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魔法の園 6 閑話 二人の王女

お待たせしております。



 どうしてこうなってしまったのか。


 私はガタガタと激しく揺れる馬車の中で頭を抱えたくなった。


 なにもかも隣で心ここにあらずといった様相の一つ年下のルシアーナのせいなのだけれど、私自身の行動にも落ち度がなかったかと問われれば、不本意ながら頷かざるを得ない。


 

 全ては今日の実技の授業から始まった。ルシアーナは”最強の出来損ない”との不名誉な異名を持っているけれど、最強と言われるほど同年代では最高レベルの魔力量を誇っていた。兄様のご指導を受けた今では私のほうが圧倒的に上回っているけれど。

 しかしルシアーナはその強大な魔力を持て余し、簡単な魔法一つ発動させる事ができずに暴発させてしまうのだ。過去には近しい人物を傷つけてしまった事もあると噂に聞いている。


 だから今日も彼女は盛大に魔法を暴発させていた。魔法の暴発は命に関わる重大事故のはずなのだけれど、()()()()しているルシアーナ自身は怪我ひとつない。こっちの方がよほど才能があると思う。普通は腕が吹き飛んで欠損したり心に傷を負ったりして二度と魔法が使えなくなるというのに。


 その後で教官であるハイド師から珍しく直接指導を受けていたようなのだけれど……いつもは私にしつこく構って来るのに、今日はそれがなかった。

 珍しい事もあるものね、と意外に感じてルシアーナを気にかけていたのだ。


 そして私の嫌な予感は非常によく当たる。兄様からはイリシャのような未来を見るスキルは持っていないと聞いているのだが、当たるのだから仕方ない。


 大人しくなったルシアーナが廊下を外れふらふらと歩き出したのだ。すぐ側に居るメイドの声にも耳を貸さず、まるで夢遊病者のような足取りで中庭を進んでゆく。


「だめ。姫様には関係ない。エスパニアの問題はエスパニアが片付ける」


 側に居たサリナが当然の言葉を投げてくる。そうね、と頷いた私の視界に映るルシアーナの後姿が……かつての無力だった、否応なく国を()われた弱い自分と重なった。


 あれは私だ。暗殺者の刃にかかって人生を終えることを受け入れた、兄様と出会う前の自分だった。



 そう思えてしまったら勝手に体が動いていた。<隠密>でルシアーナの後を追った私が見たものは、フードを目深に被った怪しげな男たちと立派な馬車に連れ込まれる彼女、それを必死で止めようと抵抗して深手を負わされた血に染まったメイドがひとり。


「なんてことを!」


 傷付けられながらも抵抗するメイドに男たちは致命の一撃を放とうとしている。


「何をしているのですか!!」



 今にして思えばもっと賢い方法はいくらでもあった。自分が囚われの身となる事でメイドの命を救おうとするなんて、あまり意味のあることだとは思えない。ひたすらに叫んで助けを呼ぶだけでも、身につけた宝珠による攻撃魔法を放てば学院内で異変を感じで誰かが駆けつけてくれただろう。


 でもあの時はこうするほかないと思っていたので、仕方ない。自分の考えの狭量さに呆れ返ってしまうがやってしまった事はどうすることもできないのだ。




「ライカールの姫まで手に入るとはな。”偽物王女”とはいえ、血統は確かだ。生贄は多いほうがいい、教主様もさぞお喜びになるだろう」


 馬車に乗り込むとき、フードの男がそう言っていた。生贄なんて古臭い前時代的なことをいまだに平然とやってのける異常者なんて、まさか暗黒教団なの!? この国では公爵様が根絶やしにしたと仰っていたのに。


 ああ、でもわざわざランヌ王国で異国のルシアーナを狙って来たという事はエスパニアの支部の独断なのかしら。きっとそうね、兄様のご友人であるリットナー伯爵に連絡があれば兄様がご存知のはずだし。


