カザン獣王国 11
お待たせしております。
「その男が予言にある”待ち人”だって言うの? ラナ、折角無事に戻ったのに冗談も程々にしてよ。大体そいつ人間じゃない。獣神のお告げで人間を選ぶなんて事ありえないわよ」
「ソウカちゃん、その話は後でもいいでしょう? 今はラナちゃんの体の事を優先しないと」
ソウカと呼ばれた犬の獣人のお嬢さんが俺に噛み付いてくるが、隣にいたフランという狐の獣人のお嬢さんが取り成してくれたが、一体何の話なんだ?
お前は何を言い出したんだと腕に抱えるラナの顔を見るが、彼女はソウカの言葉に納得が言っていないのか不満顔である。
「ソウカちゃん! 男子禁制の結界が張ってあるこの修業場に何の問題もなく足を踏み入れられる事こそが既に獣神に遣わされた”待ち人”の何よりの証だと思います。それにこの人が旧大陸で成し遂げてきた様々な偉業を聞けば、ソウカちゃんもきっと納得するはずです!」
ラナは意外さを覚えるほど熱弁している。そういえばさっきこの洞窟、いやダンジョンに入ったとき非常に驚いていたが、その事を考えていたのだろうが。俺は多分<罠抜け>で回避しただけだと思う。このスキルは罠を回避するというより罠の発動自体をさせない事を主眼に置いたスキルである。
だが、罠抜けするには非常に慎重に進む必要があり、ダンジョン攻略中は常に全速力で走り回っている俺にはほとんど意味のないスキルと化している。そして例の29層の転移罠は<罠抜け>という次元の話ではない。起動している罠に突っ込んでゆくようなものなので、もちろん意味がなかった。
「ラナ。その話は初耳だが、そちらのお嬢さんの言う通り、今はどうでもいいだろう。君の問題を片付けようぜ。ここまで来れば勝手に身体に戻れるのか?」
「どうでもよくないです! ”待ち人”は私達に救いをもたらすと言われる神殿でも最も敬われる尊い存在なんです。私達の教えは待ち人をお迎えするために存在するといっても過言じゃありません!」
「ラナ、だからそれが人間じゃまずいって話をしているんだけど!」
「教えには”待ち人”の種族に記述はありませんでした。それに”待ち人”に大事なのは資格より何を成し遂げたかじゃないですか!」
「それはあくまで建前よ。獣王国の最大神殿として相応しい人材でなくてはいけないわ。何より、”待ち人”は神殿はおろか、国の顔になるのよ? 人間じゃ纏まるものも纏まらないわよ」
ラナとソウカと呼ばれた少女の議論は俺の言葉に耳を貸すことなく加熱する一方だ。どうしたものかとため息をついていると、ふと不穏な気配がした。
「ラナちゃん? ソウカちゃん? 話は後にしましょう? ね?」
「「はい、わかりました!」」
最後の”ね?”はなかなか怖かった。フランの怒りの気配に震え上がった二人は背筋を伸ばして従う。どうもこの面子で頭を張っているのは一番のんびりして見えるフランらしい。
なかなか面白い三人だ。聞けばラナの巫女就任に併せて同時に大神官と神官長も交代したらしい。この三人で次代の神殿を作って行く意思表示を内外に示したわけだ。もちろん経験不足は否めないので前任の神官長たちが補佐に回っているとか。
これはただ単に神殿の若返りを図ったわけではなく、年々増してくる王宮からの干渉に対抗すべく高位貴族の3人を重職にあてて貴族からの助力を得ようとする動きであるとラナ本人から聞いている。
だが、この動きがあること自体が、敵の強大さを物語っている何よりの証左である。ラコンの相手は国全体をその手に納めようと画策しているようだ。俺も彼等の側に立っていなければ中々の野心家だなぁと、評価していただろう。
さて、ラナはフランによって預けられ、彼女たちはこの洞窟の奥にある部屋に向かった。
俺は当然ながら通路のそばで待ちぼうけだが、女しかいない部屋に望んで入っても居心地が悪いだけだ。あとはラナの本来の肉体に近付けば大丈夫だと本人が言っていたから、俺に何か出来ることはない。
強いて言えば、覗き見野郎を燻り出すくらいか。やることもないし、暇つぶし位にはなるかな?
