集う力 7 後編
お待たせしております。
リシュウ老の棲む庵は徒歩で半刻ほどだ。大体都を横切るような感じになるので、俺は昨日に続いて市場を冷やかしながら歩いていた。
<なあユウキ、あれどーすんの?>
今日は学院を休めなかった玲二は俺と視界を<共有>していて、共に買い物をしていたのだが、彼もソレに気付いたようだ。
市場に入った辺りから俺は尾けられていた。しかしその技量はお粗末そのもの。視界しか<共有>していない玲二でさえ気付くのだから、その実情はお察しだ。
それもそのはず、尾行者はまだ10もいかないような子供一人だった。一瞬、シュウ達の知り合いの可能性も考えたが、背後を探ると好奇心で俺を追っているような空気ではない。もっと切羽詰まっている様子だ。
<やれやれ、ゴミ掃除は一日じゃ終わらないか。まあ当たり前だが>
<昨日はかなり手早くやってたけど、さすがに一日で全部の始末は無理だろ。でも必要最低限は終わらせてたし、実際尾行されたのは市場に入ってからだから、屋敷の位置まではバレてないと思うぜ>
玲二はそう慰めてくれたものの、うんざりして気分は晴れない。とにかく尾行を連れてリシュウ老の元へ向かうわけにもいかないし、あんなガキを使い捨てにする連中を生かしておくつもりも無かった。
俺は自然な流れで市場を出ると、そのままフギンの住民たちが住む入り組んだ区画に入る。子供はついてきているが、俺が歩く速度を上げたので見失わないように必死だ。
<どうする気だ? ユウキが子供に手を上げるとは思えないけど>
<普通に釣って背後にいる奴らを潰すさ。面倒そうなのはこっちの連中に振るけどな>
俺は土壁で作られた曲がり角を曲がるとそのまま壁を越えて身を隠す。すると俺を追ってきた子供のは俺を見失って慌て始めた。
「あ、あれ? おかしいな。この先は行き止まりなのに?」
「よう坊主、俺に何の用だ。この都に知り合いは居ないから尾けられる覚えはないが」
俺は子供の背後に音も無く降り立って声をかけた。
「う、うわあッ。ぼ、僕は別に何も……」
視線を泳がせて狼狽える子供だが、俺は袋小路に追い込んでいるから逃げ場など無い。観念したのか泣き始めた子供だが、その涙の理由は少し違うようだ。
「ど、どうしよう。これでお姉ちゃんが僕のせいで……うわあああん」
「やれやれ、子供を使ってくる段階でそんなことだと思ったぜ。おい坊主、事情を話せ。悪いようにはしないし、どうせ俺に見つかった時点でお前は失敗してる。どんな約束か知らんが向こうに義理立てしても意味無いぞ」
<交渉>を使って子供に事情を尋ねると、この子供は孤児でたった一人の家族である姉を人質にとられて俺を探るように命令されたらしい。金髪の若い男という特徴だけしか教えられなかったようだが、こんな髪は珍しいから市場で張っていたら俺を見つけたらしい。
この子供が泣いていたのは、自分が失敗したら姉がどんな目に遭うかを恐れて泣いていたのだ。
<うーん、清々しいほどの屑だなぁ。どの世界にも救いようのない屑は一定数生息するもんだな>
玲二の言葉に深く同意する。この孤児もある意味俺の被害者だが、罪悪感こそあまり感じないものの、もちろんこのままにするつもりはない。
子供にその命令をした屑の居場所を尋ねて、始末を終えるまで四半刻(15分)足らずであったが、本題はここからだ。12歳ほどの姉を救い出すと姉弟をつれてとある場所を目指して進んだ。
あまりの事態に呆然としている姉弟に適当に何か食わせつつ、俺が辿り着いたのは裏通りでもひときわ大きな館である。周囲には明らかに堅気ではない雰囲気の男たちが屯しているが、おどおどしている二人を連れて中に入るとそこには10人ほどの男が卓を囲んでいた。
「あ、あんたは昨日の!」
一番奥の席に座る50ほどの男が俺を見つけて立ち上がり、こちらに駆け寄ってくるが、俺はそのおっさんの顔面に拳を叩き込んだ。
