特訓! 2
お待たせしております。
昼前に一旦ホテルに戻る頃にはライカは疲労困憊で立つことも覚束無くなっていた。
「頭が破裂しそうです。こんなに考える事が多いなんて……」
「状況を把握しながら戦うってのはそういうことだぞ。ただ暴れるだけなら今のままでもいいが、もっと強くなりたいから俺に師事したんだろう。それにお前は後衛なんだから全体の状況も把握するのも仕事のひとつだ。今まではどうしてたんだ?」
「これまでは私が前衛でした。仲間が後衛ばっかりで結果的に私が前に出ざるを得なくて」
「え、そうなのか? 飛び道具持ちが前衛やってるのか……ある意味俺と同じだな」
なんとまあ歪んだ構成だが、聞けばライカのパーティメンバーは家族同然に育った間柄らしい。そりゃ簡単に入れ替えできないか。
かくして遠距離攻撃専門のライカが前衛をやるはめになり、残りの三人が中衛と後衛という感じらしい。それでもなんとかなるどころかSランクに上がるほどライカのスキルが強いという話ではあるが。
前に前にと出て行くところは俺と同じだが、俺は一人だから(相棒は数に入れない)何もかも自分でやる必要があってそうしているだけで、ライカとは事情が異なる。それに全体の状況を把握しておくことに前衛や後衛の区別はない。後衛のほうが見れる範囲が普段から広いからそういう役割を負いがちなだけだ。
「状況を把握する事自体は前衛でも意味あることだ。今はとにかく判断を早くしろ。間違ってもいいから即決して即座に行動に移れ。迷いや躊躇いの代償は死だと思え。早ければ早いほど後々余裕が生まれる。余裕があれば間違いも後から正せるし、周囲が見えてれば仲間の支援も可能になる」
「はい……」
ライカは浮かない顔をしている。自分がそこまでできるか不安なんだろう。
「お前は既に充分過ぎるほどに強い。だから俺はお前の強さを積み上げてやることは出来ない。あの奥義とやらを放てば倒せない奴はいないだろうしな」
「師匠には初見であっさり対処されたと思うんですが」
ライカの軽口にはとりあわない。あの時だって行動の基本は同じだ。周囲の状況が見えていたからライカが大技を放とうとしている気配はあったし、あのとんでもない対消滅弾の威力を<鑑定>で把握して<アイテムボックス>を盾にする選択を余裕をもって選ぶことができた。
既にライカには口酸っぱく言っているが、戦闘における”余裕”を保つ事は何よりも重要だ。
状況の把握をしたくても仲間が瀕死だとしたらそんな暇はないし、たとえ状況を把握したとしても避けられない敵の刃があれば意味がない。
つまり、その余裕を作り出すために常に何を心掛けるか、どう立ち回るかが大事なんだが、これをライカが本当の意味で理解できるかが問題だ。これはどちらかと言えば観念的な話で、俺はこれが死活的に重要だと思っているがライカがそう受け取るかは別問題なのだ。つまり自分の指導力次第というわけか。
「だから俺はお前の強さの幅を広げてやろうと思う」
「幅、ですか?」
「ああ、敵を倒す事だけが強さの証明じゃないだろう。世の中にはいろんな力と強さがある。人望や交渉も強さのひとつだ。そういえば黒い門のスペンサーさんに会ったよな。彼がその良い例だ。彼は剣も魔法も並みだが、支援魔法は間違いなく世界一だ。その彼が得た名声は仲間を活かすという強さを周囲が認めているってことだろ? お前の性格から、立ち塞がる全てを力で叩き潰して来たんだろうが、まだ若いんだから色んな見方をしてみろ。人生に必ず役に立つぞ」
今まで前衛で敵を倒すことしかしてなかったであろうライカには、俺の言葉はまだ難しいだろう。
「若いって……師匠と齢は殆ど変わらないと思いますけど」
実はライカのほうが年上だったりするが、俺の中身は違うからな。
「さっきまで何故弱い攻撃をさせ続けたのか、意味を考えてみたか?」
ライカにはさっきまで相手を倒せるかどうかと言うギリギリの攻撃で敵を倒させてきた。そのため何度か危ない場面があった。実は<結界>を張っていたので身の安全は確保されていたのだが、訓練なんだから適度な緊張感を与えて負荷を与えなければただの作業になってしまうからな。