 相手に何も答える必要を感じなかったので無言でいると、相手の男は不満だったらしい。


「せいぜい恐怖し、脅えて待つがいい。それが我が神への何よりの供物となる」


 そう言い捨てて馬車の扉は閉められ、動き出した。馬車に窓はなく、格子が上の方にあるだけで薄暗かった。造りは立派だが、中は殺風景でなにもなかった。


 隣には無表情で座るルシアーナ。誘拐され、目の前でメイドが殺されかかっていたのに取り乱す事も無かった。明らかに異常だったけれど何が原因かは私にはよく解らない。一番可能性がありそうなのは魔導具関連なのだけど、素人判断は危険だと兄様からよく言い含められていたので無理はしないことにする。



 しかし、脅えて恐怖しろですって? 冗談も此処に極まれリ、といった所かしら。


 何故私が脅えなくてはいけないのか。わたしの兄様を誰だと思っているのか。



 兄様にしてみれば私が誘拐されたと聞いても平然としていらっしゃるだろう。

 何故ならあの人にとっては変わらぬ日常に起こった珍しい出来事くらいの認識でしかないに違いない。

 

 そのことに関する恐怖や恐れなど抱くはずがないのだから。



 ほら、その最たる理由がやってきた。


「やっほー。ソフィアなんだか面倒な事になってる?」


 能天気な声でリリィが何もない空間に忽然と現われた。兄様の相棒にして私のお友達のリリィが助けに来てくれたのだ。


「リリィ、来てくれたのね」


「ソフィアが心配だったし、ユウも見てきてくれって頼まれたからさ。私が来たからにはもうこの事件は解決したも同然だよ! それに来たのは私だけじゃないみたいだし」


「わふ!」


 私の足元には白銀の毛並みをしたロキがいつの間にか現われていた。ロキは兄様の従僕で、様々な特殊能力を持っている狼だ。今は子犬よりも小さな手乗りサイズになっているが、ロキが本気を出せばこの馬車など一撃で跡形もなく吹き飛ばせる力を持っているのは知っている。


 私は兄様の手配を知って安堵するとともに、心の中から不安が巻き起こるのを感じた。


「ねえ、リリィ。兄様は怒っていらっしゃらなかったかしら?」


 勝手に体が動いてしまった事とはいえ、結果としてルシアーナとともに誘拐されてしまった。普段から兄様には様々な身の守りの魔導具をいただいているけれど、自分から捕まってしまったのでは意味がない。このことで兄様に失望されないか不安で仕方なかった。


「ん? 怒るというか困惑してるね。何でいきなり誘拐されてるのって感じ」


「どうしよう、きっと叱られてしまうわ」


「まあ、そこまで怒ってないから理由をちゃんと説明すれば平気じゃないの? で、何で誘拐されたの?」


 リリィの言葉に私は隣を見る。そこには変わらず虚ろな表情のルシアーナがいた。彼女の異変が全ての原因なのだが、リリィになんと説明したものか悩んでいると……


「あ、これじゃん原因。とりゃ!」


 と、軽い調子で叫ぶとルシアーナの指に嵌まっていた指輪が音を立てて崩れた。突然のことにリリィが何をしているのか解らなかったけれど、兄様がよく自分が出来る事はリリィも出来ると仰っていたのを思い出す。リリィは兄様の相棒なのだと強く思い知る出来事だった。


 後で聞けば適当に<解呪(ディスペル)>やってみたと事も無げに言っていたが、高レベルの<解呪(ディスペル)>は世界でも使える術者は100人といない稀少な魔法であるからだ。それの術者の力量で効果は様々で、死の呪いを受けていた友人である“緋色の風”の皆さんもオウカ帝国の僧正の解呪魔法では全く効果がなかったと聞いている。

 そんな彼女達の呪いを一瞬で解いたと聞いた私の兄様に対する誇らしい気持ちは募る一方だ。



 私はその光景に驚き、詳しい話をリリィに尋ねたかったのだけれど、やはり呪いのアイテムだった指輪から解放されたルシアーナは酷い有様だった。


「アオイ! アオイがあんなに血を流して! あれではアオイが死んでしまうわ! どうしよう、こんな私について来てくれたのに! ああ、誰かアオイを助けて!」


 どうやら自分の意思で体と口を動かす事は出来なかっただけで、それ以外は全て正常だったらしい。誘拐された己より自分のメイドを心配するさまに傍若無人で傲慢な姫という私の印象は崩れていった。