「がはッッ!!」
力を入れて殴ったわけではないので即死したり頬骨を粉々にしたわけではないが、大柄な男が数メトル吹き飛ぶほどの威力があった。
いきなりの修羅場に場に緊張が走るが、それらに一切構わずに俺は吹き飛ばされた男の胸倉をつかみ上げた。
「俺は昨日お前に『やれ』と命じてお前は『わかった』と答え、あの糞どもが溜め込んでいた金を折半した。そうだな?」
「……ッああ、その通りだ」
「そうしたらさっき俺はこのガキに尾行を受けた。事情を問い詰めたらどっかのカスがこいつの姉を人質に俺を探らせていたそうだ。お前、何やってんだ? 俺を舐めているのか?」
俺は昨日、シュウ達から金を吸い上げていた生ゴミ共をその上まで一匹残らず始末した。名前も忘れたが、かなりの規模を誇っていたらしい連中の上層部を残らず潰したが、末端までは面倒を見切れない。
そこで連中の中でもまだマトモだという評判(尋問した連中から嫌われていた)のこの男に後を託したのだ。その際にこの組織が吸い上げていた金品をこいつと折半し、組織の再興に使わせてもらうと言ってたのが昨日だ。
そして昨日の今日でこのザマである。
「す、すまない。俺の力不足だ」
「そ、そんな! カクキが命を受けたのは昨日で……」
「煩え、黙りやがれ。俺達ぁガキの遊びじゃねぇんだ。やれと言われたら何があろうとやるんだよ」
カクキとやらの取り巻きが俺に声を上げるが、本人が封殺した。
本人がそこいらへんをきちんと理解していたので、俺がこれ以上言う事はない。手を離すと俺の後ろで脅えている子供たちを前に出した。
「お前らがしっかりしないからこういった子供たちが割を食う羽目になるんだ。こういうガキどもの面倒を見るのもお前の仕事だろうが! 今日中に始末をつけろ、いいな?」
相手に反論をさせる間もなく言い捨てて館を出る。先ほど俺が始末した生ゴミはあの姉弟と似たような事を数件やらかしていた。そいつらはまだ助け出していないので、さっさと救出してやらなければならない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
すると俺の背後から走ってきた若い男が俺の前に走り出ると、そのまま膝をついた。
「お、俺をあんたの舎弟にしてくれ! 俺はエイセイ。カクキよりもあんたの下につきたいんだ!」
「断る。俺は流れ者だ、この地も間もなく立ち去るだろう」
こいつは昨日も見た覚えがある。都の衆にもそこそこ人気のある地に足のついた奴との噂だ。ザインと似たような雰囲気の奴だが、文字通り生きる世界が違う俺の下についても仕方ないだろう。
「そんな! 俺はあんたの下で男を磨きたいんだ。カンウの力を恐れて下を向いていた俺達に、あんたは蒼天の広さを教えてくれたじゃないか。俺もあんたのように生きたいんだ」
ああ、そういえばそんな事を言った気がする。さっきのカクキもこのエイセイもなかなかの面構えをしているのにカンウとかいう馬鹿の力に屈して下を向いて生きていた。
そこでカンウをぶちのめした俺がこいつ等に一つ説教をくれてやったような気もする。内容はまあ下見てないで上を見上げて生きろとかなんとか、そこらへんだ。
言った本人が忘れているような薄い内容だが、こいつには衝撃的だったらしい。
「そんなことよりお前、暇なら手伝え。これからさっきの子供たちと似たような状況になってる奴らを助けに行く。時間は掛けられねえからそっちは頭数集めろ」
「わ、わかった。さっきの話は考えておいてくれよな!」
俺の金髪はここでは嫌でも目立つ。集合場所など聞かなくてもエイセイが手勢を集めれば俺がどこにいるかは情報が入るだろう。
これからリシュウ老の庵に向かう必要もあるので、こんな胸糞悪い件はさっさと片付けるに限る。
賢者の住処に辿り着いたのは、日も翳ろうかという時分だった。助け出したこと自体はすぐに終わったのだが、総勢で150人以上もいたエイセイの手下共が揃って俺に頭を下げるのだから面倒が増した。