俺自身の探索行は出来るだけそういった危険を排除して作業になるように立ち回っているが、これは訓練だ。訓練は死ぬほど厳しくなければ意味がない。
「はい、弱い攻撃で倒すには相手の急所をしっかり狙い撃つ必要があります。野性のそれとは違い、ダンジョンモンスターは少しくらいの傷ならそのまま襲い掛かってきます。物量で押して来る敵にはたとえ一匹ずつでも確実に仕留めることが必要だと解りました」
これまでは初級である11層でひたすら敵の相手をさせてきた。初級と銘打っただけあって敵の攻撃はアーチャーの矢とメイジの魔法攻撃程度で、前衛のゴブリンウォーリアはじりじり前進するだけだ。
そこでライカにはきちんと相手の急所(ダンジョンモンスターも理屈どおりに急所を狙えば弱い攻撃でも倒れる。腕を飛ばしてもそのまま襲い掛かってくるが、足を飛ばせば当然転ぶ)を狙う訓練をさせた。
絶対命中という無茶苦茶な能力のおかげでこれまで狙いをつける必要がなかったライカにとって、これは中々大変な作業だったようだが、普通はここから始めるのだ。それに自分で狙いをつけさせる意味も途中で理解してきたようだ。
「ああ、弱い攻撃でも場所を選べば普通に通用するし、魔力の節約になって継戦能力も上がる。攻撃の精度が上がれば更に戦術の幅が広がる」
基準の一撃はMPを5消費したが、弱い攻撃は10発撃って1消費する程度に収まった。これで単純に50倍の矢を放つことが出来る。
「はい、今までは矢を放てば敵が倒れるだけでしたが、自分で威力や場所を決められれば敵の牽制や武器を狙って叩く事もできます! 今まで仲間がやってくれてたから、自分で出来るなんて思ったこともなかったです」
ライカの口振りでは矢を放つと敵が死んでる状態だったようだ。強い事は強いが、本当に使い勝手が悪そうだな。即死攻撃といえば聞こえが良いが、攻撃手段がそれしかないと冒険者としては駄目だろう。
それじゃ殺し屋だ。
「仲間がやっていた事をお前が出来るようになれば、その仲間の負担が減る、ひいては仲間の力を他の事に使えることに繋がる。結果として全体が更に強くなるし、お前の出来ることが増えてゆく。強さの幅ってのはそういうことだ」
専門家がいる事は大事だが、その専門家が倒れても誰かが補えるようにしておく事が総合力の増強、引いては個人の更なる強さに繋がるってことだ。だが、こういうことはライカのパーティが到着して実際に稼動して初めて理解できることだろうが。
「はい、ありがとうございます! 師匠!」
「とりあえず風呂喰って飯にしよう。今は頭を休めろ、最初から飛ばしすぎても保たないしな」
「あ、帰ってきた。お帰り~、修行はどうだった?」
「まだ初日だからな。自分が何をすべきなのか、そのために何は必要なのかを理解させた程度だ。まだまだこれからさ」
風呂に行くライカと別れ、皆がいる居間に着くとソフィアとともに映画を見ていた相棒が声をかけてきた。最近の相棒はなんというか……文明に毒されすぎている。
今もソフィアとともに壁に映し出された映像を朝からずっと見ている最中だ。ソフィアは王宮にいても何もすることがないからとここに居るが……ここでひたすら映像を見ているのは飽きないんだろうか。
「お帰りなさい、兄様」
「ああ、ただいま。毎日見てるが飽きないのか?」
「いいえ、まったく! こんなにも多くの映画があるんですもの。まだまだ見てないものが沢山あるんですよ。それにこんな大きな姿で見られるなんて、異世界の方々は素晴らしい技術をおもちなのですね」
「いや、やっぱプロジェクター創って正解だったよ。スマホは便利だけど画面小っちゃいからさぁ。これなら皆で見れるしね」
「全員異世界の言語を習得済みの前提で話してるけどな」
俺達の会話にジュリアが口を挟んできた。
