第八話 不思議の国と目的地。
木崎さんはぶるぶると震える私をしばらく見つめて、ため息を吐いた。それにもちょっとびくびくしていたら、頭上に手が伸びる。
「ごめんね、大人げないね」
苦笑しながら私の頭を撫でる木崎さんに、私は慌てて首を振る。そんな私に、木崎さんは優しく微笑んだ。
「用事も済んだし、行こうか」
木崎さんの言葉に頷いて、私は彼の横に並ぶ。
というか、木崎さんのその感情って何なのだろう? 言葉が通じる分、普通の飼い主とペットよりも、距離が近いのかもしれない。もしかすると、子どもを心配する親みたいなものなのかなあ。過保護な男親的な? まあ、動物は恋に落ちてからのあれこれが人間よりも一直線なだろうから、私みたいな齢でも突然お母さん、なんて事もあり得るのかもしれないけど。
怒ってるとして、それはどうしてなの?
ちらりと木崎さんの横顔を見つめてみるけれど、その心はわからない。私も、もう少し察しが良ければ木崎さんみたいに相手の思考を読み解く事が出来るかしら。でも、木崎さんは顔に出るタイプじゃないか。
考えても仕方がない事をつらつらと考えて、私は苦笑した。
「ルナ、着いたよ」
ん? 着いたって……ここが例の聖域とやらですか? でもなんかどう見てもこれ……。
「今、俺たちは首都にいるんだけど。えーと、首都ってわかるかな?」
こくり、と頷くと、木崎さんも同じく頷いた。
「で、ここから、聖域のある場所まで行くには、かなり距離があるんだ。各地にはそれぞれを繋ぐパイプが存在していてね。言ってしまえば我が家と職場を繋げているのと同じ魔法が、公的機関として各地に存在しているんだ。ルナは、駅っていう言葉は知っているかい?」
駅。そうそう、これってどう見ても駅だよね。かなり大きい。新宿とか東京駅くらい大きい、やっぱり石造りの建物が目の前にでーん、とそびえたっている。私は駅という言葉は知っているけれど、その交通手段が変わっているようだ。木崎さんの言葉からして、電車なんてものは存在しないみたい。それでも駅という概念は理解出来るので、私は一応、頷いてみせる。
「ここはこの国でいちばん大きい駅だよ。ここから色々な場所へ行く事が出来る。聖域までは直通の移動陣があるから、まずは入り口でお金を払おう」
窓口みたいな場所に行くと、そこには機械ではなく人が当然のように並んでいた。機械がないから、やっぱり人を置く事でしか受付を済ませられないんだなあ、と私は妙にアンバランスな文化に目を丸くしていた。自動改札なんて物ももちろん存在しない。魔法で機械に近い物を作る事も出来るだろうけれど、きっとそういうものを一台置く事によって、それを管理する人間が同じくひとり必要になるのだろうと思う。何よりも複雑化すればする程に行使するのが難しくなるみたいだから、それを駆使出来る人材を探すだけで一苦労だ。勝手な推測だけれど、だからこそあまりそういう考えに至らないのかもしれない。最初から人間自身の手だけでいかに作業効率を上げるか努力をしていく方が、よほど現実的だ。
魔法って不思議だ。ものすごく進歩的な面を感じる一方で、伝統的な面も感じる。新しいと古いが混在しているような世界は、しかし嫌いじゃないと思えた。私の世界ではいつしか消えてしまった切符を切る駅員さんは、この世界では永遠に存在するのだろう。どんなに便利になっても、働き手が減る事はないんだ。
妙な感動めいたものを胸に抱きつつ、木崎さんが行き先を告げると、受付のお姉さんが料金を告げて、木崎さんが何やら支払いめいた事をしていた。通貨単位はもしかすると共通なのかなあ、と思ったけどよくわからない。カードみたいな何かをかざしているけれど、あれがこの世界のお金にあたるものっぽい。
「では、こちらが聖域までの魔石です。ありがとうございました」
あ、もう手続きは終わったのかな。見上げていると、木崎さんが私に頷いた。
「ルナ、あっちだよ。行こう」
お姉さんから魔石を受け取った木崎さんについていく。中はまさしく駅という感じで入り組んでいる。それにしても、電車みたいに一駅分とかになっていたとしたら、ものすごくおびただしい数の移動陣とやらが必要になってくるけど、どうもそこまで数がなさそうなんだよね。どうなってるんだろう。
