魔法の園 10
お待たせしております。
恐ろしいほどの緊張感がこの場を支配している。
相手の吐息さえ聞こえてくるような静寂が満ちた。主に緊張しているのは向かいの少女たち6人で、俺は暗澹たる気持ちで一杯だ。
いや、今はそれに変わり、怒りが腹の中を渦巻いている。
くそっ、胸くそ悪い。何故俺がこんな思いをしなければならないんだ。皇太后め、雑な仕事をしやがって。よりによって俺に後始末させやがるとはな。あんたへの恨みがまた一つ増えたぜ。
俺は意識して怒りを押し殺していたつもりだが、こちらを注視している6人には隠しきれなかったようで脅えの空気が混じり始めた。
やれやれ、こんな半人前の子供達を殺すと脅しているのか、俺はとんだ糞野郎だ。
気配で解ったが、彼女達はリノアと同じでまだ人を殺したことがない。暗殺一家の落ちこぼれとはそういう意味だろう。しかしそれ以外の技量は高く、日陰に居続ければいつか例の事件についての情報を得ることもあるだろう。
無いかもしれないが、俺は楽観的予測は立てない。こうして因果が巡ってきたのだ。また同じことが起きないという保証はない。
永遠に感じられるほど永い時を経て俺の目の前にいる少女、ネリネが口を開いた。
「その様子じゃあんたが何を言っているのか解らないんだけど……で逃げられそうにもないわね」
「まあな。俺はお前達がロッソの一味であると確信してる。なんと言い繕おうと俺の確信は変わらない」
ちゃんと<鑑定>で確認した結果だ。俺としてもできれば知りたくなかった事実だ。だが、見なかったことにするわけにはいかない。小さな取りこぼし一つが未来の破滅を招くと俺の中の何かが囁いている。
「その強さからしてあの男、頭領を始末したのもあんた? あの男の最後はどんなものだったの、それだけでも教えてよ」
屑の親玉の最後だと……ろくに覚えてないな。記憶に残すほど大した男でなかったのは確かだが、どうしたもんかな。
「悪い、雑魚過ぎて記憶にない。ただ闇に生きる我等とかなんとかほざいてたような気がする」
俺の身も蓋もない台詞にネリネは一瞬真顔になった後、この空気には似つかわしい快活な笑い声を上げた。それは背後の少女たちも同様だった。
「ははは、あの男がそんな不様な末路! 死んだ母さんにも見せたかったわ、ねえ皆」
「お前たち、あの男の娘か?」
「やめてよ。あいつを父親だなんて一度も思った事は無いわ。親らしいことなんて一つもされなかった。私たちは母親こそ違うけど、皆あの男の殺しの道具に過ぎなかったわ。ああでも最後に気分が爽快よ。聞けてよかった!」
「それはなによりだ」
俺の心が冷えてゆくのが解る。痛みも苦しみも全てが冷え切ってしまえば何も感じなくなる。全てを凍りつかせるのだ。
「……私たちはあんたと出会えたらお礼を言わないといけないと言い合っていたんだけど、運命ってわからないものね」
「俺に礼だと?」
意外すぎる一言に俺が眉根を寄せた。だがネリネの顔を見ても俺を煙に巻こうという意思は感じられない。これまでの行動や振る舞いから見てもそういった篭絡系の対人訓練を受けているとは思えない。
「ええ、私達をあの地獄から抜け出させてくれたのだもの。あそこにいても私達の未来はなかった。どこか適当な任務に出されて身代わりか捨て石にされていたのが関の山よ。あの隠れ里じゃ逃げ出すことも出来なかった。だから里が襲撃されて、始めて私たちは自分の意思で人生を歩み始められたのよ」
ネリネの疲れたような声を聞いて俺の気分は下がる一方、そして皇太后に対する怒りは募るばかりだ。
「でも、私達の運命を変えたあんたが私達を終わらせに来た。あんたは本来この情報を言う必要はなかった。それでも敢えて口にしたということは、私達を見逃す気はないという事ね?」
