冒険者ギルド 4
お待たせしております。
翌日、いつもの日課を終えた俺は玲二と雪音を伴って冒険者ギルドにやってきている。今日は午後から王都の外に出て野外のクエストを行うつもりだ。
俺を含めて皆があと一回クエストをクリアすれば晴れてFランクから卒業となる。正直Fランクは新人枠というよりも冷やかしで冒険者になった奴がランクを上げずにいるだけの意味合いなので達成感など全くない。
全員が簡単な納品依頼をこなして回数を稼いだだけで昇格可能だし、なによりFランクは依頼に失敗してもランクが下がらない(最低ランクだから当たり前だ。この場合は除名処分になるが、Fランクがこなせる依頼でギルドの信用に係わるものはない)からFランクにいる奴はほとんど名前だけギルドに登録しているだけの奴だな。
俺はともかく玲二と雪音は身分証としてのギルドカード保持が目的でもあるのでランクを上げておく意味はある。これから魔法学院に行ったとしてもあの地に冒険者ギルドはある。もし何か使うことがあればDランク程度まであると何かと都合がいいだろうからな。
ちなみに昨日ソフィアと雪音の魔法学院の制服を合わせに行ったのだが、俺はその姿を見ていない。なんでも当日まで秘密という事だから、楽しみにしておこう。玲二の男子用は見たので大体の想像はつくが、そこは言わぬが華というものだ。
さて、今回は野外クエストを選んだわけだが、恐らくはこの面子では最初で最後のクエストになるだろう。
元々雪音は生産職でランクをあげる予定だったし、今日のこの時間も特別に作ってもらったものだ。
雪音が主導して作っているアイテムは恐ろしい人気になっている。顧客は貴族層に絞ってはいるが、中には得意先の貴族に買わせている商人も居るにはいるようだ。だがエドガーさんはそれを見越して誰に何を売ったのか判明するように全ての商品に通し番号を入れているらしい。
中には転売した物も市場に出回ったが、それがどこの誰に売ったものかも判明しているようだ。
そのような手段を取った人物には断固たる態度で臨むと聞いているから、転売者の未来は暗いものになるだろう。
と言うように大人気であるものの、雪音自身はそこまで忙しくはしていない。一度でも創造したものは魔力消費は同じだが次から簡単に作れるし、創る事自体は<共有>を持つ仲間全員で行えるからだ。
むしろ今はソフィアと共に留学する魔法学院への準備に忙しかったのだが、今日はかねてからの約束だったため、こちらに来ていた。
「そっちに行ったぞ、回り込め!」
「う、うわっ! ちょっと待てって!」
俺達が選んだ依頼はホーンラビットの討伐だった。大きな角を持つこの兎の突進は、油断をすると大人でも大怪我を免れないほどの威力を誇る。
それ故に王都ギルドでは常時依頼として常に間引きが行われている。他の王都郊外の依頼は俺達が受けられる物の中ではゴブリン駆除か薬草納品くらいなもので、醜悪なゴブリンは見たくもないと女性陣が嫌がり、薬草納品は経験済みなので残るはこのホーンラビット討伐くらいしかなかった。
ダンジョンに慣れている俺としては敵意剥き出しで襲い掛かってくるのがモンスターだと思っていたが、生きているモンスターは当然逃げるし怯えるので少しばかり勝手が違う。
特にこのホーンラビットはこちらの人数が多いとすぐに逃げを打つので仕留めるのが手間だった。
「くそ、魔法が使えないと不便だな」
「威力を絞って敵が消し炭にならないようにすれば大丈夫だぞ。倒しても討伐部位が残らなきゃ依頼達成にはならんからな」
「調節がすごく難しいんだよな。こんなことならもう少し魔法を練習しとくんだったぜ」
俺達の魔力ならよほどうまく調節しないと本当に跡形も残らない。ホーンラビットはあまり多くはないものの、そこそこ美味い肉も取れるので依頼以外に買い取りもできるお得な敵なのだ。
だからこその戦い方をする必要もあり、これはダンジョン攻略では決して経験出来ないことだった。
なにしろあっちは倒したら即アイテムだからだ。どんなに危険でもダンジョンが冒険者を誘い込むのはそこら辺もあるのかもしれない。
「あっ、しまった!」
玲二が放ったあり得ないほど手加減された弱々しい火魔法は俊敏なホーンラビットにあっさりと避けられるどころか、そのまま背を向けて文字通り脱兎のごとく逃げ出した。
近くの茂みに逃げ込もうとしたその兎だったが、唐突に首から上が消失した。
