彼女の道 5 商都ナーキン 中
お待たせしております。
俺は仲間達にこの商都一番の宿を取らせるとそのままこっそりとメイファ達の所に戻った。玲二達も帰る気はなくまだこの商都を楽しみたいようだったし、これから起こる騒乱を考えると安全な場所にいたほうがいいからだ。
「開門せよ! 我々は世直しのために集った決起軍である! 商都の民に危害を加えるつもりはない! ただ守備隊の武装解除を求めるものである! 我らの目的は領都シンタオにあり! 守備隊の武装解除が行われれば速やかにこの地を立ち去るものである! 繰り返す、開門せよ……」
あの呼びかけの手慣れた感じからすると兄弟の兵ではなくソウジンたちの配下の者だろうか。先程から閉じられた城門に向かい、大声で降伏を促している。なかなか憎い言い回しだ。もちろんこれを考えたのはシアンであろう。
数日過ごして解ったがあいつは俺と思考回路がほとんど同じだ。いかに相手の嫌なところを効果的に突くかをいつも考えている。本陣に戻った俺がシアンを見ると、とっても悪い顔をしていた。あれは嫁入り前の女がしていい顔じゃないな。羽扇で顔の下半分をかくしているから周囲は気づいていないのが救いではある。
「今戻ったぞ」
「おお、無事であったか! 君の事だから何事もないとは思っていたがな」
「そちらも首尾よくやってくれたようやな! こちらからも城壁の上の兵が忙しく動き回るのが見えたで」
「ああ、どうやら彼らは千の兵を分派して事に当たるようだな」
「千やて!? あれま、可哀想に。半分も戦力を分けてしもうたんか。お気の毒やねぇ」
変わらず悪い笑みを浮かべるシアンだが、仕掛けた俺としてはそこまで喜べない話である。
「言い換えれば治めるのに千人の兵力が必要な騒ぎが起きているということだ。というわけで、俺としてはここはさっさと終わらせて中の騒ぎを静めたいところだ」
「ええ? そんな規模になってるっていったいどんな騒ぎを起こしたん?」
「いや、さっき打ち合わせた通りだよ。例の金庫の鍵を開けて騒ぎを起こすだけだ。ただ、いろいろ小細工はしたが、それが原因でどうやら万を越す群衆が押し寄せているようだ」
「ほう、となると”開かずの大金庫”は無事開いたということですか! それは興味深いですな。中には噂の金銀財宝があったのですか?」
メイファの本陣にいたリュウコウが話に乗ってきた。非戦闘員はできればフギンの都に居て欲しかったのだが、彼らの強い熱意により同行を余儀なくされていた。
兵隊は馬車移動になるからと遠回しに告げても、這ってでも付いてゆくと熱弁を振るわれてはこちらも頷かざるをえない。なによりもリュウコウは覚悟を固めてこの場に臨んでいた。
彼はなんと家族を連れてやって来ていたのだ。天軍の主計部の事務所で初めて会ったときも感じたが、彼には一人で養わねばならぬ身内がまだ幼い弟一人と妹二人、さらには”旦那、上手くやりましたね”と言いたくなるような清楚で美人の奥さんと彼自身の子供が二人と計6人を連れてこの場に居る。
メイファが負けたらすべて終わりな気もするが、それだけ彼女に勝算を見出だしているのだろう。
ちなみに奥さんはいいところのお嬢さんで貴人の侍女の経験もあり、シュンメイと共にメイファの側付きで居てもらっている。別途報酬も出しているので喜んでいるそうだし、子供達はリシュウ老師のところで昼間は勉強しているし、周囲には同じ年頃の子供達ばかりなので上手くやっているようだ。
今のほうがフギンの都にいた頃よりおなかいっぱい食べていると小耳に挟んだときはいたたまれなくなったが。
そういうわけで彼はしがみ付いてでもあの職を手放すわけには行かなかったが、先のないあの職場よりこちらを選んだという事だ。彼の妻子やシアンは就寝時にはメイファに貸している夜営用魔導具を使っているのでむさ苦しい男どもとは距離をとっており、その点も彼から感謝されている。
「ああ、そのあたりも色々と土産話があるが、まずはこれを終わらせようぜ」
そう言って俺は前方のナーキンの城壁を見上げる。城壁の上には守備兵が多く見えており、一見すると篭城の構えを見せているようにも感じられる。