「そうだな」
俺は自分でも意外なほど無感情な声が出た。ネリネの背後の少女ら、彼女の妹達が殺気立つも、一瞬で掻き消えた。やはりまだ若いのに優秀だ、力の差を理解して抵抗が無意味だと解っている。
「ねえ、始末するのは私だけでは駄目? 妹たちは見逃して欲しいのだけど……解ってる、無理よね。関係者を全て始末しないと後始末にならないもの。一人でも逃せばそこから新たな悲劇が生まれるから」
「謝罪はしない。俺を恨んでくれていいぞ」
これ以上言葉を交わす必要もないと俺が全てを受け入れかけた時、涼やかなここにいるはずのない者の声がした。
「そう結論を急がず、選択肢をもう一つ加えたら如何かな、我が君?」
「レイア? 何故ここに」
俺の横には従者であるレイアが控えていたのだ。
突然の事に一瞬頭が混乱した。今朝は早朝に皆の顔を見て以来、転移環は回収している。こちらに来れるはずがないし、そもそも彼女は今日もセラ先生の店にいるはずではないのか、と思ったら隣にユウナがいる。
ああ、そういうことか。なんとなく状況が読めて気恥ずかしくなってきた。
「ユウナまで何の用だ」
俺は無理して機嫌の悪い声を出したが、従者二人には通用しなかった。くそ、伊達に俺の心を読む術に長けていない。
「ここは我等にお任せください。ユウキ様が手を下す必要はございません」
「ダメだ。これは俺の仕事だ」
「いえ、従者の仕事です。どうか私にお任せを」
俺の全てを振り払うような声もユウナには通じなかった。隣のレイアが諭すように言った。
「我が君、ここは女同士で話をしたい。そのほうが上手く纏まると思うのだ。我が君には丁度用事も出来たようだし、役割を分担しようではないか」
レイアの言う通り、俺の視界には100人近い集団が迫ってきている。きっと先ほどの復讐だろうが……。
なんて間のいい連中なんだ。先ほどまではもし神がいるならとんだ糞野郎だと思っていたが、どうやら神が詫びを入れに来たらしい。
「二人とも、この件は任せる。だが、後で話がある」
「我が君の仰せのままに」「ユウキ様にご満足頂ける形でご報告させていただきます」
二人が揃って頭を下げている光景をネリネたちが唖然として見ている。まあ、何が起きたかよく解ってないと思うが気にするな、俺みたいな性格破綻者よりも二人の方が上手く纏めてくれるだろう。
なにせ6人を始末するしかないと思っていた俺と違い、彼女たちは生かそうと考えているのだ。
俺もその考えが頭をよぎらなかった訳ではない。しかしそれを行ってはあまりに独善過ぎるのではないかと思ったのだ。今更といえば今更だが、あの件で手を汚した当事者がカタを着けるのが筋だと考えていた。
だが従者二人は俺の苦悩を感じ取ってわざわざ駆けつけてくれたようだ。きっとレイアがこちらまで飛行してユウナを連れて来たか転移環を置いたのだろう。
あの二人は俺に甘すぎやしないか? あの6人は俺が片付けなければならない件だった筈だ。それを俺は気が進まないからと察して手助けに来てくれたのだ、有り難いような子供扱いに怒るべきか、悩む。
「おう、ガキ! 俺達のシマで随分と暴れてくれたじゃねえか! 覚悟は出来てるんだろうな、ああ!?」
俺の眼前には大量の男たち、本当に100人以上の荒くれがこんな真昼間に集まっていた。いくら商都として名高いラインハンザとはいえよく集まったもんだ。なんでも後で聞いたら例の大嵐のせいで今日の仕事が皆無らしい。普段はここまでの数は揃わないそうだ。
「お前らも運がなかったな。これは完全に俺の八つ当たりだ。都合よくそっちから殴り飛ばしていい頭を用意しくれるたぁ準備がいいじゃないか」
「このガキ、何を言ってやがる。頭がイカれたか?」