「あ……手を出すべきじゃなかったかな」
「まあ、いいんじゃないか。高ランク依頼でもないんだ、数さえ揃えれば誰がやったなんて大した問題じゃないだろ」
茂みの中から出てきた申し訳なさそうな顔をしたバーニィに俺はそう答えた。
今日の参加者はランクを上げる自分と相棒、玲二と雪音、不要だが一応の監督役(ランクアップ査定に影響する)の”緋色の風”4人と”遊び”についてきたバーニィの9人となる。
たかだかホーンラビット如きに投入される戦力ではないが、これも休みのお遊びだ。堅いことは言わない。
特にバーニィは最近の家督相続に関する負荷、なんだっけ雪音が行っていた負荷だかが限界に近くて俺が誘ったのだ。ほぼ一日中屋敷に篭もって様々な教育を詰め込まれ続けていればこうもなるか。
もともと頭で考えるよりの勘で判断する主義の彼には辛い時間だったようで、顔に容易には取れない疲労がこびりついていた。
一撃で首から上を断たれたホーンラビットをズタ袋に放り込む。最低討伐単位が5匹だから、あと一匹で任務達成だ。初めて半刻も経っていないからこりゃすぐ終わりそうだな。
「普通はもっと時間が掛かるはず。兎は狙って探すと出てこないから。大抵は他の依頼と併せて同時並行でやるものだし」
「そこは俺のスキルだ。相手の居場所を大体掴めるのさ」
「羨ましい。こっちはパーティにスカウトがいないからいつも大変」
戦士のカエデがこぼしたように、彼女達には専属のスカウトがいない。必要な時は何とか融通してこれまでやってきたようだが、揉めたりそりがあわなかったりして居つかずにいたようだ。
こればかりは相性だからどうにもならない時はほんとうにどうしようもない。臨時ならばともかく、必要だからと合わない奴といやいやパーティを組んでも連携の齟齬などどうしても無理が出る。
それくらいならばスカウト不在の不利益を蒙った方がマシだとの意見で纏まったらしい。
「これまでも優秀な方はいたんですけどね……」
「明らかに下心満載の顔で近づかれたら、いくら優秀でも断りますから」
やれやれ、女だけのパーティは苦労ばかりだな。名が売れやすいのはあるだろうが、それに付随する面倒事はそれ以上だ。やらなきゃいいのに、とは思うが彼女達にも事情があるのだろうな。
「だけどスカウトはいたほうがいいだろう? 偵察や索敵の必要性は解っているんだし」
「それはもう。この国に流れ着く一因もスカウトの不在が関係していましたから。どこかにユウナさんみたいな優秀な女性の方は居ないものですかね」
かつてギルドを通して募集をかけたこともあったそうだが、全て男しか応募がなかったそうだ。だが、ユウナのように非常に優秀な女性スカウトなど俺も聞いたことがない。何しろ女性は魔法職に偏っていて前衛まで女性な彼女達が異端だからな。
「であるなら、この地で探してみるのもよいかもしれない。あるいは見所のある奴を育ててみるのも一興かもしれん」
「はい、閣下。私達もそのように思っております」
俺たち以外には次期伯爵家当主としての言葉遣いをするようになったバーニィに弓使いのカエデが畏まった言葉で答えた。多分彼女はオウカ帝国で貴族だったのだろう。そう思わせる仕草が随所にあってバーニィへの対応もソツがない。
俺自身は彼女達とのかかわりを少なくしているので(あまり親しくすると4人のほうに邪推が向くとソフィアに諭された)詳しく聞く気はないが、ある程度の予想はできる。
バーニィが彼女達の距離をとって俺のほうに近づいてくる。俺のそばには雪音だけしかいないのでこの言葉は普段に戻っている。
「今のスカウトの件だけど、こっちに心当たりがあるんだ。今は他国にいるけど、呼び寄せてみてもいいかい? 能力は僕が保証するよ」
「女のスカウトをか? そりゃまた変わった人脈だな」
「バーニィに新たな女の知り合い!? これは是非ともアンジェラに話をしないといけないわね」
俺の肩に座っている相棒が楽しげな声を出した。女性陣はなんにでもそっちに話を繋げたがるな。
「ああ、その顔は変な事を考えてるだろ。例の試験の時の世話になった本部付きの先輩騎士の養子だよ。腕はいいんだけど誰とも馴染めないと聞いたことがあったから、後で手紙でも出してみるよ」
「随分と親身なように見えますけど」
絶対的なアンジェラの味方である雪音が冷たい声をだした。本来の彼女は温かみのある朗らかな少女であるが、辛辣な時は本当に名前どおりの震えるような声を出す。隣にいた俺が思わず振り向いてしまうほどだ。
