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01話 メイドが欲しい(前編)

 嵐の抜けた、ある冬の日。


 透き通るような青色の空が広がり、久しぶりの陽光を浴びた人々が賑やかに通りを行き交う。

 昼下がりのブリストン通りは、活気に満ちあふれていた。


 しかし良く晴れた日は昼が暖かい分、日が沈むと急激に冷えて寒くなる。まだ夕刻だというのに肌に触れる風は冷たく、人々を震え上がらせていた。

 こうなるともう、行き交う人々は家路を急ぐことしか考えなくなる。財布の紐も固く閉じられてしまうため、通りの商店は早々に店仕舞いを始めていた。

 冷たく暗い闇が訪れ始めたそんな時刻、通りの中央やや南よりにある噴水近くの店で、カラリと鈴の音が鳴った。

 

 『ルンドベリ包装店』と控えめな看板が掲げられたその店は、一見すると雑貨屋かパブにしか見えない。

 今まさに店に入ろうとドアを開けた紳士も、先程から何度も看板を見上げて確認をしており、半信半疑のようだった。

 そのせいで前方不注意になっていたのは、致し方の無い事である。

 

 「おっと」

 「あいた」

 

 紳士に衝突したのは、アッシュグレイの髪をポニーテールにしている女性だった。

 ぶつけた鼻を痛そうにさすっている仕草は少し幼さを残しているが、歴とした大人の女性だ。緑のワンピースは見る者が見れば仕立ての良さに直ぐ気がつく高級品だし、アクセサリーも充分大人の女性を感じさせる上品なものだった。

 

 「これは、失礼した。本日はもう店仕舞いなのかな」

 「ごめんなさい、今日は大事な用があって…お客さま、当店は初めてですか?」

 「ああ、実は娘の誕生日プレゼントを買ったものでね。噂の包装店に仕上げをお願いできないかと急いで来たのだが」

 

 紳士は手にした丸い箱を女性に見せた。

 大きさからして少女用の帽子が入っていると思われるそれは、何の飾りもない白い箱だった。有名なデザイナーのロゴが入っているが、何の工夫も無くただ文字が印刷されているだけだ。

 女性にしてみれば、包装という仕事を馬鹿にされているようで許しがたい事だが、まだ世間では包装というジャンルは確立されていなかった。

 ともあれ、商品としては大変高額なものである事は間違いない。中流階級を思わせる服装の紳士が娘のプレゼントに買うにしては少々分不相応で、かなり無理をして購入したことがうかがえる。

 そしてそんな大事な物を、近頃ようやく名前が売れ始めたばかりの『包装店』などという怪しい店で加工しようとするとは、可なり珍しい部類の人なのであろう。

 

 「あの、誠に失礼ですが、折角のブランドロゴが隠れてしまいますし、ラッピングはされない方が宜しいのでは?」

 「これは面白い事を。ここは包装店で、あなたは従業員なのでしょう?」

 「ええ、店主のアーネと申します」

 

 紳士は、再び目を丸くする。

 目の前に立っているのは、美しい立派な大人の女性だ。左目の下に小さくある泣きぼくろも、スラリと伸びた背筋も、美しさを引き立てている。

 しかし店主にしては、若いように思えたのだ。

 

 「これは失礼を。しかしここの包装はとても腕が良いと聞いています。なんとかお願いできないでしょうか」

 「あの、本当に今日は急いでいまして。明日では駄目でしょうか」

 「あ、ああそうですね。そちらのご都合も考えずに…すみません。娘は明日から全寮制の学校に戻らなくてはいけなくて…今晩が最後だったものですから焦っていました。残念ですがこのまま渡しますので結構です。どうもご無理を言って…」

 「あぅ」

 

 一声呻いた後、目を伏せたまま店主は指を顎にあてて思案顔になっていた。

 高級ブランドのロゴを隠してまでここのラッピングを希望されるお客さまなのだ、ここでお引き取りいただいては、包装店の名折れであろう。

 そしてアーネは人情話に滅法弱い。

 思案する様子を見た紳士は、彼女が困っていると判断したらしく諦めて辞去の言葉を紡ごうとした。

 

