魔法の園 5
お待たせしております。
「ここが、君が言う場所なのかい?」
フィーリアの言葉に頷いた俺はアルザスのとある場所に来ていた。
敵の詳しい情報を得る為に学院を後にしたのだが、その際雪音には妹の様子を見ておいて欲しいとお願いしている。妹は如月と共に居るが、今もしょげていると<念話>があったからだ。気にしなくて良いと言い続けてはいるのだが、イリシャは最近あの力を使いこなす事が自分の生きる道! みたいに気負っているのだ。
祖母であるアイラさんとの出会いが、自分の生き方をより強固に決めさせてしまったようで、兄貴としては少し早まったかなと思わなくもない。もう一人の妹であるソフィアのように、逃れられない定めの元に生まれた訳ではないのだから、もっと人生を楽しませてやらんといかんな。
「ああ、ここだ。今は営業時間外だから閑散としているが、夜になるとちょっとしたもんなんだぜ」
その場所は立地としては中の上あたり、周囲に住む者達も身なりのよい者が多い住宅街だ。
この辺りではそこそこ大きい邸宅の前に俺は居るのだが……。
「しかし君たちまで付いてくる必要はなかったんだが。ここから先は君たちが決して見る必要のない世界だ。危険な目に遭うかもしれないぜ?」
「ウチの国の剣呑さを知らないのかい? レイルガルドじゃ日陰は魔窟だよ。そんな国で育ったんだ、自分の身は自分で守れないと生き残れないよ。それに僕の護衛のフィラの実力は君だって太鼓判を押したと聞いているよ」
もちろんエリザのシータもね、とフィーリアがそれぞれの護衛に視線を向けると護衛たちは黙って目礼を返した。
確かにこの二人の筆頭護衛である彼女達の実力は高い。剣の腕はもちろん、護衛に必要な状況判断力も申し分なく、さすが異国に赴く王女につけられる護衛だなと感心したほどだ。エスパニアはランディがその地位にあるので今も必死に姫様を探しているのだが、彼の場合は実力より姫のお気に入りという側面が強いとランディ本人が言っていた。だからこそ彼は本当の強さを求めて常に鍛錬を欠かさない。
この二人も任務外では結構表情豊かな女性達なんだが今は警護対象の側とあって一切油断をしていない。だが俺は二人の内心がよく解る。護衛としては対象に危ない事は謹んで欲しいと思っているはずだ。少なくとも興味本位で首を突っ込まないで欲しいと願っているに違いない。
同情の視線を送ったが、二人とも視線だけで気にするなと返してきた。
結局マスフェルトも付いて来ており、一行は変わらず9人だ。
<玲二、何もないと思うが、一応二人を見てやってくれ。俺も気をつけはするが>
マスフェルトは除外だ。男は自分で身を守れ。あいつも男に守ってもらうのは嫌だろう。
<りょーかい。でもさ、さっき俺が言ったとおりだろ? 明らかにユウキに関心があるぜこの二人>
俺は内心で溜息をついた。俺なんかより女生徒に騒がれまくっている玲二に気を取られていれば良いのに、一体何を企んでいるのやら。
人気のない邸宅の玄関に向かって進むと、どこからともなく男達が現われた。その風体は堅気とはかけ離れており、護衛たちは緊張を高めた。
「グレンが居るのは解っている。奴に用がある、入るぞ」
「待て。ボスに何の用だ」
目付きの鋭い男が立ち塞がるが、俺と目が会うと露骨に顔を背けた。過去に俺に受けた痛みの記憶が蘇ったのかもしれない。
「三下に話すわけねぇだろ。さっさとどけ、また潰されたいのか。ああ?」
俺が軽く凄んで見せるとそれまで戦意を剥き出しにしていた周囲の男たちも途端に借りてきた猫のように大人しくなった。扉には鍵がかかっていたが<鍵開け>で開錠して中に入る。
「へえ、ここが玲二の言っていたカジノかぁ。この規模にしては中々ちゃんとしているじゃないか」
「まあ、ここがユウキさんが作られたという」
「作ったのは俺じゃない。ここの地回りの人間と縁が出来てな。このアルザスは国中から学院関係で金持ちが集まる割にはその層向けの遊び場がないから作ってみろと提案したんだ。まあ金は全部俺が出してるけどな」
やはり金持ちが集う秘密の賭場は需要があったようで、まだ開始して20日も経っていないのに俺の元には一日金貨数枚(完全な不労所得なのでこれは凄いことだ。だが俺の今の収入を気にしてはいけない)が転がり込んでいる。
「へえ、じゃあ僕たちもいずれ遊びに来て良いかな」
目を輝かせるフィーリアを見て、こいつはド嵌りしそうな上客の気配を感じさせた。
「本物の王侯貴族なら貴族街に今作っている新館のほうが良いな。如月が本気出しているから物凄いのが出来上がっている。あと数日したら開店だから知らせるよ」