 兄様がこのルシアーナに結構好意的だったのが腹立たしかったが、やはりそれは彼女の性根を正しく見抜いていたようだった。


「落ち着きなさい。貴方がこうして泣き喚いていても事態は何も解決しないわ」


「だって! アオイは私が子供の頃から側に居てくれた家族なのよ! ああ、こんなことになるなら私が、魔法一つ満足に使えない出来損ないの私が身代わりになればよかった!」


 その言葉を耳にした瞬間、思わず手が出ていた。頬を張られたルシアーナは泣き叫ぶことさえ忘れて衝撃を受けている。


「あなたのその言葉はあのメイドの覚悟を踏みにじる行為よ。たとえ貴方が身代わりになったとして、本当にあの彼女が喜ぶのかしら。貴方が今すべき事は後悔して泣き喚く事ではなく、なんとしても生きて彼女の元に帰ることではないの?」


「そ、それは……だって私にはアオイが命をかけるほどの価値は……」


 すっかり弱気になって普段の勝気さが消えているルシアーナにリリィが教えてくれた情報を告げることにした。迷惑だけれど、辛気臭い顔をされるよりかは普段のうざったい絡み方をされる方がましだった。


「それと貴方のメイドは無事だそうよ。怪我ひとつなく学院であなたの帰りを待っているわ」


「嘘よ。教団の暗殺者の刃があんなに深く刺さっていたのよ。あれが簡単に治る傷ではないのは私だって解るわ」


「それは貴方の常識でしょう? 私の兄様を誰だと思っているの? 兄様が来られたなら瀕死の重傷も一瞬で癒しているわ」


「そんなことが……ちょっと待ちなさいよ。私と一緒に誘拐された貴方がどうしてそんなことまで知っているのよ?」


 少しは元気の出たらしいルシアーナが当然の疑問を投げかけてくる。私もリリィという超常の存在がなければこんな事は言わないが、彼女の存在を説明する気はない。彼女はリリィが見えない子だったし。


「私が何の考えもなく掴まったと思ったのかしら?」


 しかし色々含みのある言葉を告げるだけで精一杯だった。何故なら御者台側の小窓が開き、敵の一人がこちらを覗き込んでいるからだ。先ほどのルシアーナが泣き叫んだ声で異常に気付いたようだ。


「供物どもは大人しくしていろ。もう間もなくお前たちは至上の存在に近づく我が教主のお力になれるのだ。そのことを感謝しつつ残り少ない余生を楽しむがいい」


 捨て台詞を吐きつつも、小窓を閉める事はなく監視は続く。面倒な事になった。これまでどおりの会話を続ける事は難しい。

 私はそう歯噛みしたが、隣のルシアーナは気にしていないようだ。


「あなた達なんてランディが来れば一網打尽なんだから! その時まで震えて待っているといいわ」


 その言葉が精一杯の強がりである事はルシアーナ自身の手が震えていることから明らかだ。私は側にリリィとロキがいるし、守りの魔導具を二桁以上身につけているから恐れる必要はないが、それらを持たない彼女はどれだけの恐怖と戦っているのだろうか。


 少しだけ、ほんの少しだけこの王女を認めてあげる事にした。



「先ほどの言葉だけど、暫くは救助は望めないわよ」


「え、そんな。な、何でそんな事が解るのよ」


 私たちは小声で会話している。今も監視はついているが、馬車の振動と騒音がうるさいので隣にいて小声なら相手に聞かれずに話す事ができたのだ。


「考えてもみなさい。貴方、学院で誘拐されたのよ。これが広まればどんな噂になるかしら、特に貴方の祖国エスパニアで」


「あ、う、それは」


 ルシアーナも私も祖国における扱いは悲惨なものだから、これ以上の醜聞が続けばどうなるか解らない。脚色されて本国に伝われば強制帰国の上、一生尖塔に幽閉なんてことだって有り得るだろう。


