_◆ 30日目 ◆◆卍 その12
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「先輩これ見てくださいこれ見てください!」
夏休み。
初めての大学生活に、初めての寮生活を経験して。
ちょっぴりオトナになったようなそうでもないような。
まあそんな感じで。
実家に帰ってきたわたしの元に、久しぶりの挨拶もそこそこに。
瑞穂はタブレット端末を突きつけてくる。
「んー?」
ベッドに寝転んでケータイゲームで遊んでいたわたしは、顔をあげる。
クーラーの効いた涼しい部屋から出たくないと(わたしが)駄々をこねたので、ここはわたしの自室だ。
だというのに瑞穂は満面の笑みを浮かべて、嬉しそう。
きょうの彼女の格好は、キャンディピンクのキャミソールの上に、真っ白なブラウス。スカートにもワンポイントアクセサリー。足の爪まで目立たない程度の桃色マニキュア(ペディキュアっていうんだっけ)を塗りたくっております。こないだ会ったときとはまた違うお色。こまめに変えちゃってまあ。
アップにまとめた髪は長いのに涼しげで、きっちりとサマースタイルのモテカワ風。
全体的に、あらあらかわいい、といった感じ。
うちの大学全体を見回しても、このレベルの美少女はひとりもいないだろう。
離れてみて改めてわかる、瑞穂ちゃんのハイスペックっぷり。
ていうか、歩いてこれるような距離なのに、そんなにオシャレしちゃってまあ。
部屋着でタンクトップにショートパンツのわたしが、まるで女子力低いみたいじゃないか……(違わない)
「おー。新作MMOの話ね」
「ご存知でしたかぁ?」
「ううん知らなかった。最近コンシューマーばっかりで」
「ふふーん、これ、あたしが目をつけたとびきりすごい情報なんですからねぇ」
正直、瑞穂情報はあんまりアテにならないことも多い。
「ほー、どれどれ」
身を起こし、タブレット端末を受け取ってページをスライドさせる。
それは企業が運営している某ゲームサイトの記事のようだった。
タイトルよりもまず、開発会社が目に留まる。
「アーキテクト社。聞いたことないね」
「なんでも、このゲームのために設立された会社らしいですよぉ」
瑞穂が隣にやってきて、ベッドのスプリングが軋む。
なんだかとても女の子の良い香りがして。
「あれ瑞穂、香水つけてきた?」
そう指摘すると、彼女は驚いたような顔でこちらを見る。
ぎこちなくうなずく。
「え? ええ、まあ、はい」
なんか微妙に照れてるみたいだけど。
センスの良い香り。ほのかに甘い感じね。
前はそんなの使っていなかったのに。
ははーん、そういうことか。
「わたしが大学生活している間に彼氏でもできたのね?」
「いいえちっとも」
あれ、外れた。
ていうか今度は頬を膨らませているし。
「じゃあ気になる男の子とか」
「女子高でどう知り合えっていうんですか。いいから次のページからが大事なんです次のページからがぁ」
わたしの脇から手を伸ばしてきて、勝手にページをスライドさせる瑞穂。
その声には若干苛立ちが含まれているようだ。
一体なんなの。
まさに瑞穂心と秋の空。
まあいいや。考えたって仕方ない。
記事に目を向ける。
「ふーん、1万を越えるありとあらゆる“スキル”が存在する新作MMORPG、来春サービス開始予定……いや、すごいねこれ」
「ふふぅ、でしょうぉ~?」
「記事に書いてある通りのクオリティだったら、だけど」
「こらこらぁ、疑り深いですよぉ」
いや、でもこれ結構すごいかも。
記事にはプロモーションムービーも貼りつけられていた。
動画を再生する。美麗なグラフィックの世界に、素敵なキャラクターが立ち回りをしている。スキル欄には実に様々な名前が並んでいる。
今、国産MMOでこれほどのレベルの作品は、そうそうないだろう。
「へえ、いいんじゃないかな、これ」
ムービーの中ほどでタイトルが現れる。
――『666 The Life』
獣の数字? なんとも不吉なタイトルだけど、その後の部分はシンプルだなあ。
「どうですかぁ?」
動画再生が終了し、こちらに感想を求めてくる後輩に。
わたしはうなずいた。
「うん、面白そう」
「じゃあ決まりですねっ」
瑞穂はきゃいきゃいとはしゃいでいる。
わたしも指折り数えながら、計画を立て始める。
「それまでにバイトして、PC新調しないと……」
一体いくら必要なんだろう。
10万円ぐらいあれば足りるかしら……
「あ、でも瑞穂はその前にお受験があるんでしょ」