結局、何でもやるといったのでメイファの手足になってもらう事にした。今頃はエイセイは屋敷でメイファと面通ししているはずである。
あいつらはあいつらでこの都の武侠としてエイセイを頭として上手くまとまっていたので、メイファを頭と認めさえすればいい戦力になってくれそうである。
「あ、あなたは昨日の……」
来訪を告げて出迎えてくれた孫娘さんが、俺をどのように表現したものか迷っている顔をしているのが見てわかるので苦笑を禁じ得ない。
人間はすべからく奴隷身分だが、竜人のメイファは俺を頼りにしているし、それは態度にも表れている。事実として昨日訪れた際にはリシュウ老と共に椅子に座って同席しているからだ。奴隷なら庵の前で立たされているのが普通である。
「メイファは俺の事を何者だと?」
「メイファ様は、その、協力者とか。貴方はどんな人なんですか? あの御方が貴方を形容するとき、確かな敬意が見て取れましたけど……」
不審な顔でこちらを見てくる孫娘だが、彼女の側頭部にも小さな角が見て取れる。この世界では支配階級である竜人で間違いない。人間である俺は本来ならば膝を折っていなければならないだろうが、そんなこと知った事ではない。
「そのままの意味さ。目的が一致して行動を共にしている。それより、リシュウ老師は在宅かな? 都合が良ければお目通り願いたい」
「爺様は今……」
「シュンメイ。珍しい客人じゃ。お通ししなさい」
奥からしわがれた老人の声がする。昨日見た時はメイファに対する親愛の情が溢れていたが、今の彼は普段見せているであろう怜悧な印象を隠していない。
「貴方の知識にお尋ねしたいことがありましてね。まあ、こいつで一杯やりながらお話でも」
俺が持参した酒壷を揺らすと、老人の相好が崩れる。彼の酒好きの話はソウテツたちから聞き及んでいたので準備に怠りは無かった。
「かぁーっ! こいつはなんという名酒じゃ! 魂が洗われるようじゃわい」
如月に選んでもらった銘酒を贈るとリシュウ老は挨拶もそこそこに愛用の碗で酒を飲み始める。
そして第一声がこれである。こちら側の酒を昨夜飲ませてもらったが、米の酒でも全体的に粗い味だ。如月に言わせると精米と発酵と上槽が甘いとか言ってたが、よく解らん。
しかし、彼の選んだ酒と比べれば雲泥の差である事は、リシュウ老の態度から見てもよく解る。
「あの嬢ちゃんはナリこそ大きくなったが、まだまだヒヨッコよの。一様の家に出向くというのに手土産一つ持参せぬ。育ちがよすぎたのか、客は向こうから来るものだと未だに思うとるようじゃ」
まだ一口目だというのにここにいないメイファへの説教を始めるリシュウだが、その件はこちらにも言い分はある。
というのもフェイリンや俺が何か土産をと言っても頑としてメイファが受け付けなかったのだ。あんな爺に気を遣う必要などないと突っぱねたあたり、彼女もまともに話す気は無かったようである。
「過ぎたこととは言え、メイファのあの態度は珍しい。まだ付き合いは短いですが、あのような振る舞いは始めて見ましたよ。老師はなにをしたんです?」
空になった碗に酒を注いでやると、老師は顔に似合わず口を尖らせて言い訳を始めた。
「なに、昔の時分に寝小便を垂れたあやつの布団を乾かしてやっただけよ。ただそのときに”天下の大海”と立て札を立ててやったかもしれんの。ああ、そういえばご家族にもあやつの芸術を披露したかもしれん」
そ、そいつは……メイファ、ご愁傷様だな。君の怒りはよく解った、この爺さんの罰は今下るから少し待っていてくれ。
「爺様、最っ低!!」
そこに酒肴を持ってきてくれた孫娘のシュンメイが現れたのだ。これまでは来る客人から東方の賢者としてどんな貴種にも下にも置かない扱いをされてきた祖父に尊敬のまなざしを向けてきたのだが、今は汚物にも劣る侮蔑の視線を送っている。
