遥か遠き30層 2
お待たせしております。
「なるほどな、その各所にあるスライム溜まりを駆除しないとそこが階段か判断できないのか……」
28層の厄介な仕掛けを理解したジェイクは俺が経験した面倒臭さを想像したのか、彼もうんざりした顔をした。
だがこれはあくまで個人で潜っている俺が割を食っているだけの話だ。ウィスカに集う他のパーティーならスライム程度の相手であれば、分派して人海戦術で階段を発見できるだろう。
俺が単独でやっていくために編み出した<魔力操作>で毎日位置が変わる階段を探す方法が、ここでは使えないだけだ。
だだ、手分けして階段を発見したとしても、それをどのように仲間に知らせて1層の5倍ほど広くなった28層で合流するかはわからないが。
それに現れるスライムも一種類ではない。相反する弱点属性以外は如何なる魔法攻撃も吸収してしまうし、スライムに物理攻撃が効くはずもない。俺は見たことがないが、下手をすれば分裂までするらしい。
もちろんウィスカの特徴である大量出現はそのままであり、凄まじい物量でふるふるふよふよと押し寄せてくる。
ユウナに聞いた話では多くのスライムはのしかかって押し潰したり、強酸を出して捕食対象を溶かしてしまうそうだが、ここの色とりどりのスライム達は、その属性に応じた魔法をバンバン放ってくる面倒な敵だ。
<結界>で難無く防げるので脅威ではないが、数は多いので鬱陶しい事この上ない。それに、
「スライムってことは、アイテムも期待できないわな」
ジェイクの諦めたような溜息に応じるように俺は懐から小さな石を取り出した。
「精々このスライムの虹核とやらです。それ以外は普通にスライムの核ですよ。当然魔石も落としません」
この虹核とやらは一応金貨15枚の価値らしい。あの層に極僅かに現れるレインボースライム(そのまま過ぎて初見は噴いた)が落とす通常ドロップ品だが、今日の遭遇数は5体ほどでしかない。硝子製ではないがそれっぽい透明な石だ。だが光に翳してみると虹という言葉に相応しく七色に煌めいてとても美しく、荒んだ俺の心を仲間と共に癒してくれた。
だが、めぼしい物はそれくらいだ。後は銀貨3枚の価値しかないスライムの核の山があるだけだった。
宝箱の中身も悲惨の一言だ。今日なんてポーションが現れ、思わず宝箱を蹴り上げたほどだ。23層で漆黒の魔法の短剣が見つかり、金貨80枚の価値があったのにそれより下の層で銀貨3枚相当のポーションが出てくるのだから俺のやる気は急降下だ。
これでモンスターの強さに応じた魔石でも出れば気持ちもいくぶん違ってくるのだが、スライムはどんな迷宮でも魔石を落とさないモンスターとして知られている。
物理無効で魔法以外に対策は少なく、ろくなアイテムを落とさない最悪な敵として会いたくないモンスター番付では上位常連。
骨折り損のくたびれ儲けの意味で”スライムを狩りに出掛ける”という言葉があるくらいだ。
俺はうんざりした顔で言葉を続けようとしたのだが、ある意味俺以上にこの場の主役である、受付嬢の皆が例の虹核に夢中だったのだ。
「なにこれ! 凄い綺麗な宝石じゃない。こんな幻想的な石を見たことがないわ!」
「本当に光の加減で色が変わるのね! ちょっとヘレナ、ずっと持ってないで貸してよ!」
