別離と決意
誤字脱字、言い回し修正しました。
済みません、整合性のために借金の利子を300枚にします。
本筋には関わりませんが、他の金貨の描写も変えております。
俺ことユウとはぐれ妖精のリリィは盛大に頭を抱えていた。
原因は目の前にある一枚の紫色の書類にある。
こいつは魔約定と呼ばれる紙だ。精霊と魔術を組み合わせて行われる契約書で、現存数が少なすぎてあまり詳しいことはわかっていないが、絶対に逃げられない強力な呪いがかかっているとか破れば死ぬとか言われている。
けしてギルドの入会に必要な書類ではない。しかも内容は天文学的な金を俺に貸したという。その数金貨千五百万枚。せんごひゃくまんまいである。馬鹿げている、などという話ではない。この大陸の金貨をすべて集めても絶対に足りない。子供の与太話のほうがまだ信憑性があるほどだ。
だが、洒落や酔狂でこの魔約定が使われることはない。リリィに聞いた話だが、この契約書は強力な分だけ費用も相応にかかるらしい。その費用、一枚につき金貨10枚だ。金貨10枚あればこの街の最高級の宿屋に一月は泊まれる額である。
幾つかの系統の違う魔術を同時に駆使して行う貴重極まりない契約書で国家間の条約や大商人たちの商談の契約として使われるのが一般的らしい。なんでそんなものがここにあるんだよ……。
そして、契約書にはライル・ガドウィンの名前がはっきりと記されていた。元貴族だけあってかなりマシな教育を受けていた彼の字は実に綺麗で、それ故に書き足して他の文字に誤魔化すこともできず、その筆跡に彼の僅かな魔力の残滓も見て取れた。この世界の貴族連中は皆、魔術師の素養をもっており、それは現役だろうが没落しようが関係はない。魔術師だから貴族、血脈だけがその意味を持っていた時期もある。そのおかげではっきりと契約の魔力が発動されている。本人確認もばっちりである。
目をこすってみた。現実は変わらなかった。最悪である。
とりあえず出来ることはやってみた。忙しい時間の過ぎた人もまばらなギルドの中を、いまだしっくり来ない体を慎重に動かしてカウンターに向かう。まるで自分の体ではないような違和感が酷かった(実際、自分の体ではないのだが)。
結果から述べるならばすべて無駄だった。半ばわかりきっていたことだったので衝撃は少ない。ギルド側もそちらが魔約定などという高価な契約書をたかが新人登録に使うはずがないし、ギルドもそんな書類がいきなり混ざっていたことを謝罪した。こちらの悪質な強請りたかりではないことも理解してくれた。
だが、契約を無効にすることも出来ないと言われた。やはり本人のサインのある契約書を一方的に破ることはできないからだ。しかも魔約定だ。契約を破れば、物理的な危険が来るのは間違いないと思われた。
魔約定が危険なことだけは噂されていたが、実際にどうなるのかは殆ど知られていない。その理由は明白だ。
今までに交わされた契約者は王侯貴族や大陸を代表するような商人たちばかりで、契約を違反するリスクより、それによりメンツや信用を失うことのほうが致命的な失態となる連中だからだ。彼らにとってそれを失うことは死よりも辛い事であり、誇りにかけて契約を履行してきたのだとリリィが得意げに語っていた。
何故彼女が得意気なのかはわからないが、どうも俺に何かを教える行為がとても楽しいようだ。
というわけで、事態は何も進展しなかった。とりあえずギルド側が俺に金貨を貸した側ではないことだけがはっきりした。受付をしていた怜悧な印象を持つ長い黒髪の女性(とても受付嬢には見えなかった。美人だが只者ではない凄みを発していたからだ)がはっきりと、いくらでも替えの効く一山いくら新人冒険者にそんな無駄な事をする意味はなく、ギルドもそんなことをするほど暇ではないと言ってくださいました。
明快極まりないお言葉に怒るのも忘れ、思わず頷いてしまった。ただ、頭上のリリィがなんだとーこのあまー、怒ってくれたからよしとする。まあ、彼女は精霊と交信する能力を持たなければ会話どころが存在を認識さえ出来ないので反論もなかった。聞こえていたのは俺だけである。
