04話 バケツの幽霊(後編)
窓硝子を流れる水滴を眺めながら、ルンドベリ包装店の店主は、本日何度目になるかわからないため息を漏らした。
頬杖をついて眺める先では、二組の老人がテーブルを挟んで睨み合っている。
「次に通るのが、傘を持っとるかどうか」
ツルツルに頭が剥げた男性は、重々しい声で告げた。
質の良いこげ茶のスーツに身を包んだ商会連合のクリッタ会長だった。
「では、持ってない方に1シリング」
それに応えるのはロマンスグレーが似合う姿勢の良い男性、ケンプ商会社長のケンプ氏である。
濃紺に白のストライプという若々しいスーツを見事に着こなしている。
「勝負だ」
アーネはジト目で老人二人を睨むが、全く動じることはなかった。
それもそのはず、二人とも視線は窓の外、通りを歩く人達に向けられているのだから。
「よっしゃ、持っとった。儂の勝ちだ」
「ふん、最近の若者は天気予報など信じて、全く愚かですな」
「つべこべ言わずに、さっさと払え。おーい、アーネちゃんアールグレーセット1つ」
ケンプ氏から巻き上げた硬貨をクルクル回し、にこやかに笑顔を作る。
付近の商店全てを取り仕切る組合のトップ二人が、朝からこんな調子で『会議』をし始めてもう2時間になる。
「はあぁ~い」
「なんとも嫌そうな返事をする」
「嫌なんですよ」
やる気の無い動作で、すっかり店の設備として定着したキッチンへと向かう。
小さめのポットに手早く熱湯を注ぎ、ジャンピングを確認すると砂時計をひっくり返した。
バスケットからクッキーを4枚取り出しながら、ガックリと頭を垂れる。
ナナリが焼いてくれるバタークッキーは、とびきり美味しい。
アーネ個人としては、そこらの有名店にも引けを取らないと思っている。
シンプルながら紅茶との相性がバツグンで、いくつでも食べても飽きることが無い。
そのクッキーを、今日は余すこと無く食べ尽くそうと思っていただけに、二人の存在が恨めしい。
器用に紅茶を宙に飛ばしながら注ぎ、二人分の紅茶セットをテーブルまで運んだ。
「ここは包装店であって、喫茶店では無いと何度言ったらわかります?」
「はて。確か『こうしてゆっくりカタログを見ながら選べるのがうちの店のウリですわ』って言うておったが」
「ものには限度というものがありまして」
「他に客がおらんし、よかろ」
ヒクヒクと頬を痙攣させるアーネだったが、そこは商売人のプライドで心を落ち着かせ、アールグレイセットを目の前に置いた。
「おや、ケンプ・ムッツリーノ男爵の分は注文しておらんが」
「変チクリンな爵位を付けるな、クリッタ・ハゲブースト卿」
「はぁ~、もう喧嘩しないで頂戴。お一人分だけ出すってわけにはいかないでしょう?」
「すまんね、ハゲが横暴で」
「おや早くも人気取りかムッツリーノ。さすが、後家殺しと呼ばれるだけのことはある」
アーネは付き合いきれないとばかりに、二人を残してさっさと引き上げた。
この二人は、仕事が煮詰まった時や重大な方針を決める時にルンドベリ包装店を使う事にしているらしく、ヘタをすると一日中居座る事もある。
もちろん迷惑料という名目で多額の寄付が振り込まれるので文句も言えないのだが、包装店なのに副収入の方が多いなんて悔しすぎて嫌だ。
「まったく、何が気に入ったっていうのよ」
ぶちぶちと文句を言いいながら包装紙のロールを入れ替えていると、カラリと入り口の鈴が鳴った。
本日初めての一般客にアーネの顔に笑みが戻る。
「いらっしゃいませ」
来店したのは、北部地域の伝統的なチェックのスカートに編み上げブーツを履いた女学生風の服装をした女性であった。
女性はキョロリと周りを見渡し、予想とは違う店内に戸惑っているようだった。
この時点でもう、アーネには嫌な予感しかしていなかった。
女性は、暫く何かを探していたようだったが、諦めて店員に聞くことにしたようだ。
「あの」
「はい、何かお探しでしょうか」
「えっと、ここでオバケツが売ってるって聞いて…」
「すみません、いま在庫を切らしておりまして」
「ええっ、折角見つけたのに困りますっ」
十分後、バケツのオバケが描かれた包装紙に包まれたキャンドルセットを大事そうに抱えて帰って行く女子学生を見送ると、アーネは盛大にため息を吐き出した。
