海原の中で 1
お待たせしております。
「う~みはひろい~な……」
シャオとキャロが大きな硝子窓から見える陽光煌く大海原を飽きもせずに眺めている。二人が口ずさんでいる歌は童謡のようだ。聞き覚えはないがどこか懐かしさを感じる詩である。
ふたりは玲二か如月から習ったらしいが微妙に調子外れなんだが、それがまたかわいいものだ。
「ねー、とーちゃん、あれなーに?」
娘が指差す先には海から顔らしき何かを出した巨大な物体があった。<マップ>では赤、適性反応を示していたので処理した。船がこんな状態じゃこっちに寄って来るのも無理はない。そいつはゆっくりと海の底へ沈んでいった。
「ん? どれだ? ああ、あれは多分水棲モンスターだろ。この船を狙っているんじゃないか?」
「ええっ、シャオたち、ねらわれてるの?」
「こわーい!!」
「この辺りの海域の連中は特別大きいから、小さい二人なら頭から尻尾の先までぱくりと丸呑みになっちゃうぞ」
全く怖くなさそうな声でシャオとキャロがはしゃいでいる。二人もこの6日でこの船が安全であることはちゃんと理解しているが、俺は敢えて大振りな仕草で脅かした。
「そしたらクジラさんみたいに、せなかからぴゅーってでてくるもん!」
クジラ? ああそういえば、俺がいないときに飽きもせず窓から海を見ていた二人はちょうどクジラの潮吹きの瞬間を目撃したとか。
多分その事を言っているのだろうが、二人が見たのはクジラとは似ても似つかない”要塞”と渾名される超巨大生命体だったらしい。周囲の客がそう言っていたのを耳にした。
滅多に人を襲う事はない穏やかな性格らしいが、一度暴れ出すとその巨体がもたらす破壊はまさに天変地異と呼ぶに相応しいバケモノとか。
「クジラさんまたみたい!」「みたい!」
出会って喜ぶような奴じゃないんだが、そう騒ぎ出す二人を眺めつつ、俺は周囲を見回した。部屋で区切られているとはいえ他の乗客もいるのであまり大声を出すなよと言いたかったのだが、すぐ近くに年長のくせにもっと大はしゃぎしている奴がいる。
「おおっ! 何という大きさだ! これが海の生き物か! 川や湖などとは桁が違うな。ん、あそこに白波が引いている。へえ、他の海の魔物が船の周りを周回しているのか。エレーナ殿は詳しいなあ」
ここにも生まれてはじめて海を見て大興奮の女エルフ騎士、リーナがいた。
たしかに彼女と出会ったエルフの国には海がなかったと思う。というより、レン国にしても南部以外は大河はあっても海とは無縁だったはずだ。シャオも映像では何度も見ていたが海を王都で初めて見た時はぽかんと口を開けて見入っていた。
その彼女の隣には姉弟子のアリアが、もう片方にはキャロを連れてきたエレーナが居た。
何故エレーナがリーナの隣にいるかと言えば、彼女が熱心に自分と共に冒険者パーティーを組もうと誘っているからだ。始めはリーナだけだったのだが、姉弟子の存在を知ってからは込みで勧誘している。
その誘いに姉弟子の方はかなり乗り気だ。本人も店に訪れる冒険者達を見て漠然とした憧れを抱いていたようで、二つ名持ちの最上級冒険者から誘われる機会など滅多にないからと前向きであるのに対し、リーナは何故か及び腰だ。
同じ職場で働くレイアから聞き及んだ所によると、どういう訳か俺に遠慮しているらしい。今も俺をチラチラ見ているんだが……何故に?