「いやいや、ユウキ殿。上級階級の子女など、暇を持て余しているものです。それでサロンや観劇に出掛けたりするのですが、このような大量の娯楽があると知れば異世界の言葉の習得などあっという間に学んでしまいますよ。その証拠に我々がそうですから」
彼女の言葉通り、ソフィア達とセリカなど、ウチの女性陣は日本語をあっという間に習得してしまった。ソフィアとセリカは英語にまで食指を伸ばし始めている有様だった。
「でも意外と使える。自分達だけにわかる暗号としても優秀」
メイドのアンナがそう付け足した。メイドとしてではなく護衛の立ち位置で考えているようだが、たしかに敵が理解されない暗号としては使えそうである。
「そうですね。言葉を覚えれば楽しい事がいっぱいあるんです。私も頑張って覚えました」
レナの言葉の結果として彼女達一人ひとりにすまほが渡っている始末である。いや、楽しいならいいのだけどね。
「ですが姫様、程々になさらないといけませんよ。熱中しすぎて日々の生活が乱れてはお肌に障ります」
「サリナ、兄様の前でなんて事を言うのですか! そ、そんなことはないですよ兄様。ちょっと夜更かしが続いただけです。それにお肌はセリカ姉さまの店に通っていますからいつでも大丈夫です!」
何が大丈夫なのか敢えては訊ねまい。昼寝中だったイリシャが起き出して来たのでライカを待って昼食を取った。
「お師様、今日はライカさんにどのような訓練を?」
昼には”緋色の風”も戻ってきている。最近はホテルで昼食の弁当を用意してもらったりすることもあるようだが、基本的にここに戻ってきている。
何しろここでは食事が無料だからな。少し遠くても混んでいて金の掛かるあまり美味くない飯屋に行く意味はないだろう。
「まだ初日だっての、大したことはしてない。精々俺と本人の認識を共有しただけだ」
「その割にはライカさんは死にそうな顔をしていますけど。でもお師様の指導を受けられるなんて、本当に羨ましい、もし厳しいならいつでも代わりますからね」
俺の最初の弟子を自認するキキョウにとって、妹弟子が師匠につきっきりで見てもらえるというのは思うところがあるようだ。普段は言わないような恨み言をライカに投げている。
「大丈夫、今日は初めてで戸惑っただけだから。午後からはもっと上手くやれるはず……」
風呂上りでさっぱりしているものの、額を押さえているライカを見れば午後など無理だろう。俺はキキョウに向けて口を開いた。
「キキョウに教えられる事は殆どないぞ。俺の魔法がアレなのは知っただろ。俺の真似をしても仕方ないし、君は君に合った遣り方がある。たまたまライカと俺の方法が似通っていたから教えることがあっただけだ」
「ではせめてお側で見ていてはいけませんか? 私にも活かせる事があるかもしれません」
「その話はまず仲間内でやるんだな。俺の一存で決まるもんじゃない。それとライカ、基本的に午後はなにもしない。今日の所は頭を休ませろ。初日から頭を酷使しても仕方ない」
「そんな! 私は大丈夫です! 師匠に指導を受ける機会を一瞬も無駄に出来ません!」
立ち上がってまだいけると主張する弟子だが、自分の限界も分かっていないような半人前が口にする言葉ではない。
「落ち着け、そして座れ。お前も解ったと思うが、今のお前に必要なのは徹底的な反復練習だ。何をすれば良いかさえ解れば敵と戦う必要だってないんだ。ここにいても似たような訓練は出来るしな」
「え、ここでもできるんですか?」
半信半疑なライカに食事中だが試してやることにした。
「これでいいか。これを見ろ」
俺は置いてあった帳面に様々な数字を大きさを変えて書き入れると一瞬だけライカに見せた。
「えっ、ええっ!」
「今見せた中で倒すべき順番を数字で言え、というような訓練ができる。今のお前には一番大事なものだろう?」
「確かにそうです……」
無論敵が襲い掛かってくるという緊張感の中で行うことも大事だが、ライカに必要なのは思考回路の強化だ。はっきり言って身体的な強化はほぼ不要だ。勉学と同じで、過度の詰め込みは適度に休息を入れないと効率は下がるだけだ。それに今やったような訓練は場所を選ばずどこでも出来るのも便利だ。一番大事なのは俺が付き合わなくても良いというものだが。
