本当の戦い 9
お待たせしております。
ライカの住む邸宅はまだ新しい。Sランクに上がった時にその権勢を示す為に背伸びしていい場所に屋敷を構えたとカオルが話していたのを思い出した。以前に住んでいた場所より帝宮に近いのが自慢だとか。だからこうやって本人が気軽に遊びに来れてしまう一因でもある。
ライカたちが機密を保持する為に苦心して探し出した転移環の設置場所は屋敷の一番奥の物置だった。転移環を隠すように周囲には棚や箪笥が置かれており、転移環のある場所だけがぽっかりと開いている。まさに隠し場所と呼ぶに相応しい。
ここなら滅多な事では見つかりはしないと俺も太鼓判を押したのだが……俺の腕の中にいるちびっ子皇帝は家主のいない屋敷でも平然と家捜ししてしまう自由さを許されている。
彼女にかかっては皆が必死で隠した事でさえ、自分を驚かせる臣下の余興の一つだと本気で思っていそうである。
「つい流れでここまで来てしまったが、俺はここで待っていたほうが良いか? 筆だけならライカの持ち物を譲ってもらうだけでも構わないわけだし……」
オウカ帝国に足を踏み入れた俺はふと冷静になり、彩華の言うままに彼女の住まいである帝宮にお邪魔するのはどうなんだと思って問いかけた。
「何を言うておるか。妾がせっかく案内してやると言うのに。光栄に思うが良い、妾の治世に於いて始めての客人としてもてなしてやろう」
俺の腕に抱かれたまま自慢げに話す彩華から視線を弟子のライカに向けると、彼女は勢い良く首を横に振っている。この行為により政治的な面倒が加速するのはかなりの政治音痴である弟子にも解るようだ。
「そりゃありがとう」
「なんじゃ、その気のない返事は。このオウカ皇帝たる彩華自らが案内してやると言うておるのだぞ。もっと嬉しそうにせぬか! これが臣下どもなら感涙に咽び泣くほどじゃぞ」
「臣下じゃないから正しい反応だろ。それに前にも言っただろ? 俺はこんな形でオウカ帝国には来たくなかったんだよ。どうせ来るなら自分の足で旅して辿りつきたかった」
これは俺の紛れもない本心だ。転移環は距離を無にする神器と呼ぶべき代物だが、その分旅の醍醐味と呼ぶべきものを投げ捨てている。既に何度か往復した後なら使うことに躊躇いはないが、初回くらいは旅を堪能したいのだ。
そんな感じで俺は仲間達がオウカ帝国に足を踏み入れても自分自身は頑なに拒否してきた。今日だって筆が入用ならライカやキキョウに頼んでも良かったのだが、ちょっと思うところもあってこうして前言を翻して乗り込んできたのだ。
「ほんに変わり者じゃのう。ま、稀人らしいとも言えるがの」
「じゃあ、とりあえず降りな。いつまでもこのままって訳にもいかんだろう」
「嫌じゃ! イリシャやシャオばかり優遇しおって。妾だってこうしたっていいじゃろ!」
何故に妹と娘が異国の皇帝陛下と同列に語られているのかひたすらに謎だが、少なくとも降りるのは絶対に嫌らしいのでこのままで行くしかないようだ。
「師匠、陛下の御料馬車はこちらです」
俺といっしょにいるせいか、随分と顔色が戻ってきたライカに先導されて俺達は彼女の屋敷を進む。かなり広い屋敷であるが、人払いでもされているのか人気は全く無い。もしこのちびっ子が屋敷内を走り回って使用人が粗相しようものなら一族族滅さえありうるのがオウカ帝国皇帝だから、遠ざける判断もわからんでもない。
「あ、姉さん、聖上は……って、ユウキさん! 来てくださったんですね! 良かった、本当に良かったぁ」
屋敷を進む内に気配を感じたのか、カオルが俺たちの前に姿を現した。その顔にも姉に劣らぬ精神的疲労がこびりついており、最近の二人の状況の大変さが伺える。
特に俺がこれに関してはどうにもならんとお手上げ状態だったこともあり、二人にはかなりの負担があっただろう。
だが俺が来たら全て解決、みたいな感じになるのはどうなんだ? 実際にこの件で異国人の俺に出来ることなど殆どないんだが。
だがこの姉弟はこれまでの深刻な顔はどこへやら、実に晴れやかな表情で俺達を案内している。
「おお、カオルか。そなたも帝宮に登るのは初めてであろう? よい機会じゃ、これまでの功績の褒美にユウキと共に我が宮を案内してやろうぞ」
「陛下! も、勿体無いお言葉でございます。このこと、生涯の名誉といたします!」
「ほれ見た事か! これが普通の反応なのじゃ。ユウキももちっと感謝せい」
彩華が上目遣いで俺を見上げてくるが、お前のお家自慢を聞かされて俺に何の得があるんだ。
「こっちが頼んだわけじゃないしなぁ。ああ、わかったわかったから。有り難くて涙が出そうだって、だから噛むのは止めろ」