しかしエレーナとアリアからあんた何か言いなさいよ、との強い視線を受けたので渋々ながら口を開く。
「リーナ、冒険者登録は済んだのか?」
「あ、うん。ウィスカの街で登録した」
二人からそんな事も把握してなかったのか、と怒りの視線をくらうが、俺がリーナの毎日の行動をすみからすみまで分かってるはずないだろうが。
「ならもうお前は冒険者だ。そしてエレーナはまだ若いのに経験豊かな熟練者だ。そんな彼女が熱心に誘ってくれてるんだぞ、滅多にない幸運だって解ってるか?」
「そ、それは分かっている。エレーナ殿ほどの実力者が目を掛けてくれるのは有難い事だ。だけど、私は君と共にだな……」
あん? なんだ? リーナは俺とパーティーを組みたかったのか。
「悪い、今の俺は無理だ。あと数年は一人でやらないといけないんでな。だが、その後だったら全然構わないぞ。お前と一緒に冒険者やるのは楽しそうだしな。そうだ、その期間中、エレーナについて冒険者のいろはを学んできてくれ。俺も基本的なものは疎いから、そのときになったら教えてくれよ」
俺の言葉にリーナの顔が輝いた。
「うむ、それなら仕方ないな! では私がエレーナ殿から様々なことを学んでユウキに伝授してやるから、楽しみにしておくのだぞ!」
俺の対応は正しかったようだ。二人も笑顔になり、これからの事を楽しげに語り合っている。しかし、ふと話から抜けた姉弟子がこちらに不安げな顔を向けた。
「ちょっと、今のは助かったけどそんな約束して大丈夫なの? あんたの事情を知ってる者としては数年で解決出来る話じゃないと思うんだけど……」
「いや、そうでもないんだ。姉弟子には最近の懐具合を話してなかったが、ほら」
俺は〈アイテムボックス〉から全ての元凶である魔約定を取り出した。そこに書かれている数字を見てアリアは息を飲んだ。彼女はセラ先生と供に俺の事情を把握している数少ない人物……というか当時の俺が半分ヤケクソになって周囲に見せていただけだ。
「うそ、まだ返済し始めて1年経ってないんでしょ? なんでもう150万枚以上も返済してるの……」
「特に最近は30層以降からの収入が大きくてな。船に乗るまでは1日1万枚位稼いでた。あと1350万枚だが、このままの推移で行けば数年で完済できるだろうさ」
現状のダンジョン攻略は大いに進み、そして完全に停滞していた。
攻略が進んだのは銃の目処が立ったことが大きい。俺がオウカ帝国の帝宮で暴れた翌日には如月が目的とする大威力の拳銃の創造に成功してくれたのだ。予想以上の短時間での創造に彼の持って生まれた幸運の為せる業を感じずにはいられない。
生み出されたのは”えむ29”と呼ばれる回転式拳銃だ。非常に強力な弾丸を発射する事が可能で、あのレッドオーガの頭蓋を一発でグシャグシャにしてしまう威力を持つ素晴らしい拳銃だった。
しかしどうやらこの銃は異世界で非常に有名な存在らしい。とても喜んでいた玲二と如月にその理由を尋ねると有無を言わさずとある映画を数本見せられた。
その後の俺が弾丸をぶっぱなした後、『泣けるぜ』と嘯いたり、『こいつは世界一強力な拳銃なんだ』と寸劇を仲間と始めて女性陣から白い目で見られたのは別の話だ。
この銃を数百丁準備しておけば一日の探索なら十分だと思っていたのだが、如月はまったく満足していなかった。
その理由を問う前に俺自身が問題に気付いてしまった。
回転式拳銃は当然だが装填数は6発だ。物によっては弾丸がそれ以上入る銃もあるが、威力のある弾とは総じて大きくなるから6発、あるいは5発しか銃に弾は籠められない。
そして31層に出現するオーガの1回の戦闘における最大出現数は7体、というか大抵の場合7体で出現する。つまり一丁の銃で全員殺しきれないのだ。二丁拳銃で対応すればいい話ではあるが、1回の戦闘は最大7体でもウィスカのダンジョンは挟撃や断続的に現われる増援は良くあることであり、装填数の少なさが気になってしまった。
弾切れした銃はその場に落として戦闘に支障は出ないようにしているが、元々拳銃の有効距離、つまり中距離で戦う事を余儀なくされているので、かなりの接近を許してしまうのだ。
だが、元から如月はそのことを考慮して銃を選別をしてくれており、この”えむ29”もあくまで本命を生み出すまでの場繋ぎとして使ってほしいといわれていた。彼が求めているのは7発入りの弾倉を持つ自動拳銃で、最初に薬室に弾を送り込んでおけば最大8発の射撃が可能だという。
