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海原の中で 2

お待たせしております。



 帆船は当然ながら風がなければ動けない。櫂で漕ぐのはやろうと思えば不可能ではないにせよ喫水が高すぎてまず無理だろう。甲板の上から8メトル以上の長い櫂を持って大人数でえんやこらと漕ぐことになる。

 このサンデリア号は3つの特等室、5つの二等客室を持つ豪華客船だけあって中々の巨船であり、数人の漕ぎ手で動くようなチャチな船体ではない。

 凪いだ当初は旅を急ぐ乗客から不満も出たと聞いているが、少なくとも船旅に慣れた者からすればこの程度の足止めは運が悪かったと思うほかないと諦め顔である。凪いでしまうと動力を持たない帆船はもうどうしようもないからな。




 俺はさして急ぐ旅でもないからと早々に諦め、休日を満喫するつもりだった。レン国からの帰還以後、遅れを取り戻すかのように色々と動いていたから、丁度いい骨休めと思うことにした。

 レン国での冒険が俺の中で休暇扱いだったのだが、更に休みが増えてしまった事になる。


 しかし毎日の収入が格段に増えたのでそこまで焦る必要も感じない。30層でのクロが召喚する15体のモンスターや31層に出現するレッドオーガからの収入は日課をこなすだけで金貨2000枚を優に超えるのだ。今日なんか運よく2700枚以上も稼げており、銃を得た俺は敵を倒すだけなら全く問題なくなっている。


 先ほど言い忘れていたが、スキル封印攻撃に関しても進展があった。

 進展というか、元凶が判明したのだ。



 考えてみれば元々ダンジョンの各層には大体2種類の敵が現われるのが通例だった。こいつらが一々互いの長所を生かすような能力を持っていて実に厄介だったのだが、31層ではオーガしか出ないものとすっかり思い込んでいた。


 だがこの層にはもう一種の隠れた敵が存在し、そいつがスキル封印攻撃を仕掛けてくるのだ。それはシャドウストーカーと呼ばれる俺の膝ほどの背丈を持つ灰色のフードを目深に被った小人のモンスターだった。


 こいつがいかなる手段を用いてか俺にスキル封印攻撃を仕掛けてくるのだが……この小人、<隠密>持ちかつ透明化の能力も持っている上、レッドオーガが至近距離に接近するまで俺の前に姿を現さないという徹底ぶりだった。スキル封印攻撃が敵と戦い始める瞬間に食らうのはそういう理由だったのだ。


 こいつを自分が先に見つけ出して真っ先に倒すのは今現在では至難の業だ。なにせ<隠密>で気配を消して更に透明化までしてくるし、こいつが姿を見せるのはレッドオーガと戦い始める瞬間なのだ。封印前なら魔法で瞬殺できるとはいえ、その頃は決して姿を見せないし、攻略時は走って移動しているのでこちらから距離を詰めている。自然とオーガとは接近戦になり、その一瞬の隙を突かれて不可視かつ衝撃さえ来ないスキル封印攻撃を食らっているという寸法だ。


 何しろこいつの存在を見つけ出したのも俺ではない。バーニィがふと気になった事があると言い出して録画していた映像を確認している最中に、透明化していたシャドウストーカーを見つけ出したのだ。それも小さな違和感から敵の残滓を感じ取るという超能力じみた第六感を発揮したのだ。

 俺達だって映像を見て、もしかしてこいつか? という程度の納得でしかなかったが、手掛かりが得られただけでも大きな進歩だ。

 それから3日かけてシャドウストーカの存在を確信し、敵がどのような時に封印攻撃をしてくるのかの理屈を暴き出したが、現状の打破までにはいたっていない。

 結局のところ、俺はこの層を攻略する為に前進しなくてはならず、それは結果的に敵との距離を詰める事になる。そうなれば必然的に超広範囲攻撃であるスキル封印を受けるのは避けられないのだ。


 これまでの流れだと先の層を進み、多くの宝箱を開けていけばその中にお助けアイテムが入っている事が多いのでそれに賭けるほかない。そして攻略の為には封印を受けた状態でも敵を余裕で倒せる方法、つまり俺にとっては銃が必要という事だ。


 だがそれはあくまで”攻略”に限った話である。稼ぐだけなら階段や転移門のある位置でひたすら狩り続ければそれだけで事足りる。むしろスキル封印されるとアイテムドロップ率まで通常に戻ってしまうので、こちらから動かずに敵を呼んだ方が圧倒的に儲かるのだ。確実に複数個落とす魔石のほかにドロップアイテムも見込めるからな。