「ああ、あっちは確かに超凝ってて凄かった。レッドカーペット敷いてバカラの大テーブルに各種スロットまで揃ってたし、従業員の教育も超厳しくてわざわざ最高級ホテルから人員を引っ張ってきたってエドガーさんが言ってたぞ」
「ほう、それは楽しみだ。もちろん酒や料理も拘っているのだろうね」
「ウチでやった夜会を覚えているだろ? それを全部仕切ったのが如月さんだよ、彼の手腕はもう解ってるよな?」
「おお。あの日の出来事は夢のようであった。これは期待が持てるというものだな!」
状況を忘れて盛り上がる玲二とマスフェルトに冷ややかな視線が注がれるが、二人は気付いていない。今更だがこうしてみると、悪名高きグラの王子とは思えんな。
「皆様、今が非常時であることをお忘れなく。我が姫はいまだ囚われの身であるのですからな!」
俺達が呑気にカジノの話で盛り上がっていたのでグランディンの雷が落ちた。いやすまん、彼は詳しい事は知りえないから仕方ないんだが、もう二人の安全は確保しているのでどうしても楽観的な気分は抜けないのだ。そもそも相棒かロキがいれば不埒者を今すぐ全滅できるのだ。今のこの作業も誰一人逃がさない後始末を確実に行うためのものであるし。
俺達と行動中の彼には悪いが、すでに馬車の見張りは相棒が対処したので既に学院に居る皆と通話石で連絡が取れて一安心したあとなのが伝えられずに申し訳ないことをしている。
今の時間は開店前なので、人気のない店内を進み、従業員達が作業する区画に入る。俺の姿を認めた男の一人が俺のほうへ近づいてくる。
「これは金主(俺が金を出しているからこう呼ばれる)様。ボスは今非常に大事な来客を迎えておりまして……」
「こっちは急ぎの話だ、先客の方を待たせておけ」
相手も文句は言わないはずなのでそう高圧的に告げたが、相手の男は顔色を変えた。
「そうはいきません。いくら金主様といえども彼等に逆らっちゃ明日の朝日は拝めませんぜ。あんたに何かあるとこっちの予定が狂うんだ、ここは大人しくしておいてくれ」
最後は懇願のような恫喝のような態度だったが、もちろん俺がそんなことを聞き入れるはずもない。
皆には途中で待っていてもらい、次々と立ち塞がる男達を張り倒してこの集団のボスであるグレンがいる応接間の扉を開けた。
「おい! 今は大事な来客中だと何度も言って……なんだよあんたか、今は勘弁してくれ。今は一世一代の大勝負なんだ」
「こっちが先だ。つい最近流れてきた連中が住み着いている場所の情報を寄越せ。それくらいは管理出来ているんだろうな?」
「とことん人の話を聞かない男だな! 後にしろって。こっちは今“クロガネ”に加入できるかどうかの瀬戸際なんだ。あんただって俺がこれにどれだけ賭けてるか知ってるだろうが!」
グレンの向かいに座る若い男に向けて奴は大変失礼しましたと何度も頭を下げている。だが俺が退く気がないのを見て取ると近くの部下を呼んだ。この小男が街の情報を集約しているらしい。
「あまりウチのボスの顔を潰してくれるなよ。あれでもこの街の最大の顔役になったんだ。こんな真似を続けられると周囲から安く見られちまう」
「元々上げ底で水増ししてる評価だろうが。ボロが出て評判が落ちる前に身の丈に合わせとくんだな」
かなり年嵩の小男はグレンと長いらしく、俺の身も蓋もない台詞に大きな溜息をついた。
「半分はあんたのせいだぞ。あんたが持ってきた話を受けたらウチはここまでデカくなっちまったんだ。身の丈なんてまるで合ってねぇよ。俺はまだ“クロガネ”入りは時期尚早だと反対だったんだ」
何故誰しもあの組織に入りたがるのか不思議でしょうがない。俺ならクロガネなんぞではなくシロマサの親分さんの実の子分にしてもらいたいが。
その思いが俺の顔に出ていたらしい。ボウトと名乗った小男は物を知らぬ小僧に教えるような口調で話し始めた。
「あのな、“クロガネ”といえば今じゃ近隣諸国にまで名が売れまくっているこの国最大の金看板だぞ。お前だってこっち側なんだから知ってるだろうが、あのウロボロスとウカノカを一夜にして叩き潰した男たちが、生ける伝説のシロマサの大親分を担いで作り上げた組織だ。今じゃ構成員は3000を越える一大組織だってのに、新規加入は至難の業だって話だ。今の俺達じゃどんだけ金を積んだって貫目が足りねぇよ」
「そもそも金を積んで何とかなる話なのか? そういや上納金があるとか言ってたな。まあいいや、そんなことより俺の要件を済ませたい。ここ数日で見知らぬ怪しい連中がうろついているって情報はないか?」