俺としてはその大本命の登場を待ち望んでいるが、如月に言わせると弾丸の方ももっと上位の品が欲しいらしい。彼曰く今使っている弾は弾頭重量が低めで、ごく稀にだが狙った場所を外れると確かに一発で倒せない事もあったのだ。
そんなこんなで攻略は進み、船に乗るまでに35層まで到達する事ができた。銃の威力はもちろん、各層に存在した転移門を駆使できた事も大きい。一度辿り着いて起動さえしてしまえば次回からはそこから再開できるからだ。
地味な落とし穴としては帰還石が手に入らないことくらいか。31層からの帰還石は下りた階段のすぐ近くにあるのだが、場所が決まっている転移門とは場所が離れている事が多かった。毎日大量の帰還石を得る事は出来ないのが残念である。
そして攻略は35層で完全に止まっている。その理由も明快で、35層の中央には閉じられた巨大で分厚い扉が行く手を阻んでいるのだ。そしてその扉の前にはいかにもここに何かをはめてくれと言わんばかりの穴の空いた台座が設置されていた。
台座には穴が5つ空いているのだが……状況から見て31層から35層までで必要な何かを手に入れて来いと言うことなのだろう。
これらの層には階層主は存在せず、それ以外で何か怪しそうなものといったら、非常に数多く設置されている宝箱だろうと見当をつけたが、その事実は俺のやる気を盛大に削ってきた。
なにせ31層からは非常に広い。俺が一日走り回っても1層分の宝箱を制覇するのは難しいと思われるほど広いのだ。そんな広大なダンジョンから宝箱を探し、更にそのうえ当たりの何かを探し出さなくてはいけないのだ。
「あ、これめっちゃ時間かかるやつじゃん」
と相棒が溜息をつきつつ発した言葉が全てを表していた。
「たぶん難易度的に数チームが同時に探索して何かを探し出す位で設定していると思うよ。ユウ一人でやるには手間も時間がかかりすぎると思う」
こうして35層で攻略は止まっているのが現状だ。本命の銃と弾の創造を待って本格的に攻略を再開する予定となっている。
だからこうやってまったりと船旅を楽しんでいる余裕も生まれているわけだ。
本当はここまで優雅な時間を過ごすつもりはなかったのだが。
この豪華客船サンデリア号は獣王国の王都ラーテルとライカールのとある港湾都市を結んでいる定期船だ。俺がこの船を選んだのは前に述べたとおり、この便がウィスカに帰還するのに最も適しているからだ。ランヌ王国への定期船が俺が帰還する直前に出航してしまったので、他国とはいえまだ近い位置にあるライカールへの便を選んだのだ。
転移環で帰れば一瞬なのだが、俺が怒りに任せて派手に暴れた結果としてアードラーさん宅に多数の監視がついてしまった。その監視の目的が俺なので、ちゃんとした手段で新大陸から離れたと言う事実を与えてやらないといつまで経ってもあの屋敷にある異常な数の監視が消えないのだから仕方ない。
そして俺としては旅券さえ満足に手配していなかった。大部屋で大勢と雑魚寝する一番下の三等客室の旅券なら出航直前でも買えるだろうし、船内にもし監視する敵の目があればそれを始末してからアードラーさん宅に置いてある転移環でこっそり帰ればいいと思っていたからだ。
馬鹿正直に時間のかかる船旅をする必要もないしな、と考えていた出航前夜、俺はその考えを改めざるを得なくなる。
アードラーさんの奥方、セレナさんから手配しておきましたとサンデリア号の乗船券を渡されたからだ。
しかもよく内容を見てみると最上級の特等客室を用意してくれていた。サンデリア号が王侯貴族も使用に耐える豪華客船だと聞いていたので、このような高額なものは頂けないと一度は断った。
しかしこれを都合してくれたのはセレナさんや帰還した獣王国の戦士たちの家族たちで、命の恩人であり、名誉回復に尽力してくれた事への返礼であり、どうか受け取って欲しいとあちらが頭まで下げてきた。
ここに至っては彼女達のお志を無碍にするほうがかえって失礼だろうと思い、有難く頂戴する事にした。しかし、この旅券が金貨30枚近くする事をユウナからの報告で知ったので隊の副官のギーリスに同額の金貨を渡してある。隊の戦士たちは皆貴族の子弟であるが、皆が皆それほど裕福であるはずもないだろう。きっと無理して俺への礼を尽くしてくれた可能性もある。ギーリスがアードラーさんの隊の本当に要石で、俺と同じくがさつな所があるアードラーさんと違い彼はそういったところまで気を回してくれる男なので彼に任せれば上手くやってくれるだろう。