 最初の敵に遭遇するまでは多少時間がかかるが、一度でも戦えばあのオーガどもは盛大に戦いの咆哮(ウォークライ)をおっぱじめるのでその叫び声に釣られて敵は延々とやってくる。距離を充分に保って出現したそばから敵を潰してゆけばシャドウストーカーも封印攻撃はしてこないようなので、ひたすら魔法で倒していけば魔石や他のアイテムもザクザク溜まってゆくのだ。

 今日のように一刻(時間)で金貨2500枚以上だって不可能ではない。




「っと、時間だ。悪いな、ちょっとラウンジまで行ってくる」


 謎の俺分(?)を補充した妹とエレーナを転移環で帰した俺はこの部屋の階下にある大きなラウンジに向かう。

 これはどう言い表したものか難しいが……今の俺には必要な行動なのだ。


 通常、船旅とは長いものだ。この航海も8日間の予定(もう延長するのは確定だが)で始めから組まれていたし、その間は誰もがずっと船室と食堂を行き帰りする時間を過ごすことになる。


 そんなのは暇すぎる、と誰もが思い、ラウンジが作られるのも自然な流れだ。むしろこういった豪華客船くらいになるとそう言った貴族や特権階級の社交の場としての価値のほうが高いという。


 つまりどういうことかと言うと、顔を出さないと逆に怪しまれるのだ。ただでさえ特等室に泊まっている金持ちそうにも見えないいたって普通の男である俺は結構注目されていた。これで一日中顔も出さずに引きこもっているとなれば最悪船員が様子を見に入ってきかねない。

 船というのは船長を頂点とした一つの世界であり、特等室に宿泊している俺も”喋る豪華な荷物”以上の存在ではない。いまだ長距離航海が安全とはいえないこの世界では最高権力者の船長が部屋の様子を確認させろと言って来れば断れない権力を持っているし、乗船する際にそれらの約束をさせられている。


 

 船の2階の前半分を占めるだけあってこの上級ラウンジはかなりの広さだ。2等室の乗客は入室拒否というまさに限られたものだけが入れるこの部屋には先客が3人いた。

 男二人に女一人だが、より正確には50代の商人と俺より少し若いくらいの貴公子、そしてその姉だ。


「あら、ユウキさん、お待ちしておりました」


 俺と同じくらいの齢に見える女性、レンスター子爵家の長女であるミネアお嬢様が俺を見つけてこちらに近寄ってきた。本来はおっとりした性格の女性なんだが、今は俺を取って食わんばかりの勢いである。


「姉上、落ち着いてください。歴史ある我が家に相応しい行動を頼みます」


「もう、リアム君ったら、このところそんなお小言ばかり。普段は姉上姉上って構いに来る甘えんぼさんなのに」


「あ、姉上。皆様がいる場所でなんてことを!」


 顔を真っ赤にしたリアムが、そんなことはありません、と必死に弁解しているのが微笑ましい。仲の良い姉弟なのはこれまでの付き合いで理解している。


「ははは、レンスター子爵家を背負って立つ継嗣も姉君には形無しですな」


「ルーカス殿!」


 リアムが噛み付いた恰幅の良い50がらみの男はライカール最大の商会を経営する大商人だ。商人然とした人の良さそうな顔つきだが、相当の修羅場を潜ってきた凄みも混在させている興味深い御仁だ。


「こんにちは、お嬢様、まあお座りください。この船の中では自分はどこにも行きませんし、貴方のお目当ての品も逃げはしませんよ」


「あ、あら、私とした事がなんとはしたない……」


 ようやく俺の腕をつかんでいた事を理解したお嬢様が自分の行動に恥じ入っているが、それを見ないふりをした俺は彼女がこれまで座っていた席に誘った。


 俺もラウンジに常駐している給仕の船員に椅子を引いてもらいながら彼等が座る卓につく。


 毎日大体決まった時間に俺達4人は集まる事が自然となっていた。特等とはいえここにいる者達にすれば船室は息が詰まるほど狭いし、この娯楽の少ない世界では何もすることがない。ならばどこか人が集まる場所にいたほうがなんぼかマシということで俺も含めてこの4人がラウンジで出会ったのだ。


 ここに来れるのは特等室に滞在できるものだけ(船員用以外の入口が特等室のある区画しかなく、物理的に入れない徹底ぶりだ)なので、互いが隣人である事は理解できた。誰とも話をせず、無視をくれる気がなければ自己紹介や挨拶をするのは当然の流れであった。

