ヴィリー魔法学院 1
お待たせしております。
学術都市アルザスは王都リーヴから馬車で4日の距離にある。俺達は隣国ライカールの王女であるソフィアの都合もあって5日かけて到着したが、早馬を飛ばせば2日で着く事もあるという。
人口は約15万人ほどで特に目立った産業はないものの、学術都市という異名の通り、多くの学校や私塾、そして研究機関が揃っている王国の頭脳を担う街だ。
その中でもひときわ有名なのがランヌ王国では唯一となるヴィリー魔法学院だ。隣国が”魔法王国”の異名を持つソフィアの故郷なのであまり世界的な存在感はないが、王国の叡智を結集した一大学府なのは間違いない。
多額の国費をつぎ込んで国家のために優秀な魔法使いを輩出するその学院は貴族のみならず多くの奨学生を受け入れて次代の魔法使いを育成している。ライカールからも幾人の客員教授を招き入れており、他国の一歩先を行くライカールに離されまいと最新学派も積極的に取り入れているという。
「ようこそお出で下さいました、ソフィア姫殿下。私はこの学院で陛下より長を拝命しておりますガイラルと申します。姫君にはご機嫌麗しく存じます」
俺は学院長を名乗る白い髭を長く伸ばした爺さんがソフィアに挨拶をしているのを背後から気配を殺して見ていた。今の俺は彼女の小間使いであり、隣にはアンナとサリナが俺と同じく影に徹している。
護衛騎士のジュリアと影武者でもあるレナはソフィアと共に学院に入学する予定になっているのでソフィアの一段後ろで控えているが、俺達は部屋の隅だ。
今のこの待遇に不満はない。そもそも俺がソフィアや雪音たちがどんな学院で学ぶのか、様子を知りたいがために勝手についてきただけの話だしな。一応その頂点である学院長のひととなりを観察するために都合のいい設定を持ってきただけだ。
「学院長、私は一人の生徒としてこの学院で学ぶためにやってきたのです。無用な気遣いは不要に思います」
「わかりました。そのように取り計らいましょう。しかし、ご無事の到着に安堵いたしましたぞ。王都の変事でどうなることかと思っておりました」
「私も詳しい事は聞けていないのですが、有名な獣人の戦士が一騎打ちにて敵を討ち取ったとか。私はすぐにこちらに向かったのですが、今の王都では大変な評判だそうです」
俺達が王都を出発したのはハイオークキングの変異種であるサラトガを打倒した翌朝だ。あらかじめそのように予定を組んでいたし、サラトガが打ち倒されたのはその夜の内に大々的に周知されたので翌日には多くの旅人や商人が王都の外に出発していた。
俺はソフィア達と国が用意した護衛である騎士団の一個小隊と共に馬車に揺られていた。
もちろん俺は同じ馬車ではない。ソフィアは是非とも一緒の馬車でと勧めてくれたが、俺の目的にそぐわないので遠慮した。
その代わり護衛というか肉の盾として子犬の大きさになったロキを馬車に置いているし、俺と来たがったイリシャも王族用の立派な馬車に乗せて貰っている。リリィは当然ソフィアの隣だ。ジュリアもダンジョン攻略で大分実力を上げたし、双子メイドは俺と出会った頃からは別人のような強さを身につけている。さらに盾のロキと相棒がいれば不測の事態にも対応できるだろう。
俺はと言えば同じ方向に向かう荷馬車の空いた場所で寝転んで空を眺めていた。
出発前に日課の稼ぎも終えており、成果も上々だった。最近は帰還石に恵まれており、運よく階層主と宝箱から時間をかけずに手に入れている。今日は特に22層でも同様の事があり、一日で3つの予備分が確保できて気分は上々だ。
昨夜の内に懸案だった王都の異変やアードラーさんたちの件もこの場で出来る対応は終了しており、俺は馬車の荷台に詰まれた藁を寝台代わり昼寝をきめこんでいた。
<マップ>で周囲の状況は確認できるし、なにより俺が知りたい情報はソフィア達の馬車の中では知ることができないので別行動をしている。護衛の騎士達相手に俺の事を説明するのが面倒だった事もあるから、せいぜい周囲を警戒しながらうたた寝でもと考えた俺が甘かった。
