1話
「大いなる神の恩寵を願います」
俺は棺桶の前に跪き、木製の×字の十字架(自家製)をそっとその上に乗せた。
いわゆる聖アンデレ十字に近いようなコイツが、この国ではメジャーだ。
とってつけたかのような設定風だが、勘弁してほしい。
参列者の一人一人が、別れの言葉と共に順番に傷を付けた×字架。
傷がつけられていく様は、村人のおざなりな態度が窺えたようにも思えた。
最後に身内――つまり俺が傷を刻んだ後、棺桶の上に置いてそのままそっと村はずれの共同墓地へ。
くたびれた風な壮年の修道士が祈りを捧げる中、あらかじめ掘った穴に埋めていく。
この後、墓地の端に設けられた石碑に無数に刻まれた名の一つとして、死者の見送りは完了する。
この辺じゃポピュラーな簡易葬式の流れだ。
あくまでも生者の心の整理に寄った葬儀。
修道士が浄化の術式を刻む墓地には、何もは残らない。
風に乗ってどこからともなく集ってくる、砂粒のように小さな煌めく粒子。
ある程度魔道の才を持つ物にしか見えないらしい、幻想的な光景。
これによって、燃やしてもいないのに棺桶ごと骨まで綺麗に土へ還るのだ。
御許へ導かれた。
そう表現する。
精霊の仕業じゃ、と覚えておけばそう的を外したワケでも無い
無感動だった。
薄情者と蔑まれるのが恐ろしくて、嗚咽をこらえるふりをした。
看破されていないかという不安は残ったが。
……今日は、俺の人生における二人目の母親を見送る日だった。
正確に言えば、俺の第二の人生における一人目の母親、だが。
何か大きな挫折を乗り越えて人生を再出発したとか、そんな深い設定は無い。
俺は、読んで字のごとく生まれ変わった経験を持っているのだ。
前世で謎の大型トラックやら、神を自称する輩に関わったことはついぞ無いが、死んだ記憶も無いままに俺は生まれ変わっていた。
大学卒業シーズンが近づき、内定を取れず浪人を決意した所なんかは割と鮮明だった。
そんな愚かしい記憶達を思い出したのは、満年齢で三つくらいの頃。
物心がつくころに、徐々に紐解かれていった。
前世とは違う、魔術がある異世界。
その中の、ある王国の片隅に俺はいる。
最初は、この世界でいう「魔法」「魔術」の単語が前世における科学の概念を示す物だとばかり思っていた。
魔力の少ない一般人にも使える、村内共用の着火魔道具はいかにもライター風だったし、強力な魔道具は高価で珍しいらしいし、道具に頼らない魔術師はこの辺じゃ村はずれの偏屈爺さんくらいだ。
その爺さんだって、若い頃はもっと栄える町で働いていたとのことだし、今じゃ大した魔術も使えないとのお言葉。
魔術を見せてもらったが、光やら炎やら下手な奇術師よりも派手なパフォーマンスを見せてくれた。
爺さんがいなかったら、しばらくは地球の田舎に生まれ変わったと思っていただろう。
暦だって、年齢の数え方だって、大きな齟齬が見受けられなかった。
けれど聞いた話では獣系亜人とか、よその国にはいるらしい。
テレビで見た白人よりは若干彫りが浅いかなー、ぐらいの地味な人種に生まれ変わった身としては、一度お目にかかりたい物だ。
単に毛皮をかぶった少数民族とかいうオチでないことを祈る。
はじめは前世知識を活用して俺TUEEEEだとか考えたこともあったさ。
けれど、前世でも特別な事をしなかった怠け者が、自分から特別な事をしようなどと考えても長続きはしなかった。
身体能力は同世代の中でも群を抜いており、それを利用しつつコミュニティに馴染んでいく方向で進んでいた。
……そして新年を迎え少しして、七つになったばかりの冬。
比較的温暖で雪の少ない地方であっても、底冷えする寒さに辟易していた朝。
ここ最近は病気がちだった母へ朝食を運んだけれど、無駄になった。
身も心も冷たい人だった。
こちらを睨め付ける眼差しの鋭さに、怖じけるばかりだった日々。
「やりなさい、出来るはずよ」
礼儀作法、言葉遣い、立ち振る舞いの矯正。
しつけに厳しく、褒められた記憶も無い。
それでも、時折言われるがままに擦った手のひらの、消え入りそうな温もりを覚えていた。
だから、そうなのだと分かった。
直後に、俺はただ自分の今後を案じた。
ここのところ、自分で畑を手入れし、ご近所の内職を手伝い、生活を支えていたのは俺だ。
もちろん自分だけで十全に出来たわけも無く、大人達に手を借りた面も多分にある。
そんな周囲の支えも、母という保護者がいてこその、後々母からの見返りを期待したお情けのような物だと認識していた。
けれど俺は、医療も整っていないこの村では母が長らえないかもしれないと、万が一に備え始めていた。
追い込まれて、ようやく動き出さなくてはと焦ったわけだ。
前世からの知識で、こういった田舎の村は食うに困れば口減らしをする物だと知っていたからこその焦りだった。
身寄りの無い子供など、真っ先にその対象に上るのは自明の理だろう。
とはいえ、今まで真面目に思索していなかった俺に考えつくことなど、たかがしれている。
ついでに言えば、前世の知識を生かしての発明だとか、そのための基礎知識が無いことにもその頃に気づく始末だ。
大した事は出来なかった。
労働の中で俺自身の早熟さを示し、将来性、利用価値などをアピールしようというくらいだ。
ただうち捨てられることの無いように、学のある偏屈爺さんにすがった。
売られるにしても、読み書き計算の技能を獲て、少しでもマシな待遇を勝ち取ろうという浅知恵だ。