シアンはどう手を打つのかな、と彼女を見れば意味ありげな笑みを浮かべるのみだ。シアンは今にも語りたそうな顔をしているし、周囲も彼女の考えを聞きたそうにしているのに誰もそれを口には出さない。
何故ならメイファが厳しい表情を崩していないからだ。彼女の発する空気がおいそれと口を開く雰囲気ではなくなっている。
始まる前からこれでは先が思いやられる。ここで必要なのはある意味で無遠慮さなんだが、それを期待できるリシュウ老師は後方で子供達と待機してここには居ない。仕方ない、俺がやってやるか。
「メイファ。総大将がそんな顔をしていたら皆が気を遣うだろ。せめてそのしかめっ面は止めとくんだな」
「ユウキよ、そうは言うがな。これからわたしの命によって多くの命が失われるだろう。私に流れる血の定めといえばそれまでだが、平然としているわけにもいかんだろう」
「それでもだ。今となっては君の一挙手一投足を誰もが注目している。今の君の行動は仲間達に不利益を与えている。俺は君の気持ちを想像することしかできないが、それでも今は為すべき事を為すべきだ」
正直な話を言えばメイファが泣こうが喚こうが兵隊は死ぬ。俺などはすべての歩兵は被害者なのだというどうしようもない悪癖を抱えている外道だが、そこまで割り切れとメイファに告げるつもりはない。彼女の悩みは善性の証明であり、兵達がそれを知れば泣いて喜ぶ事だろう。
だが、これから戦に望む総大将が抱えるべき悩みではない。
彼女の仕事はたった二つである。
決断し、その結果の責任を負うことだけだ。
それ以外は他の才が彼女を補ってくれる。シアンが策を練り、金剛兄弟とソウジン元将軍が率いる兵が彼女に立ち塞がる全てを打ち砕くだろう。ああ、そういえばエイセイもいたな。奴個人の能力は買うが、配下の腕自慢の荒くれどもは……まあそれは別の話だ。
「ううむ。だが……いや、君の言うとおりだな。為すべき事を為す、今はそれだけを考えよう。悩むのも後悔するのもすべては勝った後ですればよいことだ」
メイファの悩みは尽きないようだが、少なくとも周囲に気を使われている事は理解したようだ。努めて明るい声を出して場の空気を変えていた。
「そういうことだ。さて、シアン。君の考えを教えてくれ。敵はこれからどう動く?」
待ってましたと言わんばかりの顔でシアンが口を開いた。もう少し自由に発言できる空気を作るのもメイファの役目だぞと視線で告げると彼女は神妙に頷いた。
「正直なハナシ、もう勝ったも同然やけどな。敵の兵力を半分も割けたのは想像以上の結果や。これで向こうさんの取れる手はほぼなくなったわけやし」
「ふむ、それはどういうことなのか? 今のままでも向こうが篭城している事実は変わらんだろう? そしてこちらに攻城兵器は存在しないが」
これまでメイファの側で気配を消して佇んでいたフェイリンが口を挟んだ。その近くには退屈そうにあくびをするビューの姿がある。これまではメイファに構ってもらっていたのだが、厳しい顔をしていた彼女は駄犬と遊ぶ余裕はなかった。
こんなのでもやるときはやる、そのはずだ。もし仕事をしないなら必要な処理を行うだけである。
あ、ビューの背筋がしゃきんと伸びた。
「ああ。それも問題ないねん。元々この規模の城砦は2千人でも防御に使うには数が足りないんや。なあ、ラカンはん」
「そうだな。軍師殿の言うとおり、逆襲も考えた城砦の防御機能を維持したければ5千は欲しい所だ。まともな指揮官では2千では防御だけで手一杯と考えるだろう」
「であるなら、篭城を続ける手はあるのではないか? 我等にとっては悪夢だが、ここで耐えれば増援も見込める」
「ここがフギンの都であればその可能性もあるんやが、ここは無理なんや。ここ商都ナーキンやから」
フェイリンの問いにシアンは乾いた笑みを浮かべる。全く相手の指揮官に同情するな。指揮権を与えられておきながら外部から自分より力のある連中が口を出してくるのだから。
「ここナーキンは商都と呼ばれるだけあって、最高権力者は都守ではなく大商人と呼ばれる者達なんです。彼等が駄目といえば都守だって従わざるを得ないでしょう。そして商人にとって準備のしていない篭城など大損害を蒙るでしょうし、商人にとって赤字とは悪夢以外の何者でもありません」