 そのことを思い巡らせたのか、先ほどまで元気だったルシアーナはしおれてしまった。


「だから兄様とそちらの護衛隊長が手を打って回ってくださっているわ。そちらを終わらせてからこちらの救出に動くそうよ。それよりそろそろ事情を聞かせて欲しいのだけれど。もうこれ以上ないほど巻き込まれているし、私も教団に目をつけられたようだわ」


 私の視線に負けたルシアーナはぽつぽつと今回の事件を語り始めた。感想としては暗黒教団の考える事はいつも同じね、というだけで特に驚きはない。彼等か狂っているのは今に始まった話ではないから。


「私の知っている事は話したわよ。でもなんでソフィアはこんなに事情に詳しいの? 同じ時に囚われたのにいろいろ知りすぎているわよ」


 私の肩の上に居るリリィは兄様と繋がっているのでそこから常に最新の情報を得られるからなのだが、それを丁寧に説明する気はなかった。荒唐無稽な話だとしか受け取らないだろう。


「情報を仕入れる手段があるの。監視の目がなければ学院の皆と連絡を取る事も出来るのだけど、今は無理ね」


 感情の篭もらない目で監視を続ける教団の男が居なければ持っている通話石でジュリア姉様と会話が出来るのだけど、それは無いものねだりだろう。


「その手段もまたあの男の力というわけ? 貴方が気を許しているのは知っているけど一体何者なの? 私の国の調査でも全く素性が知れない男だったのに」


 その割にグランディンやウチの護衛たちからの評価は高いし、と不思議そうな顔をしているルシアーナだけれど、確かに兄様は他人からすれば不思議な存在だろう。


 私自身、縁もゆかりもない異国の王女を利益もないのにどうしてこんなに良くしてくれるのか不思議で仕方ない部分もある。王家に恩を売れば褒賞をもらえる計算があるのかもしれないと当初は思ったものだけれど、褒美より私や皆にかけている金額の方が遥かに上なのは間違いない。

 兄様から頂戴している魔導具の総額が金貨2000枚を超えていると知っているのは私だけだ。ジュリア姉様たちは自分が一体どれだけ貴重な守りの魔導具をつけているかよく理解していないに違いない。知っていれば受け取らないだろ、と兄様がそう仰るので伝えていないからだ。


 私たちでさえ図りかねている兄様なのだ、他人から見れば余計解らないだろう。


「別に何者でも構わないわ。貴方が本国からどのような“指示”を受けているか知らないけど、私にとっては世界で最も信頼できる方であるという事がわかっていれば十分だし」


「あなた、全幅の信頼を置く男のことを何も知らないのは怖くはないの? もし裏切られたら貴方は何もかも失う事になるのよ」


 兄様が私を裏切る? 馬鹿馬鹿しい、絶対に有り得ないことだ。


 最近ようやくわかってきたのだけれど、あの方は常に深い孤独の中に在る。しかしその孤独を寂しいと感じていないから表に出すことはない。しかし自分の孤独を埋めてくれた存在、自分の懐に入れた者は何があっても必ず護り通される方だ。

