◆◆ 30日目 ◆◆卍 その6
「や、やめ……っ!」
赤黒い触手は青年の体を弄るように鎧の中に入り込んでゆく。肌を締めつける不快感に彼は表情を歪ませた。胸を圧迫されて、呼吸が自然と荒くなってゆく。
「あっ……くっ……!」
シスの引き締まった細身の肢体からはぬめぬめとした魔物の分泌液が滴り落ちて、地面を濡らす。全身に渾身の力を込めるが拘束は解けずそれがかえって彼を強く苦しめる結果となり耐え切れず子犬のような悲鳴を漏らすその顔はまるで辱めを受けているように赤らんでいて――
「いい加減戦ってくださぁい!」
「ぐはっ!」
戦闘中に猛烈な勢いでタイピングしていたわたしの後頭部に、ルビアの延髄蹴りが見事に決まった。《美脚》スキル強し。
くっそう、せっかく触手モンスターが出てきたから、最初にシスくん、次にルビア、よっちゃん、ドリエさん、デズデモーナさん、最後にイオリオが触手に捕まってもがいているシーンを書こうとしてたのに……
計画が頓挫だよ!
いや、でもうん、わかるよ。
こういうことをするから『お話に品がない』って言われるのよね。
……ええと、なんの話だったか。
そうだ、進行状況だ。
前回わたしたちはカトブレパスを退治し、様々な困難を乗り越えてここまでやってきました。
残っていた門番は二匹。どちらも凄まじい強さだったけれど……
わたしたちは勝利を得ることができました(数の力で)。
戦闘シーンはちょっとお見苦しいものだったので、ダイジェストでお送りします。
ぶっちゃけ、囲んで棒で殴るだけの、割と雑な戦いだったから……
五番目の中ボスは本体が地面に埋まっているローパー。イソギンチャクみたいなボスで、うねうねとした無数の触手を全て切り落とした後に出てきた本体に火魔術の一斉掃射で片付きました。
六番目の最後の中ボスは15名のファランクスからなるアンデッド騎士団でした。多分『666』的になにか元ネタがあるんだろうけど、ちょっとよくわかりませんね。一匹一匹もだいぶ強く、まともに戦ったらホント大変だったろうけど、まとめてこんがりとドリエ率いる魔術団が焼きつくしました。
数の暴力って怖い。
ともあれこれで、わたしたちの行く手を阻むものはいなくなりました。
あとは突き進むだけです。
すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
風……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、わたしたちのほうに!
その後、散発的な野生動物との戦闘や、ラストダンジョンにふさわしい凶悪な罠の数々(即死クラスのものが割とゴロゴロと)をくぐり抜け、わたしたちは【地端地】の中枢と思しきところまで到達いたしました。
その頃には各スタート地点から集まってきたギルドも続々と合流し、ますます怖いものなしです。
閉じ込められて魔物が襲いかかってくるトラップに引っかかって、フル・インペリアルがまるごと全滅したりしたけれど、そんなのもう些細なこと。些細なこと。
だってわたしたち、まだ300名以上生き残っているし。いや、それでもずいぶん減っちゃったけどね。
あ、先ほど騒動を起こしたダーくんは、ウサギに蹴られてやられてました。何のためにやってきたのか。
ルビアちゃんに会うためだよ、ってアホですか。
間違いない、アホだった。
行き止まりには、遺跡で見つけた石碑をさらに豪華にしたようなモノリスが大地に刺さっておりました。
イオリオが指を触れると、見たことのない文字たちが輝き出します。
それが恐らく最後の謎解きだったのでしょう。
モノリスが真っ二つに割れると、その先の壁も音を立てて崩れ落ちてゆきます。