俺の反応に業を煮やした彩華が俺の腕に遠慮なく噛み付いてきたのでたまらず白旗をあげた。いくら馬鹿げたステータスで強化された体とはいえ、意識しないと皮膚は硬質化しないし、油断すると紙で指を切ることだってあるのだ。噛みつかれたら痛いものは痛い。
「ふん、始めからそう言えばいいのじゃ!」
思い切り噛み付かれたので俺の腕には綺麗な歯型が残ってしまった。やれやれと思っていると、信じられないものを見たようなカオルの顔があった。
「俺の屋敷にいるときはいつもこんな感じだぞ」
「ユウキは妾に対する敬意が足りんのじゃ。帝国皇帝を何じゃと思うておる」
我儘で臆病なチビガキ、と正直な所をいえば癇癪が待っている。
「世界を支配するイダイなるコーテーヘーカだな」
「まるで心が篭もっておらん! 臣下であれば即刻打ち首してやることろじゃ」
ボスボスと俺の胸に頭突きをしてくるちびっ子皇帝をあやしながら、こんなもんだとカオルの様子を窺ったが、彼の真剣な視線は既に前方を、つまり彩華が乗ってきた馬車に向けられている。
さて問題発生、其の一だな。
「き、貴様ぁ! 何をしている! この痴れ者め!」
「へ、陛下! 危険でございます、お離れください!」
当然というか、案の定というか、馬車にいた護衛が俺に向けて紛れもない殺意を向けてきた。無手のように見えるが腰には棒が、いやあれは伸縮式の棒か槍だな。皇帝の護衛だからそれなりに腕に覚えはありそうだ。
女帝だからかつけられた護衛も女、というか少女で二人。見た感じでは非常に整った美貌が二つ、全く同じ顔で俺に殺意を向けている。あれが双子でなかったらそのほうが奇跡だろうな。
「月華、風華、退がるのじゃ」
「なりませぬ。我等が勤めは聖上をあらゆることからお守りすること。そのような下賎な男をお側に置かれるなど!」
「姉上の仰るとおりです。消えぬ穢れでございます。千住院め、これまでの事はこれが狙いか? 少しばかり聖上の寵愛を受けたからといって調子乗りおって。これだから成り上がりは」
端整な顔を歪めて俺を罵ってくる双子は彩華の言葉に耳を貸そうともしない。そりゃあ仕えるべき主が見知らぬ男の腕に抱かれて現れたのだ。
これが政治的にどう見えるかといえば、最悪である。俺にオウカ帝国を明け渡したと同義と取られても弁解は出来ないほどの意味を持ちかねない。問題はそれを望んだ彩華本人がその事を欠片も理解していない点にある。つまりこっちが全部悪いという事で話が終わるのだ。
だからライカも慌てていたのだが、それを諌めても本人に聞き入れる気が無かったので諦めるしかないと思っていたが、次の瞬間ライカは激昂していた。
「貴様等! 私の師匠を侮辱したな! 私や家をどう罵ろうと構いはしないが、我が師の侮辱は絶対に許さない! その言葉、決して無かった事にはできぬと知れ!」
「ライカ。話が進まないから退がってろ」
傍観者に徹すると思われたライカから発せられた濃密な殺気に護衛の二人も敏感に反応する。既にライカも臨戦状態で俺の言葉が届いていない。どうやら完全にブチ切れているようだ。
「くっ、千住院め。気でも触れたか」
「だが姉者、これは好都合ではないか。負け犬の娘が少しばかり功績を立てて調子に乗っているのを見るのは業腹だった。ここは一度現実を教えてやるべきだ。幸い敵意を向けているのは向こうだ」
何か俺達を蚊帳の外に置いてやる気になっているライカと護衛二人だが、肝心の主君を見れば当然憮然としている。本来何をおいても優先される自分の言葉が無視されているのだ。
この光景一つを見ても彩華がウチに入り浸りたくなる理由がわかるというものだ。
「生まれがいいだけで天下取った気になっている莫迦の目を覚まさせてあげる! 私の師匠を愚弄する者は誰であろうと容赦はしない!」
姉を制止すべきカオルは何をしているのかと思えば、彼も見た事ないほど冷たい目をして護衛の双子を睨みつけている。こりゃだめだ。
「我等、皇道院の前に敵はない! 分際を教えてくれる」
「土を舐める苦い味を思い出せば身の程を思い知るでしょう」
護衛二人はそれぞれ腰から獲物を引き抜いた。腕を振ると短い棒であったそれが長尺の槍へ早変わりだ。護衛用の隠し武器なのかもしれない。
三人の間で膨れ上がる殺気に俺は溜息をついた。時間はあるが莫迦に付き合うほど暇ではないつもりだ。
「消し炭にしてあげる! 銀のあたっ!」
ここが何処であるかさえ忘れて即座に自分の必殺技を放とうとした馬鹿弟子の脳天に手刀を落とした。ライカも俺に弟子入りしてから技の起動が格段に早くなっている。この僅かな間でも銀色の矢が二人の顔目掛けて発射されようとしていた。二人は全く行動を起こしていなかったから止めるのが後少しでも遅れていたら酷い事になっていただろう。