<兄様、馬車の振動が酷くてドラマが見られません! ロクセラーナの活躍がこれからいいところなのに!>
<にいちゃん、がたがたする。ゆらゆらする>
<出発前に馬車に手を入れるのは無理だって言っただろ。今日の夜まで待てっての。そもそも馬車の中でまで”すまほ”使わなくてもいいだろうに。あとイリシャは外を見ていろ、下を向いては駄目だぞ、気分が悪くなるからな>
彼女達からの通話石での通信がひっきりなしに入ってくるのでうたた寝どころではないのだ。
<兄様、それは違いますよ。馬車の移動中は何もすることがないから逆に時間を潰せるツールを有効活用すべきなのです。幸いこちらから声をかけねば外からは接触はありませんし、異世界のドラマを楽しむのに最適なのですよ>
言い訳のようだがソフィアの言葉は事実を口にしている。初めはガラス窓から飽きることなく周囲の風景を見ていたイリシャも、まったく代わり映えのしない景色にすぐに興味は失せたようだ。徒歩よりは遥かにマシとはいえガタガタと揺れる馬車の旅も快適とはほど遠い。街道と言っても多くの時間を経て踏み固められたものだから、時には大きな揺れが来るし、ちょっと一休みしようかなと思ってもすぐに大きな揺れに起こされるのがオチだ。
が、その問題は既に解決済みである。
というのも、前に召喚された玲二と雪音を救出した際の馬車移動であまりの振動に二人が音を上げたからだ。
その時は他人の目も無かったので魔法で馬車を浮かせたが、玲二は殊更サスペンションがないからこんなに揺れるんだと喚いていた。
あのときはそこで終わったが、如月の登場により様々な情報収集手段が生まれたことにより、馬車の乗り心地改善に向けた努力が重ねられた。
その結果として、今のこの世界には技術的に有り得ないバネ仕掛けで振動を吸収する車体が完成したのだ。
既にエドガーさん率いるランデック商会で数台が作成され(バネは当然こちらの提供品であり、従って保全管理もこちらで行うため信じられないほど高価になった)、王家に卸されたとかなんとか。
これくらいの発明は既にあるかと思っていたのだが、やはり魔法が存在するとそれに頼る事が多くて他の技術の進歩は遅れがちになるようである。
魔法のおかげで発展する事もあれば阻害される分野もあるということだな。
俺も当然その仕掛けを持っており、ソフィアはこの馬車に早く施してほしいと言っているのだが、建前上は縁もゆかりもない俺が王女が乗る馬車に触れられる筈もない。他国の姫を警護している騎士たちはとても緊張している。普通に近づいただけでも無礼討ちされかねないのだ。
そういうわけなので、夜の内にこっそり改造を行うことで話はついている。それを知らないはずのないソフィアが要は駄々をこねている、というより暇で構ってほしくて喋りかけてくるのだ。
俺は気のいい農家のおっちゃんの荷馬車で移動している。いや、おっちゃんが曳いているのは農耕用の牛なので馬車ではなく牛車か。王都近郊に住んでいるようだが、毎日危険な魔物に脅えながら移動してきたものの、今日はお貴族様の護衛にあやかれて運が良かったと喜んでいる。
実は俺の前も後ろも同じような車列が続いている。護衛たちが追い散らさないのは、もし手に負えない危険なモンスターが現れたら彼等を肉の盾をして離脱を計るという冷酷な計算が働いているからだと思うが、くっついている方も彼等に護ってもらおうとしているため、どっちもどっちだろう。
王都の異変は片付いて非常事態宣言は解除されたが、これまでに召喚された多くのモンスターはまだ残っている。あくまで原因が判明し、その対応がなされただけで色々な後片付けはこれからが本番だろう。
幸いにして周囲に危険なモンスターは存在しないが、オークの死骸が溢れている北の森のさらに奥地にはまだまだかなりの数の召喚モンスターがいるのは分かっているので、腕に覚えのある冒険者たちには稼ぎ甲斐のある状況がもう少し続くだろう。
