日常へ帰る 1
お待たせしております。
「……朝、じゃなさそうだな……」
意識を取り戻した時には既に日は高く上っていた。ようやく休息を得られた頭はまだ睡眠を欲している感じはしたが、どうにも寝すぎた気がする。昨日はもう意識を保つのも一苦労でなんとかアルザスの屋敷に帰りついたことだけは覚えているが、後はうろ覚えだ。
俺の部屋、と言うわけでもない小部屋の窓から差し込む光は既に昼を回っている事を教えてくれた。<時計>によればもう昼の一時を回っている。
「あ。まずい……」
ぼんやりとした記憶だが、今の俺は獣王国に宿を取っているはずだ。夕刻にいきなり訪れ、夕飯も朝飯にも現れずにいたら怪しまれる。怪しんだ主人に部屋の中に入られたら転移環の存在を知られる可能性がある。
一気に覚醒した頭でそう考えた俺はすぐ宿に転移すべく動き出そうとしたが、すぐ近くにユウナの手による書置きがあった。
”宿の方は手を打っておきました。旅の疲れで寝込んでいると言う設定で宿の主人にも心配するなと言ってあります”
さすがユウナだ、万事手抜かりはないようである。危急の問題が片付いてほっとひと息をついた俺は自分が空腹を覚えている事に気づいた。
そういえば移動中は殆ど食事をしていなかった。その最たる理由は食べたら当然その分出す事になり、その手間を惜しんだからだ。
何か腹に入れるかと考えつつ屋敷の食堂に向かう。<アイテムボックス>には様々な食べ物が入ってはいるが、誰かがいるであろうこの屋敷でそんな事をすることもあるまい。
そう思って下に降りた俺だが、屋敷は珍しい事に人っ子一人おらず静まり返っていた。どうやら仕事に行ったレイア以外は王都の店に行っているらしい。後で皆と合流すればいいかと思い、どこか近くの店で腹ごしらえでもするかと俺は屋敷を出た。
「お、オーナーじゃないか。こりゃまた珍しい。今年もよろしくな」
俺が店舗ごと借り切ったオムライス店の店長をしているセディが俺を見つけてそう声をかけてきた。その声で気付いたが、そうだった、もう年明けから数日経っているのだ。
俺にも新年の挨拶を行わなくてはならない人が結構いる。今までそれ所ではなくて忘れていたが、義理を書いては人の世を生きていけないものだ。飯食ったら早いとこ動いておくべきだろう。
「ああ、今年もよろしく。とりあえず何か食わせてくれ。腹が減って死にそうなんだ」
「は? オーナーのトコならレイジもいるし、食い物の苦労はしないだろうに。まあいいさ。冬期休業中は教師陣くらいしか来なくてこっちも暇だからな」
「やり方が変わってから景気はどうだい? 色々と変化があったと思うが……」
俺はセディの店で腹ごしらえをした後、新年の挨拶をすべく他の店にも顔を出すのだった。
「で、どーしてダンジョンに出向いてるかなぁ。まったく油断も隙もない!」
「いや、つい。まあそう怒るなって」
本当はセラ先生に挨拶をするためにウィスカに飛んだはずなのだが、ついフラフラとダンジョンに足が向かい、いつもの周回を行ってしまった。一通り稼いだ後、俺が一体何をと我に帰った瞬間、相棒が転移してきて先ほどの台詞を口にしたと言うわけだ。
「せっかくやっと帰ってきたのに、何で真っ先にダンジョンに吸い寄せられてるの!」
まるで磁力に引き寄せられたかのように足が向いていたが、実際は先生の店に出向くのに手土産の一つもなしってのはまずいなと思い、その足でダンジョンに……
「話の脈絡がおかしいから! お土産探すのにダンジョンに行く必要ないでしょ、もう! これだからユウから目を離しちゃいけないんだよね」
リリィを宥めながら俺はダンジョンを出た。いつもの周回で今日の収入は金貨にして1200枚といったところだ。レン国にいた頃も数日に一度は戻ってこのようにダンジョンに向かっていたので久々というわけではないが、やはりこうしていると戻ってきたという実感が湧いてくる。ダンジョンの30層からの階段の件も解き明かさなくてはいけないし、ラコンたち獣王国の件やクロイス卿の新領地の協力を約束している事を踏まえると結構やる事山積みだな。
日々の張り合いが増えたと思えばいいか。
「先生には昨年より大変なご助力いただきましたにもかかわらず、ご挨拶が遅れ大変失礼いたしました」
「別に構いはしないよ。お前さんがどこにいたのかを知ってる身としちゃね。今年もよろしくさね」
俺は先生の店に上げてもらい、悩んだ末の土産として向こうで人気の果物だった石榴を山盛りにして差し出した。ここじゃ見ない品だし、雪音の<アイテムクリエイト>でも作った事ない品なので土産として何とか格好がついたかと思う。