「シュ、シュンメイ!? こ、これはじゃな……」
「あの気高く尊いメイファ様になんて仕打ちを! 信じられない!」
「ああっ、シュンメイ……」
酒肴を叩きつけるように俺達の間に置いたシュンメイは憤りのままに部屋を飛び出していってしまう。
実は昨日、派手にやりあったリシュウ老とメイファの仲を心配してあの屋敷までわざわざ謝罪に来てくれたほど心優しい少女なのだが、尊敬していた祖父のあまりの所業にすっかり裏切られた気分なのだろう。
「なんと間の悪い……多感な年頃のお嬢さんにはきつい話題でしたな。後で私からも口添えをしておきますが、今は時間を置いたほうがよろしいかと。なに、あれほど老師を尊敬していたお嬢さんです。すぐに機嫌も直されるでしょう」
もちろんシュンメイの来訪を解っていてこの話題を振ったので、これも仕込みの一つである。
今すぐにでも孫娘の後を追いたそうな老師を引き止め、こちらの会話を続けさせた。
彼が孫娘を溺愛しているのは周辺では周知の事実だ。口先の鋭さでは他の追随を許さず、偏屈で知られる彼が周囲と揉め事を起こしてもシュンメイが強く言えばたちまち矛を収めてしまい、場が収まるなどいうことが頻繁にあるらしい。他に係累も絶えた老師には自分を慕って面倒を見てくれる孫娘は目に入れても痛くないほど可愛がっているのは間違いない。
「ふん。それでお主は何用でここへ来たのじゃ? 嬢ちゃんに与力しろというなら聞かんぞ。本人がここへ来て頭を下げるの筋じゃからの」
「貴方の経験と智謀はメイファの道に必要だと思いますが、それは彼女にさせますよ。俺の用件は完全に別件です。貴方の賢者としての智慧を紐解いてほしいのです」
そして俺はこの世界の事を老師に聞いて回るのだった。
「何じゃと!? 魔の森にいきなり跳ばされたじゃと? そんな馬鹿な、と言いたいが確かにおぬしの異相はこの辺では全く見かけんの。西のほうに住む耳長どもはお主の様に色白と聞くが、耳は間違いなく人間のものじゃしの」
「自分もこの世界にいきなりやってきて解らない事ばかりです。そこでものを知る賢者に教えを請おうと思った次第で。初めて訪れた村でメイファと出会えたのは幸運でしたが」
俺達の話は盛り上がった。<交渉>や酒の力も手伝ったのかもしれないが、やはりリシュウ老は賢者とよばれるだけあって、未知の知識の吸収に貪欲だった。
俺は色々書き加えている自作の地図を取り出しながらこれまでの道中を説明してゆく。
「俺は森のこの辺りにいきなり飛ばされて森をしばらく彷徨いました」
「あの魔の森でよく命が保ったのう」
「俺はここの人間じゃないですから。ここにはない道具も色々もってますし」
そうして魔導具を見せるとリシュウ老の顔色が変わった。
「そ、それを見せてくれ!! ま、まさか伝説の神器だとでもいうのか。何もない虚空に火や水を生み出すことができるという眉唾物の代物じゃぞ」
「ここじゃ魔力が少ないんで一回きりですが、出来ますよ。それは着火の魔導具です。ここを押すと、ほら火が」
「おお、なんと! こんなことが……伝説は事実じゃったのか! 天都の宝物殿には天変地異さえ起こす神器が秘蔵されていると聞くが……」
「道具は有っても使えるかどうかは微妙でしょうが。こっち側、全体的に魔力少なすぎますし」
魔石で魔力を補うのかもしれないが、そもそも魔物がいないので魔石さえ存在しない。ためしに魔石を渡してみると老師はそれを色々触っているが、やはり未知の品のようだ。
「興味深い、まことに興味深いのぅ。人生も晩年に差し掛かって、こんな事実に出会うとはの」
「というわけでして帰り道を探しているのですが、まずはこの地がどんな所なのかを知るところから始めようかと」
「なるほど、そこでこの老骨の出番か。確かに近くではろくな伝承さえ残っておらん。領都に小規模な図書殿があるくらいじゃ」
