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第十五話 不思議の国と少年。

 お勤めをするようになってから――てこの言い方だとなんか別の意味に聞こえますね――一週間が経過した。相変わらず可愛がってくれる職場の人々や、少しでも木崎さんの役に立っていると実感出来る瞬間があるから、なかなか楽しくやっていると思う。

「今日のお昼ごはんも美味しかったね」

 微笑む木崎さんに尻尾で返事をする。昼の休憩を終えて研究室に戻ろうとふたり並んで歩いていた。

「木崎!」

()(えん)?」

 私と木崎さんの背後から、慌てたように彼の名を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、やっぱり慌てて駆けてくる男の人。ひえん? て苗字かな。どう書くんだろう、変わってる。

「悪い、昼休みってもう終わったか?」

「うん、今戻るところだよ」

「そうか。実はちょっと来客中なんだけどさ。かなり緊急みたいなんだけど、研究職の人間がいないとわからないんだ。誰か寄越してもらおうと思ってたんだけど、多分お前の分野だと思う。来てもらっていいか?」

「ああ、かまわないよ。このまま向かおう――ルナ。これを、天音か風来に渡してもらえるかい?」

 木崎さんは、『理を要す緊急案件発生。火遠と向かう』という一文を何やら石に囁くと、そのまま私の口にくわえさせた。私は動物だからあそこを自由に出入り出来る。こんな時は、犬でよかった、なんて思える瞬間だ。今までも何回かこういう事をしているから、私ははりきって頷いて見せた。

「頼んだよ」

 微笑と頭をひと撫でして、木崎さんはひえんさんと小走りで来た道を戻って行く。さて、じゃあ私も行きますか、と尻尾をぴんと立ち上げて歩き出した。のだけれども。

 ん?

 ぴん、と耳を立てて、小刻みに動かす。どこかで声が聞こえるような……?

 きょろきょろと周囲を見渡してみても、それらしき人影はない。いや、別に大人だったらいいんだけど、子どもがすすり泣くような声に聞こえたんだよね……ちょっと気になるなあ。

 うーん、でも仕事もあるし、ちょっと急いで行ってからまた戻って来ようかな……うん、少しなら出ても大丈夫だろう。そうしよう。

 全速力で研究室へと戻り、天音さんをつかまえてくわえていた魔石を渡す。天音さんが魔力を注ぐと、木崎さんの声が再生された。ありがとう、と微笑んで頭を撫でてもらい、私は元気良くそれに返事をした。天音さんみたいな美人さんに可愛がられると嬉しいわー、幸せだわー……って違う。

 まだ残っていた問題があった! と思い出し、私は意味があまりないかもしれないけれどアリスお母さんに廊下での件を話す。

「まあ、そうなの。もしかしたら迷子かもしれないわね」

「私、ちょっと見てくるね」

 そうねえ、とアリスお母さんは心配そうにしていたけれど、しばらくして頷いてくれた。私も頷きを返し、少し急ぎながら研究室を後にする。

「えーと……確かこのへんだったよね」

 なるべく早く辿り着くようにかなり駆け足で来たけれど、まだ付近にいるのだろうか。さっきは声しかわからなかったんだよなー、ひょっとすると室内にいるのかなあ。

 きょろきょろと周囲に気を配りつつ、今度は慎重に歩く。確か、こっちから聞こえてきたはず。

 ちょうど分かれ道で、左だと研究室、右だと……どこに出るんだろう。とにかく、右から聞こえていた。耳をまたぴくぴくと動かしてみるが、まだ何も聞こえない。やっぱり気のせい……? 戻ろうか。

「ふええ……」

「!」

 ふう、と息を吐いたのと同時に、確かに届いた。間違いなく子どもの泣き声だ。少しこもった声だな、どっから聞こえるんだろう?

