_◆ 30日目 ◆◆卍 その13
わたしの全身から噴き出した黒いオーラは、広場の一角を埋め尽くす。
それはまるで、この魂から漏れ出た憎悪のようだった。
己の感覚が極限まで研ぎ澄まされて、全身を全能感が満たす。
これまでに味わったこともないような力の充足。
目を瞑っていてもなにもかもが見えるようだ。
その一方。
あらゆる数値が劇的に低下してゆくのが確認できた。
ブリガンダインは裾からほつれて溶けてゆき、一期一振はまるで錆びてゆくように色を失ってゆく。
毎秒ごとにスキルはその値を減少させ、HPとMPの減り具合はいつもの倍以上だった。
うかうかしていたら数秒前にできていたことができなくなってしまうだろう。
しかしそれらは代償だ。
ただ犠牲になったわけではない。
代わりにわたしは力を得た。
戦神を屠るに足る、絶大なATK値だ。
それ以外、もはやわたしにはなにもない。
なにもいらない。
この60秒でクデュリュザのHPをゼロにすることができるのなら。
――魂を失ってもいいとさえ思う。
わたしが【ギフト】を使ったことを見て、ふたりの人物が動いた。
ひとりはイオリオ。
杖を掲げて、彼もまた。
「……【叡智】発動」
それは己の魔術の効果を倍増させる【自己強化】だ。
まとうオーラは紫色。光の花が小さく咲いては弾けて消えてゆく。
「サポートは僕に任せて思いっきりやってくれ、ルルシィール」
頼もしい。
思えば初めて出会った時から、彼には助けられてばっかりだ。
イオリオはわたしのヒーロー(真)だったね。
今一度、つぶやく。
「ありがとう、イオリオ」
「行ってこい、ルルシィール」
うん。
彼の声に背中を押されるようにして、わたしは駆け出す。
そしてレスター。
彼は手当を受けながら怒鳴る。
「デズデモーナ! 白刃姫に【付加】だ!」
「えっ、あっ、は、はい!」
「早くしろ! 時間がもったいねえ!」
「ど、どならないでくださいまし! め、めにゅ、メニューが……!」
慌ただしくする気配が背中から伝わってくる。
わたしはもう跳躍していた。
「ああああああ!」
わたしは獣のように感情を剥き出しにして、クデュリュザを強襲する。
狙いは残る三本の首のうちの一本。
空中で抜刀。刀は翠の軌跡を描く。
イオリオのかけてくれた強化術だ。
なにかは知らないが、彼のやることに間違いはないだろう。
わたしは信じて、大上段に構えた一期一振を振り下ろす。
――手応えはほぼなかった。
「なっ」
地上から驚愕の声が聞こえた。
渾身の力で振り抜いた一期一振は、たった一太刀でクデュリュザの首を斬り飛ばした。
着地したわたしの横を寸断された頭部が転がり、すぐに光の粒となって消える。
黒煙のようなオーラを引きずりながら駆けるわたしを迎え撃つのは、クデュリュザの巨大な腕。
カウンター気味の拳を右方に跳んで避けると、そこには巨大な口を開いて頭が待ち構えていた。
鬱陶しい。
片手で白刃を振るう。喉奥にまで到達するように深く深く突き刺す。
その頭部からわずかに悲鳴が漏れたような気がした。
「す、すげえ……」
怯えが混じっているような誰かの声。
わたしは笑う。
いい気味だ。
そのまま刀を引き抜くと、剣閃のように血飛沫が飛んだ。
竜の首を蹴って地上に降りる。
着地と同時に、全方向から《ヒール》が飛んでくる。
HPに視線を移す。
本当に凄まじい速度でバーの青い色が減少していっている。
まるで心臓を撃たれた人間から溢れる血のようだ。
みんなの支えがなければ、10秒も持たないだろう。
さすがにやりすぎただろうかと一瞬思い。
そんなわたしの心を見透かしたように激が飛ぶ。
「ルルシィール! さっさとそいつを細切れにしろ! 遠慮はいらねえ! 容赦もねえぞ! そいつの居場所は地獄の底にすらねえってことを教えてやれ!」