 もちろん俺の自己紹介が一番苦労した。ライカールの古い子爵家の姉弟や大商人に比べ、俺が自分を語る術の少なさといったらない。そこそこ成功した冒険者と、なんとか嘘をつかずに場を流すよう努力したが、ルーカスさんがその商人としての力を発揮して俺の事情を知っていた。

 もちろん俺がウィスカのダンジョンを攻略している、という話ではなくこの乗船券を手に入れた経緯の事だ。やはりセレナさんたちは結構無理をしてこの切符を手に入れたらしく、方々に掛け合ってくれたみたいだ。3枚しかない特等の乗船券のそれぞれの持ち主にも譲ってくれないかとの話がいったらしい。


 セレナさんもなかなか無茶を、と思いかけたが、考えてみれば彼女もあの気丈な姿といい、大貴族のアードラーさんの奥方をやっているだけあってその素性も只者であるはずがない。

 彼女も獣王国の大貴族の姫君であり、アードラーさんとは古くからの知り合いだそうだ。その実家の方からルーカスさんやリアムの方にも連絡があったようだ。


 その心遣いに頭が下がるが、後ろ指さされる事をした訳ではないので必要以上に卑屈になる事もない。

 ただ彼等にしてみればどんな奴が乗ってくるのだろうという興味があったようだ。


「アルヴァレス家(アードラーさん達の氏族名)の皆様には過分な返礼を頂戴しました。畏れ多いと一度はお断りしたのですが、受け取ってもらわなくては無駄になるからこちらが困ると言われてしまうと有難く受け取る他なく……」


 その時の俺はそのように答えたのだが、ルーカスさんの返答は色々事情通である事を理解させるものだった。


「いやなに、あれだけの戦果を上げられればあの武勲輝くアルヴァレス家から御礼を受けるもの当然かと。あの家は仇は倍返し、恩は百倍返しでこれまでやって来た名家ですからな。ですが、貴方のやられたことを考えればこれでも少ない方でしょう」


 確かにセレナさんはこれでも全く足りないと何度も言っていた。確かに一家全員の命と未来を救った事になるが、感謝されたかった訳ではないし、何より俺が女子供を標的に策謀を進めるやつに心底頭に来ていた。私怨に近かったので気にしなくても良かったんだが、向こうはそうも行かないか。


「どのようなことがあったのです?」


 興味津々で訊ねてくるリアムと隣で微笑んでいるミネアお嬢様に俺とルーカスさんが中心になっていろいろ話をしてこの場を盛り上げるのが通例とある時まではなっていた。



「おや、その本は……」


 4日ほど前だったか、ラウンジに向かった俺は先客だったミネアお嬢様が本を読んでいる光景を目撃した。気になったのはその本だ。


「あ、これですか? 最近そちらのお国のランヌで大流行している創作物語ですの。ご存知か解りませんが、今あの国では様々な流行の発信源となっていまして……」


 ミネア嬢が読んでいたのは恋物語だ。別に人前で読んでも構いはしないと思うのだがどうしてかそれを恥じたように感じているらしい彼女は早口で弁解のような事を続けた。


「ええ、非常に流行っているのは知っています。私も読んではいないが、似たような本は幾つも持っています。興味がお有りならばお貸ししますが?」


「え? あ、ありがとうございます。でも殿方がお読みになるような……こ、これはアンジェリーナ先生の作品? でもこんなの見た事ないわ……そ、その中身を見ても?」


 マジックバッグから取り出した本を見たミネア嬢の表情が真剣なものになる。もちろんどうぞと頷いた俺から神速で本を奪い取った彼女は鬼気迫る気迫で文字を追い始めた。


「この言い回し、言葉の使い方。間違いなくアンジェリーナ先生だわ。でも何故? 私だって新作が出る情報を得れば逃さず確認しているのに……はっ」


 何かを思いついた顔のミネア嬢の前に他の本を無造作に置いてゆく。本の題名を一目見た彼女は美人がしてはいけない顔を一瞬した後、意を決して言葉を発した。


「ユウキさん、一つお訪ねしますが、ランヌ王国の王都リーヴにある”美の館”と呼ばれる場所について何かご存知ありませんか?」


 必死ささえ感じるミネア嬢の言葉に俺は頷いた。


「知り合いに伝手がありまして。私の様ながさつな冒険者には縁のない場所ではありますが、幸いこのバッグがありますので荷運びなどで手伝いをすることもあります。船旅は退屈との戦いでもあります。これがお嬢様の一時の供になれば幸いです」