彼等がリルカのダンジョンを踏破して全員が財宝をがっぽり稼いでいた事を思い出すのはずっとあとのことである。
こうして約8日ほどの船旅を満喫する事になった。
特等室は船室なので広さはそこまでないが、王都のホテルにも負けないほど豪奢なつくりで、大きな窓から見える眺望は贅沢の一言だ。寝台は二つあり、先ほどまではシャオとキャロが跳ねて遊んでいた。
アードラーさんたちがランヌ王国からの帰還に使った王家の御料船とは流石に比べ物にならないが、それ以外では贅を凝らした優雅な時間を過ごさせてもらえている。
獣王国のラーテルから発つ際には皆さんから盛大な見送りもしていただいた。その目的の大半が監視を納得させるためのものであったとしても、戦士たちの家族にしてみれば俺は命の恩人だ。俺としては戦士の皆は同じ釜の飯を何度も食い、サラトガ事変を通じての戦友のつもりなのでここまでの感謝の念は戸惑ってしまうくらいなんだが、有難い事は事実だ。
キャロなどは場の空気で俺がいなくなってしまうことを予感したのか、その場で大泣きしてしまった。
その場はしんみりしてしまったが、出航した後で船室の中に設置した転移環でイリシャやシャオと一緒にいつも通りに遊びに来ていた。まあ、そうなるんじゃないかなと思っていたが。
ただ一つ気になるのはこの特等室が微妙に揺れる事だ。自分に宛がわれた部屋は右端(特等室は全部で3つあり、船体中央を三角形のように設置されている)であり、揺れの影響を比較的受けやすい。
船酔いするほどではないのだが、地味に転移環がズレるのだ。僅かな隙間でも安全装置が働き使用不可能になる転移環と船はあまり相性が良くないのだ。玲二たちが獣王国に赴く際は場所が良かったのかそこまで揺れなかったそうだが、いつの間にか使えなくなっていることが多いので俺はここに詰めて滅多に屋敷には戻っていない。その分今のようにみんなが良く訪れてくれている。
例外は日課の稼ぎに行くときだけで、その時は仲間の誰かがこの船室にいてくれている。
「にいちゃん……」
また転移環が発動し、今度は疲れた顔の妹が現れた。イリシャは椅子に座る俺を見つけるとそのままこちらに倒れ掛かってきた。いつものように受け止めて膝の上に妹を設置する。
「へとへと」
「はいはいお疲れさま」
「あ、イリシャおねーちゃん!」
俺の膝の上に居るイリシャを見つけたシャオが何かの遊びだと思ったらしく、キャロと一緒にこちらに駆け込んできた。そのままイリシャの上にのしかかり、三人分の重さが襲ってくるが、この程度ならなんともない。
「おもい。つぶれる」
二人に乗られたイリシャはそう文句を言うが、新しい遊びだと思っているシャオとキャロはケラケラ笑いっぱなしだ。俺は二人を両手に抱えてやると、解放されたイリシャは俺の首筋に縋りついた。
「なんだ、どうした珍しいな」
「にいちゃん分の補充。最近ずっとお屋敷にいないし……」
「たしかにそうだな。転移環を誰かが見てくれれば戻れるんだが……まあ、ここにいるな」
「ご飯の時もあんまりいないし、だからにいちゃん分をここで補給する」
それで何がどうなるんだと思わなくもないが、イリシャがいいなら好きにさせた。すると俺の両隣のお子様二人が新たな遊びだと思ったらしい。
「シャオもやる!」「キャロも!」
そう言って俺が抱きかかえていた腕にしがみ付いてきたのだが、問題が一つ。
「シャオにキャロ。何で噛むんだよ」
二人は俺の手にそれぞれ何故か噛み付いてきたのだ。
「彩ちゃんがいってた。とーちゃんはかむということきいてくれるって」「ゆってた!」
あのちびっ子皇帝、なんて事を娘たちに吹き込んでくれてんだ。これは後見人の凛華に一言文句を言わねばならないな。
「ほんとう? じゃあわたしも試す」
「やらんでいいから」
かぷ、とイリシャも俺の首筋に噛み付いてきた。家族から噛まれて喜ぶ奇怪な性癖を持ち合わせていない俺は戸惑うばかりだ。
「しょっぱい」
「そりゃ長いこと海に出ていたし、今日は海水風呂だったんだ。そりゃ塩辛いさ」
船の上では真水が貴重なのは当たり前だが、給水の魔導具が存在するこの世界ではそこまで死活的な問題ではない。だが高価な魔導具を使えるものは限られるので、やはり水は大事にされる。
