第七話 不思議の国と出会い。
感想でご指摘を受けたので、少し修正を入れましたが、お話の筋は全く変わっておりません。ご指摘感謝です。
暦の概念も、私の世界とまったくいっしょ。壁にかけられた透明のガラス板のような物に映るどう見てもカレンダーなそれをまじまじと眺める。
これも魔法なのだとわかるのは、魔石が埋め込まれているから。綺麗な半透明の文字が浮かび上がる板の高さでいうといちばん下、左右でいうとちょうど中央部分に魔石を埋め込む窪みがあって、今は黒く輝くそれがきちんと埋め込まれていた。これって要は電池って事だよね。ガラス板は横に長い形で、カレンダーの右隣には時計がやっぱり映し出す形で表示されている。向こうの世界でいうところのデジタル時計ね。文字のやつ。午前と午後っていう文字は普通だとAMとPMだったりするけど、漢字で午前と午後って表記。カタカナは存在するんだけど、そういえば英語を見た事がないんだよね。和製英語みたいな言葉はあるのになあ……見せてもらったパンフレットの中にも、職員さん達の日常会話にも普通に出て来ていたからそれは間違いないんだよね。どういうことかしら?
首を傾げつつリビングのテーブルからそれを眺めていると、温かい腕に体が包まれた。
「カレンダーと時計が珍しいのかい?」
木崎さんに抱き上げられると、先ほどよりもより近くでそれを眺める事が出来る。ちょうど扉の右側にかけられてるから、テーブルもその位置にあって見辛くもなかったんだけど、もうちょっと近くで見たかったんだよね、どうもありがとう、木崎さん。
それにしても、名前もやっぱりいっしょか。妙に共通点が多すぎるなこの世界。どうなってるんだか。
ぽふん、と板に肉球で触れてみる。電気で動いていそうな、精密機械にも見えるカレンダーと時計は、触れても映像が乱れる事もなく、感電なんて事もなく、随分と頑丈そうな印象だ。
「十時か……そろそろ出かけようか?」
木崎さんの言葉に、わん! と元気良く返事をする。やったーお出かけだーい。あ、でもちょっと待てよ。
私は木崎さんの腕をたすたす、と叩いて、下を向きながら吠える。木崎さんは察してくれたようで、私を地面に下ろしてくれた。本当に頭の回転が良くて助かります。
『首輪や紐は必要ない?』
私は、おすわりの態勢を取り昨日からぶら下がる墨なしペンを使って訊ねた。私の世界では、犬の散歩には必ず必要な物だったけれど、ここではどうなのだろう。
「首輪? 紐? ルナ、そんな物を何に使うんだい?」
あれ? なんかすごく不審者を見るような瞳……!? 変態の木崎さんにそんな視線を向けられるなんて心外もいいところだわ!
木崎さんの様子に慌てた私は、急いで追加の説明をする。動揺しているからか、文字は少し歪になった。
『犬の散歩する時、首輪を付けて紐を付けて出かけないの?』
私の拙い文字でもしっかりと理解してくれた木崎さんは、しかしまた首を傾げる。
「ええと……ルナに首輪を付けて、更に紐を付けて俺がその紐を持つって事なのかな?」
そうそう。私が頷くと、木崎さんは、まさか、と言って首を振る。
「そんな事しなくとも、一定以上離れられない魔法をかけるから心配いらないよ。もっとも、俺とルナにはそれも必要ないかな」
木崎さんの話では、動物を連れて歩く時は必ず飼い主の魔石を動物に含ませるのだそうだ。その魔法は、探査と磁石。探査は飼い主と動物の位置を正確に把握する魔法。磁石はまあ、その名の通り離れると自然と引かれ合う魔法。大体が半径三メートル程度までしか離れられない仕様らしい。本来はどちらかがあれば事足りるらしいんだけれど、万が一何かがあってどちらかの効力が失われてしまっても、どちらかが生きていれば必ず発見出来るからという事らしい。特に探査の魔法は、飼い主側が自身のエネルギーを飼っている動物に分け与えて、自身は術式で埋め込まれている魔石を持ち歩くらしいから、一度魔法が切れても、再び魔法を込めればどこにいるのかすぐわかるんだって。なんかあれね、ジーピーエスみたいだね。
ていうか一度自分の魔力を与えると、その術式を知っていれば居場所が分かるって初めて知ったんだけど。ストーカーの温床になりそうな魔法じゃん!
