本当の戦い 8
お待たせしております。
俺はレン国での旅の途中、いくつかの都で呪符を手に入れていた。魔導具と違い、魔石を必要としないのにそれに近い効果を発揮する謎のアイテムの存在は、俺が見知らぬ異国に来たという事をより実感させてくれた。
符の存在はあちら側でも眉唾な怪しい存在だった。俺は3つの都で合計10軒以上の専門店に立ち寄ったが、どこの店も偽物を本物と信じており、投売りされていた本物を買い求めた俺を馬鹿を見る目つきで見ていたことを覚えている。
あっちでは玄人好みする芸術品の扱いのようであり、ほんの僅かな魔力を通せば効果を発揮するなどとは全く思っていなかった。
結果として旅の途中で15枚の符を手に入れた。その効果は全て所有者を守護するものであり、仲間たちの手に渡っていざという時の護りとして使ってもらっている。
そして残った数枚をセシリア講師に渡して符そのものをこちらの流儀で研究してもらっていたのだ。
「解析そのものは殆ど終わっています。ですけど、ユウキさん。貴方あの品をどちらで手に入れたのですか? あのようなもの、聞いた事がありません。あの一枚でこちらの常識が全てひっくり返ってしまうほどの価値がありますよ」
まあそりゃそうだ。魔石無しで動く魔導具みたいなものだからな。攻撃には使えないが、暗殺者の刃程度ならいくらでも弾き返せる強度を持っているのだ。これを欲しがる王侯貴族は多いだろう。
「旅の途中で、としか言いようがないな。その価値ももちろん理解している、だから貴方に現物を渡して色々調べてもらっているんだ。で、こいつはどんな理屈で動いているんだ?」
俺は女主人が淹れてくれた紅茶を口に含みながら尋ねた。講師はここ最近の研究対象のことになると眠気も吹き飛ぶらしく、明瞭な口調で説明を始めた。
「大雑把に説明すると、ここに描かれている文字のようなものがこちらでいう魔法陣の役割をしているようですね。詳細は追って説明しますが、小規模な携帯型魔法陣装置と言って良いかと」
そう言って講師は肌身離さず持ち歩いている符を取り出し、俺に見せてきた。
「解析した所、この文様とそれを描く塗料が一番重要なようです。ユウキさんから許可をもらって色々と試してみましたが、僅かでも文様が破損すると符としての効果が失われます。紙ではなく木片に描かれているのも素材の頑丈さを重視しているからだと思います。もちろん紙が高価である事も理由の一つではあるんでしょうけど」
彼女には3枚の符を貸し出しており、それらを使って解析をお願いしている。そして彼女は既に2枚を壊して構造を把握していた。
この符が貴重な品である事は承知の上だが、中身を知るためには壊してみる事も必要だと彼女に説得されて俺が許可を出した。事実としてそれで多くの事が解明されたので文句はないのだが、解析の後に行われるべき復元に至る行程で大きな問題があり、その解決の為に彼女はこんな感じになっているのだった。
構造を把握したら再現してみたくなるのは人の性だな。
「その、ユウキさんが手に入れた符は、それだけなのでしょうか……」
「これ以上貴方に渡す気にはなれないな。物理的に破壊する機会は二度もあったんだから、そこで試せる事は全てやっておくべきだ。貴方はこの品の価値を理解しているのだから、これが容易く手に入る品だとは思っていないだろう?」
「それは、そうなのですが……やはり大胆な仮説を証明する為には品物に手を入れるほか無いのです」
「自分の目的はおおむね達成されている。貴方に依頼した件は終了という事でもかまわないんだが?」
この品がどういうカラクリで動いているかを調べるのが目的だった。なので講師が熱心に解析してくれたので俺は満足したんだが、ここから先は俺の思惑ではない。
「そんな! まだ判明していないことや、解明したい事が山ほどあります! 是非とも研究を続けさせて下さい!!」
今の講師は寸暇を惜しんで研究に打ち込んだお陰で見る影も無く憔悴し、見ているこちらが何とかしたくなってくるほどだが、その目だけが異様な精気を迸らせている。
こんな様子で学院の講義やその他の役目を全てすっぽかして日々研究塔に篭もっているという。彼女がここを出るのは僅かな食事の時間のみらしく、そこをソフィアやフィーリアに目撃され心配されていたのだ。