王都はこれまで東西南北の正門を閉ざしたわけではないので、人の通りは僅かではあるがあった。小規模な行商人や王都に作物を売りに来る近郊の農家やごく僅かな酪農家は命の危険を感じつつ出入りしていたので状況が改善したと知って皆喜んでいる。これで少しずつ王都も通常に戻るだろう。
俺はすぐに王都を離れてしまったが、一応ギルド専属冒険者の扱いなのでソフィア達の入学を見届けたら王都に戻ってギルドマスターと依頼の完了について話し合う必要があるな。
さて、大都市を結ぶ街道沿いには旅人の宿泊を生業とする宿場町が存在する。そこで休憩を取って移動を重ねる計画だ。俺が始めてソフィア達と出会ったときもウィスカから王都への最中にある宿場町だった。俺はといえば農家のおっちゃんとは別れたので他の馬車を探すか、徒歩でついていくかを悩んでいたのだが、横から聞き慣れた声がした。
「にいちゃん、みつけた」
なんと、イリシャが俺の服の裾を掴んでいた。まさか、馬車を出て俺のところに来てしまったようだ。
「イリシャ! こっちへ来ちゃったのか! もうソフィアの元へは戻れないぞ」
出発の際は隠れてこっそりと馬車に乗り込んだのだ。ソフィアと離れてしまった以上、少なくとも今日はもう馬車へ戻れないと考えるべきだ。
「おんなじけしきでつまんない。にいちゃんといっしょのほうがいい」
<兄様、イリシャがそちらに向かっていませんか? 目を離した隙にいなくなってしまって>
<ああ、退屈でこっちに来たらしい。今日は俺が連れて行くよ>
間を置かずにソフィアからの通話石での通信が入ったのでそう答えておいた。体力があまり無いイリシャに長時間歩かせるわけにも行かないので、そこらの乗り合い馬車を捕まえた。ソフィア達との距離は少し離れたが、むしろこの車列全体を把握するにはこちらの方が都合が良かった。
俺はソフィアの敵、ライカールの皇太后が諦めているなど毛ほども考えていない。王都で皇太后に関する情報を相当数得ていたのだが、その性格を一言で表現するなら”執念の女”だ。
元は側妃に過ぎなかったらしい彼女が並居る敵を蹴落として正妃となり、王に咎められることなく残る側妃たちを秘密裏に消していったのだ。それはもちろん緻密に練られた計算と正妃としての権力もあるのだろうが、何よりも怖いのは一度狙ったら何が何でもやり通すという執念である。
ソフィアの生母ではないが、他の側妃を始末するのに5年以上の月日を要したこともあったという。
そんな人物が自分の手足が無くなったくらいで諦めるはずもない。だが、自由に動かせる手足がないのなら、他の方法を用いてくるであろう事は間違いない。敵の出方はある程度予想できるものの、確実ではないのでソフィアにくっついて護るのではなく、怪しい動きをする奴を早期発見すべく眼を光らせているのだ。
日も暮れて王女一行は宿場町に宿を取った。宿場町には貴族の使用に耐え得る贅沢な宿もあるにはあるが、今日の宿は……多くは言うまい。俺の比較対象が王都の最高級ホテルなので相手が悪いと言えばそれまでだ。
ソフィア達は町の有力者たちの歓迎を受けている。酒宴でも一席如何ですか、などの誘いを受けているが、断ったようだ。酒宴云々は向こうも世辞のひとつとして言っているので、ソフィアが受けたら向こうが慌てふためていてしまうだろう。食事などは全てこちらで行うので気遣い無用とジュリアが断っているのが聞こえた。護衛騎士達は心ばかりの歓待を受ける方向で話が進んだようだ。
俺は双子メイド、アンナサリナの手引きでソフィアに宛がわれた部屋に入る。一国の王女に相応しいかと尋ねられると答えに窮するが、そもそもそんな大層な宿がこの宿場街にはなかっただけのことだ。
ソフィア達はまだ時間がかかりそうなので、俺達は部屋の”掃除”を入念に行う。ここに宿泊する事が事前にわかっていればどんな罠も仕掛け放題だ。それを警戒する意味もあるが、何より別のことで掃除を行う必要があった。