「移動陣は大きい駅になるほど複雑化していてね。ひとつの大きな陣にはたくさんの場所を記録させる事が可能なんだけど、その分、魔力量は増える。術式自体は一度構築してしまえば埋め込むだけだから、狂う事はないけれど、問題は力の方なんだ。この魔石は、それぞれの場所に繋がる術式が刻まれているのもそうなんだけど、その必要な魔力が移動距離によって異なるから、遠いほど料金も高くなるんだよ」
あ、なるほど。じゃあいくつかの大きな移動陣があるだけで、かなり色んな場所に行けるのね。木崎さんの話では、それでも、色んな場所を経由しなきゃいけない所はあるみたいだけど、聖域みたいな有名な場所は大体が直通で行けるんだって。いいなあ。日本で言ったら夢の国にどこからでも行けるのかなあ。
少しお馬鹿な事を想像しつつも、木崎さんと聖域に繋がる陣の前まで歩く。受付みたいなものがそこにもあるのかと思ったけれど、案内係みたいな人がちらちらいるだけで、特にはなかった。多分、魔石をあそこで購入しないと動かせないくらい複雑な魔法だからなんだろうなあ。どっちにしろ、あの窓口通らないと先に進めない設計になってたもんね。
広場みたいに円形に広がった場所には、頭上にでかでかと『聖域駅行き』と書いてある案内板があった。広場の出入り口には案内所があり、係の人に行き先を訊ねている人や、横に置かれたどう見えても駅の案内図みたいな物を目で確認している人もたくさんいた。
「じゃあルナ、行こうか。魔石はひとつしかないから、俺とくっついていないと駄目だよ」
体に触れていないとだめって事ですね、了解です。
私は木崎さんに抱っこされながら、少しどきどきしつつ移動する瞬間を待った。
「はい、着いた」
え、はやっ。
にっこりと微笑まれて思わず左右を見回すと、さっきよりも少し小さいけれど同じような造りの円形に広がった空間へ出ていた。なんかこう、酔ったりするかなとか思ったけど、全然ですね。
「さて、それじゃあ行こうか」
木崎さんの言葉に、私も歩き出す。駅の出入り口で、綺麗な青色から真っ黒に変わった魔石を、木崎さんが駅員さんに渡していた。……予想だけど、持ったまま出ようとすると何か起こるんじゃないだろうか。魔法でそういう事も出来そうだよね。
行きと同じくあたりをきょろきょろと見回りつつ、木崎さんの後に続いて駅を出た。
出た瞬間、急な寒気に見舞われぶるりと体を震わす。そんな私を見た木崎さんが、しまった、と小さく一言もらした。
「ごめんルナ、忘れてた。ほら、お食べ」
つい、と指を滑らせて現れたそれは、昨日と全く同じ質の物だろうと推測出来た。寝起きに木崎さんが私の口へ放り込んだ魔石だ。色は赤色だから、きっと種類は違うのだろうけれど、木崎さんの体から作られたそれを、今度は抵抗なく口に入れる準備をする。木崎さんはその様子に微笑みながら、私がぱかりと開いた口へ魔石を放り込んだ。
おや。
「暖かくなった?」
こくこくと頷く私の頭を、よかった、と呟きながら木崎さんが撫でる。
「俺はどうやら調整をする魔法が得意みたいでね。基礎から応用して何かを繋ぎ合わせるのもそうなんだけど、体温調節をする為の魔法はかなり簡単に行使出来るんだ」
造形の魔法はからきしなんだけどね、と肩を竦める木崎さんの言葉を、少し意外に感じた。なんとなく、器用に見えるというか、あらゆる分野に精通しているのではないかと思い込んでいたけれど、どうやら木崎さんにも苦手とする類の魔法があるらしい。
少し人間らしい面を垣間見た彼に親近感を覚えて、私は嬉しくなった。
「言ってなかったけれど、聖域は国でいちばん高い山に建てられているんだ。だからかなりの寒さを伴うっていう事を、久しぶりだから忘れていたよ」
肩を竦める木崎さんの言葉に、へえ、と私は周囲を見渡す。確かになんだか、空気も薄いような気がするなあ。
「恐らくだけれど、聖域にはなんらかの魔法式が埋め込まれていて、それをずっと行使し続けている。なぜ魔力切れを起こさないのかはわからないけれど、とにかく国全体を覆うような術式を展開させるには、全てを見下ろせる場所が必要だったのだろうという事だけは予測が付く。範囲の指定や、力の流れなんかをどう式に嵌めこむかと考えた時、きっといちばん簡単だったんだろうね」
木崎さんの仮説は、しばらく語られるのだろうと思いきや、何故かいつもと比べると不完全燃焼な所で話を切り上げてしまった。不思議に思い私が首を傾げると、木崎さんは苦笑する。
「聖域についての理は、あまり考えないようにしているんだ。こう言ってしまうと大変な自惚れだとは思うけれど、俺は一般的な人よりも頭の回転が早い。また、理を読み解く事に楽しみを感じている。だからこそ、一度考えてしまったら、何かの拍子に核心に触れてしまうかもしれない。だから、自分自身に思考を停止しろと言い聞かせているんだ」