 だけど兄様自身は気付いておられないけどどこか脆いところがある。まるで壊れ物を扱うように自分達に触れる兄様の方が儚く思えてくるほどに。


 私や新しい妹のイリシャへの接し方を見るに自分達が居なくなったら兄様はどうなってしまうのだろうと不安になるくらいなのだ。

 自惚れではなく、あの方の人生に私は必要なのだ。今更切り捨てられないほど大事にされていると胸を張って言い切れる。

 問題は必要と思われる存在が私以外にも結構多く居る事なのだが。彼女達を超えて兄様の一番にならないと自分の居場所はないと考えている。


「貴方は兄様を知らないだけ。超然とされているけど結構可愛い所もある方なのよ」


「可愛い? ひどく似合わない言葉を聞いたわ」


 信じられない言葉を聞いたような顔をする彼女の顔が面白くてつい笑みがこぼれてしまった。


「な、なによ。変な事を言った訳ではないじゃない」


「別に、貴方とこんな会話をすることになるとは思わなかっただけよ」


「私はじめから貴方とこんな風に……ってなんでもないから」


 慌てて取り繕ったルシアーナの素直な様子はとても可愛らしくて、兄様が微笑ましいと表現した意味がようやく解ってきた。


「あ、学院の方は手を回したらしいよ。なんでもハイド? とかいう教師が悪者だったんだって。これから市内の拠点を潰しに行くからもうちょっと待ってくれだって」


 肩の上に座るリリィが私にだけ聞こえる声で状況を伝えてくれた。やはり教官がルシアーナに怪しげな魔導具を着けさせたようだ。何でも魔力の循環を高める効果があると言って言葉巧みに指輪を嵌めさせたらしい。


「学院の教官にまで教団の魔の手が伸びていたなんて……こんな私にどんな価値があるというの」


「貴方、魔力だけ見れば相当なものだもの。生贄には相応しいのではないの?」


「今は貴方の方が上じゃない。一体何があったのよ、普通魔力ってそこまで劇的に上昇しないんじゃなかったの?」


「それは我が国の秘密なの、誰にも教える事は出来ないわ」


「嘘よ、ライカールにそんな秘術があるのなら王位継承権3位のあなたに施されていないはずがないもの。つまりまたあのユウキという男なのね。やはり彼が全ての“鍵”なのかしら」


 皇太后によって多くの王族が消されていった結果として、私の継承順位は繰り上がっているが、まさかルシアーナがそこまで知っているとは意外だった。兄様の言うとおり、この子はもしかして本当に私と友達になりたいだけなのかしら。

 その前に聞き捨てならない言葉を口にした彼女に釘を差しておかないと。


「兄様の前でくれぐれもそのようなことを口にしないで。私は兄様がそのような方だと聞かされる前から妹なのだから、貴方達のように兄様の力に寄って来た不純な人と一緒にされたくないの」


 私がウィスカに戻った兄様と別れて過ごしていた頃、本国から秘密の手紙が届いた。なにやらランヌ王国に“約束の人”が現われたらしいのでその人物を見つけ出すように、との兄王から手の手紙だった。


 正直何のことだか解らなかったし、手紙にも詳細は一切書かれていなかった。王からの手紙を皆に見せて意見を聞く事もできず、王への返事は捜索中と返すしかなかったのだが、魔法学院に他国の王族が4人も留学すると聞いてあの荒唐無稽な話が一気に現実味を帯びた。


 そして4人、というかルシアーナ以外の3人の視線は常に兄様に注がれている。フィーリア殿下とエリザ殿下は兄様と同じ講義を受ける為にわざわざ他の授業を欠席するほどだ。今だって彼女達に何のかかわりもないのに兄様と同行しているとリリィが言っている。


 兄様が何か大きな定めを背負っていらっしゃる……とは思えない。わたしの兄様ならそんな面倒は即座に解決して自分にとって楽しいことをなさっているはずだ。これまでに遭遇した苦難も一蹴してきた兄様なら容易い事だろう。

 つまり何かあるとしても、それは兄様にとって与り知らぬ事。他国の皆様がどのような思惑を抱えているにしせよ、それは兄様のご迷惑になるようなことであってはならないはず。


「わ、解っているわよ。お父様からもあまり気負うなと出立前に言われていたし……」


 他国と比べてエスパニアはそこまで乗り気ではないようだ。逆にセインガルドのフィーリア殿下は事ある毎に兄様にくっつこうとしているから要注意人物だ。しかし彼女については雪音さんとの共同戦線を張っているし、何よりあの国の特殊性が原因と見ている。あの国に兄様ほどの強者が居ればどれほど心強いだろうか。兄様は私のものなので誰にもあげませんけど。