「出てこい。居るのは解ってるんだ」
俺の言葉に返答はない。端から見れば俺が独り言を喋っているようにしか見えない滑稽な姿だが、何者かが潜んでいるのは解っている。
<マップ>に表示されないから<陰行>持ちな事は確かだが、こちとらその対策に温度を可視化するスキルを持っている。新大陸もこの時期はまだ肌寒い気温の中、とある場所に人肌程度の気温の場所があるとくればもう決まりだろう。
この俺から逃げ隠れすることなどできはしない。
「警告はしたぞ」
俺は懐に忍ばせていた拳大の石を手首の動きだけで投擲する。有り余るステータスを遺憾無く発揮されたその石は音もなく飛翔し、その何者かに着弾する寸前、突如砕け散った。
こいつ、やるな。
俺は相手の評価を数段階上に改めると、黒装束を身に纏ったソイツはゆらりと蠢いた。位置がばれたとあって隠れるのは止めたらしい。
「仕事の邪魔をするのは何者か」
性別の判断しにくい無機質な声が響く。その動きは暗い洞窟の中とその装束相まって非常に掴みづらい。
「神殿の秘密の場所に怪しいやつが潜んでたら気になるだろうが。お前はどっち側だ? 俺の勘違いだと悪いからな、最初に聞いておくぜ」
だが俺の問いに対する返答は濃密な殺気だった。もしラナ達の味方なら彼女を連れてきた俺に対してここまでの敵意は見せないだろう。
こりゃ敵だな、だが考えてみれば目端の利く敵がラナの身柄という最大の取引材料を見逃すはずがないか。こいつは身柄の監視役といったところか?
「我の姿を見られたからには、生かしてはおけぬ。怨みはないが、死んでもらうぞ」
また即断即決だな。見られたから即殺害に走るとは。
剣呑な気配を出し始めた敵に対し、俺は欠伸を噛み殺すのに忙しかった。何しろほぼ徹夜で港の浚渫を行い、日が上ってからはいつもの日課をこなすべくウィスカのダンジョンに行っていたのだ。最近はいろいろとあって環境層も気楽に回収とはいかなくなったので、出来るときには欠かさず向かうことにしている。
「この餓鬼が、随分と舐めてくれるな!」
俺の姿を見て子供と侮ったか、敵は殺気を研ぎ澄まして戦闘態勢に入っている。
先程評価を高めたように、こいつはなかなか恐るべき敵だろう。不意を突かれたら……えーと、掠り傷位はつくかもしれない。たぶん。そもそも暗殺者にしては喋りすぎだが。
それくらい”一般的に”強い相手であったが、逆にそれだけでしかない。
何故ならこいつはすぐ近くに来ている己の死に気付いていない。
「ユウナ、好きにしていいぞ」
敵のすぐ背後に俺の従者が刃を抜いて佇んでいることにも気付けない程度のそこそこの強さだった。
「なにっ!?」
背後を取られた事に気づいた敵が慌てて距離を取ろうとするが、それを許すほどユウナは甘くない。容易く組み付いて俺が与えた魔剣、アイスファルシオンを首筋に押し当てた。
「その姿、貴女は"深影"ですね」
「そういうお前は、その獲物からして”氷牙”か? くそ、現役に復帰したと聞いていたが、新大陸に来ていたとはな。殺せ、私は命乞いなどせぬ」
その言葉を耳にしたユウナは何を思ったか組伏せていた深影とやらを解放した。これには深影本人も戸惑いを隠せない。
「これは一体何のつもりだ」
「気が変わりました。貴女は中々の使えそうなので私の手駒として活用させていただきます。その為にも一度真正面から身の程を教えておこうかと」
そう言い放ったユウナは一度だけこちらに視線を向けてきた。
「俺は既に君に任せている。好きなようにしろ」
<念話>でそうユウナに伝えるが、言われた深影は当然だがその矜恃をいたく傷付けられたようだ。
「戯れ言を! 先程は不覚を取ったが、スカウトが本業の貴様と本職アサシンである私とでは隔絶した力の差があることを教えてやる!」
激昂したかように振る舞う深影だが、その意識はいまのやり取りの中でもこちらにきちんと注がれている。ユウナが手駒に欲しいと言うだけの技量はあるようだ。
「そうですね、かつての私では成す術もなく倒されていたでしょう。ですが、相手の力量を正確に推し量る力は今ひとつなようですね。まずはそこから叩き込んでいくとしますか」