「そんなこと……だと。おい、口を慎めよ、あちらに控えている皆さんに聞かれたら血を見るぞ。まったく、流れ者の情報だな」
人探しはスカウトギルドと並んで地元の地回りが一番詳しいのが通り相場だ。警邏が一切役に立たないのでこういった無頼の輩が街の治安を裏側から守っているからだ。こいつ等も初めて会った時は金に汚い金貸しだったが、何度かこの街で遭遇している内にちゃんと街の顔役もやっているのがわかった。
こういった連中がちゃんと機能していると、街の衆が彼等に情報を持ってくる。
誰と誰が喧嘩しただの、見知らぬ流れ者がいつの間にか空き家に住み着いているだの、一人ひとりが情報提供者となって共同体を形作ってゆくからだ。そして街の衆から自分達が頼りにされているのが解ると無頼たちの行動も変わってくる。それまで日陰を歩く街の鼻つまみ者だった奴等が自信のある顔つきで道の真ん中を練り歩くようになり、それをまた街の衆が声をかけるという好循環が生まれるのだ。
実際にクロガネはそれをやって王都で成功したのだが、軌道に乗せるまでは結構苦労したと聞いている。
逆にこれが出来ない組織はどれほど名声を得ていようが俺は絶対に認めない。ただの暴れたいだけの救い様のない餓鬼か、裏道を歩きながらも真っ当な意識を持つ大人かの解り易い分水嶺だと思うからだ。
そしてこいつ等も意外と街をちゃんと掌握しており、最近夜になると気味の悪い連中が出入りしているという店を教えてくれた。初対面が俺の世界で一番嫌いな借金取りだったから対応が厳しくなったが、それは先の話に出た上納金集めでグレンが躍起になっていたからだ。
そしてこうやって情報を得ると<マップ>が勝手に更新され、店の中に居る人を現す点が生まれる。夜営業の店だというが、営業前なのに今は20人近くの人間がいる。
怪しいな、こいつで決まりか?
「そうだ、あと20人ばかり人員を貸してくれ。今話しに出た連中を潰しに行くんだが、お前らがやったこにしろ。そのほうが都合がいいからな」
「は? いきなり何を無茶を言いやがる。突然そんなことを言われても対応出来るわけ……」
「ならば私どもがお手伝いします。頭、こちら丁度今の手勢がそれくらいですので、すぐにご用意できます」
「ゼ、ゼギアス殿! うちのボスとのお話はもうよろしいので?」
「頭の話が先だとご本人が仰っていただろうが。お前たちの耳は腐っているのか?」
「頭? ……頭ですと……!?」
ボウトが何か記憶に引っかかったような顔をしているが、おい、俺の話を進めろよ。こっちは急いでいるんだ。
そう思ったのだが、応接室から出てきたグレンが俺とゼギアスの間に立つと何を思ったのか必死で弁解を始めた。
「ゼギアス殿、申し訳ない。この男は腕は立つんだがちょいと世間を知らないもので。おい、こちらの方は“クロガネ”の序列6位であらせられる“右腕”のゼギアス殿だぞ! あのシロマサの親分さんの腹心中の腹心で俺等なんかとは生きてる世界が違うんだ」
「それくらい知ってるぞ」
「それが知らねえってんだよ! 解ってんのか? この方は“クロガネ”の大幹部だぞ!? それも結成当時からの生え抜きの、あの二大組織を一夜にして叩き潰した“大掃除”の参加者様だ。頭が高けぇのが解んねぇのか、この馬鹿野郎! スミマセン、こいつの不手際は俺が代わって……」
グレンはその言葉を最後まで続けることができなかった。ゼギアスの拳が炸裂していたからである。こいつ、例の5傑何とかには入っていなかったものの、細身の体からは想像もできないような強烈な一撃を放つ強者である。俺の見立てでは若手最強の呼び声高いザインにも決して引けを取らない強さだと見ている。
「黙って聞いてりゃふざけたことばかり言いやがって! 頭が高いだと? 一体誰に向かって口をきいてやがる! 今すぐこの場の全員皆殺しにしてやろうか!?」
「は? え? な、なんで……」
何故か激怒しているゼギアスに状況が読み込めていないグレンは目を白黒させている。
どうでも良いが、俺の話が一切進んでいないな。これでも時間に余裕がある訳でもないんだが。
「よく覚えとけこの薄ら馬鹿野郎! 俺もザインもジークもゾンダの親爺も全てこの御方に救われた。ウロボロスとウカノカを潰したのも俺達じゃねえ、こちらにおられるユウキの頭が全てなさったことだ! 俺達は頭ただ一人に絶対の忠誠を誓っている。シロマサの親分に二心があるわけじゃねえが、それも頭が親分の下に付けとご命令されたからだ!」
「ユウキの頭……って事は、まさかこいつ、いやこの方が幻の相談役……」
