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第六話 不思議の国と言葉。

 魔法を使う事が出来る――それを聞いて、私の心はもちろんときめいたけれど、かといってじゃあ、何をしたらいいのか、というのはいまいちぴんとこない。空を飛んでみたいとか、瞬間移動してみたいとか、かっこよく手から光を放出させてみたいとか、そんなファンタジックな気持ちはあるものの、別に今それをやる必要性がまるでなかった。魔法は生活だというのがこの世界の常識ならば、むしろその生活に役立つ魔法を覚えるべきなのだろう。……地味だな、しかし。

「何が使えるかは、これからゆっくり試していこう。差し迫って必要なのはやはり、意思疎通の魔法かな。といっても、相手の心を読み解くような種類の魔法は禁呪だからね。気持ちが透けて見える、なんて事にはならないから、安心していいよ」

 突然慌て出した私の様子に察しがついたのか、木崎さんはくすくすと笑いながらそう告げる。なんですか、バレバレですか。そもそも禁呪とやらに頼らなくともある程度は筒抜けみたいだけど。

 尻尾がしょんぼりと項垂れる様子を見た木崎さんは、私の頭をそっと数回撫でる。それだけでしおれていた私のそれがぴん、と立ち上がり左右にふさふさと揺れるのだから、本当に単純だ。それとも人間よりも動物っぽい思考になりつつあるのかな。それはそれでいいのかもしれないけれど……そのうち会話すら出来なくなったら嫌だな。

 少し自分の考えに恐怖を覚えてしまった私は、慌ててぶんぶんと首を左右に振る。垂れ耳が同じくパタパタと遅れて揺れた。

「ルナ?」

 おっと。木崎さんの呼びかけにひとつ吠えてみせると、木崎さんが微笑んで、木の棒をすっとひとつ取り出した。

 あれ? それって私がさっきくわえてたやつだよね? なんか先が尖ってるから鉛筆の芯がない鉛筆みたいなやつ。ペン先がないペンみたいな。そういえばこれって何かの道具なのかな。

「これはね」

 ペン――という事に便宜上しておこう――を木崎さんが握ると、黒い糸のようなものがペン先からしゅるしゅると出てくる。その糸は空中でぴたりと止まって……わーお。

「こういうものなんだよ。説明しなくても、大体は見当がついたかな」

 黒い糸はあらゆる方向にぐねぐねと折れ曲がり、最終的には何かを形作ってぴたりと止まった。そう――文字になったのだ。

「木崎さんて、下の名前こういう字を書いたのね」

 浮かんでいる文字は、『木崎 深』と書かれていた。恐らく、木崎さんのフルネームだと思う。しかしなんと読むのだろう。首を傾げると、木崎さんは微笑んだ。

「シン。そう読むんだ。ルナは俺のことをなんて呼んでいるのかな」

 ()(ざき)(しん)

 それが、木崎さんの名前。深、か。理で出来ているというこの世界で、研究職――で多分合ってるのよね――をしている木崎さんにぴったりだと思った。恐らくだけれど、このアイテムはきっと――。

 私は先ほどまでくわえていたテーブルに転がっているペンを再度口にくわえる。木崎さんから痛いほどの視線を感じながらも、深呼吸なんてものは出来ないけれど、気持ちを落ち着かせる為に数秒置いてから、心の中で、力を行使したい、と願った。

「…………本当に、こんな事が」

 呟いた木崎さんは、呆然と私が紡ぐものを凝視していた。

 しゅるしゅる、と私がくわえたペンの先から、先ほどの木崎さんと同じように伸びていく。空中に浮かび上がると、木崎さんの時よりはやや早さは劣るものの、ぎこちないながらも文字と呼べる形を成していく。ほんの少しの言葉だけれど、私は初めて、自分の正確な意思を伝えられた事が嬉しくてたまらなかった。

『木崎さんと呼んでいます』

 しかし、飼い主とのいちばん最初の感動すべき会話がこんなものでいいのか。もうちょっといいことを考えて書こうとすればよかった。私って肝心な所でなんだか間が抜けてる。ついでになんか文字も抜けてる感じがする。想像力が大事なんだよね、きっと。もっと頭の中で文字をはっきり形にしないといけないんだろうな。