 突然立ち上がったミネア嬢はそのままこちらに駆け寄ってくると俺の両手を取った。その瞳は興奮で潤んでいる。


「ユウキさん。ありがとうございます! この悪役令嬢シリーズは一度でもいいから読んでみたかった名作中の名作! 私の友人達も揃って何度お願いしてみても貸し出し中、返却時期は未定と返ってくるだけで、いつか巡り合う日を夢見ていました。それに没落系や落第系まで揃っているなんて! それにあの本、私がまだ読んだ事のないものです。ああ、夢なら醒めないで」


 感極まって涙まで浮かべているミネア嬢を何とか宥めつつ、噂以上の人気ぶりに正直こっちが驚いた。



 これはセリカが始めた創作事業だ。大本は雪音の能力で作り出した漫画雑誌だったらしいが、それを読んでこちらでも似た商売を始めようと目論み、既に学院で似たような事をしていた雪音の友人や知り合いなど芽吹き始めていた作家の卵達を勧誘し、最初は小規模で貸本のように始めたのだが、一瞬で火がついた。その規模は魔法学院を一夜で飛び越し、10日後には”美の館”で宣伝が行われるまでになる。それは慢性的に暇を抱えている読者の獲得、更には新たな作家の登場という好循環を生み出したのだが、ある限界点を迎えた。


 本の制作速度の限界である。この世界の本は全部手作りの写本で作られているから一気に増刷とはいかないのだ。ここは異世界の印刷技術を取り入れようと玲二が言い出したのだが、じゃあ後よろしくね、と皆が言うと大人しくロキの権能である分身の写本作業に戻った。

 オウカ帝国にも印刷技術がそこまで発達していない。こちらの言語の文字数の多さ、そしてなにより教会権力の妨害で広まらなかったとかなんとか。如月が言っていたが聖書の印刷は功罪両方を生み出したらしいから、考え方が保守的になっても不思議はない。


 それに俺が持つ<速写>スキルを仲間達と用いると一冊が四半刻(15分)で出来上がるのだ。これを分身体で行うと出来上がる本の量が単純に倍になるから、仲間たちももうそれで良いか、と納得してしまった。印刷技術は誰か他の偉いやつが思いつくだろう。

 それに安価で大量生産するのではなく、限られた貴族の子女(そもそも識字率が一桁台だ)が楽しむ品なので品薄で飢餓感を煽る方が儲かるというセリカの冷徹な商売人目線もある。


 そして俺が大量の本を持っていたのはその写本作業をしていたからである。いつもは雪音や如月がやってくれている事が多いが、折角時間が出来たしたまには俺も手伝うかということでせっせと写本作業をしていたのだ。ポーション作成時も思ったが、俺はこういう地味な作業も結構苦ではないらしく中々楽しくやれていた。なかなかできない休日を満喫したといえるだろう。


 ちなみにアンジェリーナ先生とは本名であり、ウォーレン公爵家でシルヴィアお嬢様の御付メイドにしてバーニィが惚れている彼女である。セリカが感想を求めに貸し出したら創作意欲が湧いたらしい。そんな感じで次々と作家が生まれているとか。

 

 そうして熱心な読者もこのように沢山生まれている。



「ああ、そうだ。聞いた話なのですが、読書にはこれが最高の供らしいですよ」


 熱心に読みふける彼女に俺がさりげなく取り出した茶菓子を見たミネア嬢は笑み崩れ、これ以降ラウンジに向かうと本の続きと菓子を強請る貴族のお嬢様と出会うことになる。




「まったく、姉上の趣味にも困ったものです。人並みに楽しむだけならわたしも煩く言いませんが、寝食を忘れてのめりこむなど……」


 無言の抗議の視線が俺に向かうが、これをこっちに言われてもな。それに既に対策はリアムがしている。俺は全ての本を貸したのだが、本当に寝る間を惜しんで読むので大好きな姉の変貌に怒った弟君が本を全て返却してきた。そして一日一冊だけという規則を設けたのだ。


「もー。リアム君のケチ。あの本は学校の皆も大人気なんだからね。この事を同じ大ファンのマーニャちゃんが知ったらどう思うかな?」


「なっ、なんで! マーニャ様に何の関係があると言うのですか?」


 またも顔を赤くするリアム君。これはその女の子に惚れているのか?