「今日は休息を取るように。疲れた頭で訓練しても捗らんだろ。そうだ、如月の店で甘いもんでも食って来い、甘味は頭の疲労回復に効くらしいぞ」
如月の喫茶店は他の甘味どころとは一線を画す超高級店だ。なにしろエドガーさんの店舗の最上階の一角にあり、紹介を受けた者しか入店できない会員制の特別仕様だ。そこで出される品は全て趣味人の如月が選び抜いた異世界産の極上品ばかりだ。
「そうだ、これが今日のお前の取り分な」
食事を終えた俺はライカの前に大きめな皮袋を放り投げた。怪訝な顔をしたライカがその皮袋の紐を解いたそこから大量の金貨が溢れ出した。
「な、なんですかこれ! 私こんな物をもらうわけには!」
「と言ってもな。お前が倒したモンスターのドロップアイテムは今日一日でそれくらいだぞ。正当な権利だから受け取っておけ」
「い、いけません! 修行を付けてもらう身でこんな大金を!」
くだくだ言うライカに有無を言わさず受け取らせる。訓練中は俺は<範囲指定移動>でアイテムを回収していたが、午前中ずっと敵を倒し続けていただけあって金貨40枚ほどに溜まっていた。品物をそのまま与えてもよかったが、金貨のほうが都合がよいだろう。
そして俺の懐に入れる選択肢も存在しない。俺の借金は俺だけが返済するべきものであり、訓練とはいえ弟子に戦わせてその上前を撥ねるなどというのは俺の精神衛生上ありえないことだ。それに金貨40程度、四半刻(15分)もあれば余裕で稼げる額だ。今日だって運よく金貨1400枚ほど稼げたし、拘るほどじゃない。
「こんな大量の金貨、手にした事がない……」
金貨を前に呆然としているライカに違和感を感じた俺はキキョウを手招きした。
「なんで天下のSランク冒険者があれっぽっちの金貨を見て動揺してるんだ?」
俺の素朴な疑問にキキョウは困ったような笑みを浮かべた。
「その、ライカさんはお師様並みに金銭感覚が無くて、財布は仲間の一人が握っているんです」
「え? だって今あいつ一人じゃないか。まさか……」
俺の嫌な予感はキキョウの頷きによって証明された。
「昨日聞きましたが、あの人路銀は船代に消えて今一文無しだそうです。お師様が手を差し伸べられなかったらまず野宿でしょう。いえ、こうしてお師様の慈悲にすがれるという事実が彼女の非凡さの証明かもしれません。二日前では考えられない関係の変化ですし」
キキョウの言葉に頷ける部分はある。出会いに至っては俺を暗殺しかけたというのに今ではこうして師弟になっている。普通じゃどう考えてもありえないが、そこいら辺もSランクの片鱗なのかもしれないな。
「そうだ、午後に予定が無いならお前達も行ってきたらどうだ? 丁度俺もソフィア達を連れてあのエドガーさんの店に顔を出す予定があるから馬車も手配してあるし」
俺の言葉に離れていたカエデたちから歓声が上がる。こうしてライカも交えて午後はエドガーさん率いるランデック商会にお邪魔することになった。
現在、エドガーさんが会頭を勤めるランデック商会には三つの大店がある。元々セリカが俺が貸した金で買い取っていたランデック商会本店。今は貴族を中心に高級品を売り捌く店だ。雑貨や嗜好品、酒類などもここで販売している。少し前まではここが一番の売り上げを誇っていた。
次に南地区に新たに開店した食料品専門店。防具屋から始まり服屋、総合的店舗へと成り上がったランデック商会にとって門外漢ではあるが俺が環境層のアイテムを王都へばら撒くためには事情を知る彼に助力を頼む他なかった。
幸い屑どもを大掃除した影響で奴等が巣食っていた多くの店舗が所有者不在のままになっていた。全てを今はシロマサの親分の組織が管理しているが、そのうちの一つを買い上げて様々な店に卸している。
売り上げ度外視の店なので儲けは微々たるものだが、この行動によりランデック商会の復活とその名声は王都中に鳴り響くことになった。