「その曇った目を見開いてよく見とけ! こちらにおわすのが“クロガネ”の設立者にして序列1位の“漢侠”ユウキの頭だ。そんな事も知らずよくぞまあ俺達の前で舐めたことを吠えたもんだな、百篇くらい死んでみるか、ああ?」
ゼギアスの怒声を受けて奥の部屋から見知った顔の奴等が現われて、向こうも俺を見て驚いている。ゼギアスはこのアルザスに子飼いの奴等、ウカノカ時代から奴に従っていた古参連中を連れて来たようだ。
彼等とゼギアスが揃って俺に頭を下げてくる。それは言葉以上に俺の立場を現していると言えた。
今そういうのは本当に要らねえんだが、暇じゃねえんだって。
「嘘……だろ……じゃあ俺は相談役に、“クロガネ”のあのB・Bに楯突いちまったってのか?」
放心状態のグレンは、俺を見るなり即座に跪き、周囲のグレンの部下もそれに倣った。
「し、知らぬこととはいえ、大変なご無礼を仕りましたぁー!」
「いや、いいから。こっちの話をさせろって言ってるだろうが。ゼギアス、あいつら貸してくれ。荒事はしなくていいから、そこらへんたむろしているだけで構わない」
「頭のご命令なら従いますが、何か俺達って頭の下で暴れられない星の巡りなんですかね」
そういえば大掃除の時もアードラーさん達と出会った違法奴隷摘発の時も事情が邪魔をして彼等に頼んだにも関わらずあまり派手な活躍はなかったな。今回も主役は姫君誘拐されて怒り狂っているイスパニアの護衛達だし、彼等が活躍しちゃむしろまずいことになる。
「わかったわかった。じきに場を用意してやるから、今は時間が惜しい。急ぐぞ」
「待ってください! 是非俺達にも手伝わせて下さい! 今すぐ手勢を集めますから、夜までにはなんとか……」
夜まで待てとか眠たい事を言っているグレンを俺は無視して皆の元へ戻る俺に、お優しいゼギアスが解説をくれてやっていた。
「お前は頭を知らない。あの方はいざ動くとなったら即断即決だ。のろくさしてたら何もかも終わってるぞ。この場合、やれといわれたら今すぐ行動に移るんだよ。だからあれほどまでに強いのさ」
ゼギアスの言葉通り、彼の手勢を借りた俺達は今すぐアルザスの街にある暗黒教団の拠点へと殴り込みをかけるのだった。
夕暮れに染まる町並みの中、エスパニア護衛騎士の一団がとある中型店舗に突入した。事前に周囲には<消音>を、突入する騎士たちには護りの魔法をかけているので不安などない。
男の絶叫や物が壊れる派手な音がここまで響いているが、<消音>の効果範囲の外に出れば何も聞こえなくなるだろう。戦力比は3倍以上向こうの方が多いが、奇襲した完全武装かつ守護魔法付きで、戦意旺盛の護衛騎士たちが負けるはずがない。
俺も参加したかったのだが、今回は我等のみでやらせてくれとグランディンが切望してきたのでこの場は任せている。しかし<マップ>を見るとこの店舗には裏口がいくつかあるので、抜け出した奴が俺の獲物ということでいいか。どうせ本拠は別にあるんだし、俺の腹の底に横たわるドス黒い何かを解放するのは後にしよう。
「そういえば、“漢峡”ってなんのことだ?」
俺はとなりで騎士たちの制圧を見ているゼギアスに尋ねたが、問われた本人はなんと答えたらよいか苦慮している。
「その、すみません。頭がそういった異名を好まれないとは知っているのですが、我々にあって頭にないと言うのはなんとも外聞が悪く、シロマサの親分さんにご相談して、決めさせていただきました」
頭の生き様を親分さんがそう表して下さいましたと興奮気味のゼギアスだが、呼び名なんざ別になんだって構わない。だが、シロマサの親分さんがわざわざ付けて下さったのなら、有難く頂戴しようじゃないか。
「それと俺の序列は2位だったはずだ。1位は親分さんだろ?」
「それなのですが、最近シロマサの親分が自分は裏方に徹するから、と頭を最上位に上げるようにとの御達しがありました。もちろん頭のご意向は理解しておりますので、親分さんには相応の地位について頂く予定となっています」
無理して上げる必要が何処にあるのかとも思うが、これによって誰もが一つ序列をあげたので評判はいいそうだ。ならば俺が口を出す話ではないか。
「しかし何があったのですか? 頭がこのように動かれるとは珍しいですね」
「俺の妹が誘拐されてな。事件そのものはもう大丈夫なんだが、これはその前始末って奴だな」
俺の呑気な言葉にゼギアスは驚いている。
「妹さんが誘拐ですって!? それは前に一度お目にかかったあの可憐な?」
「いや、もう一人のほうだ」
