カザン獣王国 1
お待たせしております。
カザン獣王国の王都であるラーテルは今この世界で何処よりも活気のある都であろう事は間違いない。
何しろ新大陸の玄関口である港町でありながら獣王国の王都も兼ねているというから驚きなのだが、よくそんな場所を王都にしたなと感心したものだ。だが聞けばなんと彼等の勇名を轟かせた旧大陸への侵攻時、明らかな無茶を押し通す為の一環で内陸にあった王都をこの港町に移転したというから驚きというか呆れるというかそんな感じだ。
だからこそラコンのような幼子が密航という手段を容易に取ることが出来た訳でもあるが、誇りを傷つけられ本気でブチ切れた獣人が何処まで無茶苦茶やるのかという好例として界隈じゃ有名らしい。
だがその甲斐(?)あって今では新旧大陸随一の賑わいを見せる王都である事は疑いのないことだ。
俺達の住む大陸からこちらへ人、物が大量に流れ込んでいる昨今、他の航路がまともに開発されていない現状で唯一の新大陸へ窓口とあって旧大陸のあらゆる国の港からこの王都へ船が殺到しているのだ。
世界一の国家はどこかと道行く人に尋ねれば、多くの者がオウカ帝国や方法はどうあれそれに比肩する勢いで勢力を拡大するグラ王国をあげる人もいるだろう。
だが今現在世界一活気のある場所はどこかと問われれば、事情通の間ではラーテル以外ありえないと口を揃えるだろう。
それを肯定するかのような賑わいが俺の眼前に広がっていた。
「さあ寄った寄った。今朝荷揚げされたばかりの旧大陸からの工芸品だよ! 他じゃ絶対に取り扱ってない自慢の一品だ、お安くしとくよ! 買うなら今のうちさ!!」
「こっちは東国セレイアからやってきた果実だ。多すぎて船に乗り切らなくて残ったやつだが、味はもれなく一級品だぜ。数には限りがあるからここにある分だけしかないぞ! さあ買った買ったぁ!」
「誰かこの麦を買わないか! 訳アリだがこいつを捌かんと帰りの船に乗れないと来た! 値段は応相談だが、こっちは相当勉強するぞ!」
「うわ、凄い人出だ。世界一賑わっていると言われるだけの事はあるね」
「この人ごみ、ちょっと苦手かも。ユウ、中入ってるね」
「人がいっぱい! 人じゃない人もいっぱいいる!」
「世界中の品がここ集まるって謳い文句もあながち嘘じゃなさそうだ。イリシャ、はぐれないようにしろよ」
「うん、わかった」
相棒を懐に引っ込めた俺は大市場の喧騒と活気に驚いている妹の手をしっかりと握った。シャオは如月に肩車されているので勝手に飛び出す事はありえないから安心だ。
「兄様、早速見て回りましょう! ほら、あそこに見えるのは北国にのみ生息する獣の白い毛皮みたいですよ!」
俺のもう片方の手を握っているソフィアが俺を急かす。はしゃいでいるソフィアに促されるように俺達は獣王国の名物である大市場に足を踏み入れるのだった。
「王都ラーテルといえば大市場が名物なのですよ、兄様!」
ソフィアがキラキラした目でそう力説したのは俺が獣王国の一件を先に片付けると宣言したすぐ後だった。彼女はそれだけを告げたのだが、その後の言葉など聞かなくても解っている。
「じゃあ一緒に行くか? お前の目立つ髪も変装すれば誤魔化せるだろうし」
「よろしいのですか!? では是非連れて行ってください!」
俺にそう確認を取っているが、実際は強制のようなものだ。向こう側に長期滞在していた時はソフィアは玲二たちと違いあちらに行けなかった分、大いに不満を募らせていた。何度かしっかり機嫌を取ってはいたが、そのたびに次の機会があればソフィアも連れてゆくと約束していたのでそれを果たす事にしたのだ。