 「困らせてしまって、申し訳ない。また次の機会にでも―」

 「まって、お嬢さんの好きな色は何ですか?」

 「え、あ?そうですね、オレンジかな」

 「好きな柄は?」

 「ストライプかな」

 「わかりました、受けましょう。ちなみに今おいくつですか」

 「え、本当にいいんですか!? 今年で7歳です」

 「10分下さい」

 

 そう言い残すと、紳士の手から帽子箱を受け取り、店の中へときびすを返すのだった。

 

 

 30分後、綺麗にラッピングされた帽子箱を持った紳士が、満足気に街灯の下を歩いていた。

 帽子箱は、色々なポーズをとったクマが描かれた白い包装紙が側面を綺麗に包み上げ、黒とオレンジのストライプリボンで十字に結ばれている。

 丁寧に包装され、まるでそれ自体が宝物のようだった。


 「あら可愛らしいプレゼントだこと。とっても綺麗に包装されているわね。お嬢さんへの贈り物かしら?」

 「ええ、そうなんです」

 「きっと大喜びね」

 

 道を行く見知らぬご婦人にまで褒められ、紳士はますます上機嫌になっていく。

 今晩は娘に最高のプレゼントを渡せそうだ。

 愛する娘の笑顔を想像してまた頬が緩むのであった。




 その頃、紳士とは対照的に『ルンドベリ包装店』の店主、アーネ・シリーハット・ルンドベリは深いため息をついていた。

 思いの外こだわってしまった包装のせいで、予定時間は軽くオーバーしている。店仕舞いが完了した時点で、すでに1時間超過だ。

 思い起こせば、今週の包装コンセプトがストライプだったのが良くなかった。

 オレンジと黒のストライプを使ったリボンで包装するアイデアをいくつも考えていたのに、ほとんど注文がなかったせいでかなり鬱憤がたまっていた。

 そこにきて『オレンジ』の『ストライプ』好きの女の子へのプレゼント包装依頼なのだから、少しぐらい気合いが入ってしまったとしても仕方が無いではないかと自分に弁解してみる。

 

 「とはいえ、マズイわよね。完全に遅刻だわ」

 

 お気に入りの濃いオレンジ色をしたコートを羽織り、白いマフラーをしっかりと首に巻き付けたら店中の鍵を確認して帰宅準備完了だ。

 盗まれる物などほとんどないが、防犯意識は大切である。

 

 「よし」

 

 頬を叩いて気合いを入れ直す。

 何しろ、今日は待望の『メイド』が面接に来る日なのだ。もう何年も断られ続けてきたメイドの募集に、ようやっと協会から一人が派遣される事になったのだ。

 簡単に諦めるわけにはいかない。寒空の下で1時間以上待たせているが、まだ居るかもしれない。うん、もう駄目な気もするけどとにかく一秒でも早く帰り着こう、と弱気になる自分を奮い立たせた。

 一つ大きく深呼吸をし、大股で出入り口に向かおうとした瞬間、扉の鈴がカラリと鳴った。

 

 出鼻を挫かれ、アーネはガックリ頭を垂れる。

 残念ながら、これ以上は本当にもう無理である。心を鬼にしてお客さまに伝えなくてはならない。


 「ごめんなさい、今日はもう店じまいなの。また明日来てくれる?」

 「え」

 

 扉の所で少女が立ちすくんでいた。

 捨てられた猫のような目で、アーネを見上げている。

 なんだか庇護欲をかき立てるその仕草に一瞬グラリと気持ちが揺れるが、あわてて首を振った。

 

 「これから人と会わないと行けないの。申し訳ないけど急いでいるきゅわ!?」

 

 語尾が捻転したのは、少女がいきなり大粒の涙をこぼし始めたからだ。

 動揺するアーネの前で、少女は俯きながら嗚咽を漏らしている。

 