「あくまでもそれは動物相手の場合だけれどね。動物は、取り込んだ他人の魔力を流して浄化する術を知らない。だから死ぬまでその一部が取り込まれたままなんだ。ルナは、その魔法を知りさえすれば、いつでも俺の魔力を体外へ放つ事が可能だよ。これは初期魔法だから、扱えない人はいない。……教えてほしいかい?」
またも私の心を読んだかのようなタイミング。けれど、問う木崎さんの瞳は妙に真剣だ。
『別に教えてもらわなくていいよ』
私は首を振りながら、言葉を紡いだ。木崎さんは浮かぶ文字を見ると、複雑な表情ながらも微笑むと、私へと手を伸ばす。
「ルナ。君がここに居る事が、とても嬉しい」
強く抱きしめられて、私はそんな木崎さんを今はガラス玉のようになった瞳でじっと見つめる。
どうしてかな、少しあなたが泣きそうに見えたのは。
またワープ紛いの事でもするのかと思っていたけれど、別に普通に家を出ました。あの日ってそういえば突然木崎さんちの玄関になったよね。
「職場と直通の道があるけれど、あれもドアノブに術式が埋め込まれているんだよ。だから職場に行こうとしない限り、術式は発動しない」
へえ、そうなんだ。いいなあ、どこ×もドア……いやまあ、私はもうどこにも仕事に行く必要がないんだけどね。そしてそんなに私は不思議そうな顔をしていましたかね。木崎さんて本当に怖いわー。
街の風景は、やっぱり現代日本と比べると自然が多い。高いビルのようなものもなく、大体がせいぜい三階建てくらい。横に長い建物が多いみたい。でも木造ではなく石造りが多いのは、あまり日本らしい風景とはいえないわね。なんか、ファンタジーの世界みたい。歩いてる人たちの服装も、やっぱりちょっと違う。シャツとジーパンみたいな人はいなくて、簡素ながらも最低限の基準がこの世界のがきちんとしているみたい。基本の素材を加工しすぎない服装が多いようで、パンツやスカートの多様性は感じられるものの、柄はシンプルなものがほとんど。花の刺繍なんかを着ている女性もいるけれど、人の手で作られた物しかないみたいだ。革と自然由来の布で服は作られているみたいで、加工していない状態。機械がないのがいちばんの理由なのかな。気候の関係もあるのかな。空気は綺麗な感じがするけれど、シャツ一枚だと肌寒いのかもしれない。ベストみたいなの着てる人が多い。
ちらり、と木崎さんを見る。
木崎さんの服装は、シンプルなクリーム色のカットソーに濃い茶色い革のベスト、お揃いなのかわからないけれど同じ色で革っぽいパンツに、ライトブラウン? ベージュ? 中間くらいの色合いかな。ブーツを合わせてた。ものすごく良くお似合いです。
「ルナ、ちょっとここに寄っていくね」
はいはい、どうぞー。私は一吠えして了承の意を伝える。木崎さんが進むお店の看板を見ると、『はやしや定食』と書かれていた。あら、ごはん屋さん? でもまだ昼食には早いよね。
そもそも食べ物屋に動物って大丈夫なのかしら? 木崎さんは何も言わないから、まあいいのかなあ。少し疑問を抱きつつも、とことこ後ろをついていく。
「あ、木崎さん! いらっしゃい」
いかにも大衆食堂といった風情の店内は、真ん中にかなりの人数が座れる大きなテーブルが配置されており、木崎さんに声をかけた店員のお姉さんがいるカウンター席もかなり席数があった。あとは四人席と二人席がそれぞれ四つずつ左右の端に配置されている。椅子とテーブルは年代を感じさせる木造りで、空間全体から温もりが感じられた。そういえば、奥に進む木崎さんと私の距離はけっこう離れた気がするんだけど、さっき木崎さんが補足してくれた。密閉された同じ空間では、規定の距離よりもお互いが離れても、くっついちゃう事がないんだって。つくづく魔法って優れものだ。