 ぱたぱと少し早足で廊下を進むと、声はどんどん大きくなっていく。確信を持って足を進め、ここだ、という所で足を止めた。

「…………トイレ?」

 うん、これは公共のトイレです。

 そうそう、私は犬なんだけどトイレで用足しをするんだよね。いやだって、恥ずかしいじゃん、さすがに。元人間ですから。こっちのトイレって向こうと変わらないからありがたいんだけど、水を流すのすら魔法頼みだから、木崎さんにまずそれを教えてもらった時はありがたいやら情けないやらだったな。ていうか死ぬほど恥ずかしかった。

 ええーと……声、男子トイレからだな。どうしよう、とてつもなく入り辛い。しかし悩んでいる間にもすすり泣きは聞こえるわけでして……ええい!

 女は度胸! と足を踏み入れる。木の扉は、ただ押せば開く仕組みなので私でも難なく開ける。個室のトイレは、すごく小さい子でも使えるようにか、鍵はすごく簡単な私の世界でも見たような造りになってる。ただ私の世界で見る金属みたいな物よりもっと原始的な素材ではあるみたいだけど。金具みたいなものが皆無ではないようだけど、やっぱり木材がいちばん多いみたいだった。

 お? 男子トイレも全部個室なんだ。へー……でもちょっと安心。用を足してる人と遭ったらどうしようかと。ってそもそも、大人が来たら泣いてるはずないか。ここ、職員さんしか使わないっぽい上に中途半端な場所みたいだから、あまり利用する人がいないのかもしれないなあ。

「お父さぁん……」

 ぐずぐずと泣く声がして、私は本来の目的を思い出した。いちばん奥だ! ひょっとして出れないのかな?

「わん!」

 私はとりあえず、扉に向かって吠えてみる。

「!? 誰?」

 えーと……ごめん、犬です。私は少し困ったように、くぅん、と鳴いてみる。すると、わんわん! と元気な声が耳に届く。なんだちくしょう、可愛いな。

 私の声に気力を取り戻したのか、扉の向こうから、がちゃがちゃと鍵をいじる音がする。ああー、やっぱり閉じ込められてますな、こりゃ。

 うーん。なんとか、あちらへ行けないだろうか。

 木崎さんからは、いくつかの講義を毎日受けていた。簡単な魔法についてだ。術式ではなく、想像力のが鍵となるような魔法を中心に、私でも扱える基本となるものを。

 ひょっとすると、魔法でこの状態を打破出来るかもしれない。実践経験はまだないけれど……そんな事を言っている場合じゃない、よね。

 扉を開く、というのは出来ない。風の魔法を使えばあるいは、と思ったけれど、かなりの威力が必要になるし、私が放つだけならば複雑ではない術でも、個室内から外に向かってとなるともっときちんとした原理を知らなければならない。となると、やっぱり……。

 ちらり、と見た扉の高さ。少し頑張れば、いけるかも。

 ふう、と息を吐いて、目を閉じる。

 風だ。どこでもいい。地面の割れ目から、上に向かって風が吹いているイメージ。私はその風に乗って、いつもよりも高く跳ぶ事が出来る。浮くんじゃない。あくまでも、風に乗るっていうイメージ。

「跳べ!」

 わん! という吠え声と共に、私は跳躍する。扉に前足をかける事に成功した私は、落ちないように慌てて爪を立てて、よじよじと扉の上へ登る。

「わー、わんちゃんすごいねえ」

 目を丸くして私を見つめるのは、可愛い茶色の髪と黒目の男の子。ベストのセーターに半ズボンとは。お洒落さんめ。可愛い。

 って、そうじゃない。そんな事はどうでもいい。

「降りれる?」

 男の子は手を伸ばしてくれるけれど、その懐に飛び込むのって、けっこうな負荷が彼にかかるのではないだろうか。成人男性ならあれだけど……大丈夫かな。確かに降りる事はあんまり考えてなかった。

「大丈夫!」

 あらら。こんなに小さいのに、私を励ましてくれるの? 瞳には泣いた跡。とても心細かっただろう。一体どれくらい閉じ込められていたのだろう。

 急速にせつない気持ちが芽生えて、同時に、彼を信じたい気持ちが強くなる。

 私は、男の子を真っ直ぐ見つめて、こくり、と頷いた。男の子が一瞬、え? と目を丸くしたけれど、次には真剣な顔で頷きを返す。

 女は度胸パートツー!