最後の一つも元は所有者不在の店舗を改装してつい最近開店した。
場所はなんと北地区の貴族街だ。あの屑どもの魔の手が如何にこの国の深奥まで伸びていたのかの端的な証明だが、全ては過去の事だ。
元子爵の別邸だと言う触れ込みだが、どの店よりも広く、そして豪奢な建物だった。
その店で売り物にしているのが”美”である。
「へえ、いい邸宅じゃないか。やつらも物を見る目はあったようだな」
10人は余裕で座れる大型馬車に揺られて店に到着した俺は開口一番そんな感想を口にした。
貴族街にある閑静な邸宅で、商店といった素振りは見えない。だが、馬車止めには十数台の馬車が止まっており、御者室には多くの人々が茶や煙草を喫したりして各々時間を潰している。もちろんこれは無料で提供される。茶も煙草も高級品で安くない出費だが、ここでの収入はまだ稼動して日が浅いにもかかわらず本店の10倍近い売り上げを叩き出している。その額を考えれば必要な経費だといえる。
門番に顔を見せると、一瞬驚いた顔をされるもホテル・サウザンプトン並みに教育の行き届いた者達は恭しく俺達を邸内に通してくれた。
重々しい両扉が開かれると弦楽器の生演奏が聞こえてくる。それに聞き入っている有閑マダム達を尻目に俺達は勝手知ったる足取りで奥へ進んだ。
もちろん今日が初めてなので間取りなどは<マップ>頼りだが、ここの店主はセリカが勤めているので彼女を探せばいいだけの話である。
だが、そのまえに護衛であるアイスが俺達を見つけて歩み寄ってきた。
「ああ、丁度良かったです。女性陣の皆さんにご提案がありまして。詳しくは主からお聞きください」
俺以外は全員女性なんだが、と思いつつ奥の支配人室に通されると、そこにはセリカともう一人の護衛のアイン。そして彼女は……あの印象的な美人はたしかあの倉庫で捕まっていたリンとかいう女だったな。
「みんないいタイミングで来てくれたわね。このリンから新しいフェイシャルエステの提案があったの。今そのモニターを募集しているんだけど、みんなどう?」
「「「「やります!!」」」」
「えっ、ええッッ、みんなどうしたの?」
「ライカさん、今は言葉は要りません。ただ受け入れるだけで新しい世界が待っています」
「へ、みんな一体!? 師匠、これは!?」
俺は黙って首を振った。こうなった女達に何を言っても無駄だと思い知っている。
「全部雪音の監修が入っていると聞いてるから変な事にはならんだろ。後は任せた」
イリシャも興味があるようで、無理矢理引きずられてゆくライカと一緒に見送った俺は本来の目的を果たすためソフィア達を連れて二階のある場所に向かう。
「兄様、わたしもそちらに……」
新作えすてとやらに行きたそうなソフィアだが、そうもいかない。
「まずは予定を終わらせてからな。向こうは既に俺らを待っている」
この邸宅は”美の館”と呼ばれている。誰が呼んだか知らないが、美を更に磨くための様々な設備や商品が取り揃っている。セリカの目的設定が暇を持て余す貴族の夫人達から金を吸い上げるという身も蓋も無い戦略だが、雪音という無敵に近い援軍を手にしてからというものセリカの野望は留まる所を知らなかった。
一階は先程も見たとおり、美容に関する様々な事柄を扱っている。セリカが嬉しそうに語っていたので覚えているが、この商売の恐ろしい所は継続して施術を受けねば美しさが保てないという面だ。
つまり一度美しい自分を体験した後はそれを維持するためにここに通って金を落とし続けねばならないという事だ。
一度やっている内容を覚えれば自分でも出来るんじゃないか? と俺は疑問を覚えたが、大事なのは各種の美容製品らしく、それは雪音のユニークスキルでしか生み出せないとの事だ。
そして貴族の女達は常に美しさを競っている。度々行われる夜会は女達の戦場だ。21層で取れたブラックバードのレアドロップ品を身に付けたソフィアが招待された夜会で話題を浚うと、しばらくはソフィアは社交界の中心になるほどにその影響力は強い。
その中で強力な武器を取り揃えるこの店が、凄まじい売り上げを叩き出すのは当然と言えた。