「赤くなっちゃって。やっぱりリアム君、可愛い。マーニャちゃんも放っておかないよね」


「あ、あれはあの方が向こうから来るんです。僕は何も……」


 仲睦まじい姉弟の会話を楽しんでもいいが、俺としてはリアムに助け舟を出してやる。取り出された本を見たミネアはそれまでの会話などどこへやら、すぐ本に齧りついた。




「しかし、こうまで風が吹かないと困ってしまいますな」


 話を変えるきっかけを掴んだルーカスさんが口を開いた。これ幸いとリアムも続く。


「そうですね。僕たちは急ぐ旅ではないので、そこまで慌ててはいませんが、お忙しいルーカス殿はご予定もあるでしょうし」


「わたしも火急の用件はないのですが、2等船室にいた同業者はかなり焦っていましたな。今日も船員に詰寄っているのを見ました」


 自然のやる事に文句をつけても始まらないというのに、と告げる彼からはまさに大商人の風格が見て取れた。

 そもそも論として玲二たちが新大陸にやって来たときのように風魔法をマストに当てればいい話であるのだが、何故俺がそこまでしてやる義理があるのかと思うので手を出すつもりはない。この凪がもう数日続けば船長に申し出る事も考えるが。


「2等級といえばユウキさん。例のアーヴィング男爵家の件なのですが、その後何かご迷惑などはありませんでしたか? 同じライカールの貴族としてお恥ずかしい限りです。祖国に戻れば必ず父から男爵家には厳重に抗議しますので……」


 リアムが申し訳なさそうに言い出したのは、平民の俺が特等室に居る事が気に食わないライカールの男爵家の男だった。平民風情が、とか自分こそが相応しいとか飽きもせず寝言を吐き続けていた。

 いつまでも寝言ばかり抜かすのでもしかして起きてないのかと思い、素っ首掴んで人気のない場所にまで連れ込み、いい加減起きるように()()()やる事にしたのだ。

 

 俺を誰だと思っているとか、俺がその気になればお前などいつでもとか本当に何時までも夢の世界に居たようなので髪を掴んで鼻を砕いてやるとすぐに眼が醒めたようで、泣きながら命乞いをしてきた。


 既に終わった話なのだが、その男は随分と大声で騒いでいたので結構な衆目を集めていたので気にしてくれたようだ。


「ああ、ご心配をお掛けしたようですね。彼とは一度じっくり話し合いをしまして、その後で納得してもらいました。もう何も起こりませんから大丈夫です」


「ですが、アーヴィング家の素行の悪さは評判なのです。容易く諦めるような一族ではありません、今からでも船長に掛け合ってもらったほうが」


 たしかに諦めの悪い男だった。共に乗船していた手の者6人で深夜に俺目掛けて襲撃をかけようとしていたのだ。

 もちろん泣きながならもこいつの心が折れていなかった事を理解していた俺はこの襲撃を予想しており、<結界>と<消音>で待ち構え、全員生まれてきた事を後悔してもらった。いや逆か、今この瞬間も生きている事を寝台で天井の染みを数えながら泣いて感謝しているに違いない。


 もう二度と普通の生活は出来ないだろうが、五体満足だし特に何処かが欠損している訳でもないから問題なし!


「”神に愛された男”の手を煩わせるほどのものではありませんよ。しかし、お気遣いいただき感謝します。ですが私も冒険者の端くれとして荒事に出会う事も多いのです。この程度の火の粉は独力で払えないなら自分もそれまでの男という事ですよ」


 俺は安心するように言うが、まだ心配そうなリアムはまだ年若いながらも実に立派な性根の持ち主だ。この貴族家も将来有望な跡継ぎが居て安心している事だろう。


 そして神に愛された男とはこの船の船長だが、彼はまさにその称号が相応しい。それを証明する出来事がこれから今日も起きるはずなのだが、彼はまだここに現れていない。


 自分が空気を換えてしまった事に気付いたリアムは不穏な話題を変えるべく、努めて明るい口調で切り出した。


「しかしこの海域で完全に凪ぐと言うのは本当に珍しいそうですね。僕も船員の方から聞いたのですが、経験豊かなその人も初めてという事でした」


「確かにそうですな。私も商談でこの航路を幾度も往復していますが、この海域でこのような事は初めてです。ですが何時までも凪ぐという事もないでしょう。私はもうしばらくの辛抱と思っていますよ」


 たしかに俺が聞いた話もこの海域というかこの海は常に新大陸側から旧大陸へ強い風が吹いているというものだ。頻繁に凪ぐようならそもそもそんな場所を航路に選ばないだろうしな。