「そうですよ、こっちにも貸して……って、流石ユウキさん、貴方が一つだけしか手に入れてないはずないですよね」
ヘレナさんとシリルさんが揉め始めたのでみんな一人一人の前に虹核を転がすと、ヘレナさんは安心したように持っていた虹核を自分の物入れに入れた。
おい、貴族のお嬢様よ。あんたん家の財力なら普通に買えるだろーが。
俺が睨むといっそ清々しいほど目を逸らして吹けていない口笛の真似をしている。
道を歩けば誰もが振り返るようなこんな美人が、無理の有りすぎる演技で誤魔化そうとしているのを見て、思わず吹き出してしまった。
「まあいいさ。みんなにやるよ。あそこを探索してれば嫌でも数が集まるんでね。飾るもよし、売り飛ばすも良しさ」
元々この石も俺が依頼で長い間留守にしていたことに対する詫びの品でもあるので気にはしていない。金貨15枚程度なら26層に居れば一寸(分)で手に入る額に過ぎないからだ。
そして既に虹核を細工職人のロッテ嬢に頼んで宝飾品として仕上げて望んだうちの女性陣に与えているし、仲間たちにとっては今更の品だった。この虹核を最初に手に入れたのは王都に向かうより前だからだ。
そこで周囲の視線に気付いた。ギルドの顔である受付嬢に賄賂を渡すのは当然だが、職員達にもいい目を見せてやらないと恨まれるだろう。しかし、建前上は本日王都より帰還した事になっているのでウィスカのアイテムを大量に出すのは辻褄が合わない。
「そんな目で見られてもな。俺が今日帰ったばかりなのは知ってるでしょうに」
今出しても大丈夫なのは王都のダンジョンで手に入れたアイテムくらいだろうか。あまり高額な品がなかったのでドロップアイテムは結構保管してあった半月(1月半)近く留守にしていたので断続的にユウナに色々持たせてギルドに向かわせていたとはいえ、無沙汰で会ったのは間違いない。
俺は勿体をつけながらマジックバッグを取り出した。中にはリルカのダンジョンで得た様々なアイテムが入っている。あの時得た報酬は基本は山分けだが、ダンジョンボスのドロップ品の多くがアインとアイスに渡ったのでその他の品は多くが俺の手に来たのだ。共に踏破したジュリアと玲二は金貨以外は俺に寄越してきたのでドロップアイテムはそこそこ多い。
「リルカのダンジョンで手に入れたアイテムでいいならここに。買取をお願いしますよ」
よく見る買い取り担当の職員にバッグを渡すと、周囲にいた職員が群がってくる。そこまで高額の品はないはずだが、彼等にとっては貴重な収入の場だ。査定額を若干低めに見積もって差額を自分の懐に入れるのを黙認するのだが、裏金や賄賂があって当然という空気のギルド内ではいたって普通の光景である。
俺の場合は金貨の単位での誤魔化しになるので職員達も目の色が変わっている。
漏れ聞こえてきた声の中にはこれで借金の返済が出来ると喜ぶ奴がいた。順調に俺の毒が回っているようで何よりである。
俺から金が貰えるのが当たり前になれば、毎月それを当てにした生活をするようになる。そしてそこまで依存させれば、いざという時に困るのは彼等だ。
もし俺が窮地に陥った時、友情では動かないことがあっても手に入る金が途切れるとなれば手を貸したり、味方になってくれる奴は多いだろう。
そう考えてギルド職員達にたんまりと金を回している。彼等に賄賂という毒が完全に回るまで後もう少しといった所か?