「何を……がはっ!!」
訝しげな声をあげた次の瞬間には深影は猛烈な勢いで洞窟の壁に叩きつけられていた。立ち上がる暇さえ与えずにユウナは両手両足を砕き、相手の戦意を一欠片も残さず打ち砕いて行く。
我が従者ながら、なかなかえげつない遣り方をする。相手の心を砕く、慈悲のないやりかたである。
「ユウキ樣の見事な手際には到底及びません。拙い技量でお目汚しを致しております」
まるで俺のやり方を参考にしたかのような言い草だ。おれはもっと、こうなんだ、優しげな気がするぞ。女には手加減するし。
「同性に対する扱いは我が主の美徳でもあり、僭越ながら欠点でもございます。その点は私が対応いたしますのでこ安心ください」
<念話>で会話しながら、ユウナはもと名うての暗殺者を残骸にして行く。
元から優れたスカウトだったが、俺の従者となることで各種スキルを<共有>したことにより彼女の強さは異次元の領域に至っている。
俺と<共有>した仲間や従者のなかでも、製薬に楽しみを見いだして邁進しているレイアや自衛の範疇で鍛えている雪音や如月とは違い、鍛練を重ねているユウナは飛び抜けた強さを誇っていると言ってよい。
だが実際は魔族の戦士階級であるレイアの底知れなさは未知数なので戦えば自力に勝る彼女の方が勝つ気はするが。
そんな呑気なことを考えているうちに両者の格付けは終わったようだ。ユウナは息も絶え絶えだった深影にポーションをかけてやり、激痛からの瞬間的な快癒を受けて解脱状態にある彼女に処理を施してゆく。
ユウナも無理矢理力だけで曲者達を従えられると思うほど能天気な頭はしていない。
いや、もっと酷いか。彼女はその手で倒した見込みのある奴を<洗脳>して己の手駒としているのだ。
「いえ、命のやり取りを経て勝者の権利として行っています。不服なら舌を噛み切って自害すればいいのです。殺し合いの勝者には敗者の全てが与えられるものです」
<洗脳>受けて虚ろな顔をしている深影とやらだが、始末する前提で使い捨てる俺は意思も奪ってただの人形とする。だがユウナは世界各地でこのような忠実な手駒を得るのが目的なので、<洗脳>といえどあくまで軽い認識の変化くらいに留めている。自由意志を持ち明晰な頭脳と確かな実力を持ちながらも、俺達の事を第一に考え情報を提供する存在に作り変えるのだという。
前に一度そんな事をする必要があるのかと軽い気持ちで尋ねたのだが、実は原因は俺のようなのだ。
もちろん彼女は口にしないが、どうも俺があまりに無茶振りを重ねすぎたようで、個人で行える限界を越えたユウナは自分の思い通りになる組織を欲しがったそうだ。
それもこれもユウナが有能すぎるのが悪いのだ。とりあえずこれやっといてと命令すると直ちに実行してくれるのでついあれもこれもと頼んでしまう。嫌なら嫌だと言えと伝えてはあるのだが、これぞ従者の勤めと嫌な顔一つせずにやってくれるので俺もつい甘えていた。
もう一人の従者であるレイアだが、あれはなんちゃって従者だから別枠だ。立ち振る舞いを見ても従者というより騎士のようだし、アレは従者という役割を演じて楽しんでいるだけだ。
そういうわけでユウナの負担は増えていた。前につけたハクは暗殺者としての技能はあってもスカウトとしての能力は低く、ユウナが仕事を任せる水準ではなく未だ修行中だ。
そんなこんなでユウナを頂点とする諜報組織が今ここに生まれつつあるというわけだ。
「で、誰の差し金だよ?」
既に興味もなかったが暇なので依頼者を聞いてみると、シンバ内務卿以外の名前が出た。
「何者でしょうか? 申し訳ありません、すぐに調べます」
先程転移環で新大陸に到着したばかりのユウナが事情に詳しいはずもない。彼女なら前もって仕入れていてもおかしくはないが、頼んでいた別件にかかりきりだったようだ。だが、俺は今”深影”が口にした人物の心当たりがあった。
「内務卿と同心している部族長の一人の名だ。規模としては中堅といったところだな」