しばらく待つとソフィア達が帰ってきた。彼女に付き合っていた相棒も俺とイリシャのところに戻ってきた。
「疲れたぁー。なんで人間は心にも思ってない台詞をポンポン口に出せるのかねぇ」
「リリィ、人間には属する集団での立場というものがあるのよ。人間も人間で面倒なのだけれど、彼等をあまり悪く言ってあげないで」
辟易した様子で語る相棒にソフィアが擁護するように言ったが、その顔はリリィに同意している。これはもうソフィアが王女であれば避けられない宿命のようなもんだな。彼女の祖国での立場がどうあれ、若く美しい可憐な姫がやってくるとあれば、自分も是非そのご尊顔を仰がねば! と思う輩は大勢いるだろう。
「兄様。わたし、とってもとっても疲れました」
「はいはいおつかれさん。戻って風呂にでもするといいさ」
俺はそう言って床に転移環を置いた。繋がっている先はもちろん昨日まで宿泊していたホテルサウザンプトンだ。何しろまだあそこには雪音やセリカがいるのだ。王都での用事がすべて済むまではあの層を借り上げるつもりである。
これから全員戻って明日の朝にこの部屋に戻る予定だ。そういう事情なので様々な介添えはすべて断っている。警護上の理由とあらかじめ断っているので騎士達も口出しするなと始めに念押ししている。
「あ、おかえり。しかしなんだな、こうあっさり帰ってくると旅行気分もクソもないな」
宿場町の部屋の方には幾重も頑丈な魔法の鍵を掛けてあるので侵入者があればすぐさま分かるようにしてある。それに俺は食事と風呂を終えたらすぐに戻って馬車の改造を行うつもりだ。多分俺一人では良く分からないので如月の手を借りる事になると思うが、彼はまだ喫茶店の仕事が終わっていないからここに戻るのはもう少し後になるだろう。
「旅行は楽しむものだが、これは移動だしな。想像してみろよ、未舗装の道路にガタガタとうるさい揺れる馬車。たのしいかこれ?」
俺の言葉に玲二は露骨に顔を顰めた。彼もあの悪夢が蘇ったのだろう。
「思い出させるなよな。人生で一番吐いた出来事なんだぞ。未だに夢に見るくらいだ」
だからこそその後の嵐のような馬車の改善に繋がっているので、そこまで悪いものでもないが、本人は本当に嫌らしいな。
「昼間のソフィアも揺れが酷いと文句を言ってたな。王宮から持ち出された馬車に細工は出来なかったからこれからやるけど」
「ああ、サスペンションの向上は如月さん様々だな。俺も動画を見てどういう働きしてるのか理解しないと正確に創造できなったし、本人もメカニックみたいな腕前してたしホント何でも出来る人だよな。さすが如月家なだけはある」
「ん? 如月は異世界では名の知れた人物なのか?」
確かに本人は売れない家具職人だと言っていたが、話してみると知識人だし、非常に多趣味だ。あの若さであそこまで色々な事に精通しているのは唯事じゃない。
「うーん、どうだろ。俺は家の事情で知ってたってのもあるけど、まあ名家として有名だと思うぞ。俺達の事情を話したときも家の弁護士を紹介してくれるって言ってたしな。家に顧問弁護士がいるんだぞ、普通じゃないだろ?」
玲二が力説してくるが……あまり良く分からん。だがどうやら如月は異世界に来る前から玲二と雪音の事を知っていたらしい。世界は狭いというわけか。
魔法学院には玲二達も入学するが、ソフィアと違っていきなり学院のあるアルザスに移動しても何の問題もない。なのでソフィアが到着したら彼等も呼ぶ予定だ。玲二は学院の寮に住む予定でいるが、雪音が集団生活に向いてないそうなのでアルザスで家か部屋を借りる予定だ。
雪音は贅沢すぎて必要ありませんと言ってたが、セリカが言うには学院に通う貴族が家を借りるという事は珍しくないようだし、それを聞いたアンナとサリナが是非ともソフィアも一緒に住まわせて欲しいと言って来たのでこれは確定事項だ。
ソフィアも本当は寮生活をするつもりだったようだが、警護をする側としては多くの人間が出入りする寮は護りにくい事この上ない。