「リルカといえば、ボスドロップ品は王都の買取に回したぞ。ユウナがこっちに持ちかけていたが、流石にそれをやるとドラセナの面子が潰れるからな。それとは別に下層の地図情報は高値で売りつけてやったが、本当に金は必要ないのか? いや、今更欲しいといわれても既に皆で分配済みだがな」
酒に酔った顔で笑うギルマスに俺は苦笑で返した。既に解決した話だが、初めて顔を出した王都の冒険者ギルドで揉めた際、俺よりユウナがブチ切れて嫌がらせで王都のダンジョンのボスドロップ品や判明していなかった下層の地図情報をわざわざウィスカで報告したのだ。自分の管轄のダンジョンの情報を他支部から教えられるなど屈辱以外の何者でもないし、自分達の懐を潤すはずのボスドロップ品が他に流れてしまえば面目が立たない。
ライバルではあるが、なんだかんだで仲の良いジェイクとドラセナードは結局、相談して融通しあったらしい。ユウナに任せてあるので細部は知らないが、ウィスカ支部としても有益な結果に終わったようだ。
俺は如月が新たに作ったこの世界の原料で製作された酒を全員で飲みながら報告というか、雑談のような会話を続けた。
酒の評判は上々だが、如月自身が満足していない出来なので販売はしばらく先になりそうである。
「結局、リルカのダンジョンは全部で35層でした。隠し階段が見つかりにくい所にあったんで今まで誰も発見できなかったようですが」
「いや、王都のダンジョンは踏破自体が数十年ぶりだぞ。挑んだ奴等が皆帰って来ないから何時からか踏破禁止みたいな空気になっちまってな。だが、お前が攻略したからいずれ他のやつらも続くだろうさ」
ボスが二段構えで待ち構えていることは匂わせておいたが、事前の情報なしでアレに突っ込むとえらいことになるだろうな。
だが、身の危険と栄光はコインの裏表だ。それくらい冒険者なら弁えていて当然だろう。
それからいくつかの話題を周囲の職員と話していたら、突如として俺の横に居たヘレナさんが立ち上がった。
「もう! みんなしてダンジョンの話ばっかりして!! 今日一番の話題にすべき事をみんな忘れちゃったの!?」
なんの事かさっぱり理解が追い付かない俺だが、そんなことは構わずにヘレナさんはユウナを指差した。
いや、ユウナ自身というよりも、彼女の素肌が露出する二の腕と言うべきか。
「ユウナさん、王都で例のアレ、受けましたね?」
突如として話を振られたユウナだが、いつも冷静な彼女は今も取り乱すことなく受け答えした。
「はい。モニターとして協力を求められたのが初めですが、それ以降も継続する必要があるとの事でして施術を受けています」
「やっぱり! この肌の張り、そして艶! 髪なんて輝いてますよ、羨ましい!! ねえユウキさん、何か知ってますよね?」
反論を許さないような断定口調で尋ねてくるヘレナさんから助けを求めるように他の受付嬢の皆を見るが、誰しも目を輝かせて俺の答えを待っていた。受付嬢以外の女性も狩人の眼をしている、助けは期待できそうにない。
「私も気になってたのよね。ユウナさんがギルドに顔を出す度に凄く綺麗になっていくんだもの、ほどなくして王都で全く新しいエステティックサロンが開店でしょう? みんなこれはユウキさんの仕業だって」
仕業って、悪事じゃないんだからと思いつつもどう答えたものか。知ってはいるが、俺は全く詳しくないし担当者でもない。なんとか話を濁そうと頭を捻るが、そんな俺の逡巡を見逃さなかったヘレナさんが畳み掛けてきた。
「既に調べはついてるわ。その場所の名前は”美の館”。王都の貴族の屋敷を改装して美しさに関するありとあらゆる事柄が揃っているそうね。紹介のみの会員制らしくて誰でも入れる訳じゃないみたい。私も会員権を手に入れるためにいろいろ動いたけど全く手掛かりがなかったわ」
「貴族のご令嬢の貴方が無理なら私達じゃ絶対無理よね、普通なら」
その”普通なら”をこちらを見ながら強調してくるシリルさんから俺は目を逸らした。
女性陣の美への渇望は知っていたが、それがギルドの受付嬢にまで及ぶと思わなかった。