そこはこれまで以上にもっとも広い空間となっておりました。ひとつの学校の全校生徒にも匹敵するような、300名が入ってもまだ余裕があります。
その中心にあるのが、巨大なヘキサゴンドーム。
壁という壁には魔術文字が刻まれていて、なにかを厳重に封印しているような物々しい雰囲気があります。
恐らくここが、レッドドラゴン封印地点。
古代“英雄種”と呼ばれた冒険者たちの魂を飲み込み、暴虐の限りを尽くした邪神の棲まう地。
いつの日か、六神の施した封印の解ける日を夢見ながら。
クデュリュザの眠る地。
【地端地】に突入して、もう半日ほど。
ついにここまで来た、って感じよねー。
感慨深いですわあ。
ずっと戦いづくめで、わたしはヘトヘトだ。早速再編成に取り掛かろうとしているレスターは、ホント鉄人だなあ。
到着後、間もなく。
「ギルドマスターは3分以内に集合しろ! 最後の会議を始めるぞ」
全軍に呼びかけるレスター。
はいはーい。今いきますよーだ。
後ろから「がんばってくださぁーい」とルビアのてきとーな声援が届きました。
封印された門の前にいるのは、各ギルドのマスター。マスターが死亡したギルドは代役が会議に参加しています。
遺跡の時点では13名でしたが、現在はなんと29名。超増えてる。
扉を調べているのが、<キングダム>の頭脳ドリエさんと、<ウェブログ>の四色魔術師イオリオ。
その間に、レスターが皆に語る。
「まずは、ご苦労様だ」
ばらばらに座るアクの強い連中を束ねるギルドマスター、悪魔族のレスターはひとまずねぎらいの言葉をかけてきます。
「この奥に、ゲームのラスボス――『レッド・ドラゴン・クデュリュザ』がいやがる。そいつを倒してめでたくクリアーだ。俺たちは現実世界に帰ることになる。やり残したことは山ほどあるだろう。だが、ここは俺たちの現実じゃねえ。閉じ込められた牢獄だ。誰かの都合で勝手に押し込められた檻さ。俺たちのあがくさまを今でも、その誰かさんは高みの見物で笑って見ているんだ。ヘドが出る話だぜ」
レスターは手のひらに拳を打ちつける。
その眼光は炸裂する寸前の爆弾の輝きだった。
「まさかあいつらだって、俺たちがたったの一ヶ月で脱出するなんて思ってもいないはずだ。ナメてんだよ、俺たちを。所詮ゲームしかできねえ連中だろ、ってな」
彼から漏れでた熱が辺りに伝導してゆく。
わたしたちは今、レスターの激情を共有していた。
「ムカつくだろ? ぶち壊してやろうぜ。この俺たちの力でな!」
何人かが吠えた。自然と発生した《ウォークライ》のエフェクトが29人のギルドマスターを包む。
うーん。
さすがレスター、熱い男。
わたしにはこういうの真似できないな。
素直にかっこいいと思う。
一方、イオリオがこちらに向き直ってきます。
「やっぱりだ。人数制限がかかっているようだ」
む。
やはり、Zone instanceかー。
インスタンスとは『MMORPGの中にあるMO部分』と説明すれば、わかりやすいだろうか。
要するに、“人数制限のかかった隔離されたエリア”のことです。
新しいMMOはこのシステムを採用しているものが多い。そのメリットは様々だが、今の場合は『戦闘バランスを整えやすい』ことが挙げられるだろう。
つまり、今までのように300人でのゴリ押しの攻略は通用しない、ということだ。
あとは人数次第だけど……
「同時に突入できる定員は15名。ファランクスまでのようだ」
少なっ。
せめてインペリアルかと思っていたのに。
辺りのギルドマスターたちが口々に不満を漏らしていきます。16名のギルドだったらラスボス退治がひとりお留守番になっちゃうもんな。ひどい仕様だコレ。
「ちなみにログには『あまりにも封印が強固なため、その隙間を通ることができるのは15名までのようだ……』って書いてあるな」
そんなストーリー的な補足はいらないんだよ!