まあ、これでわかったこともある。まず一つ目は、「やっちまったなライル君」ということだ。完全にライルのミスで、ぐうの音も出ない。まあ、契約書あるあるという奴だから同情すべき点もある。数枚の紙に名前をひたすら書いてゆくだけの作業だから、ついやってしまうしな。俺にも覚えがあるし。報告や申請に何もかも書類が必要でフネの上でさえ官僚化が進んでしまい、もし負けるとしたらこれが原因と思ったもん………なんのことだ? 記憶なんてありはしないのに。
二つ目は魔約定をちゃんと読んだことだ。笑えるくらい本当に酷い契約書だ。書いてあるのは文章二つ。ライルに金貨千五百万枚を貸したこと。五日後から利子として金貨300枚を毎日徴収することだ。
金貨300枚である。まあ、5万分の一だから利子としては安いよ、やったね!……なんてなるわけねえ!! ちくしょうめ、毎日金貨300枚なんてありえない。普通の一家が20年は余裕で暮らせる金額である。昨日、このウィスカの町へやってきたライルが羨望の眼差しで見ていた新品の鉄の剣と鎧のセットが金貨5枚だった。額が額なので一瞬良心的と思ってしまった自分を殴りたかった。
しかもこれを毎日である。先ほど流し見た現状受けられるギルドの依頼の最高額がブラックラビット討伐、5匹で銀貨2枚だった。単純に銀貨20枚で金貨1枚の計算なので、一日15000匹狩らなければいけなくなってしまう。周辺の全てのモンスターを狩りつくしても届かない数字だ。というか、黒玉が絶滅するわ!
ブラックラビット通称黒玉は、黒い毛並みの中型モンスターである。畑を荒らす害獣だが、新人冒険者の練習相手にもなり、その肉は地元の狩人の収入源でもあることからギルドが常時依頼を出している。初めてのクエストが黒玉狩りという者も多く、また屋台で売られている肉の何割かは黒玉である。こいつを卒業すると上位種のホーンラビットに挑戦と言うのがこの辺りの冒険者の基本的な流れだ。
だが、俺たちにそんな余裕はありそうもなかった。魔約定にはそれだけしか書かれていないのだ。金貨を貸した奴が誰なのかも、そもそも俺が、ライルが借りた金貨はどこにあるのかもわからなかった。今すぐその借りた金を返せば、馬鹿げた利子の無効は無理でも、交渉次第でどうにかなるかもしれなかったのに。それすらできない現状はもう頭を抱えるしかない。
そして三つ目、これがある意味非常に大事だった。やらかしてくれたライル君本人である。てっきり意識を失っているだけかと思っていたが、それどころではなかった。
「ライルのエナジーが完全に感じられないんだけど……」
リリィが呆然とした声でつぶやいた。エナジーって何だったかな。何かの力だって事は覚えているが……
「生きるための力のこと!!ライルをライルたらしめているものだよ! ユウだってさっきまでエナジーの集合体だったんだから!」
「それ、ないとまずいんじゃないか?」
リリィは周りから見えないので俺は独り言を言っている事になる。とても怪しいので自然と小声で話していた。
「まずいなんてもんじゃないよ!このままライルは二度と目を覚まさないかもって言ってるの!」
「何だってっ!!」
思わず立ち上がってしまった。人気のあまりない昼前のギルドとはいえ視線が痛い。だが俺はそんなことを気にしていられなかった。
「何か手はないのかよ。リリィは何でも知ってるんだろ?」
「エナジーは生きる意思そのものだから……生きる気がないとエナジーは湧いてこないよ……」
なんてこった……ライルは死んじまったのかよ……。
途方もない衝撃だった。誓って言うが俺はライルの死を望んだことはない。ずっと後ろから眺めているだけで、たまにリリィと二人で彼の行動をああだこうだ言っているだけの憑依霊人生だったけれど。
無論不満もあった。自由といえば自由だったが、あまりにも空虚だった。たまには俺もライルの体を動かしてみたいと思ったこともある。彼が睡眠中など、なんどか誘惑に負けそうになったこともある。
それでも彼の人生は彼のものだった。理由は自分でも解らないが、決して手は出してはならないと、どこか一歩遠慮していたような気もする。
