仄暗い闇の中から 1
お待たせしております。
魔法の修練といっても、俺だって本格的に習った訳ではない。相棒が基本的な事を教えてくれたのでそれをなぞったらなんかできてしまった、というのが正直な所だ。
だが、俺が持っているスキルは二人も持っているのだ。もしスキルによって何らかの補助があるならば二人にもそれが当てはまるはずだ。
だが、その前にまず最初にやっておかねばならないことがある。
「二人にはまず魔力を感じ取ってもらわないと何も始まらないわけだが……」
「そうですね、セラお婆さんとのお話でもまずそこから、という感じでしたし」
「でも手があるからこうやって連れて来てくれたんだろ?」
玲二の言葉通り、一応手は考えてある。魔力は自分の中にあるのにそれを感じ取れない、ということは恐らく彼らの中でその器官が休眠しているか錆び付いているかのどちらかだろう。
俺には毎度の手ではあるが、魔力を直接流し込んでその回路だ器官を起こしてやればいいのだ。
何故か俺だけにしか出来ない手法らしく、あのセラ先生もどうやって他人に魔力を流し込んでいるのか不思議がっていた。姉弟子であるアリアに試して感謝された後、先生本人にもやってみて新たな扉がひらいたとかなんとか。
恐ろしい事にあの先生、俺がなにかしたおかげで魔力の総量が倍以上に増えていた。これまで様々な偉業をなした人(エルフ?)生はその半分以下の魔力でやってきたことになる。その倍以上の魔力でも俺の半分未満だった事はみんなには秘密だ。
ソフィアや最近ではシルヴィアにも行った魔力調整を二人にも行う予定だったのだが……。
「なんだよ、微妙な顔して」
「いや、これからその魔力を認識してもらうためにある作業をするつもりなんだが、その内容がな……」
俺の逡巡を見て取ったのか、玲二はことさら明るい声を出した。
「かまわないって。それで魔法が使えるようになるんなら安いもんさ。なんだってやってやるさ」
よし、言質取った。だが玲二よ、あまり安請け合いすると後が怖いぞ。これで色々学ぶといい。
「そこまで言うなら俺も応えなきゃな。理屈は簡単だ、俺が今から大量の魔力を流す。二人に魔力があるのはわかっているから嫌でも自分の中の魔力と反応するはずだ。それを感じ取れれば終了なんだが、問題はそれがいつまでかかるか、そしてどのように魔力を流すかなんだ。何しろ俺も初挑戦だから加減が解らん。えらいことになってしまいそうだが、お前の熱い気持ちに心打たれたよ」
途中から玲二が、え、ちょっと待ってとか言ってたが気にしてはいけない。何しろ彼は自分の言葉で人体実験を了承してくれたのだから。
後ずさる彼の腕をがっしり捕まえる。悔しい事に身長は玲二の方が高いが、力はステータスの影響で俺のほうが圧倒的に上だ。逃がすことはない。
「ちょ、心の準備をさせてくれよ!」
「身構えるなって。目を閉じて意識を集中しろ、自分の中に異物が入り込むんだぞ。異変を感じつつも同じものを捉えるんだよ」
俺の感覚では下腹の辺りに魔力を循環させると一番効率がいいので、あそこらへんあたりではないかと思うがライルの体はこちら産だからはっきりしたことは言えないのだ。
「む、無茶言うなよ」
せいぜい脅かしておく必要がある。俺もどれだけの量で流し込めばいいのかさっぱり見当が付かないのだ。後で文句を言われても困るしな。
掴んだ腕から魔力を徐々に流し込んでいる。始めは違和感を感じていたような玲二だが、すぐにその顔が苦悶に歪んだ。
