やってきた親善大使(2)
お前の記憶がどこまで定かでないのかは知らないが、と前置きして、最低限の知識は持っているべきだ、と道すがらブライドは自分に話してくれた。“道すがら”といえど空の上だ。今はうまく風を操れているらしく、二人は静かに空中を移動していた。
今、ティナがいるのは『イグニス』と呼ばれる国だという。『イグニス』『聖ルシエル』『ミト』『ネイトルード』『スフィリア』、それら五つの大国と、その他小国によってこの世界は形づくられている。機会があれば地図でも見ながら教えてやるよ、そう言いながら、ブライドは前方へと目を凝らす。飛び続けて30分程たっていただろうか。二人の目前には、城が見え始めていた。
正面からではなく、裏門へと回って、そのまま門を飛び越えた先にブライドとティナは降り立った。エンヤの家での着地騒動を思い出し、一瞬身構えたティナであったのだが、ゆるやかに無事着地して、少しほっとする。その様子を見て、ブライドは笑った。
「予想外だったみたいだな?」
「・・・・・うん」
「ここは、まがりなりにもこの国の中心だからな。オレのチカラを行使しやすいように、結界が張ってある。だから、風の流れも読みやすいんだ」
そう言われて、ティナは納得した。それに・・・・・
ティナはもう一度ブライドを見る。自分よりも1,2歳年下かと思われるこの金髪碧眼の少年は“王子”だといっていた。その事に関しての説明は、まだ受けていないが、一般に王子というば、その名の示す通り王の子。ここがイグニスという国だというのならば、まさに次期イグニス王だ。いや、場合によっては、名称は王子でも、二親が健在でなければ、実質国王ということもありうる。ならば、この城はいわば彼の家。主に有利になるように、結界には、より風に同調しやすくなるような作用があるに違いない。
それにしても、
王子…ね。あまり、似合わないけど。
確かに出会った時に思ったとおり、見た目は悪くない。品もよさそうだ。
面倒をみてもらっておいてなんだが、いい意味で少年らしさを失っていない彼に、ティナはそんな事を思っていた。
「王子!」
ばたばたと駆けつけてくる兵士の足音に、二人は振り向いた。
「さすがに今回は早かったな。ま、当然か」
一人つぶやいて、ブライドが前へ出る。何かを言おうと口を開きかけたその兵士を制して、言った。
「分かっている。すまなかった。で、ホナミ殿は今どちらだ?」
「は、はい。ホナミ様はエアトス様とご一緒に中庭へと出ておられます」
「そうか、分かった。じゃ、悪いが取り急ぎ中庭でのお茶の準備を頼む。それとオレのマントを持ってきてくれ」
「は、はあ。ですが、お召しかえをなさるのでしたら、一度部屋に戻られたほうがよろしいのでは?」
不思議そうに言う兵士に、ブライドは逆に返す。
「ちなみに、ホナミ殿がここへ到着されてからどのくらい経つ?」
「1時間ほどです」
「…聖ルシエル帝国の王子を、これ以上待たせるつもりか?」
「はっ、はい、申し訳ありませんでした! 仰せの通りに!」
一礼すると、その兵はくるりと駆け出していく。
始終、慌てていたらしく、とうとうティナのことには気づきもしなかった兵士の後姿を見送り、ブライドはつぶやく。
「着替えていたんじゃ間に合わない」
「でも、いいの? あなたが王子だっていうのなら、その『ホナミ』という人も偉い人なんでしょ? それなりの服装って、大切なんじゃない?」
「お前・・・・記憶ない割には、案外非常識でもないんだな」
「それはブライドの偏見。それとこれは、別」
むっとして、だが淡々と返すティナにブライドは苦笑した。
「まあ、普通はそうさ。でも、ホナミ殿に限っては大丈夫だろ。あの方は、あまりそういった形式にとらわれないんだ。大体この国へ来てるのも、親善大使としての定期的な職務上の理由より、「暇つぶし」と「ストレス解消」だと、本人も言っていた」
「・・・・自分の国がそんな目的で利用されて何も思わないの?」
「いや? かえっていいんじゃないか? オレはホナミ殿の国にも子供の頃一度だけ訪れたことがあるが、、、なんというか、かたっ苦しくてな。・・・・だから、ホナミ殿の気持ちもなんとなくだが分かる。この国は、いい国だ。民も兵士もみんな正直で素朴で」
王子であるがゆえの親バカ的発言だが、
・・・・・・ブライドもね。
ティナは笑みを浮かべた。
そうこうしているうちに、遠目に先程の兵士が紫色のマントを持ってくるのが見えた。
「紫は、一応このイグニスでは特別な色に属する。王族や一部の貴族にしか身につけられない高貴なものとされているんだ。あれさえ羽織っていれば、最低限の礼儀は果たせるだろう」
そこで、くるりとティナの方へ向き直る。
「さて、ティナをここに一人置いていくわけにはいかないんだが・・・・」
あの、慌てふためいてこちらへやって来る兵士に身柄を預けるのも心もとない。
そんな思いが顔に出ていたブライドに、ティナは告げた。
「私に、いい考えがあるわ」
「やっと戻られたか…」
傍にいた兵士にひそひそと耳打ちされて、エアトスは息をつく。王子であるブライドが城を抜け出して、ぶらぶらすることは、そう珍しいことではない。むしろ、日常茶飯事だ。時折、注意してはいたのだが、それを素直に聞くような王子でもなく。民の様子を見て廻るのも、役に立つこともあるだろう。薬草仙女の異名を持ち、博識として名高いエンヤのところへ出入りしていることも知っていた彼だ。多少、多めにみていたところはあった。しかし今回ばかりは・・・・
今後は、少し王子への監視体制を見直さねばなるまいな。
眉間にしわをよせ、エアトスは兵士を下がらせた。
王子が戻りしだい、仕度を整えさせ、自分にも報告するようにと、外回りの兵士達には言いつけておいた。いつもブライドは、そのチカラを使って戻ってくる。目を皿にして、空を見張っていたのだろう。ブライドがつぶやいたように、いつもよりも早く、兵士達はブライドを発見した。二人の元へと来たのは、そのうちの一人だったわけだ。
やがて、足音とともに、ブライドがやって来る。かろうじて紫のマントを羽織ってはいるものの、明らかに公式の衣装ではないその姿に、エアトスは眉根を寄せる。だが、仕方がない。1時間程度で済んだのならば、まだマシなほうだ。小言のひとつも言いたいところだが、ホナミ王子のいる今は、控えておかねばならない。
「・・・・お待ちしておりました」
「ああ、すまなかったな、エアトス」
黙ってうなづきはするが、背後に黒いオーラが漂っているようなエアトスに、ブライドは内心冷や汗ものである。
後で手ひどくやられそうだな・・・・
考えたくない近い未来の出来事にへきえきしつつも、前方にいたホナミに声をかけた。
「お待たせしたようで、すみませんでした、ホナミ殿。その、あなたがいらっしゃると分かっていたのに、このような・・・・言い訳のしようもありません」
ホナミはにこやかに笑う。
「かまいませんよ、ブライド王子。ボクの相手は、充分にエアトス殿がして下さっていましたし? 何せエアトス殿とは、今日が初対面でしたから。それなりに楽しかったですよ。それに、遅れたお詫びもかねて、そんな可愛らしい子も連れて来てくれたみたいですしね」
ホナミと同じように、エアトスもそちらへ目を向けた。
美しい漆黒の髪をなびかせて、少女は黙ってブライドの後ろに立っていたのだった――