それになによりも、ライルはいい奴だった。掛け値なしにいい奴だった。赤ん坊の頃からライルを見てきた俺が言うから間違いない。冒険者になったのだって家族の負担を減らすためだ。彼の年齢は15歳。本当なら再来年辺りで冒険者になるのが普通である。
だが、彼の村を襲った不作がそれを変えてしまった。隣村や領主の努力で何とかしのげるだけの余力はあったが、いずれは出て行くのだからと彼自ら村を出ることを言い出した。
むろん両親と二人の兄、幼い妹は止めてくれた。まだ早い、もう数年待つべきだと。本心からそう言ってくれているのがわかり、憑依霊の俺も思わずもらい泣きしてしまったほどだ。
そうして彼は生まれ育った町を出た。乗合馬車と徒歩で二週間をかけ、このダンジョンの町であるウィスカにやってきたのだった。俺たちはライルの栄達を望み、彼のレベルが上がればいつか俺たちとも話せる日がやってくるんじゃないか、そうすれば3人で協力してのしあがってやろうと未来を話し合っていたものだった。
「ライル……お前さあ、死んじまったらなんにもならんだろうによ……」
てっきり気絶だと思っていた俺はライルが意識を取り戻したらどんな助言を残してやろうかと考えていたが、その機会は永遠に失われてしまった。
「リリィ、ライルが生き返る可能性はあるのか?」
彼女は力なく首を横に振った。本当にないのだろう、万事に詳しい相棒が知らなければ俺が知っているはずもない。
ちくしょう、ライルは魔約定に書かれている内容を見て、故郷の家族の迷惑になることを考えたに違いない。そういう優しい少年だった。俺は聞いたことがないが、元貴族である彼は魔約定の存在を知っていたに違いない。
だが、命を絶ったところでその悪辣な借金の魔の手から逃れることは出来そうにない。
「田舎のみんなに被害がいくと思うか?」
「たぶん。ライルの魔力を辿って家族まで行くのはそう難しくないよ。今でさえ、契約の魔力はしっかりと発動しているわけだし……」
俺がライルの体にいるから、契約はしっかりと生きているわけだ。
正直、俺がこのまま死んでしまっても事態は何も変わらないな。そのまま田舎のライルの家族に借金が行くだけだ。
ならば、やるべきことは、ひとつしかなかった。
息を吸った。こんな当たり前のことがひどく懐かしかった。
ゆっくりと目を閉じた。暗闇が視界を覆いつくした。
いろいろなことを考えた。無茶、無謀、馬鹿げてる、ありえない、何故こんな事を? 様々な感情が渦巻いた。だが、逃げることだけは考えなかった。
ゆっくりと目を開けた。目の前にリリィの顔があった。不安げではあったがどこか不敵さも併せ持った顔をしていた。
「何を考えていたの」
「たぶん、君と同じことだな」
リリィの瞳の中には15歳の少年が映っていた。その少年は先ほどまではどこかあどけなさを残す頼りなげな顔立ちだった。しかし今でははっきりと決意を込めた歳に似合わぬ厳しい顔をしていた。
「リリィ。手を貸してくれないか?」
「あったり前でしょう!ユウは私がいなければ何も出来ないんだから!」
腕を組んで大いばりしている妖精を見上げながら、俺は厳しい表情を少しだけ弛めた。俺は一人ではない、この苦しい戦いも相棒が居れば何も怖くない。俺達は心の底から信頼しあっているのだ。
「ありがたい。君がいなければ話にならなかったよ。じゃあ、とりあえずここを出よう。流石に人目が多すぎる」
目の前の諸悪の根源拾い上げて懐に入れると俺は両の足に力をこめて立ち上がった。
先ほどまでの違和感はもうなかった。完全に自分になじんだようだ。記憶にある少年はもう二度と帰ってこないことが否が応にも感じられた。
この体の本当の持ち主だった少年はもうこの世になく、取るに足りないちっぽけな元幽霊が中にいるだけだった。オマケに自分が何者なのかもわからないという体たらくだ。
希望はとうに失ったが、さりとて絶望だけはけして抱いていなかった。
俺達の顔に悲愴感もない。二人の中にはこの状況でも活路を見出せるものがあったからだ。
「準備をしよう……はじめから全力でいく。出し惜しみはしない」