「その領都とやらがこの辺りでしたっけ」
俺が手製の地図に場所を書き込んでいくと、横から筆が奪われリシュウ老師自ら腕を振るってくれた。
「ここが東の領都じゃな。ここが商都、そしてすぐに中央へ至る道がある。中央は天帝の直轄じゃが、大きさ自体は大してない。他に東西南北の領地がこのように位置しておる。北は峻険な山々が連なり、南は肥沃な穀倉地帯。南の土地が実れば天下は潤うといわれるほどじゃ。西の地は湿地が多いが、耳長どもと国境を接しておるため天軍が張り付いておるという建前じゃ。奴等が閉鎖的な国のため、西部天軍の実情は呆れるほどらしいがの。尤も、それは中央以外の天軍も同様じゃがな、何処もかしこも腐敗しておる」
リシュウ老師の口は酒とおかげでよく回るようになった。俺は彼の手を借りながらこの国の地図をより詳細なものにしてゆく。
「南の地を東西に流れる川こそこの国一番の大河じゃ。周囲の赤土を削り取って流れるその色から紅河と呼ばれるのじゃが、地盤が脆くて何度治水を行っても氾濫を繰り返す困ったやつじゃ。しかしてそれが作物によい影響を与えるのか、翌年は決まって大豊作になるという」
「この北の地にある一つの山が定山じゃ。代々の天帝が封禅を行ったとされる聖地じゃ。意外とここから北西に進むと障害なく着くという穴場じゃ。しかし現天帝はこの義を行えておらん、即位後すぐに内乱が勃発したから無理もないのじゃが、お陰で反乱者に正当な天帝足りえずとの根拠を与えてしまっておる」
「そりゃ面倒な。相手に口実を与えるくらいなら少し危険でもその儀式を行うべきじゃないんですかね」
俺の言葉に老師は烏賊の一夜干しを噛みながら首を振った。既に孫のシュンメイが持ってきた酒肴は切れており、俺が出したつまみで一杯やっている。既に酒の壷も3つ目であるが、さすが酒豪で鳴らした老師だけあって顔に酒精の影響はあるが、その瞳と頭脳は明晰なままだった。
「反乱者、かつての第二皇子の本拠がその地の近くなのじゃ。即位に必要な九鼎や玉璽は現天帝が所持しておるので正当性は間違いないが、封禅を行わねば真たる天帝とは言えぬ。国が乱れているのも突き詰めれば、そこが問題よ」
スルメの足を俺にぴしりと突きつけながら断言する老師。
俺はこの地の情報を得るために来たので、この地の政情はどうでもいいのだが……やはり賢者と呼ばれる人種は自説を人に話したくてたまらないのだろう。ここは付き合ってやるとする。
「老師の見解を伺ってもよろしいですか?」
「うむ。天帝とはその徳によって地の民を慰撫する者を指す。それは大神の代理人としてではなく、己が行動で示すべきものよ。すなわち、現天帝も反乱者もすべからく帝の資格なしということじゃ! 天が乱れるという事は既に天帝がその力を失っている事と同義であるからの。それを理解せず、あの愚か者どもは自らの私欲のために国を過っておるのに気付きもせなんだ。なんと嘆かわしい事よ」
「だから老師は影ながらメイファを支援してきたということですか? 彼女にはその資格があると?」
「な、何を唐突に……」
嘘を許さない瞳で老師を見据えると、彼は観念したかのように天を仰いだ。
「そういえばこの都を随分と掃除しておったようじゃな。その時かの?」
「ええ、目障りな連中を始末していると老師が張った網にかなりの頻度で辿り着くんですよ。貴方は張り巡らせた情報網でこの都や他の地方の情報を集めていたんでしょう。恐らくは天軍の動きを察知し、ソウジンたちにメイファの危機を伝えたのも貴方ではないかと見ています」
「…………」
「別に真実を話してほしいわけではないので正誤はどちらでもいいのですが、やはり彼女は老師が入れ込むほどの才気ですか? 俺も一目見た瞬間に只者じゃないなと思ってましたが」
黙りこんでしまう老師を見て、俺は失策を悟った。彼からこの国やいろんな場所の情報を得る事が目的だったのでこんな際どい会話をする気は無かったのだが、つい聞いてみたくなってしまったのだ。
