名前に秘められし呪い
ティナ/漆黒の瞳と髪を持つ記憶喪失の少女 どこか毅然としている
ブライド/ティナの処遇に困る金髪碧眼の少年 とりあえず、彼女に「ティナ」という名前をつけ、エンヤ婆のところへ来たものの…
エンヤ婆/ブライドの知り合い・薬草仙女の肩書きを持つ・博学
「これでよかったのか?」
咳をしながら、ブライドが戻ってくる。差し出されたのは赤い本。
「ご苦労。すぐに分かったろう?」
「ああ。しかし――たまには掃除くらいしろよ」
埃だらけのその本を手に取り、表面の埃を払うエンヤ。巻き上がるそれを避けて、ブライドがしかめ面をする。
「あまり立ち入ることのない部屋だからね。あそこに置いてあるものの中身はほとんどあたしの頭の中に入っているしねえ。」
「分かった、分かった。それはもう聞き飽きた」
そんな掛け合いから、二人が長いつきあいなのだろうと思われる。微笑ましいというべきか、ティナは口元へ笑みを浮かべた。
「さて――」
パラパラ、とエンヤは本をめくっていく。そうしながらティナに言った。
「すまないが、ティナ。お前の腕を見せておくれでないかい?」
一瞬、ブライドと視線を合わせながらも、彼の戸惑ったような顔つきに、ティナは黙って先程包帯をしてもらったばかりの右腕を差し出した。
「エンヤ婆?」
じっと、ティナの腕を見つめ、本を見つめ・・・数十秒もしないうちに声をあげるエンヤ。
「・・・あった。ここをごらん」
エンヤの指し示す指の先を追う二人。数百項はあろうかという本の、まだ初めの十数頁目に、それはあった。
?????
奇妙な形の文字。いや、記号だろうか。ブライドはますます困惑する。少なくとも自分が知る限り、こんなものは見たことがない。この世界にも幾つかの国があり、文化の違いから多様な文字もあるが、明らかに系統が違っている。短く太い文字らしきものがあり、その後に同じく一定間隔で、読めはしないが同じようなものがやや小さめに羅列されていた。その体裁から考えられることはひとつだ。
――辞書――
どこともしれない場所で、何かの文字で書かれた言葉の解説書。ティナも同じ考えに辿り着いたらしい。しかし、読めもしない文字を指し示されても、どうすればよいというのか。
「お前たちに読めるとは思っていないよ。あたしだって全てが理解できるわけじゃない」 エンヤは苦笑する。
「ただ、じっと見るんだ。そしてこの文字の形を頭に入れるんだ」
言われたとおりにする二人。
・・・・・・・・・・・・・・・。やはり分からない。どう発音するのか、それすらも・・・
ただはっきりしているのは、それが5文字だということだった。
そんな二人を見やって、エンヤはティナの腕をとる。包帯を巻いたより、もう少し上あたり…肩に近い部分。
「・・・・・ごらん」
それを見た瞬間に、ブライドは目を見開いた。見覚えのある形がそこにあったのだ。まるであざのように・・・・・
見ずらい位置であったため、ブライドよりは少し遅れてそれを発見したティナも、同じ事を認識した。
あざでは、ない……。今の二人には、そう理解できる。同じカタチのものを、自分達は、見たばかりである。
エンヤのひろげる、その辞書の中に――
「イルミネス・・・・。ここには、そう書かれているようだ。ただし、あたしが分かるのは発音だけで、意味はさっぱりだがね」
「エンヤ婆でも読めないんだな」
「あたしもそう万能じゃない。少なくとも、この世界のものではない言葉を全て理解するには、まだ時間が足りないよ。まさかこんなかたちでお目にかかるとは思ってもいなかったしね。古の言葉なんだよ、これは・・・・はるか昔、古代のね」
「古代――って……」
どこか異国の文字なのだろうか。その程度にしか考えていなかったブライドは絶句した。おおよそ予想範囲外の話である。ティナがほとんど総ての記憶を失くしていることや、彼女の行動や言動に驚きを覚えもしたが、今の衝撃とは比にならない。
「それにね――」
ティナの肩口にある、そのあざのような文字を人差し指でなぞりながら、かまわずエンヤは続けた。
「これには何か特別なまじないがかけられているようだ」
「…分かるの?」
ティナの問いかけに、エンヤは頷く。
「少しは、そっち系の力もあるのでな・・・・だが、あたしにはこれの意味を読み解くことはできないし、解除もできない。お手上げだ」
「そんなにあっさり言うなよ、エンヤ――」
「ブライド」
ふるふると首を振り、彼の言葉をとめるティナ。
「しかしな・・・・・」
そこまで言ったところで、ブライドの顔色が変わる。胸を押さえて、息苦しそうにするエンヤ。
「はぁ・・・はぁ・・・・っ・・くっ」
「エンヤさん…?」 その背をティナはさすった。
「!? エンヤ婆っ!」
慌てて駆け寄ろうとするブライドを、エンヤは片手で制した。
「お・・・ちつきな、ブライド。別に死ぬわけじゃない。あんたも知ってるだろう、あたしがそんな身体じゃないってことは?」
確かに。エンヤに何らかの持病があるわけではないことは、彼も知っている。…エンヤに限っては、その様なことが起こりうるはずはないのだ。苦々しく、エンヤは続ける。
「これは一種の副作用さ。どうやらあたしは触れてはならぬものに触れようとしたらしい」
そうして、ティナに優しく微笑み、背中にある手をとった。
「ありがとうよ。お前は優しいコだね」
「副作用とは・・・・」
エンヤが口にした単語を聞きとがめて、ブライドはつぶやく。そんな彼を見、ティナを見て、エンヤはゆっくりと言った。
「さっき、このコの・・・・このあざのようなもの・・・・というか文字だが、これには何らかの“まじない”がかけられていると言ったろう? そのまじないの源を、あたしはさっき探り出そうとした。そしたら途端に、これさ」
息遣いこそ落ち着いているが、その額に浮かぶ油汗が、普通の状態ではないことを物語っている。
「確かに命にかかわるもんじゃない。しかし、それはあたしのチカラがそれほどのもんじゃなかったからであって・・・・もし、完全にそれに接触できるチカラの持ち主がいたら…そやつは命を落とすことになる。それは“まじない”なんかじゃない。
呪いだ」
「そして・・・・名前だよ」
ティナは静かにうなづいた。
「エンヤ婆…? 何を言っているんだ」
いまだ理解できないでいるブライドのために、エンヤはもう一度繰り返す。
「名前なんだよ。この『イルミネス』というのはね。
そして、呪いだ。だからその意を読み解くことは出来なかったが……
それでも、間違いなくこのコの、本当の名前さ」