イリシャの事を指しているゼギアスの誤解を解くが、逆に彼の顔色は悪くなっていた。
「もう一人って、そっちの方がまずくないですか……ああ、だからこうやって前始末をきちんと行っているのですね」
俺の家族構成を知っている彼は誰が誘拐されたのか理解しているが、だからこそ俺が何をしているのかちゃんと解っていた。
「まあな、それよりそっちは何でまたアルザスに? そんな話は聞いていなかったから居た時は驚いたぞ」
「随分前からあの組織が我々に加入したいと申し出てきていまして、何を聞いたか大量の上納金を納めてきたんです。俺達にそんな物は不要だと返しに来たついでに、頭にご挨拶しようと思いまして」
相当の倍率を突破してその任務を手にしたと自慢げなゼギアスだが、週に一度はシロマサの親分の屋敷に手土産持って顔を出しているのでそこまで珍しいとは思わないが。
「それだけでお前が顔を出すほどのことなのか? そこまで暇じゃないだろう」
俺の何気ない問いに、ゼギアスが溜息をついた。やはりなにかあるんだろうな。
「頭には何も隠せませんね。実はあの連中を組織に入れてやると仲介にたった野郎がいるんですが、そいつ上納金と称して法外な金を要求したのです。俺達の看板で舐めた真似をした屑は既に潰しましたが、そいつが……」
「どっかの末端だったと」
「親分さんと頭の威光でふざけた真似を許しました、この責は如何様にもお受けいたします」
そう深く頭を下げるゼギアスに俺は溜息をついた。”クロガネ”の名声が金になるとみた内部の馬鹿が地方相手に金儲けを企んだということか。これだから組織をデカくするのは嫌なんだ。巨大化するにしたがってその純度が下がっていくからな。だが例のウロボロスたちの例を見るまでもなく小さいままでは余所者が入り込んできた時に取れる対応策が少ないとあっては拡大路線を取らざるを得ない。
その分新規加入は猛烈に高い壁を設けているが、それ故に内部の馬鹿が抜け道を金で用意するという悪循環になっている。
今はまだ自浄作用が利いているが、いずれ手を入れないといけないな。
余談であるが、その二つの組織を送り込んだグラ王国の王子であるマスフェルトは他人事のような顔をしている。本人としては国の恥さらしだとそのような方法を嫌っているのは知っているし、彼にそれを止める権力がないのも解っているので何かを言う必要はない。
「あなたがランヌ王国の誇る”クロガネ”の大幹部かぁ。僕はフィーリア、よろしくね」
そして彼が時折視線をやっているのが、俺の連れである各国の王族達である。顔と名前は一致しているのか、これ以上踏み込んだ話はしなかったし、向こうもこちらに向けてこれまでは話しかけては来なかった。
しかしフィーリアとしては急成長するこの組織の幹部との接触という好機を逃すつもりはなかったようだ。
相手の身分に気付き、即座に膝を付こうとしたゼギアスを手で抑えたフィーリアは彼と近しい会話をすることを望んだ。ゼギアスは困惑してこちらを見るが、俺が頷いてやると彼もそういうものかと納得したようだ。
「私はシロマサの親分の元で末席に加えさせて頂いているゼギアスという小者でございます。殿下におかれましてはご機嫌麗しく……」
「そういうのは不要ですよ。それに小者などとんでもない、貴方が”クロガネ”の創設に関わった5人の最古参メンバーにして大侠客シロマサの信頼厚い最側近である事は知っています。それに、ねえ?」
その言葉とともに俺を見てくるフィーリアだが、俺の視線は店の裏口から出てくる二人の男に向いていた。
「こっちに来たか。運の無い奴等だな」
俺は掌に隠し持っていた鉛球を手首の動きだけで投擲し、見た目以上に重いその一撃を腰に受けた男は呆気無く崩れ落ちた。いや、腰の骨が砕けたんだから走れなくても仕方ないのだが。
「あっ、逃げられる!」
仲間の一人が脱落したのに気にする素振りもなく逃走しようとする奴にフィーリアが声を上げるが、俺がそれを許すはずがない。何よりあいつの末路は俺より悲惨だ。
そいつは悲鳴さえ上げる事なく真横に吹き飛び、壁に叩きつけられた。あの勢いからして体中の骨が砕けているだろうな。
「僕の分を残しておいてくれて有難う。今回は少しばかり腹に据えかねたからね」
「貴方は、リットナー伯爵様! こちらにいらしていたんですね!」
王国の祭祀を司る役職のバーニィの実家は神殿関係が収入源の一つである”クロガネ”(実際はシロマサの親分さんがいるシュウカだが)との付き合いも深いので既に俺が仲介して知り合いであるゼギアスが声を上げた。