 えいや、と男の子めがけて落ちると、男の子は多少よろめきながらも、見事に私をキャッチしてくれた。

「君は、僕の言葉がわかるの……?」

「……わん」

 少し悩んだけれど、まあいいか、と返事をして彼の頬を舐める。男の子は、ふふ、とくすぐったそうに首を竦めて、しかし嬉しそうに微笑んだ。

 しかし、次にはへにゃり、と顔を崩して泣きそうになるものだから、どうしたのだ! と慌ててまた頬をぺろぺろしながら尻尾を振る。男の子はそれに励まされたかのように、あのね、と扉を指した。

「鍵が壊れて……出れなくなっちゃったの」

「わふん……」

 あらあ……と声を上げた私の視線の先には、見事に歪んではまってしまったらしい鍵だった。これは元々、おかしな方向に曲がってたっぽいねえ。運が悪かったというかなんというか……気の毒な。

 歯でどうにかなるかなあ。ジェスチャーで、鍵の前まで連れてってくれ! となんとか伝えて、男の子に鼻先を近付けてもらった。がぶ、と噛み付いてみる。

 む……歯が折れそうです……無念……!

 鍵から口を離すと、察してくれたのか男の子が一歩引いてくれる。うーん、そうするとやっぱりさっきと同じ事をしないとだね。いや、風よりも……力っていう明確じゃない何かを想像する方がもしかするといいのかな?

 私は、扉をじっと睨む。ここに、私の魔力をぶつけたい。扉をふっとばしたい。とにかく、エネルギーを外へ放出させたい。私は透明の塊をイメージする。

「わん!」

 でやあっ! と心の中で叫んだ声は妙に間抜けだったけれど、お見事。魔法は成功だ。

 大して威力がなかったのが幸いした。扉は開いたけれど、大きく吹き飛ばされるまでいかず、壁と扉を繋げる金具が外れ、かろうじて壁にくっついているかのようにだらりと中途半端に斜めにぶら下がっている。木っ端微塵とかにならなくてよかった。あ、でもちょっとへこんでる……ひいい。

「すごい……わんちゃん、すごい!」

 え、えへ? よかったけど……これ、あれかな、すんごいまずい事しちゃったかな。

「ありがとう。僕、道に迷ってる途中でトイレ行きたくなっちゃって、ここに閉じ込められてたんだ。あの……わんちゃんは、入り口ってわかる……?」

 おうとも! 受付だね、まかせとけ!

 私は元気良く吠えて、男の子から降りると、ついてこい! ともう一度吠えた。それに嬉しそうに頷いた男の子は、私の後ろについてくる。よしよし。

 しかし、すごーい、くらいで済みそうでよかった。男の子はけっこう流暢に喋っているけれど、私の世界で言えばまだ小学生未満、もしくは低学年らしい事はわかる。恐らく、親に何かを話したところで子どもの夢だと微笑ましく流して終わってくれるだろう……と楽観視するのはあまりにも危険だろうか。

 無難に誰か呼んでくればよかったのよね。どうしてそうしなかった。ため息を吐きながら、さっきまでの自分はけっこう慌てていたんだな、と気付く。

「犬さんってすごいねえ。僕んとこのミルクは、なんにも出来ないよ」

 おや、わんちゃんが犬さんにクラスチェンジしていますね。ありがとう、敬意を表してくれた……んだよね? うん、そう思っておこう。名前を教えられないのがなんだか歯痒い。

 しかし犬なのか猫なのかはたまた違う動物なのかはわからないけれど、少年の家にも相棒がいらっしゃるのね。ミルクかー……うん、もういい、考えない。

 しばらく歩いていると、受付まで辿り着いた。慣れ親しんだ場所はどこか懐かしい。中庭を見て、私は少し尻尾を揺らした。

()(りゅう)様!」

 少年の姿を確認した途端、何人かの職員さんが慌ててこちらに駆けて来る。

 様、だと……? 身なりが随分と綺麗だとは思ったけど、まさかお偉いさんの子どもなのか?