双子の気持ちが良く分かる俺は雪音とソフィアのために家を借りる事にしたのだった。
風呂に入ってさっぱりした後、贅沢な食事を取って皆は幸せそうである。昼間は途中の宿場町で休憩の最中に昼食となったが、このホテル並みの食事が提供されるはずもない。
それでも彼等に出来る精一杯の歓待を無碍にするわけにも行かず、ソフィアは笑顔で受け答えしていたが内心どう思っていたかは、敢えて言うまでもないことだ。
「私も玲二さんたちのように転移環で一瞬にして移動したいです。各所で歓迎していただけるのは嬉しいのですけど、ほんの少しばかり……」
ソファに座ってまったりしているソフィアがぽつりとこぼした。途中で自分の立場を思い出したのか、最後は言葉を濁してしまった。
彼女にしてみれば異国で見知らぬおっさん達に笑顔を振りまく事の意味を見出せなくなっても致し方ない。年の割にしっかりしているとはいえ、まだ14歳の子供なのだ。
「明日からは一緒に馬車に乗ってやるから、暗い顔するなよ。お前が笑顔で笑いかけるだけでどんなおっさんも上機嫌になるんだ。これは凄いことなんだぞ、俺じゃ逆立ちしてもできないことだ」
これが人の上に立つ存在の一番の活用法だと思うが、祖国で殆ど王女らしい活動が出来なかった彼女には実感しがたいことかもしれない。事実、ソフィアが食いついてきたのはそこではなかった。
「明日からは一緒に乗ってくださるんですか!? これで元気が出ました!」
眠そうなイリシャを振り回して無邪気に笑っているソフィアを見てこちらも元気が出た。
幸い俺が別行動をする意味もなくなったし、明日から快適な馬車の旅と洒落込もう。
「俺も明日はそっちに行こうかな? 今日の王都は大混乱でさ、気が休まる暇もないほどだったんだぜ」
「ああ、やっぱりそうなったか。俺がもう少し回収しておくべきだったかな?」
「いや、見る限りみんな大喜びだったし、警邏隊や騎士団も出張ってたから大きな騒ぎになったわけでもないけど、そりゃ肉と金が大量に落ちてると分かればみんな行くだろ」
玲二が言う大混乱とは、昨夜俺が始末したハイオークの軍勢の亡骸の処理の件だ。俺はサラトガの親衛隊と見られる豪華な連中を残らず回収したが、それでも数百程度だ。森の中には25000を越える数の死体があるのだが、魔物である彼等を魔石も装備も手付かずで放置したのでそれを求めた王都の民が大挙して森に入ったようなのだ。
こうなる事は予測できたので昨夜の内にザインにある程度手筈は整えておけといっておいたが、まあそうなるわなといいたくなる大混乱ぶりだった。ユウナとハクを冒険者ギルドに派遣して事情をぼかして話してはおいたのでギルド側も準備はしていたようだが、巨体のオークが1000体来るだけでも収容できる限界を越えている。まあ、嬉しい悲鳴というやつではないだろうか。きっとそうに決まっている。
と、俺は問題を棚上げした。俺に出来る事はあまりないのだ。
「やあ、みんなも帰ってきたんだね」
「ユウキさん、ただいま戻りました」
今日の顛末を玲二から聞いている途中で同じ店で働いている如月と雪音が帰ってきた。俺の予定は伝えているので朝早く王都を発った俺がここにいても不思議がられることはない。
「そっちの店も今日は閑古鳥か? 昨日の後始末で今日は大混乱だったようだな」
「エドガーさんの食料品店は流石に影響あったみたいだけど、こっちの店はあまり変化なかったよね?」
「はい。もともとこちらの客層は貴族層がターゲットですから。特権階級の方は平民の間で何が起ころうと無関心なのではないかと」
「でも従者たちは気になって仕方ないみたいだね。馬車留め辺りではその噂で持ちきりだったって店員が言ってたよ」
俺の質問に二人は特に変化がなかったと答えた。確かに貴族が汗水たらしてオークの死体から魔石を取り出している姿は想像できないな。金のない下級貴族はやるかもしれないが、そんな人たちはあの”美の館”には行かないか。