隣国ライカール王国の姫であるソフィアは王族の特徴である艶やかな蒼い髪をしており非常に目立つ。
メイドのレナがその特徴を利用してソフィアの影武者をしていたくらいだが、今では雪音やセリカが経営する”えすて”にて髪色を変える施術もあるそうなので、変装も大分楽になった。
彼等の感覚では王族の証である蒼い髪を隠すなど考えもしないそうだが、そこは王族であることに何の拘りも抱いていないソフィアである。学院の休暇中だけでも髪色を変えることに何の抵抗もないようだ。
俺は護衛であるジュリアやメイド達を見て確認をするが、彼女たちにも不満の色はない。俺がソフィアやジュリアたちに各種守りの魔導具を与えているし、レン国で手に入れた護りの符も数枚持たせている。人込みにまぎれて不届き者がやってきても何の危険もない事を理解しているからだ。
じゃあ皆で明日にでもと話を纏めかけた所で、当然ながら我が娘も手を上げた。
「シャオもいく!」
「ええー。でもシャオは約束を守れない子だからなぁ」
「まもれるもん! シャオもいくったらいく!」
意地悪をするわけではないが、シャオと人込みはとにかく相性が悪い。レン国の商都見物をしているときもそうだったが、ちょっとでも興味を示すものがあるとそこに一直線なのだ。駆け出すなよ、周り見ろよと声をかけ、はーいと元気よく返事はするが、これまで幾度となく迷子になっている実績の持ち主である。
実際は<マップ>もあるので見失う事はないのだが、毎回のように俺達とはぐれ、大泣きしているところを連れ帰り、見つけた玲二や雪音や如月などに抱きついて離れないのが恒例行事となっている。
その姿がなんとも可愛いので俺達も強く叱れないのが悪いと解ってはいるのだが、この前も雪音にしがみついてえぐえぐ泣いているシャオを見ているだけで絆されてしまい、すっかり叱るのを忘れてしまったほどだ。
そういうわけで相当の人出が見込まれる大市場にシャオを連れてゆくのは迷子を放つようなものだ。対策などいくらでも取れるとはいえ、少しはシャオに自分がどれだけ危ない事をしているか解ってほしいが、これは上手く叱れない俺達が悪い面もある。
「じゃあ-シャオは僕と行こうか。ただし、僕の言う事を絶対に守る事。シャオはいい子だからちゃんと守れるね?」
俺の言葉を肯定するように涙目になっていたシャオに如月が助け舟を出している。これがシャオの為にも良くないんだろうなぁ。
「うん! シャオまもれる! きーちゃんだいすき!!」
如月の首に縋りついて笑顔の愛娘を見ていると、不意に部屋の扉が開いて疲れた顔のイリシャとその護衛であるロキが顔を出した。今日の神殿のお勤めは終わったらしい。
「ただいま。兄ちゃんつかれた……」
そういうなり俺の胸に飛び込んでくる妹を抱きとめた。新年の行事は今日で一段落と聞いている。これまで瞑想と称して大いに行事をサボっていたイリシャだが、この三日ほど祭壇の中央で一日中座り続ける事を強いられたため、疲労困憊しているのは知っていた。ロキは伏せて丸くなるだけなので普段どおりである。そもそもこいつは疲れるのかどうかもわからん謎生命体だが。
「お疲れさま。昼間見に行ったぞ。ちゃんと巫女さんやってて偉かったな」
膝の上に乗せて頭を撫でていると、幸せそうな顔をしたまま瞼が落ちそうになっている。
「寝る前にご飯食べておくんだな。それに風呂も入っておかないと」
「ん。それと、さっきの話聞こえた。私も行くから」
今日まで激務だった分、明日からは長い休みだと聞いている。巫女って忙しいんじゃないかと思ってたが、今航海中で獣神の巫女をつとめる現ぬいぐるみのラナ曰く、きちんと能力を発現した巫女は本来行うような修行をする必要がないため、時間は余るそうだ。それを教えてくれた本人は今も多くの厳しい修行を繰り返しているそうである。