この集団の頭と思われる禿頭の筋肉男が凄んでくるが、俺には絶好の瞬間に喧嘩を売りに来てくれた好い奴にしか見えない。
「さっき手前にやられた舎弟の分までたっぷり礼をしてやるから覚悟して……」
筋肉男は最後まで言葉を続けられなかった。隣に居たゴロツキが数人まとめて殴り倒されたからだ。そいつは一撃で痙攣して白目をむいている。
「憂さ晴らしで人死にを出すのも気が引ける。全員半殺しで勘弁してやるから、地獄を見たい奴から掛かって来い!」
「舐めてんじゃねえぞ、この糞ガキがぁッ!」
俺とこの荒くれたちの楽しい楽しい喧嘩はこうやって始まった。
「どうやら話は纏まったようだが……何してるんだ?」
俺は八つ当たりを終えて晴れやかな気分でネリネとユウナたちの元へ戻ったのだが、俺を見たネリネたち6人が即座に跪いたのを見て声を上げた。
「これより私たちロッソ残党6人は“氷牙”のユウナ様の配下となります。つきましてはその主である貴方様にも正式なご挨拶を」
「ま、待て。お前たちはそれでいいのか?」
「はい、後悔はありません。このまま行く当てもなく流離うより偉大な方の下でこの力を使いたく思います」
俺は助けを求めるようにレイアとユウナを見るが、ダメだこれは。どうだ上手くやっただろうといわんばかりの顔をしている。
そりゃ俺だって一番の解決策が彼女達を支配下に置く事、それも行動を縛れる奴隷化する事が正解だとは解っていた。彼女達を殺さずに済み、こちらの情報が漏れることもないからだ。
だがそれはあまりにも独善が過ぎると思った。彼女達を奴隷にした後、イリシャやシャオの顔をまともに見れる気がしなくて除外していた。始末しても同じ事だとは思うが、故郷を追われる原因を作った張本人に支配されるのは哀れに思えたのだ。
だがまさかユウナがやっているとは思わなかった。しかもこの感じ、間違いなく奴隷化させている。恐らく俺の不利益になるような行動が取れないように制限をかけているに違いない。
<勝手をして申し訳ありません。ですがこれがユウキ様にも私にも、そして彼女たちにも最適な決着であると判断しました>
<俺についてはどうでもいいが、彼女達と君の利点があるのか? 俺のせいで面倒を押し付けたような気がしている>
俺の不服そうな<念話>の声にユウナは違うとはっきり断言した。
<この娘たちは故郷を追われ、行く当てもなく彷徨っていました。明日をも知れぬ身であり、こちらから保護を口にするとすぐに興味を示しました。その後で条件を提示し、奴隷化も最低限我々の事を他者に漏らなさいという点でのみ縛ると約束し了承を得ています>
<それは私が証人となった。後で証文を作りそれぞれが持つ事までユウナは約束している。向こうとしても追われる事無くこの国を脱出し、ランヌで衣食住が完全に与えられると聞いて安堵している。我が君の元で無く、同性のユウナの奴隷ということで無体な真似はされないという安心感もあっただろう。それになにより我が君の配下に加わればこのような場所から抜け出し、先ほどのような甘い菓子をいつでも好きなだけ食べられると告げたら一も二も無く頷いたがね>
レイアが何時に無く饒舌に話し始めた。恐らく彼女も俺が気に病んでいる事を知って気を回してくれているのだ。
<彼女たちについては解った。ユウナ、君がわざわざ骨折りをする利点は? 手勢として使いたいのか?>
ユウナは今、自分の手足となる勢力を作り上げている。その切っ掛けはアルザスで俺が好き勝手しすぎて彼女の手が回らなくなり、教団が入り込んでいるのを見逃したあの事件だ。
ユウナは全力で取り組んでいたが、作業量が限界を越えたら出来ない事はある。だとしたら自分の代わりに動く手足を増やすしかないという結論に達したのだ。