「あら、これって何の置物? 可愛い」
店内で急に木崎さんの方角へ引っ張られたら迷惑じゃないかな、なんて怯える心配もなく、カウンターで何やら可愛らしい店員さん――看板娘って感じね――と話す木崎さんを横目に、ちょいちょい、と前足で軽く触れたそれは、小人をモチーフにしたような木彫りの置物だ。入り口横にあり、私の体とちょうど同じくらいの大きさだった。
「それはマモリガミだよ」
「え?」
扉から邪魔にならないよう端に避けてまじまじとそれを眺めていたら、背後から声をかけられる。普通に会話が出来たって事は――やっぱり。
「こんにちは、お嬢さん」
「こんにちは」
にっこりと微笑んだように見える彼は――何故だか男性だとわかるのは動物的本能なのだろうか――私と同種族、つまり犬さんは、親切心からだろうか、私の疑問に答えてくれた。
「ええと、お名前をお伺いしても大丈夫ですか?」
動物同士のマナーなんてもちろんわからない私は、戸惑いながらもおずおずと訊ねてみる。
「ナイト、先に座っているぞ」
わん! と吠えた彼は、ナイトと言うらしい。あらら、訊ねたのに意味なかった。彼を連れた飼い主さんは、男性で、見事な銀髪なのに日本人顔という、けれどもアンバランスには見えない不思議な雰囲気の人だった。精悍な顔立ちというのが正しい外見。警察関係の人に見える。ナイトなんて名前付けてるし。……というか、ルナもナイトも英語だよなあ。言語って一体どうなってんのかしら。
「可愛らしいお嬢さん。どうぞごゆっくり」
ふ、と私に微笑んだ顔は案外優しい。私もナイトさんの飼い主さんにひとつ吠えて、ありがとうと告げる。本当はペンを使いたいけれど、さすがに外でそれは禁止だと木崎さんから言われていた。まあ、当然だよね。前例がない生き物なんて、立派な研究対象だ。
「優しそうな飼い主さんですね、ええと、ナイトさん」
「ナイト、でいいよ。君の名前を訊いても?」
「あ、ごめんなさい、名乗りもしないで。私、ルナって言います。私もルナって呼んでください」
「ここら辺では見かけない顔だ。最近やってきたのかい? よろしくね、ルナ」
「こちらこそ。あの、ナイト。さっきの、守り神って?」
ぱたぱたとお互いに尻尾を振ってあいさつをする。彼の犬種は……シベリアンハスキーが近いかな? 柄は一般的なハスキーよりもちょっと暗い色だし、大きさも一回り以上小さい。けれどそれ以外はまさしくハスキーだ。ああ可愛い。凛々しい。撫でたい。そしていっしょに眠りたい。
「意味はわからないけれど、他のお店でも必ずこのマモリガミを見かけるんだ。人間はそう呼んでいるみたい」
「守り神……なるほど。それってみんなこの形?」
「いいや、それぞれ違う」
へえ。ひょっとすると、店を出す時にオリジナルの置物を作ってそれを守り神として飾る習慣がこの国にはあるのかもしれない。頭巾みたいなものってお店のお姉さんが付けてるやつとよく見たら同じだ。それにエプロンと、左右にはお玉と包丁。まさしく定食屋にはぴったりの守り神というわけだ。
「ありがとう、教えてくれて。ナイトって親切だね」
私が言うと、ナイトはゆらり、と尻尾を揺らす。
「可愛い子にはもちろん親切にするよ」
ぺろり。
ん? ちょっと、今。私の瞳付近を舐めたぞこいつ!