「ぎくう」
わかりやすい悲鳴をあげて固まる瑞穂。
「もう志望校決まったのよね。どこにしたの?」
「ええ、まあ、それが……あたしにはちょっとレベルが高いというか、少し頑張らなきゃいけないところでしてぇ……」
もじもじしてスカートの裾をいじる。
基本的に高望みしない瑞穂ちゃんにしては、ずいぶんと思い切ったもんだ。
「ゲームばっかりしちゃだめだよキミ」
「ちゃんと予備校通ってますしぃ!」
こちらに身を乗り出しながら叫ぶ瑞穂。
しかし意気消沈する。
「でも……夏を我慢したとしてもですね……年末は、クリスマス商戦は、とっても素敵なゲームソフトがたくさん出るんですぅ……あの大作ゲームの続編とか、あの会社の新作ソフトとかぁ……」
「諦めなさい」
わたしも去年通った道だ。
「うう」
身も蓋もないわたしの言葉に、彼女は頭を抱える。
まあでも、その代わりといったらアレだけど、大学入ったらしばらくは楽できるからさ。
「いいじゃない。大学合格して、それで新しい気持ちで春の新生活を始めようよ」
「……新生活。※ただしネットゲームに限る。ですね」
「どんだけ『666』を楽しみにしているの。大学生活も同じぐらい楽しみにしなさいよ」
「けっこー楽しみにしていますよぉ? えへへぇ」
ぱちぱちと瞬きをするたびに、ふんわりとしたまつげが揺れて星が飛ぶようだ。
なんだろう、その意味ありげな眼差しは。
しかも顔近いし。
「えっと、瑞穂」
「はぁい?」
彼女の細い肩を押し返す。
距離を取りつつ、つぶやく。
「……わたしがいなくなって、さぞかし寂しい高校生活を送っているのだね」
「なんかしみじみと言われると悲しくなってくるんですけどぉ」
半眼で睨まれて、わたしは彼女の肩をポンポンと叩いていた――
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どうして今、そんなことを思い出しているのだろう。
わたしはその場に崩れ落ちていた。
散々みんなに偉そうなことを言っておきながら。
仲間がひとりいなくなっただけで、わたしはこのざまだ。
いつの間にか、涙が頬を伝い落ちていた。
どれくらいの間、自失の体だったのだろう。
本来ならそんなの、戦闘中に絶対やっちゃあいけないことだったんだけど。
数秒か、あるいは数十秒の間だったか。
沈んでいたわたしを引き上げたのは、決死の呼び声だった。
「……っかりしろ! しっかりしろ!」
誰かがわたしに叫んでいる。
イオリオだ。
「まだ大丈夫だ! ルビアさんはきっと助かる! だから今は!」
「……あ……」
漏れた声はまるで白痴のようだ。
拳を軽く握り締める。
「クデュリュザを倒せばいいんだ! 僕たちならきっとできる! 戦うんだ、マスター!!」
「あいつを……」
そうだ。
わたしの目に光が宿る。
両足に力を込めた。
大丈夫。
戦える。
精神状態なんて関係ない。わたしのパラメータはHPもMPも全回復だ。
なら立ち上がれ。
刀を持ち、相手を見据えろ。
そうだ。
殺せ。
殺せばいい。
「ありがとう、イオリオ」
意識が澄んでゆく。
状況はひどい。
まずレスターだ。
ギリギリで一命を取り留めた彼は手当を受けているが、前線に復帰するにはまだかかる。
その間にも更にひとりの死者が出ている……
残るタンクはシスくんを含めて残り三人。
たった三人でクデュリュザの猛攻を受けて止めているから、魔術師たちも全員で《ヒール》に回っている。
皆、MPに余裕がない。
それなのにクデュリュザのHPは残り三割弱も残っている。
このままでは全滅してしまうだろう。
けれど。
(だからなに?)
わたしは己に問いかける。
ここでクデュリュザを見逃す?
ありえない。
口元に笑みが浮かぶ。
ありえないでしょう? そんなの。
わたしの大切な後輩の魂を奪っておいて。
わたしたちを皆殺しにして逃げるつもり?
許すものか。
わたしは【ギフト】のメニューを開く。
指を動かして操作する。
もうなにもいらない。
瑞穂以上に大切なものなど、ない。
>【武器耐久値】をベット。
>【防具耐久値】をベット。
720時間。
ドミティアを生きたこのデータを捧げて。
>【全所持金】をベット。
>初期スロット以外の【アイテムバッグ】をベット
>【名声】をベット。
>【修得した全てのスキル】を限界までベット。
この世界に。
引導を。
わたしは立ち上がり、刀を付き出して。
赤き竜に、吠えた。
「――【犠牲】!!」