「うッ」
強い力で俺を振りほどいた玲二は近くの穴に駆け寄ると、盛大に胃の中のものを逆流させた。ああ、やはりそうなったか。ちょっと勢いが強すぎたかな。
「大丈夫か?」
「ああなんとか。体の中をグチャグチャに掻き回されている感じだ。こりゃキツいぜ」
果実水で口をあらい流させた後で、結果を尋ねると怪しい感じはするもののこれだという確信はないようだった。もう一度試す必要がある。
「今のでこっちも感じはわかった。さっきの勢いは必要なかった、今度はかなり弱く流すぞ」
あれほどの目に遭っても玲二は嫌だとは言わなかった。見た目こそ世の女たちが放っておかなそうな色男だが、根性はたいしたものだ。
「……この感じ! これが魔力か!?」
「見つけたか? その力の流れを自分で把握してみろ。そうすれば簡単に操れるようになる」
俺の言葉を受けて玲二は自分の中で色々試行錯誤してみたら、すぐに魔力を己のものにしたようだ。先程まで全く感じなかった魔力の奔流が彼の中から渦巻いている。
「す、凄ぇ……これが、魔力なのか……」
「とりあえず玲二はその魔力を自在に操れるように練習な。魔法はまだ使うなよ、お前の魔力で暴発したら一生傷跡が残る怪我や火傷を負うぞ」
今にも魔法を撃ちたそうな玲二を強めに脅す。冷静に考えれば自分のスキルに魔法防御に関する幾つもの技能があるのが解る筈だが、未知の力に圧倒されて今は俺の言葉に素直に頷いている。
さて、続いては雪音だが……。
「雪音はどうする? 玲二のあの感じだと結構キツそうだぞ? 俺も加減を覚えて大分マシになったと思うが、あまりオススメはしない」
だが、雪音は俺の心配を他所にはっきりと断言した。
「かまいません、よろしくお願いします」
そう言って自ら腕を差し出す始末だ。俺も魔法に憧れたクチだから気持ちは解るが、一切躊躇なしとは恐れ入る。さっきまで双子の弟が昼飯を逆流させていたのを見ていないはずがないのだが。
幸い雪音は俺の加減も上手くいって一発で成功した。何故か彼女は残念そうだったが、淑女が男に触れられる機会を減らすのは当然だと思う。それにレベルアップによる魔力の増大を受けていた雪音の力の本流は凄まじく、遠く離れたこの距離でも下手をすればウィスカの実力者たちに感づかれるほど強大だった。
その魔力量だからこそ雪音は一度で気付けた可能性もあり、玲二は俺もさっさとレベル上げておけばよかったと嘆いていた。
魔法の習得自体は非常に簡単だった。俺のはたぶん間違った魔法なのでおおっぴらに使わず、セラ先生が教える正当な魔法を主に使うようにと言うと不満そうな顔をみせた。
だが俺がつまらないことで悪目立ちしたいのかと聞くと、こちらが驚くほど大人しく聞き入れた。深くは聞けていないが、悪目立ちという言葉に嫌な思い出でもあるのか、それを繰り返すことだけはしまいと心に決めているようだ。
だが、いくら後でちゃんとしたものを習うとは言え、魔法が使えると思えば使ってみたくなるのか人情というものだ。俺もそこを踏まえてこの森を選んでいるので、二人は魔力の許す限り思い思いの魔法を試している。