「は~あぁ~」
女子学生が探していたのは、ここ最近都市伝説のように広まっているオバケのバケツ、通称『オバケツ』である。
その正体はナナリの失敗したブリキのバケツだった。
失敗でどんよりと落ち込んでいたナナリを元気づけてやろうと、アーネが戯れで模様を描き、コートハンガーに吊して店頭に飾ったのだ。
どうせならハロウィンのオバケにしようと、ろうそくを仕込みボロボロの外套を着せたのだが、これが一部の顧客に受けた。
ミニチュア版を作ってくれと言う強い希望でミニバケツで頭だけ作ったところ、カボチャに食傷気味だった学生を中心に口コミで次々と広がり始める。
もともと販売など考えていなかったので直ぐに品切れとなるのだが、それがまた希少価値を高めてしまったようで、未だにこうして人づてに店を探してくる客が絶えない。
だがアーネとしてはこれ以上売るつもりは無かった。
ふて腐れるアーネに、クリッタが不思議そうな顔で声を掛けてきた。
「なんとも商売っ気がないのう。騒がれてるうちに、売りまくれば良いではないか」
「冗談じゃない、そんな事したらナナが傷つくでしょう」
「ああ、雇ったっていうメイドの子かね」
あくまであのバケツはナナリの失敗作である。
顔を描いてディスプレイしたのは、少しでも元気づけるためにやったのであって、売るためではないのだ。
「たかがメイド一人に、何もそこまで気を遣う必要はあるまいに」
「うちは一人しか居ませんので、その一人が大切なんです。ちなみに、クリッタさんが手に持ってるクッキー、『たかがメイド』のナナが作ったものですよ」
「ぬ!?」
極上のバタークッキーが、まさかメイドの焼いたものだとは思ってもみなかったクリッタは、軽く動揺する。
あわよくば仕入れ先を聞いて、販売に参入しようとまで考えていただけに、ショックが隠せない。
「ま、まあこのご時世メイドは大切にせんとな。最近はなり手も少ないと聞くし」
「それはどうも」
アーネはひらひらと手を振って追い返すが、クリッタ氏は去り際に不吉な捨て台詞を残していった。
「どうせすぐに次回作が出来るじゃろ、そしたら儂に売ってくれ」
「冗談、そうそう作られても困るわよ」
†-†-†-†
その頃、ルンドベリ邸の裏庭ではハミングしながらミント群にジョウロで水をやるナナリの姿があった。
ハーブも花も、そして雑草も生え放題になっていた裏庭だったが、今は少しずつ整えられている。
この日も分厚い手袋を手にしたナナリが、気合いを入れて手入れしたおかげで、イチゴ園が見事復活を遂げた。
石灰を撒き、寒さ対策に藁を敷いて準備を整え終えると、春に向けて少し肥料を足しておいた。
「ふう」
そんな折、一仕事終えた満足感で心地よいため息をついたナナリの目に、引っこ抜かれた花の束が映った。
間引かれた花や、望まぬ場所から取り除かれた花々である。
勿体無いなとぼんやり思っていたら、ふと倉庫に転がるハンギングバスケットが脳裏をよぎった。
仕上がりを想像し、なんとかなりそうだと確信すると、2つほど持ってくることにした。
見よう見まねだが、なかなか楽しい作業であった。
緑をベースに綺麗な球を作りつつ、小さな黄色い花、白の大輪でアクセントをつけていく。
満足のいく仕上がりに、小さく胸を張って鼻を鳴らすが、そこで大きな問題に気がついた。
「あ」
バスケットをハンギングする物が無いのだ。
玄関先に飾りたいのだが、生憎引っかけるフックも無く、勝手に穴を開けるわけにはいかない。
かといって床に置くのも美しくない。
考えたあげく、ハンギングスタンドを作る事にした。
それっぽいアイアンがホコリを被っていたはずだ。
少し叩けば、きっと素敵なスタンドになるはずである。
完璧なプランであった。
カン
コン
昼下がりの裏庭に、のどかな金属音が鳴り響く。
その後新たなる都市伝説となる幻の猫避けスタンド『猫ヨラーズ』が出来上がるまで、そう長くはかからなかった。
ナナリは、日曜大工が大好きです。
そして好きという事と、上手と言うことはなかなか両立しないものです。
小説も…(涙)
さて、イギリスと言えばガーデニング。
19世紀にはハンギングバスケットアレンジが流行していたそうです。ナナリも流行に敏感な女の子だったということですね。