そして2階は雪音が創造した異世界の布で作られた服飾の数々が売られている。この店では見覚えのある女性を多く見かける。というのも先程のリンさんのように違法奴隷として売られそうになった見目麗しい女性を多く採用しており、彼女達は動く広告塔として販売している様々な服を身に付けている。実際に着ている姿を目にすることにより自分が着た場合を想像して購買意欲を煽る手法だ。
その一角に俺達の向かう宝飾品の店があり、そこには見知った女性が座っている。そしてその隣には雪音の姿も見える。彼女は最近はこの店に詰めている事が多い。玲二はバーニィの所に遊びにいっている。
「あ、ユウキさん、お待ちしていました!」
「やあ、ロッテさん。今日はよろしく。彼女達に適した細工をお願いしたい」
俺は留学に向かうソフィア達5人に身を守る宝珠の装飾品を作るべく一流の細工師であるロッテさんに製作を依頼していたのだった。
「ユウキ様、お嬢様は当然として我等にそのような高価な品物は不要ではありませんか?」
既に何度も話し合ったと言うのにメイドのサリナはまだ遠慮する姿勢を崩さない。この女も実に頑固だ、そこが気に入っている部分でもあるが。
「もうその話は散々やったからいいだろ。俺にとってソフィアは身内だし、ソフィアの身内である皆も身内だ。であるなら絶対に守るし、そのために必要と思われる事はなんでもする。どうせいざとなったら自分の身を盾にする気だろう? そのときに必要な事だ。黙って受け取ってくれ」
「はい、その、ありがとうございます」
頭を下げるサリナに俺はため息をついた。このメイドたちはこれまでの境遇から命をかけてソフィアを守ることに何の疑問も抱いていないが、当のソフィアにしてみれば身内が自分を庇って死んでゆくのはもう見たくないだろう。であるなら俺はある意味でソフィアよりも護衛の彼女達をまず護ってやらねばならない。
そのように考えるのには当然理由がある。
これからソフィアは王都を旅立って魔法学院のある学術都市アルザスに向かう。普通の馬車の旅でも4日ほどの距離だが、王女であるソフィアは色々やることがあって7日ほどかけて移動する予定だ。
もう大分前の気がしてきたが、これでもソフィアは祖国から命を狙われているのだ。一番危険だった王都までの旅路は俺の乱入により暗殺者どもを皆殺しにしたし、王都にいる間はリノア一家の助力もあるので安心して暮らすことが出来た。
だが、アルザスまでの旅路ではそうもいかないだろう。調べた限りではソフィアを襲った集団はライカール本国で粛清され、こちらに被害が及ぶ可能性はほぼ潰したと思うが、祖国に帰れなくなった連絡員などが逆恨みでこっちに無意味な自爆を仕掛ける可能性は皆無ではない。
皆無ではないが、こちらにそれを知る術はない。であれば取りうる手段を全てとって事前に準備しておく他ない。そのために魔法を籠められる宝珠を使った装飾品を彼女達全員に与えることにしたわけである。
雪音は宝石にも詳しいようで、宝石をより美しく見せるための研磨方法やその角度を付けて削ることにより幽玄の美しさを見せるようになった宝石類は今じゃ天井知らずの値がついている。
これももちろん買い求めた女性陣が夜会やサロンで大いに見せびらかして他の女性陣の嫉妬を買いまくったおかげである。
充分に火のついた段階で雪音とセリカは更に悪い事を始めた。
「ユウキさん、何か人聞きの悪い事考えてませんか?」
俺の思考を読んだのか、雪音がそんな事を言ってくる。
「いや、二人の恐ろしいまでの戦略眼に慄いているんだ。ちょっと前に集団のボス格に贈り物をしたんだっけ?」
「ああ、そのことですか。先程のモニターと同じですよ。影響力のある女性にロッテさんがデザインした宝飾品を身に付けて色んな場所に出向いてもらったんです。効果はすぐ現れましたね」
「まさか、あの洒落者と名高いシラー侯爵夫人やデント伯爵夫人に私の作品を身に付けていただく日が来るなんて、職人として夢のようです。私、今死んでも悔いはありません」