しかしどうして、稀人というのは生まれついての魔法使いだな。俺も各属性の魔法を初めて使う時はイメージの構築に手間取ったものだが、彼らは火でも水でもなんでもすぐに使いこなしている。俺と同じように化学の知識を用いているようだが、なんとなくうろ覚えの俺と違って明晰な頭脳を持つ二人(定期的に行われる考査の結果も抜群だったようだ。玲二は殆ど学府に通っていなかったそうだが、天は二物も三物も与えている実例だ)は習熟具合が早かった。ここまで使いこなされるとセラ先生から怒られそうだ。俺としてはちゃんと詠唱を用いた魔法を覚えてもらい、俺にそれを教えて欲しいという願望もあったのだが。
「なあなあ、初日でこれって俺達もしかして凄くないか?」
「掛け値なしで凄いぞ。自慢していいが、それはちゃんと先生の所で正当なものを習ってからにしろよ」
俺がかつて受けた賞賛とも奇異ともいえる視線を思い出すにとても自慢していいぞとは言えない事を思い出すも、二人の技術は初日とは思えないほどなのは確かだ。
「日本でも魔法使いだったんじゃないの?」
「おいおい、俺はまだ16だっての。まだだけど30は越えてないぜ」
玲二と相棒がそう言ってニヤニヤして解り合っているのも大分慣れてきた今日この頃である。
「ですけど、ユウキさんがやっているような大量の魔法を使いこなすのはとても無理そうです。<多重詠唱>と<連続魔法>を使っているんですか?」
「はじめはそれが大事かと思ってたが、実際は<並列思考>だよ。あれは地味に神スキルだな。同時に数十個の魔法を色んな敵に着弾させるには、一つ一つ狙いをつけているんだ。確かに慣れるまでは頭が破裂しそうになるが、訓練しておくべきスキルだぞ。使い始めると便利さが良く解る」
「同時に麻雀と将棋と囲碁とチェスをやるようなもんだもんな。でもあれ本当に大変だぞ? 色んな情報が一気に頭に入ってきて常に錯乱したみたいになるんだ」
便利さの実例を見せるべく俺は手頃な太い枝を手にとった。
「魔法の習熟が進むとこういうことが出来るようになるんだ」
手に取った枝に向かってごく弱い風魔法を連打する。<並列思考>によって威力、向きが完全に制御させた風の刃が枝を次々と削ってゆく。
「凄い……彫刻みたい」
「枝があっという間に木剣になっちまった」
「見ての通り便利なんだよ。ウィスカのダンジョンは敵だらけの上にでかい音立てると次々と敵が湧いて先に進めないから静か且つ確実に敵を倒す必要があるから嫌でも技術は上がるんだけどな。二人もゆっくりでいいから慣らしておいたほうがいいぞ」
自分がスパコンになるようなもんか、と玲二は一人で納得していたが俺の場合は実際にはライルの体を借り受けているという点が大きいのではないかと思っている。
よく言われるが、人間の全力を出すと体のほうが壊れてしまうから、それを防ぐために頭の方で無意識に制限を掛けているという。
俺はたぶんそれが効いていないのだ。そりゃあ他人の体を勝手に使っているから制限が外れていてもおかしくはないが、俺はそれを上手く利用しているのかもしれない。
他に同じ奴もいないので検証しようもない話ではあるが。
「ユウ、気付いてるよね」
「ああ。二人がどう対処するか気になって、放置してる」
実は今敵が接近中だ。玲二と雪音も<マップ>があるので気付けないはずもないが、魔法に夢中でそれどころではない。ここに遊びに来たわけではない事も伝えているし、森が人間の領域ではない事も言い聞かせた。警戒を解いてはならない場所で油断するとどうなるか身をもって学んでもらおうか。
それにしても敵はかなりの勢いで向かってくるな。俺らを探しているような素振りはなく、一心にこちらを目指している。何か目印でもつけていたかな?
