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汝等、深淵より来たれり 1

お待たせしております。



「ええっ!? この王都に大軍勢が迫ってくるというんですか? 本当ですか!?」


 ライカの驚きの声が上がるのも無理はない。これまで周囲に出るはずもないモンスターの出現で済んでいた事が、いきなり数万の敵勢が現れるという話になっているのだ。

 だが、これは幻でも嘘でもない。近いうちに訪れる現実だった、


「悪いが確定した事実だ。そしてキキョウ達”緋色の風”はともかくとしてSランクのお前は強制参加だろうから、先に告げておくぞ」


「師匠は!? 師匠はどうされるのですか?」


 ライカは何故か俺の動向を聞きたがった。いや、俺がどうしようとさほど彼女に関係があるとは思えないが。


「一応参加する予定だが、矢面に立つのは間違いなくお前だぞ。Sランクの面倒な所だな」


「よかった。師匠がいてくださるならもう勝ったも同然です! 安心して参加できます」


「私たちも及ばずながら参加させていただきます。お師様がおられるなら皆の無事も決まったようなものですし」


 

 ”深遠の淵”から戻った俺はホテルにいる皆に王都の異変の原因を告げ、これから起こるであろう未来の出来事を語っていた。

 その中で冒険者のライカやキキョウ達に襲い来る脅威に立ち向かう必要がある事を告げた。


「キキョウはまずスイレンたちが依頼から戻ったらちゃんと話し合えよ。上手くすればAランクへの昇格も狙えるとは思うが、まあ無理するような相手じゃない。数だけは多いからな、退避してくれても構わない。ライカはそうもいかないだろうが」


 Cランク以上に上がると絶対に断れない強制依頼があるという。俺はそれが面倒なのでランクはDまでにしておこうと決めているが、一応Sランクにはそのような束縛はない。


 あらゆることに自由であるというSランクの特権ではあるが、もちろん実際は見えない鎖で雁字搦めに縛りつけられている。


 憧憬や賞賛を一身に受けるSランクであるからこそ、敵前逃亡などは絶対に許されない。受けるも受けないも自由という建前を取っておきながら、拒否などしようならSランクが逃げるのかと糾弾され、即座にランクが剥奪される事は間違いない。


 だからこそライカは最初に出会った時のように誰にも負けられないという追い詰められた感情を持ち、そこを敵に突かれて容易く操られてしまった。


 いまは自分の弱さを受け入れて大分落ち着いているが、このような修羅場において逃げ場が与えられていない事には変わりない。苦境において味方に大きな希望を与えることがSランク冒険者の最大の責務であるからだ。


 Sランクは救われるのではなく、救うのが仕事といえばそれまでだが、難儀な商売だなと思う。




「ちょ、ちょっと待って下さい! 万を超える魔物が襲ってくるんですか!? それってもう冒険者の仕事の範疇を越えていると思うんですけど!」


 姉と共に俺の話を聞いていたカオルが焦ったように口を挟んだ。隣にいるシズカも大きく頷いているが、彼女達にしてみればライカを追いかけてきたら知らない間に逃げられない戦争の中心に巻き込まれていたようなものだ。口も出したくなるというものだ。


「それに関しては運が悪かったと思ってもらうしかない。すでに王都ギルドに顔を出していたのがまずかったな。皆の到着は王都の冒険者なら殆ど知っているから、今から逃げ出すわけにも行かないぞ」


「ああ、なんてこんなことに……」


 頭を抱えるカオルに哀れみを感じた俺は慰めの言葉を口にした。


「後でギルマスにいっしょに掛け合ってやるからせいぜい金をせしめるといい」


「お金だけの問題じゃないですよ! 軍勢に対抗できるのは軍勢だけです! この国は何をしているんですか!? ボクたちがどうこう出来るレベルを超えてますって!」


「オウカ帝国みたいに全権力が皇帝に集中しているわけじゃないんだ。毎日会議して結論はまだ出てないってさ、国が揃えられる兵隊はいいとこ3千じゃないのかね」


 数は俺の大雑把な予想だが、大きく外れたものじゃないだろう。最終手段として王都の男を全員徴兵も有り得るだろうが、俺としては勘弁願いたい。

 訓練も受けてないそこらの兄ちゃんが武器を持って戦ったところで味方の邪魔になるだけだ。故郷を守るべく戦意は高いかもしれないが、俺はそういうものに全く意味を見出していない。

 素人が余計に事態を悪化させる光景を何度も……過去の記憶がない俺が何故こんな事を考えているんだ?