俺もこの光景を目撃するのは初めてではない。レン国に滞在していた頃からすでに取り憑かれたように解析に没頭する彼女を見かねて注意していた。
俺は確かにこの摩訶不思議な品がどういう理屈なのかを知りたいと思っていたが、講師が全てを投げ出してまで調べる謂れはないのだから、程々にしないと符を取り上げると半ば脅すように言い含めていた。
その時は彼女も無理はしないと微笑んで約束してくれたのだが、それは守られなかったようだ。
「俺としてもこちらがお願いした件で貴方がそんなことになっていて心苦しいんだ。俺だけじゃなく皆が心配しているし、このままじゃ家族に俺が責められそうだ。符は返してもらうぞ」
「い、嫌です!」
講師は抵抗し胸元に符を隠そうとしたが、俺と取り合いをして勝てるはずもない。
「あっ、そんなっ!」
彼女が仕舞う前に符の奪取に成功したが……講師はこの世の終わりのような顔をしている。
「これで、何もかもおわり……はじめから無謀な夢だったのね……私が、私の手で……」
講師の瞳から透明な雫がこぼれ落ちると、その流れは堰を切ったように止まることは無かった。
彼女は自分が涙を流している事にさえ気付かず、放心状態だ。
あーあ、くそっ。こんな事になるならセラ先生にでも頼むべきだったか。解析や構造把握は研究者であるセシリア講師のほうが詳しいかと思ったし、学院に出向けなくて不義理をしたから侘び代わりにお願いしてみたのだが、彼女がここまで固執するとは考えていなかった。
いや、考えていなかったというより、俺の行為が彼女の叶うはずなどない夢に一筋の光明を与えてしまったのだ。
セシリア講師の符への熱意は異常を通り越して狂気の類いだった。俺は講師はこういう事に詳しそうだからちょっと調べてもらうか、程度の軽い感じだったのだが、彼女の対応は一月(90日)以上も寝食を忘れて符の調査解析にのめり込んでいる。それはまさに鬼気迫るといった感じで、依頼したこちらが戸惑いを覚えるほどだったが、ユウナが事情を調べてくれて納得した。
その理由は彼女の身の上にある。セシリア講師はこの魔法学院のガイラル学院長のただ一人の孫であり、若くして魔法学に造詣の深い才媛である。
だが彼女は天才の呼び声とは裏腹に非常に冷遇されている。その理由は彼女の両親がとある事件に関わり、売国奴の娘として扱われているからだ。
ユウナが調べてくれたのは、当時はおろかランヌ王国史に間違いなく残る大事件だった。10年ほど前、とある国との通商条約が延長される際にある商会を通じて国家の重要機密がその国に流れたという。その中心として動いていた伯爵家は取り潰され、多くの者が連座刑を受けた。その中に伯爵家と親しかったセリシア講師の両親が含まれていた。
ガイラル学院長がその連座から逃れられたのは、彼以外に学院を纏め上げられる求心力を持った人材の代わりが居なかったからで、講師も学院長の必死のとりなしで自死を免れた。
ちなみにこの件は完全な冤罪だったようだ。その相手国がかなり面倒臭いことになっており、巻き込まれたくなかったこの国は早急な幕引きを図り、その伯爵家が王家の配慮を待つ前に自ら罪を被ってしまったらしい。んな無茶なと聞いた当初は思ったが、その貴族家は王国の藩屏となれるならと喜んで毒を煽ったらしい。壮絶な覚悟だと呆れるか賞賛するか悩むところだが、ここは後者を選ぶべきだろうか。
へえ、そんなことがあったのか、で本来終わる話なのだが、実はここから話は変な方向に転がりだし、なんと俺とも完全に無関係ではなかったりする。
実はその取り潰された伯爵家の遺児がバーニィの想い人であり、公爵令嬢シルヴィアの専属メイドを勤めているアンジェラ嬢である。
俺がこの件が冤罪であると理解したのもそのためだ。もし本当に国を売ったのなら次期女公爵になるシルヴィアの最も近いメイドには絶対に選ばれない。公爵はアンジェラを命よりも大切な孫娘につける事で伯爵家を絶対に見捨てないと政治的な表明をした形だ。アンジェラには二人の弟がおり、両人とも公爵家の騎士団に入っている。全てが落ち着いたら伯爵家を復活させる腹らしい。
そしてその厄介な相手と言うのがギルザード帝国という本当にめんどくさい国家だ。現皇帝は前王を叛乱で殺して国を乗っ取ったが、その後は前王の血族を根絶やしにせんと各国に既に嫁いでいった王族までその首を要求した。当然のこととして各国はそれを拒絶したが、それによって戦争を起こしたりとグラ王国かそれ以上にはた迷惑な国家として名が知られている。
