だろうが、全力で押し通すまでだ。なに、俺にとってはいつものことさ。
「ポルカ、打つ手は一つしかない。作るぞ、死者さえ蘇るという伝説の”エリクシール”をな」
楽しんで頂ければ幸いです。
次からエリクシールの精製作業に入ります。
蘇生魔法は主人公がその効果を疑っているので使用しない予定です。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