兵站と言う経済の専門家でもあるリュウコウがそう補足し、先程から行っている勧告も実際は守備隊ではなくその奥にいる商人たちに向けて行っている側面もある。だから嫌らしい攻撃なのだ。
商都に興味はないから素通りするだけなら篭城する意味はないのではないか、せめて篭城だけは止めてくれ、そんな陳情の名目の命令が向こうの指揮官には山ほど行っているだろう。
俺も王都の厳戒令の際に色々と実感したが、物流が滞るとこれだけ大きな都だとその余波は大きいし大商会と呼ばれるような大店ではその損害は目を覆いたくなるほどの額だろう。
「それにアタシの調べた限りでは、あちらの指揮官は普通に優秀な男のようや。そんな普通に優秀な男がたった500人で商都を攻め落とすと考えるやろか」
「無いな。まず伏兵の考えるはずだ。千人では一箇所を守るだけで精一杯だ。別働隊が他方の正門を攻められたらひとたまりもないだろう。事実としてエイセイの手の者には身軽な者が多い。敵の妨害のない門なら簡単に乗り越えられるだろう。その結果、商都の侵入を許すだろうな」
「向こうさんは本当に評判のいい男らしいから、民に被害の出る市街戦を選ぶくらいなら篭城せずに真正面から打って出るやろ。アタシらは殿下の正道に悖る真似はせんから無辜の民を傷つけるような真似はせえへんし、ありえん事やがね。そもそも誰だって商都に殴りこみをかけるのに500人しか兵隊がおらんと思わんやろ」
身軽さゆえの利点を生かした戦法のひとつやね、とシアンは笑う。それに完全武装して整列する金剛兄弟の麾下の兵たちが整列しているのも大きい。彼等は天都の兵である禁軍の証明である漆黒の鎧を纏っており、非常に目立つ。身の証明にもなるし、耳の早い商人たちにしてみれば名高い金剛兄弟がこちらにいる事を理解するだろう。彼等の盗賊退治などは痛快な武勇伝として広く東部に伝わっているというし、その公明正大な振る舞いは商都の民に我々から略奪をうけるのではないかとの恐怖を和らげるだろう。
それは市井の民、そして商人たちにとって安心材料になる。それが積み重なれば不便をもたらす篭城などしなくても良いのではないかと言う無言の圧力になるだろう。
それら全てを期待したシアンの邪悪な、いや見事な企みである。
「なんかアタシだけ悪者にされてる気がするわぁ。ユウキはんだってノリノリで案だしたやんか。あれはアタシとユウキはんの合作やで」
「まあいいじゃないか。上手く行けば東部に軍師シアンの名が鳴り響くぞ。で、連中はいつ動く?」
「そんなにかからんやろ。見てみ、流石は商都や。もう他の商隊やらがアタシらの後方におる。さっきまで平和だったこんな大都市がいつまでも篭城なんかできるはずもないんや。備蓄は……リュウコウはんなんかわかります?」
「時期的には冬備えに入る頃ですからね。軍が食べるだけなら何とか持つかもしれませんが、商都は流通の拠点ですからむしろ時期的に入ってくるより売り捌く為に出てゆくほうが多いのでは? ああ、もちろん庶民の事は計算に入れていませんよ。人口数十万の都市で流通が途絶えれば数日で飢えるでしょうな」
「その頃には商人が痺れを切らせて勝手に開門するやろな。っと、開門や。まあそうなるやろな、想定通りや。それでは皆さん、よろしくお願いしますわ」
「承知仕った」「行くぞ兄者!」「殿下の栄えある初陣じゃ、腕が鳴るのう!」
城門が開き、そこから兵士たちがゾロゾロと湧き出てくる。こっちは既に整列済みなのではっきり言って隙だらけだが相手の準備を待つのも戦の作法だ。
これはメイファを旗印に掲げた義戦である。面倒だが負けた相手が卑怯だのなんだのと口にさせない為にもある程度の規則は守るべきだ。
これでもまだあっちの兵力はこっちの倍はあるのだが、俺達は余裕の姿勢を崩さない。その一番の理由は金剛兄弟の全ての兵とソウジンの配下に多数居る神気使いの存在である。
俺が始めて会った部隊が皆神気使いだったので、天軍は皆神気を使えると思っていたのだが、それは俺の勘違いだったようだ。