 凪ぐには幾つかの自然条件が重なった結果という事だが、何日も全く無風と言うのはどうにも腑に落ちないが、その事は誰も気にしていないようだ。確かに大自然のやる事に人間が文句をつけても始まらないのは確かだ。


「それにしてもこの船の魔物避けは大したものですね。先ほども大型の魔物がこの船を周遊していましたが、結局何もする事無く去っていきましたし」


「ははは、大型船の造船は今ではランヌ王国の方に自慢できる数少ない点になりつつありますからな。竜骨に仕込む魔物避けの魔法陣は我がライカールが未だに一日の長がありますゆえ」


「貴国が新大陸への通商に大きな貢献を為した事は聞いていましたが、確かにあのような大型の魔物が我が物顔で闊歩するこの海を人間が安全に渡ろうと言うのは魔物避け無しでは不可能でしょうね」


 予想外の事態でここに立ち往生しているこの2日というもの、幾度もの大型の魔獣の接近があった。俺が日課で外している時にシャオたちが見たという要塞(フォートレス)や先ほど俺が危険を感じて処理した奴など、乗客はこの船が安全だと解っているので落ち着いている者ばかりだが、船の経験が少ないものなどは他愛ないほどに取り乱していた。

 つくづく海が人間の世界ではないという証明だが、不遜な人類は海の脅威を僅かではあるが除く技術を開発した。それが魔法陣による魔物避けである。


 各国に似たような技術はあるが、一番優れているといわれているのが魔法王国の異名を持つライカールであり、造船技術の高さと相まってこのような大型豪華客船はほぼライカールでしか作れないと言っていい。補足だが、その造船業で栄えているのがライカールの北にある商都ラインハンザであり、その都を治めているのがペンドライト子爵家、ソフィアの護衛兼従姉妹であるジュリアの実家である。

 俺としてはそのラインハンザにも足を伸ばしたかったが、この船の目的地であるクレソンとは北と南で正反対だ。ちょっと無理かなと思っている。



「今のお話ですが、やはり最近のランヌ王国の勢いはそんなに凄まじいのですか?」


 どこか心配そうな顔でリアムがルーカスに訪ねている。俺もちらほらとランヌ王国が最近景気良いという話は聞いているが、実際の所はどうなんだろう。


「凄まじい、という言葉で形容できるのかどうか怪しいくらいでしてな。間違いなく今の経済の中心地はランヌ王国です。これまでは獣王国のラーテルといわれていましたが、早晩世界が嫌でもランヌ王国の力を理解するでしょう」


「そ、そこまでのことになっているのですか!?」


 驚くリアムに本に夢中のミネア。そして茶を一口飲んで喉を湿らせたルーカスは続けた。


「彼の国は今、北方からエルダードワーフを大量に招聘しているのをご存知ですか?」


「エルダードワーフを!? そんな馬鹿な!? 彼らは貴重な鉱石が出る北方から嫌でも動かないと聞いていましたが」


「ランヌ王国はその彼等を満足させる品を用意しています。なんとあのアダマンタイトをいくらでも好きに弄らせてやるとの条件を出したそうです。それを聞いてマスタークラスのドワーフが我先にと移動を開始したそうです」


 へー。大量のアダマンタイトですか、どこかで聞いた話ですね。


「マスタークラスといえばあらゆる金属を精錬できるという最上級の鍛冶ですよね? 国の宝ではないですか、そんなことを国が認める筈がないでしょう」


「彼らは元々国に帰属している訳でもないですからな。あくまで良い鉱石が出るところに居るだけというスタンスです。より良い条件があればすぐにでも移動してしまいます。腕さえあればどこでも食っていける人種の強みですな。それになによりランヌ王国は今、ドワーフたちの間で知らぬ者のない国です」


「なるほど、神の雫ですね。父が焦がれたようにその名を幾度も口にしていました。相当の名酒とか」


 ああ、如月が作り出す酒はまさにその名に相応しい。この世界のものとは雲泥の差がある。最初の頃の俺は酒など不要と思っていたが、今ではすっかり宗旨替えだ。


「言葉で語れる次元ではありません。とある国で行われた闇のオークションでは一本金貨60枚以上の値がついたとか。その神の雫の製造元がランヌ王国と知れたのが最近ですから、時間の問題だったと言えます」

 

 そういえばそんなオークションもあったな。あれ以降値段は落ち着くかと思ったが、逆に評判が評判を読んで更に値が釣りあがったらしい。この世界の金満連中が娯楽にどれだけ金を掛けられるのかの証明みたいな話になっている。