「終わった……姉さん、これに立ち向かうのは勇気じゃない、蛮勇だよ」


 カオルがライカに向けて厳しい声をだした。ここから逃げる不利益を甘受しても姉の事を考えれば口にする必要がある、その意思が感じられる声音だったが、当の本人は実に楽観的だった。


「カオル。あんたねぇ、師匠がいらっしゃるんだから敵の数が10万でも100万でも楽勝よ、むしろ諸国が私たちに厳しい目を向ける最中、誰もが目を見張る大手柄を立てさせてくれると仰っているのよ」


 ライカの言葉は事実だった。国の看板であるSランクの動向は各国が注視しているので、各Sランクは自分に居所を常に報告する義務があるし、居所がわかる魔導具を身につけている。


 それをスイレンたち”緋色の風”の危機と聞いて飛び出してしまったライカの立場は微妙だった。彼等の交友を考えれば致し方ないとオウカのギルドマスターは考えているようだが、他国の意見の中には厳しい物もある。一国の軍事力に匹敵するといわれる彼等はいつだって政治的な扱いになるからだ。


 このランヌ王国としては()()()()(政治的には本当にこんな扱いだ)Sランクを長く貸し出しているから、この危機に協力してくれればどんな援護でもすると言っている。


 ドラセナードさんは既にオウカのギルマスと話をつけたといっていたし、事態が明らかになればその話が公になり、多くの民はオウカ帝国への感謝と”蒼穹の神子”への期待をかけるだろう。

 まあ、そこまでの大事にはしない予定だ。気付いたらなんか全部終わってた、位の話に収めるつもりではあるが、俺を知らないカオル達にそれを理解してもらうのは難しいだろう。


「姉さん、何を言っているの!? ユウキさんがいくら強くたって個人じゃ軍勢には敵うはずないじゃ……!!」


 カオルの言葉は最後まで発する事ができなかった。姉が強い怒気を発して抑えたからだ。

 

「カオル。師匠への侮辱はたとえ貴方でも許さないわよ、二度はないから覚えておきなさい」


「姉さん!」


 なんで俺への評価が原因で二人が争う展開になってんだよ? 今の話のどこにそんな要素があったんだ?


「二人とも落ち着けよ。そういう訳だから、明日からの二人の訓練は王都郊外でパーティの皆を交えてやる事にするぞ。二人とも基本は大分出来るようなったから、そろそろ集団での活かし方を考え始めるころだし、ちょうど良かったってことで」


「「はい、わかりました」」


 まだ不満そうなカオルにはライカが明日を見てなさいと話しているが、何故お前が自慢げなんだろう。






 王都に迫る総勢25000の大軍勢! と聞けば王都は大混乱に陥るだろう。それは望むところではないのでこの事実を知る者には箝口令が敷かれたようだ。クロイス卿から公爵、公爵から更に上にまで話は行ったと思うが目立った動きはまだない。調査隊の帰還は恐らく明日になるだろうから、色々動き出すのはそれ以降になるだろう。


 耳が早く金のある貴族なら、王都を逃げ出してもおかしくないが、彼等は互いを監視している状況だという。逃げ出した奴は二度と王都の社交界に顔を出せないんだろうが、別に家族を避難させる位は怒られないと思うけれど、貴種というのも見栄で生きている面があるから大変である。



 翌朝、そのお陰で今日も普段と変わらぬ平和な都を歩く。大通りには威勢のよい店屋の親父が客を呼び込む声を上げているし、店先には食べ物が山積みだ。これが減ってくれば王都の民も異変が間近に迫っていると感じるのだろうが、エドガーさんたちの尽力で混乱は抑えられている。


 一番影響を受けているのは王都近郊で採取などを行う駆け出し冒険者達だろう。ダンジョンも緊急時を除いて閉鎖状態にある今、その日の糧を得る手段が失われてしまったからだ。