「な、何!?」
「いつの間に……」
「し、ししょぉ……」
涙目で俺を見上げる馬鹿弟子への叱責は後にするとして、俺はまずこの無能二人の始末を終えることにした。
「そこのどうしようもない無能ども。生かしておいてやるから今すぐ消えろ」
「貴様ぁっ、下賎な男の分際でようもほざいたな!」
「槍の皇道院を前にその大言、地獄で後悔するがいい!」
やはり護衛としてどうしようもない無能二人はなんと俺に向かってその槍を突き込んで来たのだ。
その愚かさに俺は溜息よりも怒りが湧いてきた。何せ俺の腕の中にはこいつ等二人が守るべき主君が居るというのに自分の感情を優先している。もし俺が彩華を盾にしたらどうするつもりなのか?
遠慮をする気がなくなった俺は槍を突き込んで来る二人相手に更にこちらから距離を詰める。俺の対応が予想外だったのか、驚愕の表情を浮かべたどっちか(顔が似すぎて判断できない)の頭を掴むと勢い良くもう片方の頭にぶつけてやった。
街中の護衛だからろくな防具もつけてない二人は当然頭部も無防備である。そこへ頭同士をぶつけあえば脳震盪を起こすのは当然である。
もちろん最大限手加減した。今の動きは相手の勢いを利用したもので、自分の力は一切使っていない。もし力を入れていればライカの屋敷で血の華を咲かせていただろうから、それは本意ではない。
「ぬう、見事じゃの。この二人は帝都でも指折りの剛の者じゃが、それをこうも容易く倒すとは……」
「彩華はどういう基準で護衛を……いや、なんでもない」
なんでこんな馬鹿を護衛にといいかけて口を噤んだ。6歳児の彼女が自分の意思で護衛を選んだとは思えない。先ほどのライカの話から察するにどうせ周囲の者が家柄重視で選んだんだろう。
「師匠。す、すみませんでした。気をつけてはいるんですけど、師匠を馬鹿にされるとどうにも感情が制御できなくて……」
「俺がお前の新しい弱点になってどうすんだよ。修行が足りない証拠だ、感情的になるほど頭は冷静になれ。少なくとも俺はそうしている。そしてカオル、お前も釣られてどうする。姉を止めるのがお前の役目だろうに」
「すみません。ボクも一瞬で感情が飽和してしまいました。もっと精進します」
しょげている二人を見てこれ以上言葉を続ける気をなくした俺は意識を失って倒れている無能を彩華の馬車に放り投げると、彼女と共に馬車に乗り込んだ。完全に訓練された馬と御者は何事もなかったかのように扉を開けて自分の主人を迎え入れた。
「ほら、二人とも早く乗れ。それと、俺のために怒ってくれた事は感謝する。次はもっと上手くやるんだな」
「あっ! は、はい!」
俺の言葉に顔を輝かせた二人は、こちらへ向けて駆け寄ってくるのだった。
「あれが帝都の大通りじゃ、世界各国の大店の支店が軒を連ねておるのじゃぞ。各国の大使館も帝宮の近くに居を構えることを許しておる。って聞いておるのか!?」
「聞いてはいるぞ。見てはいないが」
皇帝専用の大きくて豪奢な馬車にある小さな窓に張り付いた彩華がこの帝都の説明をしてくれているが、俺は目を瞑っている。
「なんじゃ。本当に我が都を見る気じゃないんじゃの。まったく頑固な事よ」
「ああ、自分の足で訪れた時の新鮮な感動を味わいたいんだ。その時までこの都の勇姿はとっておくとしよう」
「師匠はこう言って一度も我が家に訪れてはくれませんでした。陛下のお陰様で始めて師匠をお迎えする事がかないました。御礼申し上げます」
「うむうむ、臣下の願いをかなえるのも帝たるものの務めじゃ。苦しゅうない」
ライカとそんなことを言い合っている間に馬車は巨大な帝宮の中に入ってゆく。もちろん正門ではなく、誰も気に止めないようなこじんまりとした裏門、いや彩華が出入りするのだからごく一部の者しか存在が知られていない隠し門かもしれないな。
そんな場所を通り過ぎた馬車は人気の無い小道を進み、見事に造られた庭園の近くに停車した。この期に及んで俺から降りようとしない彩華に苦笑を洩らしながら俺が抱いて馬車から降りると、この宮殿の主は小さな庵を指差した。
「あっちじゃ。この帝宮の秘密の小道の一つを教えて進ぜるゆえ、他言はするでないぞ」
「へいへい、ありがたきしあわせ」
「ええい、この不敬者め」
俺の棒読みの言葉を聞いた彩華が頭突きをしてくるが、天下のオウカ皇帝が庶民に頭突きする方がよっぽど品がないと思うぞ。
どうやら東屋にある卓の下に秘密の通路があるようだが、彼女が何度も行き来しているからか、埃だらけで汚いというようなことはなかった。というか明らかに掃除がされているんだが、いざという時の秘密通路を掃除するって一体何を考えているんだろう?