しかし、人数問題はインスタンスというシステムが持っている根本的な矛盾――ゲーム性を高めるためにMMOをMOに落としこむというデチューン――だから、どんなに上手なゲームでも絶対に解消はされないんだけどね……
でも逆に考えれば、攻略する上ではこれはむしろラッキーだ。
誰かが一度でも『レッドドラゴン』を倒せばいいのなら。300名が15名ずつ突入するってことは、つまり20回もチャンスがあるってことだから。
レスターはわたしを見る。
う、嫌な予感がする……
けれど、彼はわたしをNPCして、他に目を向けました。
「突入してみたいギルドはあるか? いなければ、<キングダム>から15名出そう」
彼は『自分が行く』とは言わなかった。
わたしに『来い』とも。
そうか、まずは様子見なんだね。
レスターは絶対に自分の手で『レッドドラゴン』を殺害したいはずだ。そのためにここまでやってきたのだから。
つまり、彼が募集したのは“捨て駒”だ。
そんなことは誰もがわかっている。
けれども。
「俺がいこう」と真っ先に手を挙げた男がいた。
それは、ここまで生き残ってきたブネおじさんだった。
「先遣隊として玉砕するのが務めだとしても、今ここで挑まなければ、今までやってきた甲斐がないからな」
その一方で、野心を隠すこともない。
当たり前だ。ここまで来たんだから。
ネットゲームユーザーなら、当然の思いだ。
ブネおじさんが挙手した直後、多数のギルドマスターたちが特攻部隊に立候補した。
たとえ死んで情報を持ち帰るのが仕事だとしても、戦わずして死ぬよりはずっとマシだと思っている。
ネットゲームは、参加することに意義があるのだから。
「わかった、みんな一旦落ち着け」
レスターを皆を見回すと、自尊心と恐怖がまぜこぜになった冒険者たちに告げる。
「第一部隊のレガトゥス(軍団長)はブネだ。頼んだぞ」
命じられたブネは、仰々しくその場に膝をつく。
王にかしずく騎士のように。
「仰せのままに、だ」
にやりと笑う。
そういうことになった。
で、今、わたしは急ごしらえの壇上にいます。
なぜこうなったし。
最初はレスターが『せっかくラスボス戦なんだ。なにか盛り上げてくれよ』と言ったのがきっかけ。
『ならばわたくしが演説して差し上げますわ!』と立候補したデズデモーナさんだったが、『うっせえ』とレスターに一蹴されて。
指差されました。
『じゃあ白刃姫、頼んだぞ』と。
ドリエさんがうなずいて、イオリオも賛成。なぜかブネおじさんまで同意してきました。
そして、わたしは300名の前に立たされています。
これなんていじめ?
っていうか何を話せばいいの。
「なんでもいいだろ。お前のお得意のご高説を並べてやれよ」
傍らに立つレスターがニヤニヤしながら告げてきます。
無茶振りすぎるでしょう。
『レッドドラゴン』を斬ったその次のターゲットは、レスターだな……
えーと、まあ。
こういうときにモジモジしているのって一番かっこ悪いからね。なんでもとりあえずそれっぽく言えばいいんでしょう。
600個の目なんて気にしない気にしない。
あいつら全員NPCよ。
「えーと……」
コホン。
「とりあえずみんな、ようやくここまでやってきたね」
話しながら考えようと思ったけれど。
案外、言葉はするすると溢れ出た。
「この30日間、色んなことがあったよね。初めてのクエストで満足に戦えなかったこと。オークに追い回されたこと。ダンジョンで落とし穴に引っかかったこと。長い船旅。強敵を前にした死闘。いくつもの夜を越えて、ここまでやってきたね」
多分言いたいことはいっぱいあったんだと思う。
このゲームに、そして、このゲームを一緒に遊んできたみんなに。
「みんな、本当にお疲れ様」
頭を下げる。