非礼を詫びてお暇するかなと考え始めたころ、黙って酒を口に運んでいた老師がぽつりと言葉を口にした。
「あの娘と出会ったのはあの子がまだ4つの頃じゃ。父親から子供達の勉学を見てくれと頼まれたのじゃが、どいつもこいつも盆暗揃いでのう。儂は適当に茶を濁して済ませるつもりじゃった」
碗の中の酒が切れたようで、舐めるようにちびりとやっていた彼に俺は新しい酒を注いでやり、続きを促した。
「子供の養育は大抵の名家が6つの頃に始めるのじゃが、父親のたっての願いでメイファ嬢ちゃんの勉強も見てやる羽目になってのう。儂は半ば嫌がらせのように四書を置いてこれを読んでおけと突き放した。まあ、儂も若く大人気なかったのは認める」
メイファの年齢から逆算すると、この時既に老齢と言ってよかったはずの老師だが若いって、まあいいか。
「ところがじゃ。嬢ちゃんは翌日出向いた儂に次を寄越せと言いおる。四書はどうしたと訊ねたらもう読み終えたと返しおった。確認してみると確かにあの難解な四書を理解しておった。儂は驚いた。天に愛された才能など不断の努力で為すものだと思っておったが、目の前にはまさに天の才が降り立っておった」
「続いて五経、十三経と読み解いた頃には、儂は全身の血潮が沸き立つのを感じた。この少女こそ、まさに天が与えた稀有な才であるとな。それと同時に、この少女を守らねばならないと強く感じたのだ。嬢ちゃんの兄妹は典型的な俗物、幼い妹の才を喜ぶどころか邪魔と見て粛清しかねんとな」
「彼女の才はそれほどのものですか」
四書とやらがどんな書物なのか知らないが、老師の口振りからして酷く難しそうなものなのだろう。
「震えが来るほどにな。嬢ちゃんは齢6つにして己が立場を理解し、政治的に最善の行動をとるように心掛けていた。じゃがそれも反乱で全てがご破算になったがの」
その頃には天都に住んでいた老師は既にメイファを主と仰いでいたソウジンとソウテツに命じてメイファを落ち延びさせ、養い親のロジンから定期的に連絡を受け取っていたようだ。
「なるほど。貴方がメイファと再会したとき、非常に上機嫌だったのはそれが理由でしたか」
「お主には本当に感謝しておる。話を聞けば嬢ちゃんは幾度となく命の危機にあったとか。それを救ってくれたのはお主だとな。儂等の希望の火を絶やさんでくれて、感謝するぞ」
「そこまで入れ込んでいるなら素直に協力してやればいいじゃないですか。あいつも好き好んで面倒な道を突き進んでいるんですから、貴方の力は絶対に必要なはずです。放って置くと勝手に天軍に突っ込んで行きかねませんよ?」
「それとこれとは話が違うわい。あちらから頭を下げるのが筋じゃろう。なんで儂がこっちから手を貸してやらにゃならんのじゃ!」
うっわ、面倒くせぇ。あそこまで手間と金を掛けてメイファを影ながら助けていたのに、表立っては嫌だとか、素直じゃないのも筋金入りすぎるだろ。
でも気になっていた事は解った。本人も意地を張っているだけで、メイファを本心から嫌がっているわけではなさそうなので、仕留めにかかろうか。
「でももう外堀は埋まっているようですよ? ほら、嫌に周りが静かだと思いませんか?」
時刻で言えば各家庭は夕餉の時間であるはずだ。普段ならこの庵も孫娘のシュウメイが準備を始めていてもおかしくないのだ。
異変に気付いた老師が慌しく立ち上がり、孫娘の名を呼びながら飛び出すとしばらくして肩を怒らせてこちらに戻ってきた。
「お主、謀りおったな!? これはどういうことじゃ!」
「見ての通りでは? 俺がなにかしたわけではないですよ。書いてある通りじゃないですか」
老師の手にはここいらでは一般的な木片(紙の代わりである。紙は高価なので庶民は普段使いしない)が握られている。そこにはこう書かれていた。