大陸各地に<洗脳>した情報提供者を飼っているのはもちろん、今訓練中のハクやその他にも自分達のために動く人材を欲しがっていたのだ。
<はい、昨夜子爵邸に忍び込み、目的を達成して撤退した手際は非凡なものでした。本人たちは暗殺者として出来損ないと卑下していましたが、潜入任務を行うスカウトとしては今すぐにでも投入可能なレベルです。正直申しまして、彼女たちのほどの才能を始末してしまうのは損失です>
ユウナはここまで評価するのは珍しいが言われてみれば子爵邸は警備も厳重だった。これまで数回盗みに入られていたというし、充分に警戒していたはずだ。それを掻い潜って潜入するのはたいしたものだ。
ユウナも暗殺者とスカウトを兼任しているから同一視する奴もいるが、潜入と暗殺は似通っている面もあるが違う系統の技術だ。暗殺者として使えなくてもスカウトなら十分やっていけるとユウナが太鼓判を押すなら俺が何かいうことはない。
ただ一つの点を除いて。
「一つだけ尋ねる。俺はお前たちの家族の仇だ。憎くはないのか?」
俺は至極当然の質問をしたつもりだが、ネリネは酷く乾いた笑みを浮かべた。
「先ほども申し上げましたが、我等は里の者より家族として扱われませんでした。だからこそ私たちは一つの姉妹としてこの国に追われながら手を携えて生きてきました。それに頭領は、あの男は弱いから死んだのです。闇の世界で弱者は喰われる為にあるとあの男自身が常々申しておりました。その摂理に従ったまでの事、我が主がお気になされる事は何一つありません」
「解った。お前たちがそれを望むなら、俺は受け入れよう。まあ、なんだ、暫くはゆっくり体を休めろ。今は落ち着く時間が必要だろう」
快活ささえ感じるネリネの言葉に俺のほうが気圧されてしまった。
<なんでこいつらあんなに覚悟完了してるんだ? お前ら何かやっただろ?>
<やったのは我が君の方だが? 間近で100人以上を相手に素手で四半刻(15分)とかからず全滅させるのを目の当たりにしたのだぞ。あんなのを見せ付けられては逆らう方が愚かだろう>
ああ、そうか。あいつらに八つ当たりするのが楽しくて周りをあまり見てなかった。
ユウナがネリネ達を連れてゆくのを見ながら俺は大きく溜息をついた。
しかし何か非常に疲れたな。思いもかけぬ因果が巡って来て嫌な決断をしなくてはいけないと苦悩していたら二人がやってきて鮮やかに解決してしまった。思い悩んでいた俺が何か馬鹿みたいだ。
「我が君は周りの人々の苦境には容易く手を差し伸べるのに、自身の事に関しては自分で解決しようとしすぎるきらいがあるな。私もユウナも我が君の従者なのだぞ、主人とは従者をもっとこき使うものだ」
ただでさえ私は従者として全く働いておらぬのだからな、とレイアが自虐的に笑う。レイアはもう従者というより先生の窓口のような立ち位置だ。ユウナのように甲斐甲斐しく動くよりも自分の好きな事をやっている姿のほうが俺は好きなんだが。
「それはいかん。これではユウナの先輩として示しがつかんではないか。従者として役に立たねば格好が立たないのでな」
確かに俺も気軽に呼びつけるのはユウナのほうが多いが、レイアも製薬者として十分役に立っている。特にあのダブルポーションの件で春先には薬師ギルドと喧嘩をするときには彼女の腕が何より活躍するだろう。
だがそれを言ってもあまり喜ばないのは知っている。かといって従者ではなく仲間になればいいじゃないかと告げてもそれはそれで嫌がるという難儀な性格をしている。
この話をこれ以上続けても埒が開かないのは知っているので、話題を変える事にした。
「しかしよく来てくれたな。転移環は無かったから、アルザスから飛んできてくれたんだろう?」