今は周囲に戦争を吹っかけすぎて国力が疲弊し、大人しくなっているが”ギルザードの狂皇”といえば物を知らない田舎者の俺でさえ聞いた事のある名前だ。
そしてこのランヌ王国にも、現国王の第3妃がギルザード”王国”の姫であり、その通商条約絡みの一件も元々はあちらの陰謀だったそうだ。
だが当時のこの国家はそれより前に行った戦争の痛手から全く立ち直れておらず、この上更にギルザードと事を構えるのは避けたかった。だが、ここまで喧嘩を売られ、側妃の命を狙われて黙っているのは国としての沽券に関わると大出血を覚悟で行動を開始しようとした時、例の伯爵の自殺があったようだ。
結局、その側妃も自ら死を選び、ギルザード帝国からの干渉は消えたというか、他の諸国から戦争を仕掛けられこちらへの注意がそれたらしい。
国としてはそこで対応が終わりだが、冤罪で残された人々は売国奴の烙印を押されたままだ。その性質上、名誉回復を声高に叫んでも封殺されるだけだ。
そんな失意の日々を送る彼女の前に、俺が異国の符を持ち込んだのだ。既存の魔導具の常識を覆す全く新しい存在。それを自分が解き明かせたら、彼女の名は永劫に魔術史の中に記録されるだろう。
そしてそれが叶えば、いずれ無実の罪で死を選ばされた両親の名誉回復にも繋がるかもしれない。
そしてまだ彼女の事情を知らなかった俺はセシリア講師に気軽にこう告げてしまった。
この解析で得られた事実は全て講師の功績です、と。
こうして俺が預けた符はただの道具を越え、彼女にとって人生の全てを賭けるに値する品になっていたのだ。
「……」
背後からこの喫茶店の女主人の殺気混じりの視線が突き刺さるのを感じる。
そりゃ今の俺は女を泣かすクズ野郎だから仕方ないが、俺にどうしろというのか。
確かに彼女は救われるべき女性だ。何も咎がないのに不当に低い扱いを受け、それにめげる事無く自分に与えられた機会を生かそうと全てを賭けて努力を重ねている。
だが、このまま彼女が研究を続ければ遠からず倒れるだろう。聞けはこの3日寝ていないという話だし、食事も2日振りだという。
もう俺が無理をするなと約束させても、こんな事情じゃ絶対に無理をするに決まっている。そしてソフィアや雪音はきっと俺に何とかしてあげてくれと言い出すだろう。
ぽろぽろと涙を流すセシリア講師を見ていると、なんだか俺が悪いような気になってきたんだが……一体俺にどうしろというんだ。俺が手伝って解決する問題じゃないし、なにより彼女が一人で功績を残さないと意味がない。性格的に手柄を譲っても受け取らないだろうしな。
ってことは、手は一つしかないか。
こんな事になるなら符を渡すんじゃなかったと思いもするが、時間の問題だったかもしれない。彼女の憂いに満ちた表情を何度も見てきたし、これまでに何度か力になれることがあれば協力すると口にしてきたからだ。
世話になった美人が辛そうにしていたら、手を貸さずにはいられないのが男という生き物なのだから。
「セリシア講師、貴方の研究には何が必要なんだ?」
「えっ、は、はい。やはりまずはあの塗料です。ですが恐らくあれはかなり高位な魔法触媒を粉末にして塗布しているんです。それも今では入手不可能くらいの超高品質な触媒を贅沢に用いています」
だから魔石いらずの魔導具なんでしょうね、と言った段階でセシリア講師はようやく自分が涙を流していた事に気付いたようだ。慌てて涙を拭おうとするが、俺が部屋から無理矢理連れ出してきたので彼女に手荷物はない。
俺は常備しているチーフを差し出した。泣いている女をそのままにしておくほど無神経じゃない。
「で、触媒が必要なのか? 魔法学院に備品としてあるのは使えないのか?」
「あ、あの程度の劣悪な触媒では意味がありません。新品は私程度には回ってきませんし……」
泣くだけ泣いて元気が出たらしい講師の声には張りが戻っている。
「学院長は? こういう時の縁故じゃないのか?」
「祖父にはもう頼れません。その、ちょっと諍いを……」
俺の問いに彼女は言葉を濁した。どうぜ孫を心配した彼と喧嘩でもしたんだろう。