「リットナー伯爵!? ということは、彼が当代最高の(暗黒)騎士であるバーナード卿か。今日は重要人物とよく会えるなあ。君が起こす揉め事に首を突っ込んで良かった、凄くツイてるよ」
まるで俺が原因のように言いやがる彼女を軽く睨みつけるが、”風見鶏王女”はどこ吹く風だ。ゼギアスやバーニィに積極的に話しかけている。
「フィーリアのバイタイリティは大したもんだな。こんな時だってのに」
玲二が感心したような呆れたような声で呟くが、弱小国はあらゆる機会を逃さず積極的に仕掛けていかないと生き残れないとかつて零していたのを聞いている身としては寸評は控えよう。彼女には彼女の事情がある。
俺はとりあえず這いずって逃げようとしている教団の男の足を骨を踏み潰して砕く。野太い絶叫が響くが、俺の怒りは少しも晴れない。ソフィアが誘拐されたのはルシアーナのオマケのようなもんだが、イリシャを泣かせた貴様等には一人残らず地獄を見てもらう。
だがとりあえず両足の骨を砕く程度で今は勘弁してやる。突入した騎士たちには情報が欲しいから一人は生け捕れと話しているが、姫君誘拐されて自分達の身や騎士としての将来も危うい彼らは怒り狂っているから力が入り過ぎないか心配だ。
俺がこうやって一人確保しておくことには意味がある。
補足だが、先ほどバーニィが倒した奴は即死している。何故なら彼も珍しい事に騎士達に劣らず激怒しているからだ。
普通、他国の教団の人間が入り込むときはその国の奴に一言断るのが最低限の礼儀だ。グレンデルでさえリットナー伯爵家に挨拶に出向き、そこで運悪くシルヴィアと鉢合わせしたのが全ての発端だが、奴とて仁義は弁えていた。
しかしこいつ等はそれを破った。それが意味する事は明らかだ。
バーニィが完全に舐められている。約束事を破っても大したことにはならないと侮っているのだ。
この世の中、舐められたらお終いである。それは冒険者だろうが貴族だろうが無頼の輩だろうが皆同じ、世界の不文律である。
そして舐められたバーニィが取るべき手段も一つしかない。
敵を皆殺しにしてバーニィを、ランヌ王国を舐めたらどうなるかを満天下に示すのだ。
普段は気弱げな印象を持たれがちなバーニィだが、いざ剣を持ては冷酷さをも併せ持つ最高の剣士に早変わりである。俺が友人と認めるに足る男なのだから当然と言えば当然なのだが。
そうこうしているうちに拠点の制圧は終わった。完全武装の騎士たち相手に敵う相手などいないから、あっと言う間に終了し俺達も拠点内部に足を踏み入れた。
そしてやはり俺の想像通り彼らはやりすぎていた。怒りに任せて動く者は皆殺しにしてしまっていたのだ。
自然と情報源は俺が生け捕った奴だけとなってしまったので、俺はグランディンに文句をつけた。
「やりすぎるなと言ったよな。こいつ等から情報を取らないといけないと解っていたはずだが?」
彼が真っ先に突入し、愚かにも立ち向かう敵という敵を切りまくっていたからだ。
「すまぬ、先ほどまでは生きていた奴がいたのだが。きっとお前が生け捕りにしていると信じているぞ」
完全に俺をあてにした発言に溜息しか出ない。これは一つ貸しにしておこう。
そして俺達はその教団の下っ端を“紳士的”に“尋問”し、儀式が行われる場所の情報を得ることに成功する。
しかしその情報は違う意味で俺達に衝撃をもたらした。
「儀式の場所はアルザス郊外の森の地下遺跡だと!? そんな場所があるなんて今まで聞いたこともないんだが……」
「教団だけが把握していて、こちらの知らない遺跡や拠点が結構ありそうだね」
バーニィが深刻な顔で告げる。この国を管轄する彼さえ知らない教団の拠点の存在に彼も険しい顔だ。彼が今は教団本部で枢機卿の地位にある兄のフェンデルさんから聞いたところによるとイスパニアの支部長はグレンデルとも近かったという。かつて玲二達が召喚されたあの廃城もこちらは察知していなかった事といい、未知の拠点を奴からの情報として得ていても不思議ではない。
「まあそこらへんは公爵たちが考えることだ。俺達はそこにいる全員を殲滅するだけでいいだろう。敵の最後の拠点も判明したことだし、そろそろ二人を助けに行くとするか」
「御二人の居場所はわかっているのかい?」
「わかってなきゃここまで平然としてないっての。街外れにある西側の馬車止め場だよ。なんであそこから動いていないのか不思議だったが納得だ。向かう先が森の奥なら馬車じゃ無理だしな」
俺達が全く知らない森の奥の遺跡なんざ、ここ百年は誰も通ってない未踏の地だろう。
そんな所まで馬車で行けるはずが無い。連中はどうするつもりだったのだろう?