「セリカさんはやはり戻っていないのですね。ライカさんたちも今日は王城に泊まると聞いています」
敵の総大将を討ち取ったアードラーさんはもちろん、万を越える大量の敵を討ち取った(ことにしてもらった)ライカも今回の騒ぎの英雄の一人だから、今日はあちらで晩餐会か祝賀会だろう。<マップ>を見れば”緋色の風”も同行しているようだ。彼女達も敵の将軍を一人討ち取っているので立派な英雄だ。賞賛される価値は大いにある。
もともと今日は会えないだろうと思っていたので、気にはしていない。セリカも戻っていないのは予想外だったが、まあそういうことなんだろう。
「ああそうだ、如月は後でソフィアの乗る馬車を改造するのを手伝ってくれ。一度アレの乗り心地を知ってしまうと前の馬車はもう嫌だそうだ」
「簡単な板バネでも大分変わるはずだけど、それすら無いみたいだからね。いいよ、後でやろうか。車軸式だから使うサス自体はもうあるし、魔法があれば一時間もかからないしね」
馬車の改造など一晩で出来るはずもないが、既に数度の改造を経験している俺達なら簡単だ。如月や玲二から色んな動画を見せてもらって、この”さす”とやらが多くの種類があると知ったが、今ある馬車の改造という点では選択肢は少ない。車軸を残すようにして改造しないと見た瞬間に違和感で気付かれるしな。後は馬車の車輪に細工をするくらいだ。とあるモンスターの部位なのだが、あらゆる衝撃を吸収して復元するという性質を持っている。それを車輪の外周部に使えば馬車で起こる大抵の衝撃は抑えられるという寸法だ。
これで明日からは快適な馬車の旅が始まるといいのだが。
馬車の改造はとても上手く行った。昨日までの振動は嘘のように消え、ソフィア達はご機嫌で馬車の旅を続けている。旅といってもやっている事はホテルと変わらず、動画をひたすら見ているだけのようだが、ソフィアと相棒の機嫌が良いのはいいことだ。俺としても居眠りを妨げられないほどの快適な旅になるとは思わなかった。これならいくら大金を積んでも構わないと思う貴族が居ても不思議ではない。
そして俺が探っていた皇太后の刺客も判明した。相手の取れる手段も限られていたので予想通りだったのだが、護衛の騎士の一人が皇太后から脅迫を受けてソフィアに危害を加えようとしたのだ。
無論のこと、血が流れるような事態にはなっていない。二日目の深夜に部屋の前で逡巡していた騎士を捕まえて事情を話させた。
彼には病を抱える母がおり、その治療薬はライカールからの輸入に頼っていた。魔法王国と名高いライカールは魔法回復薬の製造でも知見が深く、世界有数の実力だ。
そこまで来れば後は想像の通りだ。突然薬の供給が途絶え、方々手を尽しても手に入らず途方に暮れる彼の前に謎の手紙が届く。母親を助けたければソフィア姫を弑せよ、とまあそう来るよね、といいたくなる展開だった。
母親の命を盾に取られていた騎士だったが、俺が取り出した手紙ですべては解決した。その手紙は彼の母親が書いたもので、息子が自分の病のせいで脅迫を受けている事を謝罪する内容だった。そして既に俺がユウナにこの騎士の事情を探らせていたので既にライフポーションで病は完治している事を伝えたのだった。
俺が敢えて初日に別行動を取っていたのは誰が敵なのかを見つけるためだった。皇太后が手足を捥がれても諦めていないなら、使える駒は限られてくる。皇太后に政治的な権力がまだ残っているとすれば、狙うなら彼等辺りだろうと護衛を見ていたら一人だけ不思議な行動をしてる奴がいた。
特段目立つ事はしていないが、あの騎士だけが他の護衛を遠ざけるような行動を多く取っていたのだ。
何かあるなとユウナとハクに調べさせたらその日の内に情報を寄越し、その騎士が脅迫を受けていることが分かったので、彼の問題を解決しておいたのだ。
実はその後が面倒だった。母親が元気だと分かるとその騎士はその場で自殺を図ったのだ。良心の呵責がどうとか、騎士の誇りがどうとか言っていたが、こっちには関係ない話だ。