実際は禁軍でも有数の実力者である金剛兄弟、そして勝手についてきてしまった(もちろん軍旗違反にならないように例のシキョウ将軍とやらが手を回したらしいが)200人の兵隊全てが神気使いであると言う事実に対抗するために東部の神気使いを掻き集めたと言うのが事実らしい。ちなみに禁軍は定数は一万人と少ないが全ての人員が神気使いと言う脅威の集団だそうだ。
実際にその異動業務の一端に関わったリュウコウの弁なので間違いないし、能力だけ見て人品を一切考慮しなかったからあのような力に酔った屑どもばかりの集団になってしまったわけだ。
ということで、あの中には神気使いは皆無である。俺やメイファは身を以って経験したが、神気使いは長続きこそしないものの、普通の兵士では数十人が束になっても敵わない実力差だ。俺達は300人以上の神気使いがいるので単純計算ではあちらを圧倒している。
それは向こうも解っているのか。俺達と比べて明らかに士気が低い。こちらの士気はメイファを擁しているので異常なほど高い点を無視しても相手にやる気は感じられない。
「錬度も低そうだ。一応兵隊としての形になってはいるが」
「都の守備隊やからね。天軍の駐屯地ならもう少しまともな部隊もあるんやろ。今回は遠すぎてこっちに間にあわへんけど」
メイファはこれから起こる命のぶつかり合いに再び厳しい顔をしているので、俺はシアンと会話をしている。それにリュウコウも加わってきた。この兄ちゃん、業務以外の事も色々詳しいのだ。
「訓練も殆ど行えていないはずです。なにしろ守備隊の予算は削られる一方ですし、こちらも最低限しか執行していませんから。商都は商人からの寄付もあってまだマシらしいですが、それを踏まえれば形どおりにでも兵を動かせる指揮官はよくやっているほうでしょう」
商都の守備隊は2000の兵を二人の千人将と一人の守将で構成されているらしい。ここから見える限りでは集団の先頭にいるのが指揮官だろうか。立派な羽根飾りのついた兜をつけているから多分そうだろう。そのすぐ後には一回り小さい羽根飾りの兜の武者がいる。こちらが千人将か。
「ふん、指揮官先頭か。篭城を選ばないあたり、噂どおりまともな指揮官のようだな」
「ああ、そのようだ。あれほどの男だ、無為に死なすには惜しいな」
俺の言葉に隣のメイファが感に堪えぬといった感じで呟いた。訓練未了の部隊を何とか掌握しているという様子だが、兵士たちの足取りは重いのがここからでもわかる。
「向こうの兵士の士気は皆無やな。こっちの旗印に気づいた者もおるやろうし」
「ですな。彼等としてみれば自分達が命を張る意味を感じられないでしょう」
俺達の旗印はメイファその人であるが、それとは別に旗物に『奸臣討滅』の文字を刻んでいる。これはあくまで天帝に逆らうつもりは無く、東部の政治を恣にする指導者を滅するという意味であり、叛乱ではないという言葉だ。
実際は東部の太守も天帝が任命しているので突き詰めると天帝に反旗を翻しているのは確かなのだが、ここまで混乱の極みにあると民の誰もが評判の悪い東部の太守を排除するのが目的なのだと理解してしまう。何よりこの国の民には大神の代理人である天帝に反逆するなど畏れ多いと言う意識が根強く、叛乱が起きても即座に周囲に潰されることも多かった。
あの4文字は諸悪の根元を東部の太守に押し付け(事実ではあるが)た言葉として相手の兵士にも広まったと見える。
つまり、俺らそもそも関係ないじゃん、となっているようだ。
商都が蹂躙されることもないと戦の前の口上合戦でラカンがメイファの名を出して明言したことにより更にあちらの士気は下がったように思えるが、逆に相手の指揮官だけが戦意をむき出しにしていた。
「黙れ黙れぃ! この天に唾吐く行為を断じて見逃すわけにはいかぬ! 勝負は時の運とはいえ、貴様等の悪行、天が許しても私が許さぬ。覚悟しろ逆賊ども! この地に無様な骸を晒すがいい!!」
なんだ!? すっごい怒ってないか? 百年来の仇敵に出会ったかのような激昂ぶりにこちらが困惑してしまうほどだ。だがそれは向こうも同じなようで、守将の怒気に配下の兵たちも戸惑っているように見えた。口上合戦の一番大事な士気高揚になっていないんだが……それくらい理解してそうな男だと思うんだが。