正直な話、先生への品は毎回面倒極まる。なにしろ旅先で手に入れた不思議なアイテムはとりあえずレイア経由で先生の元へ渡っているのだ。レン国の符にしろ白神石やエルフ国での魔晶石など、めぼしい物は既に献上済みであるので、これといった相応しい品が手元にないのだ。
こちらにはレイアがいるので創造した珍しい品もすぐに渡ってしまうから、驚かせる事もできない。むしろ俺が驚かされてしまう有様だ。
そんなわけで毎回土産に悩むのか先生への訪問だったりする。
「別に催促したわけでもないし、手ぶらでも構やしないよ」
「師匠に対してそれは非礼に当たりますよ」
「わかっちゃいたけど、義理堅い奴さね。とにかくお帰り、長旅だったろう。この果物も見た事のない品だしね」
「おお、これはフニカではないか! 私はこれが好物なのだ。一つくれ!」
俺が先生と話す間に姉弟子と店番をして居たリーナがこちらにやってきて石榴を姉弟子と分けるつもりなのか二つ持ち去った。フニカとは向こうでの呼び名らしい。
「リーナの件も先生の了解を得ずに決めてしまい申し訳ありません。あの時はそれしか手がないと思ったもので」
「それも構わないさ。まさかレキ氏族の娘と縁がつながるとはね。長い時を生きてきて、これほど興味深い事もない。アリアも喜んでいるようだし、リーナが望むならずっとここに居てもいいくらいさね」
リーナが今にも死を選びそうだったので緊急避難的にこちらへ送り込んだが、この様子を見ると事のあらましは既にレイアから先生と姉弟子に伝えられていたようだ。先ほどの彼女も溌剌としていて、あの時の生きる事を諦めた顔は既に消え去っている。
「そういえば、例の薬は順調ですか?」
俺が口にしたのはレン国東部の死の森で手に入れたごく弱い効能を持つ薬草から作ったポーションの事である。ポーションの基本的な使い方である緊急時の治療にはまったく使えないほど弱い効果であるが、体の弱った老人や乳児にも使える水薬として画期的な発明品となった品である。回復魔法など金持ちや貴族しか行えないような額を要求してくるから庶民にも手が届く額で提供する事によって多くの命が救われたと聞いている。
「ああ、なんとかね。渋った薬師ギルドも評判を聞いてやっと重い腰を上げたのさ。あの薬草がこちらでも都合がつけばもっと量が作れるんだが、こればかりはこちらの魔力の濃さでは出来ない相談だからね」
薬師ギルドも相当腐ったギルドである。セラ先生の号令を以って徹底的に叩く準備を整えている最中だが……あ、またやる事が増えてるな。こりゃ一つ一つ潰していかないとだめそうだ。
「先生、連中の始末は何時頃になりそうですか?」
俺の言葉に秘められた剣呑さに気付いた先生は少し声音を変えた。
「例のダブルポーションの根回しが済んでからになるね。恐らく春まではかかるさ、内部の膿を出すのはその後になるよ」
「わかりました」
俺達の会話が一段落したのを見計らって奥の部屋からレイアが顔を出した。
「御目覚めになられたか、我が君よ。イリシャやシャオがいくら呼びかけても目を覚まさなかったのでな、今日は起きられぬかと思っていたよ」
「腹が減って目が覚めたよ。まだ頭は半分寝てるけどな。そうだ先生、レイアから聞いていますか? あの大山脈の頂上に変なものがありましたよ」
「ああ、聞いてるよ。なんでも転移門らしきものがあったそうじゃないか。誰が作ったのか知らないが、また奇怪な場所にこしらえたもんだね」
怖いほど博識な先生が本当にあちら側の世界を知らないのか疑問は残る。リーナの氏族を知っていたことといい、本当は全て解っているのではないかと思うこともある。だがもし知っていたとしてもそれを俺が教えてもらえるとは限らないし、俺もたとえ世界の真実を知ったとして、別に借金が減るわけでも俺の仲間や身内が幸福になるわけでもない。
俺に面倒が降りかからない限り、一銭の得にもならない事は別にどうだってかまわないと言うのが正直な所である。
「世界は謎に満ちているという訳ですね。まあ総じて楽しい休暇でしたよ。エルフの国と冬山登りには難儀しましたが」
そう笑いあって俺は先生の店を辞した。もっとリーナや姉弟子と会話を楽しみたかった所だが、ここに来る前に公爵の予定を伺っており、彼も多数の来客がある中で自分の為に時間を作ってくれたので、それに遅れるわけにはいかなかったのだ。