現在、明確なラコンの敵として解っているのはシンバ内務卿だが、彼はいくつかの有力部族と結託して王宮内で最大勢力となっている。今出た名前の部族はその内の一つで、内務卿とは別に独自で動いているようだ。
「ラコン公子の敵は数が多いようですね」
「ああ、生き方も生活様式も異なる獣人達がラコンの敵という点だけは結託している。普段なら絶対に纏まらないような連中らしいぜ」
「そのような者達を纏めるに足る理由、それは……」
ユウナが言葉を濁したが、敵の最大の目的についてはラコン本人も薄々見当がついていたようだ。
「ああ、敵の最終目標は三王家からのラビラ族の追放だろうってさ。そしてあわよくば自分達がその後釜に、って寸法らしい」
かつて触れたが、この獣王国の王政は三王家と呼ばれる3つの種族から選ばれる決まりになっている。
現在の王がレオン族、前王にしてラコンたちの父親がラビラ族、最後の一つがイグル族だそうだ。
この規則が作られたのは獣王国黎明期で、建国に当たって抜きん出た功績を立てた三つの種族が選ばれたとされるが、他の種族からすれば始めから王様の芽がないというのは当然面白くない話だ。
勇猛をもって知られるレオン族、空の王者として比類なきイグル族に比べ、ラビラ族は最近いまいちパッとしない種族と思われている。
彼等をここで擁護するならば、ラビラ族の真骨頂はその膨大な魔力から繰り出される大魔法で、建国というか、バリバリ戦争やってた頃ならば彼等の殲滅力は多種族とは比較にならない戦果を上げたことだろうから、三王家筆頭とまで呼ばれた活躍があったのも頷ける。
今のラコンの魔力は俺が少し手ほどきをした事もあって出会った頃の倍以上に膨れ上がっているし、新大陸は今も戦国時代真っ最中で、中央部(これはどう評したものか。彼等にとって大陸中央でも、あの大山脈を越えてきた俺にとってはまだ東の端っこだ)なんかは今もキナ臭く、小競り合いなどは日常茶飯事らしいから、もし戦争にでも成ればラコンも大活躍できるだろう。
だが長らく新大陸の玄関口として栄えた獣王国は平穏な時間が続いている。闘技大会などが週に一度は行われるようなこの国では多種族は大活躍できるが、魔法が得意なラビラ族が円形闘技場で活躍は難しい。そんなこんなで俺達のほうが三王家に相応しいと蠢き出したのが今回の真相だ。
「なかなか難儀な状況ですね。ユウキ様がそのお力で解決できる話でもないようですし」
「ああ、結局はラコンが頑張る他ない話なのさ。乞われれば手助けくらいはしてやるが、根本的にラコンが自分の力を証明して雑音を黙らせる必要があるんだ」
だからこれまでは獣王国の力の象徴だったアードラーさんを後見にして影響力を保持してきたようだが、強大になった敵は搦め手でラコンの足元を揺さぶってきたというわけだ。
「今のは暇つぶしにはなったが……長いな。こりゃ何かあったか?」
「そうですね。ここはダンジョンなので<マップ>が働かないので状況を窺い知る事はできませんが」
結構待ったが、未だラナがこちらに向かう気配はない。ユウナはまだ上手く使えないようだが、魔力探査をしてラナ達3人が一番奥の部屋に篭もったまま動いていないのは解る。
「そういえばこの洞窟ダンジョンだったな。ユウナはこんな何もないダンジョンの話って聞いた事はあるか?」
配下にした深影に指示を出していたユウナは、俺の問いに難しい顔をした。
「ダンジョンとはモンスターが出現し、最深層にコアがあると相場が決まっています。しかしこのような何も無いダンジョンがあるなどとは寡聞にして存じ上げません」
「やっぱりおかしいよな。よし、暇だしここは本格的に調べてみるか」
ダンジョンで行うような精密な<魔力探査>を奥に向かって行った。入口にも向けると親衛隊員に気付かれるのでそこは気をつける。ユウナも彼等に気付かれずにやって来たが、彼女なら当然だ。
「あ、奥だな。今ラナたちがいる最奥の小部屋に何かある」
「恐らくそこがダンジョンの入口ではないでしょうか。一層全てが安全地帯のエントランスというダンジョンもいくつかございますので」