俺が渡した双眼鏡で相手の指揮官を見ていた俺達四人は首を傾げたが、まあこちらの想定が変化したわけではない。
「では殿下。ひとつよろしくお願いします」
「うむ」
シアンの呼びかけにこたえたメイファを見て俺は拡声の魔導具を手渡した。この便利な道具を見て現場の指揮官たちはしきりに羨ましがったが、魔力の充填が出来ない一回限りではあげても仕方ないので諦めてもらう。戦場で指揮官の声が届く範囲と言うのは死活的に重要だが、それでも無理なもんは無理だ。地声で頑張ってくれ。
「私に従う兵たちよ。遂にその力を見せるときが来た! 敵は数を減らしたとはいえ我等の倍はいる。しかし我等の道は先がある。この商都と言う通過点で躓くわけにはいかぬのだ! 兵たちよ、その真価を発揮せよ。私はお前たちと共にある!」
メイファの声はいつもの覇気のあるものだったが、拡声の魔導具など使わなくても麾下の兵士たちの耳に届いたらしい。
怒号のような大歓声がこちらから沸きあがった。これだけで相手の腰が引けるほどの熱気が迸る。
「殿下万歳! 者ども、前進じゃあ!!」
とっくに引退してもおかしくないソウジンの割れ声が響くと兵たちの横列が前進を開始した。
シアンと武将たちが選んだのはただの前進、2段の横列だが特に神気使いたちは彼等だけ横一列で前進を始める自信の現れである。こちらには予備として神気を使うラコウの兵が30人ほど後方にいるだけだ。この予備で最後は締める予定となっている。
「逆賊どもめ、舐めおって!」
向こうも角笛が鳴り響き、前進を開始する。こうして商都前で総勢1500人あまりの会戦が始まった。
「突けやぁ! 押せやぁ!」
横列同士のぶつかり合いは互いの武器をぶつけ合うことでもある。ここで大事なのは部隊長の号令と兵隊の我慢強さだ。一糸乱れぬとはいかなくても、それなりに揃った動きであれば敵の戦列を突き崩し崩壊させることができる。
会戦の戦いの基本は兵隊が横列で殴り合い、突き崩した穴を広げることにある。そこから陣が崩れれば一気に敗走、更に壊乱まで持っていければ体勢の立て直しは容易ではない。
敵側は中央に約500を配置、それぞれ右翼左翼に250ずつを置いてこちらを包囲しようとしている。包囲の動きが遅いのはこちらの伏兵を警戒しているのだろう。普通に考えれば絶対にどこかに兵を隠していると考えるからだ。
この動き自体は基本的な戦術であり驚きはない。誰もが驚くような複雑な奇策は実行する方も錬度の高い部隊が必要だから今の敵では心配する必要はない。冗談みたいな話だが、部隊と言うのはただ真っ直ぐに進むだけでも一苦労なのだ。
むしろ訓練未了の部隊でまがりなりに作戦行動を行おうとしているだけでもマシである。正直、野盗の襲撃のように一気呵成に襲い掛かるしかないかと思っていた俺達としてはそれだけでも驚きだった。
「向こうさんもがんばるやん。稚拙やけどちゃんと戦術を使ってるわ」
「シアン」
俺はシアンの口に甘い菓子を放り込んだ。彼女の状態は軍師としては少しまずい。
「な、何するんや! っと、わかっとる。わかっとるよ。おおきに、感謝するで」
最後の方は小声だったが、その事はシアンが平常心に戻っている事を教えてくれた。
言うまでもないが彼女も初陣である。これ以上ないほどの策を練り、準備も整えてきたが実際に兵士たちが命を削って闘っている様を見て意識がそちらに持っていかれてしまって、一種の”躁”状態に陥っていたのだ。いかなる時も冷静な判断が求められる軍師にあるまじき状態だった。
これをメイファが窘めるのはシアンの将来に傷がつくので俺が口を出したのだ。当のメイファは腕を組んでどっしりと構えている。側にはフェイリンとビューが控えており、曲者など近寄らせまいと気を張っている。
やはりメイファはいざ事が始まると肝が据わるな。王者の気質というか、己のすべき事を本能的に嗅ぎ分けているように思える。
「軍師よ、戦況をどう見るか?」
冷徹な声でメイファがシアンに訊ねる。