そんなわけで相棒とイリシャ、シャオを肩車した如月、それにソフィアとその一行を連れて大市場、バザールを観光しようと相成った。
本当は玲二も来たがったのだが、彼が乗る船の到着は三日後の予定だ。バザールは毎日開かれているので、あいつを連れてまた来ればいい話なので今日は不参加である。
獣王国と聞いて国民の多くが獣人だと予想していたが、意外と人間の姿もある。割合でいえば4割くらいであろうか。王家と王族は獣人だが、獣人至上主義を掲げているわけでもない多民族国家なので人間やエルフらしき姿も僅かであるが見る事ができた。
ここが港に近いバザールである事も手伝っているとは思うから、市街や貴族街に至れば話は変わってくるのかもしれない。
「ねー。きーちゃん! あれなになに?」
如月がシャオを肩車しているのはあの子が不用意に飛び出さないためだが、シャオは彼の髪を引っ張っている。娘よ、彼の将来の為にはそれは止めてやれ。
「わかったわかった。行ってみようか」
「俺はイリシャとソフィアを見てるから、後で合流すればいいだろ。別れるとしようか」
<マップ>と<念話>がある俺達に迷子など縁のない話だ。この大きなバザールを見回るためには固まって動く必要もないので、ソフィアのメイドたちも珍しい異国の品を求めてそれぞれ散ることにする。メイドのアンナサリナたちは鍛えられた専門職なので道に迷う事などありえないが通話石を持たせているので連絡は簡単に取れるから問題はないだろう。
如月に娘を任せた俺は妹二人を連れて買い物を楽しむ事にした。
「まあ、なんて綺麗な毛色なのでしょう。純白とはまさにこの事ですね」
ソフィアが感激しているのは俺も見た事ないような綺麗な毛皮である。この王都は珍しい品の品揃えでも紛れもなく世界一だ。何しろ世界中からの船が新大陸唯一の港であるここに向かってくるのだ。商品の多彩さも他の追随を許さない。玲二が珍しい食材を求めてこのバザールに参加したがったのもそのためである。一日で売り切れる希少な品も数多くあるらしく、掘り出し物を狙う奴は毎日訪れて確認を怠らないという。
「おや、お嬢さんお目が高いね。これはここから遠くはなれた北国で取れた毛皮さ。ここらじゃ滅多にお目にかかれない品だね。ホントなら金貨2枚は取る品だが、お嬢さんの美しさに免じて金貨一枚と大銀貨5枚で手を打とうじゃないか」
大柄なクマの獣人の商人が商売文句をふんだんに使って自分の商品を進めているが、これウサギじゃないよな? ラコンたちの手前、ウサギ関連の毛皮は遠慮したいんだが……そもそも獣人が毛皮を扱う事をどう思っているのだろう。聞きたいが、文化の違いから不用意な発言は血を見ると解っているのでなかなか踏み込めない。俺らが何の気なしに尋ねた事柄が彼等の名誉に関わる可能性は高い。
今の事も同族の毛皮を剝いでいいのかと尋ねれば、構いはしないさと答えるか、俺達を獣扱いしやがるのかとブチ切れてもおかしくはない。ここにアードラーさん達が居れば助言を頼めるのだが、居ない今は不用意な発言は控えるに越した事はない。
「獣人が獣むぐぅ……」
「買った! 随分と安いじゃないか。こんなにしてもらっちゃ悪いぜ」
イリシャが要らん事を言おうとしたので慌てて口を塞ぎつつ、俺は商品を即決で購入する。ここで用いられる金貨は獣王国で正式採用されているもので、俺が見慣れているランヌ王国のものより僅かに小ぶりなものだ。