レスターはすごい。
軍団長として、今一番わたしが欲しい言葉をくれる。
剣をくれる。
腕を掲げて応じる。
「k」
刀を鞘にしまう。
腰を落とし、足を開き、左手は鞘に。
右手はしっかりと柄を握り。
レッドドラゴンを見上げる。
その瞬間、わたしは背後に気配を感じた。
だが、敵ではないのだとレーダーが告げている。
影はゆらりとわたしの横に立つ。
来た。
やっとだ。
ドッペルゲンガー。
それはわたしだ。
闇のような色をしたわたしの分身だった。
クデュリュザの頭のひとつがこちらに狙いを定める。
世界を飲み込む蛇のように口を広げる。
その喉の奥に血の交じる炎を宿す。
ブレスの予兆だ。
目測にして10メートル前後。
射程範囲内だ。
こちらのね。
刀を抜き打つ。
「《爪王牙》」
影はわたしの行動を同時になぞる。
十字に繰り出された二閃の破刃。
それは今まさにファイアブレスを放とうとしていた竜の頭部をバターのように裂く。
四枚の花弁を持つ赤い花が咲いたようだ。
天を仰ぐかつて竜の頭部だったものは、やがて光に包まれて弾けて消えた。
これで六本あった戦神の竜頭は、残りひとつ。
「ルルシさん、とんでもねーなー……」
ハルバードを抱えた傷だらけのシスが、わたしの横に並ぶ。
その残りHPは生きているのが不思議なほどだ。
人のことは言えないけれど。
わたしもレスターも致命傷を負っていた中、戦線が崩壊しなかったのは間違いなく彼のおかげだ。
よくここまで頑張ってくれたね、シス。
ずっとわたしたちを支えていてくれた。
あまり表立ってはいなかったかもしれないけど。
でも、わたしたちにとってはかけがえのない存在だった。
そして。
「――」
物言わぬ影はぴたりとわたしにつき従う。
彼女もまた、命令を与えられるその瞬間を待ち望んでいるようだった。
戦神を葬り去ることができるその瞬間を。
【ギフト】のひとつ、【影付与】。
わたしと等しき性能を持つ、もうひとりのわたし。
具現化された殺意であり、魂を持たぬ断罪者。
デズデモーナちゃんがくれた、わたしの剣。
今のわたしには、もっともふさわしい従者だ。
レッドドラゴンが再び咆哮する。
『人間が……我を……滅ぼそうとするのか……! 人間が……! ニンゲンなどが!!』
その体が徐々に変質してゆく。
全体的に一回りサイズが縮み、代わりに鱗が黒く染まった。
両腕は爪が伸び、地面を強く踏み固めている。
口には乱杭歯が生えて、より邪悪な顔に。
眼は相変わらず赤く爛々と輝いていた。
「まさかの第四形態だとお!?」
レスターが怒鳴る。
これはさすがに予想外だ。
すごいね。
恐らくは残る頭の数で形態が変化していく仕様だったのだろう。
六本の第一形態。
一本でも失えば第二形態。
三本減り、半分となった第三形態。
そして残り一本の最終形態。
本来は全ての首に均等にダメージを与えて、その後に五本の首を斬り落としてゆくのが正当な攻略法だったのかもしれない。
まあ、そんなの。
今更どうでもいいけど。
だがレッドドラゴンの引き起こした変化はそれだけにとどまらなかった。
まるで冒険者たちを取り囲むように、地中から五本の首が生えてきたのだ。
斬り飛ばしたはずのクデュリュザの首だ。
まるで柱のように彼らはその場から動かない。
ただ、歯をカチカチと噛み合わせているだけ。
「な、なんですか?」
不気味だ。
眼前に現れた竜の首を見て後ずさりするドリエさん。
気づいたのはイオリオだった。
最悪の事態を回避できたのは、彼のおかげだった。
「こいつら呪言を唱えている! 《RD言語魔術》だ!」
次の瞬間、一匹の首の近くにいた魔術師が雷に撃たれた。