それにしても情報伝達が早すぎる。噂話で広がるにしても、”美の館”の存在は完全会員制のため限られた人、それも地位と金のある女性だけにしか知られていない。セリカやエドガーさんが大金持ちから金貨を搾り取るために超強気の値段設定だし、買い物で自分がいくら使ったかなど気にしないような有閑マダムどもを狙って顧客層にしているため周知の必要がないからだ。
セリカに言わせるとあの層は周囲に見せびらかすので勝手に広まるらしい。事実口コミで一瞬にして広まった。
だから何故ウィスカの彼女達が知っているのか疑問だが、おそらく受付嬢たちがギルド間で情報共有しているのだろう。色々張り合っている感じだし、ライカや”緋色の風”の面子は広告塔として頻繁に施術を受けているし、その姿を王都の受付嬢たちが目聡く見つけて情報を流したのだろう。
「俺は無関係ですよ。何をやってるかも、どうしているのかも把握してませんし」
「ユウキさんが無関係でも、お仲間は違うでしょ? 何か聞いてませんか?」
諦めることなく尋ねてくる女性陣だが、実はそれらしい話は聞いていたりする。
どうやら王都の”美の館”の人員が超過しているそうだ。もともとセリカは小さな店舗で地道に軌道に乗せる予定だったが、エドガーさんという凄腕商人とその商会の人員の加入と違法奴隷の綺麗所を纏めて面倒を見るために大型店舗”美の館”開店と相成った。
だが、それでも人員は余りがちだった。大金持ちの貴族たちから遠慮なく金貨を搾り取っているため高額の俸給を惜しみなく与え、休日も存分に取らせているから従業員からの評判は良いようだが、実際は多く休みを与えないと店舗での仕事にあぶれてしまう人が出るからだそうだ。
そしてさらに顧客である大貴族たちから”美の館”に人を派遣したいという要望が絶えないらしい。狙いは明らかに技術の流出だろうが、肝である美容のアイテムは雪音のユニークスキル頼みなのでそこまでの心配はしていない。
むしろ今でさえ多い人員がさらに溢れてしまう方が厄介だが、貴族間の付き合いもあり、ある程度は受け入れなくてはならないだろうというのがセリカとエドガーさんの見解だった。
ただでさえ人が多すぎるのにこれ以上増やすので、その解決策は人を減らすか新たに店を増やすほかなかった。面倒を見ると約束しておきながら一月も経たずに放り出すわけにはいかない。となれば支店を出す方がよいが、王都で唯一の店という特別感を出して金持ち達の虚栄心を満たしているので、候補は他の都市で考えているがその一つにウィスカがあるのだ。
ダンジョンを有する街は経済的に豊かである事が多い。環境的に寂れていると思われがちなウィスカだが、超一流の冒険者が多数所属しているだけあって探索後にギルドにもたらされる金額は王都にも引けを取らないし、それを商う商会の支部も多い。そして数多の成功を収め、孫の代まで遊んで暮らせる金を得た冒険者達をもてなす高級店も揃っていたりする。実は市場としては王都に次ぐ価値を持っているし、なにより俺とセリカの拠点はここなのだ。ここに店を出す意義はある。
そして都合の良い事に人員の目処もついていた。働いている構成比で言えば違法奴隷として浚われた女達が8割近くを占めているが、その全てが煌びやかな王都での生活に満足を覚えていたわけではない。
生まれが田舎で都会に憧れを抱いたものの、期待通りとはいかずに馴染めないもの達も一定数存在した。そんな彼女達に支店を考えていると告げると好感触を得たという。開くのは美容関係の店を考えていて、後は良さげな物件を考えている段階にまで話は進んでいるらしい。
そのような事をぼかして告げるとこの場の女性陣はヘレナさんに視線を向け、彼女は力強く頷いた。
「すぐに家の者に話をするから。最高の物件を手配するし、必要ならうちの別邸を使ってくれても構わないわ。私と母が居れば父の説得なんて楽勝だし!」
一瞬、娘と妻に雑に扱われるヘレナさん家のご当主の悲哀を感じ、他人事とはいえ同じ男として同情を禁じ得ない。
「さっきも言ったが、俺はこの件では部外者だ。いずれ担当者がそちらの家に伺いを立てるとは思うが、あまり過度な期待はしないでくれよ」
