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2015年/短編まとめ

傷心に雨水が染みる

作者: 文崎 美生

雨は嫌い。

雨そのものが嫌いなんじゃなくて、雨の降っている日に制服で重い荷物を持って出歩くのが嫌い。

ジトジトする中で、足元の水溜まりを蹴り上げながら歩く。


高校生になって早々に家を出た。

特に家族仲が悪いとかそういうわけではなく、むしろ両親の仲も良くて、未だに新婚夫婦張りの仲の良さで、見ている方が恥ずかしくなる。


ならば、何故家を出たのかと言われれば、二人が仲が良すぎて、私に対して酷く過保護だったから。

自活力をつけるためには、あの二人から離れるのが一番だと考えたまでのこと。

ただ生活費などは十分過ぎるほどに貰っているので、何とも言えないところだ。


学校からほど近い五階建てのアパートで一人暮らしを始めた私は、相も変わらずのんびりと過ごしていた。

帰ってからアルバイト情報でも探そうかな、なんて考えていると、アパートの直ぐ手前の公園に人影。

灰色掛かった世界は、どうにも物の認識力を下げてしまう。

私は傘を持つ手に力を込めて、足を止め目を細めて、その人影を見つめた。


小さな背中。

この雨の中で傘も差さず、レインコートも着ずに、ブランコの上に座り込む小さな背中は、いままでにも何度か見てきた。

あんな風に、ぽつん、と浮き上がるような背中は見たことないけれど。


良くある悪ガキの例だ。

自治会だか何だかのオジさんに怒鳴られて、ケタケタ笑いながら走り去る背中を見たことがある。

子供は好きでも嫌いでもないので、特に関わることもないとは思ってたんだけどなぁ。


パシャッ、足元の水溜まりが音を立てる。

音に気付いたその子はゆっくりと顔を上げ、私の方を見た。

数回の瞬きの後に、怪訝そうな顔付きになって私を睨み上げる。

可愛いか可愛くないかで言うと、私の主観全開で可愛くはない。


「帰らないの?」


ぎゅうっ、と身を守るように抱かれた黒いランドセル。

私は女なので赤いのだったけれど、何となく懐かしい気分になってしまう。

だけれど、目の前のその子は「……帰りたくない」と、たっぷりの間を挟んで呟いた。


ポツポツ、トツトツ、雨粒が傘を叩く音が耳障りなほどに大きく感じる。

私は傘を持っていない方の手を伸ばす。

細くて筋肉のついていない子供の腕。

その腕を掴んで「帰ろう」と言えば、その子は元々そんなに良くない目付きを、更に悪くして私を睨む。


「はなせクソババァ!!」


雨の中響く声に、私は迷うことなく拳骨を落として、その子を引きずった。

誰がクソババァだ、誰が。

私はまだピッチピチのうら若き花の女子高校生だっつーの!!!




