彼女の道 10 領都シンタオ 2
お待たせしております。
軍議は重い空気に包まれていた。
敵の数は一万二千を越えていると追加の情報が届き、一同を落胆させた。こちらの兵力は550程度であるから単純に20倍以上の差があるといえる。俺も<マップ>で確認した総数は12368人である。メイファの視線を受けて俺が頷くと、出席者からは重いため息が漏れた。
だがここに居る者たちは戦力差を恐れているのではない。第一、戦力比はさほど離れていない。こちらは多くが神気使いの歴戦の兵隊であるし、エイセイ率いるフギンの都の荒くれ共も商都での休暇を用いて殊勝にも己を鍛えた者ばかりだという。
弓矢と槍が交錯するこの時代の戦はなんといっても士気が大事だ。徴募されたやる気の無い兵隊など一当てすればすぐに崩れるのは商都での戦いで証明されている。自分達には大義と名誉があり、メイファの為に文字通り死ぬまで戦う気概がある兵士ばかりだ。商都で多くの志願を受けたがセキロたち以外はすべて断っており、その事実がメイファに自分達が本当に頼みとする選ばれた戦力であると言う強烈な自負を彼等に与えており、士気は天を衝かぬばかりに高まっていた。
しかし今になって兵隊にも動揺が見られている。
「物見によれば、領都の民はろくな防具さえ持たずに粗末な武器だけで集められているという。我等の敵ではない、敵ではないが……」
「愚劣な! 本来天軍が守るべき民を盾にするか! シンカイめ、どこまで腐っておるのか!」
ラコウとラカンの兄弟は憤りを隠さない。天軍に誇りを抱いてこれまで生きてきた彼等としては敵の総大将シンカイの手口は到底許せるものではないだろう。
そして彼等の怒りは別の懸念を呼んでいた。
「叔父御は何を為されておるのか! ここまで動かれぬとは、やはり何事かあったと見るべきか。叔父御が領都に健在ならあのような蛮行は決して許さなかったであろうに!」
前任の将軍であったシキョウ将軍は俺が伝え聞いただけでも人格に優れた名将だという。卑劣を越えて愚劣極まるこの手段を決して許可しないと甥である兄弟は断言するが、彼の動向がこれまで全く掴めないのだ。
シキョウ将軍を良く知る金剛兄弟などは商都を陥とした段階でシキョウ将軍から呼応すべく内密の使者が来るだろうと踏んでいたが、今になっても音沙汰はない。
それどころか商都で彼の最新の情報を探らせても一向に出てこないのだ。
ラコウとラカンは彼直々に天都から呼び出しを受け、不本意極まる辺鄙な街の門番をやらされていたが、彼の真意を信じて黙って耐えてきた。
明らかにメイファの助力をすべくシキョウ将軍が配置したはずだが、そこまで状況を把握しておりながらこの現状を座して見ているということは、彼等が想像したとおり、何がが起きていると見るべきなのだろう。
「シキョウの事は気になるが、今は脇においておくべきじゃの。何よりも目の前の大軍を何とかせにゃならん。それもいかにして汚名を着ずに勝つかをじゃな」
今は本来現れもしないリシュウ老師までこの場に来ているほど、緊急事態だった。
「勝つ事自体はなんとかなるでしょう。相手は所詮弱兵、我等とは違い命を懸けてまで踏みとどまる気はないはずです」
エイセイが重い空気を振り払うように打開策を述べた。数で見れば絶望的な差ではあるが、エイセイは戦えば多大な犠牲の上にこちらが勝つ自信があるようだ。
「それは私も同意見だ。だが……」
その先を言い澱んだラカンに、言い難いは新参の自分の役目だと思ったのか、チョウヒが続けた。
「あの民兵以下の徴募された者達ですが、まず間違いなく我等の盾としてすり潰す前提でしょう。こちらの士気の高さと戦力からすれば戦えば勝つでしょうが、数が数です、相応の疲弊は免れません。そして疲れた我々の前に無傷の守備隊が現れることになりますが……最大の問題はそこではありません」
本来言い難い事をいうべき仕事のシアンがチョウヒに目礼をして引き継いだ。
「そうや。一番の問題は徴兵された無辜の民をアタシらが殲滅しないとあかん点や。これまでの殿下の行いは天を正し、民を救うことにあった。そこを前面に押し出して周囲からの評価を得てきたわけやが、ここで彼等を殺してしまうと、大義名分に取り返しのつかない傷がつく。そうなればこの戦いはともかく、次の東部平定が最悪に面倒や。特に各地の軍は絶対に恭順せんわ。”民を守る天帝の妹君”から”血塗られた簒奪者”へ転落という悪い印象もそうやが、周囲の軍閥がこれなら自分も殿下に成り代われると思われかねんのが最悪や。そうなれば延々と続く東部内乱の始まりや。そうなれば既に天帝に反旗を翻しとる北部がつけこんでくるやろ」
嫌な沈黙が軍議を包む。この空気は簡単に伝播する。メイファの方針で軍議は天幕などで遮っておらず、周囲の兵は聞き耳を立てれば聞こえるだろう。悪い話が拡散するのは光速並みであるから、全軍に伝播するのはすぐだ。
「申し上げます!」
せめて徴募された民が自発的に引いてくれればと希望的観測を口にしたシアンだが、続く報告に肩を落とした。
「領都に潜入させた”草”からの報告によりますと、多くの自由民が何らかの脅迫を受けて戦場に立たされているとの事! 戦場での働き如何で家族の安全が保証されると訓告があった模様です」
