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07話 ルクスブルー(前編)

 どんより雲が空を覆い人々が足早に走り去る駅のホームに、鮮やかなブルーの列車が滑るように入構してきた。

 あざみのエンブレムが描かれた豪奢なその列車は、憧憬と嫉妬が入り交じった数多の視線を浴びながら、貴婦人のごとく気品あふれる立ち姿を見せつけていた。


 話題の寝台特急『ルクスブルー』である。

 近年、貴族を対象として開発された豪華な寝台車両で、長距離寝台列車でワインを傾けながら高級料理に舌鼓を打つという、それはそれは貴族に大人気の列車であった。

 そのせいか、ホームは貴族とその関係者でごった返している。


 「にしたって、いくら何でも多すぎやしないかしら」


 目の前に広がる光景に向かって、アーネは呆れた声で呟いた。

 視界に入るだけでも4~50人は貴族が確認できる。しかも有名どころがわんさか揃っているのだから心臓に悪い。

 しかしまあそれは仕方ないとしよう。話題の寝台列車なのだから、一度は体験しておかなければ時流に乗り遅れると思っているのだろう。社交界の婦人達にとっては死活問題だし、いわば仕事みたいなものだ


 だが、この混み方は常軌を逸している。

 貴族に同伴する従者の数は3人~5人くらい、その上に引っ越しをするのかというほど大量の荷物が積み上げられているのである。だいたい24個くらいが1貴族の平均だろうか。

 これではホームが狭くなるのも道理であった。


 「だいたいあんなもの、どこに収納するのよ」

 「専用の車両があるらしいです」

 「うそ、本当に?」

 「はい」

 「へえ~」


 ナナリが言うのだから、間違いは無いのだろうと感心しながら今一度荷物の山へと視線を向けた。

 しかしどうみても、旅行に持って行く量ではないと思う。

 翻って自分の荷物を見れば、大きめのトランクが2つと手荷物だけだ。


 「ナナに感謝しなくちゃね」


 帽子の下で恥ずかしそうにはにかむ少女は、どこから見ても良家の子女に見える。

 休暇中という扱いのナナリは、深い緑色をした厚手のワンピースに焦げ茶の外套を羽織ったよそ行きの格好だった。

 

 「いえその」


 モジモジと指をいじくっているが、今回の軽装を成し得たのは間違い無く彼女のおかげである。

 

 「さて、乗り込むわよ~」


 トランクの取っ手を掴み、ゴロゴロ引いていくアーネの後ろから、手荷物とトランク一つを持ったナナリが慌てて追いかけていく。

 この旅では、ナナリはメイドの扱いでは無いので、アーネ自ら荷物を持っているのだが、その顔に不満は無い。むしろ歓喜に満ちていた。


 「やっぱり楽しいわー、これ。大発明だわ」

 「は、はい」


 旅行が決まった当初、なによりも荷物の問題がナナリを悩ませた。

 試しに中身を詰めたトランクを持って運ぼうとしたが、ふぎぎという声とともに3mほど運んで、転んだ。


 これはダメだと即断し、まず大荷物は事前配達するという手を考案した。

 懇意にしている小売商の商品配達ルートに混ぜてもらう事に成功する。


 しかし全くの手ぶらという訳にはいかない。どんなに上手くパッケージしてもトランク2つは残ってしまう。


 そこで次にトランクを改造させて下さいとアーネに頼み込んだ。

 きっとブリキ事件のように楽しい事が起きるに違いないと思ったアーネは、即了承した。トランクは結構な高級品だったが、楽しい事が優先なのだ。


 しかしナナリは失敗から学ぶ娘である。

 今回は馴染みの金物屋を頼った。


 その結果出来上がったのが、このキャスター付きトランクである。

 非力で小柄なナナリでも安全に、そしてスピーディーに運ぶことが出来る優れ物だった。

 初めて手にした時のアーネは、興奮した少女のようにトランクに飛び乗るわ転がるわと、大はしゃぎであった。


 「これ、1つは私が持つからね、絶対!」


 アーネは有言実行の人である。

 こうして、先ほどのような珍妙な光景が出来上がるのだった。



 †-†-†-†



 「ふうん、狭いけど調度品のセンスは良いのか」


 マホガニーに囲まれた個室は列車内と思わせぬ贅沢な作りをしていた。さすがに空間を広げる事は出来ないが、見た目やさわり心地、ほのかな柑橘系の香など色々と工夫がなされている。