 だが、またもやエドガーさんが大活躍した。ランクの低いその日暮らしの冒険者達を大量に仕事を発注したのだ。内容は港の荷運びや王都内の清掃、ランデック商会での警護など、取るに足らないものばかりだが、通常の報酬の他に追加でリノアの系列店や組織の人間が営んでいる料理店で使える2食つき食事券を加えたのだ。


 これが大当たりした。食うに事欠く新人たちはこの措置に大いに救われた。ギルド側としても数が多い食えない冒険者たちが不満をためてゆく現状に危機感を抱いていたからエドガーさん率いるランデック商会に大いに感謝したし、彼の方にも利点はある。

 料理屋としてもギルドに張り出された協賛店として店の格好の宣伝になる。諸経費は全てランデック商会持ちで懐は痛まないし、優先的に客が自分の店に来る上、いつか出世した冒険者は自分の店の支持者になってくれるかもしれないだろうとエドガーさんから説得を受ければ嫌という者はいなかった。

 

 こうして王都全域に影響力を日増しに増していったエドガーさんだが、この行為によって彼の名は王都に知らぬものがいなくなり、復活したランデック商会を讃える声を王都で聞かない日はないほどだ。

 まだ王都に帰還して日は浅いはずなんだが……あのひと超人じゃないかな?


 思えば彼を買った価格は金貨10枚だが、それどころか金貨一万枚でも安いと思えるほどの大活躍だ。彼と知り合えた事は本当に幸運だった。”緋色の風”の4人もある意味でエドガーさんに救われた事を思うと、あの人やはり何か持ってるな。




 元気に働く若い冒険者たちを見ながら王都を散歩する俺の隣にはイリシャが居て運動と散歩を兼ねている。


 結局、懸案事項であるアイラさんの神殿にはまだ顔を出せていない。イリシャも目覚めたときに隣に居たおばさんが何者なのか気になっただろうが、同じ髪と同じ瞳なのだ、自分との繋がりがあると薄々解っているのではないか。


 その際、イリシャがどのような判断をするのか……俺は怖くて聞けていない。


 自分がここまで臆病だとは思わなかったが、これはただ立ち塞がる敵を倒せばよいという話ではない。彼女の人生だ、どのような選択をしようとも受け入れてやらねばならないと理性では思うものの、感情は全く逆の事を言っている。


 イリシャは俺が拾ったんだから俺のものだ。身内が出てこようと譲る義理などないと。


 そうだそうだと俺の中でその意見が大勢を占めるとあのアイラさんの慟哭が思い出され、一気に萎んでしまう。その堂々巡りが続いているのだった。


 この苦しい思いに比べればたかだか数万の敵が押し寄せようと屁でもない。たとえ100万の敵が来ても全て倒せば解決するならば迷わずそちらを選ぶほどだ。


 全てを凌駕する力など、この難問の前では何の意味も持たないのだ。




「にいちゃん、ん!」


 繋いでいた手を解いて俺に両手を突き出してくる。疲れたから抱き上げて欲しいのだろうが、この散歩は失った体力を取り戻すための訓練でもある。甘やかすのは簡単だが、妹のためにならない。


「もう少しで目的地だから、そこまで頑張りなさい。帰りは抱いてあげるから」


「むう。けち」


 イリシャの何気ない一言で俺の心に矢が刺さるが、ここは彼女のためを思って心を鬼にしなくては。



 俺達が向かっているのは港にほど近い一軒の料理屋だ。元はジラントの縄張りだったが、今は一つに纏まっていてエドガーさんの協賛店の一つになっているのだが、その縁で気になる情報が入ってきたのだ。



 王都周辺は召喚されたモンスターがいて危険だが、海路はそこまで危険ではない。無論油断は禁物だ。自然という人では太刀打ちできない巨大な存在が牙を剥いてくるし、大王イカのような巨大な海洋生物も機嫌が悪いとこちらに攻撃を仕掛けて来る事もある。

 だが、それはいつもの事であり、陸路が遮断常態にある王都では貴重な交通網として今も活躍、いやその重要性は更に増しているといってよかった。事実、荷揚げの荷物は増加の一途を辿っており、本来はジラントが独占していた荷揚げの仕事も冒険者に振れるほどに増えている。

