●視界に関して
見えている範囲の違い。
●視界に関して
男性の視界は通常、一直線なため、横方向は見えない、見えていないことが多い。空間認識は優れているのですが。
女性には、横方向が見える方が普通です。
男性に前を向いて立ってもらい、横側の少し離れた位置に、別の誰かに立ってもらいます。そうして、前を向いたままの状態で、相手の表情や服装がどんなものに見えるか、質問してみて下さい。
ほとんどの男性は、答えられません。かろうじて、シャツを着ている、とか、ズボンをはいている、と言うぐらいでしょう。
女性に同じ実験をすると、ほとんどの女性は、ほぼ全てに答えてくれます。シャツの色、ズボンのしわ、相手の髪形まで言及するかもしれません。(ただし、幼い子どもや十代の少女には、わからない事もあります。大人の女性の場合は、大体答えられます)
なぜそうなのか、と尋ねられても、脳の働きがそうなっているからだ、としか言えません。男性と女性は、そういう所が違うのです。
しかし、人間は、自分の見ているもの、聞いているもの、感じているものを、基本にして全てを判断します。
そのため、男性は、視界というものは、誰にとっても一直線に開けているものだ、と考え、逆に女性は、視界というものは、横に百八十度に開けているものだ、と考えます。それが自分にとっては当り前だからです。
その結果、どうなるかというと、
男性は、相手の横か、斜め辺りに立っていれば、自分の表情は相手には見えないのだと思うようになります。自分がそうだからです。
しかし、女性には、まともに見える位置です。だから女性は、相手も自分と同じように、見えているはずだと考えます。
つまり、男性が、女性に嘘をついたり、誤魔化したりして、相手の見えない(と思われる)位置で気をゆるめ、馬鹿だなあという感じに笑ったり、舌を出したりした場合。
女性には、目の前でそうされた、としか思えません。実際、見えているからです。
大体、その辺りで喧嘩になります。
「馬鹿にするのもいい加減にしてよ! 全部見え見えなのよ!」
「ええ? なんで? こっそりやったはずなのに、なんでバレたんだよ!」
バレるも何も、男性は最初から、女性の目の前でやってしまっているのです。
親しい間柄なら、喧嘩になって、一応、発散のようなものはできるでしょう。問題は、それほど親しくない相手の場合。
その場合、女性はわざわざ、相手に見えていると指摘することはありません。
相手はわざと、自分に見せつけるためにやっているのだ、と考えます。
嘘をつく。誤魔化す。馬鹿にする。
そうした全てを、自分に見せたくて見せているのだと解釈します。なぜなら、女性には見えているから。
「この人、目の前で馬鹿にしても理解できないぐらい、わたしが馬鹿だと思っているのかしら……」
怒る人もいれば、冷静に無視する人もいます。反応は様々ですが、ほぼ共通していることは、
「こんな事をするなんて、この人、よっぽど頭が残念なのね……」
という思いを相手に抱く事です。……まあ、普通、仕事中であれ遊び中であれ、相手を馬鹿にする言動を繰り返し続ける人は、社会性や常識がないと思われますから。
とりあえず言える事は、
相手を侮り、馬鹿にした言動を取った場合、女性には最初から見抜かれている。そうしてその場合、その女性から良い感情を持ってもらえることは、ほとんどない。
と、いうことです。
注意していただきたいのは、わたしは、誰かをこっそり馬鹿にしろ、と言っているわけではありません。
相手を馬鹿にした言動というのは、男女を問わず嫌なものです。最初からしないのが一番です。
そういう事を繰り返す人は、表情にそれがこびりついてゆきます。
十代、二十代ではまだ大丈夫ですが、三十を過ぎた辺りから、相手を見下げた、嫌な表情が、顔に張りついたようになって、消えなくなります。
自分では気づきません。鏡で自分の顔を見る時は、何も考えずに見ているからです。けれど、誰か、人に対して顔を向けた時。感情が動きます。表情が現れます。
その時、こびりついた悪意や害意が、何とも言えない嫌な表情となって、顔全体に現れます。
四十、五十になると、その表情が、普段の顔になってしまいます。長年続けていたために、表情筋がそのように固定されてしまうのです。顔のあちこちが微妙に歪み、悪意や害意が標準装備。こうなると、ちょっとやそっとでは戻りません。
顔は、自分で作るもの。普段の自分の言動はどうであるのか、時々チェックしてみて下さいね。