 これならば、快適な旅を過ごす事が出来そうだった。


 「会長も奮発したわねぇ」


 アーネを『ルクスブルー』に招待した張本人、クリッタ会長の悔しがる顔が目に浮かぶ。

 

 

 事の発端は、可愛い孫娘マリーが国際ピアノコンクールの出場決定通知を受け取った所まで遡る。国内随一のホールで演奏する栄誉は、本人以上に祖父のクリッタを狂喜乱舞させた。

 だが、親戚縁者、友人知人総動員でアピールしまくった結果、張り切りすぎてギックリ腰になってしまう。

 奥方はコロコロと笑いながら、息子夫婦と共に早々に現地へと旅立ったという。

 人づてに話を聞いたアーネは、さすがに同情して見舞いをしたのだが、どうやら大きな勘違いをしていたと気がつく。


 「ぐうっ、アーネちゃん、すまんが一人にしてくれ儂はもうダメかもしれん」

 「さっき、そそくさと出て行ったメイド、可愛かったわね。あんな子いたかしら?」

 「…マリー、おじいちゃんは天国でいつもお前のことを見守ってるからな」

 「四六時中監視されたらおじいちゃんが嫌いになるわね」

 「あ、あいたたた。急に腰が」

 「まあっ大変!メイドさーん、本物のメイドさーん、ご主人が大変ですよー!あら人払いされてるのかしら?いないわね。一体どういう事かしら」

 「なんて嫌なヤツなんだ、お前は」


 クリッタの商人としての才覚は超一流である。

 逃げられないとわかれば、素早く懐柔へと方針転換する。

 もちろん泣き落としというサポートアイテムも欠かさない。


 「ど、どうかの。気分転換がてらに、小旅行せんか?孫娘の晴れ舞台にプレゼントを届けてもらえると嬉しいんじゃがのー。最近ノースブリッジ方面には行っておらんだろ」

 「お店があるのよねぇ…貧乏人は簡単に休めないのよ」

 「休業補償はする」

 「ノースブリッジは遠いもの、馬車で何日かかるかしら」

 「往復の諸費用も持とうじゃないか。そ、そうだ最近話題の鉄道に乗ったら良いではないか、ほれ、なんといったか…ルク何とかいう」

 「ルクスブルー?当日券なんて残ってるわけないでしょう」

 

 呆れ顔で見返すが、クリッタ氏はわざとらしく顎に手をあてて考えるフリをした。そして目を覆わんばかりの酷い演技は続いていく。


 「おおそうだ忘れていたぞ!実はワシ、ルクスブルーのスーペリアスイートのチケットを持っておってな。しかし、残念ながらこの通り出かけられん体になってしもうた。非常に悔しいがタダでお前さんに譲ろうじゃないか。いや全く残念じゃが」