「死なれては私たちが困ります。貴方の才能は他の方に比べて抜きん出ています。いずれクリフ親方のほうが、あの細工師ロッテの父親か、と呼ばれる日が来るでしょうね」
雪音がここまで他人を褒めるのは珍しいが、これには訳がある。俺も現物を見せてもらったが、異世界には様々な宝石の加工技術がある。万事手際の良い雪音が苦労して書いた立方体(なんと144面もあるそうだ。俺は見た瞬間に理解を諦めた)の図面を一目見て正確に実際の宝石で再現して見せたのだ。
これでいいですか? と手渡したその石は売れるどころか王宮に献上されたという耳を疑うような話があるのだが、今のロッテさんの座る机の上には王室御用達の紋章がこれでもかと掲げられている。
これを騙ると即座に死刑なので、疑うような馬鹿はいない。解っちゃいたが彼女は天才だったというわけだ。
超がつく天才細工師とユニークスキルで様々な宝石の原石を作り出せる二人が揃うとどうなるかは語る必要はないだろう。いずれこの館に世界中の金貨や白金貨が集まりそうである。
「さて、みなさんお好きなデザインをお選びください。ご本人の体にあわせて最適な設計を行います」
「俺から注文が一つある。武装解除や身包み剥がされる事態も考慮してそれぞれ二種類選んでくれ。出来れば一つは隠せるものがいい。二つとも取り上げられちゃ意味がないからな」
そう言って探し始めるものの、そんな都合の良い物があるはずもない。ロッテさんは色んな図面を出してくれたが、それはやはり装飾としての美しさを全面に引き出すものであって、俺の望む隠密製の高いものなんざあるはずもない。というか、俺の意見が無茶苦茶だな。
「皆やロッテさんに悪い事をしたな。装飾品の意味を失わせるような事を言ってしまったようだ」
「いえ、兄様のお気持ちは本当に嬉しいです。私たちを案じてくださっている事は十分に解りますもの」
「そうですよ。お気持ちだけでも十分すぎるほど有難いです!」
「いや、レナは絶対に持っておけ。何があっても持たせるからな」
俺とレナが初めてあったときの事を思えば当然だった。レナは影武者としてソフィアの身代わりとして敵を引き付けて瀕死の重傷を負っていた。その光景を思い出すだけでも腹の中にどす黒い感情が蘇るほどだ。
危ない事はもうしませんとソフィアの前で約束させられているが、俺は信用していない。この4人はソフィアのために必要と思えば自分の命を簡単に放り出せるどうしようもない馬鹿共であり、何が何でも守り抜かねばならない俺の身内だ。
なんとしても守護のかかった宝珠を持たせなければならない。
だが、もし運悪く武装解除をさせられたら、露骨に宝珠であるとわかる装飾品は真っ先に取り上げられるだろう。魔力探知でも使われれば一発であるとはいえ、何とか隠し持たせる事は出来ないものか。
「雪音、それは一体なんだ?」
「これですか? カフリンクスですけど。この世界では袖ボタンが一般的でないのですけど、人に差を付けるアイテムとしては好事家向けの品ですから商品に加えようかと思いまして」
「それだ! それで行こう。ちょっと大きめだが、十分に隠せる。ロッテさん、どう思います?」
別に袖につける必要はない大きめのボタンとしてさりげなくあればよいのだ。
こうして各々宝珠を加工した宝飾品を身に付けさせたわけだが、なんとなく雪音の視線が冷たい気がする。確かに一人だけ何も無いってのはよくないな。
「雪音、これなんてどう思う? ちょっと作ってみたんだが、流石に売り物にはならないけど」
「これは……よいものですね。アクアマリンのような色合いがとても綺麗です」
「でしたらこのチェーンを付けてネックレスにされてみては如何ですか? とてもお似合いだと思いますよ」
ロッテさんの見事な援護射撃により雪音の機嫌は一気に改善し、俺の精神的な重石も取り除かれた。まだ剣の代金を払い終えていないことだし、これは礼金を弾まねばなるまいて。
「やあ、いらっしゃい。他の皆も今さっきこちらに来た所だよ」