俺が魔法で水を作り出しても別に構いはしないが、乞われてもいないのにそこまでする義理はない。
だが毎日風呂に入りたい俺としてはせっかくだし海水風呂の一つも楽しんでみるかと言う事になり、この二日ほどは許可を得た上で毎夜船上で風呂を作っている。
海水風呂はそこまでべたつかないなかったが、女性陣にはお勧めしないな。髪の短い俺でも結構カサつくので長く美しい髪を持つ屋敷の皆はやらない方が無難だと思われる。
その後も何故か味があって悪くないと妹たちから好き勝手にガジガジとやられていた俺だが、それを止めてくれた救世主が現われた。
「おーい、今日のおやつはザッハトルテだぞー。食べたい奴は屋敷ま……って早っ!」
「れーちゃんどいて!!」「おやつおやつ!!」
一瞬で玲二のいた転移環にまで移動したシャオとキャロは驚く彼を押し出すとまだ見ぬ異国の菓子を求めて転移して行った。既に俺に遠慮などしていない姉弟子とリーナもそれに続いていき、俺に視線を寄越した玲二も戻ったので残るはエレーナと膝の上のイリシャだけとなった。
イリシャの分は既に確保どころか玲二にせがんで妹は既に食べてきたらしい。最近先回りする事を覚えて頼もしくなった我が妹である。
「こうして見ているだけだと、とても歴代最高の未来視の巫女だなんて思えないわね」
「俺にとっては嘘の方がよかったけどな。出会って半年も経たないうちに妹を神殿に取られちまったし」
とはいえ神殿入りした事で妹の世界は確かに広がった。特に血の繋がった肉親であるアイラさんとの出会いは世界に一人ぼっちではないという安心感を与えただろう。得たものと失ったものを天秤に載せれば得たものの方が多いはずだ。
そんなことを考えていた俺に、エレーナからの声が掛けられた。
「ねえ、この船ってライカールのクレソン行きだったわよね? クレソンの港って確か……」
「ライカール南西部にある一番大きな港町だな」
「でさ、そこから南下すると……」
「馬車で3日の距離にクロイス卿の領地があるな。俺一人なら1日で間違いなく辿り着けると思うぞ」
「……」
「……」
そこで会話は途切れた。エレーナの言いたい事はもちろん解っているが、正直に言えば俺が彼の領地に今出向く理由が特にないのだ。
俺というかライルの故郷にも近いので、彼の領地に行く事は決めていたが、今すぐ行っても忙しい彼の迷惑になるだろう。相当難航していると聞いている領地経営もクロイス卿から助けを求められていない現状で向かってもな、という思いがある。
「でもたぶん行ったほうがいい。クロイスのおじちゃん、たいへんそう」
思わぬエレーナへの援護射撃が俺の膝の上から来た。その言葉にエレーナの顔が輝くが、何か視えても何も言わなくていいと告げている妹がこんな発言するのは珍しい。というかこりゃ彼の領地で何かあるのかもしれない。
「じゃあ、行ってくれるのね」
暗に自分も転移環で後を追うと告げているようなもんだが、頑なに彼女はその言葉を発しようとはしない。ここに来たのはリーナを勧誘する目的だったはずなのだが、どうみても彼女の話の本題はこっちだったな。
「わかった、わかったから、そんなに詰め寄るなって。ただし、俺もライカールで色々用事があるから、到着してすぐに彼の領地に移動する、という訳にはいかないぞ」
「別に、急いで欲しいなんて言ってないし……」
自分から出向くのは負けた気がするから俺に行って貰って、あくまで彼と出会ったのは偶然を装おうとしている女の台詞とはとても思えないが、口にすると十倍の言葉で帰ってくるのは解っている。ここは黙っておくとしよう。
それに今の俺と言うかこの船はとある問題を抱えている真っ最中だ。
「まあ、それ以前に風か吹かなきゃ船が動かないんだけどな」
実はこの船は2日ほど全く進んでいない。
不思議な事に完全に風が凪いでしまっており、風力を頼りに動く帆船もこの無風状態では為す術なく、立ち往生してしまっているのだ。
楽しんで頂ければ幸いです。
申し訳ない、遅れました。
日曜にあげるつもりが、中々難産で書いては直しの繰り返しで一週間も経ってしまいました。
次は早くしたいものです。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になります。何卒よろしくお願いします!