 「奥方は馬車だったみたいですけど」

 「あ、後から追うつもりで慌てて買ったものでな」

 「噂では6ヶ月先まで予約で一杯だと」

 「しし知り合いが鉄道会社の会長でな」

 「スイートねぇ」

 「念のために、念のためにじゃ。狭いと隣がうるさくて眠れん事があるじゃろ、うんそうだそれは困る」

 「…」


 ジッと見つづけると、そっと目を逸らした。

 先ほどのメイド風な女性と一緒に行く予定だったのだろう。さすがのアーネも、その用意周到さには呆れるやら感心するやらである。


 「現地で奥様とお会いしたら、余計な事を喋ってしまいそうです。どこか良いホテルはご存知ないかしら?会長」

 「もちろん、行きつけのホテルがあって―」

 「行きつけ?」

 「と友人が言っておった!ブブブリストンホテルだったかな、すぐに手配しよう、うむ」

 「ブブブリストンですか」

 「ブリストンじゃ!」

 「あーはいはい」


 アーネはこめかみを押さえて頭痛に耐える。奥方も孫娘も親しくお付き合いさせてもらっているので、余計な口出しをするのも野暮だろうと判断した。

 第一、これだけわかりやすいのにあの奥方が気付いていないはずも無い。


 「火遊びは、ほどほどに」

 「何のことか判らんな」



 †-†-†-†



 クリッタ邸を辞去するまでの一連のやりとりを思い出していたら、ナナリが困った顔で周囲を見渡しているのに気が付いた。

 荷物の整理を終えたので、紅茶を入れようと道具を探しているらしい。

 

 「ナナ、アフタヌーンティーは用意してもらえるから、気にしなくて良いのよ」

 「あ、はい」

 

 給仕される側には慣れないのだろう、所在なげにソファへ座ったままキョロキョロしている。。

 暫く本に目を落としていたアーネだったが、ふと思いついたように車内案内をナナリに手渡した。

 

 「暇そうだし列車内を一回りしてきたら?」

 「いいんですか」

 「私は夕食まで本を読んでるから、気にしなくていいわ」

 「はい」


 ソファを立ち上がって一度お辞儀をしてから、嬉しそうに車内案内を握りしめて出て行った。

 

 ナナリにとって、車内を歩くのはまさに冒険であった。

 まず日が落ちる前にと急いで向かった先は展望車である。

 車輌最後尾の後ろ半分がオープンエアーになっており、バー・ラウンジでワインを楽しむ紳士達や、アフタヌーンティーで談笑しているご婦人達がちらほら見受けられた。 大人達のきらびやかな世界を前に一瞬入るのを躊躇したナナリに、トレイを持った給仕の男性が優しく声をかける。


 「ルンドベリ様、お飲物はいかがですか」


 え、私ですかと緊張した顔で男性を見返すナナリだったが、すぐに列車内ではアーネの家人と伝えられている事を察した。

 スーペリアスイートの客は全て顔と名前が職員の頭に叩き込まれているということだ。素直にすごいと感心したまま男性を見つめていると、困ったように首を傾げられた。


 「オレンジジュースがおすすめですよ」


 このままでは彼の仕事を邪魔してしまうとわかったので、差し出されたオレンジジュースをありがたく頂戴した。

 ベンチに腰掛け、ブラブラと足を揺らしながら柑橘系の香りを楽しんでいると、品の良さそうな老婦人がナナリの隣へ腰を下ろして話しかけてきた。

 

 「お隣良いかしら?」

 「はい、もちろんです」

 「クッキーは好きかしら?」


 ナナリはコクコクと首を振る。

 クッキーはもちろん大好きだ。


 「息子のために作ったのだけど、シフォンは好きじゃないみたいでねぇ…食べてくれなかったの。よかったらどうかしら?」


 老婦人の手の平に載せられた花柄のハンカチから、たくさんのクッキーが顔をだしている。


 (香りからすると…メープルシフォンかな)


 そっと一枚を摘み、口に運ぶ。

 

 「もの凄く…おいしいです。メープルシロップを使ってるんですか?」

 「あらあら良くわかったわね、嬉しいわ。やっぱり女の子はいいわねぇ」

 「もしかしてご家族は」

 「男ばっかり3人もいるのよ。もう望みは孫娘しかないわ」


 上品に笑う老婦人の横で、ナナリは苦笑するしかなかった。

 

 「男は駄目ね、料理とか特にお菓子なんて全く興味がないの。私が苦心して作り上げた秘密のレシピを、『クッキーなんてどれも同じだよ』なんて言うのよ!」

 「それは、酷いですね」

 「そうでしょう」

 

 婦人は、同好の士を見つけたと満面の笑みを浮かべていた。

 反対にナナリは恐る恐るといった感じで二枚目のクッキーに手を伸ばす。

 