「ごめんなさい、心配をかけました」

 そして、先ほどの素直な少年とは打って変わって、表情を変えた彼に、おや、と私は目を丸くする。ひょっとすると、普段から色々な事を無理しているのかもしれない。心配になって見つめていると、少年は微笑んだ。

「父に、無事戻った事を伝えていただけると助かります。少し、あちらの椅子で休んでいますね」

 少年の言葉に、責任者のような人がかしこまりました、と頷き、部下に指示をしていた。少年が手招きするので、私も彼と並んで座る事にした。

「ね、僕の名前はね、()(りゅう)(ふみ)って言うんだ」

 言って、少年が見慣れたペンを握り、雨流文、という文字を浮かばせる。ここで少し思った。もしかすると彼は、こういう系統の魔法ばかりを叩き込まれているのではないか、と。……こっちも大事かもしれないけれど、これからはもう少し自分の身を守る術を身に付けた方がいいのかもしれない。

 そして、頷いていると、期待するような視線。うう……この純粋な瞳で見つめられてしまうと。

『ルナです。無事に戻れてよかったね』

 私が少年の持つペンに鼻先をちょん、と付けて、彼にしか見えないように小さく文字を浮かび上がらせると、彼は頬を真っ赤に染め上げた。

「わあ、やっぱり! ルナってすごい!」

『しー! 皆には絶対にないしょにしてね』

 はしゃぐ少年――もとい、文君に慌ててそう伝えれば、文君は慌てたように口を噤んで、こくこくと頷いた。

 ふむ、素直で大変よろしい。

『あ、私もパートナーさんにここに居るって伝えないとまずいかもしれない』

 心に余裕が出来て、会話も出来る安心感からか、今まで失念していた事を私が文君に告げると、彼は少し寂しそうな顔を一瞬して、やがて微笑んだ。

「そっか、ここで働いている人がルナのご主人様なんだね。黙って出て来たの?」

『だって文君の泣き声が聞こえて、気になったの』

 私の言葉に、ありがとう、と微笑む文君に、尻尾を振って応えた。

 しかし木崎さんは心配してるかもしれないなー。探査の魔法は発動しているはずだから、まあ、そんなに心配かけていないだろうとは思うんだけど。

「受付の人に、訊いてみるよ」

 おいで、と私をまた手招きする彼に従う。

「あの、すみません。この子、迷ってる僕をここまで送ってくれたんだけど……飼い主さんはここの職員さんだと思うんです」

 上手い具合に説明してくれた文君の言葉に、受付の人は頷いて微笑む。そこでしばらく考えてから、私を受付預かりにしようと手を伸ばした、んだけど。

「飼い主さんが来るまで、いっしょにいちゃ、だめ?」

 上目使いで受付の人を見る彼に、受付の人は、おや、と目を丸くした。

「お珍しいですね、そんな事をおっしゃるのは――ルナさん。どうか雨流様の願いを叶えてはくださいませんか?」

 あら。私の事をご存知なのね? 私も同じように驚いて少し尻尾を揺らしていたけれど、申し出に否やはない。わん! と元気良く返事をすると、受付責任者――名札には(つち)()と書かれていた――さんは、微笑んでよろしくお願いいたします、と礼を取る。はー、一流ホテルの支配人のようだ。

 私は少し不安そうにこちらを見つめる文君の手をぺろりと舐めて、尻尾を振る。

 嬉しそうに微笑む少年は、会った時と同じように年齢相応の男の子に見えて、それが嬉しく、しっかりした彼とのギャップに少しせつなくなった。


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