新大陸唯一の玄関口として多くの国の者が訪れるこのバザールには当然両替商が多く存在する。だがその交換比率はかなり阿漕な歩合であり、けち臭い俺としてはあまり利用したくはない。そのほかに手数料も取ってきやがるので、それが商売とはいえ俺は両替商にあまりよい印象を持っていない。
だがランヌ王国の金貨で買い物は出来ないだろう。出来たとしても両替商以上の歩合で値上げしてくることは間違いない。だから本当ならいくら割が合わなくても両替したほうが無難であるが、俺にはそんな事をしなくても便利な人が身近にいた。
何せこちらにはこれまで獣王国で長いこと生活していたクロイス卿がいるのだ。最高峰のAランク冒険者として活動していた彼は金回りも良かったし、突然の家族の訃報を聞いて旧大陸の船に飛び乗った際も殆ど準備せずに急いで帰ってきたので彼は獣王国の金貨を大量に持っていたからだ。
それを俺の手持ちの金と交換してきた。額にして金貨20枚ほどだが、どんなに長くとも10日ほどしか滞在しない俺にしては十分な活動資金である。
「なに、随分長いこと売れ残った品だからな、こっちも勉強させてもらったぜ」
この毛皮で夜会用の肩掛けを作ったらいいんじゃないか? などとソフィアと話しつつ品物を受け取ると、傍らのイリシャは目の前にある犬の置物に夢中だった。この妹は小物が大好きなのだ。
「店主、その犬もくれ。併せて金貨2枚出す」
手渡された置物に目を輝かせる妹だが、良く見るとロキに少し似ている気がする。そこが気に入ったのかもしれない。
「へえ。そいつはお大尽だな。こっちは有り難いがね」
金貨を手渡しつつ、探るような目を向ける店主に俺はあくまで世間話の体で話を始めた。
「俺達は最近この国に着いたばかりなんだが、何か今この国騒がしくないか? なにかあるのかい?」
「ああ、そのことか。俺達の事情なんだか、国王様が主だった貴族に新年の挨拶に来るように触れを出したのさ。それで国中の偉いさんがここ目掛けて移動中ってわけなんだよ」
「へえ、そりゃ領地が遠い貴族様は毎年大変だ」
「いや、今年が始めてさ。だから皆何か変だなって話し合ってるんだが……」
大柄なクマの商人はその身を屈めて声を顰めた。
「おれたちのような事情通からすれば、事の次第は簡単に想像がつくけどな。お前さんたち旅人には関係ない話なんだが、これはとある方を標的にしたイジメなのさ」
「へえ、そりゃ気になるが、俺等には関係ないしそれ以上は聞かないほうが良さそうだ」
「それが賢明だな。あんたらには迷惑をかけるかも知れないが、後五日もすれば王様が指定した期限は過ぎる。そうなれば落ち着くはずだぜ。もう少しだけ我慢してくんな」
「大丈夫さ。色々解って納得したよ、ありがとう」
ラコンの政治生命を絶つための嫌がらせの内容は市井の屋台の親父さんにも知れ渡っているようだ。こちらが出来る限りの準備を整えたと知って向こうもそれなりの対応をしてきたという事だろう。
ちょいと荒れそうな空気を感じつつ、俺達はバザールでの買い物を楽しむのだった。
皆をアルザスの屋敷に返した後、俺はある場所を目指して足を進めていた。
港から少し離れるとこれまでの喧騒も消え、王都に生きる人々の生活が見えてくる。この辺りになってくるとやはり獣人の比率が高くなり、見かける姿は殆ど獣人ばかりになる。人間の俺が珍しいわけではないと思うが、時折視線を感じながら先へ進む。
そうして見えてきたのは王宮に近い貴族街だ。ここまでくると人気も少なく、見回りの獣人が時折巡回する程度にしか人を見かけることはない。
俺の目的はこの近くの一軒の邸宅なのだが、その屋敷のすぐ近くに<マップ>で反応がある。数人の何者かがたむろしているようだ。