これ以上口を開くと余計な約束をさせられてしまいそうだったので、俺を引きとめようとする皆の誘いを固辞してユウナと共に席を立った。
先程出したリルカのダンジョンアイテムの買取とユウナに託していた納品依頼の達成は次の機会とする。どのみち殆どの職員はこの飲み会に参加しており、今は殆どギルドとしての機能は果たされていなかった。
「まだ居ればいいのに。夜はこれからじゃない」
「飲み会とは聞いてなかったので仲間が待ってるかもしれないから、今日は引き上げるよ。次の機会はちゃんと最後まで居るさ」
立ち去りかけた俺を引き止めたのはキャシーさんだった。丁度聞きたいことがあったので彼女だけにわかるように声を顰めた。
「今日はランカさんは休みなのか? 彼女用の虹核を渡しても構わないか?」
「え、ええ。解ったわ、ランちゃんも喜ぶと思う。最近あの子は休みがちで……」
言葉を濁すキャシーさんの顔色は優れない。なにかあったなこれは。知らない間柄でもないし、力になれることがあるなら手伝うぞと伝えようとした。
「なんだぁ!? このギルドは冒険者が帰還しても知らん顔かよ! ろくでもない支部だなオイ!!」
そのとき、出入り口から野太い男の声が響いた。視線を向けると冒険者らしき三人の男たちが受付で喚いている所だった。ごく僅かに残っている職員が対応しているが、聞く耳を持っていない。むしろ騒ぎ立てる気が満々なのは傍から見ても明らかだった。
「本日の業務は終了しています。また明日いらして下さい」
「ふざけんな! こちとらこんな時間までかかって依頼を達成して帰ってきたんだぞ! 今すぐ対応しろや!」
俺の後ろに居た職員達も何事かと思って立ち上がりかけるが、すぐに腰を下ろした。その反応から察するにあの男達は有名なんだろうな。
「最近他国からこっちに流れてきたCランク冒険者よ。素行が悪く、評判も良くないチームでここでももう既に規約違反を何回か起こしてるわ」
俺のそばに居たキャシーさんが小声でそう伝えてくる。揉めている原因はこちらが早めに仕事を終わらせたことだが、特に栄えてないこのギルドは王都などと違って昼夜問わない対応をしていない事は知っているはずだ。ただ難癖をつけたいだけだろう。
たしか専属冒険者はこういった荒事の対応も仕事に含まれていたはずだ。俺も今日の散々な探索で虫の居所は良くない、運が悪かったと思って諦めてもらおう。
「このギルドはお前らのようなゴミが居ない事が長所の一つだったんだが、少し留守にしている間にゴミが溜まっていたようだ。やはり掃除は大事だな」
「何だぁ! テメエのようなガキがしゃしゃり出て来んじゃねえ!」
「おいおい、ヒーロー気取りか? 調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「現実ってもんを教えてやらぁ。ちょっと揉んで……がッ!!」
寝言を吐く馬鹿3人にいちいち言葉で諭すほど俺は悠長ではない。最後の一人の首を掴んで黙らせるとそのままギルドの外に放り出した。
「ゴミが人の言葉を喋るな。黙って掃除されてりゃ良いんだよ」
「このガキが! 俺らを舐めるとどうなるか教えてやらぁ。有り金全部で済むと思うんじゃねぇぞ!」
「この野郎! 死ねやオラァ!」
「Cランク冒険者サマの力をたっぷり味合わせてやらぁ」
怒号と共に殴りかかってきた雑魚どもに適当に反撃する。少しでも力を入れると大怪我をさせてしまうので手加減のいい勉強になるな。
それでも手や足の骨の砕けた音がこいつらの体からしたので、激痛に悶絶する三人の髪を掴んで脅しあげた。
「お前らのような雑魚がCランクのはずがないだろう。ランクの詐称は重大な規定違反だぞ」
「お、俺らは本当にCランクだ。ギルドカードもある……あんたが強いのはよく解った。か、勘弁してくれ」
先程まで威勢よく吠えていた男の腹を蹴り上げ、肋骨を順に砕いていた俺の前に鼻を砕かれた男が泣きながら訴えてきた。
震える手で差し出されたギルドカードは本当にCランクだった。おいおい、こんな弱くてCランクでいいのかよ。雑魚過ぎるだろう。