「ねー。ソフィア、お腹空かない? 誘拐されたのって昼休み前なんでしょ、なんか食べようよ」


 思案に耽っている私にリリィがそんな事を言ってきた。彼女の本心は自分がお腹空いたのだろう。普段は誰に断る事無く食べ始めるので、聞いてくれただけ気を遣ってくれていると思う。


「私もそうしたいのだけど、あの監視が居る以上、変な真似はできないわ」


 顔を上げるとかわらずの無表情な瞳が私達を見ている。その目は何の感情も映しておらず、かつて人形と評した兄様の言葉が正鵠を得ていると思わせた。

 いざとなれば私やリリィにロキまでいるのでこの馬車を制圧するのは簡単だろう。しかし今は教団の目論見を潰すのは当然として、この一件の情報が他者に漏れないように前始末から先に行っていると聞いている。私達が行動を起こして兄様たちの努力を水泡に帰すわけには行かなかった。


 そう思う私だけれど、流石に兄様の相棒はスケールが違った。


「なんだ、そんなことか。ちょっと待っててね」


 そう軽い調子で告げるとリリィはふわりと空中に浮いた。そして私達を監視する男に近づくとなにやら魔法をかけたのだ。


「これでおっけー。幻覚魔法を使ったからあと3刻(時間)は自分に都合のいい白昼夢を見てるよ。ささ、ご飯ご飯~。ソフィアは何がいい? 今日のおすすめは昨日玲二が仕込んでおいてくれたパストラミと生ハムのサンド! おいしーよ、そこの子にも教えてあげなよ」


 いそいそと自分の分の昼食を食べ始めるリリィに呆れるやら驚くやらで二の句が告げられなかった私だけど、確かに空腹を覚えていたし他に今出来る事はないので食事にしてしまおう。


「ルシアーナもお昼にしましょう? 今私達の仕事はここで待つことだけなのだし、焦っても仕方ないわ」


「えっ、お昼御飯? ええっ、ちょっと待って、今どこから取り出したの?」


 私はリリィの<アイテムボックス>から取り出された紙袋に入った昼食を手に取ったのだけど、傍から見れば虚空からいきなり袋が現われたようにしか見えない。驚くのも当たり前なのだ。


「秘密の方法。ほら、貴方の分もあるわよ」


 驚愕の表情を浮かべていたルシアーナだが、ふと何かを閃いたような顔になった。


「アイテムボックス! 貴方も能力持ちだったのね!」


「それは違うわ。もしそうならどれほど素晴らしい事かと思う事はあるけれど」


「そんな! じゃあ一体どこから。それ以前にあの見張りは何をして……えっと、なにかしたの?」


 よく見れば私たちを監視していた男は白目を向いている。非常に気味が悪い。


「さあ、悪い夢でも見てるんじゃないの? おっ、お次はサーモンとエビのサンドだぁ。魚貝攻めとは玲二解ってるねぇ」


 一つ目を平らげて二個目に挑んでいるリリィは全く気にしていない。どのみちこの男も兄様の怒りに触れているので今日で人生を終えるのだから、気にする必要はないのかもしれない。


「私が誘拐されても落ち着いていた理由の一つを教えてあげるわ。ここには二人の仲間が居るの、一人は兄様の相棒がいて、もう一人はここに」


「わふ」


 自分の制服の内側に潜んでいたロキが顔を出した。この眠そうな瞳といい、きっと今まで寝ていたわね。


「まあ、可愛い! この白銀の毛並み、貴方の屋敷に居る狼の子供なのね!」


「わふ」


 手乗りサイズのロキの出現にルシアーナはご機嫌だ。すでにイリシャの護衛をしている際のロキには何度も会っているので、その子供だと思っているらしい。いくらでも作れる分身体だと気付く方がおかしいので当然だと思うけれど。


「ロキは普通の狼じゃないから、護衛も出来るのよ。さ、納得したらお昼をいただきましょう。私だけ食べるのは気が引けるわ」


 これまで何度も玲二さんの食事を口にしているルシアーナはすぐに彼の作だと理解し、絶賛しつつ食べ始めた。特に肉にかかっているソースが素晴らしい。濃厚なのに後を引かない味で、2種類の食感の違う肉を見事に調和させている。