「ん? ありゃなにしてんだ?」
事件の匂いを嗅ぎ付けた俺は足早に目的地へ向かう。するとそこには治安の良い筈の貴族街に不似合いな獣人の男達が屋敷の壁に向かって盛大に落書きをしている光景を目にした。
「また程度の低い事をしてやがるな」
口ではそういうものの、これは地味に効く嫌がらせである。攻撃する本人よりも周囲に与える印象という面において効果は大きい。ここから見える限りではその内容も臆病者やら恥知らずやら、当の本人を目の前にしたら決して吐けないであろう台詞を書き殴っている。
おそらくこんな事がずっと続いているのだろう。これを目の当たりにしたラコンが焦燥に駆られて父と姉を探す為に密航してランヌ王国にやって来たのだと思われる。
そしてそれは敵のお膳立てに見事に乗ってしまった結果でもある。こっちじゃどう言われているのかまだ調べてはいないが、どうせ臆病風に吹かれて逃げたとか散々に噂されているに違いない。
所詮は噂だが、されど噂である。大多数の他人にとってはラコンの人となりなど知らないから間違った虚像に簡単に流されるだろう。あの落書きも悪意はあるにせよ、書かれるだけの事をしたんだと思わせる一助になりかねない。
「まったく、他人様の家の壁はあんたらの落書き帳じゃねえって、親から教わらなかったか?」
「な、何だおめえは!? 関係ない奴は引っ込んでろ!」
溜息をついた俺は背後から落書きをしている連中に近づいた。そいつらは鼠の獣人とでも言えばいいのか、体は小柄だが実にすばしっこそうな印象を受ける。
「無関係っちゃ無関係なんだが、黙って見過ごすほど腐った根性してないんでな。人様んちの壁に落書きしたら駄目だろう? ちゃんと消せよ」
「ちっ、痛い目見ないと理解できない人間のようだな! 覚悟しろよっ」
そう言うや否や相手の一人が前傾姿勢になってこちらに向かってきた。なんだろう、さきほどまでは二足歩行の生き物だったのに、今はちゃんと四足歩行の獣のような態勢になっている。
アードラーさんやその部下達は普通に二足で戦ってえらい強かったのでこの体勢には驚いたが、彼の動きは俺の予想の上を行く素早いものだった。
<へえ、意外と早いじゃん>
<鼠獣人はその素質で言えば最高のスカウトです。小さな体躯に素早い動き、アサシンとしても優れています。旧大陸では全く見かけませんが、その理由は見ての通り特徴的すぎて人の印象に残りやすいからです。これでは隠密行動など取れません>
「なにっ! 馬鹿な、この俺がこんな容易く……」
だがいくら早いとは言っても何の変哲もないただの加速だ。これが腕利きなら加速に強弱をつけて機先を取らせないように絶妙に動くのだが、こいつはただ己の速度に任せるだけなので掴み取るのは簡単だ。
<念話>でユウナと玲二が俺の視界を<共有>して会話するほど余裕だった。
「おら、消せよ! 獣王国の民はこの程度の当たり前の事も知らないのか?」
「や、やめ、うわわあっ」
自分達で落書きした壁を己の毛皮でこすり付けて落とそうとしたのだが、もちろんそれで落ちる筈もなく獣人の毛皮を汚すだけで終わった。
「くそ、お前、ラットを放しやがれ!」
仲間が威勢よく俺に叫ぶが、総じて獣人は相手の実力を把握する術に長けている。俺が桁外れの強者だと解って手出しする気配はなかった。
「おい、落ちねぇぞ。本気で綺麗にする気があるのか?」
「やめてくれぇ!」
俺に毛皮で壁をゴシゴシやられて半泣きの獣人を尻目にこいつらが書いた分の落書きを落とすまで壁にこすり付けてやろうかと思った矢先、鋭い声があたりに響いた。
「あんたたち! そこでなにやってるのよ!!」