なるほどね、色々あるもんだなと感心していると、ようやく扉が開いて、思いつめた顔をしたフランが顔を出した。
「ユウキさん、でしたね。お手数ですが、こちらまでお出で願えませんでしょうか。お願いします、ラナちゃんを助けてください!」
「わかった。案内してくれ」
必死な顔で俺に頭を下げるフランに俺は頷いたのだった。
「あ、ユウキさん……」
ユウナを連れて一番奥の部屋に入った俺が見たのは、途方に暮れた声を出すラナだった。この部屋は先程気になった地下への階段がある場所だが、誰かが張ったのか微弱な<結界>が張られていた。
そして俺の視線の先には薄布の巫女服を纏った本来のラナがいた。セレナさんと良く似た可愛らしいお嬢さんだ。娘は父親に似るというがアードラーさんに似なくて良かった良かった……などと言っている場合じゃなさそうだ。
「状況から察するに、体に戻れないってところか?」
「はい。王都についたときに自分の体を辿れなかったから、そんな気はしていたのですが、どうやら時間切れだったみたいです……どうしよう」
「あ、あんた待ち人なんでしょう!? ラ、ラナを助けてよ! この子何も悪い事してないのに、何でこんな目に遭わないといけないのよ!」
涙声で俺に突っかかるソウカをまずは落ち着かせた。背後のユウナが彼女の態度に殺気を滲ませたが、親友が命の危機なのだ、それを咎めるつもりはない。
「まずは詳しい状況を聞かせろ。そして落ち着け、一番つらいのはラナなんだぜ」
「そ、それは解ってるわよ。でも状況なんて言われても、私達はラナの魂が戻れば全部上手く行くと信じていたのに……」
ソウカも未だ混乱から立ち直っていないようだ。俺はこの中でまだ理性的であるフランに視線を向けた。
「神殿の教義に触れるかもしれんが、ラナの為だ。詳しく教えてくれ。そもそもラナがこんな状況になったのは儀式の最中に邪魔が入ったからだと聞いてるが?」
「はい。獣神殿の歴史の中でも3回しか行われた事のない”神降ろし”の秘儀を行っている最中に無頼の襲撃を受けました」
「神降ろしねぇ。そりゃまたとんでもない事をやったもんだな」
「本来ならもっと安全な”声聞き”だったんです。それが王宮から横槍が入って”神降ろし”をすることに。ええ、わかっています、全て仕組まれた事は。ですがあの時の私達は儀式を成功させるしか道が無かったのです。そして儀式そのものは殆ど成功していました。そのためにラナちゃんはそんな姿に……」
背後からぬいぐるみを抱き締めたフランの肩は小さく震えていた。
「フランちゃん。これは私が未熟だっただけのことだから」
「極度の集中をしている最中に扉を蹴破られたらどんな聖者も慌てふためきます。貴方の未熟ではありません」
涙を流しているフランをソウカを眺めながら俺は頭の中で状況の整理を行っていたが、気になる事が一つあった。
「なあ、その”神降ろし”って奴だが、聞いた話と結果から察するに、その儀式はもしかして獣神を?」
「ええ、その身に大いなる獣神を御呼びする神殿最高の秘儀です。最高難度の秘儀をラナちゃんは殆ど成功させていたのに、不埒者のせいで……」
「つまり、その儀式はラナの体に神を下ろす事が目的と。要は自分の魂を出して神を受け入れるんだな? で、ほぼ成功していたそれが最後に失敗してラナの魂がぬいぐるみへと移動したとそういう訳か?」
「この子はラナちゃんと一緒に神殿に来た一番古いお友達だそうです。気持ちを落ち着かせるために側に置いていたのが、幸いしたのか不幸だったのか……」
そうして動くぬいぐるみが誕生したというわけか。初めて会ったときには度肝を抜かれたが、理由を思えば凄いとは軽々しく言えなくなるな。
「それで、ここで皆が途方に暮れているって事は、他の対処法は解らないのか? ああ、滅多にやらない儀式なんだっけ?」
「はい。難易度はもちろん準備にも大変手間暇がかかるので、私達も過去の文献をひっくり返して準備に邁進しましたが、こんな状況が起こるなんて記載は当然ありませんでした。一縷の望みがラナちゃんが帰ってくれば勝手に戻ってくれる事だったのですが、もう何をすればいいのか」