『私が爺様の代わりにメイファ様にお仕えします。私が誠心誠意働く事で爺様の非礼をお許しいただくつもりです』
「儂のかわいいシュンメイを奪いおったな!? 小僧、どうしてくれようか!!」
激昂する老師だが、本当に俺が何をしたわけではない。強いて言えばあの話をシュンメイが来る時期を見計らって話させた位だが、それは俺が悪いわけではないだろう。
「俺に怒られても困りますって。お孫さんに何かしたわけじゃないのはそちらだってご存知でしょうに」
俺はこれ見よがしな溜息をついてみせる。怒髪天を突く勢いの老師だが、俺の言葉の一部分は事実なので反論はないようだ。
もっとも、大部分は仕込みである。
俺は老師の力は絶対にメイファに必要だと考えていた。ともあれ暴走しがちなメイファを抑えられるのは今のところ俺だけだが、この人は俺の代わりに彼女を諌める事が出来るからだ。
そして感情的になっても消して理性を失う事はないメイファは渋々納得するだろう。
初対面で彼を手に入れる事は確定事項だったが、同時に酷く難航するであろう事はメイファとの話し合いでも明らかだった。
そこで俺は方針を変えた。相手が来る気がなくても、来る他ないようにしてしまえばいいのである。
シュンメイに白羽の矢が立ったのは当然の帰結である。現世に未練のなさそうな老師の唯一の拠り所といって良い彼女だが、シュンメイ自身はいたって普通の女の子である。
つまり、甘味で簡単に釣れた。
俺が怒り心頭のメイファの前に大量の甘味を用意したのはそのためである。シュンメイが祖父の非礼を詫びるためメイファの元を訪れるであろうことは<マップ>で掴んでいた。
彼女をメイファに会わせるであろうソウテツには老師を得るためには孫娘を手に入れるのが早道だと告げると、察しの良い彼は万事任せておけと胸を叩いて応じた。
そして謝罪に訪れたシュンメイを機嫌を良くしたメイファが歓待し、甘味に溺れされると同時にソウテツがふと一言洩らすのだ。
”どこかに年頃のメイファ様の身の回りを世話してくれる身元の確かな女性は居ないものか”と。
シュンメイに甘味と風呂の攻勢を浴びせ、ここで働いてくれたらこれがいつもの光景になりますよと匂わせると、後はもう簡単だった。
本人は祖父の面倒があると表面上渋ったものの、老師様もお力をお貸し下されば万事解決するのですが……と悔やんでいるソウテツの姿を見せた時点で既に勝敗は決していた。
あとは俺が先ほど出向いた際に老師への手土産とは別にシュンメイへの甘味を土産として渡してやればその歓喜の表情を見て俺は策が成ったと確信した。
あとは尊敬した爺様がメイファ様に酷い事をしてしまった。私が償いをしなければと理由を与えてやれば、勝手に彼女が動いてくれる。
そうしてかわいいかわいい孫娘がいなくなってしまった老師の行く先も一つしかないだろう。
「お主、妖怪の一種じゃな!? こんな悪辣な手段を用いおって!」
「何を仰っているのかわかりませんね。我々はお孫さんを拐かした訳ではないですよ。居場所もわかっているし、今からでも追いかければよいのではないですか?」
「儂から嬢ちゃんのいる屋敷に出向くなど……格好がつかんではないか!!」
本当に意地っ張りな爺さんだなおい。俺はこれ見よがしな溜息をつくと、彼に逃げ道を用意してやった。
「老師はメイファに会いに行ったのではなく、お孫さんに会いに行ったのです。そこでメイファに会ってしまってもそれは仕方ないでしょう? 老師の目的はシュンメイであってメイファではないから、気になさる事もありません。この事は私から屋敷の者に徹底させます」
「そんな言葉に乗せられるものか。あの嬢ちゃんが儂に力を貸してほしいと頭を下げん限り儂はなにもせんぞ」
「お互いにそれを貫き通すとあいつが突っ込んで死んじまうからこうして策を弄してるんですって。ここはひとつメイファのために大人になっちゃくれませんか?」