それに俺が彩華を抱えて腰を屈める事も無く普通に通れる通路だった。誰が造ったのか知らんが、これ隠していない気がするな。
通路を抜けた先にあったのは応接間であろうか、豪奢な調度品で飾り立てられた部屋だった。この国の調度は建国者の多くを占めた異世界人のお陰で派手派手しさよりも落ち着いた雰囲気を重視しており、俺としても居心地がいい。洋風でありながら和風であるというか、うまく和洋折衷を取り入れている感じだ。
「すぐに茶を持たせるゆえ、ここで待っておれ。まずはユウキの用事である筆を持ってくるぞ。その後はここを案内してやるでな」
ようやく俺から降りた彩華は応接間を足早に出て行った。その後から誰ぞある、と元気な声が響いていった。
「ここ、どこなんでしょうか……」
「ん? 宮殿じゃないのか?」
不思議な事を聞いてくるカオルに疑問を持った俺は彼のほうを見るが、意外さを覚えるほどに深刻そうであった。
「え、はい、そうなんですけど。場所によっては非常に拙い事になる可能性があって……多分大丈夫ではないかと思うのですけど、陛下がそのことを気にされる方だとは思えなくて」
カオルは近くの窓から周囲を見回してここがどこだか確認しようとしているが、あいつもここに来たのは初めてだから、詳しい事がわからず苦戦しているようだ。
なにがどうしたんだと尋ねようとした俺を遮り、応接間の扉を叩く控えめな音が響いた。
「お客様、陛下の命により、お茶をお持ち……」
扉を開けて部屋に入ってこようとした若い女中が、俺を見るなり体を震わせて手にした盆を取り落とした。盆に載っていた茶器が割れる高い音があたりに響き渡るが、女中はそんな事はお構い無しに震える指を俺に向け叫んだ。
「い、嫌ああぁぁぁぁーーーっっ!!! 男よ、男が後宮に!! だ、誰か、誰かぁ!!」
「あ、ここ後宮だったんだ。すみません師匠、昔からの決まりで後宮は男子禁制なんです」
「お前そういう大事なことは一番先に言えよな!!」
女中の金切り声はこの後宮に良く響いた。すぐにざわめきが起こり、周囲が騒々しくなってくる。
「ああ、やっぱり後宮だった……すみませんユウキさん。陛下に直接伺う不敬はできなくて……」
こいつも身体検査を受ければ身の破滅だろうが、この姿なら周囲は騙し通せるだろう。つまりここで一番マズいのは俺だけということか。
彩華に連れて来られたと正直に告げたところで事態が好転するとはとても思えない。こういうときの相場は俺の意見など一切顧みられないだろう。
であるなら俺が取るべき手段はただ一つ。
後宮に男が入り込んだことなど些細な事だと思われるほどの大事件を引き起こしてやればいいのだ。
こうしてオウカ帝国史に燦然と輝……く事は無かったものの、帝宮を大混乱の坩堝に叩き落し、その悪夢のような被害から関係者全員に緘口令が敷かれた”偽稀人事件”はこうして幕を開けることになる。
楽しんで頂ければ幸いです。
短くてすみません。ここで切るのがちょうどよかったもので。
次回は皆様の予想通り、主人公が滅茶苦茶する回です。
ただ章題とはかけ離れてきたので、次でこの話は終わらせる予定です。
この後の流れとしては船旅、ライカール編となると思います。
30層の攻略は銃が出来上がらないと進まない予定です。稼げはするが先に進めない(攻略が進まない)ので。
進まないといえば本編も一切進まなくて困っています。自分が悪いんですが。
仕方ないので玲二を主人公としたスピンオフをローファンタジーでやろうか真剣に悩んでいます。
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