「ルナ……君はやっぱり、神からのギフトなのかい?」

 神からの、ギフト? 随分と仰々しい事を言うのね。私が目を丸くすると、木崎さんはふう、と息を吐いた。

「この世界には聖域と呼ぶものが各地に存在していてね……皆それを神様だと崇めてる。俺は信仰に対してそう懐疑的でもないけれど、かといって神様だと呼ぶのは違和感があるんだ。聖域は、とても人間的な象徴だからね。実際に、始祖が創り上げた最後の文明なのだと伝える文献もある。恐らくは一度崩壊した文明があるのだろうという見解をする研究者が多いんだ。しかしそれを読み解く事が出来る――いや、読み解こうとする人間は存在しない。だからこそ、神の所業なのだと話す人が多いのもまた確かだけれど……個人的には便宜上そうしておいたほうが都合がいいというのが本当だろうと思うんだ。大規模な術式さえあれば、出来るんじゃないかと今でも思っているし。まあ、俺はそれに不満はないから、研究しようとは思わないけれど」

 肩をすくめる木崎さんの話は、私にはちんぷんかんぷんだ。その聖域とやらが神様の象徴なんだけど実はそうじゃないかもしれなくて? それでもってその聖域とやらの研究をする人はいないらしい? って事かな。でも、世界中の学者さんが飛びつきそうな謎解きっぽいけど。

「人であろうが神であろうが、作られた平和であれ、今日までそれが続いたのは、聖域のおかげだし、形だけの物からそうではない物になりつつあるしね」

 微笑む木崎さんの言葉はますますもってわからない。私は不思議な気持ちで木崎さんをまじまじと見つめていると、木崎さんは、うん、とひとつ頷いた。

「今日はこのまま、精度を上げる練習をしよう。ゆっくりでいいから、俺としばらく会話をしよう。疲れたと感じたらそう伝える事。いいかい?」

『了解』

 私はくわえたままだったペンに力を込めて、言葉を紡いだ。二文字だった事もあり、先ほどよりも早く、より綺麗な文字が浮かび上がる。木崎さんは、上手じゃないか、と微笑んだ。

「後はそのペンを携帯する方法だね。空間から物を取り出す魔法はあるけれど、それはまだルナには早いし……身体に触れさえすれば魔法は発動するから……あ、口にくわえなくても大丈夫だからね」

 あ、なんだそうなの? 早く言ってほしかった。けっこう疲れるんですよこれ。私はぽとりとペンを置いた。

「どうして俺が手に握ったかっていうと、その方が文字を書くというイメージを持ちやすいからだよ。ええと、ルナは人の手で文字を書くという行為を知っているかな?」

 はい、もちろん。むしろ私の中ではそれがスタンダードですよ。私が頷くと、そうか、と木崎さんが頷く。

「同じような形状の物に、先に墨が付いているものがあってね。魔石が中に入っていて、無くなると魔力が切れるまで新しく墨が生成されていく。あ、墨はわかる? うん、この魔法が不得手の人はそれを使って文字を書くんだけど、幼少期は皆そこから始まるんだ。だから、紙に書くというイメージを基に言葉を紡ぐんだけど、より簡単にそれを行使する為に、この形を採用しているんだよ」

 墨が何なのかわかるかという質問に頷いて答えると、更に木崎さんは説明を続けてくれた。なるほど、書くっていう概念がないわけじゃないのね。

「この魔法を得意とする人は、このペンがなくてももちろん行使出来るんだけれど、文章を生成するわけだから、かなり継続して使わないといけない魔法だろう? よほど魔力が高いかこれを得意分野としない限り、ほとんどの人がこの魔石が埋め込まれた墨なしのペンを使うんだよ。俺もそうだけれど」

 そう言って、木崎さんは首を傾げながら、確かここに、と呟きつつリビングの隅にあるチェストから何かを取り出した。

「これ、研究している時すぐに文章を起こせるように作られたものなんだ。ルナにあげる」

 墨のないペンの、尖っていない方、つまり持ち手の端っこに穴が開いていて、そこから革紐が通されている。ネックレスみたいに首からさげるのかな、と思っていたらやはりそうみたい

。木崎さんが私の首にそれをかけてくれた。

「こうすれば、座った時にしか体にくっつかないんじゃないかな? どうだい?」

 木崎さんの言葉通り、立っている状態だとぶらさがっているから、私の体にペン部分は触れない。おすわりの姿勢を取ってみると、ペンは私の胸あたりに触れた。毛がふさふさしてるから、ちょっとあたってるかなあ、くらいの感覚だけれど。

「その状態で、何か紡げそう?」

 木崎さんに言われて、私はうーん、と唸り声を上げる。

『木崎さん、ありがとう』

 おお! やった。句読点まできちんと表現出来た! 私は感動しながら木崎さんにぱたぱたと尻尾を振る。

「ルナ……」

 あれ、木崎さんの笑顔、なんだかとっても眩しい。けれど何故だろう。この笑顔は妙に危険だと私の本能が告げている。

「愛してるよ、ルナ」

 ってやっぱりか! かなり素早く顔を近付けられたけど、動物をなめたらいけない。私はキスをしようとする木崎さんの顔面に肉球をぷにゅん、と押し付けた。

 ぺろり。

 え。今の生温い感触は……。

「ルナの肉球、なんかいいにおい」

 うっぎゃあああああ! こ、こ、こ、こいつ、足の裏を、再び舐めたああああ! ていうか朝にやられてなんで学習しないかな私……いやいや、普通何回もやられるとか思わないから! 変態! 変態がいる!