「うむ。今朝イリシャが我が君が辛い思いをすると言い出したのでな。私が先行してこちらに移動し、ユウナを転移環で呼んだのだ。だが来て良かった。我が君に不本意な決断をさせずに済んだ」
「それでも俺が行った結果なのだから、俺が決着をつけるべきだった。だが、ありがとう。俺では彼女たちの終わらせる決断しか出来なかっただろう。君たちの気遣いに感謝する」
俺が素直に感謝の言葉を述べたので、レイアが意外そうな顔をしたが、次第に誰もを虜にするような魅力的な笑みを浮かべた。
「ふふふ、従者として当然の働きだとも。これからもお役に立つことをここに誓おう」
レイアと共に屋敷に戻った俺はすぐにバラ園なる場所に通された。ジュリアが密談の行う場所はいつもそこだといっていたが、なるほど、温室なら人の出入りは確かに少ないだろう。
しかし防諜対策は完全ではない。ジュリアから聞いたこと無い怪しげな魔導具が設置されていたりしたので、それを排除しつつ俺は温室の中央、数脚の椅子と卓が用意された場所に向かう。
子爵夫妻は既に俺の到着を待ってくれていた。
「お待たせして申し訳ない。街に散策に出ておりました」
「なに、気にされる事はない。私のほうも昨夜の件が今さっき一段落したばかりだ。ところで、そちらのこの世のものとは思えぬほど美しい女性を私達に紹介していただけるかな?」
俺は自分の後ろに控えていたレイアを横に並ばせた。
「こちらは私の信頼の置ける友人です。この場に同席させる意義をご理解いただきたいと思います」
正直これからの話をレイアに聞かせようが聞かせまいがどちらでもいい(この件を既に彼女は知っている)のだが、俺のためにはるばる移動して来てくれた彼女に“もう帰って良いよ”とは言う気になれなかったので連れて来た。
「ユウキ様の従者を務めておりますレイアと申します。我が主共々、よろしくお引き立てのほどを」
腰を折り優雅な貴人に対する礼をする彼女に俺のほうが驚いていた。礼儀を重んじる性格なのは知っていたが、どちらかといえば武人らしい所作が目立つので、このような美麗な挨拶をするとは思わなかった。
<場に応じたマナーは心得ているさ。あの不快な屑に使われているときもそれなりに必要だったのでな>
「なんと、このような美しい女性を側に置かれているとは、ユウキ殿も隅に置けませぬな」
奥方であるシェリー夫人の目が怖い事になっているが、それを知ってか知らずか子爵はマナーとしてレイアを席に招いた。側に控えていたメイドが茶の用意を行い、それぞれに行き渡ると一礼して去っていった。
「さて、ユウキ殿のご要望でこの場を用意した。この場は他の耳は殺してあるから安全だが、それなりの話があると思ってよいのだな?」
これまでと打って変わって冷酷な領主の瞳になった子爵が俺を見据える。さて、いくつか話したい事はあるが、まずはこれだろうな。
できればあの姉妹も呼んで欲しいが、これは今でなくてもいいし。
俺は子爵の許しを得て立ち上がると、ガラス張りの温室でも外から見え難い場所を選び、台座と転移環を設置する。
「君は一体何を……」
子爵の問いには答えず、俺は相棒に<念話>で語りかけた。
<リリィ、ソフィアに準備が整ったと伝えてくれ>
<おっけー。あと、さっきの件は私になんで相談しないの!?>
やいのやいのといってくる相棒を何とか宥めてソフィアを屋敷の転移環にまで移動してもらう。
「彼女や皆が子爵や奥方に会いたがっているもので。しかし方法が特殊なのでこのような場所を設けてもらいました」
夫妻が何をする気なのだと声を上げる前に、転移環が僅かに光り、この国の王族だけが持つ蒼い髪の少女が姿を現した。
「叔父様! 叔母様も!」
「ソ、ソフィア!? まさか殿下なのですか!? おお、大層お美しくなられましたな!!」
「まあ、ソフィアちゃんなの!? 少し見ないうちにこんなに大きく綺麗になって!」