ソフィアを殺せと命じられたものの、実際に刃を抜いて襲い掛かってきたわけでもなし、俺もこの騎士を始末する予定は無かったが、本人が死ぬ気なのはどうにもならない。
アードラーさんといい最近死にたがりに縁があるが、この場で自殺されるとソフィアに迷惑がかかる。自分を護衛していた騎士がいきなり自殺していたなんて事になれば問題にならないはずがないし、騎士の所属はランヌ王国だ。絶対に国際問題になるに決まっている。
そこの所を諭してやれば、自分ひとりの問題ではないと気付いてくれたようで思いとどまってくれた。
このご時勢に珍しい潔癖な騎士だなと思っていたら、成り上がりのアインとアイスにも普通に接してくれる数少ない良識派な騎士らしい。二人からも礼を言われてしまったほどだ。
だが考えてみればランヌ王国が王女の身の安全を考慮して派遣した騎士なのだ。無能を送り込んでくるとは思えないし、国としての体面もあるからとびきり優秀な騎士を護衛に付けるはずだ。
そんな優秀な騎士が罰を欲しがっているので、重い罰を課してやった。
それはいかなる時も誰もが望む正しい騎士を死ぬまで全うする事、だ。
我ながら厳しい罰を押し付けてしまったが、本人は俺に頭を下げるばかりで気にした様子も見せない。
あれ、俺なら逃げ出したくなるほどの罰なんだが……。
そんなこんなで快適な馬車の旅も順調に終え、こうして学院長に挨拶をしているというわけだ。
「しかし、今年は我が学院にとっても歴史的な年になりますな。ソフィア姫の他にも4カ国から王女や王子をお迎えすることになるとは、学院始まって以来の事になります」
「まあ、それは素晴らしい事です。私も他国の方々と交流をするのを楽しみにしております」
ソフィアは歓迎する声音で話しているが、俺には若干の緊張を伴っているのが分かった。だがソフィアの緊張も理解できる話だ。何故この時期に敢えてランヌ王国の魔法学院に留学なのか。
普通に考えて行くなら隣国ライカールの魔法学院だろう。歴史、実績、規模どれをとってもこの国の学院に敵うものはない。ソフィアの留学が都落ちとはっきり思われる状況で他国の公子たちがやってくる意味が分からない。
ソフィアのためだけでなく、玲二と雪音の楽しい学院生活のためにもこれは調べる必要がありそうだな。
同じ事を思ったのだろう、俺は隣で意味ありげな視線を送ってくる双子メイドたちに了解の視線を送っておいた。
「この国の魔法学院に私以外の王族がやってくるなんて考えもしませんでした」
学院長室を出た俺達は今はまだ授業期間前なので人気のない学舎を歩きながら、ソフィアが思わしげな顔をしている。
「ソフィア、今のお前の魔力はこの世界で見ても上位に入る。何も心配する必要はない」
毎日の魔力鍛錬を欠かしていない彼女の魔力は世辞抜きでそれほどのものになっている。俺に出会う前は乏しい魔力でライカール王族として失格の烙印を押されていた彼女だから、他国の王族を前に臆病になってしまっても仕方のないことだ。
「そうですよ姫様。今の姫様はライカールの王宮に出向いても賞賛を受けること間違い無しです。むしろ影で嘲笑っていた連中の顔が見てみたいくらいです」
ジュリアが元気付けるように言えば、姉代わりの言葉に安心したソフィアは微笑んだ。
「ありがとう、ジュリア姉様。自信を持って学院に通います。それで兄様、これからのご予定は?」
「玲二と雪音を呼んで家探しだな。既にそういったことに精通した不動産屋も当たりはつけているからすぐに向かえるぞ」
やはり貴族が寮生活を送る事は相当珍しいようで、このアルザスには学院の近くに高級な邸宅がならぶ区画があった。学園を去り際に働いていた事務員に<交渉>を持ちかけると懇意にしている業者の話がでたので、俺達は玲二達を連れてその店に向かう。
「失礼、私はとある尊き方の従者をしている者だ。我が主が学院に通うための屋敷を求めているのだが、心当たりはないだろうか?」