埒が明かないのでここは俺が折れることにした。
賢者と呼ばれる人物が他人の手の上で踊らされるのが我慢ならなかったのか、俺が頭を下げると老師はこれ幸いと条件を口にした。
「この酒を一日一壷で手を打とうかの。ほれほれ、決まったらさっさと屋敷に向かうぞ。夕餉の時間も大分すぎているしの」
ころっと機嫌を直した老師はそう言うとすたすたと歩き始めてしまう。あまりの変わり身に呆気にとられている俺を見て東方の賢者はにやりと笑った。
「儂は孫が心配で心配でたまらない爺じゃ。まれに物の見えていない嬢ちゃんにも悪態をつく事もあろうが、それはただの独り言じゃからな」
本当に素直じゃねぇ爺だな。
口まででかかった言葉を飲み込んだ俺は苦笑を浮かべなからも夜の道を老師を連れて屋敷へ戻るのだった。
「ユウキ、これはどういうことだ!? 何故この爺が屋敷に居る? シュウメイの申し出は有難く受け取ったが、この爺は何も聞いていないが」
「ふん、儂は孫が心配で顔を見に来ただけじゃ。嬢ちゃんには何の関係もない、しょ……むぐぐ」
またもや危険な言葉を発しそうになった老師の口を抑えた。この爺さん、メイファを見ると憎まれ口を叩かずにはいられないのか? 好きな異性を目の前にした思春期のガキじゃあるまいし。
「これはこれはリシュウ老師様。ようこそ御出で下さいました。ささ、どうぞ奥へ」
「おい、私の話はまだ……まったく」
機転を利かせたソウテツが老師を屋敷の奥に連れて行ってしまったのでメイファも居候の身で出て行けと叫ぶわけには行かず、怒りの視線を俺に向けてきた。
「ユウキ、どういうことか説明をしてもらえるのだろうな?」
「どうもなにも、老師がお前に必要な人間であるとすぐにわかるさ。それより、若い連中が君に会いに来なかったか?」
怒りに染まっていたメイファも俺の言葉で思い出したのか、そういえばと手を打った。
「ああ、来たな。何でも君の舎弟がゾロゾロと連れだってな。君に認められるためには私の元で身を粉にして働く必要があると言っていたが……」
「君の元で上手く使ってやれ。ああいう連中は兵隊とは違った力を発揮するからな」
「言わんとする事は解るが……しかし何故あの爺に君はそこまで肩入れするのだ」
メイファはこれまでの印象が悪すぎて老師に悪感情しかもっていない。話を聞くと全面的に彼が悪い気はするが、性格に難があれどあの才を用いないのは今のメイファには愚の骨頂だ。
「まあ今は飯にしようじゃないか。君も今日は色々と人に会って大変だっただろう」
「全くだ。ソウジンが会えと言うから会ったが、これほど客人がやってくるとは思わなんだ」
「それだけこの国が乱れ、そして君が必要とされているって事さ。少しは実感できてきたか?」
「よく解らんな。それにあの爺のお陰でそんな事は頭から吹き飛んでしまったぞ。全くあの爺め、いったいどういうつもり……」
メイファの視線は現れた老師に視線に釘付けとなっている。彼はそれまで纏っていた服を、礼服に着替え、身なりを完璧に整えていた。先ほどまでのどこか人を食ったような感じは消え失せ、冷厳な印象を周囲に与えている。
これが東方の三賢と謳われた人物かと納得させられる空気を発していた。
「殿下。古来より賢者の行いとは王者を援け、また在野に埋もれたる才を推挙することにございました。この爺も賢者の端くれと名乗る以上、真似事のひとつもせねば名折れというもの。御聞き届け頂けますでしょうか?」
「うむ。賢者リシュウ、わが師よ。あなたの言葉はいつも真理を突くものであった」
「それでは申し上げます。殿下、古より天が乱れる時、地に宿星満ちたりと申します。その格言どおり、今このフギンの都にはこの天下に名を馳せるであろう偉才が二人、埋もれております。殿下には是非ともこの二人を召抱え、その道への一助とされますよう、この老骨めが伏してお願い申し上げます」
楽しんで頂ければ幸いです。