 そんな活気溢れる港湾地区の一軒の料理屋に辿り着いた俺達兄妹は、営業中の店に足を踏み入れた。


「いらっしゃい! おや、変わったお客さんだね、今はまだ空いている時間だから好きな場所に座んなよ」


 開店したばかりで客のいない店の中で、俺達をそう出迎えてくれた恰幅の良い女将さんが俺達を席に誘ったが、この店での用事は食事ではない。


「すみません、この店に()()()()がいると話を聞いてやってきたんですが、まだいますか?」


 俺の言葉に、営業用の笑顔を浮かべていた女将さんは途端に胡散臭いものを見る顔をした。


「ちょっと、変な事をお言いでないよ! ウチは真っ当な商売をしてるんだ、変な言い掛かりをつけにきたのかい!?」


 俺に対して語気を強めた彼女だが、俺は逆に彼女への好感を高めた。多分彼女は怪しい俺らからその人たちを守ろうとしているのだ。


「でも話を持ち込んだのはそちらだと聞いてますよ」


「こっちがどんな話を持ち込んだって言うんだい!」


 うーん、完全に対決姿勢に入ってしまった。こういうとき若い見かけは不便だな、もっと大人であれば向こうも察してくれたのだろうが。

 ちなみにイリシャは女将さんの剣幕に怯えるどころか眠そうな顔していた。肝が据わっているというか、凄惨な地獄を見てきた彼女にとって俺が側にいれば何も不安になる必要がないと”視て”知っているからだ。

 何しろイリシャは昨日の内にオークの軍勢の件もこちらが話す前に聞いていたほどだ。その問いに何も心配は要らないと答えたら、わかったと告げてそのまま眠ってしまった。兄としては妹の信頼に応えねばなるまい。




「おいおい女将さん、どうしたってんだい、そんな大声出して?」


 そのとき店の入り口から数人の男たちが入ってきた。気兼ねない様子からして常連のようだが、その中の一人と目が合った。あ、あいつは確か。


「ああ、みんなちょうど良かった。この若いのが変なことを言い出して困ってるんだよ、何とかしておくれよ」


 援軍が来たと顔が明るくなった女将さんの表情の変化は中々見ものだった。


「女将さん! なんて事を言うんだ! この方は頭だよ! 頭ぁ、スミマセン、この人も知らなかっただけで悪気はないんです!」


「へっ? か、頭って……まさか、あのここいら全部を仕切っているお頭さんかい?」


 いや、仕切っているのはシロマサの親分さんであって俺じゃないのだが。


「そうだよ! 女将さんだってあの祭りで出店出してたし、頭からの差し入れの酒飲んでたじゃないか」


「ひええ! し、知らぬこととはいえ、お頭さんにとんだご無礼を!」


 さっきまで威勢はどこへやら、青い顔で謝ってくる女将さんだが、別に謝罪が欲しいわけでもないので話を進めてほしいのだが。


「いえ、この外見ですからこういった事は慣れてますよ。それより、組織に情報を提供してくれましたよね、その人たちはまだいるんですか?」


 すぐに連れて来ます! と言葉をかける間もなく奥へ駆け込んだ女将さんから視線を外し、俺の正体を口にした一人に視線を移す。


「モースだったな、あの喧嘩じゃ大暴れだったそうじゃないか」


「お、俺の名前を覚えててくれたんですか?」


 モースという男は俺がギルドに詰めていた頃、イーガルとボストンに呼ばれて話を聞きに言った際、撥ね帰った奴だ。周囲の連中がどいつもこいつも息を飲む中こいつは自分の大将のために立ち上がった骨のある奴だったので覚えていたのだ。

 実際、ジラントでも相当の序列に就いたようで、ちょっと前の祭りでも大いに存在感を発揮したと聞いている。


「目立つ奴は覚えたさ。お前のような骨のある奴が組織を支え、次の頭になってゆくんだ。精々精進するんだな」


「へ、へい、有難う御座います!! そのお言葉、胸に刻みます!」




「あの、お頭さん。こちらになります」


 深く頭を下げるモースに手で答えて、俺はイリシャの手を引いて店の裏口に連れて行かれた。




 女将さんがその二人を見かけたのは昨夜の遅い時間だという。


 黒っぽい何かが視界を横切ったかと思うと二つのうちの一人が道を真ん中で転んだらしい。慌ててもうひとつの影が迎えに戻るも、転んだ何かは起き上がる力さえ残っていなかった。