アンジェラもアンジェラで数奇な身の上の女だった。バーニィの幼馴染である段階で解りそうなものだが、彼女もかつて伯爵令嬢と呼ばれていた時期もあった。俺もクロイス卿からの又聞きだが、敵国と通じていたという嫌疑がかけられお家断絶の憂き目に遭ったとか。
既に過去の事なので事の真偽はどうあれ、今は公爵家ご令嬢の筆頭メイドを勤めている。この事実だけである程度の事情は解るというものだが。
通常、売国奴の娘を大切な大切な孫娘の側付きにはしないからだ。
「いや、そういう関係ではないよ。ただ二ヶ月(半年)の試験の間はその家に世話になっていたからね、顔を合わせる機会が多かっただけだって。手紙だってこれから初めて出すんだ」
弁解じみた言葉を話す彼を意識の外に追いやり、俺は次なる得物を<マップ>で探す。この王都郊外の林の中には魔物が点在する程度で、あとはご同業がごく僅かにいるだけだ。
いつもならばもっと多くの冒険者が周囲の森に分け入って森の恵みを拝借しているというが、今はこの異変騒ぎでめっきりと減っている。ギルドが低ランクの冒険者に不用意な立ち入りを禁じているという事情もある。俺達はさっさとランクアップしたいのと、ユウナからの働きかけに”緋色の風”の同行もあり許されている。
周囲のモンスターはラビットホーンにグリーンラットという大きなねずみがいる程度だ。このねずみがよく屋台の串焼きの材料になっていると知った異世界人の皆が一様に青い顔をしていたのを思い出す。
肉そのものが滅多に出回らないこの周辺では魔物の肉も普通に食べられているし、まだ食える味である分グリーンラットはマシな方だ。この体の持ち主であるライルの故郷辺りのモンスターは倒しても食えたものではない味が多く、村の皆はグリーンラットでも羨ましがっていたのを思い出す。
いまでは文字通り売るほど肉が有り余っているのを考えると隔世の感があるな。
「お、見つけた。これでラストだッ!」
玲二が勢い良く放った風魔法がラビットホーンに直撃する。原形を留めないほどの赤い何かに変わってしまったそれに雪音が顔を背けた。
「うわ、グロ案件じゃん! ちょっと玲二、SAN値がピンチになるでしょ!?」
「う、うっせーな、加減が難しいんだって。弱く撃つと威力もスピードもないし、強く打つとこれだよ、魔法って難しいな」
「普通は逆なんですけどねぇ。一般的な魔法使いはいかに強力に魔法を放つかを苦心するんですけど。それ以前にこんな小物に魔法使うなんて勿体無いです。流石は音に聞こえた”嵐”の一人ですね。こんなに魔力が潤沢だなんて羨ましいです」
「あ、俺達は一切関係ないんで。その二つ名はユウキだけのものですよ。俺達が仲間になったときにはもう呼ばれてたっぽいですし」
「別に自分から名乗ったわけでもないし、それはべつにどうだっていいさ。それより玲二、その物体は討伐数加えられないぞ」
「ああ、やっぱ駄目かぁ」
赤い染みのようになっているアレを指差す俺に玲二がやはりそうかという顔をする。
「討伐部位は角だけど何とか原形を留めている感じ? 堅い角をこんなにスッパリ切れているだけで凄いけど、認めてもらえるかは微妙。それに毛皮も肉も使い物にならないし、買い取ってもらえない」
モミジの言葉に全てが集約されている。冒険者とは依頼を達成して金を得る商売だ。ただの討伐依頼でも口だけで倒したといえる事は言える。ギルドとしてもそんなあやふやな言葉を信じるわけには行かないので証拠を求めてくる。よくあるのがゴブリンの耳、ホーンラビットの角など各モンスターに決められた部位を持ち帰るように依頼には書かれている。
冒険者の方もそれだけでは依頼は安いので付加価値を求める。それが状態の良さだったり、個体の大きさだったり、剥ぎ取りの上手さだったりするが、それによって依頼料とは別に買取で日々の糧を得ている寸法だ。
その観点から言うと玲二の戦いは落第もいいところだ。ホーンラビットの角一本の買取は銅貨5枚(!)という泣きたくなるような安さだ。常時依頼だし、あまり高くは出来ないのはわかっているので不平はないが、だからこそ冒険者たちは肉やその毛皮まで込みでギルドに売りつける。
最高に手際よく解体して、全て良品買取りで銀貨一枚行けば上等だとカエデが教えてくれた。