 「あの、よかったら」

 「何かしら」

 「作り方を教えてもらっても、よろしいですか」

 「もちろんよ、孫娘とお菓子作りの話をするのが私の夢なんだから。そういえば、貴女はハーフなのかしら、素敵な髪ね」

 

 それからしばらく、婦人と一緒に絶品シフォンクッキーの作り方や、息子にフリルのワンピースを無理矢理着せた思い出話しなどで大いに盛り上がった。

 だが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうもの。

 

 「もう行ってしまうのね、残念だわ」

 「はい。あの、楽しかったです。本当に」

 「そう言って貰えると嬉しいわね」

 

 ナナリもこのままずっと話し続けていたかったが、今はアーネの事が心配である。名残惜しげに別れの挨拶を交わした。


 (あんな風に年をとりたいな)


 ほんかわと気持ちが温かくなり、足取りも軽く部屋へと戻ろうとしたのだが、途中で通過したバー・カーと呼ばれる車輌で足が止まってしまった。行きでは見かけなかったバーマンがグラスを拭く姿にしばし見とれてしまったのだ。

 ワイングラスの拭き方はもの凄く丁寧で、そして美しかった。

 よくバーマンは台座からステムと呼ばれる脚の部分にクロスを巻いて捻るように拭いているのだが、このバーマンは両手にそれぞれクロスを持ち、台座から丁寧に擦るように拭いていき、ボウルのお尻を包むように、そして最後にグラスの内側を回しながら吹き上げるのだ。

 流れるようなプロの仕事に畏敬の眼差しを向けていたら、ナナリの目の前にシャンパングラスが差し出された。

 

 「一つお作りしましょう、レディ」

 「え?あの」

 「大丈夫ノン・アルコールですよ」

 

 レディ扱いされて顔を赤らめるナナリに微笑みを向けながら、バーマンは手早く砂糖とミネラルウォーター、ミントの葉をグラスに入れてガラスの棒で磨り潰し始めた。

 こうなるともう、目が離せなくなる。

 ミントの爽やかな香りが漂ってくると、ピーチシードルを8分目まで注いでいく。そこでちらりとナナリに視線を投げたバーマンは、即興でミントシロップを追加してから提供した。


 「美味しい。ミントの香りがとってもします」

 「ありがとうございます」

 

 ミントの新たな世界を知り、再び話し込んでしまうナナリ。

 結局戻って来た時にはもう、ディナーに呼ばれる時間となっていた。

 

 「たくさん冒険してきた?」

 「はい、素敵な時間でした」

 「よかったわね」

 「はい」

 

 嬉しそうに頷くナナリの笑顔で、アーネはほんわりと癒される。

 しかし、今からは気合いを入れなくてはいけない。夜の『ルクスブルー』は全く違う顔を持つのだ。

 

 「さ、戦闘服に着替えるわよ」

 「はい今すぐ」

 「何言ってるの、ナナも着替えるのよ」

 「?」

 

 『ルクスブルー』のディナーは、ドレスという名の正装(せんとうふく)で赴く戦場なのだ。

 いやまあ普通は違うのだが、スーペリアスイートの顧客が、舐められる訳にもいかないのである。

 アーネが懇意にしている仕立て屋で、しっかりと二人分のドレスを新調しておいた。

 自慢げにドレスを見せるアーネの前で、ナナリの顔は真っ青になっていた。

 

 「わ、わたしは後から普通車の方で…」

 

 ナナリの上げたか細い悲鳴は、列車の奏でる騒音にかき消されるのだった。

ルクスブルーの話は、書きたいことだらけでした。

車輌は、ワゴン・リ社が1926年から投入した豪華車輌ル・トラン・ブルー(青列車)のLx型がモチーフとなっています。

トランクのキャスターは、かのサムソナイトさん(アメリカ)が1974年に大量生産したのがはしりですが、まあそれ以前に個人が特許取得していたりしますし、ナナリが考えついてもいいかなぁ…なんて。

そうそうバーマンのグラス拭き、見事ですよね。カクテルを作るところより、こういった作業の方に惹かれる私は変人なのでしょうか。

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