核心に触れたらいけないの? 首を傾げる私に、木崎さんは無言で微笑むと、行こうか、と目の前に聳える聖域へと視線をやった。
昨日もそうだったけれど、途中までは話してくれるのに、中途半端な所で言葉を噤んでしまう。木崎さんらしくないなあ、なんて、ほんの数ヶ月の付き合いながらも感じてしまい、私はちらちらと木崎さんを見やる。
「着いたら、きちんと全部話すよ」
私の物言いたげな視線に気付いたらしい木崎さんは、苦笑しながらそう告げた。目と鼻の先にもう答えは待っているのだとわかっても、ぶら下がった疑問はどうにも心を落ち着かせてはくれなかった。
そうそう。駅から聖域までって、本当にすぐそこなんだよね。いや、多少は歩いたんだけれど、五分? とかそんなものだ。直線距離でそのくらいだから、多少は離れてるのかもしれないけれど、駅から見える範囲に遺跡めいた物がででーん、と建っているのにはさすがに驚いた。しかし遠目から見た時には石造りとか、少ないけれどレンガみたいな物や木が使われてる場所もあったから、土とか石とか木とか、そういう物からてっきり作られているものと思っていたけれど。これって……?
半信半疑だったものが、まじまじと近くで見ると、確信に近くなる。建築関係の仕事をしていたわけでも、家を建てた経験もないからわからないけれど、自然由来の壁ではない事くらいは、素人目でもわかった。明らかに化学物質がこの外観には使われている。恐らくだが、中もそうなのだろう。
なんだか、遊園地のアトラクションみたいだ。遺跡っぽく、というコンセプトの元に作られた、でも本当に昔々からある物ではないように思える違和感。いっそ近未来ぽく作る方が違和感はないんだろうな。
「どんな素材なのかすらわからないだろう?」
前足を使って、聖域へと続く階段をてしてしと叩いている姿が、純粋に好奇心を満たそうとしているように見えたのだろう。首を傾げる木崎さんに、私はどうしたものだろう、と胸中で困り果てていた。気のせいだと思う自分もいるけれど……。
考えていた。この場所、富士山なんじゃないのかなって。登った事はないからわからないけれど、どうにもそう思えてならない。
混じっているようだけれど、基本的に日本人のような顔の人々。日本語に至っては、私が使っていた言語と寸分違わない。物の名称すら、たくさんの共通点が見られる。あいさつや、習慣や、人種的な特性も。数ヶ月あの場所にいた時に触れ合った人々は、みんな日本人的な人間ばかりだった。
ここは、地球なのではないか。ここは、日本なのではないか。ただ、そう。決定的にある一点が違うというだけで、これほどに私の知る世界と変容してしまったから、なかなか受け入れられずにいたけれど。
科学の変わりに、魔法という物のみが存在する、地球なのではないか――。
その考えに辿り着いたと同時に、私はその場に凍りついたかのように動けなくなった。
「――ナ、ルナ!」
「!」
妙な恐怖感がせりあがって、動けなくなった私を心配してか、木崎さんはその場にしゃがみこんで私の顔を覗きこんでいた。突然の至近距離に驚いたと同時に、まるで金縛りにでもあったかのように動けずにいた体が感覚を取り戻す。
「どうしたんだい? 具合でも悪い?」
木崎さんの言葉に、私は慌てて首を振る。木崎さんはしばらく私を見つめていたかと思うと、無言でその腕に私を抱き込んだ。
「引き返そうか? もしかすると、君にとってこの場所は良くないのかもしれない。たとえば君の本能がそう告げるのならば、中に入る必要はないんだよ」
木崎さんの言葉に、私は沈黙する。
聖域は、触れてはならない禁忌。理由はわからないけれど、この世界ではどうやらそうらしい。ひょっとすると、私にもそれは該当するのかもしれない。けれど。
『中に入りたい』
私は言葉を紡ぐ。宙ぶらりんのままここで引き返したって、きっと悶々として辛いに決まっている。それなら、いっそすっきりしてしまいたい。
木崎さん。考えたら、この世界が悪いものだなんて、そんな事あるはずがない。だって、あなたと出会えたのだから。
優しく微笑む大好きな飼い主さんの腕の中にいると、私の不安はあっけないほどに霧散していった。
『木崎さんといっしょ。怖くないよ』
紡いだ言葉を目にすると、木崎さんは満面の笑みで私に頷いたのだった。