そんな事を思っている間に、敵はこちらの視界に入った。<鑑定>を早速使って観察する。
アッシュグリズリー ベア種
南の大陸にごく僅かに生息する獣。灰色の体毛を持つ凶暴な熊。その爪は鉄のたてさえも軽々と切り裂くという。雑食ではあるが、空腹時でないと人は襲わないとされる。敵対時には逃げるのは推奨できない。グリズリーの最高速は時速60キロルに達するとされ、背を向けて逃走するのは死を意味する。
HP 120/332 MP 0/0 経験値 562
モンスターのように格付けこそないものの、Cランク上位に位置する経験値を持つ強敵のようだ。さっきの樹にあった爪痕はこいつのものだろう。だが誰かと一戦やらかしたのか目立った怪我こそないものの、体力は思った以上に減っている。
「姉貴!」
既に敵を視界に捉えていた玲二は雪音に鋭く警告を発した。それぞれの位置関係は俺と熊の間に二人がはさまれている感じだ。この程度の敵はいつでも対処できるが、二人の対応力を見てみたくなった。
野生の獣相手に一番の悪手は素早い行動だ。それは相手の性急な反応を呼び起こしかねないので最良の手段はゆっくりと動いて態勢を整える事だ。
その点で二人は合格だった。慣れてなさそうだから悲鳴を上げるか、硬直して動けなくなるかと思っていただけに正直驚いた。後で油断するなって言っただろと小言を言おうと思っていた俺は予想が外れてしまった。
その後二人はゆっくりと俺に近づいて、すぐ横に来た。そのまま小声で謝ってきた。
「すみません、油断しました。あれほど森を侮るなと言われていたのに」
「面目ない。でもこれはどうする? 倒してもいいのか?」
俺も不要な殺生は避ける主義だが、相手が向かってきた場合は別だ。特に手負いの獣を見逃すと後が厄介だ。それにこの熊は俺達がいるのを知ってここに来た可能性が高い。俺らを食って力をつけようとしたのか知らないが、黙って帰す理由はない。
二人に任せようかと思ったが、極度の精神状態だったので俺がやる事にした。素人が叫びださないだけでも褒めてやるべきだな。
火魔法であっさりと片付けると、熊は眉間を打ち抜かれたことにさえ気付かぬ様子でそのまま倒れ伏した。
「やった」
「今の火魔法なのか? 滅茶苦茶細い針みたいなものが飛んでいったけど」
慣れれば魔法の形状も自由自在だということだ。玲二が倒れた熊に近寄ろうしたが、雪音に止められた。新たな存在がこちらへ向かっているのだ。だが、反応は中立なので敵対はしていないようだ。
次に現れたのは、大きな鹿だった。その角は見事といえるほど発達していて、この森でも有数の力を有しているのがわかった。
その鹿は熊が倒れているのを見やると、何も言わずに森の奥に消えていった。恐らく熊が手負いとなった原因はあの鹿と一戦交えた後なんだろう。それほどの力を有しているのは解った。
「森の王って感じの偉容だな」
「あんなに発達した角は初めてみました。それに強い魔力を感じます」
雪音はもう相手の魔力の総量まで把握できているようだ。
あのでかい鹿、なんか見覚えがあるような
「ユウ、多分あのとき治療した鹿だと思うよすぐ側に小さい子供がいるし」
ああ、あのときの。俺が魔法の練習中に、威力が強すぎて張った結界を撃ち抜いてしまったことがある。その時に自然破壊と共に流れ魔法に当たってしまった不運な鹿を回復魔法で治してやったのだ。
「また随分とでかくなったな」
「多分ユウが与えた魔力の影響もあるんじゃないの? 突然変異みたいな感じになってるし、この森の王っていうのもあながち間違っていないかも」
その鹿はしばらく俺を見つめていたが、不意に視線をそらして去っていった。
元はあの鹿が戦っていたようだし、俺たちは横取りした形になってしまったが、あちらは特に気にした風もなかった。
で、俺たちの目の前にはデカい熊の死体があるわけだが、これをどうしたもんかな。
「なあユウキ。こんな大物、解体できるのか?」