竜頭が魔術を唱えたのだ。
「ひぅ!」
デズモちゃんが慌てて後退してゆく。
それは一撃で死ぬほどの威力ではなかったが。
とても見過ごせるものではない。
なんせ五本もあるのだ。
首を失ったクデュリュザが手数を増やすために生み出した眷属、といったところか。
「トーテムかよ! ざっけんなよ! 余計な手間増やしやがって!」
レスターが大盾を構えて前線に復帰してくる。
「ルルシィール、お前はレッドドラゴンをやれ! 俺たちは首を刈る!」
しかし、四方から放たれる魔術は放置できない。
一度狙いが乱れたら最後だ。
今のわたしは防具すらも“犠牲”にしている。
直撃したら――当たりどころが悪ければ――即死だ。
この状況ではパーティーの致命打になりかねない。
わたしを見下ろすクデュリュザがニヤリと笑っているような気がした。
たかがシステムのくせに。
ルーチンに支配されたmobごときがさ。
調子に乗ってさあ。
わたしはアイテムバッグから戦斧を取り出し、武器を持ち替える。
レーダーを視認。
五本の頭部のうち、一本はレスター、一本はシスくん、一本はよっちゃん、一本は魔術師たちが、そして最後の一本には生き残っていたタンクが向かっている。
レッドドラゴンは野放し。
魔術師たちの援護はあるけれども、クデュリュザに取りついていたタンクたちは、仲間を守るために散開した。
つまり、わたしとレッドドラゴンの一騎打ちだ。
燃えるね。
でも。
繰り出された爪を避けて、わたしは距離を取る。
そして、その場で回転を始めた。
斧の柄を持ち、まるでハンマー投げのように。
どうせ壊れてしまうなら、こっちから投げ捨ててやる。
狙いは――
「よっちゃん! イオリオ!」
ヘイトコントロールに長けていないふたりに叫ぶ。
「屈んで!」
彼らはわたしの意図に瞬時に気づき、反応した。
射線確保完了。
広場の両端に生えた二本の竜の首、そのそれぞれに向かって。
投擲する。
「《トマホーク》!」
わたしとドッペルゲンガーが背中合わせに放った二本の戦斧は宙を裂く。
重量級の得物がまるで矢のように飛んだ。
武器を失うけれど、その威力は三倍撃。
それを今のわたしが使用するのだ。
竜の首のゾンビなんて、床に叩きつけたざくろのように破裂した。
これでいい。
あとの三本の首は、レスターたちがなんとかしてくれるだろう。
すでにブリガンダインはボロボロに破けて、侵食がチェインメイルにまで及んでいる。
爪王ザガがドロップしたあの羽飾りはもう形もない。
一期一振は今にも折れてしまいそう。
ルビアやみんなと作ったアイテムバッグも、初期装備のひとつを残して分解消滅した。
この世界で過ごした思い出が消えてゆくようだ。
わたしの生命を表す残量がみるみるうちにすり減ってゆく。
これがゼロになったとき、この魂もまた瑞穂と同じところに囚われてしまう。
だが、もっとだ。
もっと強く。
もっと。
クデュリュザは歯の隙間から赤い息を吐き出している。
あれに触れただけでもわたしの命は奪われるだろう。
両腕の爪はまるで一本一本が大剣のようだ。
あれとわたしは剣戟を繰り広げる。
竜尾の攻撃範囲は広く、ステップではとても避け切れない。
わたしを押し潰そうと常に機会を伺っている。
相手も決死の覚悟だ。
HPバーが尽きるその瞬間まで、わたしを葬らんと爪を振るうだろう。
残り20秒。
泣いても笑っても。
叫んでも悔やんでも。
叩いても潰されても。
死んでも殺されても。
斬っても滅ぼしても。
この魂砕け散っても。
これが『666 The Life』で過ごす終焉の20秒。
クライマックスの時が来た。
「勝負よ。レッドドラゴン」
わたしはドッペルゲンガーと共に、駆ける。
すべての想いを刃に込めて。