 この界隈でも情の深い女だと評判の女将さんは、その二人の正体に気付いたものの、驚くことなく手を差し伸べた。だが、それと同時に自分達が所属する組織に報告を入れるのも忘れなかった。


 勤勉さというよりも、組織を治めるシロマサという大侠客なら必ずやこの二人の力になってくれるという確信があったからだ。


「じゅうじんのこどもがふたり……」


「ここは多くの国から色んな船が来るんで、獣人はよく見るんですけども、こんな小さな子供が二人なんて珍しくてねぇ。それにこの二人、特徴が特徴でしょう? 下手をすると人買いに浚われかねなくて、大親分のお力にお縋りしようと思いまして」


「こりゃまた珍しい二人ですね」


「うさぎさん……かわいい」


 裏庭の納屋の藁のベッドで眠りこける二人の小さな獣人は、なんとも可愛らしい兎の獣人だったのだ。



「とりあえず……目を覚ましたらこの二人を洗うか。女将さん、少しばかり裏庭をお借りしてもいいですか」


 俺は懐から金貨を取り出して女将さんに頼み込むが、彼女はきっぱりと金貨を拒絶した。


「お頭さんには下町の平和っていう大きな贈り物を頂きましたからね、これ以上の物を受け取るわけにはまいりません。それにこの二人のために何かして下さるんでしょう? 御手伝いできる事があればなんでも仰って下さいな」


 俺はあまりにも多くの人と金で繋がりすぎて、全てその基準で物を考えていた。だが、この王都には心根の立派な人が大勢いる。そのような人の前では簡単に物事を金で解決しようとする俺はあまりに浅ましく映ったのではないか。

 恥だ、まさに恥じ入った俺は女将さんに深い礼をして謝罪した。


「若造が大変無礼な真似を致しました。どうかお許し下さい」


「な、なにを仰るんです? こちらこそお頭さんにはみんな口では言い現せないほど感謝してるんです。お疑いなら皆を呼んできましょうか? 誰もが貴方にお礼を言いたいと思ってるんですよ」


「そればかりはどうかご勘弁を。もしよろしければこの肉を焼いてはもらえませんでしょうか? 目が覚めたら二人に話を聞きたいのですが、まずは腹ごしらえが先でしょうから」


 大きな葉っぱに包まれた切り分けたタイラントオックスの肉を差し出すと女将さんの視線が釘付けになる。


「もしよろしければ残りは皆さんでどうぞ」


「あら嫌ですわ、そんな催促したみたいになっちゃって。いますぐ焼いてお持ちしますから!」


 風のように去っていった女将を見送った俺は薄汚れ、痩せ衰えたこの二人を元気にすべく準備を始めるのだった。





「う……ここは……?」


 兎の獣人の片割れが目を覚ましたのは、それから一刻ほど後のことだった。


「お、目が覚めたか。言葉は解るか?」


「な! だ、誰だお前! キャロ、起きろよ! 逃げるぞ!」


 黒い兎獣人はよろよろと立ち上がるが、その足取りはおぼつかない。どう見ても栄養が足りていないし何より子供だ。獣人の背格好による年齢なんざ解りゃしないが、見た感じ起きた方が兄貴で8歳程度、多分妹だと思うが、そちらが6歳くらいじゃなかろうか。背丈はどちらもイリシャより小さかった。


 なんでこんな子供達がこの国にいるのか疑問は尽きないが、まずは飯と風呂だ。全てはそれからである。


「とりあえず飯を食え。話はそれからだ」


「知らない奴から施しを受けるほど落ちぶれちゃいねぇよ!」


 焼きあがった段階で<アイテムボックス>に突っ込んだのでほかほかのステーキを見せると口ではそう強がったが、視線と涎は隠せていない。


「施しじゃない。正当な交換だ。お前たちは飯を食い、俺はお前らの情報を貰う。な、交換だろ。それにお前はともかく妹はもう限界だぞ。わかったらさっさと妹起こして飯を食え。これ以上ガタガタ抜かすなら無理矢理口に押し込むからな」