そのまま駆け出して夫妻に抱きつくソフィアは満面の笑みを浮かべている。やはりこの地はソフィアにとって特別なのだろう。今朝俺が何とか会わせてやると告げると本当に喜んでいた。
「ああ、本当に姫殿下なのですな。ご留学が終わられるまではお会いできないと諦めておりました」
最初の内は再会を喜んでいた夫妻も、不意にソフィアを離すと臣下の礼をとった。その姿にソフィアの顔が曇るが、あれの意味はそういうことじゃないな。
「殿下、先だってのご留学の件は我等の力が及ばず、申し開きもございません。後見人である私の力が至らぬばかりに殿下に多大なご心痛を……お詫びの言葉もございません」
最後は言葉にならなかった子爵だが、ソフィアは彼の肩に手をおいた。
「顔を上げてください。あれらは私が弱かったから招いた事です。王都とラインハンザは距離がありますもの、叔父様に出来る事も限りはありますし、気にしてはいません。それに、辛かったすべての事も兄様と出会うための試練であったと思えば何一つ苦しくありませんから」
心からの笑顔でそう告げるソフィアに夫妻の罪悪感も少しは紛れたようだ。
「ユウキさんと良い出会いをしたのね?」
「はい! 私の人生の全ては兄様と出会うためにあったのです」
愛おしそうにソフィアの髪を撫でる夫人にソフィアは元気に返事をした。普段は頑張って背伸びしている彼女だが、夫妻の前では子供に戻ってしまうようだ。
夫人と会話をしているソフィアを満足気に眺めていると子爵がこちらに寄ってきた。
「ユウキ殿、あ、あれはまさか神話にある瞬間転移装置なのか?」
「ええ、色々と制約がありますが、魔法学院のあるアルザスと繋がっています」
「な、なるほど。君に関する噂は色々あるが、全て真実だと納得したくなるな」
何気に失礼な事を言われた気がするが、それはいい。
「それにこちらに来たがっているのはソフィアだけではないので、ほら」
俺の指の先にはソフィアに続いて転移してきたジュリアや双子メイドたちの姿があった。
「父上! 母上!」
「おお、ジュリア、よくぞ無事に戻った! アンナとサリナも元気そうだな」
「子爵様、奥方様もご健勝で何よりにございます」
双子メイドは母親がソフィアの母付きメイドだったらしいが、子爵夫妻とも仲は良好のようだ。彼女たちの肩に手をおきながら談笑しているが、夫妻の視線は時折誰かを探している。
その誰かさんは、まだ転移して来ていない。昨夜も話題に上がっていたし、今朝あったときには合わせる顔がありませんと対面を嫌がっていたほどなのだが……あ、来たようだ。
「あ、とーちゃんだ!」
てっきりレナが転移してきたと思ったら、愛娘の元気な声がした。続いてイリシャもやって来たのだが、レナと手をつないで転移してきた。恐らく渋るレナをイリシャとシャオが連れて来た感じだろうか。
「兄ちゃん」
レナを夫妻の方に押し出して後はおしまいと言わんばかりに二人は俺のほうにやって来た。両手を突き上げて抱き上げろとせがむシャオとは違い、イリシャは俺の腰に抱きついてきた。なんだ、珍しいな。
「兄ちゃん、つらいのもう大丈夫?」
上目使いで見上げる妹に俺は言葉を失った。二人の肌から伝わってくる暖かさが、俺の凍り付いていた精神を溶かしてゆくようだった。
そうだ、俺はこの暖かさを守らねばならない。何をしても、どんな事をしても守り抜かないといけない。先程だってそうだ、もし自分が躊躇えばこの俺を俺でいさせてくれるこの温もりは消えてしまうのだ。
本当に守り抜かねばならない大切なものとそれ以外との明確な線引きを行わなければならない。
迷いは死に繋がる。俺ではなくこの子達にその悪意の刃は向けられるだろう。
「我が君、先ほど私が申し上げた事を覚えているかな?」