「俺は無理だ。精々狼の解体を横目で見ていたくらいだ。その他ははずっとダンジョンだからなぁ」
「ジビエの経験はあるけど、さすがに捌いたことは俺も無い、これはギルドの本職に任せるべきかな」
こんなデカブツ普通の冒険者なら重すぎて持ち帰れず、金になる部位だけ切り取って帰るのが普通なんだろう。
だが、俺には<アイテムボックス>があるし、マジックバッグもある。入りきらないということはあるまい。
これを使えとマジックバッグを取り出したが、当然バッグの口に熊は入りきらない。
「ユウキ、どう頑張っても無理だぞ。<アイテムボックス>使っていいだろ?」
「<アイテムボックス>はこの世界では凄まじく貴重らしいぞ。見つかったら偉いさんや商人が大挙して押し掛けてくるのは間違いない。その勧誘が優しく口でずっと続く保証はない」
「つまり、少なくともマジックバッグを使って持ってきたという感じにしておく必要がある、と言うわけですね」
「俺たちはもう運命共同体だ。一人の利益はみんなの利益だが、一人の破滅は全員の終わりを意味する。細かい事言いたくはないが、ヤバい所は細心の注意を払ってくれ。上手く行っている時は多少の無茶も通るが、終わるときは一瞬で全て終わるからな……」
二人の表情を見た俺は小言を止めた。まだ10代半ばの二人には不似合いなほどの冷めた顔をしている。
おそらく心が冷える何かしらの経験があるのだろう、詳しく聞いていないがこの齢で故郷への未練が一切ないあたり空恐ろしいほどだ。
自分の記憶さえ覚束ない俺ではあるが、何か二人に出来ることがあればいいのだが。
その後はギルドへ戻って依頼の達成報告をした。一束銅貨三枚という超低額なので目端の効く子供の小遣い稼ぎや主婦の内職の一環としての側面もあるという。冒険者でなくては換金できないので子供はそこらの引退した冒険者に頼んでいるとか。
何てことないクエストだが、二人はこの世界で初めて達成したクエストだ。感慨もひとしおのようだ。
「これで皆さん初クエスト完了ですね。おめでとうございます。特にユウさんは登録してしばらく経つのに一度も通常のクエストをこなしてくれないので皆心配していたんですよ。専属冒険者が一度もクエストクリアの実績なしなんて外に話せませんから」
え? 俺一度もクエストクリアしてなかったっけ? 護衛依頼は……あれは規定クエストか。その後はずっとダンジョンだから、そうか、今回が初クエスト達成なのか。
「これで、はじめの一歩だな。FからGに上がるためには何をすればいいんですか?」
「Gランクに上がるためには依頼を10個達成していただくだけです。冒険者としての実績を積めば上がれますよ。正直Fランクは登録のためだけに利用する人たち専用です。ここに例外もいらっしゃいますが」
非常に機嫌が良いヘレナさんが俺をからかっているが、確かに登録して一つの依頼もこなさずにダンジョンに突っ込むアホは俺くらいだろうな。
蜂蜜の大瓶を手に入れて有頂天のヘレナさんだが、やはり仕事はちゃんとこなすようですぐに報酬の銀貨3枚を持ってきてくれた。
ヘレナさんが手にした蜂蜜だが、リリィから解禁のお達しが出ている。理由は俺達が色んな甘味を創造できる点が大きい。それにより様々な菓子が手に入り、相棒にとって蜂蜜の価値が下落したのだ。
そもそも砂糖が作れる時点で勝ったようなものだ。玲二は洋菓子店で一時働いていたことがあるようで、知識も作れる品も豊富だった。
相棒にとって二人との出会いはまさに天啓であったに違いない。
報酬を受け取った雪音は感慨深げに普通の銀貨を飽きることなく眺めている。
「私、自分の力だけでお金を稼いだの初めてなんです!」
感激している雪音の隣で玲二が耳打ちしてきた。
(姉貴は喫茶店で茶を飲んでても勝手に声を掛けられるレベルだからな、バイトなんて無理だった。俺が稼いで姉貴が家事をしている感じだったんだ)
(お前も似たようなモンじゃないのか?)