俺はいかにも貴族の関係者ですといわんばかりの態度で、その店に入ると店主らしき落ち着いた雰囲気の初老の男が対応した。
彼は手慣れた様子でいくつかの物件を紹介した。半年毎の更新で話に上がったものだけでも最低価格が金貨80枚という高価格だが、話を聞くにそれだけの価値ある物件のようだ。
もちろん実物を見て見ないと話にならない。ソフィアも雪音もいざとなれば転移環で俺の住むウィスカに移動すれば済む話なので、そこまで本気で考えなくてもいいとは思うが、実際に部屋を管理するであろうアンナとサリナとレナにとっては見逃せない大事な場面なので彼女達の気合の入りようは反論を許さないものがある。
もちろん俺も異論などあるわけなく、彼女達に散々付き合わされることになる。
結局幾度もの内覧を終えてようやく満足する物件を見つけた頃には既に日も暮れかけていた。
何故か俺が延々と付き合わされたが、まあ金を出す人間が見ないと意味がないと力説されれは否応はない。ソフィア達は早々に離脱し、近くの喫茶店で一休みしていた事実に目をつぶれば、であるが。
結局決めた物件は半年で金貨120枚という平均以上の屋敷に落ち着いた。一軒家でも良かった俺だが、他国の王族の情報を得ていた不動産屋が他の姫たちはこれこれの物件を、と説明を始めたら負けてはいられないと張り切るメイド三人に俺が置いてきぼりを食らっただけとも言える。
半年で金貨120枚というのは冷静に考えれば高価極まりないが、王都でのホテル暮らしが一泊金貨15枚と考えれば格安に感じる不思議だ。既に崩壊して跡形も残っていない俺の金銭感覚に何を言っても無駄である。一月前まで金貨一枚に汲々としていたとはとても思えないな。
「こんな豪華なお屋敷でなくても……いえ、必要なのね。分かったわ」
俺を見ながら遠慮するソフィアだが、メイドたちの視線を受けて納得した。俺も彼女がみすぼらしい家に住んでいると思われたら我慢がならない。サリナたちの意見に全面同意である。
そういうことなので、広い庭付きの豪華な屋敷を借りる事になってしまった。絶対に使わないであろう広い屋内水練場まで備えている贅沢さだ。
これから夏だし、暑くなったらここへ来て遊んでもいいだろう。
水周りや台所を確認して満足気なメイドたちだが、今日の夕食はどうしようか。
味や豪華さで言えば王都のホテルに戻るのが一番である。それは分かっているが、折角新しい町に来たのだ。ここでしか味わえないような料理を楽しむのも一興ではないか?
都合のいい事に先程の業者からお勧めの店をいくつか聞きだしている。ここの名物は鶏料理らしい。近くの湖が渡り鳥の有名な休息地であり、そこを狙って猟師が獲物を仕留めて来るらしい。
サウザンプトンの料理に文句は何一つないが、新しい味にも挑戦したいという俺の意見に異論を唱える者はおらず、仕事を終えた如月やセリカたちを伴ってとある料理店に入った。
入った高級店は価格相応の素晴らしい味だった。個人的には魔法の呪文のような”がらんてぃーぬ”やら”ろてぃ”やら”えちゅべ”など良く分からない言葉を連発された。
如月はすべてを理解していたようで料理と酒を楽しんでいたが、俺自身は向かい側の玲二がこぼした塩を振った焼き鳥が食べたくなってきたという言葉に心から同意したい。
大きな卓で全員が座って様々な鳥料理に舌鼓を打っていたころ、背後から年若い少女の声が響いたのはそんなときだった。
「あら、そちらにおいでなのは、もしかしてソフィア様ではなくて?」
楽しんで頂ければ幸いです。
申し訳ない。遅れに遅れました。前半が思うように筆が進まずこんな有様です。分量多いから許してください。
この話は学院へんのさわり程度になる予定です、あと一話か二話で終わるはずです。
最後に現れたのはなろうの三大テーマの一つです。
おっさん冒険者、美少女奴隷と並ぶ皆さんご存知のアレです。
次は早くしたいのですが、リアルがいろいろ遭って難儀してます。
ですが何とか日曜にお会いできればと考えています。
これからもよろしくお願いします。