「まあ、そうでしょうね。下劣ですが有効な手段です。腐った竜人は自由民や奴婢など同じ人だと思っていませんから、肉の盾とすることに抵抗など無いでしょう。ああ、もちろん殿下や皆様のように心ある方もいらっしゃる事は承知していますが」
人質は民兵全員だと手が回らないので部隊をまとめる連中に限っているでしょうが、と続けたチョウヒの一言が全てを表している。俺は気にしてないが、ここでは人間である事で色んな差別を受けた。性根の腐った連中は自由民や奴婢など幾らでも勝手に生えてくると思っているのだろう。
そのことに怒りはするが、これは別にここに限った話ではない。あっち側だって貴族と平民、奴隷の関係性も大して変わらんからな。舐めたやつはその都度現実を思い知らせているので、恨み骨髄というわけでもないし。
重苦しい空気になった軍議だが、俺はここで空気を変えるためにひとつ確認をした。
「しっかし敵将も相当思い切ったな。もしこれで俺達を追い返しても、相手に賞賛はあるのか? 勝てば何してもいいって訳ではないだろう?」
「無論だ。外敵を撃退するならともかく、これは内乱だからな。民を盾に使ったなど、周囲から謗りは免れぬ。奴もそこまで追い詰められていると言う事だが……成程、そういうことか」
ソウジンが俺の問いに答えつつ、自分で納得してくれた。こんなの冷静に考えてどう見ても悪手だ。シアンが想定していないほどの悪手を自分から用いてただで済むはずがない。
「シンカイめが、民と守備隊に時間稼ぎをさせて己は逃げを打つ気じゃ! そうでなければこのような後先考えぬ策を取るはずがない!」
ここさえ凌げれば後はどうでもいいといわんばかりの作戦なのだから、その後の行動もわかりきっている。
「将軍の地位を捨てて逃げるのですか? てっきりしがみつくものとばかり……」
異民族のセキロには想像の埒外にあるようだが、普通に考えて権力の座を自ら明け渡すと言うのは考えにくい。だが、シアンの話ではシンカイという男は高位軍人でありながら前線にでた経験さえない、命冥加な男だと言う。そして太守代理のケイトウと共に財貨に溺れているとか。
そんな男が敗色濃厚で取る手段は、徹底抗戦などではないだろう。
「どの道こんな手段を用いたのが中央に露見すれば更迭されるのは間違いない。天軍にとっても消えぬ恥じゃからの。あの屑のことじゃ、財産を移し、自分と身内は既に領都を脱出する術を既に整えておるはずじゃろうよ」
既に領都の守備隊はシンカイの一族や子飼いで固めているというから、これまで相当甘い汁を吸ってきたはずだ。守備隊も既に腐っており、離反も望みは薄そうである。
重い空気が支配する軍議の中、メイファが毅然とした口調で断言した。
「諸悪の根源をここで逃がすわけにはいかぬ。奴は必ず仕留める。が、その前に数多の無辜の民を殺めねばならぬのか……」
後半の方は消え入るような声になっており、その声を聞いた幹部たちは敵への怒りに打ち震えた。
「殿下! 私が血路を切り開きます! ですが、それは私の独断での暴走として殿下がこの首を落とされれば済む事! これなら殿下の名声はいささかも傷つきますまい!」
「その役は私が! 新参ゆえ殿下の御志が理解できなかったと理由もできましょう。ラコウ殿は殿下を支える支柱となっていただかねばなりません」
「いや、セキロ殿こそ殿下になくてはならぬ力の持ち主。それはこの二日で誰の目にも明らかです。ここは我等にお任せを。なに、元は何処で野垂れ死んでもおかしくない我等です。汚名など慣れておりますゆえ、殿下もお気になさらず首を刎ねられますよう」
ラコウ、セキロ、エイセイが順に汚名を着ると申し出たが、それはメイファの怒りで掻き消された。
「馬鹿を申すでない! これは私が始めた戦いだ! 汝等はそれに後からついてきたまで。私が決めたからには、私の剣で無辜の彼等を殺さねばならぬ。それが私の責であり、私の罪なのだ。こればかりは誰にも譲る訳には行かぬ、行かぬのだ!」
その決意を垣間見たメイファに忠誠を誓った者たちは平伏して頷かざるを得なかった。
やはり彼女は追い詰められると真価を発揮する。覚悟を決めたメイファの発する凄烈な気は、その場の誰をも圧倒するほどであり、見ていて気持ちが良いほどだ。良くぞまあ、これほどまでの傑物が生まれたものである。こちら側へ来て色々あったが、彼女に出会えた事が最大にして最高に価値ある出来事だった。ならばここで手を貸すことに何の異論があろうか。
「だが、汝等の衷心、心に染みた。深く感謝する」
「殿下……なんと持ったいない御言葉……」
誰もがメイファの覚悟を知り、どんな言葉も翻意させる事ができないと理解したが、ここにそんなことなど知らない奴が一人居る。
そう、俺である。
「メイファ。そう気負う必要はない。実はな、君の手を汚さずに楽勝で勝てる手があるんだ。騙されたと思ってやってみないか?」
楽しんで頂ければ幸いです。
短いですって?
年末ですし、この章が終わるまでは毎日更新するつもりだからです!(後に引けない宣言)
約束を破らないように頑張ります。
皆様の反応が私の活力です。閲覧、ブックマーク、評価、全てに感謝しております。
改めましてこの場をお借りして篤く御礼申し上げます。