小さく溜息をついた俺は手持ちの中で一番上等なツバメの巣と呼ばれる触媒を取り出した。その他にも高級触媒である魔神の骨やおなじみレイスダストなどを彼女の前に置いてゆく。
「はい? こ、これはまさか……!!」
「これなら使えそうか?」
「まさか、ツバメの巣、なのですか? それにこれは魔神の骨にレ、レイスダスト!? 信じられない、い、一生に一度見れるかどうかの超希少触媒ですよ!」
「そうなのか。ま、それは今はいいって。で、使えそうなのか聞いているんだが」
「も、もちろんです! しかもこれ全部劣化がない新品じゃないですか! ここにある品だけで金貨100枚は下らない価値がありますよ。この店のことといい、底知れない方だと思っていましたが、ユウキさん、貴方はいったい……」
「学院の聴講生だ。それ以上でもそれ以下でもないね。それで、触媒を粉末にして文様を描く訳か」
「あっ、でもこれは頂けません。粉末という事は二度と使えない状態にしてしまいますから。こんな貴重な品を思いつきで破壊してはいけませんし」
今更遠慮する彼女を俺は鼻で笑った。俺の反応を見て講師は口を尖らせるが、意外に可愛い仕草だった。
「貴方が壊した符のほうがもっと貴重だから気にするな。他に必要なものはないのか?」
「これ以上のものをいただくわけにはいきません」
「さっきまで絶望して泣いてた人から言われる気はないね。講師がいつまでもそんな状態だと妹や仲間から結局は俺に話が来る事になるんだ。今更変な遠慮はするな、必要なものを言えって」
「どうしてそこまでしてくれるのですか? ご存知なのでしょう? 私が売国奴の……」
娘と言いかけたセシリア講師の言葉を遮った。
「あんたの身の上に興味はないよ。俺が持ちかけた話だから責任の一端を感じているし、不幸な女が少しでも幸せになろうとしている手助けをするのに理由が必要か?」
実際の所は最後には俺に話が回ってくるのだから早いか遅いかの違いでしかないのだが、俺もそれくらいの空気は読む。
「……貴方が多くの姫君に慕われている理由がわかった気がします。では、遠慮なく言わせてもらいます。塗料を描くペンも専用品が必要だと思います。少なくとも羽ペンで文様を描くのは違うと考えていますから」
「だろうな。筆という筆記具を知っているか?」
レン国で皆が使っていた品を口にする。きっと知らないだろうなと思っていた俺の予想は覆される事になる。
「はい、オウカ帝国で一部使われていると聞いています。ああ、なるほど、筆なら太い線も引けますね」
そうか、稀人が建国に関わったオウカ帝国なら有り得るか。ちょうどいい、何しろ一番偉いやつが毎日遊びに来ているんだ。数本売ってくれないか聞いてみよう。
「数日で用意する。他にはないか? この際だから、必要な物は全部言っておいた方がいい」
「後は粉末を溶く液体でしょうか。ただの水より効果のあるものを使いたいです」
「わかった。俺の手持ちにはダンジョン奥地から湧き出す高レベルの魔力水とマナポーションがある。どちらかなんてけち臭い事は言わんから両方使ってみるといいさ」
もうなんでも持っていけとばかりに言い放った俺にセシリア講師は若干呆れ顔だ。
「本当に、どうしてこんなに良くしてくれるのでしょう。ユウキさんに私がお返しできるものなど何もないのに……」
「この試みが成功するにせよ失敗するにせよ、全てやりつくしたと貴方が確信できないと心残りになるだろう。悔いを残して欲しくないだけだ。必要な品はすぐに用意するから、今あんたがやるべき事はひとつだけだ」
「はい? な、なにかありますでしょうか?」
この期に及んで根本的なことを理解していない彼女に俺は現実を突きつけてやるのだった。
「まずは寝てくれ。すっかり無沙汰の俺が言えた義理ではないがあと2刻(時間)後には魔法学の講義が始まるぞ。貴方は研究者の前に学院の講師であることを忘れるべきではないな」
「おや。どうやら講師は夢の中のようだね」
「あらあら。ユウキ様がセシリア様を介抱なさって下さったのですね。健やかなお顔をされておいでです」
それからしばらくの時間が過ぎ、喫茶店に現れたのは二人の姫君だった。彼女達とはもう結構な付き合いであるので、俺達が溜まり場にしている店の存在はすべて彼女たちも知っているし、俺も招き入れている。