「その販売元がユウキさんの口から出た”美の館”を経営する商会なのですが……何かお持ちではございませんかな?」


 探るような視線を向けてくるが、彼ほどの大商人なら俺が何者か理解していてもおかしくない。それにこの人は俺と同じ共通点があるようだし。


「共に酒を楽しむというのなら今夜にでもお出ししますが、酒で商売をすると言うのなら商会を通していただきたいですね。横紙破りには協力できかねます」


「おおっ、是非ともご相伴に預かりたい! 例の酒は一杯で終わってしまいまして、なんとも苦しい思いをしたものです。これは今晩が待ちきれませんな!」


「ルーカス殿」


 リアムの咳払いにルーカスはようやく彼の存在を思い出したような顔をした。


「いや、失礼いたしました。ドワーフの件から話が逸れましたな。ですが、最も影響を受けると思われるのは我が国ライカールなのです」


 ルーカスの言葉にリアムも表情を険しくした。何か難しい話になりそうだが、もともとこういったラウンジはこのようなことに使われるのが正しく、隣で一心不乱に本を読んでいるミネアが珍しいのだ。

 あ、茶菓子が切れたのね、はいはい。



「やはりルーカス殿もそうお考えですか。我が父もそれを懸念していました」


「ええ。もう既に魔導院から導師級が8名、ランヌ王国への招聘に応じたそうです」


「そんな! 我が国の智慧の源が8名も流出するなんて! 止められないのですか?」


 後でユウナに聞いて知ったのだが、魔導院とはライカールの魔法研究所で、導師とはその中でも最上位研究者の事を指す。つまりライカールの頭脳が他国に流れるようだ。


「難しいでしょう。今のランヌ王国はまさしく異常です。魔法王国の名を冠する我が国でも一月(90日)に一度行えれば上出来とされるような高価な魔導実験を毎日数回行い、その結果を惜しげもなく公表しているそうです。その殆どは失敗しているようですが、それを聞いた導師陣は今にもランヌ王国に走り出そうとしているようだと見た者は言っています。我が国ではしたくても金銭的な問題で不可能な実験を日に幾度も繰り返し、これはどうすれば良いだろうかと訊ねてくるそうです。研究者なら私にやらせろ、と叫ぶでしょうな。そこへランヌ王国から破格の扱いで招聘の依頼が来るそうです。しかも数年で帰国しても構わないとの条件付で」


「それは……皆頷いてしまうでしょうね。でも失敗ばかりと言うのは朗報ですね。我が国の優位はまだ続きそうです」


 リアムが安心したように言うが、ルーカスは首を振った。


「失敗は成功の母という言葉があります。どんな偉大な成功もそれまでに積み上げた膨大な失敗があってこそなのです。いくらでも失敗できるという環境は、着実に成功する確率を上げます。今の我が国はその失敗さえ満足にこなせない状況なのです。とはいえそれは各国も同じでしょうから、ランヌ王国だけが異常な例外なのです」


 ルーカスの言葉の意味に気付いたリアムははっきりと焦燥を顔に浮かべた。完全に部外者な俺は聞き役に徹しているが、ランヌ王国も色々やっているんだなという感想しか浮かばんな。


「な、何故ランヌ王国はそんな事が可能なのですか? 我が国が不可能で、彼の国だけが為し得るその理由はご存知なのですか?」


「これはあくまで私の想像の話です。まずはそれをご理解いただきたい。通常、魔導院への予算は金貨で支払われ、そこから物資の買い付けが行われます。それは我が商会も関与しているので間違いないのですが、恐らくランヌ王国は……現物支給しています」