「げえっ! ”紅い悪魔”が出やがった」
「お、お助けぇ」
「あ、抜けた、ひぇぇぇぇっ」
俺が声に気を取られて獣人を拘束する手が緩んだ隙に三人は脱兎(鼠だが)の如く逃げ出した。
「おいお前ら、ちゃんと道具は片付けろよ。ったく面倒くせぇな」
そう口に出した俺だが、既に姿も見えなくなるほど全速力で退散した三人の事は既に頭から消え去っていた。
何故なら俺の目の前にはその紅い悪魔とやらが仁王立ちしており、俺の思考回路はとある事実に埋め尽くされていた。
「あんたはあの馬鹿共とは様子が違うようね。見る限り連中を諌めて止めさせていたようだし」
年の頃は、恐らく20を少しすぎたばかり。メリハリのある体つきをしており、特に目立つのはその燃えるような腰までの紅い髪をした健康的な美女。
「ああ、ガキじゃあるまいし他人様の家に落書きをしようとしている馬鹿共に注意したんだが、連中聞く耳を持たなくてな。殴りかかってきたから逆に張り倒して連中の自前の布で拭っていた所だ」
「鼠獣人を手玉に取るなんてなかなかやるじゃない。あんた冒険者なの?」
「あ、ああ。Dランクに上がったばかりだから、まだ初心者だ」
「へえ、見所ありそうじゃない。ったく、とりあえずそれ消すからどいてくれない?」
俺がゴシゴシやったせいで落書きは当然だが消えるどころか塗料が伸ばされただけだ。美女は慣れた手つきで魔法を行使するとあっと言う間に汚れを洗い流してゆく。
その隙に俺は<念話>で仲間に緊急連絡を取る。俺がさっきから感じていた考えを問いかける為だ。
<皆! 見てくれ! 有罪が無罪かを知りたい>
「ま、ざっとこんなもんね。全く懲りない連中よ。何度消しても書きに現れるんだから」
<有罪!><ギルティ!><超有罪><まあ、これは彼が悪いね><紛れもない有罪だな><むしろ死罪相当かと>
仲間の意見も俺と同様だが、ユウナよ。流石に死罪は勘弁してやれ。有罪である事は間違いないが。
「なかなか訳アリっぽいな。俺もこれから数日暇なんだ。手伝える事があるなら相談に乗るぞ」
「あんたが? うーん、事情は何も知らないだろうから問題ないかもしれないけど。ここの家主と話すからその気ならついて来るといいわ」
そう手招きして歩き出す美女を俺は難しい顔をしてついてゆく。
今回の最重要人物にあっさり遭遇できた事は喜ばしいが……どうしたもんかな。
しかしいくらなんでも30後半にたどり着こうかという彼が、未練を残している存在があんな若い美女なんて想像もしていなかったぞ。
俺が聞いたのは彼女と新大陸で出会ったことと、妙にウマが会って共に冒険を繰り返したってことぐらいだが、一体クロイス卿と何歳で出会ったんだよ。女の年齢を聞くのは野暮と思って意識していなかったが、向こうも30近いと勝手に思い込んでいた。
それがこんな若くて美人な姉ちゃんだなんて、俺の仲間も衝撃を通り越して全員有罪判決確定である。こんな超美人をあのおっさんは脈あり状態にしておいて置き手紙だけでランヌ王国へ帰っちまったのか。そりゃバツが悪くもなるわ。
さて、この状況をどうしたもんかな。ラコンたちが到着するまで後2日はある。色々方法を考えてみる事にしようか。
こうして俺は新大陸でも指折りの最上級冒険者”紅眼”のエレーナとこのように知り合うのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
今回の話の肝は、なんとなくお分かりだと思いますがラコンたちではなくこの”紅眼”絡みがメインとなります。
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