06話 輝く髪とオイルの神様(後編)
木枯らしの吹く寒い日のことだった。
商会連合の会長クリッタがいつも通りルンドベリ包装店を訪れると、見慣れぬ小さな木製の商品棚が据え付けられていた。
「ほほう。商品棚ってことは、ついに包装専門店は諦めたか」
「ちがうわよ」
「すると、なんじゃこれは」
フンフンと鼻を鳴らしてしきりに陳列された小瓶の匂いを嗅いでいる。
「香水とは違って良い匂いだ。オイルか?」
「小さい方が手に塗るオイル。水仕事の多いご婦人のケアに使うもの」
「何の為に?」
「裕福な殿方には一生わからないわよ」
不思議そうな顔で小瓶を手にとってこねくり回している。
洗い物などしたことがないクリッタには、あかぎれの痛さなどわかるはずもない。
包装店を訪れる客は富裕層が多いので、皆同じようなものだろう。
アーネとしても儲けようとして置いたわけではない。
世のメイド達の辛さを少しでも和らげてあげたいという、ナナリの思いを手伝ってあげただけだ。
そう高い品物でも無いし、ハウスキーパー(メイド達の管理者)へのご機嫌取りで購入していく客もいるだろうと気軽な気持ちで陳列してみたのである。
「で、こっちの瓶は?」
「それは髪の艶を出すための物ね」
「パスタ用じゃないのか」
「止めはしないけど」
頻繁に海外へ渡航しているせいか、この国の食に対する不満が大きいクリッタは、ことあるごとに新しい食材や調味料がないか訪ねてくる。
ここが包装店であることを忘れてやしないか、非常に不安である。
「こっちはやたらと高いな」
「贅沢品ですからね」
「使うと、アーネちゃんみたいな髪になるのか」
「どうでしょう」
アーネの髪は、半分以上ナナリのケアによるものだ。このオイルを使ったからといって直ぐに同じような艶が出るとは思えないがそこは商売だ、にっこり笑って曖昧な返事をする。
「よし、2本買おう」
「包装は?」
「1本だけ頼む」
「へえ」
「なんか視線が冷たいが、気のせいかの」
「冬のせいでしょう」
愛人を作るのは裕福な男の甲斐性だという風潮は、あまり好きではなかった。
真っ向から非難するほど大人げなくはないが、笑顔を向けるほどの理解も無い。
「包装紙にします?それともクロス?」
「クロスにするかな。で、大人しすぎると『オバさん臭い』、可愛すぎると『子供っぽい』と言われる孫娘には、どんな柄が良いかね」
「…お孫さん?」
「左様」
ニヤリと笑ったクリッタを軽く睨みつけつつ、こほんと咳払いを一つ。
取り出したのはハンカチ大の布である。
ナナリが着用しているエプロンの縁にも使ったチェック柄だ。
「ほう、青のチェックか。赤の差し色があると若者風に見えるから不思議なもんだ」
「マリーさん、今は音楽学校でしたよね」
「忌々しいことにその通り。ピアノなんぞ何が面白いのかさっぱり理解できんよ。儲からんしな」
クリッタに似なくて本当によかったと思う。
マリーのことは小さい頃からよく知っている。店に来ては愚痴や悩み事を聞いたりしていたので、アーネにとっても可愛い妹のような存在だ。
そうこうしているうちに包装がすみ、お会計を済ませたクリッタはいそいそと店を後にした。
孫娘はチェック柄の包装を喜ぶことだろう。高級品でセンスも良いし、そのままハンカチにも使える。
おじいちゃん有り難うなんて言って家族に自慢するであろう事は想像に難くない。
ちなみに、クリッタの奥方はルンドベリ包装店の常連さんである。
奥方もチェック柄は大好きである。
「ま、教える義理は無いわね」
小さな欠伸をしながらトポトポと紅茶をカップに注ぐと、優雅にパターンブックを読みふけるのであった。
†-†-†-†
「それで、追加購入ですか」
「そうなのよ、あと12本欲しいって。今週中に出来上がる?」
「はい」
ナナリが頷くのを確認すると、アーネは安堵してソファへと沈み込んだ。
あの後、クリッタの奥方は夕刻を待たずして乗り込んで来たのだ。
普段より1.5倍増しで冷たく美しい顔は、まるで蝋人形のように表情がなくてとても怖かった。
彼女が無言のまま店で最も高い包装用の布を指さすと、クリッタはガクガクと頭を振ってそれを注文していく。
どうやらチェックの包装をしたプレゼントは、お孫さん用ではなかったらしい。
ヘアケア用のオイルを12本、まとめてお買い上げ頂いた。
どうせなら一つずつ違う包装にしましょうかと言ったら、ぜひお願いするわと満面の笑みを浮かべていた。
隣でガックリと肩を落とすクリッタとは対照的である。
「そんなわけで、はい、売り上げの一部」
「え!?」
突然渡された硬貨に驚くナナリだったが、アーネはしっかりと握らせてから釘を刺しておく。
「辞退するのは駄目よ。あなたが作って私が売った、だからきちんと等価の報酬は貰いなさい」
声が届いているのかいないのか、ナナリはまだぼうっと硬貨を見つめているようだ。
初給料前にお小遣いとは妙な順番になってしまったが、それもまた面白いハプニングである。
アーネとしては、彼女がこのお金を何に使うのか興味津々であったが、まずは現実世界に戻してやるのが先決のようだった。
「ナナちゃ~ん」
「は、はい!」
「貯金とかしないで、パーッと使ってね、パーッと」
「でもあの」
「こういうお金は貯めないで自分のために使って回す、それが基本なのよ」
ちょっと難しいかなと思いつつ、大切な事なので真剣な顔で伝えた。
まあちゃんと伝わったかどうかは今ひとつ怪しいが、なんとなく頷いていたので大丈夫だろうと判断した。
「それで、今日のご飯は何かな?」
「あ!」
慌てて振り向き、ドアノブにぶつかり、よろけながらぱたぱたと駆けていくナナリを見ていると、本当に退屈しない。
アーネは緩む頬を叩いて当主の貫禄を出そうと試みたが、すぐに諦めた。
ナナリが持ってきたカレーがまた見た事も無い物だったからだ。
平べったいパンのようなもの、緑色のカレー、あれは豆だろうか?
なんて楽しい夕餉なのだろう。
「これは何?食べ方はあるのかしら」
「元々は、手でちぎって―」
「ちぎるんだ!」
初めて見る料理、初めて知る食べ方に興奮が止まらない。
食事が終わるまでの間、アーネの頬は緩みっぱなしになるのであった。
個別包装という概念がすでにあったのかどうか、今ひとつわかりませんが、実用性を考えたら12本1箱にまとめて1つの包装なのでしょうね。もちろん奥方はクリッタへの嫌がらせで個別包装を依頼しています。
そしてイギリスといえばカレー。インド帰りの人がスパイスやマサラを持ち帰ってきたのを見て、C&B社がカレーパウダーとして家庭用に販売したそうです。上流階級にも浸透していたそうですが、ここではまだ市民に広まる一歩手前という設定になっています。