俺の考えを呼んだレイアが咳払いと共に声をかけてきた。二人を抱きしめながら思考の海に没頭していた俺はその声に反応が遅れてしまった。
「あ、ああ。そうだな、すまない」
「まったく。だがその話は後にするとしよう。今は無粋だ」
レイアの視線の先にはアンナとサリナの陰に隠れたレナと夫妻との対面が行われていた。
「まあどうしたのレナ? 二人に隠れてしまって」
「あの、旦那様、奥方様……私は、その……」
尻ごむレナだったが、壁になっていた双子がレナを押し出してしまった。自然と夫妻の前にレナが向かうことになる。
「レナ。ほら、貴方の可愛らしい顔をもっとよく見せて頂戴」
「あ、えっと、その奥方様」
膝をついてレナの頬を撫でていた夫人は、耐え切れなくなったようにレナを強く抱き締めた。
「ごめんなさい、レナ。私達の力が足りないばかりに! 怖かったでしょう、痛かったでしょう。貴方が瀕死の重傷を負ったと聞いて、どんなに自分の無力さを呪った事か解らないわ」
小さく嗚咽を漏らす夫人にレナが逆に慰めるようになっている。
昨日聞いたのだが、ソフィアがライカールの王都を脱出する際に夫妻が協力したのは確かだが、レナが囮になるのはレナたちの独断だったようだ。どうやら王都から夫妻のいるラインハンザまでに伝わる情報が敵に筒抜けだったようで、独断だからこそソフィアは安全に国外脱出ができたというのが真相みたいだ。
何しろ当のソフィアも知らされていなかったくらいなのだ。夫妻が知るはずがない。ランヌの王都に到着して落ち着いたソフィアが手紙にて真相を伝え、夫妻は驚愕したという。
「だ、大丈夫です奥方様! 傷も賢者様に治してもらって傷跡もありませんから。ほら、私は元気ですし」
夫妻を元気付けようとする健気さに夫妻の涙腺は崩壊した。その後は回りまわってまた俺への感謝の言葉が始まってしまった。その前にイリシャとシャオの挨拶があったのだが、あの様子じゃ夫妻はろくに覚えていないだろうな。
「レナは私の姉の子なのです」
涙の再会が一段落して落ち着いた夫人が卓に座る俺たちにこう切り出した。
「姉君の? レナの髪の色は王族の証だと聞きましたので傍系なのかとばかり」
俺の疑問に夫人は声を顰めて教えてくれた。
「嫁ぎ先が第三王子でしたので」
「ああ、成程、その縁で引き取ってメイドをしているのか」
今この国に直系の王族は僅か3人しかいない。その内で前王の子供たちは現王とソフィアのみだ。そこまで少ないのは諸悪の根源である皇太后が大いに張り切ったからである。レナは生まれて間もなく両親が粛清の憂き目に遭い、夫人が隠すように養育してきたという。
って事はレナも世が世ならお姫様か。同じ事を思ったらしい俺の膝の上のイリシャが呟いた。
「レナちゃんもお姫様?」
「そうなるな。本人が望めばだけど」
「おひめさまいっぱい! メイファおねえちゃんもおひめさまだし、あやちゃんも!」
イリシャの膝の上に乗っているシャオが卓の上にある菓子に手を伸ばしながら言った。
初めは俺一人で座っていたのだが、イリシャが俺の上に座りそれを見たシャオがイリシャの上に座るという中々珍しい状態になっている。夫妻に失礼だぞと窘めたのだが、二人は飾らない場だからと笑って許してくれた。
ソフィア達のほうを見れば、今は夫妻の娘であるティナとセルマも呼んで久々の家族団欒を過ごしている。
だが漏れ聞こえてくるその内容がどれが美味しかっただの、お勧めの菓子だのと聞こえて来るんだが……一年ぶりくらいの再会なのにそれでいいのだろうか。
「あの素晴らしい魔導具のおかげで思いもかけぬ再会が出来てまことに感謝しているが、その様子では話はそれだけではないのだろう?」