「う……うう……」


「お兄ちゃん、おなかすいたよ」


 逡巡していた兄貴だが妹のか細い声で覚悟を決めたようだ。居住まいを正すと俺に相対して頭を下げた。


「どうか妹だけでも食事を与えていただけませんでしょうか。お礼は何でもします」


「お前の分まであるって言ってんだろうが。子供が下手な遠慮なんかするんじゃねえよ、冷めるぞ、早く食え」


 土魔法で作り出した机と椅子に座らせると二人は勢いよく肉を食べ始めた。この肉は獣人に何らかの特効でもあるような異常な回復力を見せるから、とりあえず腹一杯食わせればいいだろう。


 ロキからの恨めしい思念が飛んできたが、当然無視を決め込んだ。



「おいしいね、お兄ちゃん!」


「ああ、こんなにおいしいお肉があったなんて信じられないよ!」


 二人は行儀よく椅子に座ってぱくぱくと肉を口に運んでいる。その様子を見て改めて思ったのだが、この二人はきちんとした教育を受けている。飢えていても襟を正して俺に頼み込んだ事と言い、育ちのよさが随所に見られた。状況から見てどう見ても密航してきたんだろうが、そんな事を必要とするような環境で育ったとは思えない二人だった。


 イリシャといえば兎獣人の二人の一挙一動に見入ってご機嫌だった。動くぬいぐるみのラナとは違った魅力がある二人だった。


「お腹いっぱい、幸せ」


「あの、ありがとうございます。このご恩は……」


「そういうのいいから。飯の後は風呂な、理由は言うまでもないだろ?」


 俺が露骨に鼻をつまみながら言うと二人は恥ずかしそうに押し黙った。兄貴のほうはともかく妹はどうしようかなと思っていたら、イリシャが洗ってくれるようだ。



「わ、ちょっと待ってよ。くすぐったいって!」


「獣人は毛が一杯だから泡立ちがいいよな、すぐモコモコになるし。そうそう、そんな感じ、偉いぞイリシャ」


「まかせる」


 キャッキャと楽しそうに白い泡だらけになっているイリシャと兎獣人の妹だった。洗っているというより一緒に泡だらけになっているような気もするが、まあ綺麗になればいいや。


「自分で洗えますから! 大丈夫ですって、わは、はははは!」




「おやぁ、随分と綺麗になったね、それにしても可愛い二人じゃないか。見違えたよ」


 歓声が聞こえたのか、様子を見に来た女将さんが声を上げたように、二人は見違えたように綺麗になっている。汚れた服も洗濯してさっぱりしたし、薄汚れていた毛は艶が出て輝いているし、痩せていた体もちょっとふっくらしたほどだ。

 とても先程まで栄養失調で危険だったとは思えない。あの肉やっぱりどこかおかしいな。


「あ、女将さん! 昨夜は慈悲をかけて頂いて本当にありがとうございます! このご恩はけして」


「いいんだよ、困っている時はお互いさまさ。それに本当に感謝すべきはそこのお頭さんさ。いくら人情と心意気が売りの下町でも、あたしらだって余力が無けりゃいくらかわいそうでも助けてはあげられなかったさ。その余裕を生み出してくれたのが、そこのお人なんだよ」


 俺はそれを手で否定した。この女将さんは十日近く何も口にしていない二人を哀れに思い、店の料理を残り物とはいえ出してあげたのだという。本人は余裕があったとか何とか言っているが、たぶんそんな物が無くても彼女は手を差し伸べただろう。


 仕事に戻った女将さんが離れたのを確認した後、俺は本題へ切り込んだ。



「さて、二人とも。話を聞かせてもらってもいいか? なんでまだ小さい二人が密航までしてこの国へやってきたんだ?」


 二人は詳しいことをまだ話していないが、この国の出身でない事と密航者である事は間違いない。ちょうど獣王国からの船が3日前にこの港に到着したとの情報をユウナからさっき得たし、状況からその船に乗ってきたのであろう事は間違いない。