「全体的に優勢です。敵の士気が低いのですぐに横列が崩壊していますし、空いた穴を塞ぐ動きも緩慢です。こちらが直に突き崩していないのは、作戦上の問題です」
「そうか。あそこの一角は苦戦しているよう見えるが」
「ああ、あそこは……」
メイファの視線の受けての言葉にシアンはどう返したものが悩んだのでこれが助け舟を出した。
「あれはエイセイの手の者たちだ。街の腕自慢程度で兵隊の真似事は出来ないという事だ。今あいつ等は街のゴロツキから兵隊に生まれ変わっている最中だ。まあ、半分位死ぬんじゃないか?」
「なんと……助ける事は出来ないのか?」
メイファの縋るような視線に俺は無常な言葉を返した。
「メイファ、気にすることはない。素人ってのはそういうものだ。攻撃には使えるが、ひとたび奇襲を受けると簡単に混乱して崩壊する。これが訓練を受けた兵隊との差だな。エイセイやあっちの主だったものには既に損害が出ても気にするなと伝えてある」
メイファは信じられないという顔をしているが、戦の素人を戦場に出せばこうなる事は解っていた。むしろこれで生き残った連中が本物の兵士として頭角を現すだろう。もちろんエイセイたち頭衆は別だ。お前等はなんとしても生き残れと命じてある。兵隊と指揮官の必要とされる技能は異なる。
「私が彼等を連れて来た事は間違っていたのか……」
「メイファ、本当に気にすることはない。どの道あの都で燻って意味もなく無駄に死ぬか、デカい夢を見て派手に死ねるか違いでしかないんだ。そして選んだのはあいつ等自身だ。君は生きて帰った連中を誉めてやり、死んだ連中を悼んでやればそれでいいのさ」
それにああいった横列同士のぶつかり合いじゃ怪我はしても即死する奴は意外と多くない。それに苦戦しているようには見えるが、戦列そのものは崩れていない。何より大事な士気が高いのが一因だろう。意外と死者は少ないのではないかと思う。
俺個人としての意見を言えば先ほどの触れたとおり歩兵は何をしようが基本的に死ぬ兵種だ。哀れと思うし、どうしようもないとも思っている。それが嫌なら指揮官になるほかないと思う。あれはあれで色々と地獄で大変ではあるのだが。
「それにしてもユウキはん、詳しいなぁ。ひょっとして戦人なん?」
しんみりとした空気になりかけた俺達を気遣ってか、シアンが声をかけてくる。戦人とはこちらの言葉で軍人を意味する。
「いや、俺はこっちでは帰り道を探す一介の旅人さ。縁あってメイファに力を貸しているだけに過ぎない。お、戦局が動きそうだぜ」
俺の視線の先ではやはり精強極まりない神気使いたちが前線に大穴を空けて、それを補わんと敵が中央への兵力の増派を行おうとしているところだった。敵は動き始めたばかりで、部隊の急な方向転換は不可能、つまり仕掛け時だ。
これを見逃すようならシアンに軍師たる資格はないが、彼女の判断は充分な才覚を示すものだった。
「合図を! ここで終わらせるで!」
低音の角笛が鳴り響く。正直予備の30名はすぐ近くにいるので伝令でも充分だが、こういうのは勢いが大事だ。それにこの低い音は遠くまで届く、具体的には敵にもこちらの行動が伝わっただろう。
「頼むで! 騎兵のみんな! あんたらが突破してこの戦いを終わらせるんや!」
予備に回したラコウ率いる30名はいずれも騎乗していた。馬そのものは俺達を運んでいた馬車を引いていたものであるから、農耕馬に毛が生えたようなもので軍馬などとは比べ物にならないが、それでも騎兵は騎兵だ。騎兵突撃は戦場の華と呼ばれるほどの威力を発揮するし、それ以外にも騎兵がもたらす様々な効果は戦いの趨勢を決める力を持っている。
「ふははは! 兄者だけによい格好をさせてなるものか! 総員、我に続けぃ! 殿下に勝利を捧げるのだ!」
ラコウは見事な機動で軍馬一体と化して敵の迂回突破している。目的は敵の頭である守将ただひとりだろう。この場合、頭をとれば戦闘が終結するほどの意味を持つ。給金が出るわけでもないので、負けた後も戦い続ける意味などないからだ。
禁軍は全員が騎兵の訓練を受けているだけあって、騎乗する姿も慣れたものだ。聞けば聞くほど禁軍と言う超人集団が気になるが、今は戦いに集中しよ……なんだあれ?