「これは王女殿下、このような場所にようこそお出でくださいました」
店の女主人も既に慣れたものだ。最初の頃は跪こうとしたのを二人が必死で止めたのも今となっては懐かしい思い出である。
彼女達の後ろには双方の護衛が3人ずついるのだが、そこまで広い店ではないのでその時は向かいの店で彼等も一服している。その店も俺が金を出して期間限定で買い取っているから余計な情報は漏れない。
そしてこの二人の他にも今日は予定外の者がやってきていた。
「まあ、兄様。セシリア講師をお連れしてこちらにおいでだったのですね。道理で校舎の中でお見掛けしないと思っていました」
「講師も随分と穏やかな顔でお休みです。ユウキさんが上手く対応して下さったようですね」
「ねえ、ソフィア。授業を抜け出してきて良かったのかしら。今更心配になってきたわ」
普段なら校舎で授業を受けているソフィアと雪音、そしてエスパニア国のルシアーナ姫である。後ろにはメイドのアンナサリナとレナしかいないからルシアーナの護衛は置いてきたらしい。雪音は俺のスキルを<共有>で全て使えるからやろうと思えばルシアーナを連れてこっそり抜け出す芸当は朝飯前だ。
「大丈夫よ、アーナ。この後は長い休憩だし、露見する事はないわ。もし不安なら貴方一人だけで戻ってもいいけど」
「そうして私をのけ者にしてみんなで美味しいものを食べる気でしょう! そうはいかないんだから!」
初めの内は険悪だった二人も、とある事件が起こってからは本音を話せる関係になった。あの事件に関しては未だにソフィアを許してはいないので、俺としては思い出したくもない過去だが、年頃の王女二人にとっては心の垣根を取り払うことに成功したようだった。
「雪音も来るのは珍しいな」
「ユウキさんが戻られて初めての講義ですから。セリシア講師の様子をしっかり見ておかないとと思ったのですが……まもなく時間ですが起きられるのでしょうか」
「この三日まともに寝てないらしから、どうかな。皆だって講義自体は大して興味ないだろ?」
「そうでもございませんわ。お恥ずかしい話ですが、わたくし祖国では魔法学を基礎しか習っておりませんでしたので、毎回新たな学びがありますの。それになにより、わたくしの欠陥は魔法学で明らかになったのですもの」
皆が別のお目当てでここに集まった事は解っている。それを告げたのだが、エリザヴェートは反論した。確かに彼女ともう一人はここの講義で自分の力の使い方を学び直した。それを思えば当然か。
「私も。魔法をこうして使うんだってセシリア講師にはちゃんと教えてもらったから。祖国では誰も教えてくれなかったのに」
自身の強大な魔力を上手く扱えなかったルシアーナも講師の指導で確実に魔法を行使する事が出来るようになった。彼女達の喜びようは見ているこっちが嬉しくなるほどで、貴族社会において魔法がつかえないとどうなるかが端的に窺い知れる。
「僕は喫茶店に来るのが目的だけどね。今日は何がありますか?」
「はい、本日はマドレーヌ、パウンドケーキ、シフォンケーキとご用意しておりますが、先ほどオーナーからアップルパイが焼きあがったとの連絡が……」
「焼きたてのアップルパイ!! それがいいや、シナモンはたっぷりね! 皆はどうするんだい?」
雪音や他の姫たちも異論はないようだが、どうせこれ一つだけで終わるはずもない。結局は全ての品を平らげる事になるのは間違いないだろう。
やはりセリシア講師は目を覚まさなかった。
だが彼女たちは誰の目も気にする事無く会話を楽しむという立場からすれば滅多にできない贅沢を存分に楽しんだようで、誰の顔にも生き生きとした笑顔が見えた。
俺の予定はいささか狂ったが、彼女達に得る物があるのだとしたら、それはそれで良いのではないだろうか。
そして講義時間終了直前になって目覚めたセリシア講師は自分が姫君達を待たせた事に卒倒しかけ、その後で俺に何故起こしてくれなかったのかと文句を言ってきたが、まあこれくらいは大人しく聞いてやるのが男の甲斐性の範疇だろうな。
「おお! ようやっと戻ってきおったな! 待ちかねたぞ」
そして学院での諸々を終えて屋敷に戻った俺を待っていたのは仁王立ちするちびっ子皇帝だった。
「なんだ、今日は早いな」
「うむ、面倒な公務を放り出してきたのだ。ほれほれ、妾に構うのじゃ」