なんだか勢いに任せて適当に計画を立てたような印象を受けるな。その旨をバーニィに告げると、彼はあり得るねと頷いた。
「兄からの情報だとエスパニアの支部がこの国に入ったのは5日前らしいから、周到な計画を練ったとは思えないね。それと支部の総数は58人で、この国には53人が入国してるよ」
「そして今23人を始末した。この地で協力者が数人居たとしてあと30人以上は残ってるな」
馬車の周囲にも二人を監視する為に敵が数人散っているし、今更新された<マップ>では森の地下遺跡に人間が30人以上居る。大体数はあっているかな? 一人も逃がさず殲滅するには一つ一つの手順をきちんとこなす必要がある。
横着すると綻びが出るからここはちゃんとやっていこう。
俺はグランディンを呼び、これからの予定を話す。姫の救出には彼も大賛成だった。
「とりあえず今も見当違いな場所を探しているランディと合流して二人を迎えに行こう」
さて、大詰めとなってきた。待ちくたびれている相棒とソフィアの顔を見に行くとしよう。
そしてここまで状況が見えてくれば後は特筆すべき事はない。巨大化したロキの中でくるまって寝ていた姫二人を助け出し、その後で森の地下遺跡に向かいゴミどもを掃除して話は終了だ。
むしろ本気で怒っているメイド3人を宥める方がよほど苦労したほどだ。助け出した後のソフィアになんでこんなことをしたんだと聞いてみてもその場では要領を得ない答えを返すばかりで話が進まない。
結局ソフィアの本心を聞けたのは翌日の夜、二人きりで茶を飲んでいるときだった。
「あの子を見ていると昔の自分を見ているようで……自分の殻に閉じこもって周りも自分も傷つけてばかり。兄様に出会えなかった私があの子だと思ったら放っておけなくて」
「馬車に囚われている間、随分と仲良くなったようだな」
最後に別れるときには泣きながらソフィアに謝っていたから、かなり素直になっていた。それも泣きながら笑っていた。
「色々と話しましたから。やっぱりあの子は兄様がいない世界の私でした。魔法も禄に使えない王族の面汚しと陰で嗤われ、逃げるように国を追われたところも、誰より寂しがりな癖に強がりだけは一人前な所が本当にそっくりです」
そう言って俺の方に頭を乗せるソフィアは、どこか楽しそうだ。
「ねえ、兄様。あの子が魔法を上手く使えない理由は前に仰っていた事が原因なのでしたか?」
「ん、ああ。あの子は持って生まれた魔力が多すぎる割に制御が下手だから暴発する。だが彼女のせいというよりあれは教師が悪いな。どうせきちんとした制御法を伝えずに魔法の詠唱だけ教えたんだろう。どこの学院もそうとしか教えないから仕方のない面もあるのだが」
学院は平均的な技量を持つ魔法使いを毎年一定数量産することに意味がある。あの子の様な特殊な学生を矯正する授業は行わないし、それ以前にあの程度の低い教師連中じゃ原因を特定出来ているかも怪しい。
「何か方法はないのでしょうか?」
やはり昨日で相当親密になったようだ。これまでの関係ならこんな言葉はでなかっただろう。王女という特別な地位にある者にとって何でも言いたいことを言い合える対等の友人は貴重だ。
「魔法学概論の講義に連れて来るといい。自分がどうやって魔法を使っているのか理解すれば原因が掴めるだろうさ。何故必修じゃないからと言って誰も来ないのが疑問だが、あの講義は魔法を修める者にとって基本にして最も大事な部分を教えてくれるぞ」
自分で口にしながらも理解はしている。学院は国の財産である魔法使いを毎年生み出す為の国の機関であって、魔法を研究する場所ではない。魔法の深淵を覗くのは研究所の役割であり、戦争や国の事業に役立つ手段としての魔法を習得する場所なので実技が優先されるのは仕方のないことだ。
「はい、アーナを誘ってみます」
愛称で呼ぶほどに仲を深めた妹を見て、多くの友人が居るこの学院に来てよかったなと、頬を緩める俺であった。