「なあ、あいつら、なんてあんなに速いんだ? 馬も駿馬というわけではないんだろ? 明らかに限界以上の速度で走ってる気がするぞ」
俺が疑問を口にする頃には既にラコウ率いる騎馬隊は敵の本陣に突っ込んでいる。いくらなんでも速すぎるだろう。普通の襲歩でもここまでの速度はでないはずだ。一体何をしたんだ?
「あれが神気を使う騎兵の真髄、人馬一体ですよ。神気を馬に纏わせることによって馬の能力を数倍以上に引き出すんだそうです。もちろん消耗は激しいのでおいそれとは使えないと聞きますが。しかしそれを全員使いこなせるとは、流石金剛兄弟の配下の者たちというべきでしょう」
信じられないものを見たといわんばかりのリュウコウの言葉に俺達も同意した。頑張れば俺もあのように馬に神気を、と思いかけてそもそも騎乗した経験がない事に気付いた。俺はまず馬に乗る事から始めるべきだな。
「よし、敵本陣に食いついた。これで終わりやろ。ラコウはんに対抗できる猛者があの中に居るとは思えへんし、何とか想定内で仕舞えそうや」
その言葉通り、すぐ後に敵の本陣の軍旗が下ろされた。軍旗が降ろされるという事は本陣が制圧されたと同義である。それを見たこちらが勝ち鬨を上げると士気崩壊寸前の敵はすぐに武器を捨てて降伏した。
諦めの速い敵を見てその軟弱を怒るべきか、そんな敵を何とか動かしていた敵の守将を誉めるべきか判断に悩むところであるが、これは後者ではないだろうか。
ほぼ無傷で健在だった両翼の兵隊も一戦も交えずに降伏を申し出てきた事を考えるとその思いは強くなった。
しかしそれはそれとして、俺達は商都攻略の一番の障害であった守備隊の無力化に成功したのだった。
「降伏した者たちから武器を取り上げなくて良いのですか?」
俺達は本陣としていた周囲を見下ろせる小高い丘から下り、商都へ入るべく動き出した。周囲には降伏した守備隊がおり、その手にはいまだ武器がある。フェイリンが警戒するのも当然である。
「こちらより多い敵があっさり降伏するのも考え物やね。武装解除が全く追いつかへんのや。幸い、あちらさんにもうやる気はないようやし、アタシらの目的から考えてもこのままでええやろと思うんやが」
「そうだな。我等の敵は彼等ではない。立場の違いから一度刃を交えることになったが、元を正せば同じ東部の民ではないか」
メイファの方針がこのようにはっきりとしていたので、実は先ほどの戦闘も極力人死にを出さないようにと神気使いたちには厳命してある。つまり手加減をしてでも充分に勝てる相手だったというわけだ。
降伏した兵たちの方も、俺達より商都の混乱を収めたいとそちらを見ているものたちまで居たほどだ。あの戦意溢れる指揮官でなければそのまま降伏していたかもしれない。いや、それはないか。都を守る守備隊が数に劣る敵に対して一度も戦火を交えることなく降伏するなど許されることではないだろう。
だが俺としてもさっさと中に入って既に暴動のようになっている騒ぎを収めたいところだが、その前に片付ける案件が出来たようだ。
「ええい、離せ! 軍としては降伏したが、私個人は貴様たち逆賊に膝をついた覚えはない! 一騎打ちにて勝負だ!! 勝負しろ!」
敵の本陣に近づくと、威勢の良い声が響いてくる。俺達は近くで足を止め、顔を見合わせた。
「あの声は、敵の総大将だろうか?」
「せやろな。なんやさっきから滅茶苦茶怒っとるなぁ。アタシが仕入れた情報じゃかなり理性的な男だと聞いてたんやけど」
「俺が見てくるから、皆はここにいろ。フェイリン、ビュー、シアンも守ってくれ、いいな?」
周囲にはこちらの兵もいるので危険は少ないが念の為だ。俺は一人敵の本陣に近づいてゆくと、40がらみの渋い人相の男がラコウに食って掛かっていた。