他人様の家に上がりこんで暇だから自分と遊べと言い出す暴君には呆れるほかない。だが普段なら共に庭をかけたり屋敷を走り回っているシャオの姿が見えない。この傍若無人なちびっ子皇帝が新大陸のアードラーさん宅に向かっていないとは思えないが。
「シャオはどこに行っているんだ?」
「シャオは如月と共に寝ておる。友を起こすのは忍びないでな、そのかわりユウキを今日の遊戯の相手に申し付ける。喜ぶが良い、これは末代までの名誉であるぞ」
口調こそ尊大だが、その瞳は不安に揺れている。もし断られたらどうしようと思っているのだろう。
他者からの愛情に飢えている子供への対応を俺は一つしか知らない。
思いっきり甘えさせてやるのだ。
「そいつは恐悦至極の至り。陛下のお相手を全力で勤めさせてもらおう」
ぱっと輝いた彩華の頭を撫でる。すると彩華は周囲に誰もいないことを確認すると、俺に向かって両手を突き出してきた。この格好は妹や娘が良くやってくる、抱き上げて欲しい意思表示だ。
幼くして両親と死に別れている彩華にとってこうやって誰かに抱き上げてもらった経験があるのだろうか? 周囲に居るのは彼女の意見に絶対服従の侍従ばかりだろうし、我儘放題でありながら意外と人見知りのこの彩華が他人にこんな風に強請るのだろうか?
そう思うとこの程度の願いなど容易くかなえてやりたいと思う。おっかなびっくりで待っている綾香を抱き上げると俺の腕の中に収めた。
「おおっ! これがユウキの視界。シャオが自慢するだけの事はあるの」
昼餉は? と問うとまだじゃとの答えが返ってきたのでこの子のために何かこさえるかと思って屋敷の奥に向かうと、そこには精根尽き果てた顔をしたライカの姿があった。
「あ、聖上。いいなあ、師匠に抱き上げてもらってる」
普段決して使わない敬意を欠いた言葉を彩華に向けているライカの精神状態はちょいと不安だ。
そろそろライカの事も本腰を入れて手を貸してやるか。俺の腕の中ではしゃいでいる彩華のもたらした色々な事で結構大変なことになっているようだし、俺のほうもオウカ帝国方面に用事が出来たしな。
「なあライカ。お前の屋敷に筆はあるか? 使わないものがあれば譲って欲しいんだが」
「えっ、はい。それはもちろんありますが、どのようなものをお望みですか?」
俺に声をかけられて再起動したライカの質問に俺は一瞬考え込んだ。
セシリア講師の話では特に指定は無かったが、普通に考えて何の変哲もない筆より魔力が乗りやすい素材、例えばモンスター素材で作られた品のほうがこの場合は良いだろう。
筆の毛の部分はもちろん、軸だってこだわった方がいいに決まってる。魔法陣を描くときもその本人の魔力が乗ると言うのはよく知られた話だ。
「できれば品質が良いほうがいい。金はいくら掛かっても構わんから、何が候補はあるか?」
「えっと。師匠にご満足していただけるような品は……」
俺に適当な品は出せないと思ったライカが言葉につまる中、腕の中の彩華がつまらなそうな声を上げた。
「なんじゃ、ここに世界を統べる皇帝があると言うのに、妾を無視して話をしおってからに。筆じゃと? それなら我が宮殿から好きなものを持って行くが良いではないか。ユウキには世話になっておるからの、それくらいの褒美は取らせるぞ」
「いいのか!? そりゃありがたいが……」
「では決まりじゃな。善は急げじゃ、早速我が帝宮に向かおうではないか。せっかくじゃし色々案内してやろうぞ」
「ライカ、とりあえずお前の屋敷に戻るぞ。まずは色々教えてくれ」
暗にお前の面倒も片付けてやると告げるとライカの瞳に光が戻った。これまでは雲の上の皇帝が自分の屋敷に毎日遊びに来ているという事実に精神が逃避しかけていたが、俺の言葉に顔が輝いている。
「はい、すぐにご案内します!」
こうして俺はなし崩しではあるがオウカ帝国の国土に足を踏み入れることになるのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
作中での事情の件はもう一人関わっていますが、それがでるのは何時になることやら。
次回はオウカ帝国の話を少しだけやろうかと思っています。
もしこの拙作が皆様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になります。