双子なんだから、顔の造形はそっくりだ。つまり世の女からは受けは良かっただろうに。
(しばらく女はいいよ。前は煩いくらい寄ってきたけどそれが手のひらを返すように消えたからな。俺は異世界で料理と冒険者で成り上がってやる)
気を抜くと重い話をぶっこんでくる二人の身の上話を避けつつ、ヘレナさんに話の本題を切り出す事にした。
「それはそうとでかいのが獲れたのでギルドの解体場を貸してください」
「解りました。話は通しておきますので、裏側から回ってください」
噂どおり仕事は出来る女のようだ。周辺にいるはずもない大物が出たとぼかして伝えたら、目立つことの無いようにわざわざ裏口に回れとの指示が来た。
とてもさっき自分の仕事を放棄して俺の賄賂を受け取りに行った人間と同一人物とは思えない。
ギルドの裏口はいつも俺が出入りに使用しているので既に慣れたものだ。解体場には既に話を聞いた担当者が待ち構えていた。玲二と雪音は解体場の独特な血の匂いと空気に呑まれて声もない。
「よう、恵みの森で大物が出たって?」
「アッシュグリズリーでした。ここらに居ていい獣じゃないはずです」
俺が出したでかい熊に一同は慄いた。獲物の大きさへの感嘆もあったが、それ以上にこんな奴が平和なウィスカ周辺をうろついていた事実がギルド職員をざわつかせた。
「なんでこんな所にこいつがいるんだ……」
「ユウが対処してなきゃ何人殺されていたか」
「ギルマス呼んで来い! 対策を検討してもらえ!」
これまで話題としてはダンジョン関連のものしかなかったウィスカだ。モンスターがうろつくダンジョン内は危険だが、ダンジョンから一歩踏み出せば町の中は安全だった。ギルド職員も自分達の街のすぐ近くに危険が忍び寄っているなどと夢にも思っていなかったに違いない。
「グリズリーが出ただと!?」
勢いよくジェイクが駆け込んできた。その顔には珍しく焦りが見える。
俺は彼に遭遇した場所、状況と森の王とでも言うべき存在と戦って敗走していたことなどを告げていく。
「少し前から森の異変については報告を受けていた。だがそれは小動物の数が減ったとか森が静寂になる時間が以前よりも増えたとかそういうものだった。だがこいつが現れたとなると全て変わって来るぞ」
<なあユウキ、やっぱり深刻なのか?>
<ああ、一匹異物が紛れ込むだけで生態系が変わってくるからな。特に強いやつが混じると他の全てがエサだからな。ギルドとしてはこれがはぐれなのか、何らかの前兆なのかを調べたいはずだ>
矢継ぎ早に指示を出しているギルドマスターに向かって声をかけた。
「解体したら、こいつの胃の中を調べておいてください。内容物で情報が……」
「皆まで言うな。こっちはプロだぞ、いわれなくてもやるべき事はやるさ。それより、この件で力を借りるかも知れん。他に使える腕のいい連中はみんなダンジョンだ。手が足りなくなるかも知れんからな」
森の探索に必要なのはスカウトのはずだが。それにここには優秀なスカウトが居るではないか。
「そういえばユウナさんは? ウィスカでは彼女が一番のスカウトでしょう?」
「あいつは今王都だ。今から戻ってくるだけで4日はかかるだろう。っと、噂をすれば、だな。」
俺が利益供与の一環として渡した通話石から反応があったようだ。ジェイクの口調から相手はユウナらしい。よく聞くと会話が漏れ聞こえてくるが、ユウナの声が緊張を帯びている。
「兄上、まずい事になりました。すぐに冒険者ユウに連絡を取ってください。事態は一刻を争います」
「何があったんだ? 通話石で連絡するような内容なのか?」
「ええ、方法を一つ間違うと甚大な被害が発生する恐れがあります。すぐに連絡を!」
「わかった。実は目の前に居るから替わるぞ」
えっ、なんですって? と驚いている声が漏れているが構わずに通話石を受け取った。
「ユウだ。ずいぶんと慌てているようだが、何かあったのか?」
「全く、兄に連絡を取ったのは、貴方に話が伝わる前にいくらか段取りを整えておくためだったのですが、水泡に帰しましたね」
通話石の向こうをため息をついたユウナは僅かに逡巡した後、覚悟を決めた声で口を開いた。
「落ち着いて聞いてください。王都の預けていた貴方の愛剣、アイスブランドが盗まれました」
楽しんで頂ければ幸いです。