彼女はパーティ内随一の解体の腕の持ち主だ。貴族でありながら大したものだとも思うが、狩人と解体も多く経験しているからだという。スカウトと兼任する弓使いもいるが、彼女はそこまで達者ではないようだが。
ギルドでも解体はしてくれるが、当然手数料が掛かる。弱くて安いモンスターの剥ぎ取りは新人冒険者なら一度は経験しておくべき儀式のひとつだ。俺もソフィアと出会った護衛依頼の最初の頃は先輩冒険者の剥ぎ取りを横で観察していたっけ。
魔法職にとって魔力の温存は基本中の基本であり、このような雑魚に魔法を使う事はありえない。もっと手強くて倒したときの報酬が大きい敵に惜しげもなく使うのが普通であり、先程魔法使いのキキョウの言葉は的を得ているが、遊びの範疇で冒険者の正しさを説いても仕方ない。
そういう訳でもう一匹倒さねば依頼達成にはならない。だが、すぐ近くにいるのは解っているので茂みの隙間からひょっこり顔を出した瞬間を狙って針のように細く尖らせた火魔法を放って終わらせた。
「い、今のは魔法ですよね!? いったいどんな!」
「いや、普通にファイアボールだよ、燃やし尽くすわけには行かないから用途を変えただけだ」
絶句しているキキョウを放っておいて俺は倒したホーンラビットをつまみ上げた。首筋を貫通させたから痛みも無く逝けたとは思うが、まあ成仏してくれ。見た目は可愛いので、初めは雪音も頬を緩ませていたのだが、その突進で岩を砕いたのを見てからは一切の油断をしなくなっている。
ホーンラビットは新人冒険者が一番痛い目を見る新人殺しモンスターとして有名である。逆にこいつを数体一人で倒せれば新人卒業とされている。
「とりあえずこれで依頼は完了だな。じゃあ、近くに泉があるからそこで休憩したら戻ろうか」
少し開けた場所にある泉は多くの冒険者の憩いの場として使われているようで簡易ながら座る場所も設置されていた。無いとは思うが一応調べたあと安全を確認して一休みと相成った。
「今日はホテルのシェフに無理を言ってローストビーフのサンドイッチを作ってもらってきたぜ。全員分あるから遠慮なく食ってくれ」
玲二が<アイテムボックス>から取り出した軽食を次々に渡してゆく。俺が湯を沸かして茶と珈琲の準備を整える頃には既に皆に行き渡っていた。
「なんて美味しい食事なのかしら。これが外で口に出来るなんて夢のよう」
「街に帰れば超高級ホテルのお風呂に毎日入れて柔らかいベッドで眠れるなんて。明らかに今が一番いい生活しているわね。故郷に戻りたくなくなってしまうくらい」
「同感。戻ってもこっちの方が絶対に美味しいご飯がある。でも駄目」
「解ってるわ。私たちは帰らなければならない、なんとしても。そのためにここでAランクにまで上がる必要がある。帰還ではなく凱旋でなければならない」
せっかくの美味い飯を深刻そうな顔で食っている三人に何か言おうとする前に雪音が言葉を挟んだ。かつて触れたが、うちの女たちは全員4人の味方である。
「その話だけれど、別に期限が限られているわけではないのでしょう。であるなら、今は落ち着いてユウキさんの導きに従って自らを研鑽することに力を注ぐべきだと思うの。彼なら必ず貴方達の力になって下さるはずだから」
おいおい、雪音さんや。なんか俺が彼女達の問題に首を突っ込む前提になっていないか? 向こうが頭を下げて頼むなら考えんことも無いが、俺もそこまでする義理はない。今だって装備や何やらで十分すぎるほど貢献しているのだ。
彼女達が身につけている装備の多くは俺がウィスカで手に入れた装備品ばかりだ。元が奴隷だから何ももっていないのは当然であるし、俺も何かの為に取っておくかという程度の品だったので貸与するのに不都合はなかった。
戦士のモミジは魔法の篭手を装備した。元々<怪力>のスキル持ちでそれを存分に生かすには鈍器や篭手の方が活かせると思ったからだ。本人もこれまで何本も剣を破壊してきている過去があり、アダマンタイト製の非常に硬い篭手は攻防一体の武器として優れていた。
この中では弓使いのカエデが一番得をしたかもしれない。彼女が使っているのはウィスカ25層で手に入れた魔法の弓だ。銘は”エルシュガンテ”という文字通りの銘品で、その効果は所有者の魔力を矢に変換していくらでも打ち出せるという優れものだ。似たような武器は色々な英雄譚で謳われており、この手の魔法の弓の知名度は非常に高い。とくにこのエルシュガンテは弓自体に相当の魔力を溜め込んでおくことが可能で、本人が試した所では500発は間違いなく放てると言う。