「ええ、あの魔導具は転移環と呼んでいますが、その設置をお願いしたく思っています。もちろん絶対に秘密が守れる場所で」
「あれほどの神器だ、秘密の厳守は当然だな。よろしい、我が家のほうは何とかしよう。いくらか時間をいただきたいが、設置の方は喜んでお受けする。殿下や娘達と気軽に会えると言うのはこちらとしても本当にありがたいことだ」
「秘密を確実に守っていただけるなら、近いうちにランヌの王都もご案内できると思います」
俺の言葉に子爵は目を光らせた。アルザスではなく王都と告げた意味に気付いている。
「それは興味深い、非常に興味深い申し出だ。今のランヌ王都は大陸の中心地と言って良いほどの活気に満ちている。是非とも見学に参りたいものだ」
「私としてはこのラインハンザはそれを超えて欲しいと思っています」
そして俺はこの密会の本題を切り出した。
「我が都市を? そう言ってくださるのは嬉しいが、いささか無理筋ではないか?」
「子爵が努力を重ねてこの都市を大きく発展させた事は理解しています。しかし現状、貴方の努力にも拘らず、ライカール王宮におけるソフィアの地位は如何でしょうか?」
「それは……我が身の非才を恥じ入るばかりだ。殿下には心苦しい思いをさせてしまっている」
子爵は下を向いているが、これは彼ばかりのせいという問題ではない。北部最大の都市といってよいラインハンザを治める子爵の影響力は本来なら大きいのだ。それは宮廷での力関係に密接に関係するはずだが、ライカール特有の王都至上主義、そして息子である現王以外を目の敵にする皇太后のせいで特にソフィアは冷遇されていた。そして魔法王国の王族としては魔力が低い事と、俺と出会う前のソフィアは万事控えめな性格だった事も影響していた。
そのような訳で子爵も王宮に登ればよい扱いは受けないという。後ろ盾の影響力が本人の権勢に成り得る宮廷闘争では致命的だ。
俺個人としてはソフィアは俺の妹だからライカールには返さん、で済むが、ソフィアは自分の立場を忘れるような性分ではない。いずれ祖国に戻るだろうが、その時にソフィアにとって居心地の良い場所にしてやらなくてはならない。
「子爵が充分に努力されているのはこの都市を見ればわかります。ですが、結果として北部では王都には見向きもされない現実があるようです」
「ふむ、貴殿はその事について何か意見をお持ちのようだな」
下を向いていた子爵が俺の顔を見る。俺の言葉から自分を糾弾するためのものではないと理解したようだ。
「しかし子爵が殿下への影響力をより強めるにはやはりこのラインハンザの隆盛以外にはないと思います」
そして俺は随分前から考えていた計画を彼に告げるのだった。
「この規模でも王宮が無視をするなら、誰もが無視できなくなるような巨大都市にするほかありません。私は王宮の耄碌した連中の度肝を抜いてやりたいと考えています」
驚愕して言葉を失っている子爵に俺は続けた。誰もが認めるどでかい功績を作り上げて、子爵を、そしてソフィアを無視など出来なくしてやる。
「ラインハンザ大改造計画を提案します。目指すは大陸一の巨大貿易都市です。」
楽しんで頂ければ幸いです。
また遅れて申し訳ない。今回も何故か筆が乗らず時間ばかり過ぎました。
そしてこのライカール編、長くなる事が確定しました。最後の話は入れるかどうか悩んだのですが、話の流れ的に入っちゃいました。こいつを入れると他の話も膨らむのでちょっと長くなります。
やめようかどうしようか悩んだのですが、書いてる内にするっと入り込みました。不思議。
まあ、改造を進めるのは主人公ではないので、ここに居つくことはありませんが。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