フランも縋るような視線を俺に向けてくるが、俺に出来ることなんてあるのか? 困った時の仲間頼みだが、異世界にだって魂がどうこうする方法なんて無いだろう。むしろ科学が発展して魔法がない世界なんだ、門外漢だろう。
イリシャも未来視も無理だろうな。今の今まで何も言ってこなかったし、ラナの危機に妹が何も言ってこないと言う事は視えてないのだろう。未来視は自分に関する事はよく視るが、それ以外の事はあんまりらしい。
奥の手であるリリィに尋ねる方法もある。彼女は何でも知っているが、調べるのに非常に時間がかかる。10日はかかるとみていいだろうし、ラナにそんな時間が残っているとは思えない。
背後のユウナは俺なら何とかしてくれると言わんばかりの顔をしていが……俺が咄嗟に思いつける事なんて一つしかない。
「儀式が原因で魂が抜けたって言うのなら、もう一度儀式を行ってみるしかないんじゃないか?」
俺の提案に当然二人は反発した。これくらい彼女達も考えただろうしな。
「簡単に言わないでよ! ”神降ろし”は神殿の最秘奥なのよ!? 神殿が総出で行った準備だけでも半月はかかった大事業をもう一度なんて出来るわけがないじゃない!」
ソウカが眦をつり上げるが、他に方法があるとでも言うのか。
「細部まで再現しろって訳じゃないんだ。必要な場所だけ抜き出して同じ状況を作る。少なくとも俺はそれしか思いつかないな。手は貸してやるから、何が必要なんだ?」
「無茶よ! ラナにこれ以上負担を……」
抗弁するソウカを押し留めたのはフランだった。彼女の顔には決死の覚悟が見えた。
「わかりました。まずは外に控えている見習い三人にも協力を仰ぎます。あの子達は普段からラナちゃんのお世話をしていましたので事情も把握しています」
「フラン! 貴方自分が何を言っているのか解っているの!?」
「ソウカちゃん。ここで何もせず手をこまねいていてもラナちゃんは消えてしまうの。もうここに至ってはやるかやらないかじゃない、やるしかないのよ。少なくとも私はラナちゃんをこのまま見殺しになんてできない」
「それは私だって同じよ、でも”神降ろし”をもう一度なんて! 神殿に戻って急いで準備しても」
「いえ、儀式はここで行うわ。幸か不幸か、ここは神殿の秘蹟。聖域という一番必要な物がここにあるわ」
ここダンジョンなんだが……という俺の突込みを口にする空気ではないので黙っておく。
「それでも資材が足りなさ過ぎるわよ! 最低限の準備として増幅器や聖樹、聖印や香油も用意しないと」
そのときフランが俺を見た。この目は、俺に期待している目だな。
「ユウキさんの事は先程ラナちゃんから伺いました。ご協力をお願いできますか?」
「手伝うって言っただろ? 時間も押してるんだ、必要なものを言えって」
「随分と気楽に言ってくれるわね! 増幅器代わりの魔石は4等級が必要なのよ? それでも足りなくて天体の動きや方角まで念入りに計算したんだから。それらを一切考慮に入れないとなると3等級の魔石が要るわ。そんなの用意できっこないでしょ?」
「これでいいか? 出力が足りないならこれを六芒に配置しろ。それで必要十分なはずだ」
「うそ、この輝き、まさか本物なの……って、他にも足りないものばかりだわ。ここにフランが聖域化の術式を施したけど、全然足りない。もっと強力な護りが必要よ。魔導具か何かで結界を晴れる者が必要よ」
「この部屋に非可視型の<結界>を張った。強度はこれで大丈夫か?」
「えっ、なにこれ? 本当に見えない壁が!? これがスキルの<結界>という奴なのね。まだよ、まだ必要なものが沢山!」
その後もソウカの指示に従ってラナの体をマナポーションで満たした浴槽に浸したり、最上級の香油を用意させられたりといろいろあったが、なんとか必要なものを揃える事ができた。
途中からソウカの声音に呆れが混ざり始めた気がするのは気のせいだろうか?