畑仕事や内職と平行しての勉強、そして代償の下働きは我ながらよくこなせたと思う。
僅かな学習時間から、忘れかけた前世の知識と照らし合わせての考察、応用の習得は苦行の一言だった。
この世界の、予想を超える数学の発展ぶりに辟易しながらも――江戸時代には庶民の間でレベルの高い数学が親しまれていたという話を思い出しながら――年齢の割には出来る子という評価を得た。
前世だったら、このくらい出来れば神童ともてはやされても良いくらいだが、淡々と授業を進める爺さんに褒められる事は無かった。
「怠らず、精進せよ」
……俺は褒められて伸びるタイプっすよ。
まあ、教えられた事を丸覚えしたくらいじゃ、調子に乗ってはいけない風潮なのだろう。
守破離とか、ハードルたけーよ。
嘆いても、この世界で泣き言を聞いてくれる人はいない。
内心で愚痴るのみだった。
字も大して読めない同世代のガキ共よりは村へ貢献していたつもりだが、大人達の目も厳しかったように思えた。
その同世代とも話す事は無い。
ぼっちだった。
話す切欠がつかめない。
そして距離が感じられたのだ。
大人達から、そして同調するように子供達からも。
今世にて、俺は父の顔を見たことが無い。
村人が様々な憶測を交わすのを陰で聞いたが、真相を知るものはいなかった。
若くして身寄りを無くした母は、それを機に町へ移り住んだらしい。
しばらくして村へふらりと戻ってきたかと思えば、子供――俺を腹に宿していた。
俺を生むまでは食べていけるくらいの、結構な蓄えもあったようで。
口を閉ざす母が、町でどのように日々の糧を得ていたのか。
低俗なゴシップとして、村人が俺や母を蔑む向きがあるのは仕方ないと諦めていた。
視力も耳も、常人より優れている俺にとって、非常に鬱陶しかったけど。
下手に何か言い返せば碌な目に遭わないだろうという、保身が先に立った。
正しい判断だったと思う。
けれど、子供らしく、愚かしく、母を擁護する言葉の一つくらい絞り出せばよかったとも思う。
後悔は、母の死後にじわじわ大きくなっていった。
今更何を考えているのか。
自嘲の薄笑いが人目につかないよう堪えるのは、一苦労だった。
葬儀に昼間の時間が圧迫され、急いで仕事に戻る。
光の精霊を集める照明は安上がりだが、暗くならない内に終わらせるに越したことは無い。
「今日くらい休んだって罰はあたらないよ」
近所のおばちゃんの言葉に甘えたかったが、こうやって手伝えるのも最後かもしれないと思い、普段より気合いを入れた。
先々の不安から目を逸らしたかっただけだが。
夕方にはそう自覚していた。
「……どうすればいいんだろう」
誰にも聞かれないよう潜める癖のついた独り言。
薄暗い居間の中、睨め付ける先はテーブルに乗った照明器。
火を使わないランタン形状も、最初はLEDか何かなのだと思っていた。
月光に惹かれ、夜気に僅かながら潜む光の精霊。
目を凝らせばキラキラと瞬くそれを、ランタンは集めてくれる。
意識して、砂を掬うようにかき集めれば、一時的に光量が増える。
せいぜい数十秒とか、それくらいだからやらないけど。
「……マジどうするべ」
嘆息が漏れる。
知らないところへ売り飛ばされるくらいなら、多少居心地が悪かろうと住み慣れた村が良いとは思う。
多少勉強が出来たくらいでは、村で大した信用も無さそうだった母の息子――つまり俺に、碌な仕事を与えられることも無さそうだ。
俺の優れた五感を生かして、狩人のおっちゃんとかが引き取ってくれれば非常に嬉しいのだが。
たまに手伝ってたし、獲物の見つけ方から罠の仕掛けまで、割とこなせる方だと思う。
もしも売られようが、その先で下働きするくらいならばまだ良いさ。
今より多少厳しかろうが、この世界で磨かれた雑用スキルが多少なりとも活きるだろう。
某連続テレビ小説のごとき処遇でも、必死で耐え抜く所存である。
――だが、売られた先が娼館とかそっち系の施設だったら、どうすれば良い。
この世界じゃ、結構男娼(男性向け)も需要あるらしいよ。
その文化を否定するつもりは無いが、進んで肯定したくも無い。
自分で言うのも何だが、俺はこの村でも割と美少年の部類だ。
村人達の話に、離れたところから地獄耳を傾けた結果の判断だ。
前世の美的感覚と劣等感を引きずるせいで皮肉にすら聞こえるが、そうなのだ。
多分。
いざとなったら、逃げ出して物乞いか、盗人に身をやつしてでも拒むつもりだ。
……そうなれば、確実に長生きは出来ないのだろうが。
せめて、家の蓄えが残ってれば、それを逃亡資金に充てられたんだけれど。
葬式代払ってほとんど吹っ飛んだしなぁ。
不安は膨らむばかりであった。
寝付けないまま、朝日を迎えた。
その翌日、昼下がり。
眠気を吹き飛ばす知らせが舞い込んだ。
家の扉をノックしながら呼びかけてくる声は、聞き慣れない物だった。
ああ、売られるのか。
その際に獲られる金――どうせ二束三文だろうが――は俺が頼って迷惑かけた人たちに補填されるのだろう。
そう察した俺は、頬を叩いた。
正直眠いが、あまり不躾な対応をしては、これからの待遇に関わりかねない。
そう、気を引き締めながら、扉を開けた。
「――お屋形様の命により、お迎えに上がりました」
そう告げて玄関先で膝をついているのは、その姿勢でも俺より目線が高い偉丈夫だった。
そして、俺の引き取り先が決まったのだ。
――俺、貴族の隠し子だってよ。
続くかもわからん