「ええい、往生際の悪い奴だ。貴様等は負けたのだから、大人しく沙汰を待つが良い」
「私一人でも貴様等に抵抗する! 何があろうと貴様たちなどに負けてなるものか、この僭称者どもめ! よりにもよってあの御方の名を騙るとは、絶対に許す事はできぬ。許せるものか! 貴様等は私を生かして使いたいようだが、貴様等の為に働くなど虫唾が走るわ!」
口角飛ばしてまくしたてる相手に豪傑のラコウも泡を食っているようだ。
そもそもなんてこの男はこっちにそこまで敵意全開なんだ? 少なくとも俺達は商都に来たこともなく、恨みを買った覚えなどあるはずもないが、この守将の迫力はただ事ではないな。
「さあ殺せ! 私は貴様等の思い通りにはならんぞ! 冥府の底で貴様等を呪い殺してくれるわ」
「むう、どうしたものか。貴様は死なせるには惜しいと殿下から言われておるのだが、ここまで決意が固いのでは翻意は難しいか」
そう言ってラコウが腰の剣に手を掛けたとき、俺の背後から驚きの声が掛けられた。
「なんと! 貴様、チョウリョウではないか。互いに流れに流れてこんな場所で出会うとはな。奇縁と言うのは面白いものだ」
「な、何を! 何故その名を知っている。それはあの燃える屋敷の前であの御方を失った時に捨てた名だ。お前は一体……まさか」
「なんだ。私の顔を見忘れたか? そなた、私の屋敷の警備隊長をしていたチョウリョウであろう?」
チョウリョウと呼ばれた守将の男は幽霊でも見たような顔をしている。
「馬鹿な、あの御方は身罷られたはず。これは幻だ、そうに決まっている」
「何を寝惚けている。都合の良い幻などあるはずもないではないか。おお、ソウテツいいところに来た。見よ、懐かしい顔がいるぞ」
背後から馬車に乗ってやってきたソウテツの姿を見つけたメイファが彼を呼ぶと、チョウリョウと呼ばれた男の顔が驚愕に歪んだ。
「ソウテツ!? まさか、家宰のソウテツ殿か! ま、まさか貴方様は、本物の……」
「おや、誰かと思えば警備のチョウリョウではないですか。集合場所に現れぬから我等とは違う道に進んだと思っていたが、この都の守将をしていたのですか」
そのとき、チョウリョウだって? と言う声と共に数人の男が走り寄ってきた。彼らはソウジンの配下として活躍したものたちだが、その前は警備隊長だったチョウリョウの元で働いていた者たちだった。
ここに至り、頑なな態度だったチョウリョウも大いに泣き崩れた。彼がここまで激怒していたのはこれまで幾度となくメイファの名を騙る偽物が世に現れたからだと言う。本物のメイファが何処に滞在していたか知る者達はともかく、生死不明と思っていたチョウリョウが幾度となく期待を賭け、そして裏切られ続けたことにより彼は今回もメイファを騙る偽物だと思ってしまったようだ。
「よ、よくぞ……よくぞご無事であられました、殿下! 殿下がこのように御美しくご成長あそばされたとあっては先帝陛下もさぞお喜びでありましょう。これまでの数々のご無礼、知らぬこととはいえ誠に申し訳ありませぬ。このチョウカク、その御姿を一目拝見で思い残す事はございませぬ。非礼の詫びはこの命で」
「止めよ。この世には生きたくても死なねばならぬ者もいる。命を粗末にするな。昔は貴様がそう諭す側ではなかったではないか。生きよ、これは命令である」
「は、ははぁ! なんとご立派な御姿! このチョウリョウ、殿下の命に従いまする」
こうして従順になったチョウリョウは降伏した守備隊をすぐさま率いて商都内に取って返す。そして商都内で未だ起こっていた暴動を即座に鎮圧すると同時に彼は俺達を商都に招いたのだ。
こうして俺達は東部最大の規模を誇る商都ナーキンを手に入れたのだった。
楽しんでいただければ幸いです。
遅れました。申し訳ないです。
次は水曜に間に合うよう頑張ります。