「それはそれとして、反省しているのか? 妹が危険なことをすれば俺だって心配するんだぞ?」
「心配してくださったのですか!?」
顔を輝かせて喜ぶソフィアを見て俺は地味に傷ついたぞ。よし、この件はしばらく許さんことにしよう。
「当たり前だろ、俺をなんだと思ってるんだ」
「だって、私の事で兄様が心配して下さるなんて想像もしていなかったです。きっと軽蔑されてしまうかとそればかり考えて……」
「よし、お仕置きをしよう」
ソフィアを膝に乗せた俺は彼女の頭を拳で軽くぐりぐりした。通称梅干攻撃である。
「あ、痛いです、兄様いたい!」
「反省しなさい。兄は怒っているのだ」
「反省しました! しましたから許してください」
ちょっと涙目になったソフィアを解放してやると、彼女は恨めしげな目でこちらを見てくる。俺が始めて見る表情だが、心臓が鼓動を鳴らすほど魅力的だった。新発見だ、俺の妹は困った顔が最高に可愛い。
思わず動きを止めてしまった俺をどう思ったのか、ソフィアは改めて周囲に俺達しかいないことを確かめた後で、意を決して訊ねてきた。
「兄様、ずっとお伺いしたかったことがあります。何故私のような国を追われた者にそこまでしてくださるのです? 今の私では兄様に何もお返しすることができませんのに」
「何故って……そりゃ兄貴が妹を助けるのは当然だろうに」
「もう、それは答えになっていません!」
俺のはぐらかした答えが気に入らなかったのか、妹は口を尖らせた。
「理由なんか必要ないだろ、そんなの当たり前すぎて気にした事もない」
俺は膝の上に座るソフィアの頭を優しく撫でた。最初の内は騙されませんよ、と強気だった妹も途中からふにゃふにゃになって寝てしまった。
健やかな寝息を立てるソフィアをアンナが迎えに来るまではもう少し時間がある。それまでは俺だけがこの幸せそうな寝顔を独占できるのだ。
俺は先ほどの妹の問いに伝えていない事がある。
故郷から出てライルの体を使う俺は、何者でもない。
記憶さえ失った俺はただ生きているだけの空っぽの存在だ。リリィだけが俺をこの世界につなぎとめるただ一つの楔だった。
ただの幽霊が宿主の体を勝手に使っているだけ、俺の世界はリリィだけで完結していた。
それでいいと思っていた。これ以上何を求める必要があると強がっていた。
だが世界の不条理で泣いているソフィアを助けたとき、彼女は俺を兄と呼んでくれた。ソフィアにしてみれば歳の離れた現王である兄よりも兄らしいことをした、という認識だったのかもしれない。
だが、彼女は俺を兄と呼んでくれた。独りだった俺に家族をくれたのだ。
俺とリリィしか存在しない閉じた世界を広げてくれる大きな切っ掛けをくれたのだ。ならば、俺がソフィアにできる事は一つだけだ。
今俺は多くの仲間や家族に囲まれているが、それは全てソフィアの一言が切っ掛けなのだ。ソフィアが広げてくれた世界に多くの友が、仲間が、家族がいる。
だから俺はソフィアに深く深く感謝している。彼女の望みなら何でも叶えてやりたいと思うほどに。
だが、それを口にすることはないだろう。俺はソフィアの兄であり、彼女を悲しませる全てのものを打ち砕く剣であればそれでいいからだ。
「兄さま……」
あどけなく眠るソフィアの頬を撫でながら、俺は彼女の進む道を照らす光になるのだ、と強く心に刻むのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
本当は昨日上げるつもりで書いていたら異常に長くなった件。
主人公は最後の始末に特に何もなかったといっていますが、それは主人公視点での話であり、実際はいろいろありました。
それを次回は閑話でお伝えできればと思います。
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