「じゃあ姉弟子にリーナ、また来るよ。特にリーナはこの世界を色々見て回って自分の生き方を決めるといい。相談には乗るつもりだ」
リーナの母親であるエルフの女王が彼女をどう思っていたのかはまだ伝えられていない。レイアから話してくれてもいいと思うのだが、これは俺の役目か。
だが今はこの世界を希望に満ちた眼差しで見ているリーナに向こう側の事を知らせるのはどうかと思い、時間を置いて話せばいいと思っている。
王都の公爵への挨拶はごく短時間で済んだ。あちらも多忙極まる中で俺の相手をしてくれたし、今の公爵家はクロイス卿へ協力で色々大変なのは解っている。
彼は数日前に新たに賜った領地へ向けて出発した。彼自身周囲が敵だらけの新領地で苦労する事は間違いないのにアードラーさんたちの事を最後まで心配していたという。俺も後で彼の領地に向かう事になるだろうが、まずは順番としてはラコンたちの問題解決に手を貸すつもりである。
公爵邸での用事を終えた俺はその足でリノアの店に向かい、ミリアさんとリノアに挨拶して次に神殿に向かった。新年の神殿は数少ない書き入れ時であり、年明けから数日たった今でも多くの人で賑わっていた。
普段は神秘の薄布で隠されている神殿の最秘奥である巫女が儀式の為にその顔を見せるとあって多くの人が詰め掛けているのだ。
名実共に神殿の顔となった時の巫女で妹のイリシャの顔を一目見ようと連日人が押し寄せていると本人から聞いていたので予想はしていたが、妹がこれほどの人気になっていようとは思いもしなかった。
だが、確かに神々しい巫女服に身を包んで瞑想する妹はその神秘的な銀髪と相まって冒しがたい雰囲気を発している。いつもは俺に寄りかかって可愛い我儘を言う妹とは思えない神聖さだった。
「あ。ユウキさん、新年おめでとうございます」
イリシャの筆頭侍女でもあるコニーが俺を見つけて話しかけてきた。就任当初は色々と人間関係に苦労していたようだが、神殿がかつての賑わいを取り戻すにつれ多くの巫女見習いが新たに入ってきた事により全体的な数が増え、それゆえ古参連中の影響力が減って彼女の権力は完全に固まったらしい。
もちろん今も俺の賄賂は続いており、今もこっそり新しい菓子類を手渡している。これでコニーの後輩はもちろん面倒な先輩たちも上手く手懐けているそうだ。
「いつもいつも本当にありがとうございます。巫女様の事はご存知と思いますが、日が落ちるまではここを離れられません。アイラ様にお会いになりますか?」
コニーには転移環の存在が露見した。というか、俺が向こう側に行っている間にイリシャがものぐさであまりにも神殿に帰らなさすぎて心配したコニーが無断で巫女の部屋に入り、丁度転移したイリシャと鉢合わせしたそうである。転移の瞬間を見たコニーは驚いたが、巫女の超常的な力を普段から見ていた彼女は転移の力もそういうものかと理解したようだ。物分りが良すぎる気もするが、聞けば明らかにイリシャが部屋にいないときがあったので謎が解けたと納得顔だった。それでいいのか?
「忙しいのは解っているから挨拶だけして行くさ。それにしてもイリシャもちゃんと巫女やっているんだな。もっといい加減かと思ってた」
「お兄さんといる巫女様はとても安心しきっていますからそう見える事もあるでしょうが、神殿にいる時はまさに巫女の鑑と言える御方ですよ。アイラ様も太鼓判を押しておられますから」
家じゃ甘えん坊の妹も外じゃそんなもんか。
その後現れたアイラさんに新年の挨拶を終えると、俺は次の目的地へと向かった。
「おお、凄ぇ長蛇の列だな、さすが親分さん、慕われているな」
俺が向かった先はシロマサの親分さんのお屋敷だが、俺と同じ事を考えた街の衆が彼に御目通り願おうと列を成している。その最後尾に並んだ俺だが、一体どれだけ待たされるのか考えるもその心は軽い。
俺が推したシロマサの親分はこれほどまでに街の衆から信頼され、頼りにされているのだ。
自分が褒め称えられるよりも嬉しい光景を目にした俺は気分良く列に並ぶのであった。
「あら、貴方も親分さんにご挨拶に? まだ若いのにしっかりしてるわねぇ」
俺の前に並んでいたオバちゃんが声をかけてきた。
「ええ、親分さんにはお世話になっているもんで。そちらも?」
「こうして下町で商売をやっていられるのも親分さんのご威光があればこそだからねぇ。特に去年までは乱暴者が多くで商売人は皆被害を受けてたもんさ。それが親分さん率いる組織がそいつ等を駆逐してくれたからみんな大喜びさ。まったく親分さんには足向けて寝られないよ」