俺はギルドの番犬として図に乗った馬鹿をシメたが、こいつらに反省や更生など期待していない。ゴミはどこまでいってもゴミでしかないからだ。
「今すぐこの街から消えろ。次に見かけたら始末するぞ」
強力な<威圧>を籠めて睨み、馬鹿3人の瞳が憎悪でなく恐怖に染まっている事を確認した俺はポーションをぶっかけた。既に戦意を失って脅えていた馬鹿共は悲鳴とともに逃げ去った。
雑魚三匹の無様な後姿を見ても俺の心はいささかも晴れない。ダンジョンの憂さを弱いもの虐めで晴らすのはやはり間違っているという事か。
後ろでは色々あったのだろうギルド職員達が歓声を上げているなか、ユウナが小声で伝えてきた。
「処理致しますか?」
「必要ない。完全に心を折ってやったからな。ああいう手合いの始末はお前より自信がある」
こういうものは中途半端が一番良くない。それが逆恨みを招いて余計な悲劇の温床になる。無駄に誇りだけは一人前の馬鹿の対処は、二度と抵抗を考えないほどの恐怖を魂に刻んでやる事だ。
俺に対して憎悪よりも恐怖を、思い出すだけで座り小便を漏らすほど俺への恐ろしさを抱かせればいい。
そういった行為に多分俺は誰よりも慣れている、記憶もないがそんなことだけは不思議と理解できた。
「差し出口でした」
静かに頭を下げるユウナと共に俺は皆が待つホテルに戻ったのだった。
この一件が後々後を引くとはその時は夢にも思わなかった。
「でもさ、一番厄介なのは29層だよな。あそこだけはどうすりゃいいのかさっぱり解らん」
アルザスの屋敷で俺の膝の上で安らかな寝息を立てる妹の髪を撫でつけながら、俺は玲二の意見に同意した。
夕食も終え、まったりとした時間の中、屋敷の居間で俺達は目下一番の悩み事を話し合っていた。
「まあな。今の所、あそこの攻略は何一つ目処が立ってない。これに比べれば28層はただ面倒なだけだ」
「試行錯誤が出来ればもう少し情報が集まるんだろうけど、あれじゃあねぇ」
如月が俺達用の珈琲を入れながら会話に参加する。<共有>持ちはやろうと思えば俺の視界も共有出来るので29層で何が起きるのかこの場にいる全員が知っているのだ。
「現状では打つ手なしということになる。セラ導師にも雑談の中で話を振ってみたが、解決策となるようなものはなかった。我が君よ、力になれずすまない」
「いや、相談してくれただけも御の字だ。先生も解決法を知らない罠だってことが解っただけでも十分だ」
レイアのすまなさそうな声に礼を言った俺はずり落ちそうになる妹を抱えあげた。思った以上にギルドで時間を使ってしまい、ホテルに戻った時は随分とイリシャに遅い遅いと文句を言われた。妹をあやしているうちに睡魔に屈したので俺の膝の上というわけだ。
俺は未だにハンク爺さんの経営する”双翼の絆”亭で寝泊りしている。仲間からはここに来ればいいと何度も言われたが、俺があの宿の固い寝台を気に入っているのだ。
結局、王都のホテルでも一度も柔らかい寝台を使わず長椅子や絨毯で眠っていたので、最初の頃は俺と一緒に寝ようとしたイリシャが泣く泣く諦めて雪音やソフィアと共に寝ていたりする。
セリカと共に店舗の相談をしていた雪音に後で妹を任せるとして、俺は如月が淹れてくれた珈琲を楽しむ。馥郁たる香りと口に広がる珈琲の苦味、そして僅かに感じる酸味。この豆の産地を思い浮かべなから会話を続けた。
「所詮28層は時間をかければ突破できる。最悪スライム溜まりを全部潰せばいい話だしな」
面倒ではあるが不可能ではない。今日が時間切れで終わったのは26層で稼ぎまくっていて時間がなかったからである。26層から上へ戻る階段がなくなるので美味しい層は出来るだけ稼いでから降りたいという心理が働くのだ。
そうして下への階段を探している間に今日は時間切れを迎えたが、運が良ければ一つ目や二つ目で階段が現れることもある。
実際に29層へはこれまでに4回ほど到達している。だが、29層の凶悪な罠の存在が攻略の糸口さえも掴めないのだった。
「転移の罠がいきなり現れるのは卑怯だよな。<魔力探査>で見つからない罠とか回避不可能じゃないか」