 私達が食事を始めたと知ったアンナたちがお茶を用意してくれたらしく、馬車の中でそれをいただいた。不安に押しつぶされそうだったルシアーナも美味しい食事に大分気力が戻ってきたようで、その顔にも笑顔が増えている。

 そして何より、これまでにないほど朗らかだった。いつもなら憎まれ口を叩くこの子が驚くほど素直になり、自分と普通に会話をしている。新鮮な驚きであり、やはりこの自然な笑顔が本来のルシアーナなのだろう。

 一体何故これまでは突っかかってきたのかと疑問に思うほどだ。


 それを口に出す前に制服の内側に潜ませてある通話石が呼んでいる。


 ついに恐れていたものが来てしまった。たぶんリリィが見張りに対処したと兄様がそれを知り、皆に伝えたのだ。これまで楽しい気分で会話していたが、通話石から伝わる怒気を感じ取ると一気に気分が重くなる。


「ソフィア? どうかしたの?」


 しかし出ないわけにはいかない。私はともかく、ルシアーナの声を聞きたいと思うエスパニアの人間は多いだろう。


「いえ、大丈夫よ。後回しにしていた来るべきものが来ただけだから。貴方の声を聞きたい人も多いでしょうから、後で替わるわね」


<ソフィア! 無事なのだな!?><姫様!><姫様ぁ!><ソフィア姫様!!>


「みんな本当に心配をかけました。私もルシアーナも無事ですよ。怪我ひとつありません」


 通話石の向こうから安堵の吐息が聞こえてくる。皆にしてみれば生きた心地がしなかったでしょう。ああ、私の我儘で本当に迷惑をかけてしまった。


「リリィよりそちらの状況は聞いています。私は後で皆に必死で謝るとして、とりあえずそこに居るエスパニアの方に替わってもらえますか?」


 きっと隣で私達の会話を聞いていたのだろう、こちらもルシアーナが身を乗り出すようにしている。

 すぐに別の声が通話石から響いてきた。


「姫様、ルシアーナ姫様はそこにおいでですか!?」


 縋りつくような声で必死に語りかけるその声にルシアーナが反応する。


「アオイ! その声はアオイなのね!? 怪我は!? 私貴方が死んでしまうのではないかと思って怖くて怖くて……」


 その後は声にならない嗚咽を漏らすこの子の肩を抱いてあげると、その泣き声は大きくなった。


「エリザヴェート殿下とユウキ様のハイポーションによってすでに快癒しております。私の力が及ばないばかりに姫様には怖い思いをさせてしまいました。全て私の力の無さが招いた事でございます。この罪は殿下が戻られたら如何様にもお受けいたします」


「いいの、アオイが無事ならもういいの。私、貴方がいないと何もできないの。お願い、一人にしないで」


 後で本人から聞いたのだけれど、ご母堂を早くに亡くされたこの子の母、そして姉代わりがあのアオイというメイドだったようだ。思い出してみるとこの子の行く所にはいつも彼女が居た気がする。


 その後は声にならない二人を横においてジュリア姉様と話をする。


「現在ユウキ様がこの街にある教団の拠点を潰しています。予定ではそのあとソフィアを迎えに行ける準備が整うはずだから、辛いだろうがもう少し待っていて欲しい」


「姉様、大丈夫ですよ。ここにはリリィもロキも居てくれるのですもの。兄様の隣の次に安全な場所です」


「まっかせなさーい」「わふ!」


「そうか、二人には特別な礼をしないといけないな。考えておこうか」


「あ、それならユウにアレ頼んでアレ! 私が言うと最近嫌がるんだよね」「わふわふ!!」


 俄然やる気をだした二人だけど、結局兄様の負担になっている気がするのは気のせいだろうか。


「あ、今、街の掃除が終わったって。今からこっちへ向かうってさ。皆も合流するかって聞いてるよ?」


「本当か? ならばすぐに向かう。ソフィアの救出時に護衛の私が学院に居るなど恥以外の何物でもないからな」


 ジュリア姉様の後ろから“姫様覚悟しておくように”と双子から呪いの言葉が聞こえてた気がする。


 兄様、どうかこの愚かな妹をたすけて。




 食事を終えたルシアーナはアオイの無事を確認した安堵によって気が抜けてしまったらしく、満腹も手伝って睡魔に屈服してしまった。巨大化したロキが寝床の代わりになっているのだが、ふかふかで暖かそうでその誘惑に負けそうになる自分がいる。