***




シャワーを浴びさせるために風呂場に放り込んだその子と、洗濯機に放り込まれたその子の服。

その子がお風呂から出たら洗濯機を回そう。

そう思いながら、タンスの中からロングTシャツを引っ張り出す。


お風呂から出て来たその子に着せてみると、見事にワンピースっぽくなった。

うん、これは可愛い。

着ている本人は酷く顔を歪めているが。


「ろりこんめ」


「……小生意気なガキが。で、名前は?」


「……天地アマチ 透理トウリ


透理、と口の中で反芻する。

珍しい名前だな、と思いながら、タオルを透理の頭に被せて乱雑に拭う。

ポタポタ音を立ててフローリングに落ちる雫は、雨みたいだと思った。


色素の薄い髪は細くて女の子みたい。

目もパッチリしてるし、まつ毛も長くて綺麗なのに、何でクソババァとか言うのかな――舌っ足らずなロリコン発言はまぁ、可愛かったが。

悪ガキ代表みたいなことしてるのかな。

そんなことを考えながら、乾いた髪を撫でてタオルを取り除く。


そのタオルを洗濯機に放り込んで、台所へ温かいココアを入れに向かう。

本当はコーヒーな気分だったけれど、流石にこんなちびっ子にそんなものを飲ませられない。


小学生半ばくらいの透理は、ぺったらぺったら足音を立てて私の後を付いて来る。

俺もいるぜ!みたいな主張が可愛いと思う。

女子高生っていうのは無類の可愛い物好きだと思うし、女子高生じゃなくてもこんなことされたら可愛いと思ってしまうに決まってる。


赤とか青とか、小さな草の妖精みたいなのが後ろに引っ付いてきて、食われたりしていくゲームを思い出した。

久々にやりたいなぁ。


何となく台所に入ってから振り返ると、私を見上げていた透理は、慌てて目を逸らす。

反抗期ってやつかな。

そう思いながらマグカップを棚から取り出そうとした時「名前」と、透理の口から言葉が発せられて、私はその手を止める。


振り返った先には、目を逸らしたままの透理。

名前、名乗ってなかったっけ。

透理の小さな頭を見ながら、思い出してみる。

でも頭の片隅では、つむじが右回りだなぁ、とかくだらないことを考えているから何とも言えない。


色無イロナシ メグル


「メグル……」


呼び捨てかよ!!

子供らしい大きめの目が私を映す。

漢字を教えると一発で言い当てられる人はいないけれど、子供って言うのは純粋だから覚えてしまいそうだなぁ、と思う。

だからと言って、今この場で漢字まで教えるつもりはないのだけれど。


「と言うか、ソファーに座ってていいよ」


「ついて来たわけじゃねぇよ!クソババァ」


「……じゃあ座ってろよ」


可愛いのか可愛くないのか、子供ってのは面倒なものだな。

そもそも私の子供の頃ってこんなんだったか?

それとも最近の子は皆こんな感じなのか。

反抗期ってやだなぁ。


ぺったらぺったら、着いて来る足音を聞きながら、やかんに水を入れて火を付けた。

その瞬間、足音は遠ざかって行く。

後ろを見れば台所から出て、向こう側からこちらを覗き込む透理がいる。

……あぁ、火を使ってる時は近付くなって教えられてるのかな。


昔自分も言われたことがあることを思い出しながら、ちゃんとしつけられてるんだ、と感じた。

だけれど、この年で帰りたがらないってのは、何かあったかな。

テストの成績が悪かったとか?