「見つからない、というよりも転移の罠がリアルタイムで生成されていると見るべきだな。罠を探って何もないと思った場所に突如現れるのだからな」
レイアと玲二があのふざけた罠について語り合っている。思い出すだけで怒りが込み上げてくるが、あれを攻略しないと先に一切進めないのだ。
29層は各所に落とし穴の罠が張り巡らされた階層である。最初は落とし穴と知って労せず30層へ向かえるのではないかと甘い期待を抱いたが、このウィスカのダンジョン製作者の根性は捻じ曲がっている。そんな都合の良いものではなかった。
落とし穴の下は転移魔法陣が張られていた。いや、落とし穴という言葉は妥当ではないか。あくまで俺の予想だが、あれは床ではなく恐らく転移魔法陣を隠すためのただの蓋だ。落とし穴に落ちてから転移魔法陣が作動するのではなく、いきなり床が消えて既に作動している魔法陣に突っ込んでゆくのが正しい表現だろう。ちなみに道一杯に魔法陣は広がっており、脇に避けて進むのも不可能だった。
転移魔法陣自体は20層からちらほら見かける罠なのでそこまでの驚きはない。不用意にパーティーが散らされたら致命的だが、個人の俺には殆ど関係がない。<魔力操作>で罠の有無を気付けるのでこれまでは引っかかる事もなかった。
だが29層はこれまでとは全く違った。30層へのボスへの道を阻む最後の関門に相応しく、本当に悪辣な罠が仕掛けられていた。
気紛れに魔法陣の罠を作れるようで<魔力操作>で階層を探った後にも他の場所に罠が作られていおり、<魔力操作>で罠を探る意味がない。
階段の位置が探れるだけ有難くはあるが、これまで一度も階段まで辿り着けた事がない。それどころか29層に降りてほとんど何も出来ないままに転移魔法陣の罠を食らっておしまいである。
<マップ>に罠の位置が描かれても、それ以外の場所に新しい罠が出来てはどうしようもない。一つ一つ罠を解除する手もあるが、転移魔法陣は既に起動していて僅かに触れただけでも強制転移だ。
そしてここが一番最悪な点だ。これまでの転移の罠は同じ階層に飛ばされるだけだった。他の連中はともかく、状況によっては近道だったり遠回りだったりとそこまで影響はなかった。
だが、29層の転移魔法陣の罠はとびっきり性質が悪かった。
俺が始めて罠を食らったときに感じたのは、罠の位置は解っていたのにそれを受けた驚きと、周囲が漆黒の闇に覆われていたことだった。
最初は何らかの状態異常かと思った。<全状態異常無効>のスキルがあるとはいえ、今まさに無いと思っていた罠を喰ったばかりだ。スキルを覆す出来事があってもおかしくない。
慎重に<光源>を使って周囲を見回した俺に向かってくる敵がいた。思わず身構えるとその敵は見覚えのある敵、ヤミふくろうだった。
つまりここは6層の暗闇ということになる。
俺は愕然とした。ここまで酷い罠があるなんて想像もしていなかった。
俺達がさっきまでいたのは29層、そしてここは6層だ。23層分も上層に転移させられたのである。そしてまた29層に挑むには転移門を利用しても25層からやり直しである。毎度毎度低層に飛ばされる事を想像したら、絶望と共に怒りが込み上げてきた。
これはない、いくらなんでもこれはないだろう。
完全にやる気をなくした俺はあらん限りの悪罵を叩き付けながら帰還石を足元に叩き付けたのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
申し訳ありません。水曜予定が日曜になってしまいました。
リアルの忙しさを理由には出来ませんが、申し訳ない事をしていまいました。
次こそ水曜予定で頑張りますのでどうかよろしくお願いします。
29層は凶悪な罠でほぼ回避不可能です。回避が無理ならそれ以外で対応するしかない罠、と言う方向で話が進みます(あれ? ネタバレかこれ?)
最近行っていなかったので謝辞をさせて下さい。
閲覧、ブクマ、評価、感想、全て有難く頂戴しております。
皆様の反応が私の原動力です。本当に感謝しております。
これを励みに頑張ってまいりますので、拙作を楽しんで頂ければ幸いです。