そう語るオバちゃんの顔は明るかった。これはやはり彼の人柄が為せる業だろう。縁もゆかりもない赤の他人が感謝して挨拶に来てくれるなんて、なかなかあることじゃない。
だがそのお陰で待ちの列が一向に進まないのは難点だな。
だが明るかったそのオバちゃんの顔が突如翳った。彼女の視線を追うと、その原因が見えてきた。
「オラ、道を開けやがれ! 俺らを誰だと思っていやがる。アディンに名を轟かせる雷光団たぁ俺達のことだ!」
後からやって来た派手な連中が列に並んでいる者達を蹴散らして列の横入りをしようとしているのだ。
「ああ、これだから田舎者は嫌だねえ。ここがリーヴだって事をすっかり忘れてお山の大将気取りだよ。でもまあ見ててごらんよ、ほらすぐにあんな偽物とは違う本物の男達がやってきた」
オバちゃんの指し示す先には騒ぎを聞きつけたのか、屋敷の中から数人の男達が現れた。
「おう、田舎モン。ここを何処だと思っていやがる! お前のような”お上りさん”がはしゃぐなら他所でやれや! ご近所さんに迷惑だろうが!」
「なんだと!? せっかくこの俺様達がクロガネに加わってやろうって言ってやってるのになんだその態度は! 舐めてんの……ごがっ!」
お上りさんは最後まで言葉を喋る事ができずに殴り倒された。そのまま頭を掴まれて仲間共々路地裏に消えていくので、そこでじっくり体に言い聞かせるのだろう。
「ほらごらんよ、鮮やかなもんじゃないか! あれが序列4位の喧嘩屋さ。まだ若いのに親分さんからの信頼も厚い期待の星だよ!」
多分このオバちゃんよりもザインの事は知っていると思うが、我が事のように嬉しそうに語る彼女の言葉を遮る気はなかった。
「随分と彼等に詳しいんですね」
俺の言葉に待ってましたと言わんばかりの顔をするオバちゃん。
「いやね、こう見えてアタシは序列5位のジークの母親と知り合いでね、あの二人の事は子供の頃から知っているのさ。一時はウロボロスの連中にいいようにされて見てられなかったけど、今じゃ立派に王都の裏側を守る男になったもんだ。あ、ザインが戻ってきたよ」
列に並ぶ街の衆からの歓声を受けて満更でもない顔をしているザインと目が合った。
あっちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、猛烈な勢いでこちらへ駆けだしてくる。
「なんだい、あんなに急いじまって。ちょいとザイン! 親分さんに御目通りできるのは何時頃になりそうだい?」
「え? あ、ああ、ウルのオバちゃんかよ。今御大は来客中だよ、それが終わればすぐにでも列は動き出すだろうさ」
「兄ちゃん聞いただろう? アタシとザインはこんな感じの仲なのさ。ザインとジークを子供の頃から知ってるのは、今じゃアタシくらいしか……」
得意気に二人との関係を口にしたオバちゃんだが、次に取ったザインの行動に言葉を失う事になる。
ザインにとっていつもの事だが、彼は大慌てでこちらに走り寄るとそのまま深く頭を下げたのだった。
「こりゃあ、頭! 新年おめでとうございやす。親分に御用でございますか? すぐにご用意いたしますんで、どうぞこちらに」
「先に並んでた連中を無視して俺を優先する理由はないだろうが。馬鹿野郎、そっちの方が親分さんに怒られらぁ」
このまま並んで待つつもりの俺だが、俺の前に並んでいるオバちゃんは完全に固まっている。
「ザ、ザイン。この方を頭って。頭って事は、え、あ、あんた。まさか幻の相談役かい?」
「そんな大したもんじゃ……」
何か周囲の視線が俺に向いている気がしたので場をとりなす様に言ったのだがザインが止めの一言を口走った。
「親分は別として俺達の頭は一人しかいねえっての。オバちゃんだって知ってるだろうが、あんたの店の証文を燃やしてくれた人だよ」
「じゃ、じゃああのウロボロスとウカノカを叩き潰したお頭さんかい!? ああ、なんてこった! アタシゃあんたに山ほど礼を言わないといけないんだ!」
「いや、それほどのもんでも……」
俺の声は周囲の野次馬の歓声にかき消された。俺を十重二十重に囲もうとする群衆から逃げるように、俺は前言を撤回してザインの案内でシロマサの親分の屋敷に逃げ込む事になるのだった。
楽しんでいただければ幸いです。
すみません時間がなくてこんな分量で分割になってしまいました。
旅のリザルトは次で行うつもりです。
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