私は気にしたことないけど。


覗き込んでいる透理と目が合うと、パッ、と隠れられた。

そんな姿を見て、何だか胸が温かくなりながら、マグカップの中にココアの粉を入れる。

透理の家は私の二階上、最上階に住んでいるはずだ。

連絡入れた方がいいのか。


やかんの口から白い湯気が吹き出す。

シュッシュッ、なんて間抜けな音を聞きながら、コンロの火を止める。

私は透理を保護したってことでいいんだよね、誘拐とかじゃないよね、今更変な不安が生まれた。

沸騰したお湯をマグカップの中に注げば、甘い匂いが台所に広がる。


スプーンで中身を掻き混ぜて、冷蔵庫の中に入っている牛乳を入れ、また掻き混ぜる。

……消費期限切れてないよな。

入れた後に確認して、切れてないことに安心する。


「ほらほら、ソファー行きな」


両手にマグカップを持って、透理を呼び付ける。

透理は私の前を歩いて、そのままの勢いでソファーに飛び乗った。

小さな軋む音と一緒に、ソファーの上に沈み込む透理の体は、まるで人形みたいだ。


はい、どうぞ、透理の目の前にマグカップを置く。

私は制服がシワになるなんて考えずに、床に座り込んでマグカップの中身を傾ける。


「なぁ、メグル」


「だから呼び捨てかよ」


「腹すいた」


なんて自由なんだ。

やっぱり、私の子供の頃とは違う。

性別の違いだろうか、年代の違いか、全く分からない。


だが、夕食でも出すべきなのか。

現在時刻六時手前だが、家によってはこの時間に夕食を取るのだろうか。

それでも人の家の子だから、ここで何か出して食べさせて帰らせたら、きっと困るだろう。

何かお菓子でもあったか。


マグカップをガラスのローテーブルの上に置き、立ち上がれば、同じように私のマグカップの横に、透理が持っていたマグカップが置かれる。

それから律儀に足音を立てて付いて来た。

食べ物を探しながら、振り返って見ると、私を見ていたらしい透理と目が合って、逸らされる。


人の家だしなぁ、不安かな。

そう思い、自分の手よりも小さな肌のキメ細かい手を掴めば「うぜぇ」と一言、振り払われたからふざけている。

私は舐められているのだろうか。

こんなことなら、もっと近所の子供と上手く接する方法を覚えておけば良かった。


先日実家に帰った時に持たされたクッキーを見つけて、それを出せば、透理は目を輝かせてそれを食べていたので、毒気を抜かれたのは言うまでもない。

子供って言うのは難しい。




***




六時半、ソファーの上で船を漕ぐ透理を眺めながら、そろそろ帰らせるべきだと思い立ち上がる。

そこで、洗濯機を回していなかったことを思い出すが、もういいや。

洗って今度返しに行こう。


「透理、帰るよ」


送って行くから、と声を掛けたが透理の目は完全に閉ざされている。

駄目だな、こりゃ。

少なくとも自分の寝起きは良くないので、人を起こすのには抵抗がある。


私は起こすことを早々に諦めて、ランドセルを持つ。

小さいなぁ、と思うそれはもう何年も前に卒業したものであり、多分未だに実家に帰れば大切に保管してあるはずだ。

実に親馬鹿である。


テーブルの上に、透理の使っていたマグカップと私のマグカップ、それからクッキーの残骸。

それを尻目に私は透理を抱き上げた。

女子高校生だけれど、こう、何かしんどいかも。

誰かを抱き上げるなんてそんなにないし。


柔らかくて、私よりも高めの体温を持つ体。

これが子供体温か。

落とさないようにしっかりと支えて、肩には透理の黒いランドセル。

靴、靴は……。

迷った結果手で持って、私はその辺に転がっていたスリッポンを履く。


片手で不格好に鍵を閉めてから、階段に足を掛けた。

うおぉ、不安定。

おっかなびっくりの及び腰で、透理を落とさないように、私が落ちないようにと階段を上って行く。

肝心の透理は私の腕の中で、すぴすぴ、と寝息を立てている。


その寝顔を見ていると、じんわりとした何かが胸を包み込んでいき、私は肺に溜まっていた息をまとめて吐きだす。

ん、とか、う、とか呟きながら、透理は私の服を掴む。

お母さんもお父さんも、こんな気分になったのかな、なんて思うと、今度帰省した時に聞いてみたくなった。


何とか落とさず、落ちずに五階の透理の家の前までやって来た私。

表札あって良かった……。

安堵の溜息を吐き出しながら、ピーンポーンとチャイムを押す。

すると中から、バタバタと足音が聞こえて、誰か確認する問い掛けもなく、扉が開かれた。


不用心だな、と思うよりも先に、扉が勢い良く開かれたことにより、鼻先をかすって行ったことの方に意識が向けられる。

瞬きをしていると、出て来たその人は、私の腕の中を見て「あっ!」と声を上げた。


私はそのまま苦笑を浮かべて、雨の中で透理を発見したことや、無断で家に招き入れたことを詫びる。

だが、透理のお母さんらしき人は、そんな!と言う勢いで手と首を振って、お礼を言った。


それにしても綺麗な人だ。

実年齢はしらないけれど、それよりも若く見られるタイプか、素直に透理を若くして生んだのか。

人の家の事情は分からないけれど、お母さんというよりは女っぽい。


透理が私の制服を掴んでいるので、ゆっくりとその手を解いて、お母さんの腕の中に収めると、嗅ぎなれない香水の匂いが鼻を掠めた。

女の人用の甘い匂いじゃなくて、鼻の奥がツンッと刺激されるようなもの。

その瞬間に僅かに歪んだ私の眉に、透理のお母さんが気付くことはなく、もう一度「ありがとうございました」と微笑む。


透理のランドセルや靴も渡して、後日服を返しに行くことを告げて扉を閉めた。

雨の音がアパートの廊下に響く。

外を見れば灰色の世界。


目を閉じたらあの灰色の世界にぽつん、と取り残されたような小さな背中が浮かぶ。

その後に小生意気な言葉。

ぺったらぺったら、付いて来る足音。

あの寝顔と体温と、私の制服を掴んだ小さな手。


それら全ての残像を振り払うように、私は目を開けて外をもう一度見た。

そう言えば、一度も笑ってくれなかったな。

悪態は付くだけ付いて、まぁ、それなりに可愛い行動も見せてはくれたけれど。


雨はまだ止まない。

やっぱり、雨は好きじゃない。

早く晴れればいいのに。

そう思いながら、私は階段を降りる。

――まだ見ぬ透理の笑顔を思い浮かべながら。


家に帰れば私を迎えるのは、冷めきったココア。

二つ並んだマグカップは久々に見るもので、この日初めて一人暮らしが少し寂しくなった。

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