『木崎さんの変態!』

 感嘆符までばっちり再現出来た事に感動を覚えつつ、木崎さんが瞳を眇め口角を歪ませた事に恐怖した。だって変態は変態じゃないですか!


 本当の変態とは何かを危うく教えられそうになった所で、そういえばもう夕方だね、という木崎さんの言葉でお互い我に返った。朝兼昼ごはんを食べてからけっこう時間が経っていたのね。

「ごはんを食べたら、今日は早めに眠ろうか。明日は出かけよう」

 おお。例の聖域ってやつに行くのかな? 尻尾を揺らすと、木崎さんが私の頭を撫でる。

「作ってもらったごはんも残り少ないしなあ。また貰いに行かないとね」

 後頭部をひっかきながら呟く木崎さんは、冷蔵庫に向って歩いていく。たん、とソファに飛び乗って、その後ろ姿を見つめた。

 作ってもらったごはん、か。いつも天音さんが作ってくれているのかな。二人は課が同じみたいだったし、仲も良さそうだった。ひょっとすると、その縁で私の飼い主になってくれたのかもしれない。それこそ毎食作ってくれているなら、二人は恋人関係かもしれないよね。それならますます、私を置いてくれている理由は彼女の存在があるからなのかもしれない。

天音さんのごはんはとても美味しかった。それ自体はとても嬉しいのに、どこか寂しく思う自分がいる。なんの含みもなく私を拾ってくれたのではないのかもしれないと過ぎるだけで、こんなにも痛む胸はなんて弱いのだろう。好奇心だろうと、天音さんに対しての義理であろうと、私に触れる木崎さんはとても優しい。それでいいじゃない。そう思うのだって本音なのに。

私自身を好いて欲しいなんて、傲慢もいいところだわ。それに今の私は――彼に何かを返す事は出来ないのだから。

 私も、生前は料理が好きで、お菓子作りもよくやっていた。大げさなものは作れないけれど、家庭料理ならばなかなか美味しいものを作れたはずだ。自分の名前や、周囲の人間はあまり思い出せないけれど、何が好きだったか、どんな人間であったかは、自分が人間だという記憶がある限り、居座り続けているのだろう。人間の姿ならば、私を拾ってくれたお礼が出来るのに。今の私には何もない。何も出来ない。ただ愛玩動物として、彼の癒しになるのがせいぜいだ。いや、人間でいるよりも、変な負担をかけずに済むのだから、今の状態のがよほどいいのかもしれない。まして彼の研究心に私という存在が火をつけたのならば、きっとそれで良いのだろう。

 白い壁。清潔なシーツ。消毒薬の匂い。

圧倒的な孤独が支配するあの空間より、今のがずっと幸せだ。ほんの数ヶ月経過しただけなのに、いつからこんなにぜいたくになってしまったんだろう。

「ルナ、晩ごはんは魚とお肉、どちらがいいかな」

 微笑む木崎さんの顔を見て、そんな表情は出来ないとわかっていつつも、苦笑したような仕草をしてみせる。

 ねえ、木崎さん。私、あなたがご主人様で本当に幸せよ。だからこそ、何も返せない自分に苛立つのかもしれない。大好きになってしまったから、私自身を好いて欲しいなんて願ってしまうのかもしれない。

『お魚がいいです』

「ふふ、了解」

 うねる文字は木崎さんが確認した次にはもう霧散する。伝えたいという気持ちが途切れると、これは自然に消えてしまうのだ。

 文字を使って、問う事も出来る。なぜ私をもらってくれたの? と。

首を振って、私はため息を吐く。それは、訊いちゃいけない気がした。私が傷付かないように、ひょっとすると言葉を選んでくれるかもしれないから。何よりも、犬である私がそれを問うのは、おかしな話だ。いくら会話が出来るからといっても、踏み越えてはいけない一線はある。

 木崎さんは飼い主。私は飼い犬。それは不動の関係だ。

 踏み越えてはいけない。人間だった頃の記憶があろうとも、今の生を過ごす為にも、私はそれを捨てなければいけない。

「ルナ、ごはんにしよう」

 用意が出来たよと微笑む木崎さんの元へ、私は尻尾を揺らしながら四つ足で歩き出した。



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