 「う…ぐす…あの、もう」

 「ちょっと、どうしたの、なんでいきなり泣いてるのよ、私何かした?しちゃった!?」

 「もう私の居場所は無いですか」

 「は?いや、え、居場所?うちのこと?なんで?」


 突然の展開にアーネは頭が真っ白になっていた。女の子がいきなり店を訪れてきて、泣いている。

 何の事か全く判らない。判らないが、この状況をどうにかしないといけないのは判っていた。

 一分ほどかけて少女から話を聞こうとしたが、全く要領を得ない。追い詰められたアーネは、独自の解釈で状況を整理し『都合の良い』結論を導き出すことにした。


 そうだ、これから会う予定だった面接の子に違い無い。あまりに遅いから、不安になって店に直接来たのだろう。

 大体そんな風に解釈した。


 「わかった、わざわざ店まで来てくれたのね、そういうことなのね。ありがとう」

 「え?」

 「ごめんなさいね、待たせてしまったから心配だったんでしょう」

 「いえ、あの?」

 「大丈夫、とにかく家で面接しましょう。ここ寒いし」

 「は、はい」


 見た目12~3歳。就労制限の下限ギリギリだが問題ない。

 顔色が悪そうだが、きっと寒さのせいだろう問題ない。

 見たことのないオリオンブルーの髪だが、外国人なのだろう問題ない。

 なんとなく真面目そうだ、問題ない。


 アーネは胸に手を当て、自分は冷静な判断をしていると確信した。

 『最後のチャンス』などというバイアスはかかっていないし、都合良く解釈したなんていうことも、断じて無いはずだ。

 冷静かつ的確な判断にもとづき、速やかに次の措置へ移るべきであろう。


 「さ、馬車でさっさと戻りましょうね」

 「は、はい」


 アーネの住まいは、店からそう遠くない所にある。

 少し古い建築様式だが非常に特徴のある邸宅で、庭園側の中央には大きな円形のサロンがあり、そこから30°くらいの角度を付けて左右に食堂や厨房などの部屋が伸びている。

 Yの形をしているため、ファサードに動きがあり、外観全体に光と影が絶妙な効果を生み出していた。

 もっとも、貴族の邸宅とはいえ、都会にあるため比較的こぢんまりとした作りをしている。二階部分は主寝室と化粧部屋、寝室が2つ、控えの間、キャビネット、トイレのみだ。

 そして一階には、玄関の間と奥にサロン、左右には食堂と厨房、配膳室やトイレが配置されている。

 小さめとはいえ、一人暮らしのアーネにとっては、充分すぎる広さだ。


 門扉を通り正面玄関前へと辿り着くと、鞄から大きな鍵を取り出しながら隣の少女へと声をかけた。

 

 「そういえば、貴方の名前は?」

 

 少女の名前すら聞いていなかった自分の慌てように気づき、恥ずかしさで頬を染めるアーネ。

 その横で少女は両手を前に組んで深々とお辞儀をした。

 

 「ナナリです、よろしくお願いします」

 

 その時の印象は『人形みたいな子』であった。

 丁寧な所作、青白い肌、表情に乏しい顔、それらが組み合わさって子供の頃に遊んだ人形の事が思い出された。


 「顔色が悪いけど、どこか体調が悪いの?持病があれば前もって教えて欲しいんだけど」

 「いえ健康なんですけど、ちょっと、乗り物酔いしやすくて。馬車は初めてというか…」

 「ああ、そうなの」


 それほど酷い乗り心地ではなかったと思うのだが、初対面であまり突っ込んだ質問をするのもはばかられたので、乗り物酔いということにしておいた。

 正面玄関の鍵を開けるとき、少女が懐から懐中時計を取り出している様子が目に入った。女性が持つものより、かなり大きめだったのでつい気になってしまったのだ。


 「立派な懐中時計ね」

 「はい、父から借りているんです」

 「ふうん」


 一見して高価なものとわかる。

 あれっ、もしかするとやっかいな事案を引き当てたかなと不安になるアーネに、ナナリはおずおずと質問をした。


 「すみません、今何時頃でしょうか」

 「その時計は壊れてるの?」

 「巻くのを忘れてしまったようで、すみません」

 「そうねえ、店で会ったのが七時だったから…30分くらいかしらね」

 「時間…変わらないんだ」

 

 ぽそりと呟いたナナリの言葉は、アーネの耳に届かなかった。

 とにかく早く入りましょうと背中を押されたナナリは、緊張した面持ちでホールへと足を進めるのだった。

イギリスでギフト・ラッピングの先祖と言えば壁紙ですが、今作では

ルンドベリ包装店の小物包装が始まりとさせていただいています。

実際にはアメリカのHallmarkから広まっていきますが、その手法は

参考にさせていただいています、はい。

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