弓使いにとって矢は金の掛かる問題だ。遠距離攻撃としては威力こそ魔法には劣るものの、速射性や静音性にすぐれた弓は冒険者の中でも使用者は非常に多い。
そこは魔法を扱える者が少ないという側面を見なければという話でもあるが、矢だって性能の良い物を求めれば値段は上がってゆく。そこらの木材で適当に矢羽つけて放てばよいといえる玩具ではなく、命を懸ける場面で安心して使うものになると一本が馬鹿にならない価格になる。
カエデ自体も豊富な魔力を備えているのでそれが全て無料になった。金庫番も兼ねていた彼女が俺が手渡した弓を見た瞬間、懐疑的だった態度を完全に変えたのははっきりと今でも覚えている。あれだけ攻撃的だったカエデがはじめて心からの敬意と共に敬語を使ったのはあの時が最初だった。
キキョウとスイレンはそこまでたいした物はない。それでも余っている魔法の触媒とこの前のリルカのダンジョンで大量に出たので少し手元に残していた宝珠あたりを貸与したら泣くほど感謝されたが。
防具も肌着系は俺がダンジョンで手に入れた物を工夫して使ったり、異世界産のきめ細かい肌触りの良い品を使っているし、エドガーさんは最初の頃は防具屋を営んでいたらしいので、彼からの融通を受けているはずだ。
俺が手に入れた防具は女性には少し大きすぎて装備できなかったので仕方ない。
そして地味に彼女達が一番喜んだのは異世界産の靴だ。セリカの店でも爆発的に売り上げを伸ばしているというが、特に靴底が衝撃を吸収する靴は異次元の履き心地だ。高ランクモンスターの素材でも似たようなものはあるというが、これほど丈夫で長持ちし、足が疲れない靴は空前絶後だという。
熟練の冒険者だったクロイス卿が大絶賛して編み上げの長靴を数種類買い求めていたので間違いないだろう。流石に異世界産に魔法効果は求められないが、こういった森に分け入る時などの移動用としては最高の品である。
4人も雪音が取り出した靴を大喜びしながら合わせていたし、俺もありがたく使わせてもらっている。尤も戦闘用にも使うため、靴底だけ分解して貼り付けている。こうすることによって魔法の防具としての価値を保ちながらも移動用の快適さを維持している。
いや、本当に異世界は凄いわ。こっちの靴は靴底が木なので痛いのだ。今まではこれが当たり前だったから気にもしなかったが、一度これを味わうと二度と木の靴底には戻せない。
セリカの店では一応そのまま売らず、俺が行ったような加工を施して珍奇さを減らしているものの、一足金貨20枚でも予約が殺到しているらしい。気持ちは解るぞ、俺も絶対に木の靴はもう嫌だからな。
雪音たちと始めて会った時の靴はまた意匠が異なっているが、これもまた富裕層に人気が出そうだ。雪音がこの世界で売れそうな物の一覧の上位にあったことだけあって、早めに創造を開始していた品なので在庫も種類も豊富だった。
そのような感じで”緋色の風”の4人は主にウチの女達からの大量の援助を受けて日々の生活を立て直した。何しろ衣食住全てこっちが、いや俺が面倒を見ているのだ。奴隷であれば主人として当然であるが、彼女達は奴隷ではない。あくまで俺に借金があるだけの自由民だ。
つまり今の彼女達は稼げば稼ぐだけ自分達の懐に入ってくる羨ましい状態だ。なので俺も装備を貸与という形にしている。もし本気で欲しくなれば買い取ればよい、ただその額は全部で金貨300枚を超えるが、彼女達もそれは了承していた。
本来魔法の武器とはそれくらいするものだからだ。それが稀に手に入るダンジョンがいかに破格か分かろうものだ。
俺は十分に彼女達に与えたぞ、と言い募りたかったが、俺は俺で魔法使いのキキョウからの質問責めにあっていた。
「先程の収束させた魔法ですが、無詠唱と何か関係があるのですか? 詠唱を必要とする魔法にはあのような様々なバリエーションは有り得ませんし」
「俺の独自魔法に近いのかな。俺の先生が先生だし、ちょっと変わってるんだよ」
既にセラ先生とも面通ししてある4人だ。勿論姉弟子の反応はウチの女達と全く一緒で、親身に世話を焼いている。やはり冒険者稼業で女だけというのは男社会に切り込む女達の光のような存在なのか、いやにみんな親切だった。
「グラン・セラにお話を伺う栄誉も賜りましたが、あの方は貴方の魔法は全く別だと仰られましたよ」