「現物、支給ですか?」


 よく解っていない顔をしているリアムだがそれは俺も同じだ。どういう意味だろう。


「意味はそのままです。彼の国は魔導実験に必要な魔石や触媒を現物で支給しているようです。これまでは物資調達の商会が動いていましたから間違いないかと」


「申し訳ありません、その事実が何を意味するのか良く解りません」


「いえ、良いのですよ。これは我々商人でないと気付き難い話です。そうですな、例えば金貨一枚でダンジョン産の触媒が大体4つ購入できます」


「は!?」


 俺は思わず大声をあげてしまった。二人が驚いた顔をするので俺も我に帰った。


「あ、話の腰を折ってすみません。しかしその買える触媒とはそこそこ高級な触媒ですね。新品とはいえ金貨一枚でたった4つしか買えないとは」


「いえいえ、ここで申しているのはコボルトの杖やボイズンラットの尻尾、ウルフキャットの耳などの触媒ですよ」


 嘘だろ……ダンジョン産の新品の触媒が高いとは聞いていたが……俺はマジックバックからコウモリの羽を取り出した。


「おお、これはまた上質な触媒、コウモリの羽ですな。しかも新品ではないですか。これほどの品になると店頭価格では二つで金貨1枚はしますぞ」


「これ、ギルドに買い取りに出すと銀貨4枚なんですけどね」


 金貨1枚は銀貨20枚だから……ギルドめ、いくら中抜きするとはいえ銀貨6枚の差額はやりすぎじゃないのか? くそ、そういやエレーナが触媒を買い取りに出すのは馬鹿だと言ってたな。


「今のユウキさんの行動が的を得ておりましたな。つまり、商人を介さず現物支給をすれば非常に効率がよいのです。金額では恐らく我が国の数十倍から数百倍の金貨を投入している計算になります。そんな事はどんな国でも不可能です。そして我々の想像を超える量の触媒がランヌ王国には溢れてるはずです。何しろ魔導実験に必要な高位触媒となれば金貨を積んだとしても簡単に手に入るようなものではありませんからな。資材不足が原因で行われる事がなかった実験も多いと聞き及んでおります」


 へー。そうっすか。何故か国内に大量の触媒が溢れていると。そういや値崩れするのが嫌で低級の触媒は魔約定に山ほど突っ込んでいたっけ。そうか、偶然だなぁ。


「それをランヌ王国では容易く行っているという事ですか……そのようなことがありえると。しかし現状を見ればそうとしか判断できないというわけですね。しかし先ほども言いましたが何故ランヌ王国にだけ可能で、我が国に不可能なのでしょう。何がそれを為し得ているのでしょう」


「リアム殿は”(シュトルム)”と呼ばれる冒険者をご存知ですか?」


 俺はその唐突な名前に驚いたが、何とか顔に出さずに平静を保つことに成功した。


「いえ、すみません。著名な冒険者には疎くて」


「お気になさらず。最近名を売り出した冒険者ですから。ですがまだ年若いという彼の活躍とランヌ王国の躍進の時期が奇妙なほどに一致するのです。私は何かあるのではないかと見ていますが……」


 経験豊かなルーカスの私見に俺は恐れ入るばかりたが、まだ若いリアムには信じられないようだ。


「ルーカス殿、いくら個人が秀でたと言っても限度があります。ただの一個人が国家の流れを決定付けるような活躍は難しいでしょう。しかし、これからのランヌ王国の動きには注目と警戒ですね」


「それは確かですが、私としては警戒はそこまで不要かと。むしろ我が国が他国では最も恩恵を受けることが出来る国だと考えています」


「なんと、そのような事が可能……なるほど、ソフィア姫殿下ですか」


 何故かさっきから俺の周囲に話題が及んでいるな。理由が想像出来なくもないが。


「ええ、長らく我が国とランヌ王国は友好的関係を築いてきました。導師の招聘も見方を変えれば数年で帰国するのですから、その時には我が国の国力増強に繋がります。少なくともランヌ王国はグラ王国のように約定を違える国はないとその点で信頼は置けます。そして姫殿下はランヌ王国の中枢に相当食い込んでいると聞き及んでおります。彼の国の実質的な右腕であるウォーレン公爵家とは家族のように良い付き合いを続けているとか。事実として殿下には既に我が国から様々な要望が舞い込んでいると聞きますし、急遽ランヌに派遣された他国の王族の中でも抜きん出て深い関係を築いておいでです」


「殿下を追い出す際は国の落ちこぼれと散々嗤っておきながら、よくぞまあ簡単に手の平を返しますね。我が家は殿下のご留学には反対の立場でしたが、危機をこのような好機に変えるとは流石は姫殿下であらせられる」


 俺が置物になって二人の会話を整理しながら聞いていると、ラウンジの扉が開く。


 この部屋に堂々と入ってくる権利を持つ者は特等室を取っている俺達4人ともう一人、この船の最高権力者以外にはいない。


「皆様、船の旅をお楽しみいただいておりますかな?」


「おや、今日は遅かったですが”神に愛された”男の登場ですぞ」


 俺の視線の先には、白髭を蓄えたがっしりした体つきの男が立っていた。




楽しんでいただけば幸いです。


神に愛された男というのは彼等の仲での嫌味に近いので大した意味はありません。その話は次回に持ち越しです。うーん、意外と話が進まなかった。


誤字脱字報告、誠にありがとうございます。


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