「ちょっとちょっと。初対面でそれは馴れ馴れしい! 許してない!」
木崎さんよりはまだ可愛げがあるけど、とんだチャラ男だ。前足で鼻先に肉球パンチをしながら憤慨すると、ナイトはそれすら楽しんでいるかのように尻尾を振り、吠えた。
「ごめん、ちょっと急ぎすぎたかな。ルナが気に入ったんだ」
「誰にでも言ってんでしょ、この肉食系が!」
「そりゃあ僕達の種族は肉食じゃないか」
きょとん、と首を傾げるナイトに、そういう事じゃない! と苛立ちを覚えて一吠えした時だった。
「ルナ!」
お?
名前を呼ばれたと同時に体が浮いたと思ったら、そこな慣れ親しんだ人の腕の中。木崎さんが私を抱き上げたのだとわかった。
「何をしてたの? 浮気?」
いやいやいやいや。おかしいでしょ、その問いは。
「ルナ。少し目を離した隙に一体何をしていたの?」
き、木崎さん……? あれ、おかしいな。冗談めいたノリで言ってるんだろうと思っていたら、そうじゃないみたいだ。木崎さん、ものすごく目がすわってるんですけど。怖いんですけど! ていうか、木崎さんと向かい合う形で抱き上げられたから逃げ場がないし。視線逸らしても追ってくるのやめてくれないですかね!?
「ナイト、どうした?」
出入り口で騒いでたらそりゃあ目立ちますよね。周囲もちらちらと視線をやっているし。当然だけど先ほどの飼い主さんがやってきた。と、あれ? 木崎さんを見て目を丸くしていらっしゃる。
「木崎じゃないか。もしやその子はおまえの犬か?」
「山城。しつけくらいちゃんとやっておけよ」
木崎さんが山城と呼んだその人。どうやら知り合いらしい。
「何かナイトが粗相をしてしまったかい?」
やっと向かい合わせではなく普通に抱っこされて安堵の息を吐く私に、山城さんが訊ねる。私は慌てて首を振った。いや、粗相といえばそうかもしれないけど。
「……おい。今この子、俺の言葉に首を振らなかったか?」
「気のせいだろ」
しまった! ものすごく普通に反応してた。木崎さんはしれっと否定したけれど、私はものすごく慌ててしまって、余計に山城さんに疑念を抱かせてしまった。
「まあいい。……例の術式、警備の面でおおいに役立った。陛下も改めて感謝状を贈りたいと話していた」
「あんだけせっつかれたんだから、名誉よりも物質的な物が欲しいってお偉いさんに言っておいてよ」
ええええ。木崎さんって実はすごい人? そして今すごい失礼な事言った! 不敬罪とかならないの? 大丈夫なの!?
しかし言われた山城さんは憤慨する事もなく、苦笑するに留める。
「相変わらずだな。今度会ったらおまえが直接言えばいいだろう。俺が話せば絶対に面白がってとんでもないものを大量に送りつけるに決まっている」
「ああ……一回何故か陛下がついた餅が冷凍の状態で送られてきたことあったね……」
ふたりして遠い目をしてるけど、国のトップがそんなお茶目でいいのか、この世界は。
「それよりも、ルナ。口説かれたんじゃないだろうね?」
え、またその話題? すっかり安心していた私はびくり、と体を震わせてしまった。それを肯定ととらえたのだろう。木崎さんは先ほどよりも一際冷たい気を放つと、ナイトへと照準を合わせる。
「俺のルナを口説くなんて、いい度胸じゃないか。二度と近付けない程度には後悔させてあげるよ」
「……っ、おい、さっきの注文キャンセル! ナイト、来いっ!」
何かを放出しそうな木崎さんの様子に青ざめた山城さんは、慌てて出入り口から外へ飛び出すと、ナイトと共に忽然と姿を消してしまった。
ち、と舌打ちした木崎さんは、逃げ足の早い奴、と苛立ちを隠せない声音で呟いた。
「まあいいか。ルナ、ふたりきりになったら詳しく聞かせてね?」
ふふ、と微笑む木崎さんは、目が全然笑ってなかった。
ごめんなさい、いくらでも謝るからその冷気を引っ込めてくれませんか、ちびりそうです。