この銀髪の女は、ソフィアの祖国ライカールの魔法学園を優秀な成績で卒業した才媛というだけあって正統派の魔法使いだ。だが、強さを求めるその貪欲さは正道に拘るつもりは全くないらしい。
絶対に邪道だろう我流の俺からも得られるものがあれば、何でも吸収しようとする気概は好ましいものがある。
だが、俺に彼女の望む答えがあるはずもない。スキルで無理矢理手に入れ、ウィスカを攻略するために無茶な訓練をして対応させただけのシロモノだ。
正直なところ、これを魔法と呼んでいいのかという疑問さえある。俺はどんなものであれ無理なく使えて敵が倒せればそれで良かったから気にもしなかった。
だが、最近余裕も出てきたこともあり、少しはまともに魔法の勉強を、と思って玲二と雪音に入学を依頼した背景もある。ソフィアに聞いた話では学院も時々公開授業を行っているというし、一から勉強してみたい気持ちもある。
だが、この場でキキョウを納得させる説明はできない。だから実技で誤魔化す他なかった。
「君が納得するかは別だが、実際にやって見せるよ」
俺は近くにあった大きめの木片を手に取ると先ほどの火魔法の再現をする。大量の炎の針が木片を貫いてゆき、網のような形に変わった。
「す、凄すぎて参考にならないのは解りました。高温すぎて木に焦げ目さえついていないのは完全な制御の賜物でしょう。私が似たような事をやろうとしても……」
眼を閉じたキキョウが魔法を発動する。おお、無詠唱だ、これはスキル欄にはなかったから最近習得したのかな。
無詠唱自体は実はそこまで難解なスキルでもなかったりする。魔法を詠唱無しで使うこと自体は可能だからだ。ただ間違いなく暴発して、術者が酷い怪我を負うだけだ。逆言えばその制御さえ出来ていれば万人に無詠唱は使えることになる。
だが、戦闘中に動き回る敵相手に無詠唱で魔法を放つことが、どれほど危険でありえないことか魔法を扱う者なら痛みと共に理解しているだけだ。
スキル由来なので自慢できることではないが、俺がいろんな人に驚かれたのはそこである。
「このように放射状の炎が規則性もなく放たれるだけです。貴方のように精密な制御があればあのときのみなに迷惑をかけずに……」
「詠唱を終わらせたら魔法は勝手に出るものなのか? その後の制御はしないのか?」
「は? 放った後の魔法の制御などできるわけが」
「いや、言い方が悪かったな。例えば魔法を放つ瞬間だって方向性は決められるだろ。ファイアボールだって方向や規模、籠めた魔力の大きさで威力が変わってくるし」
俺の言葉を聞いたキキョウの顔は顔色を変えた。
「詠唱による制御を離れた段階で魔法の増幅ができると言いたいのですか? そんな馬鹿な……いや、でもそうすると全ての説明が……まさか、魔法詠唱とは……」
何かに感づいた顔で思案するキキョウを見て、俺の使う魔法が完全に別物であるという自覚をようやく得た。
だが、これを声高に喋られても誰も得しないな。しかたない、こっち側に抱き込むか。
ここまでする気はなかったが、彼女に気付かせてくれた礼ということにでもするか。
「命を懸けて秘密が守れるなら、俺の側に来させてやるが、どうする?」
俺はよそ行きの顔から普段の声に切り替えた。意識してやっているわけではないが、どうも受けた側はかなりの衝撃を受けるようだな。今のキキョウも顔が強張っている。
「その貌が本来の貴方なのですね。どうか御力をお授けください。師よ、貴方が望むなら命をも捧げます。どうか苦難を打破する偉大な力を」
周囲にさりげな<消音>を張ったのでこのやり取りは聞こえてないはずだ。バーニィなら異変に気付いただろうが、あいつも俺と同じ異端者だ。あとで説明すれば解ってくれる。
俺は無言のままキキョウの手を取った。冒険者とは思えないすべらかな手触りに一瞬心が揺さぶられたが、動じることなく魔力を手から流し込んでゆく。
「こ、この力は、こんな、こんなことがあるはずが……ああ、大いなる神よ!」
「反対の腕から魔法を放つ。それで理解しろ。力は与えた、代価を払え」
キキョウの手から下級風魔法のウインドカッターが乱舞する。撃った本人なら理解しただろう、今の一撃で34発分のウインドカッターが放たれ、不可視の刃が乱れ飛んだ事を。
「わ、わが師よ。偉大なる我が叡智の君よ。このご恩は生涯をかけてお返しします」
「要らん。これは気付かせてくれた俺の礼でもある。ただ理解し、秘密を守れ。曝け出して誰が得をする話でもないんでな」