「辛いこともたくさんあったと思う。慣れないベッドや、勝手の違う体。誰も知っている人のいない世界に投げ出された不安。心細さ。戦闘では痛い思いもするし、自分の体より大きな相手と殴り合うなんて、最初はすっごく怖かった。でもさみんな、そんなのもう全部忘れちゃったよね。わたしだってそう。今は楽しいことしか思い出せないよ」
300人もいるのに、わたしの声は遠くまで響いていた。
これも《指揮》スキルのおかげだろうか、と思う。
「色んな人たちと旅したね。色んなところに冒険にいって素敵な発見をしてさ、見たことのない景色に出会って、色めき立って。ああ、わたしたちは今冒険をしているんだな、って実感して。一日一日が、驚くほどの早さで過ぎ去っていったよね。明日は何をしようかなってワクワクして。朝が来るたびに胸が高鳴ったね」
思い出すたびに、わたしの心は満たされてゆく。
「『666 the life』はわたしたちに世界をくれた。宝石のつまった宝箱みたいな世界を。わたしはこのゲームで生きてきて、この場に立っていることを誇りに思う」
しかしそれももう、おしまいだ。
寂しくないなんて言ったら嘘になるけれど。
終わりがあるからこそ愛おしいものだって、必ずある。
例えば学生生活のように。
「よくここまで来たよね、わたしたち。たった一ヶ月のことだなんて思えないほど、濃い毎日だった。あとはわたしたちの手でこのゲームを終わらせるんだ。他の誰でもない、わたしたちの手で。正義を執行し、胸を張って現実に帰ろう。仲間とともに、最後の敵を打ち倒そう!」
わたしは拳を突き上げた。
「きょうが『666』最後の日だ! ドミティアを救うのはわたしたち冒険者に他ならない! この物語にピリオドを打つのはわたしたち自身よ! 全身全霊の力を持って、滅びの神クデュリュザを討ち滅ぼすの! そしてみんな、絶対に生きて帰ろうね! わたしたちは現実世界で再会しよう!」
熱狂が場を包み込む。
拍手の渦の中に立ち、わたしは冒険者たちの姿を眺める。
老若男女。種族も様々。ただその顔には皆、誇らしげな笑みがあった。
ここに立つと、わたし自身がまるで英雄譚の登場人物になったような気がしてくる。
今わたしは、伝説の中にいるのかもしれないと、胸がじんと熱くなった。
「ありがとうね、みんな。本当に、ありがとう」
手を振って壇上を降りると軽く目眩がした。
レスターに手を借りて、わたしは列から離れてゆく。
今でも喧騒収まらない冒険者たちの姿は、まるで文化祭の後のキャンプファイアーの火のようだと思った。
【地端地】の肌寒い気温が、今は心地良い。
レスターが笑いながら肩を叩いてくる。
「時代が時代なら、フラッシュ化するような名演説だったな」
「茶化さないでよ、もう」
「これで褒めてンだぜ」
そばで囁くように告げられて、少しだけドキッとした。
こんなときだけまじめになって。
そんなのわかっているから、こっちが冗談で返したんだってば。
すると、列の中からこちらに歩み出てくる一団があった。
ブネさんと、彼の率いるファランクス。
タンク4名、アタッカー4名、魔術師7名からなる、選りすぐりの戦士たち。
そして、これから死地に向かう英雄たちだ。
プレートメイルを全身にまとった完全武装のブネさんは、小さく頭を下げてきた。
「thx、ルルシィール。勇気をくれて」
そんな大したことしてないけど。
でも、力になれたのなら嬉しいな。
わたしは親指を立てて彼を見送る。
「np、武運をあなたに」
ブネさんは笑って、封印の扉に向かう。
開いた扉は光に包まれていて、その先がどこに繋がっているのかはまったくわからなかった。
ひとり、またひとりと扉の中に消えてゆく。
彼ら<シュメール>の15名の冒険者がいなくなってゆく。
祈るような気持ちで、わたしは彼らを見送る。
その後ろ姿が消えても、ずっと。
ずっと。
しかし部屋の中からコールはなかった。
そしてこちらの連絡も――まるで闇が遮っているかのように――届かなかったのだった。