「<アイテムボックス>もちと卑怯にもほどがあるわね。儀式に必要なアイテムはほとんど揃っちゃったじゃない。フラン、さては貴方、この男の事知ってたわね?」
「ソウカちゃんも少しは情報を仕入れたほうがいいですね。ラナちゃんや総戦士長を救出した冒険者の事は界隈じゃ有名ですよ。その実力の一端を間近に見れて光栄です、まさに嵐のようですね」
「フランは気を抜き過ぎよ。前回は日取りも時間も最高のタイミングで行えたけど、今回は何もかもぶっつけ本番なのよ。むしろ成功率は大分下がっているわ。それに補助してくれる神官たちも不在なんだから、これは確率で言えば奇跡を願うようなものよ」
「奇跡か」
「そうよ。だからあんたも気を抜かないで。こんな不安定な状況で行う儀式、成功するほうがどうかしてるのよ」
ラナは既に俺を信じているのか、全てを任せる態度に終始しているが、その分ソウカが気を揉んでいる。彼女は先程から奇跡を願って祈りを捧げている。
「悪いが奇跡は願うものじゃない。自らの手で作り出すものだ。さあ、始めようか」
”神降ろし”の儀式は大雑把に言えば巨大なエネルギーを放出して”神”が降りる道を開き、巫女に一時的に宿らせるというものだ。だが、何度でも使える神白石の3等級の魔石を用いて行うだけあって非常に大きな魔力の奔流である。これの維持管理に非常に神経を使うといわれれば納得だ。
手を貸すといったものの、儀式が始まってしまえば俺に出来る事はない。頑張っているのは神官の皆さんだけだ。見習いの三人も祝詞を高らかに歌い上げ、儀式の維持に必死である。
だが始まってすでに数瞬(分)経っているものの、何かが起きたような形跡は見られない。既にフランとソウカの顔には大粒の汗が滴っているというのにだ。
ラナの負担も大きいだろう。あの魔力の奔流の只中に一人でいるのだ。俺なら頼まれれも御免蒙るだろう。何とかしてやりたいが、ここでただ突っ立って見ていることしか出来ないのはなんとも歯がゆい。
しかしなんだな。こう見ているだけだと段々と苛々してくる。年頃のお嬢ちゃん達が必死に儀式をやっているのに呼び出すはずの獣神は一向に来る気配を見せないときた。
あの野郎、何様なんだって神様か。本当に神などという都合のいい存在が実在するのだろうか?