彼女にはレイアたちと同じ<誓約>をかけた。この場合は魔法の原理を外部に洩らせば即座に命を絶たれるものだが、キキョウは迷わず受け容れた。
この<誓約>を受けたものは俺に命を握られたも同然なんだが、何故か皆即同意するんだよな。少しは逡巡しろよと思う。
事が終わったら後は全て元どおりだ。キキョウの方は大変そうだが、俺が厳命した。その瞳は僅かに赤みがかっているが、俺が特に何をしたわけではない事は皆が解っていると信じたい。
キキョウにも特に何をした訳でもない。レイアたちの様に配下にしたわけではないから力を与えたわけでもないのだ。本人は妙に有難がっていたが、はっきり言って初めて魔法を使う玲二たちにしたように魔力の使い方を教えただけに過ぎない。後は勝手に彼女のほうで理解し、使いこなしていくだろう。
依頼を達成し、王都に戻る中でバーニィが声をかけてきた。
「ユウ、何かあったの?」
流石にバーニィには<消音>を使ったことがバレていたが、視界を閉ざしていたわけでもないので変な事はなかったと皆が理解していると思う。
「少し魔法の話をな。俺にも彼女にも有意義な話だった」
「へえ、それは珍しい。是非とも皆に報告しないと」
先程のお返しのつもりらしい彼の言葉に苦笑が浮かんだ。
「そこは勘弁してくれ。そっちだって身を固める話が出てるんだろう。次期伯爵様なら婚約者の一人や二人いてもおかしくないからな」
嫌な事を突っ込まれたのか、バーニィの顔に影が見えた。
「そうなんだよね。周りがしきりに勧めてくるんだ。これまではクロイス卿がそういう一番の話題だったから僕にはあまり来なかったけど、これからはそうもいかないだろうし」
彼の言葉通り、今王都で一番結婚を騒がれているのがクロイス卿だ。むしろあれほどの有望株が何故結婚していないのか不思議なほどだ。家柄といい、本人の性格や周囲の評価を含めて周囲から結婚話が引きも切らない筈なのにである。
当の本人は血がどうたらと言い訳をしているが、俺はアードラーさんから重要な情報を得ていたが……ん? なんだこれ?
「おい、バーニィって当然わかってるよな」
「うん、何か来るね」
俺達二人が揃ってとある方向を向いているので皆が気付いたようだ。本当なら<マップ>が使える玲二と雪音も気付いてしかるべきだが、俺は<並列思考>で常時展開しているから解っただけのことで、必要時以外は<マップ>を使ってない二人には解らないのも無理はなかった。
むしろスキル無しに気付くバーニィがおかしいのだ。
「何か来るぞ。速度が速い、逃げても無駄だ。迎え撃つから陣を組め」
「な、何かって……ってマジですぐじゃないか」
姉である雪音を俺のほうに押しやった玲二は自分も<マップ>で確認したのか、相手の移動の速さに驚いている。
”緋色の風”は手慣れたもので既に俺を含めた円陣を組み終えている。俺、玲二とバーニィとモミジが外周担当だ。俺とバーニィでほとんど対処できる気もするが、俺に頼りきりにならないという意思は多いに評価したい。
そして姿を現した敵を見る。形は四足歩行の獣だが、見た感じはデスハウンドに近いかな。全身が灰色な上、とある特徴があった。
「な、何だあれ? 黒いもやのようなみたいなのを纏ってるぞ」
「カ、呪怨化魔物!!」
玲二の言葉に緊迫した声で答えたのはカエデだった。その声には抑えきれない恐れがあった。
「魔界の奥底に生息すると言われている最高難度のモンスターです。あのもやは高濃度の呪いが物質化したもので、あれに触れただけでも致死級の呪いを受けます。絶対に近寄ってはなりません!」
呪い、呪いか。そういえば最近そんな致死級の呪いを受けた連中がいたな。
「何でこんな場所にこのモンスターが。私たちったらどこまで祟られているのよ!」
「カエデ、落ち着く。今度は負けない。必ず勝つ!」
篭手を叩き合って硬質の音を響かせたモミジが覇気のある声を上げた。その声に勇気付けられるように皆も戦う準備を整えたようだ。
「気合入れてる最中に悪いが、知り合いか?」
「あの個体は初見ですが、私達が辛酸を舐めるきっかけとなったモンスターです。そのとき遭遇したのは大型の獣の個体でしたがたった二匹に私たちは敗北しました」
「正確にはもう一体に背後から奇襲を受けてスイレンが真っ先に呪いを受けました。回復役を失った私達に触れただけで呪いを受けるあの敵に抗する術はほとんど残されていませんでした。何とか撃退に成功したものの、商隊護衛の依頼には失敗し、スイレンの命を助けるために積み荷にあったエクス・ポーションを勝手に使用したことで莫大な借金を背負いました」