三階は如月の営業する喫茶店とえすて体験者用に非常に豪奢な大浴場が作られている。店舗の最上階に風呂なんてどうやって湯を汲み上げているのかとおもったら、なんと如月が<アイテムボックス>からお湯をだしているそうな。確かに下手な魔導具を投入するより確実とはいえ俺達がいなかったらどうするつもりなのだろうか? あのエドガーさんのことだ、何か手を打ってはいるんだろうが。
「みんな、生まれ変わったみたいな肌になったな」
「師匠、これは凄いです! 見てくださいこの腕! つやっつやですよ! 是非とも私たちの祖国にもこの素晴らしい技術をお伝えください」
施術を受けた彼女達は皆肌を露出した服を身に纏っていた。若い淑女が無闇に肌を晒すものではないと爺臭い事をいいたくなるが、これは恐らく宣伝を兼ねているのだろう。周囲のご婦人方の痛いほどの視線を感じるからだ。
ライカが俺の前に二の腕を突き出して見せてくるが、確かに瑞々しい肌になっているように見える。
比較対象を知らないから俺はそうとしか言えないが、本人達はひどく興奮しているから実際に効果はあるのだろう。
「兄様、ちょっとわたしたちも行ってきますから!」
俺の返事も聞かずにソフィア達は消えた。先程まではここで何か甘いものでも……とか言っていたはずだが、全員姿が見えなくなっている。
そこまで美容に拘っているようには見えなかったソフィア達さえ虜にするその魔力。
雪音とセリカの目論見は大当たりだったようだ。
如月の店は完全予約制かつ大金を店に落とす超上得意様しか案内しないという会員制の高級喫茶だけあって内装まで如月の拘りがいくつも感じられる店となっている。
俺は既に珈琲に関しては彼の淹れるもの以外は飲まなくなってしまっているし、皆も異世界産の厳選された最高級の茶葉の香りを楽しんでいる。
「今日はセイロンのファストフラッシュだよ。一瞬で香り立つ茶葉を楽しんでほしいね。茶菓子はチョコブラウニーなんかどうだろう。少し用意するから試してみるといい」
「こんな生活を続けたら、祖国に帰れなくなってしまいそう」
「ええ、私たちも今それが一番怖いです。ユウキさんの元にずっと居られたらという誘惑に勝てそうになくて」
彼女達はそのような悩みを持っているようだが、そもそも要件が終われば俺は王都からウィスカに戻るので、いつまでも続く日々ではない事は確かだ。
「始めの頃は自分を律していようと思っていましたが、最近ではこの生活を失うことの恐怖が募るばかりで」
そのような事を言い合っていた彼女らも菓子が届けば無言で恍惚の笑みを浮かべてしまう。
「あまい! おいしい!」
隣のイリシャもご機嫌だ。俺はこの濃厚な甘さは一口でお釣りが来るほどなので他は皆にくれてやった。
しかし大勢の女性陣の中で男は俺一人という状況、そして俺のナリを改めてみると場違い感が凄いな。さっきも他の貴族の従者の男から話しかけられたし、多分何も知らない連中から見れば俺も彼女達の小間使いにしか見えないんだろうな。
周囲から見れば従者が主人達と同じ卓に座っているという不思議な状況に思えているに違いない。
そんな事を考えつつ最上階という事を活かして贅沢にも硝子を沢山用いた窓から外を見ているとソフィア達も戻ってきた。更に賑やかになった光景を眺めているとユウナから<念話>が入った。
<ユウキ様、御手間をお掛けしますが、至急冒険者ギルドまでおいで願えますか? 調査隊の報告がギルドマスターに届けられた模様です>
<わかった。すぐに行く>
王都の日々が終わりを迎えつつある事を自覚しつつ、俺は彼女達に断って冒険者ギルドに足を向けるのだった。
楽しんでいただければ幸いです。
今更ではございますが、誤字脱字が多くて申し訳ないです。一応上げる前に見直してはいるんですが、それでもバグのように続々と現れます。
見つけたら修正するようにしておりますので何卒ご容赦願います。
修行編と銘打っていますが、実際は異変にも対応していきます。
次回は月曜の朝までには何とか頑張ります。