 いけない、これだけ迷惑をかけたのに私も寝るとか絶対にありえない。

 

 ああロキやめて、そのふさふさの尻尾で私をくるまないで。ああ、なんてふわふわなの。イリシャが時折ロキを枕に寝ているけど、これは確かにすご……




「姫様!? ご無事ですか!」


 馬車の扉が蹴破られる破壊音とともに、剣を手にした一人の騎士が乗り込んできた。彼の声を耳にしたルシアーナは即座に覚醒すると、ロキのベッドから身を起こした。


「ランディ! 絶対たすけに来てくれると信じてたんだから!」


「姫様、救出が遅れまして本当に申し訳ございません! この責は後で如何様にも。しかし今は御身を害そうとした痴れ者どもの誅滅が完了するまで裁きはどうかお待ちいただきたく存じます!」


「ランディは何も悪くないじゃない! うかつだった私が全部悪いのに」


「お叱りは後で。今は皆がお帰りをお待ちです、ソフィア殿下もどうぞこちらに」


 ルシアーナの騎士が私に手を差し伸べてくるが、それを受け取る事は出来ない。

 何故なら私がこの世界で最も信頼する彼がすぐ近くに来ているからだ。


「ランディは自分の姫様を守れよ。ソフィアは俺がやるから」


 その声に頷いた彼女の騎士はルシアーナを連れて馬車から出た。すぐに歓声が聞こえてきたので感動の再会が行われているのだろう。


 私は裁きを待つ罪人の気分だったけど。


「さて、俺の姫君、ご機嫌如何かな?」


 半日ぶりに顔を見る兄様はこの事態をどこか面白がっているような顔をしている。


「あの、兄様、怒っていらっしゃらないのですか?」


 私の問いかけに兄様は訝しげな顔をした。


「殺されかけていたメイドを救うべく単身誘拐犯に囚われたんだろ。兄貴としてはよくやったと言って褒めてやるべきだろ。双子メイドたちはまた別の意見がありそうだが」


 やはり壮絶に怒っているようだ。兄様が小声で多少は庇ってやると伝えてくれた。是非とも多少ではなく全力で庇ってほしいです。


 肩を落とした私を抱き上げた兄様はなんてことはない、と続けた。


「我儘放題の妹に振り回されて、文句を言いつつなんとかするのが兄貴の役目だろ。これくらいやってやるさ」


 それに俺の妹を誘拐した連中に落とし前はつけさせるしな、と彼に抱きついている私でさえ空恐ろしくなるような声音で兄様は告げた。


 怒っている、これは相当激怒している。妹としてはここまで怒ってくれることに言い知れぬ優越感を抱く一方、教団の狂信者達の安らかな眠りを祈らずにはいられない。


 ここまで怒り狂った兄様がこれからどんな暴虐を働くのか、想像を働かせなくても予想はつくというものだから。




楽しんで頂ければ幸いです。


前話を読んで頂けた方はお解りのとおり、閑話はもう一つあります。

これが姫たちの話で、もう一つが地下遺跡へ殴りこむ話です。


書くべき話が多かったこちらと違い、あっちは後始末なのでさっくり終わる予定フラグ

これから書くのですが、たぶん水曜以前にあがるはず。たぶん短いし(フラグその2)。


ライカール編がまだ本筋に入っていないのにもう6話目とか。我ながら配分がおかしいです。どうかご容赦を。


それでは次回の閑話二本目でお会いしたいと思います。


 もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!



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