なるほど、そこで奴隷落ちして俺に出会ったというわけか。キキョウが詳しく事情を伝えてくれたが、この敵も異変の一環なんだろうな。こんな危ない敵が王都の外壁のすぐ近くに現れること自体がおかしいのだ。
「そんな敵にここでも会ったのか。やれやれ、人生は驚きに満ちているな。それで、戦う気はあるのか?」
「当然です。奇襲さえなければ正面からぶつかって倒せる敵だと証明してみせます!」
そう力強く言いきるカエデ達に少しは任せることにした。
「じゃあ、あの一匹は任せるぞ。だが、スカウトがいないと不安なのは確かだな。実は今7匹に囲まれている最中だぞ」
えっ、と彼女達が周囲を確認する前にバーニィが動いた。気づいた時には既に3匹をこの世から消し去っている。俺も負けじと木の陰などに隠れている3匹を魔法で処理したが、他の皆は最後一匹に気を取られてこっちに気付いていないな。
「あとはこっちでやるからそいつを逃がすなよ、こんな奴が王都周辺をうろつかれたらぞっとしないからな」
「はい!」
幾度か危ない場面もあったようだが、カエデの魔法の弓から放たれた矢が敵の足を縫いつけ、そこのキキョウの魔法が直撃して戦いは終わった。
「やったわ、キキョウ! 凄いじゃない、魔法の威力と発動までの時間が大幅に短縮されてるわ! さっきの時間はもしかして……?」
「ええ、少しだけど見てもらえたの、そうしたら劇的に変わったの。結果は見ての通りよ」
一匹を何とか倒して喜んでいる4人を尻目に俺達は残り6つの死体を集めた。死体にはあのもやはないが、体の表面には不可思議な文様なびっしりと書き込まれているように見える。
「バーニィ、呪いは大丈夫か? 近接武器とは相性が悪そうだが?」
「一応暗黒騎士は各種呪いに強いといわれてるけどね」
念のため<解呪>をかけておくと、案の定の呪いがかかっていたようだ。
しかし本格的に危険になってきたな。まさかこんな王都のすぐ近くにこれほど危険な敵が出現するとは想像していなかった。今までの俺の認識は精々海の魔物が山に現れたくらいの異変だったのだが、ここまで凶悪なモンスターが王都すぐ側まで出没するとなれば話は変わってくる。
俺も本腰を入れて対応を考えないと不味そうだな。
とりあえずこの7匹のカースド・モンスターを王都ギルドに持って帰ろう。現物を見ればそんな呑気な職員も王都に危険が迫っている事は理解できるだろう。
「この敵はお前達”緋色の風”が全て倒したことにしろよ。そのほうが向こうも信じるだろうし、俺らが倒した事にしても何を得るものはないしな」
「そんな! 人の手柄を受け取れませんよ。この敵はお二人で倒したものですよ」
スイレンが俺の言葉に反駁するが、Fランクの俺達にはこのモンスターを討伐しても素材くらいしか利はないが、彼女達ならランクアップの査定になるからな。
どちらが有益か、少し考えれば解る話なので彼女達の最後には俺の厚意を受け取ってもらえた。
その日の冒険者ギルドは蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
なにしろ王都の目と鼻の先でカースド・モンスターという凶悪極まりないモンスターが現れたのだ。
嘘だと思いたくても討伐されて躯を晒す実物が存在しては現実を認めなくてはならない。
それに討伐したパーティがどこで何をしていたか、目立つ存在であるが故に多くの職員が知っていた。この敵が王都から離れた森深くであればそこまでの騒ぎにはならない。
だが、モンスターを持ち込んだパーティは昼前までこのギルドで他の依頼をこなし、午後にはとある新人パーティの監督役として王都のすぐ近くにいた事が間違いのない事実だったからだ。
ギルド内でもどこか対岸の火事であったこの異変が、ようやく職員一人一人が身近な危険だと感じ取った瞬間だった。
その直後、ギルドは非常事態宣言を王都全域に対して発令し、王城もそれに呼応する。
後の世にサラドガ事変と呼ばれる一大事件の幕はこのように上がることとなった。
楽しんで頂ければ幸いです。
夜が明けなれければ日曜理論です。(ガバガバ)
随分と引っ張りましたが、これから王都の異変に切り込みます。
次は水曜予定ですが……厳しいかな? いやなんとかやってみます。