 余談だが、獣王国からの船はそのまま他の国に向かうので、獣王国に戻る便が来るには一月以上先であることには変わりない。 



「それは……」


 言いにくそうに口をつむぐ兄貴。そういえばまだ名前も名乗っていなかった。順番が逆である。


「自己紹介がまだだったな。俺の名前はユウキ、冒険者をやっている。こいつは妹のイリシャだ」


「冒険者……そうだ、冒険者だ。あの、ボクはラコンと言います」


「キャロです! お兄ちゃん、お姉ちゃん、ごはんありがとうです」


 ラコンというらしい兄貴の方が何かを続けて言う前に妹のキャロが元気一杯に答えてくれた。イリシャの膝の上に居る彼女だが、実に元気でよろしい。


「あ、あの僕たち、人を探してここまで来たんです」


「人探しで密航までしたのか!? また思い切ったな、幼い二人で大変だっただろうに」


「僕はもう一人前です、子供じゃありません!」


 その行動の結果として自分の妹を飢えさせている時点でまだまだ子供なんだが、それをあえて指摘しようとは思わない。話も進まないしな。話を続けるように促した。


「この国にいるとは聞いているんですが、どこにいるかはさっぱり解りません。だけど、力になってくれそうな人は知っているんです。冒険者でクロイスさんをご存知ありませんか? この国でも有名な人だと思うんですが」


 クロイス卿!? あの人が新大陸、そして獣王国にいた事は聞いているが、こんな子供にまで名が知られているとは思わなかった。さすが有名人だ……で話が終わるほど俺は単純な頭をしていない。


「”天眼”のクロイスなら知っているぞ。紹介してやってもいい」


「本当ですか!? なにから何までありがとうございます!」


 さて、どこから話を進めたものか。本当なら獣人たちの性格をアードラーさんの部下の皆以外からも聞いて参考にすべく来ただけだというのに、想像とは随分と違う展開になってきたな。獣人が居ると聞いてきたのだがこんな子供二人だとは思わなかったし。


「彼とどういう関係なんだ? あの人と知り合いなんて凄いじゃないか」


 俺の言葉に少し誇らしげにラコンは答えた。


「御世話になっているお家でよくお会いしました。僕に剣の稽古を付けてくれるって約束もしてくれたんですよ」


「へえ、じゃあ、動くぬいぐるみの事も知っている訳だな?」


 こんな事を口にすれば事情を知らない奴なら訝しげな顔をするだけだ。だが、その反応は劇的だった。


「ラナお姉ちゃんの事を知っているんですか!!?? 今どこに!?」


「お姉ちゃん! どこどこ!?」


 お腹いっぱいになって眠くなってきたのか、イリシャと一緒に眠りの世界に旅立ちかけていたキャロも知っている名前を聞いて飛び起きた。


「心配ない。俺達で助け出してクロイス卿と一緒の屋敷にいるよ。後で会いに行こう。それにアードラーさんとその配下の皆さんも明日にはこの王都に帰ってくるはずさ」


「良かった……皆さん、無事だったんですね。本当に良かったよぅ……」


 そう呟いて大粒の涙を落とすラコンに俺は嫌な疑念を抱いてしまった。


「一つ聞きたいんだが、何故お前が密航という危険を冒してまでこの国に来る必要があったんだ? 祖国で待つ方が自然だし、誰だってそうするように言うだろう。それでもこうして来なければならない理由があったのか?」


 ラコンは俺の質問に涙を零しながら、その言葉を口にした。


「はい……お姉ちゃんが浚われた原因は、僕にあるからです……」





楽しんで頂ければ幸いです。


前話で戦争だー!と盛り上げておいて日常回でスイマセン。


もうちょい準備したらさくっと終わらせて魔法学院編に行きたいです(願望)。


ちなみに兎の獣人は最カワ獣人です。女将さんが人買いに浚われちまうよと普通に心配するレベルです。市場人気(?)も高いです。もちろんうさ耳と尻尾がぴこぴこします。

というわけで次回、お嬢様大興奮回になります。(唐突なネタバレ)


GW終わっても世間は大変ですが、これからもよろしくお願いします。

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