「神といえばロキも一応神の範疇です。普段の様子を見る限り、自身がそのように呼ばれる存在と認識しているかは疑問ですが」
俺の疑念を感じ取った隣のユウナが口を挟んだが、そうか、あの駄犬も一応神だったな。本当かどうか知らんが、もしそんな力があるなら手伝わせよう。
<ロキ、今すぐ来い!>
<お側にまいりますワン>
<念話>を飛ばすと即座に転移してきたロキの様子を見るが、ようやく言いつけが理解できるようになってきたな。今この場にいるこいつは分身体である。本体は何があってもイリシャの側を離れるなときつく言い含めているのだが、それが何度言っても直らず本体がやってきていたのだ。
「そういえばお前も自称は神の端くれだったな? 獣神は知り合いか?」
<はい。顔を知っている程度ですワン>
<さっきから呼んでいるんだが、全然来やしないぞ。呼びつけろ、あるいはお前があのぬいぐるみに入れ。状況は理解しているな?>
<わかりましたワン>
そう返事するや否や疾風のように駆けだしたロキは驚きに目を丸くする見習い達を尻目にぬいぐるみに近づくと一つ遠吠えした。
あいつ何を、と思う前にぬいぐるみの頭をはむっと噛み付くと、そのまま本当の体の方に頭を押し付けた。あれはまるで魂を移動させているようじゃないか。もし俺の予想が当たっているならあいつ芸達者な真似しているな。
そしてロキという謎の闖入者の出現で儀式は台無しになってしまった。そりゃ集中状態なのにいきなり大型の犬が入り込めば儀式どころでははない。もしこれで失敗していたら目も当てられないが、上手くいったように思える。何故なら先程まであったラナの気配がぬいぐるみから消えて体の方に移っているからだ。
これはロキの御手柄だな。あいつもやるときはやるじゃないか。
俺の足元で伏せている殊勲賞のロキの背中を撫でてやる。
「よくやった。褒美に今度ダンジョンの肉狩りを一日中付き合ってやる」
「むっはー! こ、この程度の仕事でこんなご褒美が!」
尻尾を盛大に振って喜びを表現するロキを帰すが、皆の視線がこちらに集まっている。
「い、今の神々しい気配は一体? まさか神話にある神狼なの? 神の獣を従え、救いをもたらす。それが”待ち人”だというのなら、確かに伝承の通りかもしれないわ」
「今の神狼の動きはまるでラナちゃんの事を解っているようでしたけど……」
「ロキさ……まにはお力添えを、頂きました……」
「「ラナ!!」」「「「巫女様!」」」
掠れた声で口を開いたのは、聞き覚えのあるラナの声だった。弱々しい声ではあるが、確かにラナは自分の体から声を発している。儀式は成功したのだ。
「ラナっ! 良かった、本当に良かったぁ。もし貴方がこのまま目を覚まさなかったらどうしようかと」
「もう、心配しましたよラナちゃん。無事に戻ってなによりです」
そうかとフランの二人はもう後は言葉にならなかった。
「ごめんなさい。二人には沢山の迷惑をかけてしまいましたね」
そう告げて身を起こそうとするラナを俺は押し止めた。
「ラナはしばらく安静にしておけ。まだ何があるか解らんからな」
「はい。ユウキさんには何から何までありがとうございます」
「ああ、あとは最後の面倒を片付けるだけだ」
俺の視線の先にはなぜが二足の足でしっかりと立ち上がるぬいぐるみがいた。何者かなどと問う必要はない。何しろ俺達はさっきまで当の本人を呼ぶべく儀式をしていたのだ。
「ま、まさか貴方様は……」
フランの震え声に答えずに、ぬいぐるみからは無機質な声が響いた。
「我が子らよ。ここに予言はなった。心せよ、大いなる啓示は既に起こされた。畏れ、備えるのだ、我が子等よ……」
それだけ告げて獣神らしき謎の声は消え去った。
周囲には嫌になるほどの沈黙が下りる……。
「よし、聞かなかったことにしよう」
「いや、いくらなんでもそれはダメでしょ!」
俺の提案にソウカがつっこんだ。ええ、こんな面倒臭そうな案件、無視するに限るってのに。特に何か指示を受けたわけでもないんだ。自分から首を突っ込むつもりなどない。
「さて、ラナも元通りになった事だし、帰るとしようか。神殿から今迎えが来ているから、それを待って帰還するとしよう」
何か言いたげな周囲の視線を全て無視した俺は、獣王国最後の懸案が片付いた事に安堵するのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
申し訳ない。前回は投稿できませんでした。
年度末やら何やらで時間が取れず水曜日は無理でした。
次で一応獣王国編はエピローグの予定です。
もしこの愚作が皆様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが爆上げします。更新の無限のエネルギーの元になります。一つのブックマークが私のやる気スイッチをぐりぐりと押しまくります。マジです。書きたい、というより書かなきゃ! という気分にさせてくれます。




